第七十三話
「……おい」
それはゴールデンウィーク明けの真夜中、特別課外活動を行う私立士道誠心学院駅のそばにある駐車場に停まったバスから降りた時のことでした。
タツくんとギンを足して二乗倍したような荒々しい、いかにも雄! って感じの短髪のお兄さんに声を掛けられたのです。
「え、と?」
「青澄春灯だな?」
「そう、ですけど」
なんだろう、と思わずきょとんとしました。
お兄さんは同じ学校の制服姿で、腰には刀がささってるの。
「ちょっと綺羅なにやってんの、後輩驚かしてんじゃん」
その腰に飛びついてきたのは真中メイ先輩だ。三年生の侍候補生で、確かトーナメントで優勝した人。お風呂場で会って以来……だよね?
「うっせえな……ほら、これ」
んっ、と押しつけられたのは菓子折でした。
……なぜに? って、待てよ? 真中先輩、綺羅って言ったよね。
綺羅、綺羅……綺羅? え!
「ツバキちゃんのお兄さん!?」
「声で気づけ」
「え、え、えっ、なんで菓子折?」
「弟を泊めてもらった礼だ……ありがとな」
むかついているけどでも礼儀は通す、みたいな。
めんどくさいことしてるけど、根っからすごくいい人なんだろうなあ。
「けど、弟に悪い影響与えんなよ。SNSだってチェックしてるからな」
「うわきも。綺羅って後輩のSNS監視すんの?」
「うっせーな、弟のためじゃなきゃ俺だって好きこのんでしねえよ!」
しがみつかれたままで、真中先輩にぎゃあぎゃあと言い返してる。
綺羅先輩かあ。ううん、私の立場からはなんとも言いにくいなあ。ツバキちゃんのおかげですっきりできたし、私は私を受け入れることができたけど。
でもお兄ちゃんとしては心配になるよね。私もトーヤが女装し始めたら「あんた頭だいじょぶ?」って言っちゃうし……なんか違うか。と、とにかく!
「綺羅先輩! ツバキちゃんは良い子だから、大事にしたいなあって思います。ので、その」
言っている間にどんどん綺羅先輩の顔が歪んでいくから、私はきっと失言をしたんだろうと思うんです。
「だ、だ、だ、大事にってお前」
「綺羅ぁ、この子彼氏いるから違うよ? そういう意味じゃないってば」
にこやかにさらっと爆弾発言をなさる真中先輩に固まる私。すると真中先輩は私を見て笑顔で言うの。
「見てたらわかるよ。きみの二年先輩の侍候補生だぞ?」
うう……その言葉の説得力とは。
私ってそんなにわかりやすいのかな。露骨に顔に出てた? シロくんにも言われたよね、見てたら気づくって。ううん。
「じゃあ綺羅つれていくよ。またね、後輩ちゃん!」
手をひらひら振って、綺羅先輩のズボンを掴んでぐいぐい引っ張る真中先輩。容赦なく引っ張るせいで先輩のズボンが脱げそうになってる。これにはたまらず綺羅先輩もついていくしかない様子。
見送っていたら、後頭部をこつんと押されました。
ふり返るとカゲくんたちがいて「ミーティング、しようぜ?」と言うのです。
そ、そうだったね! 今日は……大事な特別課外活動の日だ! 稼ぎ時だ!
「儲けるぞ-!」
菓子折を両手に掲げたら「バスん中にしまってこいよ」って言われました。はい、すみません。
◆
大ピンチ!
邪を知覚するあちら側へ移動した瞬間に、駐車場の周囲は魑魅魍魎の嵐でした。
三年生が先陣を切り、二年生が戦線を維持。それでも溢れて止まらない邪の進軍を、一年生が食い止める。
そうして一定数倒したら終了という今回のミッションなんですが。
「キリがねえぞ、シロ!」
「うるさい、カゲ! 泣き言を言うな! 三年や二年に比べたらだいぶマシなんだぞ!」
二人が声を上げるのも無理はない。
ジャンルで言えば不定形、媒体によって最弱にも最強にもなりえるスライムさん。
今回の邪はスライムさんなんです。それが「だるいー」「どこにもいきたくないー」って蠢きながら襲いかかってくるの。
幸い刀が通じてはじき飛ばせたり斬れるから、まだマシ。だけどねえ……すぐに再生するんだよね。このスライムさんは最強の方のスライムさんだ。ぴぎーって鳴いてくれた方が助かるんだけどな。
「三年、すごいな」「二年もな。化け物揃いだろ」
岡島くんと茨くんが唸るのも無理はない。
うじゃうじゃと赤黒いスライムさんが押し寄せる中、炎だ氷だ風に嵐だと刀を振るって異形の力を振るう三年生がどんどん戦線を拡大していく。
トモみたいな力を持っているのが真中先輩をはじめとする、女子風呂で会った三人で、ものすごいの。綺羅先輩をはじめ、他の三年生も身体が化け物みたいになったり、タツくんが見せてくれたような達人の技を振るうから……みんな強くて。
私たちはまだまだ強くなれるんだ、と思うと同時に、あんなに強くなっちゃうのか、とも思う。複雑な気持ちでいっぱいです。
私たちがさばける範囲で調整しながらスライムを通す二年生もね、頭おかしい。ラビ先輩とユリア先輩の指示なんだろうけど、実際私たちに被害が出ることなく戦えている。
けど、これじゃあ。
「あまり稼げる気がしねえぞ!」
「同感だ。前回より少しマシ、という額にしかなりそうにねえな……」
「高校生の物欲なめんなよ!」
残念3が嘆く通り、最初の特別課外活動の時と大して変わらないのです。状況がね。
だからなんとかしなくちゃ、と思うのですが。
「タツ、どうする! 俺は前に出てえ!」
「そうさな」
カゲくんの呼び捨てに笑って、タツくんが視線を流した。
黒い炎を纏ったタマちゃんで目の前のスライムを焼いてから、視線の先を辿る。
すると、レオくんを筆頭にしたBチームは二年生の戦線に加わっていた。
後方にいるのは私たち一年生Aチームと、補給のためにきている刀鍛冶のみんな。そして見守っているライオン先生たち先生方くらいです。
「いこうか」
「あげていくぜ、お前ら!」
決断をくだしたタツくんにカゲくんが気勢をあげる。
おおおお! と刀を掲げて盛り上がる私たちは、真実……甘く見ていました。
特攻して特攻して「あ、こら!」ユリア先輩が止める間もなく、ふっと油断したときにはAチームをまるごと背中からはじき飛ばす化け物スライムがいたのです。
宙を舞う私たちを絡め取り、飲み込んで、滑らせて、先へ、先へ。
「きゃああああああああ――……へぶっ!」
ごろごろ転がった挙げ句に顔面着地。
痛む顔をあげた時、そこは。
「嘘……」
巨大なスライムの中に空いた、小さな穴にいました。
スライムで出来た壁に、私たちは周囲を阻まれてしまったのです。
◆
「青澄さん!」「だめ、すぐに再生されちゃう! カゲくんは!?」「無理だって!」
怒鳴り合う私たちはピンチのただ中にいました。
ぶよぶよのスライムは小さな一体ならどうにかなったのに、私たちAチームを囲んで先が見えないほどの巨大な壁を築いた集合体に紛れもなくピンチでした。
離れたところから三年生や二年生の先輩たちが急いで救助に向かってくれるけど、私たちとの間の距離は軽く絶望しちゃうくらいに空いていたのです。
周囲からのびてくるスライムの触手を、刀のすべてを抜いて防いでくれるタツくんがいなかったら……私たちはどうなっていたかわかりません。
やばい、やばいよ! 大ピンチだよ!
「タマちゃん! 空狐になるしか――」
『う、ううん! 治ったとはいえ、どうなるかわからんぞ!』
「だからって!」
目の前に迫ってきたスライムの触手を切り払いながら、焦っていた。
スライムの壁が徐々に迫ってきているの。
背中に当たった誰かの背中にふり返った時でした。
「くる。夜が、くる」
岡島くんがぼうっとした顔で空を見上げていたのは。
「なにいってやがる! 深夜零時を過ぎて、ん、だ……ぞ……」
怒鳴り散らそうとした茨くんも、ある一点を見た。
私もまた……同じ場所を見ていた。
真夜中、深夜零時過ぎ。
『なんじゃ、このざわつきは――……』
タマちゃんの呟きが聞こえる。けど返事ができなかった。
誰かが叫んでいる。惚けた私たちをしかりつける仲間の声……けれど、だめだった。
ちりん――……。
ちりん――……。
鈴の音色が空から聞こえるの。
雲のような何かが迫ってくる。
目をこらせば――……見える。
それは決して気象現象なんかじゃない。
空を駆ける学ラン姿の男の子に魑魅魍魎が続く。
「百の、夜が、くる」
岡島くんの呟きがやけにはっきりと聞こえた。
先陣を走る男の子の頭から、お尻から生えているのは私と同じ狐のそれだ。
私たちめがけて彼が星を指で描いた。直後、スライムが奇声をあげて燃えていく。
狼の姿をした雷が私たちの周囲にまとわりついて、スライムをあちこちに霧散させた。
地面に緩やかに降りた男の子が囁く。
「さあさ。片付けてしまいなさい――……夜が来たよ、闇の中へお帰りよ」
地面に辿り着いた彼の魑魅魍魎が、うちの三年生に勝るとも劣らない勢いでスライムを打ち倒していく。帽子のツバを摘まんで位置を直して、男の子は腰に差した刀を抜いた。
その姿はあまりにも威風堂々として、まるで夜の王者のようで。
「あ、あの!」
気づいたら声を掛けていた。
カナタと出会った時に感じた昂揚とは違う。
これは――……
「あなたは、だれ」
「なんや、惚けた顔してだらしない」
凍てつく目をした彼に感じるのは、紛れもない。
「そないな顔してると、あんたの狐を滅ぼすよ」
悪寒に違いなかった。
◆
あっという間に終わっちゃった……。
現世に戻ってしょぼくれる私たちの中で、シロくんがやってきたバスを睨んで呟いた。
「星蘭高等学校……西の学校の生徒だ」
「なんだよシロ、知ってるのか?」
カゲくんの問い掛けにシロくんが頷く。
「聞いたことがある。彼らの刀は妖怪変化に満ちている。たまに侍や武将を引き当てても、その性質は血に飢えている……現代の百鬼夜行を、全ての学年が体現する、と」
「ハルや茨、岡島が反応したのは、つまるところ……魂が惹かれでもしたか?」
タツくんの声は明るく、冗談を言っているものだと理解していたけど……私をはじめ、茨くんも岡島くんも黙り込んだまま。
ただ一人を見ていた。バスから降りてライオン先生に挨拶をしている学ランの狐の少年を。
「井之頭はどうだ。何か感じるのか? 三人とも一人の男にご執心の様なんだが」
「すまん……なんともいえない。感じるのは妙な懐かしさと、恐れ……といえるかもしれないが」
シロくんの言葉に答える井之頭くんの声に、私はやっとの思いで頷いた。
「なんか……いや。あの人は、私……いやだ」
自分の二の腕を掴んだ。
確かめなくてもわかる。ずっと鳥肌がたっている。
尻尾は垂れ下がり、けれど股の間にはこなくて……なんていえばいいんだろう。
『――……』
言葉にならないタマちゃんの思考が頭の中を埋めつくしている。
怒り、悲しみ、恐れ、不安。他にも……けれど、念じる力が強すぎてよくわからない。
黙り込む私たちの視線に気づいて、あの男の子が私たちの元へ歩いてきた。
「あんた……それ、九尾やんな」
私を見つめて口にされた彼の訛っているのに優雅な声は、レオくんとは違う……王者の貫禄に満ちあふれていた。
「自分、安部いうんよ。安部ユウジン。あんたは?」
言葉だけ取れば友好の意志に満ちあふれた自己紹介。
なのに、なんで? なんで、シュウさんよりも、私は怖いと思っているのだろう……。
「教えてくれへんの?」
「……青澄、春灯です」
「へえ! 青澄さんか。春灯ね……ええね、好きな響きやで」
近づいてきた彼の目に浮かぶ、五芒星。
知覚した途端に全身が震えた。
「愛するように倒したるわ。交流戦、楽しみにしてるで? もっとも――」
身動きせず、出来ずに見守るみんなと、血の気がなんでか引いて真っ青な私を見て。
大きな目を……狐のように細めて。
「今日の様子を見た限り、たいしておもろなさそうやけど」
ほな、と呟いて彼は行ってしまった。
「なんだ、あいつ」
草薙を手にするカゲくんも、
「……妙なヤツだな」
志士の魂と寄り添うタツくんも気づかず。シロくんも黙って見送るだけ
だから、真実。
「――……っ」
尻餅をついた私と、浅い呼吸をしていた茨くん、岡島くんだけが理解していた。
あれには、勝てない。私たちは、絶対に……勝てない。
だって、あれは。
『――……安倍晴明』
タマちゃんの告げた名。
それは歴史に疎い私でも知っている、最強の陰陽師の名だったから。
でも、なぜ?
刀の御霊にその人がなることなんて、あるの? あり得るの?
疑惑ばかりが膨れ上がっていく。
喘ぐように彼の行く先を見る。
黒髪の長髪をポニーテールにした綺麗な帯刀男子と、真っ白な髪をした美人の帯刀女子の待つ場所へ辿り着いて、安部くんが星蘭高校のバスを見た。
中から出てきたのは、
「うそ……」
優雅に微笑むシュウさんなのだった――……。
つづく。




