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その刀を下ろして、帯刀男子さま!  作者: 月見七春
第五十二章 青く澄んだ春の灯りのように

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第五百九十五話

 



 駆け出して迷わず刀を振るう。けれどタカユキくんは軽々と赤いグローブで受け止めた。


「そういや名前聞いてなかったよな。俺はタカユキ、そっちは?」

「青澄春灯!」


 タマちゃんの刀をそのままに十兵衞の刀を抜き放つ。けれどぴょんと飛んで、私の上を通り抜けるようにして私の背後へ。ど、ど、ど、どうやったの!? ギンとはまた違う曲芸ぶりなのですが!


「そんじゃあ春灯ちゃん、お触りオーケー?」

「「「 えっちなのは不許可! 」」」

「うちの嫁がだめそうだ。春灯ちゃんも彼氏いるよね? こっちをめっちゃ睨んでるイケメンがいるし」


 おう。たしかにカナタがこっちをしょっぱい顔して睨んでる!

 ちなみに理華ちゃんはマイペースにメイドのお姉さんとふたりできゃっきゃと盛り上がっている。なぜだろう。ほっといちゃいけない気配を感じるのは私だけ?

 でもでもタカユキくんがせっかく手合わせしてくれているから、いまはこっちに集中しないと。


「うちの彼氏がすみません」

「いやいや。そんじゃあ……手加減なしでいくよ、そら!」


 背中に拳を当てられた、と思った次の瞬間、私の身体が空へと打ち上げられていた。

 砲弾のように。痛みはない。ただ風がひたすら冷たい。


『気を当てるか。体勢を戻せるか? すぐに来るぞ』


 十兵衞の声に頷く余裕もないし、口から空気が入ってきてほっぺたがぶるぶるするし。

 それでも霊子を放って必死に体勢を立て直す。十兵衞の刀を収めて、すぐにタマちゃんの刀を構えた。眼下を見おろすと、特別体育館から飛んでくるの。

 タカユキくんが。緑と白のしましまな大剣を手にして。

 ひゅんひゅんと回転させながら、こちらを斬る気まんまんだ。

 なのにどうしてか、死線が見えない。なんで。どうして。


『殺意がない。あの男はこちらを殺す気など欠片もない』


 十兵衞が楽しそうに言うけれど、それってずっとピンチなのでは!?

 だってだって、それじゃあ攻撃の予想ができないじゃない!


『普通はできん』


 楽しそうに言って! 人ごとじゃないんだから!


『江戸で何を学んだ』


 わかってますよ!

 自由落下じゃもったいない。金色を集めて蹴り飛ばして、地面へ――……タカユキくん目指して加速する。

 思いきり振り下ろした。がちんと当たる。手首が正直泣くほど痛いけど、タカユキくんは笑顔のまま、加速の勢いを生かして私と上下を変えて、私のお腹に手を当てる。大剣が消えていた。赤いグローブに包まれた右手でそっと押された。

 やばい!

 そう思ったときには、またしても急加速。地面へ一直線で落下していく。

 予想していたから、全力で金色を放って減速する。それでも加速を止めるには足りなさそう。だから身体を捻って回って足から落下するように体勢を立て直した。

 私の視線の横に、何かが伸びていく。タカユキくんから放たれた金属の錨が私を通り抜けて地面へ。ぐいっと引っぱられて、タカユキくんが迫ってきた。

 自由自在。奔放に移動する彼の縦横無尽っぷりに付き合ったら、あっという間に負けちゃいそうだ。

 胸を貸してもらって、私は自分の力と対峙したい。なのに一瞬で終わっちゃしょうがない。

 金属の鎖が消える。こちらへと落下するタカユキくんが弓を手にしていた。

 気づいたら構えていた。にやりと笑って、タカユキくんが弦を引く。矢はなかった。なのに光が収束して矢へと変わって、私へと降り注いでくる。

 ぞっとしたし、見惚れもした。一切の死線が見えず、けれど彼は全力で攻撃している。通じて彼の世界が見えた気もしたの。

 私たちの世界よりも、きっと優しい世界だ。そうであってくれという私の願いを見ているだけかもしれないけれど。別にいいや。


「春灯!」

「エンジェぅ!」


 カナタとツバキちゃんに呼ばれて、気づいたら右手を掲げていた。

 金色が噴き出て私を覆う膜を作る。

 矢が膜に弾かれて飛んでいく。花火のように弾けて、ど派手。タカユキくんたちの仲間が一斉に歓声をあげた。盛り上がる人もたくさん。

 けれど乗っていられない。彼が弓を消して大剣を手にして落下してくるんだから。

 こっちも立ち向かって――……その先になにがあるのか。


「ショーの幕開けだ!」


 彼が大声で叫んだ。尻尾を通じてびびびとくるの。理華ちゃんと姫ちゃんが反応してる。楽しいことが見れるんじゃないかっていう期待を確かに感じる。

 タカユキくんの仲間に囲まれて、ふたりの子供がきらきらした目でこちらを見ている。

 その瞬間、頭にがちんとスイッチが入った。

 金色を弾けさせて手を伸ばす。尻尾は弾けて一瞬にして大神狐モードへ。

 溢れる霊子のまま、人の身では受け止められない勇者の剣を神となって受け止める。

 それだけじゃもったいない。掴んだ瞬間に金色を弾けさせた。まるで大剣と私の力のぶつかりあいが凄まじいかのように――……魅せる。


「いいね!」

「そっちも!」


 言葉少なに語り合い、大剣を遠くへと放るけれど――……空中で何回転も捻りを加えてタカユキくんが地面を滑って減速するの。スーパーヒーローの構えで。

 ぞくぞくした。子供たちが手を叩いてはしゃぐ。「パパ!」と呼んで嬉しそう。

 彼の戦いの質は、私が目にしてきた誰とも違う。たまらなくあがる! 彼は勇者だ! みんなに希望を与える戦いをしてる人だ! 生きるだ殺すだ、そういうフィールドですらない!

 希望に繋げる戦いをする。みんながこの戦いの先に、きっと素敵なことが待っていると思えるような――……そんなやり方があるなんて、想像さえしたことなかった。

 勝ち負けがあって、敗者になるのは恥ずかしくてみっともなくて、ときにはけがしたり、最悪の場合は殺されちゃうかもしれない。それが戦いの基本だと思っていた。

 けど違うんだ。彼のフィールドはそんなのもうとっくに飛び越して、子供に見せられるショーに変えてるんだ。

 すごいなあ! すごい! そんなやり方がありなら、私だってもっとたくさんできるはずだ!

 私のほうが――……囚われていた。暴力に。

 なんだか思いだしちゃうなあ。はじめの一歩。私がベストバウトだと思っている、死神と龍の対決。

 暴力を道具にするのか。それとも――……競技の技に変えるのか。悪意か。それとも、その先か。

 どんな風にもなれる。きっと。


「いい顔してるね! そんじゃまあ――……もうちょいあげていきますよ!」


 すうう、と息を吸いこんだ彼が狼の遠吠えを放つ。

 その瞬間だった。黒いモヤが浮かび上がって彼の身体を覆っていくの。

 黒い狼の鎧。なのに不思議とまがまがしさはない。


「パパーっ!」

「いけーっ!」


 子供たちの声援に片手で応える余裕もある。黒に包まれようと、彼の本質は決して変わらないんだ。


「コハナ! レギュレーションは!?」

「とうぜん、あくまでも我々の世界に則って。あなたが中心ですからね」

「ってことは――……春灯! 一発でも食らってみろ? 恥ずかしいことになっちゃうぞー!?」

「具体的にはダメージに応じて服が破けちゃいますので、あしからず」


 男子が揃って「おおおおお!」と歓声をあげて、カナタの顔が憤怒に染まる。言われなくても伝わるよ。ホイホイ乗っかるから、いつだって痛い目にあうんだって。

 おう、なんてこった! 脱ぐ気もなければ脱がせる気もないよ! ますます当たるわけにはいかなくなっちゃった。

 でもさ。なんでかな。あがってくるばかりだ。


「じゃあその鎧を引っぺがして、私がどや顔して終わりだね!」

「いいや、俺がタイを引っぺがしてもう無理って言わせて終わりだな!」


 刀と大剣が向かい合う。

 金色としましま。金と黒。なのに――……さっきまでと全然ちがう。

 悲壮感はない。生死もかかってない。いや、死にそうなくらいの恥はかかってるけど!

 でも、さっきまでよりずっといい。こんなのがいい――……なら、私はこれを選ぶ。どんな世界が関わってこようと、どんなひどい何かが私を襲ってこようと関係あるか!

 私はこれを選ぶ!

 歌があって、戦う技を磨いて、強くなって――……でもそれは、誰かの命を奪ったり、傷つけたり、否定するためじゃなくて。

 楽しく生きたい。それだけのため。それでいいよ。いいんだ。

 だって、最高だもん!


「負けないよ!」

「おうとも! 吹っ切れた面みてよかったねで負けちゃあ、子供にあわせる顔がねえからな! どんとこい!」


 胸を叩く狼さんへと全力で挑む。

 歌を歌うようになってから、初めてかもしれない。

 戦うのがこんなに楽しいだなんて!


 ◆


 春灯が異世界の勇者と戦っている。

 ここのところ塞いでいるところや鬱屈しているところをたくさん見てきたけれど、勇者と戦う彼女の顔は輝いていた。

 悔しい。春灯の恋人は俺なのに、俺には――……俺には無理だ。どう足掻いても、女性のパンツから力を引き出して戦うような真似はできない。


「ねえ、そこの人! 観戦するなら一緒にどう?」


 呼びかけてきた少女を見て戸惑う。ラビのようにウサミミを生やしたピンク色の髪の少女。どこか春灯に似ている。けれど膝に抱いている女の子の存在が強い。

 勇者と彼女の娘なのだろう。勇者は俺に、彼女は春灯に似ている。となれば膝に抱いた少女は――……いや、なにを考えているんだ。

 頭を振ってから、深呼吸。彼女の隣におとなしく腰掛ける。

 聞きたいことがやまほどある。


「パンツから力を取り出す男でも……きみたちは――……いや、これは失礼だな」

「あはは。いいよ、敵はみんなタカユキにツッコミいれるから。なぜにパンツ? って」

「……すまない」

「いいって。クルルだよ。それから――……ルナ、お兄ちゃんにご挨拶は?」


 膝上に抱いた女の子が俺を見て、ぶるぶると震えてクルルの背に隠れてしまった。

 コバトの相手をして子供の相手は慣れているつもりだったけど。素直に凹むな……。


「ルナ?」

「……ん」


 もじもじと照れくさそうに顔を半分だけだして、クルルの背中に抱きつきながら「ルナです」と自己紹介をしてくれた。可愛らしいといったらない。


「はじめまして、緋迎カナタです」


 微笑みかけると、はにかんでからお辞儀をして、そばで観戦している男の子の背に駆け寄っていく。男の子も、彼の世話を見ている綺麗な女性も勇者の応援に夢中だった。


「カナタはさ。魔法を信じる?」

「――……え、と」

「無理そうだね?」


 笑いながら彼女は人差し指をくるくると回した。

 ぱちぱちと指先から火花が散る。ひとつ下の代にいるユニス・スチュワートは魔女だ。彼女も魔法を使うが、しかしそれは隔離世に偏っている。現世でも使える魔法は少ないのだという。それほど現世の霊子は江戸時代に比べて枯渇していた。

 けれどクルルは指先を下に向けてから、ひょいっと掲げた。瞬間、小さな花火があがる。小さな彼女の顔くらいの花火。軽々と彼女は魔法を使っている。


「信じればなんでもできる。逆に言えば疑う気持ちが魔力を鈍らせる」


 彼女の言葉は不思議と心に響いた。痛かったし、自覚もした。俺の弱さは結局、自信のなさに帰結している。


「タカユキが相手をしている春灯も、きみも、私やタカユキと不思議な結びつきを感じるけれど――……それにしちゃあ、ないよね。俺最強、あたし超つええ、みたいな感覚」

「普通、ないだろ」

「そうかなあ。ルナも、クラリスさまの息子のレオも、自分の可能性は無限大だって信じてるよ」

「――……子供は、みんなそうじゃないか?」

「大人になったら捨てなきゃいけないの?」

「現実を知ったら……いやでも」

「ううん。ちがうよ」


 春灯と似て、けれど違う。現実もきっとやまほど知っているに違いない。

 それでも彼女は、子育てを通じて決めているんだ。


「可能性が狭まって見えるだけ。でも……いつだって何を選ぶかは自由。罪を犯す方向でなければいいけど、きみには心配いらなそう。あれ、みてよ」


 膝を抱えて、漆黒の軌跡を描いて大剣を振るう勇者を見つめる。


「現実が見えるほど、その叶え方が具体的に見えるから、無限大に思えなくなるだけ。いつだって輝く人は、その壁を普通に乗りこえる強さを持つか、壁に向かって突き進んじゃうばかなんじゃない?」

「ほ、ほかにもいるだろ」

「うん。だけどさ。きっと――……私とあなたが恋をしている人は、悩みながら、それでも壁に突き進んじゃう最高のおばかさんなんじゃないかな」

「それは――……」


 めまいがするし、腑に落ちた。

 タカユキについてはわからないが、すくなくとも春灯はそうだ。


「あなたは?」

「え……」

「カナタはどっちなの?」


 答えるべき問いだと気づいた。けれどそれは、答えられないと気づいてからだった。


「私はね-。愛のためなら突き進むかな。タカユキが突っ走るから、みんなも――……私も、隣にいるためには突っ走らないと。たまに先にいかないと、私の可愛いお尻のことをタカユキが忘れちゃうし」

「それは……問題だな」

「そうなの。カナタも可愛いお尻してるから、あそこの彼女にちゃんと見せてあげたら?」


 ぴっと指差す先で、刀をはじき飛ばされた春灯が見えた。けれどあいつは笑っている。ダメージなんて負うつもりなどないんだろう。にこっと笑って、


「黒さえ力にするよ!」


 吠えた。影が伸びる。春灯を包み込んで、黒髪へ。手のひらに集まる青い狐火を収束させて刀へと変えた。タカユキが突きつけた大剣を打ち払う。

 青い炎の軌跡。初めて見る。黒を迷わず振るえるあいつなんて、それこそ初めて見た。

 何かが変わっているんだ。光のような速さで進化している。

 いつだってそうだった。

 振り切れたらどこまでも突っ走る。青澄春灯はそんな奴だったじゃないか。

 忌むべきものだと捉えていたに違いない黒さえ力に変えている。まるでタカユキの黒からインスピレーションを受けたかのように。

 嫉妬せずにはいられないし、羨ましくてたまらないし。

 俺にだって何かできるはずなのに。


「俯かなきゃいけないの? もったいないんじゃない?」


 示される。


「なになになんか、なんて言わないでさ。強ければいいじゃん。かっこよければいいじゃん? あるいはさ……好きな子に伝わるように思いを届けられたらいいし。大事な子供に人生を示せる背中の持ち主になれたらいい」


 パンツを持ち替えてはあらゆる武器を取り出して、それこそ万能に戦える勇者。けれど彼の能力はむしろ、形に囚われずに――……俺のそばから愛情を向けて見守る兎の少女をはじめ、仲間たちのために生きている。

 俺にはできないと思った。大勢を前に、下着から力を取りだして勇者になるだなんて。無理だ。あり得ない。なりたいかでいえば断じてノーだ。けど、だからこそ思わずにはいられない。

 あの勇者に憧れる。生き様に。吹っ切れたすがすがしさに。

 嘲笑を浴びることも多いだろう。取り繕う俺よりも吹っ切れた彼だからこそ、露骨に。けれど彼はもはや、その次元で生きていない。もっとずっと先だ。俺の未来に彼は立っている。


「あなたはどうするの?」

「俺は――……」


 タカユキと同じようにしたいとは思わないけれど。

 でも、勇者になりたいと思った。そのためにできることはきっとずっと多くて、俺は恥ずかしいとかみっともないからやめようと思うばかりなんだ。

 俺の弱さはいまや明白だった。


「いいな、あいつ」

「うちの旦那、かっこいいでしょ?」

「――……ああ」


 胸を張る少女に、俺は素直に頷いたんだ。

 新たな技を天衣無縫に開発して挑む春灯と楽しそうに、舞い踊るように戦う勇者は――……俺が憧れずにはいられないくらい、たしかにかっこよかったから。


 ◆


 吹っ切れたもうひとりの私の御霊が膨らんでいく。

 どんどん力強くなっていく。青く澄んだ刀を掲げて笑う。

 黒かった私の淀んだすべてさえ引き抜いて、笑えるような戦いの力へと変えて、異世界の勇者と腕を競っている。眩しいばかりだった。

 眩しすぎるから、もう――……直視できないほど。

 大勢を集めて士道誠心の監視が緩まるたびに時の向こう側へと飛ばしていく。そして私の式神で代替とする。ユウジンはこちらの策に気づいているようだが、口出しはしてこない。ただ、彼は目で訴えている。もう二度と手間を掛けさせるな、と。どこの世界の彼もそうだ。私と距離を置く。そういう運命なのかもしれない。隣にいるもうひとりの少女も――……。

 とにかく“私”との約束は敗れない。意に反したら刀は朽ちる。それでは意味がない。もっとも最強の力をもっとも最悪の形で与えられた。彼女の御霊頼りとなったら、私はもう彼女のように青く澄んだ私にならずにはいられないのだ。

 春灯と勇者の戦いを見守っていたら、やっと緋迎シュウが来た。大勢の警察官を連れて。耳を澄ませるまでもない。侍隊が現世と隔離世どちらもくまなく包囲しているだろう。当然だ。


「クロリンネのきみ……はじめまして、でいいのかな?」

「ええ、もちろん」


 刀の柄頭に手のひらを置いて、霊子の糸で周囲を囲ってくる。一切の油断なく。

 当然の処置だ。士道誠心と星蘭の教師たちも最大限の注意を払っている。生徒たちは解決したと思って緩んだ空気で過ごしているけれど、いくらこちらが改心してみせようとも疑うべきだ。


「情報を伝える前にちょっと失礼――……時任姫、こちらへきなさい!」


 大声で呼びかけると、戦いを観戦している時任が気づいた。七原だけじゃなく、私にとってすら見慣れた仲間たちと一緒に恐る恐る近づいてきた。大人たちが彼らを庇う。構わない。

 これくらいの壁なんて私にとっては意味がないし、そもそももはや彼らに手出しする理由などない。むしろ春灯の御霊を通じて彼らの力を借りることになるのだから、彼らになにかがあっては困るのだ。それゆえに、伝えておかなければならないことがある。


「うちの教授が手を出した人は……すべからく惨たらしい結末を迎えた死人ばかり。なれど、死人を作ることを彼はしない。それ故に――……あなたの家族は無事」

「え――……」

「疑うなら、今夜のスマホに届く連絡を受けてからに。私からの伝言は以上」


 どういうことだよ、とスバルが吠える。ルイも、キサブロウもこちらの腹を探るように睨みつけてくる。気にしないけどね。


「聖歌の過去についての言及はしない。ほかの人も。気になるなら、姫の力を借りて時の旅に出るといい……」

「それって、つまり……クロリンネが関わったし、謝罪をする気もないと?」

「でなければ、この世界のあなたたちはここに来なかったからね」

「それ、どういう――……」


 理華に一瞥をくれてから、シュウに視線を向ける。


「私の世界からの介入はこれにてお終い。クロリンネについては責任を持つけれど、彼らがどんな選択を取るかは彼らの自由。クロリンネの教義についてはユラナスにでも聞いてちょうだい」

「まるでここから今すぐ消えるみたいな言いぐさだね?」


 そうはさせないと霊子の糸が私の身体をがんじがらめにする。

 私の心を覗こうと遠慮なく伸びてくるけれど、黒い狐火で一瞬で燃やしてしまう。


「くっ――……」

「乙女の心にたやすく触れられると思わないで? この世界の青澄春灯に誓って、私はもう二度とこの世界に悪さをしない。だから忠告だけしておく」


 刀に触れた。夢見る力が膨らんでいく。金と黒が混ざりあう陰陽。増せば増すほど霊力が膨らむ。抜き放って鍵へと変えた。多くの世界を渡って時任姫の能力の扱い方なら心得ているからね。問題ない。


「ここは私が苦心して作りあげた楽園のような世界。それ故に居心地もいいけれど、この時代の霊子がすくないのは――……私がいるから」

「なっ――……」

「私が消えて戻る霊子によって、あなたたちの世界がどのように変わるのか。願わくば、平和を保ってね? もうひとりの私が死んだら、私も困るから。それじゃ」

「待て!」


 手を伸ばされてもだめ。鍵を回して時を渡る。

 隠し島のアジトへ。クロリンネとして活動して久しい居場所へ。

 薄い布の向こう側に全員が勢揃いしていた。それもまた私の指示通り。


「ご指示を」


 私が戻ったことを悟って、声があがる。

 この世界の問題児たち。人が営みを築くために最低限必要なルールさえ守れない可哀想な子たち。ないし、人々のルールのために犠牲になった子もいる。彼らを放置したら世界が乱れるし、かといって彼らを単純に切り捨てても、同じような存在が生まれて、やはり先がない。

 だから抱き込んで、時代に刺激が必要なときには動いてもらってきた。すべては彼らが自分の願いを私に叶えてもらうため。神として君臨して、実際に叶えられることならなんでも叶えてきた。最初は小さな自助集団でしかなかったのに、気づけば秘密結社のようになって……ユラナスたちの教団にとって宿命の敵みたいになっていた。

 笑える。世界から追い出された私が、追い出された連中を導いて世界を混沌に陥れ、かと思えば春灯たちが集まって力をつけられるように介入したりもしてきた。


「エンジェルはいる?」

「はい――……」


 布の向こう側に彼を感じる。

 黒人の天使。英国の女王や魔女たちの信仰の中心に立つ御霊を宿した長命の少年。

 明坂ミコや私のように人を越えた男の子。そして――……表と裏を行き交うダブルスパイ。


「私は消える。あなたの監視対象はこれにてお役御免なの。消えたいなら逃がしてあげるけど、どうする?」

「自分で去ります」


 どよめきが広がる中、彼は光に包まれて一瞬にして消えた。

 アダムのそばにいてすこしは人間らしくなったかと思ったけど、そんなことはなかったか。

 まあいいや。


「さて、みんな。約束の時はきた――……待てる者は待ちなさい。ついてくる者は名乗りをあげなさい。私があなたたちを今よりも素敵な楽園へ導く」


 大勢が立ち上がる。けれど中核メンバーの半数は座ったまま。それもまた予想通り。


「残る者たちへ。どれほどの時が流れるかはわからない。あなたたちが仮初めであろうと指導者を欲するというのなら、用意がある」


 己の中に残っているお姉ちゃんの御霊から力を引き出す。

 目の前に鳥居を浮かべ、門を開いた。そうして――……彼女たちが顔を出す。


「あれあれ。ほんとに呼ばれたね! ずいぶん昔に言われたから本当に」

「いい神さまになったのに、悪の組織の長とか……悪くないな」


 春灯たち士道誠心を襲った邪の私とお姉ちゃん。

 あらゆる世界を渡って集めた存在を活用しない手はない。どうせすぐに天界や地獄にばれるだろう。この世界のお姉ちゃんあたりが明日には攻めてきたとして不思議はないけれど。

 自動的に彼女たちの出自がより明白になって、今後の備えにもなるだろうからいいや。どうせこれまでの取り調べじゃ、ろくに彼女たちのこともわかっていないだろうし。わかっていたのなら――……。


「それは認められないな?」


 すぐに来るわけだ。ふり返るまでもない。背後に青澄冬音が現われた。首筋に刀を当てられている。カナタから奪ってきたのか、それとも彼女が隠し持っている刀があるのか。どちらでも構わない。


「このまま逃げる気か?」

「現世の人を裁く権利はないはずだよね?」

「ちっ――……そこのふたりだけだな」


 えーせっかく来たのにと、ふたりの神がうんざりした顔をするがどうでもいい。


「じゃ、さっさと移動して。私はやり残しを解消して立ち去るから」

「お前……本当に改心したのか?」

「あなたの妹の刀に誓って」

「ふんっ――……錆びさせたり、折ったりしようものなら承知しないからな」

「意外。さっさと手放せって言われるものかと」

「そんなことになろうものなら、また来そうだからな……さっさと消えろ。なるべく我々の世界に後腐れないように」

「はいはい」


 首筋の刀を人差し指で押し返してから、布の向こう側に伝える。


「悩む諸君に告げる。願いが叶うないし、叶えられる力を手にした暁にはこの世界に戻す。約束を違えたことはないよ。さあ、どうする?」


 ゆっくりと、渋っていた連中も立ち上がっていく。

 そうして――……ひとりだけを残した。


「エリザ。きみはやっぱり残るんだね?」

「のんびりあなたを待つとしますよ。他の世界に興味はないからね」

「そっか……ほかのみんなは、これでいいのね?」


 同意の空気を感じる。カリスマ性がどうのこうのだなんて思わない。

 ただ彼らの居場所が私のそばにしかないというだけ。


「それじゃあ移動しよう」


 鍵を通じて穴を開く。ぞろぞろと穴の向こう側へ消えていく私たちを見送るのは、とっとと姉妹神を天界に戻した閻魔姫のみ。

 エリザも立ち去り、もはやふたりきり。


「挨拶していかなくてよかったのか?」

「これ以上は未練になるから。声援も願いも受けとったし、罪の清算をするにはまだまだ足りない。それに貢献もしてるし」

「――……ふん」


 気に入らないと刀に殺気をこめてくるけれど、悲しいかな。私に殺意は届かない。


「だから消えるよ、お姉ちゃん。さようなら、また会う日まで」

「二度と会う気はない。戻ってくるな」

「……冷たいねえ」

「違う。自分の居場所を取り戻してこいって言っているんだ……今度はしくじるなよ」


 笑っちゃった。

 殺意の向こう側に感じるかすかな愛情。

 不器用な人だ。どこにいっても彼女はそう。一緒くたに扱うことほど乱暴なこともないけれど。それでも感じる世界の繋がりがくすぐったくてしょうがない。


「もうひとりの私によろしく」

「金色を出せるようになるって約束するならな」

「わかってるよー」


 ぶすっとしながら言い返して、こんなやりとりを誰かとするのが久しぶりすぎて……やっぱりおかしい。でもすっきりした気持ちだ。青澄春灯の刀を握りしめて、彼女を見た。

 黒い私によく似た、地獄のお姫さまに伝えておこう。


「お姉ちゃんも、人に優しくね? あなたが地獄に転生したことに感謝を」

「待て、それはどういう――……」

「自分で調べて! じゃあね!」


 駆け出す。扉の向こうへ。

 たくさんの霊子が溢れてくる別の世界へ。

 次いで――……向こう側へ飛んだ瞬間に、私がここに留まるために吸い上げていた霊子を放出する。荒ぶる心を留めるため、保つため、そして私の蓄えたアーティファクトを稼働させるために貯蓄していた霊子の枷を解き放つ。

 またね。今度はあなたたちを助けられる私になって戻ってくるよ。仮にそれができたなら――……胸を張って言えるはずだ。

 私は青澄春灯。違う世界からあなたを助けにやってきたんだよって。


 ◆


 彼女が飛び越えていく背中を見送った。

 追いかけるようにたくさんの光が彼女の後を追いかけていった。彼女がこの世界に持ち込んできたアーティファクトたちだろう。

 穴が閉じる前に吹きだしてきた。数え切れないほどの青い光が。

 空へとのぼっていく。そうして満ちていく。


「姫さま」

「いかがなさいますか」


 地獄から飛び越えてきたのだろう。クウキとシガラキの声に、深呼吸をしてから刀を収めた。

 腕を組んで見つめる。

 部屋が緩やかに溶けていく。彼女の霊子で作られた砦が消えていく。残されるのは名もなき遺跡だけ。この世界のあらゆる勢力が気づいても、もはや彼女たちの痕跡はたどれない。

 ひとりだけこの世界に留まったクロリンネがいるが、もはやひとりでは組織とは呼べまい。

 歩いていく。壁が溶けて見える窓の向こう側へと、青い光がのぼって煌めいていく。


「澄んだ夜空じゃないか」


 砂埃と枯れた草の匂いを胸一杯に吸いこんでから、呟く。


「お父さまはなんて?」

「世界の境界を越え、時を渡る少女を連れてこいと」

「地獄の悩み事もこれで解消ですねえ」


 シガラキ、とクウキがたしなめるが、それくらいで止まる鬼じゃない。


「大王さまより、長老たちの嘆願については姫さまの願い通りにせよと仰せつかりましたよ。どうしますか?」

「各世界の地獄の研修――……必要とは思えません」


 シガラキの言葉にクウキが反論する。どこか必死な響きに笑って、手を伸ばした。

 青い光。優しく満ちる海と空の色。あいつの心の輝き――……とてもあたたかい、かけがえのないぬくもりをそっと握って囁く。


「行く気はない。ただ、備えはしないとな。異世界からの介入なんて、面倒には違いない。それこそ、空から異星人でもやってきかねないぞ?」

「それは……」

「楽しそうですねえ」


 にこにこと笑うシガラキにクウキが「いい加減にしろ」とツッコミをいれた。

 ますますおかしくて笑う。

 さすがに異星人の介入までくるとしたら、勘弁願いたい。クラーク・ケントならまだしも、サノスは困る。インフレしていく先に我らが対応できるかどうかは別の話。

 それよりもっと、地獄の姫だけに地に足のついた現実を過ごしたい。


「でも、我はごめんだな」

「ええ? だめですか? 地獄のテレビも盛り上がりますよ、きっと」

「だめだ!」


 どうして今日は乗ってこないんだという顔をするシガラキに、我は満面の笑みを浮かべて言ってやるのだ。


「春灯がゲーム機を買ってくれたんだ! 我はしばらくサンドボックスゲームで忙しいの!」


 こりゃ勝てないと踏んだシガラキと、ゲーム三昧だなんて嘆かわしいという顔をするクウキに胸を張って、我は思いを馳せる。

 青く澄んだ空を見ながら。楽しみにする気持ちはきっと、春の灯りのように、我を導いてくれるに違いないと思うのだ。

 そうとも。我は青澄春灯の双子の姉だ。あいつの生き様が我を照らす。

 冬の音は冷たくても。春の灯りに繋がる、特別なものにちがいない。

 この空に誓って、我は遊び抜いてやろうと思うのだ!




 つづく!

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