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貴重品

作者: スイカ

 家主不在の見知らぬ他人の家。よく見知ったその光景の中で、男は途方に暮れた様子で立ち竦んでいた。

 男が空き巣に入るのは初めてではない。人に自慢できるようなことではないが、彼はこの道十年以上のベテランだ。潔癖なまでに整頓された家や、その逆にゴミ捨て場と見紛う程の異臭を放つ汚い家、壁中に――恐らく盗撮と思われる――写真が張り巡らされた家など、数々の家に侵入してきた。

 様々な経験を経てきた彼にとって、多少風変わりであったり、特殊な趣味が垣間見える家に出くわしたところで今更大した驚きなどあるはずもない。少なくとも、彼はそう自負していた。この家に、足を踏み入れるまでは。

「なんだ、この家?」

 いつの間にかカラカラに乾いていた喉から出た声は、今まで聞いた事もない程に掠れていた。改めて周囲を見渡しながら、彼は半場無理やり唾を飲み込んだ。

 間取り自体はどこにでもありそうなリビング。置かれている家具も特に何の変哲もない。だが、それ以外の部分が異様だった。右を見ても左を見ても、彼の視界に飛び込んでくる形状も大きさもさまざまな金庫金庫金庫金庫金庫金庫金庫金庫金庫金庫金庫金庫金庫金庫金庫金庫金庫金庫金庫金庫金庫金庫金庫金庫金庫金庫金庫金庫金庫金庫金庫金庫金庫金庫金庫金庫金庫金庫金庫金庫金庫金庫金庫金庫金庫金庫金庫金庫金庫金庫金庫金庫金庫金庫金庫金庫金庫金庫金庫金庫金庫金庫金庫金庫金庫金庫金庫金庫金庫金庫金庫金庫金庫金庫金庫金庫金庫金庫金庫金庫金庫金庫金庫金庫金庫金庫金庫金庫金庫金庫金庫金庫金庫金庫金庫金庫金庫金庫金庫金庫金庫。

 テーブルの上、椅子の上、ソファーの上、まるで絵画でも飾るように壁に金庫が取り付けられ、天井からはシャンデリア宜しく金庫が吊り下げられている。どんな意図があるのか扉の取り外された巨大金庫の中には大きな液晶テレビが収められていた。

 金庫があること自体は悪い事ではない。が、これはいくらなんでも異常だ。一体どんな意図があって家の中を金庫で埋め尽くしているのだろうか。

「…………………………まあ、金庫はおいておこう。そんなモノよりも金だ金」

 金庫の中には確かに貴重なモノが入っている可能性が高い。高いが、空き巣のもっとも重要な心得は、仕事は迅速に、だ。

開けられるかどうかも分からない、中身が何かも分からない金庫に貴重な時間を費やす暇があるなら、百円玉の一つでも見つけた方がよほど有意義だ。彼は意識を金庫から無理やり引き剥がし家探しへと移る。リビングを埋め尽くす金庫の百鬼夜行には驚かされたが、やること自体は変わらない。普段通りに仕事を済ませ、早々にこんな家からはおさらばだ。

 出来るだけ理論的に、出来るだけ現実を直視しないように、彼はリビングを後回しにして別の部屋へと足早に向かう。そして、向かった全ての部屋で、彼は盛大な出迎えを受けることとなった。

「だから! どうしてどの部屋も金庫で埋め尽くされてんだよ! 頭おかしいんじゃねえのかオイ!」

 開けても開けても、彼の目に飛び込んでくる四角く頑強な箱たちの百鬼夜行。気付かない内に異世界にでも迷い込んでしまったのだろうか。

 そんな疑問が彼の頭を支配し始めた時、胸ポケット――正確にはその中に入れてある時計――が僅かに振動する。震源となった時計を取り出してみれば、何時の間にか撤収時間となっていた。平時であればタイマーに気付かされるような間抜けなことはないのだが、随分と余裕がなくなっていたようだ。

 彼は自嘲的な笑みを浮かべながら、家を後にしようと侵入してきたリビングへと向かう。結局金目のものを見つけることは出来なかったが、長いこと空き巣をしていればこういうこともある。

 そう自分に言い聞かせながら侵入してきた窓へと手を掛けたところで、その手がピタリと動きを止めた。視界の端に映った一つの金庫。その金庫が妙に彼の気を引いた。

「…………」

 一度掛けた手を窓から外し、彼は視線を真横へと向ける。何故先程は気付かなかったのか、ソファーの上には妙に凝った装飾が施された金庫が一つ、強い存在感を放って鎮座していた。

 大げさかもしれないが、高価な絵画を彷彿とさせる。

 ――高そうだな。

 そんな何の捻りもない考えが、ふと彼の頭を過ぎる。仮に中身がゴミ同然のものだったとしても、あの金庫自体にそれなりの値段が付くのではないだろうか。それにサイズも旅行鞄程度と比較的手ごろだ。ご丁寧なことに天長部には取ってまで付いている。まるで盗んで下さいと金庫が主張しているかのような形状。

「持って、いくか? いや」

 いくら手頃といっても空き巣である自分が持ち歩くには大き過ぎる。それに、あんな物を持っていたらそれだけで職務質問を受けそうだ。普段の彼なら一考にすらしないだろう。もし仮にそんな考えを持った同業者が居たなら鼻で笑う。

 だが、今の彼は普段の冷静な彼ではなかった。無数の金庫が彼の頭の中に溢れ、冷静な思考を容赦なく押しつぶしている。思考を金庫に閉じ込められていた。

「………………手ぶらっていうのもな」

少なくはない葛藤の後、彼は吸い込まれるように金庫へと手を伸ばしていた。

「思ったより、重いな」

 僅かな後悔を胸に抱きながら、彼は金庫を手にその奇妙な家を後にした。



「さて、早速開けるとするか」

 細部にまで施された細やかな装飾、小ぶりだが頑丈そうな金庫からは妙な気品すら感じられる。男はそんな場違いな印象を放つ箱を前に、両指の関節を鳴らし気合いを入れた。

 男は長年愛用してきた聴診器を丁寧な動作で耳へと掛ける。箱の中央に設置されたダイヤル式の錠。その真横に聴診器を当て、男は慎重な動作でダイヤルを回し始めた。カチ、カチ、と数字を一つ進める度に内部で歯車の動く音が響く。その僅かな音に、男は全神経を集中した。

 何度かダイヤルの行き来させる内、カチリ、と遂に彼の待ち望んだ音が響く。ニンマリと彼は勝利の笑みを顔全体に広げ、額に浮かんだ汗を拭った。

「さてさて、何が入ってるのかな?」

 金庫そのものが売り物になりそうだが、それはそれ。中に価値のある物が入っているならそれに越したことはない。

 期待に胸を膨らませながら金庫の扉へと手を掛ける。苦労して開錠した金庫は何の抵抗もなく男に中身を解放した。

「……?」

 最初に感じたのは、異臭だった。生臭い、鼻腔を刺激する強烈な悪臭。次いで金庫の縁から僅かに流れ出た赤い、液体。

 臭いの正体を、赤い液体の意味を、金庫の中に入っている物が何であるかを男の脳が理解した時、彼は自分の意思に反して大きな声で悲鳴を上げていた。扉を閉めることも出来ず、身体が石像にでもなったかのように悲鳴を上げ続ける男。そんな彼を、金庫の奥から光を失った暗い二つの穴がじっと、見つめていた。



 彼が家に帰った時、まず感じたのは自分以外の人間が家に侵入した気配だった。

「空き巣か」

 近所でも比較的裕福な部類に入る男の家は、空き巣からすると恰好の得物らしく過去にも何度となく被害にあっていた。

 まったく自慢にならないことだが、今では玄関を開けただけで家に空き巣が入ったかどうか分かるようになっている。本人としては、こんな特技など欲しくもなんともなかったのだが。世の中、何が幸いするか分からないものだ。

「さてと、今回は何を盗まれたかな?」

 空き巣が入ったことを知ったにも関わらず、男はとても落ち着いた態度で靴を脱ぐと、丁寧に向きを揃えてから家に上がった。

 もっとも狙われやすいリビングに向かうと、案の定、ソファーの上にあった金庫が一つ無くなっていた。

「なんだよクソ! あの金庫を盗みやがったのか!」

 今回こそはテーブルの上に置いた大型の金庫を持って行って欲しかったのだが、どうも上手くいかない。

「たく、小物ばっかり狙いやがって」

 テーブルの上の金庫へと目を向けながら、彼は深い溜息を吐いた。

「表面に宝石でも埋め込むか?」

 思案気に首を傾げる彼の耳に携帯電話の着信音が届く。

「……はい、もしもし。ああこれはこれはお世話になっています。はい、はい。ええ、大丈夫ですよ。順調に処理できています。え? また利用したい? ええ、私は構いませんが。はい。では後ほど」

 顧客からの電話を終え、彼は僅かに溜息を吐いた。

「よくヤルなああの人も」

 呆れ気味に苦笑を浮かべ、彼は最後の一パーツとなった箱の表面をゆっくりと撫でた。

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