第九十三話
少し時を遡ろう。
真中メイにとって、目の前で眠る人は大事な先輩だ。
初恋の人の顔はかつて私の前で笑ってくれていた頃と何も変わりが無い。
伏せられた瞼は開く気配がないままだ。
私よりも頻繁に訪れている先輩の……クラスメイトだった彼女さんは、お花を買ってくるといって先輩のご家族と一緒に出て行った。
代わりに入ってきた人がいる。
「毎月、飽きずに来ているところ悪いな。今日はよくきてくれた」
眼鏡をかけた鬼……もとい鬼畜……もとい、霊子手当ての第一人者である霜月トオヤ先生だ。先輩の担当医である。
「つうかそこの。病院内でスマホいじってんじゃねえ」
「……すみません」
隅でスマホを手にしていたラビが頭を下げる。でもラビが焦るのも無理はない。シオリちゃんが交戦に入った。その相手は緋迎シュウ。これまでの手口、彼が私たちに晒したカードは一つの事実を告げている。
彼は人を操る。正確には霊子を操るのだが、結果は同じだ。
そんな敵を相手に、ひょっとしたら士道誠心だけで挑まなければならない。何をしようとしているのかはわからないが、ろくでもないことには違いないのだから。
……まさか今日を狙われるなんて思わなくて、私もラビも動揺している。でも、それでも今日はここにこなければならなかった。
「先輩はどうですか? 容態に変化があったって、一体なにが――」
「ご家族が来る前にお前らに見せておきたいものがある。いや、もっと正確に言うなら」
懐から出した御珠を霜月先生が掲げた。瞬間、現世から隔離世に移動する。
「掴んでもらいたいものがある、だな」
霜月先生の言葉に返事ができなかった。
霊子を失い、誰もいなくなるはずのベッドに……いるんだ。先輩が。
「うそ……」
「胸に……柄が」
ラビが口にした通り、先輩の心臓のあたりから柄が出ている。
「霊子を失った奴に再び霊子体が出るなんてのはな……初めてでね」
でもよくみれば先輩の身体の端々が粒子にちぎれていく。
「信用できるやつに柄を触れさせたが、抜けなかった。たぶん、そいつを抜けるのは……選ばれた奴だけだ」
アーサー王の剣のようにな、と。
言われて躊躇う。そんな私の弱さを庇うようにラビが前に出て柄を握った。けれど……抜けない。頭を振るラビの目が言っている。きっと、あなたなら、と。
「先輩」
呼びかける。眠っている先輩に変化はない。
けれど掴んだ途端に身体中に懐かしさが溢れてくる。
『――……る、ために』
手から伝わってくる。
『れか――もる、ために』
先輩の思いが。
『誰かを守るために』
さあ、と呼びかけられて思い切って引き抜いた。
その途端に先輩の身体が粒子になって刀に吸い上げられていく。
現われたのはヒビだらけの刀。折れそうで、壊れそうで……それでも顕現した刀。
『助けに、いくんだ……きみが、学校を守るんだ。メイならできる、そうだろう?』
「先輩――」
確かに声が聞こえる。先輩の声が、刀から伝わってくる。
「これ――」
「真中、いいか? そっと、そっとベッドに置け」
「は、はい」
霜月先生の緊迫した声に従う。先生が御珠を用いて隔離世から現世へと戻る。
置いた刀の柄に先輩の手を重ねると、すっと吸いこまれていくんだ。刀の霊子が、先輩の肉体に。
僅かに先輩の瞼が動いた。
「先輩!」
「待て」
縋り付こうとしたけど、先生に遮られた。先輩の瞼を開けて瞳孔を確認して、その呼吸を確かめる。安定して弱かった先輩の息に波が出来ている。僅かだけど、確かに……変化が起きている。脈拍を確かめながら先生がきつい声で問い掛けてきた。
「何かが起きているな?」
「……はい」「仲間が襲われています。現役の侍に」
ラビの言葉に先生が短く息を吐く。
「大事な地元が襲われようとしてるってだけで、戻ってきたのか。いや、顕現した、と言うべきか。どちらにせよ、これで普通の治療に戻せそうだ」
「あ、あの、あの?」
「霊子が圧倒的に足りてねえが、治せる。戻ってくるぜ」
笑顔での断言にほっとした。
「用事は済んだ。後の治療は任せろ。通報もしといてやるが……とにかくお前達には今、すべきことがあるんだろう?」
「メイ」
ラビに呼ばれてはっとした。
先輩を見る。事情なんてずっと寝たきりで知らないはずの先輩が私に伝えてきた。刀になって、私の背中を押すように。
助けに行かなきゃ。私が守らなきゃ。
「先生、失礼します!」
「おう」
ラビと一緒に飛び出た。入れ替わりに先輩の彼女が中へと入っていく。先輩の容態の変化に気づいて涙して抱きつく。
私の役目は……もうそこにはない。ふり返らずに、ただ前へと進むのだ。
◆
ラビ……ラビ・バイルシュタイン。
一つ下の後輩で、ロシア人留学生だ。ラビも、双子の妹であるユリアも相当の美人さん。
「もっとしっかり掴まっていないと落ちますよ」
「わ、わかってる」
大型バイクを操るラビの背中は華奢なくせに大きく見える。
一つ年下とは思えないほどに頼もしい、男の背中だ。
私にとって今となってはただ一つの弱点。
二人でいると先輩と重なって見える時と、ああ……違うんだと思うときがあって、私の心はラビといるだけでたやすく揺さぶられてしまう。
だいたいなんだ、ロシアで免許とってきたとかいってこういう乗り物に乗せてくるとか。何アピールなんだ。私はまんまとやられてますけど!
そんなことを考えていた時だった。首都高速を走るラビのバイクが速度を緩めたのは。
「ラビ?」
「まいったな」
フルフェイスのバイザーを開けて、ラビが見上げる。
視線の先にある電光掲示板に映し出される文字を読んで言葉を失った。
『学院都市で大規模災害発生』『首都高、東名、中央自動車道、一部区間通行止め』
その文字の意味するものとは、なんなのか。
「学院に戻るまで、このままだと時間が足りません。まさか……メイと僕が病院に呼び出しを受けた日を狙ってくるとはね」
完全に動かない車の列。扉を開けて外に出る運転手もいるほどだ。
ラビがスマホを出してスピーカーで話す。霜月先生と話している。
どうやら東京の侍と連絡が取れないらしい。知り合いの警察官に尋ねると、学院都市で大規模な邪による災害が真っ昼間にもかかわらず発生したため出動した、と聞かされているだけらしい。
すぐにラビがユリアに連絡を取るが、そのような事実は確認されていない。何よりシオリが襲われているのだ。
となれば邪の大規模災害なんて緋迎シュウのついた真っ赤な大嘘。みんながそれを信じて動いている。社会は何も気づかず、彼の意図した結果を素直に信じてしまうに違いない。
ぞっとする。大規模な災害が起きたのと同じくらい、被害を出すだけの何かをしようとしているのかもしれない。それを実行した犯人を、ともすれば災害を治めた人間として評価するかもしれない。それくらいの……犯行だ。
警察に言ったって、緋迎シュウの犯行だと証明するだけの材料がない。学生の発言と、警察の一員として、侍と刀鍛冶として活動している人間の発言と。どちらが信用されるのか、なんて考えるまでもない。
止めるしかないんだ。現行犯として捕まえるしかないんだ。
敵の方便はわかった。だからこそ、焦れる。
「電光掲示板の情報から察するに、街そのものか……それとも士道誠心だけを狙っているのか。シオリが交戦中であることを踏まえると……どちらにせよ、すべて敵の手かと」
「早く戻りたいのに」
歯がみする。
「映画だとよくありますよね、検問とか敷かれてそうですけど……強行突破します?」
「捕まるでしょ」
「ですよね」
知ってました、と笑うラビの余裕はどこからくるんだろう。
「ユリアには非常警備体制を取るように告げました。獅子王先生を筆頭にシオリの救助隊も出しました。遠からず大規模な交戦に入る中、僕たちが取るべき手は一つです」
「……なにするの?」
どきどきしながら彼を見たら、抜かずの白ウサギというあだ名を持つ彼は微笑みながら言い放った。
「この先の降り口で降りて、下道を爆走します。相手は国家権力だ、完全に安全だとわかる場所でないと迂闊に隔離世にも行けませんからね」
わお。現実的!
「信号の少ない道は頭に入れておきました。飛ばしますよ、しっかりしがみついててくださいね」
バイザーを下ろしたラビがアクセルを握る。
吹かして鳴るエンジン音は、彼の叫び声のようだった。
「メイ」
「な、なに?」
「先輩に嫉妬している僕に、あなたが愛を囁いてくれると励みになるんですが」
「……ば、ばか。そういうのは全て決着ついてからにして」
「了解」
走りだしたその加速度に、私は慌てて彼にしがみついた。
つづく。




