喪失
「隊長、少し離れてください。暑いです……」
沸き立つ熱湯、視界を遮る湯気、ここは灼熱地獄。
「何だとぉ? それが隊長に対する態度か!」
「もうこうなってしまったら、地位なんて何の意味もないですよ……。どうせ僕たちここで死んでしまうんですから」
「我々は決して死になどしない! 口を慎め、大馬鹿者!」
「死ぬも同然ですよ、あなただってたくさん見てきたでしょう? あの悲惨な姿を……」
「ええい、もういい! 貴様のような軟弱者と話している時間はないのだ! 何とかしてここを抜け出す方法を考えなければ……」
そのときやつがやってきた。僕たちの数倍は太い二本の無慈悲な腕。
「うわぁ!」
「や、やめてくれ!」
「ブクブクブク……」
悲惨な同胞たちの声もむなしく、その二本の腕はあいつの上半身、こいつの下半身をなぎ払う。僕たちは押し合いへしあい、もう滅茶苦茶だ。
あわや水没、そう思われたとき、その二本の腕は僕たちをあざ笑うかのように遠ざかっていった。
「ふぅ、何とか助かったけど、もうだめかもしれないな……」
「どいつもこいつもゴチャゴチャうるせえなあ」
「ね、ねえ、君。誰だか知らないけどそれはひどいんじゃない? みんな必死なんだよ」
「あ? それがみっともないんだよ。さっさと腹をくくれってもんだ」
「そう言う君はどうなんだい? 怖くないのか?」
「ちっとも怖くなんかないね」
「そうかい、でも言われてみれば僕も怖くはなくなってきたな……」
そのとき、またやつがやってきた。しかし抵抗する気力などもはや残っていない。腰はぐにゃりと折れ曲がり、今にも沸き立つ水面に顔がついてしまいそうだ。
「あぁ……こんなときだしもう口論はよそう」
「そうだな、俺も悪かったよ……」
「うん……さよなら」
「じゃあな……」
最後の瞬間、僕に重なるようにして倒れてきたのは隊長だった。
「よう、また会ったな……。これが噂に聞く喪失ってやつか……なかなか悪くないじゃないか」
「ええ、とっても気持ちがいいですね……」
「さっきは……声を張り上げて…………すまなかったな……」
「僕こそ……反抗して……すみませんでした、隊長……」
…………。
「ママー! 今日はミートソースじゃなくてきのこクリームにしてね!」
「はいはい、わかりましたよ」