第九十話
どうも、佳村ノンです。一年生です。
身長は百五十に届かず、童顔でチビなのがコンプレックスですが、毎日元気に私立士道誠心学院高等部に通っている刀鍛冶の生徒です。
沢城ギンさんという、一年生代表にも選ばれた侍候補生の人と一緒に生活をしています。彼の刀はその名もたかき村正です。まあ一時期のみんなは村正使ってたから自然と悪名だって高くなるだろ的な指摘をなさる方もいますが、あたしにとってはかけがえのない一本です。
よくもわるくもその絆は刀に始まっています。
刀鍛冶は、侍候補生に与えられた特別学生寮の部屋に同居できる権利が与えられます。けど……沢城さんは滅多に部屋に帰ってきません。あのキスの一件からずっとです。
結城シロさんという幼なじみさんの部屋に通ったり、あとは他の一年生代表に選ばれた三人の部屋を転々としているようです。
大事に思ってくださるという言葉をいただいた気がするのですが……実情は放置プレイです。ううん。それというのもあたしがちんちくりんなせいだからでしょうか?
かと思えば毎日ぎゅってされたり手を繋がれたりもします。そこまでしてくれるんなら、もっと……と思ってしまうんです。正直に言えば毎日悶々としています。
学校で会って「今日は刀のメンテをします」って言ったら帰ってきてくれると思ったんです。でも、
「じゃあ貸すわ」
といって村正を手渡されます。違う、そうじゃないんです。
お部屋でメンテを頑張って終わらせたら、扉が開いて入ってきてくれたから「これはもしかして?」と思ったのですが、
「終わったか?」
「あ、はい!」
「じゃ」
村正を掴んで出て行っちゃいました。
……あれ? なんでしょう。お部屋に一緒にいたくないレベルであたしくさかったりするんでしょうか? 毎日頑張って身体は洗っているのですが。
ううん。腕を組みながら学食に行って、うどんを注文してずるずる啜っては、ううん、と唸っていた時でした。
「佳村、どうしたの」
向かい側に並木コナ先輩が座っていらっしゃいました。
緋迎先輩と共に、よくよく一年生ただ一人の刀鍛冶であるあたしの面倒を見てくださる優しい方です。青澄さんの刀鍛冶に一時的になって交流戦を勝利に導いた手腕は五月の学校新聞の一面を独占したほどすごいインパクトでした。
「えっと……あたしって、臭いんですかねえ」
「……何を言っているの?」
手を出してごらんなさい、と言われて手を出しました。すんすん、と鼻を鳴らした並木先輩は言うんです。
「石鹸とうどんの匂いしかしないわよ。考えすぎじゃないの?」
「ううん……」
じゃあ沢城さんがお部屋に来てくれないのは匂いのせいじゃないのかな。
よく匂いがどうのって言うから、気に入らなかったのかなって考え込んじゃいました。
うどんを食べ終えて購買で芳香剤を何気なく見ていたら、背中が人に当たっちゃいました。
「す、すみません」
「いや、こちらこそ……あれ?」
眼鏡を掛けた優男な見た目ですぐに気づきました。結城シロさんです。青澄さんと同じクラスで、その刀は一年生二強の一人、仲間トモさんと同じ雷切です。
でもそれ以上に大事な情報があります。結城さんは沢城さんの幼なじみなんです。
「佳村さん、どうかしたの」
「あ、あの! 結城さんに質問があるんです!」
「な、なんだい? そ、そんなに詰め寄らなくても僕に答えられることならなんでも答えるが」
「……沢城さんがお部屋に帰ってきてくれないんです」
「あ、ああ……困ったな、えっと」
結城さんは言葉に詰まっている様子です。
頬に指を当ててかりかり引っ掻いて、いかにも持て余している感じです。
「僕の口からは言えないんだ、ただ」
あちこちを視線で見渡してから、あたしに顔を寄せて囁くんです。
「あいつあれで臆病なんだよ」
そう言うとあたしの肩を優しく叩いて結城さんは行ってしまいました。
沢城さんが……臆病?
そんなこと、初めて聞いた気がします。
「ううん。ううん」
とぼとぼと歩いて部屋に帰り、とぼとぼと歩いてお風呂に入った時でした。
「ノンちゃんだ」
湯船の中で手を振っているのは青澄さんでした。
そのそばには仲間さんや、三年生の刀候補生で士道誠心最強の真中メイ先輩、他にも二年生の刀候補生のユリア先輩もいます。
そうそうたる面子です。どきどきしながら身体を一回流して、近づきました。
「なんか眉間にすっごい皺できてる」
「あ、ほんとだ」「一年生の刀鍛冶ちゃんだよね」「どうしたの?」
みんなで心配そうにあたしを見つめてくださるので、あわてて両手を振ってその場はなんとかごまかしたんです。
悩みながらお風呂を済ませて、髪をのんびり乾かしていた時でした。
「悩み事?」
隣を見ると、青澄さんがドライヤーで尻尾を乾かしながら笑っているのです。
最初にあった頃よりもぐっと、ずっと、親しみやすくて優しい笑顔です。
「……そのう」
他に誰もいないから、恐る恐る打ち明けてみました。
「沢城さんがお部屋にきてくれなくて……結城さんは、臆病だから待ってやってって」
「あはは」
笑っちゃう青澄さんは、一時期沢城さんと深い仲になりかけて……でもそれは、トーナメント戦でもう終わった話になったのです。だから今、あたしは沢城さんと近づけているはずなのですが。
「ギンが臆病っていうのは……わかる気がするなあ」
「そうなのです?」
「ん。傷つくのが怖くて言葉が足りなくなる男の子の典型」
しみじみ頷く青澄さんは、あたしからみたら……そりゃあ最初に会った頃はアレだったけど、でも今は大人っぽいです。
「そこは……トーヤに似てるかも」
「トーヤって、えっと?」
「弟だよ。甘えたいんだけど、素直にできないから抱きついてくるの」
今思えばギンのあれもそうだったのかな、と遠い目をする青澄さん。
「私もシロくんに基本的には賛成だけど……彼女としては物足りないよね」
「あ……は、はい」
あわてて頷く。
どうなんだろう。あたしは……何でこんなに悩んでいるんだろう。
「……さみしくて」
ぽろっと口から出た言葉に自分ではっとした。
「わかる。私も……カナタがソファで寝るたび思うの」
歯を見せて笑うと、青澄さんはあたしの手を取って言うんです。
「素直にぶつけてみれば? まあ……押しすぎたら大変だと思うけど」
「なにが、大変なのです?」
「戦ってるとこ見たらわかるでしょ? ギンにあるのは……押しの一手だけだからだよ」
そう言われて、ああ、と納得してしまったのでした。
◆
そして、何をどう納得したのかを今、あたしは体感しています。
「さみしいからそばにいろってか」
「は、はい」
お部屋に着替えを取りに来た沢城さんに素直な気持ちを口にしたら、壁に押しつけられています。
「……だ、だめ、ですか?」
「てめえはちびで」
「うっ」
「まだがきだ」
「ううっ」
ダブルパンチに早くも根を上げそうです。
「……でも、俺は男で。お前は女だ。可愛くてしょうがねえんだ」
「え――?」
「しゃあねえな」
あたしの手を取ると、沢城さんの首筋にあてがわれました。
冷たくてしなやかな、固い首筋。
「刀鍛冶ってのは……霊子を操れるんだろ? なら、前にやってみせたように……また俺の霊子に触れてみろ」
「あ……」
「俺の根っこに触れてみりゃあ、わかんだろ」
拗ねたような口ぶりに怒られる前に、急いで力を使います。
刀鍛冶。それは現代の侍が扱う、心の結晶……霊子の塊を研ぎ澄ます力を持った人のこと。
あたしもそうです。
霊子はその人を形作るもの。それにふれれば……相手の事が伝わってくるんです。
恐る恐る力を伸ばして……あたしの霊子を注いで、伸ばしていきます。
こうするのは……初めてじゃないんです。
あれでもう十分だと思っていた。十分わかり合えていると思っていた、から。
『抱きたい』『俺のものだって印をつけたい』『傷をつけたい』『一生残る痕を』『欲しい』『お前が――欲しい。ノン』
「っ」
あわてて手を引こうとしたら、逆に強く握りしめられちゃいました。
伝わってきたのは鮮明な欲望で、それは……それは、あたしを求めるもので。
「……俺は饒舌な方じゃねえ。くっつく以外に方法も知らねえ。そうと気づくと、今の俺じゃあ……そばにはいられねえよ」
傷つけたくねえんだ、と。
熱い声で言われて。けれど近づいてくる身体はもっと露骨にあたしを求めていたんです。
あたしの熱を……思いを、求めているのです。
「さみしいけど、夜は一緒に過ごさない以外に……他に方法がわからねえんだ」
首筋にあてられた額は熱くて。
「……好きだけど。ハルん時みてえな失敗は、したくねえんだ」
思っているよりも、弱くて臆病な沢城さんの本心に触れたと思ったんです。
今の言葉を前にも聞いたから。
「前にも言いました」
ただ同じ事を言うだけでは届かないだろうけど。
「……なにしてもいいんですよ?」
見かけよりも頑丈ですし、と囁いて、露わになった首筋に唇を当てる。
震えた彼の頭を抱き締めて、はっきりと言葉にしよう。何度も。
「好きだから」
何度でも。
「いいですよ。沢城さんの……ううん」
これじゃ届かない。もっと。もっと深く。
「ノンはギンの特別なんだから。手放さないで、ずっと掴んでいてください」
あたしで満たすように、霊子を深くへと伸ばしていく。
繋がっていけばいくほど流れ込んでくる。
働きに出かける親御さん、泣いているちっちゃな妹さんをあやして、そんな家をばかにされてケンカして……決して裕福じゃないけど、幸せしかない場所。それは彼の背伸びによって守られてきた……かけがえのない場所。
ちゃんと理解するには時間が足りない。もっとちゃんとわかりたい。なら今度家に連れていってもらえないか聞けばいい。嫌がられるなら……許してもらえるまでそばにいよう。
愛されて、いじられて……そんな結城さんを見つめて寂しがる気持ちも。
振り回されていっぱいいっぱいなのに輝いていた青澄さんに惹かれて寄りかかる弱さも。
寂しがり屋の男の子の背伸びの内側。
露わになっていく心から流れていく断片よりも、現実に抗い立ち向かって戦い続けた強さよりも……純粋に存在する、あたしへの好意に辿り着く。
理解して欲しい……よりも、強く。
特別であろうとするあたしの願いに呼応してくれた、ギンの心に繋がる。
めいっぱい……注ぎ込むの。
「あなたのことが好きなんですよ、忘れちゃいましたか?」
「……忘れるわけねえだろ」
「そうですよね……そうですよね」
でも、それでも注ぎ込むの。
「愛してます。だから……あたしにもっとください」
特別の証を、と。
囁く唇をやっと彼が塞ぐ。
そばにいたら傷つけてしまうから離れる、離れれば離れるほど自分が傷ついてしまう。
ジレンマにとらわれている彼を、籠から引っ張り出す。
傷つけてもいい。その傷さえ特別の証なんだと思うから。
そんな考え方の先に待つのは破滅かもしれない。
なら……二人でやっていけるように道を探していけばいい。
でもそれは一人じゃできない。二人じゃなきゃできない。
離したくないし、離して欲しくない。
「――……いいんだな?」
はじめてだからうまくはできねえぞ、と気遣う彼には。
「特別にしてほしい、ので」
どうか互いの思い出に残る傷にして、と願うだけ。
その願いを触れているところから心で繋がって届ける。
これだけ露わに繋がっているあたしたちは……この瞬間、確かに特別なのだと思うのです。
つづく。




