第五百九十三話
星蘭のみんなが笛を吹き、太鼓を叩き、鈴を鳴らして踊り舞う。
士道誠心のノリとはちょっと違う。まるで神事のように厳かで、なのに足運びは激しく。白い狐の女の子を中心にした女の子集団の艶やかさといったら。鹿野さんとふたりで踊る白い子の妖艶さに思わず見惚れる。
士道誠心のみんなはもちろん、別の世界の私たちだってそう。コナちゃん先輩や先生がたが詳しい事情を改めて確認している。それだけじゃきっと済まないだろうけどさ。いまはお祭りを緩やかに楽しむの。
思えば新学期で、しかも入学式のあった日なんだ。時間を確認してみてわかったの。江戸時代に飛んだ直後に戻っている。一瞬の夢のような時間。永遠に続いてもおかしくないと感じもした江戸での日々だったけれど、あっという間に過ぎ去った。
私たちの宴を異世界からきた男の子たちが見守っている。
彼らは特にファンシーだ。
みんな獣の印を見せている。タカユキと呼ばれていた男の子は元々地球人で、異世界に飛んだと言うけれど――……クルルちゃんという兎の女の子との魂の繋がりを思えば、ひたすら不思議。日本語が通じるし、感覚もそれほど違っては見えない。
見れば見るほど不思議だけどね。年がずいぶん近く見えるみんな、タカユキくん曰く彼らの世界では大人だという。
けれどクルルちゃんとクラリスちゃんが赤ちゃんを産んだのが私と大差ない年齢だっていうから、驚き。
ちなみにマドカもキラリもトモもどん引きしてたし、タカユキくんはあわてて「いや、俺の世界だとみんな早熟というか、人間よりも早く育つの!」と言っていたけれど。
ねえ?
「パパ、ルナもおうたうたいたい」
「とーちゃん……ゲームないの?」
「「「 ああああああん! 」」」
まって、と慌てるタカユキくんとお母さんズ。
どちらにしても、地球の常識は通用しない世界観な気がします。
「彼、女子のパンツから武器だすんだって」
トモがぼそっといって、女子一同でげんなりしたり。男子が微妙に前のめりになっていたりして、なんだかなあって感じ。彼らにとってもそれが当たり前だからというよりは、タカユキくんがパンツから力を取り出す能力を彼らの世界の女神さまにもらったから、しょうがないっていう雰囲気なの。なので敢えて言及はしない方向で一致したよ。
星蘭の宴が終わったら、トリは私たち士道誠心二年生の出番なんだけど、私は気になってしょうがない。
絆が繋がって力になる。御霊のありようそのものだし、私はもうひとりの私に自分の半身を委ねた。見れば彼女の腰には確かに私の刀が存在する。
問題ない。そのはずだ。一切ないはずだよ。
『ううん、ちがうよね? 壁がなくなるっていうことは、危ない誰かがくるかもしれないっていうことでもあるんだもの』
心の中から聞こえてきた私とまったく同じ響きにぞっとして、周囲を見渡した。
止まっている。誰も彼もが。踊り舞う星蘭も、音さえも。
『繋げちゃったね。なにもかも。それがどんなことになるかさえ知らずにさ』
目の前がちらつく。もうひとりの私が見せてくれたように、あらゆる世界の映像が浮かび上がってくる。
『数え切れないほど連なる世界。認識さえできず、座標も異なる。けれど重なる命と時の幻』
幸せに笑う私たち。仲間に囲まれて、ペロリちゃんが黒い私のしてきたことをすべて祝福に塗りかえた。問題ない。そのはずだ。
『簡単に直せることはさ。簡単に壊せるよね?』
映像に映る金の私の後ろに黒い私が顔を覗かせる。刀を覗かせ、首に刃を当てる。
『斬ろうかな? 増えすぎた世界のバランスを取るためにさ――……せっかくあるべき世界を用意したのに。その子は失敗しちゃったんだね?』
あらゆる世界の映像に、黒い私が映りこんで刀を当てていく。いつだって首を斬って飛ばせる、そんな位置。
はっとした。いやな予感がして映像の向こう側へ。そしたら、もうひとりの私の首筋にも黒い私が刀を当てていた。
『ああ、動かないほうがいいよ。動かないほうがいい。それが賢明ってものだよ』
冷気を感じて思わず留まる。
首筋にあたっている。後ろにいる。視線を下ろせば刀が見える。
なのに気配は見えない。死線も。狛火野くんが意識して示してくれたからこそ、わかりやすい。殺意は見えない。なのに刀からは脅威しか感じない。
『ちがうちがう。悪さがしたいんじゃないよ。たださ。強い戦士が欲しいの……あとは、平和の極致にいるあなたに、ちょっとした教訓を』
鼻歌を口ずさむ。
メイ先輩たちが去年の生徒会長選挙で歌った、歌とマシンロボのアニメの最新作のエンディング。やっと彼女は私の前に来た。
さっきの龍へと化した私よりも、もっと無垢な私。
狐耳も尻尾もない。黒髪にしたって、光を浴びて茶色に見える。
『飛べる愛のキスで――……最果てへ。いい歌詞だよね? 繋がったから届けに来たの』
けれど彼女は心を通じて語りかけてくる。まるでこの場にいないかのように。
『戦巫女より選択を。心の強い人が好きだから、戦いの舞台への誘いを。けど――……それは、あなたじゃない。あなたには資格さえないもの。腰にさげた刀で人を斬ることができない臆病者はいらない……立つべきじゃない。殺意をぶつけあう場所になんかね』
欲しいのは、と彼女が彼を背中から抱き締めた。タカユキくん。異世界から来た勇者。
『せっかく面白い余興を見せてくれたもうひとりの私というあなた。作ってくれた機構が失われたら、あなたが面白い何かを引きずり出せなくなるかも? それは困る』
頬を撫でる。多くの愛する人を手にして、命を繋げている男の子の頬を。
『癒やしはいい。その奇蹟が使える聖女も。天使になれる少女も。命の理を知るお姫さまも。多くの奇跡を繋げて、結ぶかつての勇者も――……彼女たちを連れ出してくれたことに感謝を』
そうして――……ふたりの子供へと手を伸ばす。
「やめて!」
『斬らなきゃ消えてあげない。私を殺せないなら、彼らを連れていくとしても――……できないよね?』
抱き締めて、消しちゃうんだ。
「やめてよ!」
思わず刀を抜いた。けれど彼女は構わず、狼のルカルーさんと三つ子に歩みよる。
『できないよ。血を見たくない。傷つけたくない。勝負ならいいんだよね? でも――……本当は怖い。柳生十兵衞を宿しているのは、なんて皮肉なんだろうね?』
抱き締めて、消す。
『戦国時代以前の御霊ならさ。戦うことから逃げてるってわかりやすく言えるのに――……ねえ? どれほど剣豪とうたわれようと、戦乱の世が一区切りついてからじゃあね?』
緩やかに、歩いていく。
『彼らは本物の戦士。だから繋げる。けどあなたはだめ。弱いから。優しすぎるから――……ほうら、またひとり』
触れる端から消していく。
怒りがわき上がってきた。頭が燃えるような熱に包まれていく。
炎が浮かぶ。やまほど。いつかアダムにトウヤを狙われたときのような、激情。
『遅い遅い。親友を爆殺しなきゃ吹っ切れないようなら、だめ。人を守れる強さは必要かもね? でも――……戦う準備は常にしておかないと。常在戦闘が、この世界のあなたの居場所の信条なのでしょう?』
彼女は踊るように消していく。異世界からきた勇者の一行を。次々と。その足が――……私たちを苦しめ、大勢を苦しめ、そうせずにはいられないほど苦しみ抜いた助けを求めるもうひとりの私たちに向かう。
『命に囚われ、殺すことに囚われ――……助けることに囚われて。結局あなたは、誰も守れないんじゃない? 救うことはできても、あなたにできることは決して多くない』
飛びついた。振るう。迷わず。
黄金の軌跡が赤く染まっていく。けれど彼女にはあたらない。私と同じ。右目が光っている。
殺意じゃ斬れない。わかっているのに、止まれない。止まったら、こいつはなにをするかわからない。斬らなきゃいけない。なのに、当たらない。殺意じゃこいつを止められない。
『だいじょうぶ。心配しなくても、彼らはあるべき場所に帰るだけ。それは日常かもしれないし、戦乱かもしれない。それが彼らの宿命というだけ。じゃあ、あなたは?』
映像がちらつく。彼女が見せてくる。刀を首筋に当てたまま、いつでも殺せる悪意を見せつけて。
『いつでもなにかに頼って、自分ひとりじゃなんにもできない。ああ、別にそれは批判しないよ? 私がしていることもそれだし。結局、文明社会に生きる人の生活はすべからく支え合いで成立してるから。でもさあ』
「うあああああああ!」
狐火を刀に集めて霊力をぜんぶ詰め込んで振り下ろす。
爆発するように噴き上がる私の炎に包まれてさえ、彼女はただの人として小首を傾げるだけ。
『あなたならもっとやれるでしょ。自分でなんとかする力が、形になったばかりだよ――……ここまでヒントを出して、まだなにもできない?』
彼女の言葉に思わず刀を握っていない左手を伸ばした。もうひとりの私の腰にある刀へ。
迷わず引きよせる。お姉ちゃんがカナタの握る刀を手にするように。
握りしめた。自分の心ならいくらでも振るえる。そう思ったのに、
「――……っ!」
あまりの重さに倒れてしまう。持てない。持ち上げられない。
甲高い笑い声が響いた。
『やっぱり予想通りか。助けるために力を振るう覚悟はあっても、目の前で予想外のできごとが起きると人はすぐに性根が出る。あなたはさ。結局――……』
彼女が歩みよってくる。落ちぶれて大失敗を犯した人を哀れな目で見つめるように、けれどおかしくて愉快でたまらないと口元は笑って。
『人を守るためにさえ、罪を犯すことができない聖者で。それじゃあ……』
私が持ち上げられない刀を軽々と持ち上げて、切っ先を向けるの。
私じゃない。カナタでも、お姉ちゃんでも、コナちゃん先輩やメイ先輩たちでも。ユウジンくんやトモでもなくて。
『自分の心さえ簡単に見失って、大事なものさえ失うんだよ』
ツバキちゃんへ。
「や、やだ、やだ! やめて!」
必死に彼女の足下に抱きついた。
「なんでもする! それだけはやめて!」
刀に手を伸ばす。止めようとする。それじゃだめかもしれない。だから刀に抱きつく。傷ついてもいい。ツバキちゃんが死ぬくらいなら、そっちのほうがずっとマシだ。
『ほらね? ――……あなたは武士じゃない。いまはね?』
彼女が手を離した。刀が下りた。救われるのか。
『そういうところが抜けてるっていうんだよ。そのほうがいいけどね。こんな世界があるのは、戦いまみれの私にとっても救いだもの』
ぱちん、と指が鳴った瞬間にツバキちゃんの胸に突き刺さった。心臓に、迷いなく、一瞬で。
『ああ、ごめんごめん。忘れてた。心配いらないよ、その子の時を動かしてみよう』
さらにもう一度、指が鳴る。
ツバキちゃんがかくん、と揺れて、それから自分の胸を見た。
私の刀が刺さっている。けれど、怪訝そうな顔をして。それから私たちに気づいた。
「あ、あ――……」
口から血が出たら。消えてしまったら。いやだ。いやだ!
「――……あ、の……だいじょうぶ、だよ?」
まるで私の心が通じているかのように、ツバキちゃんは微笑んで。そっと刀を引き抜いた。
変化はない。まるで。欠片も。なんで。
『あの子の存在を、あなたが御霊をあげた彼女が導きだすまでにどれほどの奇跡が必要だったか』
「え――……」
『あなたの心があの子を傷つけるわけがない。ずっとそうだったじゃない! これまでも、これからだって変わらないんだよ? そんな基本的なことすら気づかないで、あなたは目の前のできごとがなにを意味するかも考えずに踊っているだけ』
指が鳴る。消えたはずのタカユキくんたちが戻る。
ただ、首筋に金色の光がくっついていた。
『私の世界の混沌を収集するに相応しい戦士たちへの糸は繋いだ。私はこれで帰るし、なにをしたのか、あなたが本当の意味で理解する日は来ないかもしれない――……ただ』
彼女は再びツバキちゃんに手をかざす。するとまた、ぴたりとツバキちゃんの動きも止まるの。
『言っておく。あなたが壊した壁の向こうから、今度は対処しようのない悪意が襲ってくるかもしれない。次は誰かが死ぬかもしれない。そのとき、あなたは……御霊をあげた彼女が犯した過ちを繰り返さずに済むのかな?』
私に左手を伸ばしてくる。理華ちゃんたちが私を通じて手にした指輪がいくつも嵌まっていた。けれどそれらと私の心に一切の繋がりを感じない。彼女の指輪は彼女のものだった。
『それじゃあね、青澄春灯。想定外の人たちを連れてきてくれたあなたに、精一杯のエールを』
「待ってよ! あなたはいったい――……」
『あなたが私の世界を救うだけの力を得たのなら、いくらでも。そんな日は来ないほうが、お互いにとって幸せだよ』
「す、救いが必要なら! 助けが必要なら、繋がったほうが!」
『ううん、繋がらない方がいいこともあるの。だって――……』
彼女の嘲りが消えて、悲しみに満ちていく。
『私はカナタもツバキちゃんも、お姉ちゃんもトウヤでさえもこの手で殺したんだから。そんな私の苦悩をあなたは繋げて受け止める必要なんかない。私が拒絶するから……さよなら、誰よりも優しいあなた。願わくばどうか、そのまま血の味を知らないままでいて――……』
そう言って消えてしまった。
瞬時に音が戻ってくる。世界の喧噪、踊りの足音。衣擦れの音も。
タカユキくんたちは仲間と楽しくお話していた。ツバキちゃんが私の刀を持ち上げて、おろおろしているから頷いて示す。あの子は素直にもうひとりの私へと運んでいってくれる。
それでも冷や汗に包まれて寒気がして止まらなかった。
黒い私で終わりだと思った。
そんなはずないよね。
数え切れないほどの世界があって、いろんな私が存在し得るのなら――……悲劇の中で必死に生きている私がいても不思議じゃない。
さきほど見た私は忠告しにきた。本当にただそれだけなんだろう。タカユキくんたちに金色をあてて、助けを求められるようにして。
でも直接話したりせずに、私にだけメッセージを送ってそれで終わり。
ツバキちゃんに刀を向けてみせて、しかもあの子を傷つけない結末まで見越して私を揺さぶって。
嫉妬、怒り、憐れみ、羨望。数え切れないほどの感情をすべてぶつけはせずに、ゆるめに伝えて終わり。
苦しくないと言ったら嘘になる。
深呼吸をして、荒ぶる刀からそっと炎を解いて鞘へ。
世界の壁を壊して、飛び越えられるようになりそうだ。
なら、私はいったい、なにをどこまでやるのか。
或いは牽制されたのかもしれない。いまのあなたに、あなたのそばへ助けを求めにくる以外の誰かを助けることはできないよって。
平和が集まって、だからこそ歌えるあなたには――……刀で斬って斬られるかで生きている私のような別のあなたを助けることはできないよって。
でも――……黒い私は助けられたの。
じゃあ、私はどうすればいいんだろう。
拒絶されて理解する。
中学時代に私は世界を拒絶していた。あの頃の自分と再会したような気持ちだし、苦しくてたまらない。
優しさもきっと示された。きびしさだけじゃなかったはず。
だけど時を止めて会いに来た彼女ははっきりと言った。私が拒絶するからと。
これまで目にしてきた人はみんな、求めていた。
だから知らなかった。
気づけなかった。
こんなに――……こんなに痛くてたまらないんだって。
「え? ああ……刀? あれ、いつのまに――……待って。ねえ! ちょっと!」
もうひとりの私の声に顔を上げる。
彼女はツバキちゃんから刀を受けとって、駆けつけてくれるの。
「そんな顔してどうしたの? 私みたいな皺ができちゃうよ?」
眉間の皺を指先でぐにぐにとほぐして、笑いかけてくれる。
助けた彼女に助けられた気持ちでいっぱいだったの。
目から涙がぶわって溢れ出す私を、彼女はまいったなと呟きながらも抱き締めてくれた。
できることがあれば、できないこともある。
でもそれとは別に、痛感した。いらないって思われるのが……やっぱりかなり、とびきりきついんだって。
「――……ここにいるし、離さないからさ」
求められることの幸せって確かにあって。
私が捧げた気持ちを彼女が返してくれるから、尊さに気持ちは乱れるばかりだったの。
つづく!




