第八十四話
私は涙目で走っていました。
なんでかって?
「てめえわりゃあ! どついたらあ!」
「かちこみなんぞふざけた真似しよってからに! 許さへんで!」
後ろをふり返ると星蘭のみなさんが怒り心頭な顔で走ってきていて、私は特別体育館の中を走り回っているんです。
こうなったのはひとえに、コナちゃん劇場のせいなんです。
夜、私を連れて特別体育館に行くと、コナ先輩はメガホンを出して叫びました。
「やいてめえら! 東京観光なんかに来てんじゃねえし! 相手をするのが怖くて遊んでるんですかあ? 暇なんですかあ? あ、それとも……びびっちゃって交流戦の前に帰りたくなっちゃいましたあ?」
まあ、怒られるよね。怒鳴り声をあげて長屋から出てきた人たちを見て、コナ先輩はタマちゃんの刀を取ってから、笑顔でいいました。
「攻撃に当たらずに一時間走ったらここへ戻っておいで」
「へっ」
私の背中をそっと押して「ってこの子が言ってました。じゃ!」と退散するの。
ちょ、え!? ってテンパっていたら特別体育館の扉が凄い勢いで閉められました。閉まる寸前にちらっとユリア先輩とシオリ先輩が見えたので、絶対に私は忘れないんだからなと胸に誓います。
そしてダッシュです。ひたすらダッシュです。……ううっ。
「コナちゃん先輩のばかーっ!」
叫んでもしょうがないので、ひたすら走るのです。
◆
私、並木コナはよく「オツムが残念だ」と言われます。
勉強はできる。テストの点数はいい。ただ授業中で先生の問いに答えるだけじゃ飽き足らずに喋り始めて、気がついたら授業を乗っ取ったこともある。
他にもね。いかにも体育会系ど真ん中の侍候補生だから先輩たちとの確執はある意味伝統なのに、ラビとユリアをはじめもめ事がたえなくて。その揉め方があんまりばかばかしくて、仲裁とかしていたら……気がついたら「コナ劇場」なんてあだ名をつけられたりして。
そんな中、いつもナチュラルに接してくれたのは緋迎カナタくんだけだった。彼に惹かれたのはある意味必然。どうやら激情家で感情が暴走する類いの私の好意だから、みんなには筒抜け。彼にだけ届かない。最初は長期戦の構えでいいかと思っていた。
……彼女が出てくるまでは。
「シオリ……中の様子はどう?」
「すごいね、あの子」
特別体育館の入り口そばで腰掛けたシオリのノートパソコンを覗き込む。
教材用に撮影するために設置された監視カメラの映像をハックして映し出しているのだ。
そこでは彼女が……青澄春灯が泣きながら走っていた。
あちこちから星蘭の生徒が刀を手に襲いかかる。彼らの実践的教育は士道誠心のそれとは意味合いが異なる。こちらはあくまで士道に誠実な心をもって臨むべし。彼らは違う。何をしてでも勝ちをもぎ取り生き残れ、だ。だから生徒それぞれの特色が色濃く出るし、誤解を恐れずに言うならあまりにも荒っぽい。
にも関わらず、だ。百を超える生徒たちに襲われているにもかかわらず。
「あたらないね」
ユリアの言葉に頷く。
「……ええ、そう。シオリ、あの子の右目を拡大できる?」
「ん」
キー操作を行うシオリの手元、ディスプレイに映った彼女の右目は普通に見える。けど。
「フィルター使える? 霊子観測用の」
「ん」
緑色の操作線が混ざってすぐ後に、異常ははっきりと知覚できた。
「右目、輝いてる」
シオリの言葉に、今度は……少し躊躇って頷いた。
「……彼女の異質さが、わかる?」
二人の反応はない。
「柳生十兵衞三厳。言わずと知れた江戸時代前期の剣豪よ。隻眼の真偽はさておくとしても……彼の逸話はたくさんある。どれほどの創作がなされたかもわからない。その中の一つ」
息を吐いて、胸に手を当てる。緋迎くんが図書館で本を見ている姿を見るのが好きだ。ドキドキするから。でも、じゃあ。彼女を見て同じように高鳴っているこの胸は、私に何を訴えているのだろう。
「剣術とはこの通り一寸の間にあるものである……浪人に請われた試合で浪人を斬り、衣を斬られた十兵衞の言葉よ。真実かどうかはさておいて、ええそう」
右目の輝きに導かれて、彼女の身体に霊子が伝わる。
だから避ける。避ける。避ける。
決して彼女に攻撃は当たらない。
「見切りの目。あそこまでいくともう……攻撃を避ける、という事象が備わった魔眼みたいなものね」
「……疼くね、それ」
「シオリ、悪い癖でてる」
ユリアの指摘にいつもは感情を露わにしないシオリの口元が笑った。
「ねえ、コナ。一つ確認させて?」
ディスプレイから目を離せずにいる私の手にユリアの冷たい手が重なった。
私の熱を吸い取って、なくしてしまうくらい……ぞっとするほど冷たい手。
彼女と戦った候補生は口を揃えて言う。ヘビみたいだって。
「あの子をどうしたいの? ……苛めたいなら、もういいよね。助けにいきたいんだけど」
なじられるよりもよっぽど鋭く心を抉るユリアの言葉に、私は短く息を吐いた。
「は……違う。違うわ。そりゃあ……いい気味だって思えたら良いな、とは思った。正直ちょっと期待していたくらい。汚い気持ちがあったことは……否定できない」
でも、と呟く。呟いてしまう。
「けどだめ。あの子の映像を見たら一瞬で虜になった。見てよ! 凄いのよ……。きっと歴史の知恵なんてろくにない。勉強だってできない。運動もだめ。そんな子が……そんな、女の子が」
視線は外せなかった。ずっと、あの子から外せなかった。
「最強を夢見て、その思いだけで十兵衞の力を引き出しているの。その概念を具現化して……抗っているの。刀を手にした途端にあんなに立派に働く侍候補生なんて、そんなのもう……応援するしかないじゃない。刀鍛冶の私としては、もう……力になるしか、ないじゃない」
「じゃあ……最初から結果がわかっていたのに、こんなことをしたの?」
「……そうよ」
今度ははっきりとなじられた。けれど、気持ちは爆発しなかった。萎みもしなかった。
ただただ……どこまでも冷えていく。頭も心も、なにもかも。
「あの子は自覚しなきゃだめ。手にした力の意味を。緋迎くんじゃ……あの子の恋人じゃ、できないことをするの」
「コナ」
シオリまで手を握ってきた。
「……いいの?」
その問い掛けにはいろんな意味がある。
「コナ……それで、本当にいいの?」
ユリアまで、私を気遣う。
私がいま振り払おうとしているのは、一年……積み重ねてきた思い。
色々あって友達になって……見守ってくれていた二人だから、尋ねてくれる問い掛けだ。
私を思った上で、ユリアはあの子に助けられた借りがあるから助けに行きたい気持ちを我慢しているんだろう。
でも、だから……言う。
「いいのよ。だからユリア、絶対に一時間が経つまで助けに行っては駄目」
「……わかった」
頷いて、お菓子を食べ始める。
ユリアの八岐大蛇との繋がりは食だ。捧げ物をして、代わりに力をもらっているらしい。
意識してみると、実はいつもシオリは厚着をしている。指先を出すのはノートパソコンを弄るときか食事の時くらい。厳密に言えばお風呂もそうだろうけど。彼女はそうして刀との繋がりを密にしている。
一年生はまだ知らないだろうが、侍候補生は刀の力を振るうために……心に素直になる必要がある。刀は心の具現化なのだから、心に素直になればなるだけ力を引き出せる。
その理屈から説明すればユリアは要するに、根っからの食いしん坊なのだ。ロシア人なのにラビと二人で子供だけで日本で暮らしている理由も何かしら関わりはあるんだろうが、それは……私が語るべき事じゃない。
シオリは……この子は普段は言葉少なく隠しているが、根っこは彼女と同じこじらせ系女子だ。そして余り人なつこいタイプでもない。世間を斜に構えて捉えている節も結構あって、そういうところが刀に出たんだと思う。
そこへいくと……青澄春灯は事情が違う。
「なんで一時間なの?」
「シオリ……それはいい質問ね」
微笑み、見つめる。
恐らく自分を最弱だと思い込んでいる、一人の女の子を。
でも彼女は示してきた。これまで何度も、何度も。
「あの子が自分の手にした刀は――……自分の心は最強だって、わかるために必要な時間なの」
あとは、そうね。
「強いて言うなら……」
「いうなら?」
「彼女の体力は今のあの子からして、もって一時間だからよ」
星蘭の生徒達の顔が怒りのそれから、変質している。
この一年生の女はおかしい。どんな手を使っても、決して攻撃があたらないのはなぜだ、と。
やっと悟ってきた頃だ。
一人が刀の力を解放しはじめた。他の人間が続く。
「さあ、ここからよ。あの子が嫌でも自分の最強に気づくのは、ええそう」
間違いなく、ここからだ。
つづく。




