第九十二話
ボクは人が好きだ。
愛している。
毎日だってSNSに呟き、人との接点を求めているのも孤独を愛しながら、ボクにとって最も素晴らしい距離感で人を愛するためだ。
何せボクは人とうまく付き合えない。世界は冷たく出来ている。だって人は正当性さえ手にすれば、罵詈雑言と悪意を人に向けることを楽しめてしまう。
だから距離を取らなきゃいけない。人を愛するために。
それはともすれば気持ちの悪い思想に重なる。世界平和、人類繁栄、思想の垂れ流しは電波と化して、カルトや行きすぎた宗教のように人の心を深淵へと誘う。
だから違う。ただ……生きやすい人生を選びたくて、距離を取るのだ。それがボクの人の愛し方なんだと……思うんだけど。
「シオリ、また難しい顔して。普段掛けてるメガネはどこ? もう、パソコンを間近に見るんじゃないの」
「あ――」
ノートパソコンを取り上げる友人は、そんな理屈なんて知ったことではないのだろう。
「コナ、パソコンを取り上げないでくれ。それはボクにとって」
「はいはい。魂のなんたらかんたらでしょ」
そう言いながらも彼女はボクのパソコンを生徒会室の机の上に置く。
「明かりもつけずに熱中して……なにをしているんだか」
呆れたように息を吐く彼女の髪の毛は、彼女を本当につぶさに観察している者にしか気づかない程度に、ほんの僅かにだけ短く切りそろえられていた。
多くの人にとってそれは取るに足らない変化だ。けれど……ボクにとっては違う。
「髪もぼさぼさで。目やにまでついて……だめじゃない」
ハンカチで目元を拭い、指先で髪を整えてくれる彼女との距離は近い。
とても……近い、けれど。
「そんなだから、元は良いのに一部の男子にしか受けないのよ」
遠い。
ボクは間近に迫る並木コナの顔を見ているだけで、胸がどきどきして落ち着かなくなるのに。
コナは違う。コナにとって……ボクはただの友達に過ぎない。
思春期の気の迷いだ。こんな熱情は……消してしまえばいい。
彼女は失恋したばかりなのだ。なのに、こんな。
「それにボクじゃない。私、でしょ?」
「……そうだったね」
俯く。
コナの気の済むまでされるがままにされて……彼女が離れて、聞こえないように長めの息を吐く。ボクの気持ち全部、空気に溶けてしまえばいいのに。
……寒いな。身体の内側は暑くてたまらなくて、だから……世界が寒くて仕方ない。
◆
「何を調べていたの?」
背中にコナのぬくもりを感じながら、コナに座るように命じられた椅子に腰掛けてパソコンを弄る。画面に映し出されるのは、グラフ。
「コンビ解消になった侍候補生と刀鍛冶の数」
「……最近になって急激に増えてるわね」
侍候補生と刀鍛冶。どちらも人、それも思春期の子供同士だ。どうしたってケンカする時はするし、だから解散なんていうのも月に二、三件はある。零件という月だってあるけど。
でも……交流戦終わりに解散した数は三十を超えている。これは明らかに異常だ。
「交流戦終了が切っ掛け。ラビに言われて調べてみたら――これ」
キーを操作してツールで吸い出した動画を再生する。
画面に映し出された映像を見て、コナが息を呑んだ。
「なによ、ぜんぶ……砂嵐じゃない」
「そう。学院の監視カメラの映像が……砂嵐。しかも一つじゃない。十じゃきかない数」
「え――」
「調べに行ったら、みんなケーブルが断線したり、回路が劣化していたりして……まるで」
「まるで意図的に、自然に故障したかのように見せかけられていた?」
「うん。だから……そこで誰が誰と何をしていたのか、わからない」
動画を閉じて、あらかじめまとめておいたファイルを開く。
表計算ソフトに入力されているデータ、それは。
「ちょ、ちょっと。銀行の残高一覧なんて、あなたどうやって」
「いいから。よく見て」
「え……」
コナの目がマウスカーソルを追い掛けた。
ある刀鍛冶の生徒の名前の横、四月から五月になって百万増えている。
「――……うそ」
「まるで何かを仕掛けている奴の誘いのブラフ……明らかに士道誠心で何かが起きている。お金の露骨な動きが確認できたのはこいつくらいだけど、他にも手は打たれてるっぽい」
「白ウサギには?」
「もちろんラビには知らせた。緋迎とユリア、あとは三年の元生徒会メンバーにも知らせてある」
「……先生方には?」
「獅子王先生たち一部の先生には報告済み」
「そう……」
親指の爪を噛む。苛立つ時のコナの悪い癖だ。
「四月にハルが連れ去られてたわね。報告書で読んだわ、まさか――」
「ラビもその線だろうって。あの子、星蘭の生徒から怪しげな鈴をもらってた。ラビと真中先輩ももらった。ラビのを緋迎が調べたけど……意図した相手の霊子を引き寄せる邪を物質に固着した、とかいってた」
「そ、そんな真似が――」
「できる相手が敵っぽい」
ノートパソコンを閉じて、カバンにしまう。
「緋迎シュウ。日本の侍と刀鍛冶の未来を背負っているといっても過言じゃない男の考えなんて、ボクにはわからないけど」
カバンを背負って、短く息を吐く。
「この学院は好きだから、守らないとね」
笑ってから……考え事をしているコナを見て、ふっと浮かび上がってきた熱情に背中を押されて抱きつく。
「し……シオリ? どうかしたの?」
「……コナ分を補給させて」
「変なの……」
「変なの。だから、いいだろ」
ボクのそれよりやわらかいそこに顔を埋めて深呼吸をしてから「帰るね」と言って生徒会室を出た。何かを言いたそうなコナに甘えることは容易い。けれど、そうしたらその温もりに甘えてボクは溶けてしまう。
今のボクは……それに甘えている場合じゃない。
◆
警備員さんに外出許可証を見せて、外に出た。
偽造は難しい。外出許可証はカードになっていて、電子データと生徒のデータベースとが紐付いている。どちらもだませる技術がなければならない。
けど……普通の人間にとって難しいからこそ、他の誰にもできなくてもボクには容易い。
刀を携えて出るのは難しいけれど、一年生は知らない方法を用いればこれもクリア可能。
結論、ボクは万全の状態で外出し、侍候補生として鍛えた身体能力と、自前のハッカーとしての能力を生かして銀行のデータを狙う。
といっても狙うのは銀行の取引などの電子データなどではない。正しくは銀行の監視カメラのデータだ。現世で潜り込むためには特殊な訓練と技術が山ほど必要だけど、侍候補生には裏口がある。そう……隔離世だ。駅前のショッピングセンターのトイレに入り、持ち出した御珠を使って、あちら側へ移動する。
警備員室の監視室に潜り込んで、そのデータを確認。目的の情報はすぐに掴むことができた。百万円を与えられた刀鍛冶の生徒が残高を見て顔色を変えている。
間違いなく、お金を手にしている。となると次は誰と取引をしたのか、だ。緋迎シュウが直接動いたのか、それとも……彼の怪しげな目的に賛同する人間がいるのか。それをボクは探らなければならない。
そうなってくると、目が必要だ。街中を見つめ、ささやかな情報さえ取り漏らさずにいる目が。幸いにして、現代社会には監視カメラが山ほどある。
あちこちを渡り歩いてデータを取得し、ショッピングセンターに戻った。
ノートパソコンで動画を対象に、顔認証ソフトを使って解析する。ピックアップする顔は緋迎シュウ、そして……
『東京の侍と刀鍛冶を対象にしてほしい』
ラビは怖いことを平然と言うから痺れるな。おかげで解析に時間がかかりそうだ。
待っている間にニュースサイトを探した。何か怪しい情報はないかと探るのだ。
といっても……侍や刀鍛冶のニュースなんて滅多にない。現世で完結している人間が世の中の大半を占めているから、当然と言えば当然だ。素質がない人にとって、ボクらは教会にいる神父やお寺のお坊さんなんかと大して変わらない。警察の中にボクらみたいな人間がいることを疑問視する声だってある。
そこいくと……
『緋迎シュウ、侍の地位向上のために政界進出か』
なんてニュースが出てくるのもしょうがないことかもしれない。
公務員の給料が高すぎる、という話題が出るときには必ずセットで「侍と刀鍛冶など過去の遺物は必要ない」という意見が出る。レベルとしては児童を守るために表現を規制すべき、という声と同じくらいだ。
プロになるみんなが立ち向かう偏見の壁が現実に存在する。でもそんなのは昔から変わらない事実でしかない。
……でも、何かが引っかかる。ここに答えが隠れているのではないか、という……魚の小骨が喉に引っかかるような、いやな違和感が。
そう思った時、電子音が聞こえた。画面を見て、
「は、はは……」
鳥肌が立った。小さなウィンドウが端から幾つも浮かび上がっていく。一人、また一人。プロとして働く侍や刀鍛冶の顔が……この付近で目撃されている。その時間、交流戦直前から――……今日。
ほとんどすべての侍と刀鍛冶が、この街にいる。刀を持って、この街に……いるんだ。
不意に身体中に悪寒が走って、咄嗟に刀で床をくりぬいた。地下通路へと落下するボクの居場所を閃光が貫いた。隔離世だからって、突然あの手の攻撃をできる存在は――……この世に二つしかない。邪、或いは、侍。
「くっ」
身体を放っておけなくて御珠を用いてすぐに現世に戻った。扉は何事もなく閉まっている。床に穴はない。扉を開けて外を見る。誰もいないことを確認して、そっとショッピングセンターに出ようとしたけど、
「くそ」
棚に身を隠した。刀を帯びた警官がいたんだ。あれは……侍だ。
入り口に一人、トイレに向かってくるのが一人。逃げるなら従業員出口、そう思いついて頭を振った。一組しか来ていないとは限らない。
となると、選択肢は二つ。逃げるか、やり過ごすか。戦って勝つ、なんて選択肢はない。相手は国家権力で、しかもボクより経験豊富なプロだ。一対多で勝つ秘策がないわけではないけど、それは最後の手段に取っておきたい。
「とすると」
プランBだ。
◆
二階通風口。二階の女子トイレの上にある大きな口を開けて、そこから入り込む。
スマホをマナーにして、ラビにメールを入れた。
ノートPCを広げて監視カメラをハックして内部を除く。警官の姿をした侍があちこちを確かめて回っている。女子トイレにだって平気で入ってきて中を確認しているが、残念。そこにはもうボクはいない。
覗き見するカメラを切り替えて駐車場を見たら、パトカーが二台停まっていた。やはり一組だけじゃなかった。そう思っていた時だった。黒塗りの大きなリムジンが駐車場に来たのは。
中から出てきた男を見て、冷や汗が出た。緋迎シュウ。その手に鈴があるのを見て、ボクの脳裏に過ぎるのは、
『――星蘭の生徒から怪しげな鈴をもらってた。緋迎が調べたけど……意図した相手の霊子を引き寄せる邪を物質に固着した、とかいってた』
自分で言った言葉だった。
監視カメラを見て微笑みを浮かべた緋迎シュウが鈴を鳴らした途端、身体中がいてもたってもいられずに……通風口から、降りる。
手は動く、けれど足はだめだ、勝手に進んでいく。抗っても言うことを聞いてくれない。他人の足のようで、ひたすらに気持ちが悪い。けれど、ああ。くそ。だめなのか。あんなズルで、あっさり……。
叩いて殴って、それでもだめだから……ボクは電話を掛けた。
『……もしもし?』
「ねえ、コナ」
『寮にいないと思ったら……シオリ、どこにいるの? そこ、外なんでしょ?』
心配してくれる彼女に尋ねる。
「ボクに何かがあったら、君は泣いてくれるかな」
『……なにを、いっているの』
「冷たいなあ……世界は冷たいよ。悪意に満ちて、容易く人を巻き込もうとするんだ」
『シオリ? シオリ!?』
「ちょっと戦ってくる。たぶんこれは開戦の狼煙になる。だからコナ、学院で今すぐ防備を固めて。どうか、生き延びて」
『まっ――』
電話を切った。すぐにメールが届く。
『こちらも外出先だ。学院に戻るまでに時間がかかる。今日、仕掛けてくるんだな?』
返事はイエス。既に狼煙はあげられた。
そう送って深呼吸をする。御珠を使って隔離世へ。その刀を抜いて、ボクを引き寄せようとする糸を断ち切る。
その頃にはショッピングセンターの外に出ていた。
警官は四人。私服姿の侍は……数え切れないほど。みな、目が赤く輝いている。何かに操られているかのように……刀を抜いて、ボクをただ睨んでいた。
その中心にいる男が笑っていた。緋迎シュウ。
「大人しく犠牲になってくれるなら……君の名前がわかる程度に亡骸を残しておこう」
微笑みは弟のカナタに似て非なる歪なもの。
「予定通りに事が進んでいてね。あんまり思い通りにいくものだから……君のような因子の自由を許してしまった。けれど、それももうお終いだ」
刀を抜く。ぼと、ぼと、と。根元からしみ出る黒い泥が地面に穴を穿つ。
「侍として死ぬか。塵も残さないか……選びたまえ」
ボクを囲む侍たちの悪意を浴びて、ボクは刀を抜いた。
笑い声が出た。ああ。ああ。楽しい。世界はこんなにも冷たくて。
「ボクは人が好きだ! 人を愛している!」
ボクの中にいる彼女はあたたかいのだから。
「――……」
彼がボクの言葉の気持ち悪さに目元を顰めた。それでいい。
「悪いけど、ボクは愛するために殺すことを厭わないよ」
刀の根元を掴んで、仮の姿を引きはがす。
「ここは世界の中心だ。愛を叫ぶボクの刀は氷の龍さ」
息を吸いこむ。
「真打ち、闇龗神……砕け散りたくないのなら、今すぐ引き返せ。さもなくばこのけだもの、のど笛を噛みちぎるぞ!」
襲い来る侍達の刀を前にして思った。
どうせなら……出会った頃からずっと君が好きなんだ、って。
それくらいは、コナに言っておけば良かったなって。
つづく。




