第七十六話
どうせならすぐに交流戦してくれればいいのにね。
「なんでいちいち授業とかからやんのかね。合同でやるくらいなら最初からさくっとやりゃあいいのに。そしたら今すぐぶっとばしてやるのになー!」
「カゲ、彼らの立場に立って考えてもみろ。バスで長距離を移動してくるなんて、旅行じゃないか」
「はあ? 旅行気分かよ! 俺もしてえよ!」
「落ち着け」
朝礼後のクラスは大盛り上がりでした。
言い合うシロくんとカゲくんの二人に混じって、
「大阪にも京都にも行ってみたい……食の都。食べものは西がうまいと聞く」
私の後ろの席にいる岡島くんがぼそっと呟く言葉が本音過ぎて思わず笑っちゃった。
右隣の席に座る羽村くんが頷く。
「ほんとそれな、岡島の言うとおりだわ。どうせやるなら旅行とセットで遊びてえっす」
「次の交流戦はこちらが赴くことになるだろう。北の北斗、九州の山都と当たったら、どうなるかわからないけどな。案外またここだったりするかもしれん」
シロくんの言葉に岡島くんと羽村くんが揃ってげんなりする。
「旅行いきたい……旅に出たい。美味しいものを食べ尽くしたい」
「その先でナンパしたい。訛った彼女が欲しい。遠距離から始めたい」
岡島くんといい、羽村くんといい、二人とも何か問題を抱えてそうですよね。
「あ、おれおれ! 羽村とセットならナンパできる気がする!」
茨くんがはいはいはい! と手を挙げるんだけど、先日の選択授業で茨くんを倒した羽村くんはつれなく「だめだ」と言い返す。なんでだよ、と唇を尖らせる茨くんと、
「お前は下心を満たす目的。俺は彼女を作る目的。全然違うだろうが」
「……なにが違うんだ?」
「わっかんねえかなあ!」
「さっぱりわかんねえ」
羽村くんは何か言い合ってました。仲良さそうだから別にいっか。
あはは、と笑っていたら廊下からライオン先生が入ってきました。
いつもの朝のホームルームをさらっとやって終わりかと思ったのです。
でも……残念ながら、そうはいかないのです。
◆
「合同で授業って、まさかの選択授業でやるの?」
特別体育館に集められた私たち一年生は、胴着姿で戸惑っていました。
ライオン先生に告げられた特別な合同授業、それはいわば交流戦前のデモンストレーションらしいのです。
見れば一年生の侍候補生は全員いました。だから枠としては選択授業にあたるのかな?
「獅子王せんせぇ、久しぶりですぅ」
「夏目先生。朝、職員室で挨拶しましたが」
「もうそんなんいうて、いけずやわあ」
猫の尻尾らしきもの二本、そしてネコミミを生やしたお姉さんがライオン先生にくっついてました。
ライオン先生は夏目先生って呼んでたよね。星蘭の先生かな? 妙にくびれた腰つきといい、ネコミミと尻尾といい……リアル猫娘かもしれない。先生っていうだけあって成人してニナ先生くらい大人だけど。
「別にあれやろ? 国崎とくっついたりしてへんのやろ?」
「生徒の前ですよ」
「どないなんですか? ねえねえ?」
私たちの視線を受けて、ライオン先生がため息を吐いた。
「いい仕事仲間です」
「ならええやん! 今日の夜は二人でデート! 決定やからな!」
「……生徒の前ですよ」
うわあ。ライオン先生が押されてるの初めて見た。
……うん? でも待って、色々とツッコミどころあったよね、今の会話。
国崎って、ニナ先生のことだよね? でもって、ニナ先生は未亡人。
でも思い返せばライオン先生はニナ先生といっつも一緒にいるし……いつかの保健室の時だってそうだ。あれは――……私が刀を手に入れて、ライオン先生の一撃を食らって気絶した後のこと。
『ええ、そう。あなたの自覚している通り、やりすぎですよ? 反省なさい』
『……うむ』
言葉自体はなにげないけど、でも……声は親密なそれでした。
なにより、反省なさいなんていってしょぼくれちゃう二人ってすっごく心の距離が近くない?
ただの仕事仲間でもなく、友達って言うよりももっとずっと近くて……大人の関係だったりするのかな?
ゲスな勘ぐりだよなあ、と思いつつも気になる私です。
「なっちゃんええなあ。自分だけデートかいな」「せんせぇ、敵地で気ぃ抜きすぎちゃう?」
星蘭の人たちが賑わう中で、私たち士道誠心の一年はみんな戸惑っていた。
クラスのノリが全然違うの。少なくとも私たちは誰一人としてライオン先生をからかったりできない。
きょろきょろしていたら静かに黙って目を伏せている安倍くんを見つけた。そばに白髪の綺麗な鹿野さんや、黒髪ポニテの立浪くんもいる。三人は賑やかな周囲と違って大人しい。そのおとなしさは嵐の前の静けさなのかなんなのか。
「ほな、獅子王せんせぇ……どないします?」
「星蘭と士道誠心の混成チームを作り、チーム戦……は最後の一コマに回すとして。星蘭ではどのような準備運動をしていますか?」
「うちんとこか……ほな、見せたりますか。安倍、二人えらび」
夏目先生に呼ばれて安倍くんが学ランの襟元を軽く摘まんだ。
「せやな。久世、丹波」
安倍くんに呼ばれてみんなの前に一歩踏み出したのは、筋骨隆々とした身体が学ランをぱんぱんに膨れ上げさせている男の子二人組でした。
二人はそれぞれに協力して踵で半径二メートルくらいの円を地面に描いて、さっと一つの試合場を作った。
「士道誠心のみなさん、よう聞いといてください。星蘭では息継ぎなしの組み手をやります」
夏目先生の言葉を受けて、呼ばれた二人が互いに刀を抜く。礼はなしだった。誰が開始の挨拶をするでもなく、即座に戦闘モード。
激しく刀を叩きつけるような二人の組み手はまさにケンカそのもの。殴るし蹴るし、荒々しいことこの上ない。一瞬の隙を突いた一人が相手のお腹を蹴り飛ばして試合場から出た。直後だった。
「負けた生徒の次の番号の出席番号の生徒が入ります。組み合わせ次第では連戦が続くさかい、体力の限界まで絞り出してもらいます」
一人の生徒が飛び込んで即座に試合をする。刀を手にぶつかりあうそれはまさしくぶつかり稽古って感じです。
「てっ、手足が出てるようにみえるんですが」
「せやね」
シロくんが恐る恐る挙手すると夏目先生は笑顔で頷いた。
「侍いうんは、ようは化け物退治を生業とする職業や。化け物はルールなんて守ってくれへん。したら、実践的に学ぶんならこれくらいせんとあかんやろ。君らは候補生なんやから」
「で、でも」
「君の気持ちもわかるで。高等学校でこのようなケンカまがいの指導が許されるのか……おおかたそんなとこやろ」
かろうじて頷くシロくんに夏目先生は笑顔を崩さない。
「侍いうんはなぁ、昔と変わらん戦闘職や。しかも公務員や。家族やてめえの人生しょって、命張って戦うんや。その特訓のために、つべこべいうような親もガキもおらへん」
「げ、現代の闇だ……ほんとうか?」
唸るシロくんだけど、気持ちはわかる。問題が起きたら一気にニュースになりそうだよね。
でも夏目先生の言うこともわかる。切った張ったの侍稼業につこうというのが侍候補生だ。私みたいなふわふわ人間もいるから微妙だけど。でも侍を目指すなら、ケンカまがいのことに怯んでいる場合じゃないっていうのはわかる。
「いいじゃんか」
「カゲくん?」
そばで聞こえた声に思わず顔を向けると、ガチで戦っている二人の侍候補生をカゲくんは真剣な目で見守っていた。
「戦う気がなけりゃできない。警察官になるでも、自衛隊に入るでもなく……普通に生活していたら本来見ることのない隔離世にいって戦う侍。そんなの、何が相手で何が起きても戦う気がなけりゃあ……できないだろ」
「確かに酔狂者の集まりだな」
タツくんが話に入ってきた。
「刀を手にして回る侍は見た目こそかっこいいが、普通に暮らしていたら……結局なにやってんのかわからない浮浪者。そんな仕事だ」
浮浪者は言い過ぎだと思うけども。
昔は……そういう風に見られた側面もあったのかな?
そう考える私の頭に十兵衞の笑い声が聞こえたので、ひょっとしたら、ひょっとするかも。
「けどよ」
「ああ、そうだ。けど……俺たちは候補生として、侍を目指す」
言い返そうとするカゲくんに微笑み頷くタツくんは、はっきりと口にする。
「理由は単純。だろ?」
「……ああ!」
笑い合う男の子二人は。
「「かっけえから」」
単純で。ばかみたいで。子供丸出しで。なのに、なんかいい。
「見た目だけじゃねえ。人が本来知らずに済むところで身体張って」
「現実世界を守ってるなんて……いかにもで」
いいよなあ、と笑い合う二人はどこまでも素直。なんかそういうの、いいなって思う。
ヒーローに憧れているんだ、二人とも。
そういう願望なら私にだって、すっごくよくわかるよ。
もっともっと早くに聞いておきたかった、知っておきたかった目標はここにあるのかもしれない。
侍を目指す理由かあ。
今の私の場合でいくと、それは……かっこいいから、に色々付随しそうです。
こじらせた自分を受け入れた私が次の姿に進化するなら、それはどんなだろう。
どんな侍に、私はなりたいんだろう。
「そろそろ士道誠心の誰かに入ってほしいんやけど」
「俺がいく」
安倍くんの声に真っ先にギンが応えた。
試合場で刀を振るっていたのは立浪くん。
殴らず蹴らず、刀による攻撃だけに徹している立浪くんの動きは何かを我慢している様子。なのに敵を圧倒して倒し続ける。その姿から溢れんばかりの実力が滲み出ている。
それをギンは敏感に感じ取ったのかも知れない。
刀を胸に押し当ててそのまま吹き飛ばした立浪くんへとギンが飛ぶ。
その途端に星蘭のみんなが静かに黙った。
まるでギンを値踏みするように、温度のある視線を注ぐ。
すごく熱かったり、異様に冷たかったり。
けれどとうの二人の熱は一致していたの。
激アツです。
「はっはぁ!」
「ふっ」
笑いあって、互いにその刀を振るう。
自由奔放な剣筋も体さばきもなにもかもが同じ。
どちらも相手を斬ることに特化した、遊びのない一撃だらけ。
けれど、だからこそ――……徐々に違いが出てくる。
相手の身体の一部でも斬れればいい、そのためなら全力を。それがギン。
対する立浪くんのそれは……命を奪いたい。だから急所だけを、全力で。
手数が増えれば増えるほどに、ギンのそれが立浪くんに近づいていく。
いつしか――……互いに同じ剣筋を重ねるように変わっていく。
二人はまるで、二人で一人。
刀は肉を切らない。霊子を……邪な霊子を切り裂く。本当に? それしか切らないの?
もし、二人の刀が真剣だったのなら、間違いなく命を奪い合うような殺し合いだ。
このまま続けて大丈夫なの、と不安が膨れ上がった時だった。
不意にぴたりと剣戟が止まった。お互いの刀が、お互いののど元にぴたりと突きつけられていた。
「立浪シン。お前の名前は?」
「沢城ギンだ」
二人は同時にふっと笑う。
「……これ以上は」
「ああ、よしとくか」
立浪くんの声にギンが頷く。
互いに構えを解いて、同時に試合場の外へ出る。
あまりにもあっさりとした結末に何人かがずっこけそうになっているけど、でも。
正直……私はほっとした。
だって、立浪くんに近づいたギンの殺意は……純粋で、膨れ上がっていって。
まるでギンそのものを別の何かに変えてしまいそうだったから。
立浪くんに染められてしまったら……それは、怖い。よくわからない不安が確かに胸の内にあったのだ。止まって、よかった。
「鹿野、中へお入り」
「ええよ」
安倍くんの声に鹿野さんが悠然と試合場の中へ入る。
トモの顔が変わった。すぐに足を前に踏み出して、試合場に入る。
「なんや……女相手かいな」
「きみだよね。特別課外活動で見た、雷の獣は」
刀を抜いたトモをつまらなそうに目を細めて見返す鹿野さん。
「やる気にならんなあ……強いようには見えへんよ、自分」
「これを見ても?」
構えたトモが「宿れ雷神!」と、いつものあの台詞を口にして……身体中に雷光を宿らせた。
放たれた必殺技はけれど、同じように雷光を纏わせた手に握った刀で受け止められていた。
トモの必殺技が、鹿野さんに受け止められていたんだ。
「……あんた」
「よかった。これで顔色が変わらなかったら、こ――……」
トモが何を囁いたのか、一瞬理解できなかった。
五文字。ころしてた、なんて。
そんな言葉をトモが口にすることが信じられなくて、理解できなかった。
一瞬の後の爆音。
長く白いその髪すべてを青白く発光させて広げた鹿野さんの刀をトモの刀は押していた。
けれど、切れない。
ばちばち、と響くそれは電気が弾ける音なの? よ、よくわからないけど、不安しか誘わない。
「雷を、斬る! 今日こそ、あたしは――……ッ!」
「しゃらくさいわ! 人の真似しよってからに!」
トモのそれは悲痛なくらいの覚悟。
対する鹿野さんのそれは逆鱗に触れられて叫ぶ怒声だった。
ど、どうしよう。ギンと立浪くんとは違う意味ではらはらする!
星蘭の人たちはみな歓声をあげてはやしたてる。なんやおもろそうやんけ、と。
けど士道星蘭のみんなは引いていた。そりゃあそうだ。私も……ぼっちゆえにあまり目にした経験がありません。
女子同士のガチバトルなんて。
二人の身体から放たれる稲光はあちこちに放たれはじめた。
「雷神! もっと! もっと力を! きみの特別をあたしにちょうだい!」
「うるさいうるさい! それはうちのや! うちの力を持っていこうとするな! この泥棒猫が!」
二人の力が、霊子が増していく。
隔離世じゃないのに。現世なのに。その力ははっきりと視認できるくらいに溢れていく。
このまま放置したらお互いの魂ぜんぶ吐き出して消えちゃうんじゃないかっていうくらい、激しい勢いだった。前しか向いていない、その先に崖しか待っていない。そんな全力の出し方だった。
悲鳴を上げてみんながそれぞれに避けはじめる中で、たった一人。
「待ってくれッ」
たった一人だけが、二人の間に割って入って……ぶつかりあう本気と本気、意地と意地を彼の刀が切り裂いた。
「邪魔をッ」「するなっ!」
怒りの顔を向けて、けれど二人の顔が同時にはっとする。
「本気を出すのは良いが、周りの迷惑も考えろ」
彼の身体を、二人の雷は避けていく。いや、ちがう。よくみれば幾筋もの雷が彼の身体を、服を焼く。けれど致命傷にならない程度に離れていく。彼を傷つけることは間違いだと、まるで雷自身が知っているかのように。
それは現実離れしすぎた、けれどとても綺麗な光景だった。
彼にしか……その世界に入っていくことを許されないと、誰もがわかる一瞬だった。
「これは交流戦でもない、ただの訓練だ」
二人を止めた一人……結城シロくんの髪の毛が雷のせいでぼさぼさにさえなっていなければ。
ううん、違うか。だからこそ綺麗なのかもしれない。
「あ……」「……そやね」
二人もあっけにとられてる。
それからすぐ、鹿野さんがシロくんの惨状に笑って謝った。すまんな、と。
「頭に血ぃのぼったわ。そこの女はいけすかんけど……あんたに免じて許したるわ。霊子がからっけつになるまで暴走するの、目に見えてたからな」
「次は倒したるわ」と呟いてからシロくんの肩を叩いて鹿野さんが試合場を出る。
けれどトモは俯いて、荒い呼吸を繰り返すだけだった。
余裕があるのは鹿野さん。対するトモは今にも力尽きて倒れそうで、実際そうなった。
友達の身体を受け止めたシロくんがトモを抱えて試合場の外へと出る。
「大丈夫か?」
駆け寄ってきたライオン先生にトモが顔を上げて頷き、謝っていた。無茶してすみません、と。俯くトモを見て、シロくんが「保健室につれていきます」と言って離れていく。
咄嗟に駆け寄ったけど「……ごめん、ちょっと、今は」と言われちゃった。
それからも組み手は続いたけれど、私は気もそぞろであっさり場外に出ちゃった。
かっこいいと思って憧れて、それに対して全力なカゲくんがいて。
かっこいい、よりももっと必死で、切実な何かを抱えているトモがいて。
純粋に斬るという行為で完結したギンや、その先まで踏み越えてしまっている立浪くんがいて。
私にとっての侍、私にとっての刀ってなんなのか……私は考えなきゃいけないんだなあって思ったの。
そんな私の思いもそのままに、授業は終わり。
東京見学に行く星蘭の人たちと別れて放課後。
寮の部屋にて刀の手入れをするカナタに、私は思いきって尋ねるのです。
「教えて欲しいことがあるの」
つづく。




