第六十六話
こみあげてくる気持ちにせり上がってきたものをぐっとこらえて、カナタにお礼を言って離れた。
「カナタは勝った?」
「ああ……ラビとユリアのブロックから離れたことが功を奏したな。くじ運がいい」
「そっか」
「……次は試合だ、勝ってくる」
「うん!」
がんばれ、と胸を張って送り出して、息を吐いた。
それだけでゆるんでしまう。視界が一気ににじんでしまう。
けど……カナタが行くまで我慢できた。
カナタにだけは、泣きついちゃだめだ。
これは失恋の涙なんだから。
私のことを好きになってくれた男の子の前で流したくない。
それだけは意地でもいやだった。
後頭部をわしゃわしゃってされて、ふり返るとトモがいたの。
「待ってて」
そう言ってトモは試合場へ向かっていった。
カゲくんが待つ試合場へだ。
黙って送り出す。
口を開いたら大声で泣きそうだったから。
なにせ涙のダムは決壊寸前で。
私の様子がおかしいのはみんなもわかったみたいで……そんな時に、見つけたのはギンに頭を撫でられて見送るノンちゃんだった。
いや、ないよ。ないって。ノンちゃんに迷惑だし、ある意味において彼女は勝者だし。
いくらなんでも……ノンちゃんにとって重たすぎるよ。
そう思って我慢したのに、ノンちゃんが来ちゃうの。
「……あ、あのう。あたしで力になれますか? なんでもはなしてください」
「ばかー!」
って言いながらしがみつきました。
「ノンちゃんお腹かして」
「えええ……胸じゃないんですか」
「めちゃ泣くし、濡らしたらブラ透けちゃう……」
「そういう変な気遣いはいいですから……なんなんですか。私の特別に勝ったんなら、胸はってくださいよ」
「勝負に負けたのー! どちらかといえばノンちゃん勝者-!」
びえええええ、と泣き出す私に弱りながらもノンちゃんが頭を撫でてくれた。
だから思っていること全部ぶちまけたの。
ギンへの思いも、積み重ねも全部……「聞きますよ」って言う優しさに「甘えていいですから」って上乗せしてくるから。
全部話して、でもまだまだ泣き足りない私はトモが来たらいよいよ水分なくなりそうだと思いながら鼻を啜った。ノンちゃんが出してくれたハンカチでちーんとかませてもらう。
「まあ何かあるんだろうなって思ってましたけど……ちゃんと、すっきりできましたか?」
「ある意味で恋敵状態になりかけたノンちゃんに全てを話すくらいには」
「つ、包み隠さず言いますね」
引きつった笑いで惨状状態のハンカチを見るノンちゃんです。
「ノンちゃんはギンのこと好きなの?」
「あなたに気を遣ってるとかじゃなくて……まだそういうのよくわかんないです。小中は悲惨だったし……恋愛経験だってないので」
「私みたい」
思わず呟いたらノンちゃんは笑うだけだった。
ただ、と呟くから聞き返したよ。ただなあに? って。そしたらね。
「全力でみんなと戦って、あなたみたいに泣いたり……一年生代表の三人みたいに笑って送り出したり。恋ってすごく痛いけど、いいものなのかなって思います」
「え……」
「あなたのこと、好きになったから。その涙は尊くて綺麗なものなんだなって思うから……あたしも恋してみたいなって思いました」
私にそう笑いかけると、ノンちゃんが立ち上がった。
「そろそろ試合も終わって、あなたの友達も戻ってきそうですし」
え、と顔を向けたらカゲくんがトモにあっさり負けてた。
ちょっとー!
「ギンさんのところに戻ります。あの人もあなたみたいにへこたれてそうなので」
「うん……」
離れていくノンちゃんを見て思わず呼び止めたの。「ノンちゃん」って。
なんですか? ってふり返る小さな女の子に、私はなんて言おうか一瞬悩んだけど。
「ありがとね」
出てきたのは純粋なお礼だけだった。
そんな気持ちしかなかった。それでいいんだとも思ったの。
はいです、と笑ってノンちゃんは駆けていって……代わりにトモが戻ってきた。
「あんたのこと気になったから全開で倒してきた!」
トモしゅごい。
「だいじょぶ? 泣いてたっぽいけど、もう吹っ切れた?」
「まだー! トモに泣く分のこしてたー!」
「めんどくさっ。ええい、約束だ! あたしの胸で泣くといい!」
トモしゃまーと抱きついてぐしぐし泣く。
私を面倒がらずに慰めてくれたトモには感謝してもしたりない。
そう言ったら「学食でパフェをおごりたまへ。それがお代じゃ」と言うので、ならばいっそと学食へ。
トモに捧げるべくパフェをいくつも頼んでやりました。
「ハル……あんた、どんだけ慰められたいねん」
「今日寝る時はトモのそばがいい」
「めんどくさっ。あんたそんな調子で明日あたしと戦えるのー?」
「燃え尽き症候群ー」
「ああもう……しょうがないな、元気出すまで付き合ってあげますよ!」
とか言いつつもパフェをたいらげて甘えさせてくれたトモにはもっとちゃんと精神的にお返しするためにもまずは明日、全力で戦うとして。
刀鍛冶さんに遠慮してもらってお泊まりするトモのお部屋で、横になった私は幾分すっきりした頭で考えたの。
今日は失恋日和だった。
振って、振られて。
さんざん泣いて……ひょっとしたら泣かせたかもしれない、そんな一日。
でも、だから……はっきりと認識するの。
残った一つの運命を。
選んだ一つの運命を。
恋愛経験が高校に入って増えた私ですが。
それに対してどう向き合うべきかは正直……まだわかりません。
どうしたらいいのか悩むの。
なにげに時期が早すぎたらどうのとか、人によって色々と作法があるらしいです。
でも、カナタはさんざん私に待たされているし、しかもその上で今も待ってもらっている最中なので。
ちゃんと答えを伝えなきゃいけないと思うのです。
試合が終わって抱き締められた時に痛いくらい感じたから、もう……答えは出てる。
じゃあもう、伝えるしかないじゃない。
一念発起して身体を起こして、布団を畳んで部屋を出ました。
隣にある自室の鍵を開けようとしたら、開けっ放しだったの。
そっと扉を開けたら、カナタがソファに腰掛けて寝てた。
本当に寝る場所に頓着しないなあ。
彼の前に座ってじっと顔を見つめてみる。
端正な顔立ちだ。女装させたら美人さんになることが約束された顔。
いつもは世界のすべてと戦っている、みたいな顔をしているのに……今日はなんだか吹っ切れたような顔をしてた。
それが少し許せないというか、悔しくて手を握って揺さぶる。
まだ私はあなたに何も答えてないぞー?
「う、んん……ん? なんだ、戻ってきたのか」
「なにそれ」
起きがけに気の乗らない声とか、ちょっとないんじゃない?
「部屋に来ないから……そういうことかと思っていた。明日には荷物をまとめないと、と」
「なのに寝てたの?」
「驚いたことに……気が進まなくてな」
私の手を握るべきか否か悩んで、視線を落としている。
「そのわりには吹っ切れた顔をしてましたけど」
「……結末がわかれば、心構えもできる」
「どんな結末?」
「よくはない」
なんだかだんだんむかむかしてきた。
「振られるんだろう?」
かちんときたよ。
「カナタって頭よさげなのにばかだよね」
「……なんだと?」
「私の刀鍛冶だからある意味お似合いだけど。ばかだよ。すごいばか」
「罵倒されるいわれはな――」
「あるよ! ~~っ!」
立ち上がって、怒鳴りそうな気持ちを一度ぐっと飲み込んだ。
だめだ、怒りに任せて言うとかないよ。
ここまで追い込んだのは私なんだもん。
落ち着け。落ち着くの。なんだっけ。数字のことを考えればいいんだっけ?
だめだ。さんざん泣いてきっとひどい顔を晒していて。
泣き疲れてじんじんする頭じゃ全然うまく考えられなくて。
と、とにかく!
「カナタは……勘違いしてるよ」
「なにをだ」
いぶかしむカナタの手を握る。
どきどきする手。私を引っ張ってくれた手。
負けそうな私を励ましてくれた……優しい手を、
「な――」
私の胸に当てる。ベタだけど。でも、だから伝わるはず。
「どきどきしてるでしょ?」
「や、柔らかさにそれどころでは」
あれえ!?
「コホン! ……ああ、しているな」
……うん?
「心拍数の増大が感じられる。俺もそうだから、正直どちらの鼓動なのか、よくわからないが」
視線をあちこちにさ迷わせてどぎまぎしているカナタはかなりのレアで。
「なるほど。確かに君は緊張しているようだ」
「なんか今の流れ納得いかないけど……ま、まあいいや」
それはいずれ然るべき時に追求するとして。
「振ったりしないよ」
「ハル……」
カナタがそうしてくれたように、私もちゃんとはっきり言わなきゃ。
深呼吸してから、言うの。
「選んだよ。この手を選んだの」
カナタの手には妙な力が入っていて、私に触れるべきかどうかをためらっている。
事実として私から押しつけているんだからそんなに気にしなくていいと思うのに。
でも……そういうところもいいなあと思ってしまうの。
「待ってくれて、助けてくれて……でも一番は。カナタがいいなって、純粋にそう思えること」
だってさ。
「見えたの。ギンに負けそうになった瞬間、カナタが呼びかけてくれた時に……自分の気持ちが見えたの」
「ハル……」
「カナタ……好きだよ」
その手を持ち上げて、顔に引き寄せる。
彼の手のひらにそっと唇を当てた。カナタなら……私みたいな知識をもつカナタなら。
それが何を意味するかは伝わると思って。
「いかないで」
懇願の口づけに重ねてお願いするの。
「そばにいて」
手首に、続けて腕に口づけて……そこで固まる私。
う、うう……タマちゃあああん。
『なんじゃ、ガチ寝の十兵衞と違って妾は絶賛寝たふりをしてやっておるのに』
げ、げんかいだよう。はずかしくてむりなんですけど。これ以上は。
『なら妾が大人の階段をのぼらせようか?』
うう……もうちょっとがんばる。
『うむ、それがよい。ここでどこまで何をどうするのかが、後の関係を決めるのじゃぞ。励め励め』
深呼吸してから、視線をカナタに向けた。
どきどきした顔で私を見つめていたの。
処理能力限界間近って顔に書いてある。
私もおんなじような顔をしているに違いないよ。
こういう時って頭ばかにならない? 私はなります。
ただでさえばかなのに、今日はもっとばかになってる。
けど……ええい! 言っちゃえ。
「待たせたお詫び。好きなとこにキスして」
悪魔を呼び出せたら言うんだと決めていた中学時代の精一杯の妄想シチュ。
取り出した出展元はあれだけど、でも。今ならちょうどいいと思って。
カナタにとってそれが褒美になれば、と呟いたの。
そしたら「褒美にはなる、なるが参ったな……」と困った顔をされました。
「胸、と……腰と、腿」
たくさんか。
「耳も外せないし」
まだあるの?
「何より最初に」
そう言って私の顔を両手で包んだカナタが――……甘いキスをくれた。
唇に感じる柔らかさは永遠のもの。
……本当は一瞬で離れたんですけどね。
「唇だ」
足りない。ぜんぜん。
物欲しげな顔になっているに違いなくて。
なのに間近すぎてカナタにはそれが全然伝わらなくて。
「一回だけ?」
頭の悪いおねだりをしてしまいました。
すぐに塞がれましたよ。結構どころかびっくりするくらい積極的なの。
耳にキスをしてくる合間にパジャマの裾を捲られるの。
でも耳元に触れる柔らかさとカナタの吐息でくらくらして、ぞくぞくして。抵抗できなくて。
露わになった胸元にキスをするの。
啄むような強いキスで……痕をつけて。腰にも一つ……二つ。
どんな声が出たのかもわからない。
ただひたすらにどうにかなりそうで。身体がまるごと心臓になったみたいで。
なのにカナタは止まらないの。
トモに貸してもらったショーパンでは隠せない腿にキスをされて。
くらくらするような刺激に人生で感じたことのない興奮を覚えたの。
こ、こここ、これは! これはもしかしてもしかするとー!
って頭の中で叫ぶ私。
ところがどっこい、カナタは私を一度軽く抱き締めてすぐに離すの。
あれ?
立ち上がって背中を向けて、そのままユニットバスに入って鍵をかけられました。
……なぜに?
「か、カナタ? え、なに? なにかまずかった? 変なことしちゃった?」
あわてまくる私にすぐ返事がくる。
「いや、お前は何も悪くない。強いて言うなら愛しすぎるのが問題なんだが」
何かすごいことを言われている。
「とにかく! 大事にしたいから今はまだこれ以上はしない! その意思表示だ!」
えええ。
「胸に腰に腿にまでキスしたんだよ? ここまでしておいて急にそれ?」
「これ以上は自制がきかなくなりそうなんだ。お前は仲間の部屋に戻って寝るといい」
「はあ……」
え、待って。ここでお預けなの?
「大丈夫だ。お前のメッセージはすべて受け取った」
「そうですか」
それはよかったです、と間抜けに呟く私です。
「だから俺に構わず寝るといい。だが決して部屋に戻ってくるなよ、俺はこれから水風呂を浴びるからな。うるさくなるに違いない。君の安眠を妨げること請け合いだ」
「はあ」
めんどくさい自己防衛してるなあ、と思いつつ。
ちょっと変でおかしいから、笑ってしまうのです。
私のこと大事にしたいと思ってくれているのは伝わってくるし、それは嬉しいので。
……しょうがないなあ。
「水風呂は入らなくていいから、ゆっくり寝てね。私はトモの部屋にいって寝ます……おやすみ、カナタ」
扉越しにそう伝えて「おやすみ」という返事を耳にしたので部屋をそっと出るのでした。
トモの部屋に戻って目を閉じる。
今夜はとっても良い気持ちで寝れそうです。
ただ……問題なのは寝られれば、という話であって。そもそも!
横になってくるとじんじんするの。カナタがキスしてくれたところ、ぜんぶ!
ううううん!
「こ、興奮して寝られるかどうかわからないんですけど!」
やれやれじゃな、というタマちゃんの声が頭の中にしっかりと聞こえたのでした。
つづく。




