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ゆめにつなぐ

作者: 七条あきな

どうしようもない青春もどきです。

懐かしい夢を見た。

ぼんやりとした夢の中で君だけはくっきりとした輪郭を持っている。

夕日が差す公園。

飛行機公園。

飛行機の形の遊具があるこの公園はそう呼ばれている。

熱心に砂場で山を作っているのは勇人。

私の初恋の人。

私は彼が固める砂と埋め込まれていく石をじっと見つめていた。

真っ直ぐな瞳は私を捉えることなどしない。

私は彼のその目がとても好きだった。

いや、今でも好きなのだ。


こんな夢を見たからか、今日の授業中に勇人の襟足と広い背中が視界に入る度に悶えていた。


変態、と言われても反論できない。


「玲奈!」

夏帆が呼んでいる。机からゆっくりと頭をあげて振り向く。


「なに?」


「見てこれ!メアメリゼの新作リップ!!」

艶やかなくちびるが動く。


「いいな!何色なのそれ」


メアメリゼは高級な類のブランドなので私には到底手は届かない。

しかし家が病院の裕福な夏帆は別だ。

なぜこんな公立の高校にいるのか不思議なくらいだ。


「んーとね、朝露に濡れる薔薇の色」


夏帆が整った爪でリップを指さす。


「なにそれー」


「つけてあげるよ。物は試しだ!」


「いいよいいよ、大丈夫。私自分のあるし」


「どーせ薬用リップでしょ」


「どーせって失礼な!ちゃんと色つきだもん」


「今クラスの大半の女子を敵にしたからな」

斗真が言う。

「なになに、斗真君、クラスの女子のくちびる事情に詳しいじゃないのー?」

夏帆がからかう。その薔薇色のくちびるで。


「俺を変態みたいに言うなよ!」


「大体あってんだろ?」

そこに勇人が加わる。

あー、もう。

直視できないよ。

「斗真キモチワルーイ」

照れ隠しに言ってみた。

「玲奈ひでえっ!」

「僕はケバいのは嫌いだけどな」

勇人がサラリと言う。

「なによ、女の顔はだいたい作り物よ」

「やめてよ夏帆、私まで作り物になっちゃうじゃん」

「玲奈は例外。良いじゃない!ナチュラルな勇人好みの顔で」

「よかったな玲奈!お幸せにー」

2人はこういう時に限って連携プレーをしてくる。

お前らが付き合えよ、と言ってやりたいがそれどころではない。

多分私の顔は赤いんだろう。

ふと目をやると勇人の顔も若干赤く見えた。

「別に!そういう意味じゃないし」

勇人が撤回する。

そうそう、迷惑だよね。

「ごめん、私なんかが…。嫌だよね?」

俯いてスカートの裾を握る。

手汗が滲む。

「うーわ勇人が玲奈泣かせたあ!」

泣いてないし。

「え!?ごめん、そんなつもりなくて…」

勇人の目が私を真っ直ぐ捉える。

反射的に目を背けた。

「もう付き合っちゃえよ!」

斗真の声。

やめてよ、この関係を崩さないで。

今のままで充分満足なのに。

私は勇人と一緒に笑い合えればいいの。

せっかく積み上げたのに…。

私は勢いよく席を立った。

あてもなくふらりと教室を出る。


「そろそろ本気で行けよ、勇人。玲奈の気持ち、知ってんだろ」

そんな声がきこえたきがした。


桜が散った道。

その上をまだ誰も歩いていないであろう、ピンク色のコンクリート。

私のローファーがほんの少し沈む。

なんだかふわふわして感じる。

グラウンド横の柔らかい芝生に散った桜は春の終わり、初夏の訪れを予感させれる。

新しい季節の匂い。

緑の、五月の匂いがする。


放課後のグラウンドは野球部とサッカー部が半々で使っている。

ぼんやりと練習風景を眺める。

巧みなパスと力強いシュート、揺れるゴールのネット、湧き上がる歓声。

「玲奈」

心臓が大きく鼓動する。

ばくんっと跳ね上がった。

口から心臓が出そうとはこのことだと思った。

私はまるで陸に上がった魚だ。

息が詰まる。

ああ、この声は絶対勇人。

目を合わせると話せなくなるから、振り向かずにいう。


「なに?」

上ずってしまった私の声に答える勇人の声はいつもより落ち着いている感じがした。

「僕と今度の文化祭で、ペア組んでくれない?」

「えっ?」

思わず振り返った。

そこには勇人の背中があった。

見慣れた広いガッシリとした背中。

彼も同じく顔を合わせるのが恥ずかしくて背中を向けているのだろうか。

「ペアって、後夜祭のダンスの?」

文化祭の後夜祭ではペアでダンスを踊るダンシングオブカップルというものがある。

カップル限定のものなので、私は毎年縁がなかった。

「それって…」

勇人が振り返る。

「みんなに秘密な」

真っ直ぐな瞳が私を捉える。

「うん、ありがとう」

私もその目を見つめ返す。


しあわせ!って叫びたいのを抑えて、全力で飛び上がりたいのを我慢して言った。


「じゃあ、また明日ね」


「おう」


そんなやりとりの後で教室に戻る。


「玲奈何ニヤニヤしてんの?」


「べつにー?」


顔に出るほどの幸福だ。

片想いが実った瞬間、幸せを抱きしめている今。

今日の夕焼けはいつもより美しく見える。

ありきたりの言葉でしか表現出来ない。

ただ、美しい、としか。


聖火祭というのは俺たちの学校のビッグイベントのひとつ。

一日目が合唱コンクール、二日目はクラス祭。

三日目は二日目と同じ内容だが、終了が二時間早く、そのあと後夜祭が行われる。

一番盛り上がるのが後夜祭なんじゃないかと言われている。

その後夜祭では生徒主体のイベントの中でも毎年最も注目されているのがダンシングオブカップルだ。

俺は夏帆を誘おうと思っている。

聖火祭が本格的に始まるのは明日から。

合唱コンの練習やクラスの出し物の会議など、かなり忙しくなる。

夏帆は毎年、聖火祭の実行委員を務めるので多分今年も例外ではない、やるのだろう。

「お前、夏帆と一緒に聖火祭の実行委員やれよ」

勇人が言う。

思考が読まれていたとしか思えないタイミングだ。

しかし。動揺したら負けだ。

平静を装う。

「なんだよいきなり。つーか、俺に務まると思うか?」


「夏帆が隣にいればなんとかなると思う」


「夏帆?なんで夏帆が…」


「だって好きなんだろ?」


「なんでだよ!なんで俺があいつと」


「夏帆は斗真のことが好きなのに?」



「うそだろ」


時間が止まったのかと思った。

俺は自分の耳を疑った。

え?なんつった?

勇人の冗談なんてきいたこともない。



「ほら、その顔はやっぱり夏帆のこと好きなんだよ」



「そうだよ!悪いかよ」


「あー。ついに認めたか。ムキになっちゃって!夏帆が言ってたぞ、告白してくれないなら諦めよかっなあって」


「やめてくれよ、そういうの苦手だ」


「僕が言ってることって全部本当だからな」


「そうかよ」


「じゃあ僕は帰るね、斗真」


「じゃーな」


ドアを開ける音がする。

俺は窓の方から目を離さない。

「ああ、夏帆なら今図書室だよ」


「いらねーよ、そんな情報!」


「そうか?まあいいよ。でも早くしないと…」


「うるせえ、急かすな!」


勇人が帰ったあとの教室は静寂に包まれた。


机に突っぷせで指でコツコツと机を叩く。


「図書室、か」


立ち上がろうと腰を浮かせたとき、ドアが開く。


飯島ひなただ。


筋肉が硬直した。


「あ、笹野君」


高くよく通る声が俺を呼ぶ。

聞き慣れた声だ。



「…おう。何しに来たんだ?」

ゆっくりと腰を下ろす。


「んー、べつに?笹野君こそなにしてるの?」


長い黒髪を揺らして首を傾げる。

仕草がすべてあざとく見えてしまう。


「俺は、黄昏てるだけ」


飯島がぷっと吹き出す。

頬を紅潮させて小さく肩を揺らす。


「本当はね。わたし笹野君に用があってきたの」


机に座って足を組む仕草は高校生離れしていた。

怪しい水商売でもやってそうだ。



「なんだよ」


できれば俺はおまえに関わりたくない。


「うん。なんかさ、最近寂しくて。」


「…なんで?」


「笹野君に飯島って呼ばれるのに耐えられないの」


飯島は俺の隣に座る。


二回ほどおられたスカートから白くて細い足が覗く。


「ふたりきりのときだけでいいの、ひなたって呼んでほしい」


飯島の細い手が俺の肩に載せられる。

大きな瞳は潤んでいる。

なんでお前はいつも俺を求めようとするんだ。

飯島の手を払おうとする。

「こういうの、やめてくれよ。からかわないでくれ。おれたちはだめだろ。」

「なんで?私達は…」

言いかけて飯島は悲しそうに目を伏せる。

長いまつげに縁どられたその瞳には動揺の色が灯り、揺れる。

がたりと立ち上がり俺は飯島の手を払う。

「ごめん、俺いま好きなやつがいるんだ」

ふと外に目をやると誰かの気配があった。

多分玲奈だろう、ポニーテールが揺れるのが一瞬見えた。

玲奈のことだ。

俺の気持ちに勘づいているだろう、問題ない。

「だから、ごめん」

「知ってたよ、夏帆でしょ」

毛先を指で弄ぶ。長いまつげが悲しげに伏せられる。

「ああ。そうだよ、夏帆が好きだ」

「夏帆ならやめて。斗真が傷つくところ、見たくないの」

「夏帆は誰かを傷つけるような人間じゃねえよ」

「ちがうの、斗真きいて!」

飯島に袖をつままれる。

飯島は俺からちらりと視線を外すと今までとは一転して嬉々とした表情を作る。

その豹変ぶりにぞくりと背筋に寒気が走った。

「斗真、愛してるわ」

あっと飯島が小さく声を上げて俺の袖を思い切り引っ張る。

俺は体制を保てずに飯島に突っ込むように倒れた。

飯島は、背中を机に預け、俺は飯島の黒髪の中に手を付いた形になった。

なんだよこれ、自作自演じゃねえか。

お前の嫌いなとこだよ。

人とうまく距離感をつかめねえってのは。

「俺はもうかばわねえぞ」

立ち上がろうとした瞬間外からバサッという音がした。

ドアの方に目をやるとそこには、夏帆がたっていた。

「ごめん、邪魔、したよね」

弱々しい声がきこえた。

「夏帆!」

横にいた玲奈が叫んで引き止めるも夏帆は下駄箱に向かって走っていった。

「斗真」

飯島は玲奈に気付いていないようなふりをした。

「なんだよ」

俺は力なく言った。

「ごめんなさい。誤解させてしまったかしら」

なにがごめんなさい、だ。

わざとだろこのアマ。

俺は夏帆を追うために、教室を出ようとした。

すると大きな声で飯島が言う。

俺を引き止めるように。

「夏帆は、勇人と婚約してるの!」

よく通る声が言った。

「嘘だろ?!」

「本当よ。これを知ればあなたは傷つくと思って秘密にしていたけれど。

勇人の家が病院だって知ってるよね?

夏帆のお父さんは同じ医学部出身で、夏帆は勇人の許嫁なのよ」


夏帆の落とした荷物を拾っていた玲奈が固まる。

その指先は震えていた。

「婚約。許嫁?」

玲奈はゆっくりと顔を上げて俺を見る。

その瞳には色がない。

虚ろな表情で色のない目が俺を捉えた。

「玲奈、落ち着けって!嘘に決まってる!」

「うん、もうなんだっていいや」

ゆらりと立ち上がる玲奈を止める気力なんて無かった。

「何が目的なんだよ?」

俺の疑問に答える声はない。

足に力を入れるが、とても走れそうにない。

ゆっくりと立ち上がる俺に飯島は言った

「言ったじゃない、あなたが好きって。感謝してるのよ、斗真」

「ああ。そうかよ」

夕日が差し込む教室には長く黒い2本の影が伸びる。

俺の頭には夏帆表情とか細い声だけが焼き付いていた。

「帰る」

それだけ言って教室を出た。


「ばいばい、私の恋心」

なんて、言ってみる。

夜。都会の空には月と、時間があえば金星が見える。

今日は月だけ。星の面影すら見えない曇り空で、月明かりを頼りに場所を推測する。

窓を開けてずっと遠くを見つめる。

光のもとへなんてとても行けないし、見えないけれど。

こうすることで自分を冷静に保つ。

馬鹿みたいに舞い上がっていた自分。

私の数年間の想いは彼女の言葉で一瞬にして砕け散った。

勇人はなんだったんだろう。

夏帆と結婚するのを知ってて私に手を出したの?

目頭が熱くなる。

余計なことかもしれない。

そう思ってもどんどん溢れてくる感情を押さえつけられない。

傷ついたように走っていった夏帆。

ねえ、知ってる?私の気持ち。

私、勇人が好きなんだよ。

でも勇人はあなたの婚約者。

知ってて私の恋を応援してくれていたの?

ねえ、夏帆?

あなたは親友じゃなかったの?

…だめだ。

勇人の、背中。黒い瞳。

昨日の記憶がよみがえる。

いくら傷ついても彼の真っ直ぐな目には敵わない。

思い出すだけで胸の鼓動が速くなる。

「すき、勇人」

君が何を考えていても、届かなくても、裏切られたとしても。

「ごめん夏帆、私諦められないよ。勇人が一瞬でも私に恋してくれたなら私はその感情を1ミリでも信じてみるから」

「夏帆は私のことをどう思っていたの?夏帆にとって斗真と勇人はどっちが大切な人なの?」

星空に問いかける。

答えが出ない時、自分の中に埋もれた答えを導き出す時、私は広大な宇宙に心を映し出す。

星は解決の糸口。

大きな宇宙の小さなこたえ。

私は息を吸う。

「私は自分の想いに従うよ、夏帆。あなたにも何かあるのかもしれないけど、自分が幸せにならないと周りも見えなくなってしまうから」

そう言って窓を閉じた。

長い独り言はもうおわり。


病院の自動ドアに映された自分の顔を見て思わず笑ってしまった。

腫れた目、乱れた髪。

失恋した少女そのものだ。

家に帰る、は私にとって苦痛を意味する。

東総合病院の中の医院長室に入る。

母にこの前の模試について怒鳴り散らされた後だ、鍵を持つことを許されない私がインターホンで通してもらえるとは思っていない。

ドアは大体空いている。

父が戸締りを異様に面倒くさがるからだ。

大きなロッカーにかかるコートの中の内ポケットから家の鍵を抜く。

どうせあなたは使わないでしょう。

鍵束から1本が消えたところで父は気づかない。

いたずらごころが不思議と働いて、鍵束をまとめるキーホルダーのガラス製の繊細な飾りを外した。

これはもうただの鉄の塊。

鍵束をコートのポケットの中に押し込む。

この飾りきっとどこかで落としたんだろうと思うかな?ずっとコートにいれていたのにね、なんて考えていたらドアの前で足音が止まった。

それをきいて咄嗟にロッカーの中に入り戸を閉める。

「お父さん、私今年は無理かもしれない」

姉と父が入ってきた。

「予備校の金は出してやる、来年は俺と同じところ受けろよ。確実に受かるだろうな、東の苗字を書いた時点で」

父がいつもの威厳からは予想出来ぬほどの陽気な大声で話す。

恐らく相当姉に飲まされたのだろう。

酒が入ると途端にだらしなくなる。

「ありがとうございます。ああ、お父さんの娘でよかったわ」

「お前は熱心に勉強していたからな。しかもお前は俺に似て医者の素質がある。夏帆が浪人するのとはべつだ、何年でも面倒見てやるよ」

私は自分の名前を父の口からきいて指先が冷たくなっていくのを感じた。

「夏帆はどうなの?」

「成績は人並み以上にはとっているがどうも不器用でな。医師の素質はない。しかもクラスですらトップを取れない」

足が震えるのがわかった。

「もし、次のテストで主席でなければ私立の名門大学付属に転入させてエスカレーターで大学に行かせる」

「ほんとうに?」

「俺にしちゃあ端金だが、世間体は悪い」

「そうよね」

「最悪、南帆の方の苗字で行かせるさ。そっちの方があいつのためになる。あいつは南帆の見た目ばっかり似て俺にはちっとも似てやしない。俺とあいつとの子なのにな」

なほ?私の母の名前ではない。

「南帆さんは優秀な医学者なのにね。似るのは美人なところだけじゃない、憎たらしい」

「大丈夫だ、お前は俺に似て医者の才能が詰まってるからな」


「夏帆は南帆さんとの子でしょ。私だけはお父さんとお母さんとのこどもで純血の東なのよね」


「お前だけだよ、東を名乗れるのは」

「ふふっ。夏帆の勉強でもみてあげようかしら」

「あいつがトップになれないのは、南帆と今の男との子がクラスにいるからなんだよなあ。」

トップ。私は斗真の顔を思い浮かべた。

「その子は南帆さんの才能を継げたよね。あー、こんな話をお母さんがきいたら泣くわね」

父の笑い声が響く。

激しいめまいに視界が乱れる。

こんなことならここにこなければよかった。

母に締め出されてでも家に直帰すれば良かった。

私は2人の下衆な会話が終わるのを待ち、フラフラとした足取りで部屋を出た。


私には何も無い。



斗真は。

絶対にダメだ。

もう彼に想いを寄せられない。

だって私たちは思いもよらない関係だったんだから。

やはりここは玲奈に言うのが一番だろう。

玲奈に電話をかける。



やっぱり勇人は諦められない。

例え夏帆と結婚という未来が確定だとしても少しでも確率があるなら私はそれを信じる。

夏帆が私についてどう思っているのかわからない。

でも、少なくとも私が夏帆の立場なら、とっとと許嫁であることをカミングアウトするだろう。

わたしのことを親友だと思っていたのなら、だが。

夏帆はどういう算段で私と接していたかはわからない。

しかし私が出した結論は友より恋である。

残酷かもしれない、しかし夏帆が私にしたことに比べれば可愛いものだと思う。

夏帆には勇人との未来がありながらも斗真の気持ちを弄んでいたのだろうから。

当分夏帆の顔を見たくなかった。

明日はなんとしてでも休もう、と思っていた矢先、電話がかかってきた。

画面を覗き込むと夏帆からだった。

汗ばんできた手で応答の掲示をタップした。

「もしもし?」

夏帆の明朗な声がする。

なぜこんなに明るいのだろうか。

あんなことがあった後なのに、という疑問が一瞬横切る。

「なに」

それに対する私の応答はとても短く素っ気ない。

夏帆はそれにとまどったのだろうか、続く言葉が見つからないようだった。

しばらくの間。

耐えられず私は言った。

「ごめん。今電話できるような気分じゃないから。当分は掛けてこないで」

そう言って電話をきり、スマホをベッドへ放り投げた。

あー、なんかもやもやする。


「もしもし?」

努めて明るく振る舞う。

玲奈のことだ、空元気だとすぐにバレてしまうかもしれない。

「なに」

玲奈の声がきこえる。

電波に乗った機械的な声は少し色のない感じがしたけれど、ほっとして涙が溢れてきて、

下手にしゃべれなくなってしまった。

なんて言おうか迷っているうちに玲奈から切り出してきた。

「ごめん。今電話できるような気分じゃない。当分は掛けてこないで。」

え、と言う前に切られてしまった。

かすれた声が行くあてもなく虚空に発せられる。


私は玲奈の何だったのだろう。

彼女はなにか思うことがあっても必ず私に打ち明けてくれたし何より理由もなく冷たい態度をとることもなかった。

玲奈には他には言えない家庭事情だってさらけ出してきたのに。

玲奈。

どうして。

あーあ、もう何もなくなっちゃった。


親友、家族、信頼、学歴、恋心、斗真。


私には何も残っていない。


足元は絡まり合う血縁関係に囚えられた。


こういう時はどうすればいいんだっけ。

涙が止まらない。

荒れ果てる呼吸、

くるしい

くるしい

くるしい、どうする。

どうしようもない絶望感、孤独感。

負の感情に押しつぶされ呼吸のリズムが更に乱れる。

自分を保てなくなった私は気づいたら、病院の屋上にいた。

余計なものを脱ぎ捨てるように、せめて最期は飛躍できるように、ローファーを脱ぎ捨てる。

ああ、最期だ。

目を瞑る。

どう考えてもこの先に光は差さないのだろう。

手のひらから温度と力が抜け落ちた。

ガラスの澄んだ音と鍵の高い音がひびく。

靴を脱ぎ捨て、最後の、渾身の力を込めて助走をはじめた。

軽快だがどこか不揃いなリズム、同時に伝わる足裏からの小さな痛み。

ガラスの破片の反射が眩しい。

繊細なガラス細工は粉と化し、私の柔らかい皮膚を切り裂いた。

私はそれに自分の姿を重ねる。

乱反射する砕けたガラス。

足から鮮やかに溢れた赤、さよなら痛み、悲しみ。

柵を越え、小さなうめき声を伴ってコンクリートを踏み切り跳躍した。

眼下に広がる見慣れた街、初めて見るアングル。

一瞬の新鮮な風景に心を奪われ、無に還るまでの時間を持て余した。

ひたすら青く深い空に看取られて、私は砕けた。

そして屋上には春の匂いの消えた風が、私の痕跡をさらって一瞬の静寂をもたらした。


黒、喪、死。

慣れない不吉な言葉が僕を巡る。

今日、僕の幼なじみが死んだ。

死因は転落死。

葬儀は明日。

家族葬らしいので、僕は招かれないと思う。

招かれたとしても正直いけない。

東家は苦手だ。

特に夏帆の父親が苦手だ。

妙に世間体を気にするくせに酒が入ると女の話、金の話。

夏帆もきっとそれが積もって相当なストレスを感じていたのだと思う。

彼女の死は僕とその周りに大きな変化をもたらすのだろう。

そんなことを考えられるだけ僕は冷静なんだろうな。

こんなことを玲奈や斗真が知ったらきっと狂ったように泣く。

もしくは自分も夏帆と同じ道を選ぶかもしれない。

僕の役目はきっとそれを阻止することだ。

僕は今、繰り返すようだが多分一番冷静だ。

なぜなら、理性だけを生かしているから、感情を殺しているから。

感情が理性を食い殺す頃、僕はきっと誰よりも狂ってしまう。

僕から夏帆をもぎ取ったやつに対する殺意できっと僕は崩壊するだろうから。

冷静でいられるうちに記せることは遺しておこうと思って、これを書いている。

しかし、もう書けることはなさそうだ。

斗真、玲奈、ぼくはきみたちまでとめられる自信がなくなってきたよ。

ごめんね、さきにあやまっておく。

こんなぼくを赦してください。


涙が止まらないより、涙が出ない方がよほど狂っている。

こんなことがあったのに涙が出ない、心が痛まない。

なぜ?私は夏帆を失ったのに。

実感がわかない。

学校に行けば、家に行けばあの笑顔に出会えると体が信じ込んでいる。

本当に夏帆はいないの?

いつから?

どこできえたの?


わかっている答え。

しかし問わずにはいられない。

いくらきいたって認識出来ないのだ。

現実を認められない。

あんなことがあっても、だ。

つい先日まで憎むべき対象だった少女は私から多くの感情を攫っていった。


「俺も同じだよ」

荒れた鼻声の斗真が言う。

教室に差し込む朝日の色がなぜだか冷たく感じた。

学校が始まる前の静寂。


昨日の深夜、勇人から電話があった。

夏帆が死んだこと。

その時は悪い夢だと思った。

翌朝、5時に学校集合、と言われた。

それが今になる。

「なんで?」

かすれた声できく

こいつのことは許せない。

お前が夏帆を殺した、言いかけても喉がうまく動かない。

私ひとりの周りだけ真空なのだ、と勘違いしたい。

「たぶん亡骸をみてないから」

何を言ってるのこの人殺しは。

「そんなことで受け入れられるのなら今すぐ見たいよ!」

「やめろ、あの家は世間体を気にして両親だけで葬儀をやってるんだ。」

「ふざけないで。そんなこと言える立場なの?」

「玲奈、落ち着けよ」

「お前に言われたくない」

「何でだよ」

「夏帆はお前のことが好きだった」

「俺も好きだった!」

「嘘だ!飯島ひなたをどう説明するつもり?夏帆から電話があった。ひなたちゃんとお前が想いを通わせているのを私、見たよ。」

「あれはちがう!」

「もう、何も信じられない!斗真の言葉も夏帆の死も」

「それは信じたくないからだろ」

勇人の声がして、振り向いた。

夏帆の遺影を持つ勇人がいた。

真っ黒なスーツに身を包み、重たくネクタイを締めている。

「葬式だ。僕達でやろう。夏帆の死を受け止めるために。夏帆に言わなきゃいけないことが沢山あるだろ?」

制服の私は無言でパーカーを脱ぎ、暑苦しいブレザーを着込む。

リボンもきっちり結び直して第一ボタンまで閉める。

斗真も私に習い、ネクタイを締め直した。

東総合病院の屋上に向かう。

銀色の柵に3人で買った樒をおく。

夏帆の死はなかったことのように屋上は開放されていた。

正座をして手を合わせる。

形式的な儀式だったが、遺影の夏帆は白く、儚かった。

夏帆がいなくなった。

初めてその言葉の意味を捉えられた気がした。

「斗真、ひなたちゃんとなにがあったの」

私の声が無風状態の屋上に響く。

冷静に問いかけた。

私を見る斗真の目は充血している。

斗真も同じく死を受け入れ始めたのだろう。

「ひなたが俺をはめたんだよ!わざとあの体勢に持っていかれたんだ」

斗真の声は僅かに震えていた。

「玲奈、夏帆の最後の電話の相手だろ?何を話したんだ」

勇人は夏帆のスマートフォンを手にしていた。

心臓が握りつぶされるように感じた。

手が小刻みに震え、血が指先まで廻らなくなってしまったように感じる。

本当に、夏帆が死んだのは斗真のせい?

直前の電話ってことは夏帆は私の電話の後にすぐ死んだということ?

それならーー。

息を吸って発した声は空気にひびを入れた。

「夏帆が死んだのは私のせい!自殺の引き金を引いたのは紛れもなく私なの!!」

「おい!どういうことだよ!」

斗真の怒号が空気を割く。

「精神的に病んでいた夏帆に私はとどめを刺すように冷たい態度をとった。夏帆が勇人の許嫁だったと聞いて、気が動転していた…。夏帆が騙したと決まっていなかったのにとっていい態度じゃなかったの、斗真が殺したなんて見当違い。ごめんなさいほんとうに、ごめんなさい」

謝っても夏帆は帰ってこない、わかっていたがつい口にしてしまう。

「許嫁?なぜそれを知ってるんだ?!」

勇人が珍しく声を荒らげる、

「ひなたが言ってたんだ。本当だったんだな」

「その前にもあの日ひなたちゃんは私と夏帆と目があっていたの。私たちがいるのを知っていて言ったに違いない」

その時、私の脳裏に微かな疑問が浮かぶ。

ぎこちない会話。

彼らの関係はーー。

「…でも斗真、ほんとうにひなたちゃんとは何も無いの?」

「いや」

斗真が視線を夏帆の遺影にやる。

「何かあるなら言えよ!夏帆の前で懺悔しろ!!」

勇人が斗真の首を占めるようにしてネクタイを掴む。

「落ち着いて、こんなことするために集まったんじゃない!!」

「言えよ!お前はひなたどんな関係なんだ、夏帆を傷つけただろ!」

斗真の肩の力が抜ける。

「ひなたは俺の腹違いの妹だよ」

斗真は呟いた。

「え」

私の声はかすれていた。

「俺の苗字は笹野。今は離婚したから姓は違うが、もとはひなたも笹野だったんだ。」


「笹野?斗真の母親は南帆さんか?」

「なぜ知っているんだ」

訝しげに斗真が言う。

「夏帆は東医院長と笹野南帆さんとの子供だ。東医院長は酒が入ると余計なことを言うからな。ききたくなくても夏帆は耳にしたのかもしれない」

「それって!俺と夏帆も兄妹ってことじゃねえか!」

斗真が目を見開く。

「夏帆もそれを知ったんだ…」

勇人が、遺影を見つめる。

「ひなたちゃんは夏帆のこと知ってるの?」


「僕はそう思う」


「俺は日向を許さない。例え同じ家で暮らしていたとしても。俺から大切なものを奪ったんだ。俺と夏帆は兄妹かも知れないが、夏帆は俺の守るべき人だった。この関係を、きっとひなたはしっていた。それならひなたはたぶん、夏帆に怨みがある。俺たちが知りえない、殺したいほどの怨みが」


悔しそうに斗真は拳を握っていた。


飯島ひなたが抱いた感情の発端を私は知らない。


そんなことはどうでもいいのだ。


復讐という言葉が点滅する。


みんなも同じはずだ。



勇人が夏帆の遺影を持ち上げる。


私は沈黙を守り屋上を後にした。





東 夏帆は死んだ。

自ら命を絶った。

わたしの望みは叶ったのだ。

私の母は私を一人娘として扱ってくれなかった。

たしかに私は母親から生まれてきた子では無かったが、

私は母を愛していたし、母からの愛を求めていた。

しかし母のほんとうの娘は最高傑作でいつでいつも私の比較級だった。

ほんとうの娘は私の姉。

わたしは劣等感と共に生きてきた。

勉強のできる兄に比較され、容姿に秀でた会ったことのない姉に比較され。

兄の斗真の優しさは私にとって辛かった。

私を苦しめる原因の中にあなたはいるのに。

どうして私に優しくするの、どうして救いの手を差し伸べてくるの?

兄の優しさはわたしのえぐれた傷口を癒してくれた。

兄に惹かれてしまう前に母と父は別れた。

別居。

しかし私と兄は同じ高校へ転入することになっていた。

私は母方につくことになった。

母は私を選んだのではない、父が私を拒んだのだ。

実の父が。

斗真の優しさを思い出す度に私は斗真への想いを強めていった。

近くにいても他人を装わなくてはならない。つらくあったが、斗真を兄としてではなく、一人の男としてみることができ、禁断の恋から解放されたことに喜びを感じていた。

ようやく新居になれたころ。

荷物整理の時、母の日記を読んだ。

わたしの姉が東夏帆だと知ったとき全身の血液が逆流するような感覚に駆られた。

やっと見つけたのだ、私の怨みを晴らすべき相手が。

わたしの比較級、死ね。

同じクラスに、夏帆がいたことはとても幸運に感じた。

神は私に味方している、そう思った。

生まれて初めて自分が恵まれていると思った。

ある日泥酔状態で帰ってきた母が誰かと電話していた。

あとで履歴をみてわかったが相手は東医院長だった。

大量のメールと電話。

母は夏帆のことが気になってたまに東医院長と、連絡をとっていた。

母の以前から続く長電話の理由がわかった。

夏帆は私の周りから愛を吸収している。

そう感じた。

メールの中に夏帆は同じクラスの勇人と婚約をしていることが書かれたものがあり、私は周囲を欺き、夏帆を負のどん底に突き落とす計画を立てた。

夏帆が苦しみに悶えて死んだ今、私は幸福に打ちひしがれている。

もう、これ以上の望みはない。





ひなたの望みは夏帆の死だ。

夏帆が死んだ今、ひなたを不幸にさせる方法はない。

これが、俺が出した結論だ。

なら、もし夏帆が生きていたら…?

これしか方法がないと思った俺は玲奈と勇人に連絡をした。


「夏帆を生きているように仕掛ける?」

勇人が、怪訝そうに言った。

「無茶言わないで」

玲奈の声は怒気を孕んでいる。

「それかしか方法がないんだ!」

「具体的にはどうするんだよ?」

「俺の案をきいてくれ」

俺が計画を話す。

「やってくれるか?」

玲奈と勇人は強く頷いた。

「夏帆の為だ」

「やるしかないじゃない」













チャイムが鳴る。

担任の高池先生が入ってきた。

「えー、今日はみんなにいいニュースがあるぞ」

一瞬クラスがザワつく

「なんとな、カナダに短期留学していた東さんが来週帰ってくることになった。」

おおー!と歓声があがり拍手がまばらに起きた。


私は勇人と斗真にアイコンタクトをする。

勇人は東家の使用人を名乗り学校に出鱈目な電話を入れた。


斗真は南帆に夏帆は屋上から転落したが無事一命を取り留めた、などという電話をし、夏帆が見舞いに来て欲しがっている、と加えておいた。


私はひなたちゃんの様子を見る。

彼女は目を大きく見開き母に電話をかける、死んだはずではないのか、と言おうとしているのだろう。

しかし彼女の電話をかけた先の端末は私の手元でバイブを鳴らす。

私は一瞬電話をとると彼女が言葉を発する前にため息を吹きかけて電話を切った。

こうされるの、きらいだったでしょ?

さようなら、ひなたちゃん。






家に帰ると誰もいなかった。

音信不通の母。

蘇った夏帆。

大きな謎が私の頭を殴り、頭痛をおこす。

強烈なストレス、理解できない現実。

現実逃避に最適な方法であろう睡眠を私は選択し、大量の白い錠剤を飲み込んだ。


今日は土曜日なのにママに叩き起された。

「ひな!もう7時よ!!」

その鬼気迫る声に非常事態と察知した脳が私を平日の朝に引き戻した。

「え!なんでもっと早くにおこしてくれなかったのよ?!」

階段をパジャマのまま駆け下りて、ダイニングのテーブルの上のパンを口に押し込む。

パンはフランスパン。

とてもかたい。

非常事態発生、非常事態発生。

私の脳は全ての行動に緊張感を持たせる。

パンを全力で噛む。

顎が痛い。

多分そうとうブスな顔してる気がする。

こめかみが痛くなり始めた。

咀嚼の間することがない私は、ふとテレビに目をやる。

Saturday NEWSというタイトルが映し出されていた。

Saturday?土曜…?

状況を理解したあと手の筋肉が弛緩した。

「ママ!今日土曜日じゃない!!」

すると洗面所からママのくぐもった声がきこえた。

「いいじゃない!早起きは損をしないのよ!」

逆ギレをされた。

ストレスが溜まる。

はあーっと大きめの溜息をつく。

どうせママにはきこえないんだろうけど。


こんなことがあったあとにもう一度眠れるほど私の体はよく出来ていない。

ゆっくりと階段を登り、部屋のドアをしめた。

大きく伸びをしてスマホに手を伸ばす。

あれ?充電されていない?

もっとイライラした。

ベットに突っぷせて頭を枕の下に押し込む。

あー、もうやる気が出ない。


しばらくして、家のインターホンが鳴った。

「はぁーい!」


ママのいつもより1オクターブ高い外向けの声が響く。


「ひなー!お友達よ」


嘘でしょ、こんな朝から!

と思いつつもカーテンをめくって窓から下を覗き、玄関を見る。

「あれ?だれもいないの?」

するとトントンというノックがきこえた。

「はいっていい?」

きいたこともないこえがした。

とっさに言葉が出てこない。

ゆっくりとドアノブがまわるのを見ることしか出来なかった。

ガチャッという音とともにドアが開かれた。

「え?」

そこには、誰もいなかった。

私はドアを背に再びカーテンをめくる。

窓から下を覗くと玄関には茶色の髪をした女の子がたっている。

「ひなー!お友達よ」

ママの声が再び響く。

部屋のドアの方を見るとドアはしまっている。

私はベッドから降りてドアの前にたった。

トントン

ドアがノックされる。

「はいっていいわよ」

私の口が勝手に動く。

ゆっくりとドアノブがまわる。

そこには。

女の子がたっていた。

「え?」

あまりの至近距離に私がいたからか、女の子は驚いて目を見開いた。

「ごめんなさい」

私はさっと身を一歩引いた。

何となく、違和感を感じる。

「えっとー。どちらさまかしら?」

私は戸惑っているが、普通の対応を心がける。

「あたし、東日向って言います。」

あずまひなた。

かほ?

そんな名前が一瞬ちらつく。

私の名前は飯島ひなた。

彼女もヒナタ。

「え!わたしもひなたよ。飯島ひなた。」

茶髪の少女、日向はにかんだ。

「よろしくね、ひなた。仲良くしてね!」

「こちらこそよろしく、日向」

「自分の名前呼んでるみたいでなんだか楽しいね」

日向は笑う。

チャイムが鳴る。

担任の高池先生がゆっくりとした歩調で入ってきた。

みんなが席に座る。

「今日は転入生を紹介する。カナダで留学をしていた子だ。日向ー!」

ガラリとドアが開き、日向が、入ってくる。

「東日向です。前のカナダの学校では日向って呼ばれていたのでそう呼んでください!」


パチパチ。拍手が飛び交う。

HRがおわり日向の周りに出来た人垣に私は少し驚いた。

その中にはクラスで1度も声を発したことがない子がいたからだ。

その子が喋る

「日向ってモデルなの?」

「なんでー?ちがうよ?」

「えー!モデルやった方がいいよ!スタイルいいし可愛いし!」

日向はそう?と言いながらさり気なく髪を払う。

薔薇のいい香りがした。

ひなたひなたひなた。ひなた?

ひなたってだれだっけ。

次の時間の全校集会で、日向は壇上に上がって一礼する。

「こんにちは。本日転入した、東日向です。今日から2年C組のメンバーとして、学校生活を送れることになって、とても幸せです」

すると、大歓声があがる。

男女の声が混ざり合い同じ色の声が響く。

私の意識は歓声の中に埋もれていく。

チャイムが鳴り終えると放課後が始まる。

雨の匂いがする。

みんながいっせいに傘をさす。

日向は背の高い男の子と一緒の傘に入っている。

彼は誰?

顔を覗こうとして近づく。

黒髪に無邪気な笑顔に見覚えがある。

制汗剤の爽やかな匂い。

兄にして私の想いを寄せる相手。

「斗真!」

声が伝わらない。

重たい灰色の空から冷たく刺すように降るのは雨。

五月雨。

違和感が膨張する。

はちきれそう。

斗真の顔は日向の茶髪に埋もれていった。

ふたりが混ざる。

ぴったりと重なって、溶け合う。

もう離れないのだ、私がそう悟った時、私の膨張はとまり、だらしなく破裂した。


パンッという音とともにママの声がした。

「ひな!もう7時よ!!」

私はもう知っている、東日向という悪夢を。

夏帆は日向だ。ひなたはかほだ。

私が夏帆?

恨むべき相手。

騙されない見たくない。

私は再び眠りにつく。

視界の隅で揺らぐカーテン。

あの茶髪が見える前に眠ってしまおう。

また悪夢?有り得ない。

なぜって永眠はやすらかだと決まっているから。

誰もが持ちうる感情を、ある日突然ぶちまけられたら。

誰かの幸せを壊すものになるのでしょうか。


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― 新着の感想 ―
[良い点] これだけの量をまとめて書けるのが凄いなと尊敬しました。 [一言] これからも執筆頑張って下さい、応援しています。
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