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その刀を下ろして、帯刀男子さま!  作者: 月見七春
第五十三章 帰ってきました、現代に!

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第六百話

 



 刑事の佐藤さんに手を回してもらうか、緋迎さんに助けてもらおうと内心で即座に決断を下して、あわてる美華と動揺している聖歌を片手で制する。

 それにしても警察が踏みこんでくるなんて妙だ。

 刀鍛冶とおぼしき隊員が歩みよってきて、遠慮なんて一切なしに頭に手を置かれた。伸びてくる。なにかが。


「確認完了」「こちらも」「済みました」

「よろしい」


 ヘルメットのバイザーを開けて、ひとりの男性が厳つい顔でこちらを睨んできた。

 緋迎さんじゃない。警視庁の侍隊だと思ったけど違うのか。渋谷警察署の侍隊? だとしても不思議は――……いいや、めちゃめちゃある。

 誰が通報した? 通報者はなぜここにいない? いないよな?


『転移したときに理華たち以外の人間は、すくなくともこのフロアには存在しないな』


 だよなあ。ほかに違和感は――……。


「考え事とは余裕だな?」


 ヘルメットをつけたままで顔を近づけてくる。

 ようく見えてくる。眉毛がエッジきいてるなあ。笑える。意味ないもんな。自意識が強いということしか見えてこないから。

 髪がある気配はない。あとは……殺意しか感じねえな。私が死にかけたときに追いつめてきたヤクザ屋さんたちと同じ目つきをしてる。


「隊長! 死体が――……この、死体が」

「なんだ」

「い、いきて――……生きています!」

「なに?」


 私の頭に手を置いた刀鍛冶に「押さえていろ」と命じて、侍の隊長さんがふり返った。つられて私も視線を向けようとする。刀鍛冶の手に力が入って圧迫してくるけれど、有無を言わさぬ調子ではない。むしろ、伝わってくる。見たいなら見ろ、と。

 違和感と興味から好奇心をくすぐられるけど、向ける先はいまはひとつ。

 視線を向けた。

 腸が飛び出た死体の頭が揺れている――……揺れている?


「刀鍛冶!」


 隊長さんが吠えた瞬間にはもう、侍隊が急いで撮影していて刀鍛冶たちが直ちに救助に入った。手に打たれた杭を剥がして地面に寝転ばせられた男の肌の色はどんどん悪くなっていく。

 けれど刀鍛冶たちは急いで血を浮かべ、それを彼の中へと戻していく。腸も。けれど、切り裂かれた肌を戻そうとしても無理。まるで接着剤に貼り付けられたかのように動かない。


「なにをやっている」


 足踏みしたり苛々を露骨に表現してもおかしくなさそうな隊長さんの問いかけに、刀鍛冶たちが一様に困惑していた。


「どうも、こうも」「動かないとしか」

「なんとかしろ」

「出血を一時的に抑えてはいますが、切り裂かれた腹部はまるでこうなるのが自然なように動く気配がなくて」

「なに?」


 どういうこと、と美華が囁いてくるけれど返事していい状況なのか? これ。


「お前たちがやったのか」


 いやいや。そこで隊長さんに振られても困る。まあここにいる状況下が不自然なのは当然だけど。突っ込みたくなるくらいおかしな存在なのも理解できるけどね。


「発言しても?」

「……署で詳しい話を」


 きく、とまで言いきりたかったんでしょぅけどね。

 ぶーって音がして扉が開いて、緋迎さんの凜とした声が響いた。


「そこまでだ。本件は本庁で扱う」


 露骨に舌打ちをした隊長さんが拳を握りしめた。けれど直ちにそれを背中に回して直立する。


「状況を報告します」


 怒りが露骨に声に滲んでいるけれど、職務には忠実。

 私たち三名と被害者の扱いを預かった緋迎さんが陣頭指揮を執り始める。

 そして私たちに手を差し伸べるよう言うのだ。それぞれと握手した緋迎さんは「彼女たちは帰していい。念のため事情を聞いておいて」と伝えて終わり。隊長さんが「それは! 彼女たちは関係者ないし第一発見者で!」と怒鳴るように口を挟むけれど、緋迎さんのひとにらみで決着は瞬時についた。

 当たり前のように私たちは本庁の柊さんという侍に預けられ、その場をただちに撤収させられることに。

 妙なのは、外で待機しているパトカーに運ばれる流れになったときに、私の頭に触れた刀鍛冶の人が柊さんに、


「お忙しいでしょうから、彼女たちは私が下まで送ります」


 刀鍛冶は物怖じせずに言うのだ。思ったよりも可愛らしい声だった。


「あなた、名前は?」

「並木イリ巡査です」

「そう……お願い! そこのあなたとあなたも」

「は! 行きましょうか」


 それじゃあついてきて、と私たちを連れていく。美華と聖歌の頭に触れた刀鍛冶も連れてだ。

 お姉さんの背中を見ながら頭の中で浮かんだ問いを、エレベーターに入った直後に口にした。


「もしかして並木巡査ってうちの生徒会長の関係者です?」

「正確に言えばイトコ。コナの父の兄家族の娘」

「ああ……」


 だからって――……。


「母校の後輩だってすぐにわかった。イトコから指輪を手にした面白い女の子の話は伝え聞いていたからね」

「――……優しくしてくれた理由がそれだけとは思えないんですが。だって、あまりにも都合がいい」

「そうでもない。だって警察の侍業界って、なるためのルートが極端に少ないんだもの」


 背中越しにイリさんは笑う。そばにいるふたりも、ヘルメットのバイザーを開けた。

 ふり返って拳銃でも突きつけられる?

 それとも、偶然だらけの奇跡の出会いにぎょっとするオチがつく?


「ああ、いいから。落ちついて?」


 並木イリを名乗る人が手を掲げて指を鳴らす。姿が変わるんだ。一瞬で。

 背丈すら縮んで、警察の衣装さえ溶けてドレス姿へ。

 ふり返った彼女は、


「おかえりなさい、美華。あなたたちもね?」


 疑う余地すらなく、明坂ミコその人だった。


 ◆


 ちなみにイリさんは普通に実在していて、隣にいた刀鍛冶がまさにイリさんで、しかもミコさんの仲間だという。警察の侍隊に仲間がいるっていう事実は、明坂ミコの人脈の広さを遠回しに物語っていそうだけど、それは私にあれこれ言えた義理もねえな。

 指を鳴らして化けてみせると、ミコさんは並木さんともうひとり、それに私たちを連れてパトカーへ。乗るなりすぐに切り出してきた。


「今夜は妙なことが多発してる。すぐにほかの警察官が来るだろうから、あなたたちは素直に帰りなさい」

「えええ。せっかく飛んできたのに」

「厄介な“王の魔力”を感じたから仕事中なのに分身をあてがって私も混ざってきたの。悪いことは言わない。早く帰りなさい」

「そういわずに!」

「だめ」

「なにが起きているかくらい教えてくれても――……」

「明日のニュースでわかるから」


 きびしく言うなり扉を開けて出ていってしまった。

 並木さんともうひとりの刀鍛冶になにかを言いつけて、彼女は化けたままの姿でビルへと戻っていく。

 ずるっっっっっ! あんな介入の仕方が許されるならさあ!


『よせ。いまの理華では彼女に勝ち目はない。きつくお灸を据えられるのがオチだ』


 ふん! それくらい――……わかってますけど!


「さっきの人、だいじょぶかな……」

「どうでしょうかね。それよりも、美華。さっきからずっと静かですけど、どうしました?」


 横を見て、美華を挟んで聖歌と思わず口を開けた。


「あれ、美華……気絶してるね?」

「おいおい……憧れのお姉さまとの邂逅が嬉しすぎたのか? おしっこ漏らしてないだろうな?」


 呆れるけど、非日常はあっさりと終了になりそう。

 刺激的な光景はただの高校生じゃ関係をもてないもの。

 侍にでもならなきゃだめなのか?


『明坂ミコがいなければな』


 いやいや。さすがにそうはいかないだろ。

 あれくらいの存在になるためには人脈も大事そうだな。明坂ミコの人脈ってどこまで広がっているんだ? それこそ政治家に知りあいが大勢いても不思議はなさそうなレベルなのか?

 明坂は女の園。だけど彼女は恋をしなかったのだろうか。子供を作ったこともないのだろうか。謎は多い。というか、彼女に関しては謎しかない。

 だからこそ、たぎる。燃えて、萌えて、興奮してどうにかなりそうになる!

 ああああああ! やばい! テンション上がってきた!

 感性の泉に身を投げて潜り込む。息はしない。素潜りのように落ちていく。そうして自分を研ぎ澄まして、底から浮かんでくる泡たちの発生源へと手を伸ばそうとした。

 けれど、


「事情を聞かせてもらえる?」


 並木さんの声に不安を覚えた聖歌によって手を握られて引き上げられる。

 ひとしきり話してお終い。おとがめもなし。心を繋げられる刀鍛冶による感覚共有の威力というよりも、侍隊主導で事態解決に当たっているこの状況こそが私たちへの追求を緩めているに違いない。

 それって――……やっぱり妙だ。殺人なのか、それとも傷害なのか。あるいは侍たちのような力を持った誰かによる犯罪なのか。管轄が見えないし、仮に殺人か傷害なら侍隊の出番ではないと思う。なのに初手で侍隊が来たのはなぜ? 集まっている警官はざっと見、侍隊だらけなのはどうして? 手が足りないせい?

 なにもわかんねえの! ああやだやだ。こういう状況だいきらい。パトカーで事情を聞かれてお終いっていう程度の扱いでしかないのも大いに不満。むしろ署に連行して調書を取るくらいしてくれてしかるべきじゃね?

 超法規的処置なんてのは滅多なことがあっても取るべきじゃないよね。だとしたら、それくらい奇妙なことが起きているとか? さっぱりわかんねえ! ああもう!

 事情を聞いた並木さんたちに連絡先を伝えたら、やってきた警官が渋谷警察署に送ってくれることになったの。

 運転してくれた警察官に促されて外へ。

 まるでお約束のように佐藤さんが腕を組んで立っていた。


「よう。今日はあがりなんだ。事情を聞いたら帰してもいいと上からのお達しだ。話を聞いたら送っていくぜ?」


 目はブチギレ。なのに笑顔。ああやばい。でもまあ。


「帰りの足はゲットしましたよ」

「「 はあ…… 」」

「でも残念ながら、夜のお散歩はこれで終わりです」

「「 ああ…… 」」


 露骨にがっかりしないでくださいよ。私だってがっかりなんですから!

 それにしても……佐藤さんがあがり? やっぱりこれって変じゃね? あああああ! 誰か答えてくれませんかね!


 ◆


 簡単な事情説明をして佐藤さんの古びたポンコツカーで送ってもらう。乗り心地は正直よくない。春で助かった。夏は暑くて冬は寒い車だ、これ。

 美華はなんだかんだでお姉さまに会えて満足してるし、聖歌は間をキープして私と美華の腕を抱いて口を開けてガチで寝ていた。


「にしても妙な連中が出てきやがった。青澄春灯に続いてお前までもそっち側とはな」

「なんですか、そっち側って」

「オカルト側ってこった」

「いけません?」

「……気持ちはよくねえなあ。侍や刀鍛冶なんてのは、旧時代の遺物というか、なにやってんおかわからない警察のお荷物だった。長年な?」

「普通の人には行けないし見えない世界の治安維持活動って言われてもってことです?」

「まさしくそれだ。住良木がどうたらこうたら、見えるようになったって言われても……バーチャルなんたらって奴じゃねえのか?」


 佐藤さんの指摘に肩を竦めた。

 知覚できないものを人は信じることができない。考えるべきでもないかもしれないし、むしろ信じるべきではないのかもしれない。そういう価値観のほうが一般的ではないだろうか。

 扉の外で聞こえる物音にいちいち怯えなければならない?

 ひそひそ声のすべてが自分を嘲笑しているかもしれないと考えていたら、ムンクの叫ぶみたいに気を病みそうだ。

 ネットにあふれる声を確かめて自分を指摘するものだと考え始めたら、一瞬で頭がおかしくなるような量の情報が氾濫してる。まあ理華たち世代からしてみたらそれが当たり前なんですけども。エゴサせずにはいられず、それをするのが自分を追いつめるためなら人は簡単におかしくなると思う。それくらい、見えない、知覚できないイイねに気分は左右されやすい。

 それで心を病んじゃう人とか傷つく人も大勢いるけれど、批判したりバッシングする人はむしろ気にせず情報を発信しまくってる気がする。いやなら見なけりゃいいと発信する側にとって都合のいい正論を口にして。

 愛情だってそうだよね。形に示してもらわなきゃ知覚できない人もいるだろう。感じ取れなくなって、感じさせてくれる人と一夜限りないし割りきった恋愛関係をもって、家庭にばれないように刺激を通じて愛情を確かめずにはいられなくなっちゃう人も大勢いる。

 そういう観点で言えば、目に見えないなにかが存在していて、しかもそれに自分は影響を受けずにはいられないという感覚は実はとても気持ちの悪いものだ。防御しようがない。だから人はいろんなことを具体的に、かつ明瞭にして、心を守って生きていく。個人差はあるし、守り方にもいろんなやり方があるけれどね。


「なんか現実が妙なもんに浸っていく感覚が、俺みたいなオッサンにはきついよ。正直な」

「そんなこと言って、ある日とつぜん襲いかかってきたりしないでくださいよ?」

「しねえよ、アホか。世の中の全員がいちいちそんなことしてみろ? 一瞬で世界がどうにかなっちまうよ……逆に言えば、自分の世界の外に出てみりゃあ、案外たいしたことないって知ってりゃあ、参ったりしないもんだ」


 いちいち真理をついてくるなあ。そういうところが佐藤さんの憎めないところだ。


「ったく。煙草も吸えねえのに、なに俺は説教してんのかね。オッサンかな」

「オッサンですねえ。吸えばいいのに」

「あほか!」


 フロントミラー越しに佐藤さんは私を睨んで言うのだ。


「ガキ三人うしろに乗っけて、いい大人が煙草なんか吸えるか」


 渋くていけてるオヤジの肩身の狭さにめげないマナーが、私は地味に好きかもしれない。

 彼は紳士だ。だから嫌いになれないのだ。


「長生きしてくださいね? ずっと佐藤さんに面倒みてもらいたいんで」

「馬鹿野郎、縁起でもないこと言うんじゃねえ」


 あれま。振られちゃいました。残念! あ、でも理華は小悪魔なので振られたほうがいいんですかね? 答えはわからないですけど!


 ◆


 美華とふたりで聖歌を起こして、佐藤さんにお礼を言って寮部屋へ。

 寮管さんには既に連絡がいっていて、やんわりと外出禁止を匂わせた警告を受けつつ部屋へ。

 テレビをつけても報道なし。ネットを見ても騒ぎなし。パトカー見たっていう知らせはあっても、それくらい。逆に無気味になってきた。なにが起きてるんだ? いったい。

 その答えは三人で寝て起きた朝に判明したよ。

 たしかに明坂ミコさんの言うとおりだった。


『――……繰り返します。昨夜未明、都内で大勢の人たちが何者かによって傷つけられ、病院に搬送された模様です。詳しい情報は入っておりませんので、続報が入り次第お知らせいたします。それでは次、今日のお天気のコーナーです!』

『はい! 今朝は――……』


 キレイめな衣装に身を包んだお天気キャスターに映像が切りかわるので、チャンネルを切りかえる。どこもしれっとさらっと伝えるだけ。逆に言えばそれくらいの情報しか与えられていないということ?

 どこも言及してないなんて、そんなことある?

 ネットを見ても、たいして話題になってない。それってどういうことだ?

 奇妙な気持ち悪さを覚えていたら、星座占いコーナーの映像が突然切りかわった。

 報道センターが映される。緊迫したキャスターが、まるで世間に死刑宣告をするかのような顔でニュースを告げた。


『緊急速報です。人気アイドルグループ明坂29の歌手である明坂ミコさんが、先ほど都内ビル屋上にて重傷を負った状態で見つかったとのことです。繰り返します――……』

「え――……」


 美華が顔面蒼白になってすぐにスマホが鳴った。美華のスマホだ。

 わけもわからずに取って、美華が通話状態に切りかえる。スピーカーから聞こえたのは女の人の、


『美華。よく聞いて? お姉さまが攻撃を受けた。いますぐ病院へ来れる?』


 切迫した声で告げられた冷たい事実だった。

 美華の手からスマホが落ちる。完全に固まっている。事実を理解することを必死に拒絶して自分を守っているかのように。

 すぐにスマホを取って、耳に当てた。


「もしもし、すみません。美華のクラスメイトの立沢理華です。事情はある程度把握しています。明坂ミコさんは無事なんですか?」

『――……』


 判断を躊躇う空気を感じたからこそ、


「理華たちはミコさんに何度も助けていただきました。彼女の“翼”についても美華の“契約”についても理解しています」


 少ないワードで事情を共有していることを示してたたみかける。


「美華は正直ひとりで行動できないほどショックを受けています。理華たちが連れていきますから、教えてください。病院がどこか。そして明坂ミコの状態がどんなか。どうですか?」


 促してみせたら、悩みに喘ぐような息づかいのあとで、電話の向こう側の相手は決意した。


『無事とはいえない。お姉さまは無敵だとしても――……血を失ってしまうと生きていけない』


 よほどの状態だと察したし、頭の中で結びついてしまう。

 流れる血。失ってしまう状況。昨夜の彼女の行動と、私たちが目にした惨劇、男の人のお腹。出血――……失血。

 現代に戻ってきて、明るくのんびり日常系というわけにはいかないようだ。どうやら。

 あなたはどっちがよかったですか?

 理華的にはこういう路線もありですが、できればそれは理華たちに関係のないところで起きて欲しいもんですね。それってあまりにも現実的すぎ?

 しょうがない。これが現実なのだから。

 電話口の相手から向かうべき病院について教えてもらって、聖歌が励ます美華を眺めて惑う。

 さてと。どうやって介入しましょうかね。


 ◆


 佐藤さん、と新米刑事に呼びかけられてコーヒー缶をゴミ箱へ放る。


「迷子なんですが、妙なんで連れてきてもらいました」

「妙って……ざっくり言うな。報告はまめにやれよ、石原」

「すみません、ほかに言いようがなくて……」


 弱った顔で後輩が横にどく。まるで戦争状態のような賑やかさの渋谷警察署で、後輩が連れてきた妙な迷子を目にして――……血の気が引いた。

 ぶかぶかのワイシャツを着た、男とも女ともつかない子供。年の頃は十五か十六か。華奢すぎるから骨格から性別の判断がついてもよさそうなものなのに、わからない。

 それよりもっと奇妙なのは、迷子の顔だ。

 整ってはいる。整いすぎているといってもいい。作り物にしか見えない造形が奇妙でならないほどに。

 瞳が怖い。何も捉えていない。立沢のような好奇心しか瞳に浮かべる気はない少女とは違う。何の感情も見いだせない。

 見れば裸足で皮が裂けて血が滲んでいる。けれど歩いても顔に痛みを浮かべることはない。顔に一切の反応が見えないのだ。

 刺激に対する反応が一切ないのが無気味だった。


「しゃべりかけてもだめ。視線も動かない。身体に暴行の後はないんですが、触れるのをやたら嫌がって。男でも女でもだめ」

「――……どっちなんだ?」

「どっちって、なにがですか?」

「男? 女?」

「……いちおう、女みたいですけど」

「ジャケット羽織らせろよ」

「それが、かけると暴れるんですよ。やっと着せられたのは、その白いワイシャツだけ」

「……ああ?」


 さっぱり意味がわからない。

 異常者か? この日本で、十五、六歳で? たまに世の中のクソを集めたような惨たらしい罪を犯す奴もいるし、ヤンチャ盛りのガキもいるけれど、目にした迷子はどのタイプにも当てはまらない気がした。それがなによりも無気味だった。


「どういう経緯だ」


 気づいたら椅子から立ち上がっていた。

 なにか、勘のようなものが訴えていた。逃げた方がいいと。理性は勘をなだめる。ここで逃げる理由がないと。それでも、身構えずにはいられなくて。長年の付きあいである同僚や課長たちが揃ってこちらの様子に気づいて、作業や対話、電話さえやめて黙り込む。

 気づいてないのはボンクラの新米だけだ。


「えーっと。渋谷の街中を歩いてたんすよ。全裸で。誰が声を掛けても、まるで耳が聞こえないかのように無反応。駅から一直線で交番へ。そこで交番の警官に、人を開いたって連呼しまくっていて。出勤時にちょうど出くわして気になったから引き取ってきたんですけど――……」


 だらだらとしゃべる新米の横を通り抜けた迷子の少女がこちらに右手を伸ばしてきた。

 総毛だつ。なにかはわからないが叫ぶ。


「逃げろ!」


 あまりに遅すぎた。


「ひらけ、ごま」


 およそ十代の子は知らないであろう幼い子供に読み聞かせる物語の呪文を彼女が唱えた瞬間に、腹部に激痛が走る。

 裂けた。肉が広がる。腸がこぼれていく。わけもわからずに両腕で腹を守ろうとするけれど、なんの意味もなさない。

 阿鼻叫喚となる警察署の床に倒れ込みながら、思わずにはいられなかった。

 ほらな。


「だから……縁起でも、ねえって――……」


 あまりの激痛に意識が急速に遠のいていく。

 少女を見た。オヤジの血を浴びて、初めて――……笑った。

 けれどもはや、彼女を止める力は残されてはいなかった。




 つづく!

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