第八百四十九話
聖歌の呼びかけを感じた。指輪が伝えてくれた。
御霊同士が夫婦だろうが、関係ない? ないっちゃない。
天王寺スバルにとっちゃ、夏海聖歌の呼びかけを無視するなんてあり得ない。
御霊と波長が合うタイプの人間同士、聖歌と完全にうまくやるには山がありそうだ。
なにせ互いの御霊もそうとういろいろあってからの結婚だった。
ハデスのいわれを知ってるか?
ゼウスの娘を見て恋に落ちて、なんとしてでも冥界に留まるように策を巡らせた。
冥界の食物を口にしたら戻れない、だったか?
すったもんだの挙げ句にふたりは長く共にいるようになっただの、彼女は冥界に毒されて怖い女になっただの、ある男をめぐって相当暴れ回っただの。
いろんなエピソードがあるが、俺と聖歌のことにハデスがあまり興味がないように、俺もハデスの恋路にあまり興味がない。
この場において、大事なのはなにか。
「まずは魂を還してもらう」
指輪を嵌めた右手で掴んだ大鎌を掲げた。
刈り取るべき命はもはやここにはない。尊厳を狂わされ囚われた哀れな庇護者しかいない。
指輪を通じて大鎌を魔力に還元する。やり方は聖歌と交わった昨日、ハデスに鍛えてもらってコツを掴んだ。
詩保たちに先んじて新技のお披露目といこうじゃないか。
「圧制者の鎖を断ち切れ!」
見えない鎖はこちらで可視化するべく、大鎌の魔力をそのまま赤い光りに変えて放つ。
あちこちにいる死人の爆弾に当たるたびに、死人を形成する魂の数だけ鎖が露わになっていく。
「自由が欲しけりゃ千切れ! 冥界の主の代わりに許そう!」
思いひとつで砕け散るほど、ひとりひとりを縛る教授の魔力は微々たるもの。
それでも死人たちが諦めるほどに強固になってしまうし、そのために苦痛を与える呪いだ。
だが化けの皮を剥がせばどうだ?
少女たちが呻く。赤子ですら泣いてみせ、いやだと応える。
それを許すとハデスの御霊を借りて、なにより俺自身のメッセージとして放つ。
「どれほど汚そうとするやつがいようと、知ったことかと言ってやれ!」
欲望の名残すべて、どうでもいい。あろうがなかろうが、関係あるか。
救われたいという願いを拒む教授も、死人たち自身の不安とおびえさえも吹き飛ばして。
「あるべきところへ進むべきときがきた!」
侵食する教授の欲を理解して、鎖に変えて脆くする。
呪いを解き放つのはまず自分自身。けれどそれを引き千切ろうというときに、死人たちを責めるようなことなどしてはならない。
それを俺はしない。
「たった一言でいい! 言ってくれ! でも待ってろ! 俺が先に言うから!」
手を差し伸べるには、全方向に人がいすぎるけれど。
気持ちはひとつ。聖歌に向けながらも、聖歌を通して彼女たち全員に差し伸べる。
テンションが大事らしい。
霊力ってやつは、青春に向きすぎて恥ずかしいことこのうえないが、敢えてやる。
くさくてださくてあほらしくてばかばかしくても叫んでやるのさ。
「出会えただけで嬉しいんだ! どんなに誰かが汚そうとしてこようが知ったことか! 俺は共にいたい! できない子たちには、せめて安らぎある場所へ送り届けたい!」
聖歌と名前を呼んだ。
教授の抵抗を感じた。少女たちをより一層しばりつけようとする意志――……それよりはむしろ執着か、あるいは泣きすがる弱さか。
もういやだと少女たちが次々と声を上げ、鎖が弾けていく。
少女たちが解放されて、死人を留める霊子があるべき状態に戻るようにして塵に戻って消えていく。
爆弾は不発。
それでも奴の本命はまだ、聖歌の中に留まっている。
なにせ彼女は下腹部をおさえて青ざめている。えづいてもいる。
もうなにも出ないのだろう。
いいんだ。全部吐きだしてしまって。
どれほどえげつなかろうが、変わらず言うから。受け止めるから。
「聖歌。だいじょぶだ。だしちまえ」
「う……」
「無理すんな。なんでも受け止めるから」
バックステージに漂う匂いがえげつない。
体液の匂いだ。基本的には鉄臭い。
血を媒介に戦地を再現される可能性もあるが、召喚された際に詩保たちに伝えておいた。
現世に戻ってダッシュで向かっているはずだし、そもそも二年生の雷神こと仲間トモカ先輩たち頼りになる先輩たちがアリーナに待機している。
いくらでもやれる。過信ではなく、具体的な手段がいくつも脳内にあるから問題ない。
それにしちゃ理華の野郎が黙って聖歌のそばにいるのが腑に落ちないが、アイツの場合は考えがガチで進んでいるときほど黙り込むくせがあるから放っておこう。
きわきわラインで読み違えて手元が疎かになるところがあいつの弱点だが、そういうかわいげがないとただただこええだけだからな。個人的にはそういう弱さも歓迎だ。
なもんで、
「心配すんな!」
迫真で言うが、聖歌は俺に右手を向けてきた。
ぷるぷる震えている。なぜか。教授になにかされているのか。
「う、うんちでそう」
理華は黙り込んで恐らく思案の真っ最中。
聖歌はぷるぷる震えているし、立ち上がれないようだ。
あいつの影から黒いモヤがかすかに吐きだされてきたのだが、しかし。
すまない。恐らく教授なんだろうが、いまはそれどころじゃない。
「そ……それはトイレまで我慢しような? できるか?」
「吐くと出そうになる。なんで?」
なんでと言われても。
「いや……そ、そういうもんじゃないのか? 上が緩むと下も緩むみたいな。ちなみに泥酔して悪酔いして上も下も大惨事になる奴が多くなるそうで」
「そういうのいまもとめてないから」
……だよな!
「だしてるの」
「えっ」
「そっちじゃなくて。教授。お姉ちゃんたちと、一緒に、だしてるの」
「お、おう」
「そしたら、うんちもでそうなの」
「おう……おう?」
わ、わかるように言ってくれないか?
言ってるか。
「どうしたらいい?」
俺にもわからないけれど。
「と、トイレに行くか?」
「お腹おしたらでるから気をつけて」
「……わ、わかった」
「あと五秒もつかもたないか」
「ハーデース!」
指輪に向かって本気で怒鳴ったのは、これが人生初のことだった。
◆
明坂のみなさんや、羽村くんたち士道誠心ダンス部との連携を経て、ひといきついてから聞こえてきたバックステージの喧噪に、もちろん私は気づいていた。
いろんな人が私たちの舞台を守るために一生懸命がんばってくれている。
私ががんばるべきことは、今日のリハをばっちりこなすこと。そして明日に向けて弾みをつけるの。もう既に弾みがつきまくっている状態で今日に臨んでいるから、あとは飛ぶだけ。
しっかり確認しなきゃいけないことはまだまだ盛りだくさんなんだけど、すこしだけできた間に響いた「ハーデース!」というスバルくんの声が気にならないわけがなくて。
早く次にうつらなきゃいけないし。そもそも青澄春灯にいま求められているのはライブのリハに全力投球することだけ。
わかっている。
わかっているんだけど。
スバルくんがいる。獣耳に意識を傾けて耳を澄ませたら、聖歌ちゃんのうめき声が聞こえた。
なにかすっごくたいへんそうだ。
教授が来ているんだ。きっと。
私を狙っているのだろう。
じゃなきゃ、わざわざさいたまスーパーアリーナに仕掛けてこないよ。
いつもなら自意識過剰かなって自嘲しちゃうところだけど、いまは違う。だめ。
気もそぞろでいていい時間じゃない。
トモたちにも怒られる。
私が集中するために、そのためにがんばってくれているのに。
そわそわしていて明日に差し支えがあるようじゃよくない。
「ったく」
トシさんの苛立ち交じりの声に思わず背筋を正した。
やばい! お尻を蹴られてしまうのでは!
だけどでもでも絶対私が行ってケリをつけたい。
あの人との決着をつけないと、そもそもすっきりしない!
「よいよい。チェックが済んだ我が先に行ってくる。今日のリハが終わってからケリつくように取りはからってくるわ」
明坂の中から聞こえたのは、お姉ちゃんの声だ。
なんでかっていうのは――……まあ、明日に関わるので。つまりはそういうこと。
「妹をよろしくお願いいたします」
深々と頭を下げて現世の礼儀を通すお姉ちゃんに、私は急いで頬を叩く。
だめだめ。初志貫徹。
目の前にニンジンをぶら下げられたら食べちゃう生き方で許されない場だ。ここは。
「お願いします!」
声を上げる。
託せる人ばかり。
だけど私にとって、カナタのように或いは特別だった。
お姉ちゃんは地獄の閻魔のお姫さまなのだから、死に囚われた教授にはもってこいに違いない。
◆
明坂の出番も一区切り。もちろん自分の出番もそう。
ならば来るかと思ったし、予想通り明坂ミコは当然のようについてきた。
春灯は気もそぞろだ。
仕方ないさ。マルチユニバース、多元宇宙。別次元から来た自分が引き入れた犯罪者によって苦しめられてきた。
アダム・ホワイトにすら心を砕いた春灯の心根からすれば、教授についても大いに気に留めていることだろう。助けたいと素直に願えるほどたやすい因果ではないが。
「現世で裁きでも下すのかしら」
隣を歩く吸血鬼の嫌味であり探りの言葉に答えず、指輪を撫でる。
死者を前に十王は生前の罪をよくよく捉え、どのような裁きを下すか判定する。輪廻を司りもする十王の手続きを、姫の我が勝手に省略できようはずもない。
「既に承認を得ているとか?」
「まさか。奴は現世に留まっている。お前のようにな」
先読みをして言及してきた吸血鬼に返事をしながらも、言葉を選ぶ。
腹の探り合いだ。
要するに彼女は問うているのだ。
姫が十王の裁きを省略できないのなら、事前に裁きを下してしまえばよいと。
こと彼においては、生まれてから最初に受肉した体が尽きて、とうに数百年も過ぎている。
裁きを下すには十分すぎる時間が流れた。
そもそも常人に比べて、彼が犯した罪はあまりにも多すぎるのだから。
悩む必要など無い。彼は罪人だ。間違いなく。
彼の罪に応じてそれぞれ、該当する罰を与えるのみだ。本来ならば、それすら完全に現世から立ち去ってからにはなるが。
逆に言えば私の閻魔帳にすら、彼の生前の行いについての記述があるし――……それは明坂ミコについても同様である。
要するに、釘を刺しているのだ。こちらも。無茶をしてくれるなと。でなければ、こちらはいつでも準備していることを示すのに吝かではないのだと。
こちらの意図を理解した上でさらに、彼女は涼しい顔で流してみせる。
「ならどうするの? 人として無力化すると? 地獄の軍勢の力を借りて」
顔見知りだ。会えば話すし、面倒を見てもらうことすらもある。
現世に生まれ落ちることができていようといまいと、地獄でどれほど研鑽を積もうとも、彼女のキャリアには敵わない。
自分の現世の世話役に彼女が任じられてしまったせいで、クウキとの時間がだんだん持ちにくくなってきたが、それはそれ。その程度で離れるくらいなら、それまでだ。
たいそう不満だが、この話は別問題なので加味しない。
ただ、厄介だ。彼女は正論を述べるし、必ずといっていいほどの頻度で自分の弱い腹を刺してくる。
「ふん。我は現世にて士道誠心の一員として、悪党を懲らしめるだけだ。なにか問題でも?」
「いいえ、ちっとも」
地獄で年長の鬼すら敬意を払ってくれていたけれど、いま思えば彼らが優しいからでしかなかったのだと痛感する。
それくらい、明坂ミコは容赦がない。
端的に言うと、優しくない。たいそう不満だ。
褒められて伸びる子だぞ。これでも!
「だったら褒める力を育てるようにしないとね? そして褒める生き方を選ぶなら、省みることを忘れないようにしないと」
「――……わかってる」
ほんっと腹立つ奴だな!
アリーナの中から通路へ。そして外に向かおうとして、ふと足を止めた。
「お前が外に出たら明日のサプライズが台無しなんじゃないか?」
「それを言ったらあなたもでしょう? いつ気づくのかずっと待っていたんだけど」
「――……どうするんだ?」
「どうするんでしょうね?」
にこにこしながら我を見つめてくるな。
困る。なにこの空気。間が抜けているにも程があるんだけど。
ええい。ボケている場合ではない!
春灯は気づいていなかったが、さすがに明坂ミコは気づいているはずだ。
無論、我も気づいている。
教授が夏海聖歌を通じてなにをしたのか。
常人ならば教授の魔力を吐きださせられた時点で死にかねないくらい、教授の魔力は影響力が大きいが彼女は無事。下が緩んでいるようだが、感じる霊子から察するに無事トイレに辿り着いたようだが、むしろそれくらいで済んだのが救い――……かどうかは、さておこう。下が緩んだのは結構な悲劇だし。
とにかく、明坂ミコは夏海聖歌を明坂に――……吸血鬼の輪に引き入れた。
結果的にそれがよかったのだろうし、こうなる流れを明坂ミコは読んでいたのではないかとすら考える。
まあ、順当に考えたら夏海聖歌の霊子に隠された教授の魔力に気づき、両者の縁に思いを馳せれば予防策のひとつも取るのは自然だが。
「あなたはしなかったけどね」
「考えを読まないでもらえます!? 姫なんで!」
「いまどき現世でその手のマウント取ると、えげつないレベルで嫌われるよ? ああ、地獄暮らしが長いと知らないか」
おのれ、にこにこしやがって……!
「馬鹿にするな!」
「じゃあいますぐ、外に出ずに教授をしばくやり方を探りなさいな」
「お前はどうなんだよ!」
「それじゃいますぐ終わってつまらないし、あなたの成長に繋がらないでしょ? せいぜい考えるくらいで終わっちゃいそうだけど」
いちいち煽りやがって!
まだペロリやクロリアのほうが取っつきやすかったぞ。
男子といるほうが気楽なんだが。
「そういうのも結構きらわれやすいかな」
めんどくさいなあ。もう。
「わかった、さっさとやればいいんだろ? 仲間! 仲間トモカ!」
手をぱんぱんと合わせる。
無反応。
吸血鬼がいちいち頭の天辺からつま先までじろじろ見てくるのが腹立たしい。
スマホを取りだして、メッセージを送る。
『周辺の霊子は調べた。状況は動いた。教授がこちらに向かっている。助けに来てくれ、仲間トモカ』
送った瞬間、強風を引き連れてすぐ目の前に現われた。
えらく不機嫌そうな仲間が、我を睨みつけている。
「嘘でしょ。任せろって言っておいて、なにしてるの?」
ド正論に固まるしかない!
「――……そ、それはさ? ほら。我が出ることで、霊子を調べられる的なさ?」
「やっと実感わいてきた……冬音が春灯の双子の姉だって」
「な!?」
そんなばかな!
我しっかりしてるし!
春灯ほどぼけぼけじゃないし!
いまはボケの真っ最中だけど!
「で? 私になにしろって? 光葉先輩のOKが出たから来たけど、教授を連れてくればいいの?」
「そ、そうだ? それ以外になにがある!」
「私が攻撃された場合のカバーについて、なにか考えがあるのかなあって思って」
たいそう険しい顔をして仲間が顔を近づけてくる。
春灯から聞いていた通りだった。
仲間は雑な行動とか、馬鹿な選択で誰かが傷つくことを嫌うのだ。
いまや傷つく誰かを助けるために彼女は駆けるヒーローになった。
だからって、危険な場所にとりあえず行ってこいと言われて「うっす、わっかりやした!」と答えるほど頭ゆるめなわけではない。断じてない。おかげで我いまめっちゃ怖い。そしてそんな我に言えることは、
「――……早いから。ぱっといって戻ってきたらいいじゃん」
これしかなかった。絶望だ。明坂ミコの前でめちゃめちゃ怒られる!
なにより人当たりのいい仲間に嫌われたら、ガチでショックでかすぎて死ぬ!
「ぶふっ」
目の前で盛大に吹き出された。
「あわあわするときの顔は春灯とそっくり。でも冬音はけっこう強気なアホなんだね。了解。そっちのお姉さんは、私になにか注文ある?」
いつもの陽キャに戻ってくれた。ほっ……。
心の底から安堵している我に吸血鬼は悲しむように眉根を寄せて、肩を竦める。
「言いたいことがあるのはあなたじゃなくて、この子。気をつけて以外に言えるとしたら、抱きかかえるんじゃなくて、間接的に吹き飛ばしてアリーナの駐車場へ。決して触れずに引き入れて」
「了解」
雷光と共に走り去っていく仲間に、すぐさま吸血鬼は我の首根っこを掴んで引きずり始める。
容赦ないにも程がある。もうすこし待遇の改善をしてもらいたい!
「アホなあなたにはまだ早い。とっとと決着を。喜劇と悲劇の組み合わせは胃がもたれちゃうの。長生きしていると特にね」
「――……おばば」
「ちょっと腕を振り回したくなっちゃった」
「えっ、待っ―……」
容赦なく床にたたきつけられたり振り回されたり。
細腕でよくやるな! 痛い! スタッフの出入りもあるのに! 痛い!
待って! 待って。ま……。
◆
急速に干上がっていく。ひびわれていく。
なぜだろうと考えながら歩く自分の横に、気がついたら置いてきたはずの少女がいた。
「みんながあなたの悲しみを変えている。それがいいものかどうかは知らないけど、あなたは削がれている」
日々、割れて。日々、壊れて。
生きたいと願って足を進める。死にたくないと足掻いて倒れそうになって、踏んばる。
めまいがする。日差しに体が溶かされそうだった。
真中愛生がアマテラスの力を使っているのだろうか。
それとも、そんな力など必要ないくらいに奪われているのだろうか。
だとしたら、なにが自分から削られていっているのだろう。
「よっしゃあ! 美少女化、これで十人目! 好みの女子のバリエーション、まだまだあるぞー!」「舐めないで。ドール遊び歴、十七年目の私に勝てるとでも!? ふはははは! 中身がおじさんだろうと好みの女子にしてやるわ!」
「そこ! 暴走しない! あくまで呪いを解くための一時的な措置でーす! そういうシステムでーす! なんならこういうパフォーマンスでーす!」
「「「 いや、小楠ちゃん。さすがにそれは無理があるんじゃないかな 」」」
「やかましい! さっさと進め!」
遠くで少年と少女たちの笑い声が聞こえる。
自分の力を注いだ男たちが、無慈悲に可愛らしい少女に姿を変えられていく。
青澄春灯の輝きを奪うために。なんなら大勢の被害者を出すことすら可能な自分の呪いが、無慈悲なまでの暴力によって淘汰されていく。
なんの冗談だと思った。
笑えもしなかった。
自分の行いは罪にまみれているが、こんな因果応報があってたまるかと怖気が走る。
己の舞台に引き込まれるのではなく、彼らはあくまで彼らの舞台で、彼らのやり方を貫き対処している。
取り合ってももらえない。
四の五の言わずに銃器を持たせればよかったか。
ナイフを持たせて刺せば済んだか?
青澄春灯を引きずり出して、ライブが中止になるような事件を起こして彼女を悲しませる?
それではだめだ。彼女の魂が曇るようでは、自分の目的は達成できない。
――……別次元から来た彼女は、いつだって自分に汚れ役を押しつけながらも、総じてこの世が優しくあるように導き続けてきた。そうしなければ、彼女の目的は達成できなかったから。
自分もそうなのか。
いっそ自棄になってテロでも起こしてみせようか。
「ごめんね、みなさん! 時間がない方を優先的に、元の姿になるようにがんばります! その場合、みなさんの呪いをより可愛らしく変換する必要があるので、なりたい女の子像を伝えてくださーい!」
「ご迷惑をおかけしてたいへん申し訳ございません! お時間に都合のつく方は避難所がありますので、そちらにご移動のうえ待機していただければ幸いです!」
「体調の悪くなった方はお知らせくださーい! 呪いが自動的に解けるまでこのままでいいという方は、警察の方の簡単なチェックを受けていただければお帰りいただけます! ただいま待機時間ゼロでご案内中でーす!」
士道誠心の若人たちが声を張り上げながら、音楽を背に踊り、魔法を放って自分の呪いをあほらしい形に変換していってしまう。
全盛期ならいざ知らず、いまの自分にはもう周囲を無慈悲に操る術など使えない。
なんとなれば、クロリンネが存在していたころに削がれていたのではないかと思えるほどに。
衰弱。退化。逃れられぬ死。
いやだ。いやだ。ここでは終われない。
「なら、どうするの?」
奪うしかない。汚すしかない。食らうしかない。
狩猟しなければ肉が食えなかったころ、人は獣のさばき方を心得ていた。
いまじゃ金を払う意識すらなく、誰かがやってくれる世の中だ。
命を奪い、食らいながら人は生きている。それを残酷だと罵り、仕事として生き物の尊厳を尊重する人々の気持ちを汚すことすらいとわずに。
自分の尊厳のために、人の気持ちを害するなど大昔からいまでも続き、未来永劫消えることはないだろう。
自分だけが許されないわけではない。誰しもが醜く汚い。
こうすることでしか生きられないから、自分はそれを選ぶのだ。
「混乱してきているよ。だいじょうぶ?」
だいじょうぶじゃなくなったのは、いつのことだったのか思い出せない。
幸せなときもあった。
いいときもあったんだ。
いつだって誰かがぶちこわしていく。
ぶちこわす側に回っている方がいい。
守るものなど持たない方がいい。
奪い、食らい、汚すことに夢中になっているほうが――……傷つかずに済む。
「そうなる前の自分を覚えている?」
もう思い出せない。
「ほんとうに?」
――……傷むんだ。それを思い出そうとすると。
取り戻せない。
死人にすこしずつ変えながら延命をはかったこともあった。
人の臓器を拝借して、いきのいい臓器の霊子を捧げて抗ったこともあった。
自分に幸せと愛情を伝えてくれたその口で何度となく罵倒され、最後には殺してと泣いて懇願されて生を奪ったこともある。
傷つけられるくらいなら、傷つける側でいるほうがマシだ。
「うそだよね。傷ついたんでしょ?」
青澄春灯の声がうるさくて仕方ない。
偽物なのに。本物みたいに耳障りだ。
彼女は受け入れてくれない。許してくれない。生かしてくれない。
生かさせてくれない。
絶対に。
「傷つけるからだよ」
遠回しにやるようにした。
直接かかわらないようにした。
「裁判だったら、教唆っていう罪になるよね。きっとさ」
――……死んだら魂ごと消し炭にされる。
誰にも許されることはない。それだけのことを、逃避するためにし続けてきた。
無自覚に非業を成す人をやまほど見てきた。
喜んで見に行った。
大勢が人権の定義などくそ食らえと思うことすらなく、生を踏みにじっていた。
「誰かがやっているからどうっていう話じゃなくて。どんな生とどんな死を望むのかじゃない?」
――……何も残らないのはいやだ。
次がないのはもういやだ。置いていかれるのは二度とごめんだ。
「う、くっ」
つまづいた。
転んで頭をしたたかにぶつけたのだと思ったら、体が吹き飛ばされていた。
砲弾のように軽々と放たれて、空中でなにかに撃たれ、次いで体がなにかに叩きつけられた。
転がっていくようにして、目指していた施設の内部へ。
誰かの足で勢いを止められた。
痛みなどないから、見上げることができた。
「長い縁もこうして終わるのかもしれないと思うと、すこし寂しいの。あなたはどう?」
天敵であり、一度として勝てた試しのない吸血鬼で。
自分にとって、彼女は死の象徴でしかなかった。
隣にいる埃まみれの閻魔姫の様子も気にはなったが――……すぐに背後から足音が近づいてくる。
「最後の裁きの前に最初の気持ちを思いだして。どうか教えて。どんな生を望み、どんな死を望むのか」
自分の作った死人。
自分の作った欲望。
自分の作った願望。
足音が近づいてくる。
ひとりじゃ済まない。
自分をここに連れてきたのは仲間トモカで、増えていく面々には士道誠心の学生のみならず明坂の面々も南隔離世株式会社の面々もいた。
「――……」
初志は覚えている。
けれどそれを口にするには、あまりに手を汚しすぎた。
いまの自分が言って、どれほど過去の思いを汚すことになるか。
人だかりの輪の中から夏海聖歌と天王寺スバルが出てくる。
切り札すら、幼いふたりの愛情にたやすく打ち砕かれる。
無慈悲だ。現実はいつだって。
呪いを吐こうか?
いや。
いつか見たありふれた日常に溶け込む、大勢のふたり組のようにそばにいるふたりを見て、すべてが馬鹿馬鹿しく思えてしまった。
「尊ばれる生と死を迎えられたら、それは救いだ」
もう疲れた。
「けれど行いにかかわらず、聖者は今日もどこかで無慈悲に殺され、悪人が家族に看取られて死んでいく」
弱肉強食だのなんだの。そういうのも、もはやどうでもよく。
「私は悪人で、孤独に死んでいくのかと思ったが……思いのほかギャラリーが多いようだ」
諦める。
ただそれだけで、限界寸前の体が壊れていく。
なにも残せなかった。
空っぽだ。
辞世の句もなければ、悪を叫ぶほどの思いもない。
醜さを愛するように見せて、汚し抜いてきた。人の命も大勢奪った。
息をするように、仕事として人を殺すスイッチを押す人々のように。
生きるために行なってきた。
正当化する気はない。
最初の肉体のときに地獄行きは覚悟していたのだから。
「――……なら、もうひとこえ」
崩れていく肉体。露わになった心臓を、こともあろうに夏海聖歌が掴んだ。
声も出なかった。彼女がなぜ、そんなことをしたのか理解できなくて。
「いまのあなたじゃ正直抱き締めたくないから、抱き締めたくなるように成長してからケリつけて死んで。それまで死ぬのは許さない」
強い怒りを感じた。彼女にした仕打ちを思えば当然だ。当たり前すぎる。
むしろ心臓を鷲掴みにされて殺されるほうがよほど自然。なのにどうしてか彼女は魔力を注ぎ込んでくる。
彼女の魔力は生かす力だ。
死人の体は蘇らないから、朽ちる速度は止まらない。が、緩んでいく。
皮肉なものだ。
彼女の人生を己の意図に引きずり込もうと教え込んだのは自分の下心。
なのに今度は彼女が彼女の下心から、自分の人生を引きずり込もうとしてくる。
これもまた因果か。
だとしたら、彼女は未熟すぎた。自分の生を維持するには彼女の魔力だけでは足りない。
だからなのか。
「彼女がこう言っているんでね。ハデスからもよろしく言われているから、あんたは放っておかない。ま、いわゆるあれだ。死んで楽になるより、生きて償えよ。あんたは長生きしなきゃならないぜ?」
夏海聖歌の恋人となった青年、天王寺スバルも心臓に手を当ててくる。
既に腕は消えていて抗いようもなく。どこかの死人に意識を移すならいましかないが。
「ああ、だめだめ。私が許さないから。だってあなた、放っておくと本当に面倒くさいんだもの。おかげで閻魔姫にやらせようと思っていたのに、ついつい構っちゃう」
明坂ミコの愉悦に満ちた声が妬ましいが、反応するどころではない。
ひとり、またひとり己の心臓に手を重ねてくる。
新生一年九組の面々だ。
大勢の頼りになる生徒がいながら、一年生の若人だけが集まっている。
時任姫もいた。七原夜空も。ほかにも数名いるが、気になるのは夏海聖歌だし、
「理華は正直、握りつぶしたいんですけどね。一本とってきたんで?」
立沢理華だった。
悪魔の尻尾を生やして笑う彼女は、ある意味吸血鬼よりも幼く未熟だからこそ恐ろしい。
「けど、聖歌がまだ死なれちゃ困るっていっちゃったんでね。岡田くん、例の奴やっちゃいましょう」
「おっけい!」
「拘束の手順と組み立てなどなど諸々はすっとばして! あいはぶこんとろーる!」
歯を剥き出しにして笑う小悪魔を通じて、一年生たちの力が重なって注ぎ込まれていく。
機は逸した。これで終わりかと思ったし、委ねる必要性などないとも思った。
けれど、自分を生かそうとする力に賭けてしまった。
体を構築する霊子が強制的に組み替えられていく。
あとはもう、委ねるだけ。
生きるか死ぬか。
答えを出すのはもはや、自分ではないだろうになぜだか、自分の作った似姿の声が聞こえた気がした。
「生きたい。その先は?」
――……自分の答えは。
つづく!




