第五百八十九話
黒い私は一瞬でコナちゃん先輩に化けて、懐からハリセンを取りだすなり理華ちゃんたちを叩いて吹き飛ばす。振り方はコナちゃん先輩のツッコミとまったく同じなのに、吹き飛び方はまったく違う。転がり方が尋常じゃない。
見ればハリセンは白い紙製のものじゃなくて、金属製。迷わず私へと振り下ろすハリセンを、
「――……ッ! させるもんですか!」
飛び込んできたコナちゃん先輩のハリセンが迎え撃つ。
まさかのハリセン、つばぜり合い。火花が散るのはなにゆえ。
「星蘭! 申し訳ないけど、こちらが先手を打つ!」
吠えて直ちに怒鳴られた。
「春灯ぃ! 策があるならすぐにやりなさい!」
「は、はい!」
生徒会長の背中に守られながら名前を呼ぶ。
「姫ちゃん!」
「わかってます! ――……お願い、みんな! 私に力を貸して!」
吹き飛ばされた理華ちゃんたちも含め、九組の後輩たちが姫ちゃんに駆け寄っていった。
ハリセンだけじゃなく蹴りや拳を振るう黒い私の鋭い攻撃に、けれどコナちゃん先輩は冷静に対処する。その均衡が不思議。多くの世界を壊してきたというのなら、一瞬でケリを付けられそうなのに。
紙と金属なのに均衡を保ち、ぎりぎりと擦れ合うハリセンを隔てて向かい合うふたり。黒い私が、それこそ妖怪としてのタマちゃんバリに悪意を晒して微笑んだ。
「――……予想通り、強くなって戻ってきた。現代の薄い霊子を凝縮させて、こちらの霊子さえも利用して。楠一族の後継者に認められ、あまねく世界で刀鍛冶として名を馳せるあなた相手じゃ分が悪い」
「饒舌ね!」
行くも帰るもできぬ。押しても引いてもいかぬ。にも関わらず、どちらも震えはない。
ただし、強いて言えばコナちゃん先輩のほうが分が悪い。黒い私から感じる霊力はどんどん高まりを見せる一方で、コナちゃん先輩はそれを利用するために一度変換しなければならない。瞬発力では勝てないんだ。
それでも、ハリセンは均衡を保っている。いつまでもつのかわからない。ならば、
「初挑戦! それでも私は未来に賭ける!」
指輪を嵌めた手を掲げ、ハートから引き出す。
鍵を。未来を。時間を操る力を――……黒の彼女に!
「あなたの鍵穴を見せて――……!」
吠える。走る霊子をコナちゃん先輩が避けた。黒い私はコナちゃん先輩の姿のまま、無防備に受け止める。余裕の表情からは驚きも不安も感じない。まるで想定通りだと言わんばかり。
「うあああああああああああ!」
姫ちゃんが叫んだ。消えたはずの尻尾が疼く。指輪をあげた数だけ、びんびんと。ずきずきと。
確かに力が発揮された。手応えを感じたの。現代に戻った瞬間のような、何かが変わった感触があった。
けれど、彼女に鍵穴はない。どこにも。
すごく乾いた空気の中で、彼女は笑って肩を竦める。
「ああ、そうか。この姿じゃ当然だよね――……ほら」
どろん、と呟いて黒い私へと戻った彼女の肌が漆黒に染まる。境目はない。どこにもない。
「どこもかしこも穴だらけ。刺せば戻るだろうね? でも私が食べてきた“私”の数を処理しないと……本当の私の鍵穴は見つからないよ?」
余裕。勝者の微笑み。なのに皺が浮かぶ。幸福に刻まれた皺じゃない。顔を顰めたときに寄る場所にだけ、深く刻みつけられた皺。苦しみの象徴でしかない。
「ああ、そんな顔をしないで? 私はただ――……あなたたち全員の霊力を食らい尽くして、姫ちゃんの力を手に入れて……“私”を食べて、元の世界に戻りたいだけ。運が良ければ生き残れるからさ。おとなしく頭を垂れろ」
「――……っ!」
左目が疼いた。思わず霊力のすべてを左目に注ぐ。結果的にそれが功を奏した。
一年生の子たちは抗えずに膝を突くけれど、それ以外はみんな無事。
理解する。左目の力。見た者の心を惑わし、かどかわすタマちゃんの妖怪としての性質を表す私の能力を、彼女は見た相手を己の望み通りに従えさせるところまで高めているのだと。
それでも、抗えた。
「うんうん。高まってるね。これなら今度こそ、私の世界に戻れそうだし……救えそう」
睨みつけて気づく。マンガで描くなら、それこそぐるぐる線を走らせて描いたような狂人の瞳を彼女はしていた。育ちすぎて現実に侵食するほど強くなった邪に飲みこまれた人と同じ瞳なんだ。
「だからさ――……さっさと頭を垂れろよ」
私と同じ声、同じ左目で、何度だって力が放たれる。
必死に抗う。けれど現代に戻るのでほとんどの霊力を消費しちゃった私はどんどん押されてしまう。ひとり、またひとり、身動きさえできずに頭を垂れていく。そしたらもうきっと、動けない。抗えなくなる。そして――……彼女に食われてしまう。
「く――……別世界だろうと、妹に頭を垂れるものか! カナタぁああ!」
お姉ちゃんが吠えた。すぐにカナタが怒鳴る。
「ユリアを助けられなかった去年の雪辱を果たすぞ! 刀鍛冶一同! 心をこめて!」
「「「 おーっ! 」」」
身構えていたコナちゃん先輩が地面に足を突き刺す。
私のそばへと駆け寄ってきたカナタも地面を殴りつけた。
ノンちゃんが、柊さんや日下部さん、泉くんや――……ミツハ先輩たちをはじめとする刀鍛冶で無事なみなさんが、そばにある小屋に飛び込んで引っ張り出してくる。
樽だ。香りを嗅げばそれがなにかわかる。
神水だ。霊子を満たす特別なお水。飲み過ぎ注意のお酒みたいな、内なる神へと捧げる補給薬。
「春灯! 口を開けろ!」
カナタの叫びに応じて口を開いたらさ。樽の口が開いて中から出てきた神水が飛び込んでくるんだ。容赦なく。
必死にごくごく飲みながら左目で睨む私。頭の片隅で思うの。
たいへんシュールな光景なのでは?
「いつまでもつかな? ほら! ほら! ほらああ!」
彼女の左目が赤く煌めく。どんどん赤が濃くなっていく。光を帯びて、彼女の左目の力が増していく。
「ごくごくごく!」
必死に飲みながら、補充される霊力を片っ端から左目へと伝えるんだけど。
「ごほっ! ごほっ! 待って! 無理! タイム! 溺れるから!」
一度咳き込んだらアウトだよね!
瞬間、炸裂した黒い私の魔力にカナタたち無事だった刀鍛冶がそろって項垂れた。
「「「 そこはほら、がんばらないと! 」」」
「無理だよ! ごほっ、ごほっ――……ふわ」
頭がふらついてきた。神水が身体中に回ってきたんだ。
がんがんと響いてくる。よろめく私に、彼女が大笑いするの。
「あはははは! ここまで平和ぼけしてあほな世界は初めて! でも――……不思議と、あなたがこれまで会ったすべての“私”よりも霊力が強い」
「くそ、春灯!」「近寄るな!」
「留まれ」
お姉ちゃんとトモが叫ぶけど、黒い私の眼力で押しとどめられる。
私も私で、ふらつきと彼女の力に抗うだけで精一杯だった。
ゆっくりと歩みよってくるの。理華ちゃんたちも、先生たちも。誰も動けない。
「どうしてかわかる?」
「う、く……うっぷ、おう……ううっ」
吐きそう! むり……たまらず膝をついた。頭を垂れたくなくて、必死に顔をあげる。
私のアゴに人差し指をあててくるの。もっと見上げろとばかりに持ち上げられる。
「姫ちゃんの力、そして現代への戻ってきたあなたのしたことを思えば……予想通り。そうなるように、私がどれほど苦労したか」
掴まれた。指先がほっぺたに食い込んでくる。爪も。
「う、うう――……」
痛い。それ以上に、
「飛んできた時代は二千年前か、或いはもっと昔か……遠い先祖と明坂ミコを引き合わせた。黒い御珠を引き込んで、明坂ミコを変えて。多くの宗教家や活動家を唆して、御珠をやまほど作っては維持に失敗し、ゼロからやり直し」
怖い。
「そうして……姫ちゃんの時計にあらゆる命を注いでは繰り返しやり直して、やっと理想的な世界を作った。すべては……そんな世界で夢を見たあなたの力を奪って、私の世界をここよりもっと素敵になるようにやり直すため」
黒一色の私から溢れてくる。黒い霊子が。
「どこへいっても、その可能性を示してくれる“私”は見つからなかった。平和じゃないと築けない“私”っでなきゃ、争いに満ちた世界に生きる“私”は救えないなんて――……ああ」
私の金色の対極に位置する彼女から溢れ出してくる、漆黒に包まれて。
「どれほどあなたが憎いかわかる? 私が折れずに必死に自分の心を保ちながらやっと作りあげた今の大事さも! 特別さも! 脳天気でアホな思考で享受するあなたが!」
顔にかかる圧力が増す。殴りつけられても不思議はない。なのにそれすら、彼女は堪えている。
「理解しないから! 殴ったら曇る! なのに尻を叩かないと立ち上がれない! 教授を見つけて育てた苦労がわかる!?」
顔がすぐそばにあるのだろう。怒鳴られる声のおおきさは増すばかり。
「歌わせるまでに何が必要なのか、やっと見つけ出してあなたがここまでになるようにどれほどがんばったか! わからないでしょう! あなたは自分がやったと思っている愚か者だから!」
憎悪。いつか会社の前で怒鳴りつけるように息子の無念をぶつけてきたおじさんよりも、ずっと歪で強い感情で怒りをぶつけられる。
「何度殺してやったことか! ああ、でも――……それも今日でお終い。さあ、頭を垂れろ」
赤く煌めく血に塗れた瞳で睨みつけられて、頭が思わず下がる。いやだ。屈したくない。
「なにをしている。さあ、直ちに頭を垂れろ。私がお前を作りあげてやったんだ。だからお前はすべてを差し出せ。対価を払え。誰のおかげでここまで――……」
「“私”の、おかげ――……」
「わかっているなら! いますぐ! 頭を垂れろ!」
怒鳴りつけられても、必死に抗う。折れない。折れたくない。
「やだ――……やだ!」
「ああ?」
「私ががんばっただけじゃない! みんなが見つけてくれたから! みんなのおかげだから! 私だけじゃここまでこれなかったから! 私ひとりしかいない世界じゃないもん! ぜったい、やだ! 項垂れるもんか!」
それだけで、顔を上げる理由になるの。
私を殺そうとする“私”に立ち向かう理由になるんだよ。
黒い私の左目に宿る赤い光りが増していく。憤怒に呼応するように。なのに、不意にそれが霧散した。
「なっ!?」
「必要ないなあ。必要ないわあ……」
「おのれ、ユウジン!」
吠える黒い私。けれどふり返ることすら許されない。アゴを強い力で掴まれたままだから。
それでも願わずにはいられない。
「いつもいつも! 私が何かをしようとするたびどこの世界でも邪魔をして!」
「相性いうんがあるとしたら……お気の毒様」
何かが私と“私”を貫いた。黄金の龍だ。黒い私だけを咥えて空へと飛んでいく。
そして大地へと思いきり吐きだした。地面に激突した彼女になにか特別な力でもこめられていたのか、黒い霊子が振り払われる。
視界が晴れた。黒い私を中心に、五箇所に五体の獣。
「どうしてお前は消えない! 何度殺して追いつめても! ゴキブリのように出てきて!」
「さあ? 赤子になぜ生まれたと聞いても」
狐のお面をつけてユウジンくんが地面に手を当てて囁いた。その瞬間、黒い私が黄金の光に包まれて絶叫をあげるんだ。
「士道誠心、時の娘。はようしたらええのに。好機どすえ?」
「姫ちゃん!」
ユウジンくんの導きに私は思わず叫んだの。
やっと顔をあげた姫ちゃんが、駆け出す。黒い私の元へ。
鍵をさせ。何度だっていい。彼女の鍵穴が見つかるまで、鍵を。鍵を。鍵を。
戻すんだ。彼女がいまほど狂わずにいられたころまで。話が通じるころまで。そうすれば、きっと。
それこそが、私が姫ちゃんとふたりきりで練った作戦。
もし仮に黒い私が待ち受けていたとしたら、話が通じる彼女になってもらえれば……予定していたお祭り騒ぎを実行にうつして、力に変えてもらって送り出せるはず。
なのに。なんでか。嫌な予感がするのは――……。
「待って!」
理華ちゃんが悲鳴にも似た声をあげる。七原くんが姫ちゃんの背中に飛びついた。そうしなければ、
「ああああああああああ、あ~あ――……ほんと、残念」
絶叫していた私が片手を、七原くんが飛びつくまで姫ちゃんの頭があったところに伸ばしていた。いつの間にか、黄金の光に包まれた彼女は見慣れた本を抱き締めていた。ユニスさんが持っている本とまったく同じものを。
「邪魔をされたといったけれど。負けたとはいってない。現に私は、いくつもの世界を渡ってここまで来たのだから……ユウジン、油断したね?」
後だしジャンケン状態。まさにチートの塊。黒い私は身体の内側から黒い霊子を吹き出させて結界を内側から破っちゃうの。
「ここでは姫ちゃんから鍵と……あとは指輪かな? それを奪えばよさそう。とはいえ――……理華、あなたは邪魔。勘のいい女はだいきらい」
吹きだした黒い霊子をユウジンくんに叩きつけて追い払い、黒い私は理華ちゃんへと歩きだす。姫ちゃんと七原くんを左目のひと睨みで留めて。
必死に霊力を奮いたたせる。まだ、尻尾は戻ってない。大神狐モードは解けてない。なら、まだいけるはず。
別の世界の援軍はまだ。みんなもお祭りモードに移行することができずにいる。
なにかしなきゃいけない。なのに、爆発するには足りない。多くのものが。
歌う? いや、いまの彼女には届かない。気を引くくらいはできるだろうけど。下手に刺激したら、直ちに誰かの首が飛びかねない。
同じ本を持つユニスさんすら、黒い私の左目に押し負けている。
どうしたらいい。どうしたら!
「あなたは悪魔なんだよ。どこまでいっても」
「うるさい」
「多くの世界を渡り歩いてきたの。みたい? 死体ならいくらでも出せるよ?」
本を抱えたまま、もう片手を振るう。
歩いていく黒い私と理華ちゃんの間にある地面から生えてくる。悪魔の翼と尻尾を生やして絶命している理華ちゃんの亡骸が、数え切れないほどに。
「天使のあなたはどこにもいなかった」
毒を吐いて歩いていく私を見る目が、理華ちゃんの心が曇る。
いやだ。そんな風にしたくないの。私はそんなこと望んでない。
なのに別の私は理華ちゃんに呪いをかけている。断じて許せない。
「あなたはいつか、ひとりぼっちになって死ぬんだよ。悪魔と罵られて……いまそばにいる仲間にすら敵意を向けられてね?」
「うそだ」
「見たいならいくらでも見せてあげるよ?」
「やめろ――……やめろ!」
必死に叫ぶ理華ちゃんに黒い私が手を振るう。
空中にホログラムのように、いくつもの映像が浮かび上がってきた。
夢で見た映像さえ混じっていた。私や理華ちゃん、姫ちゃんや――……お姉ちゃんやカナタ、仲間たちの死に様ばかりがクローズアップされていく。
曇らずにはいられない。へこたれずにはいられない。折れたくなくても、自分と同じ姿をした存在が惨たらしく死んでいく映像なんて――……誰も見たくない。
そのはずなのに。
理華ちゃんを大人びた顔にした、メイド服の女の子がひらひらと手を振っている。
きょとんした。けれど彼女は指差してくる。あ、な、た、と唇を動かすの。私に向けて。
『どうも! ちょーっとばかり、女神さまのお力を借りて出張してきました。別の名前の、けれどコハナと同じ魂を持つ女の子のために』
手招きするんだ。ピンク色の髪の毛をした、兎耳の女の子を。彼女は面倒そうな顔をしながらも、手を此方にかざすの。
『どこかの世界のあなた。唱えて』
え――……。
『やばいんでしょ? ほら。この際、境目はなしにして。魔法を信じてみない? とても遠くて、けどきっとすごく近いあなた』
聞こえてきた声は私に似ていて、けれど私とはちがうもの。
ひょっこり、江戸時代で助けた別世界の私が顔を覗かせる。やっちゃえ、と訴えている。
どきどきしながら、頷く。
『さあ、手を伸ばして。あなたが救いたい人へ』
言われるままに、黒い私――……その向こう側へ。
理華ちゃんへと手を伸ばす。
『唱えるの。呪文は――……』
彼女の言葉を必死に頭に刻みつける。
「教えてあげるよ。いままで渡ってきた世界で見たあなたは全員、最後は悪魔になるの。私を殺した世界もあった。どれくらいあったかなあ?」
「――……っ」
てゅす。
「だから殺しておくよ――……悪魔は世界に必要ないからね」
れへとぬ。
「さよなら、立沢理華」
りべらしお。
黒い私が理華ちゃんへと指拳銃を突きつける。
構うものか。
『天使にしたいの?』
『悪魔にしたいんですか?』
『『 答えを示して! 』』
「トゥス・レヘトヌ・リベラシオっ!」
不思議な響きの呪文を唱えた。姫ちゃんの力を感じる尻尾の心から、感じたことのないなにかが流れ込んでくる。身体中を書き換えるような無茶苦茶な、霊子に似て非なる何かが私の手から放たれたんだ。
それは黒い私を、ユウジンくんが出した黄龍のように貫いて――……理華ちゃんへと注がれていく。
「なっ――……なに!?」
初めて戦慄した顔をしてふり返る黒い私よりも。
「――……あ、」
呟いた理華ちゃんのほうが驚いていた。
背中から制服を破って突き出てくる悪魔の翼。一度は片翼ずつ天使と悪魔になった彼女の漆黒の翼が純白に染まっていく。羽根がみるみるうちに変わっていくんだ。黒い尻尾さえ溶けてなくなるの。
『気をつけて、元には戻れない。戻るためには、そりゃあもう読むのが面倒くさくてたまらないほど雑な本を読まなきゃいけないの』
『でも、だいじょうぶ』
眼鏡のメイドさんが微笑むの。呼応するように、勝ち誇った顔をして理華ちゃんが顔をあげた。
『あくまで』
「理華なら」
『天の使いへと』
「いつでも自由自在、なにせ」
『“私”という存在は』
「いつだって――……っ!」
立ち上がる。項垂れずにはいられないように黒い私がどれほど左目で呪っても、無駄。
胸の内から刀を取りだして、理華ちゃんは振るうのだ。
『「 小悪魔! 引っかき回さずにはいられないのだから! 」』
「くっ!?」
振るわれた軌跡が純白の光を放つ。
広がっていく。黒い私がおもわず飛び退くくらい勢いよく。
けど、理華ちゃんの白は死んでいた理華ちゃんの亡骸に触れるたびに、彼女たちを悪魔から天使へと変えていくの。それだけじゃない。
「わざわざ理華の欠片を保持して、こんな形で並べて見せるから」
次々と、死んでいたはずの理華ちゃんが目を開けていく。
「後悔することになるんですよ? さあて――……」
刀を下ろして、理華ちゃんが憎々しげに顔を歪める黒い私に宣告するの。
「あくまでも――……殺したい、食わずにはいられないというのなら?」「まずは戦う力を削いじゃいましょうか」「それしかないですね。なにせあなた、まだやる気ですし」「それじゃあいつまでたっても舞台の準備ができません」
「「「 お客さま、着席を。座っていただけないのなら、実力行使をするしかありませんので……あくまでも、理華はあなたを観客として見ていますから 」」」
唱和する理華ちゃんの声に思わず黒い私が怯んだ。
「こ、こっちにはいくらでも手勢がいる!」
本を消すなり懐に手を入れて、なにかを空にばらまいた。
葉っぱだ。みるみるうちに、それが大勢の士道誠心の生徒へと変わっていく。
黒い私も、現われた生徒たちもみな、制服がどこか破けていたり、穴が空いていたりする。
それに化けた生徒たちの顔色が悪い。額に穴が空いて目がうつろな子がいることに気づいて、みんなを見渡して気づいた。死人の軍勢。まるで教授と戦ったときの再現だった。
あのときと違って、生徒たちはみな――……銃弾の雨を浴びたか、頭が黒焦げになっていたりしている。腕がない子も、足がない子もいる。頭に釘がやまほど刺さっている子も。脳が露出している子すらいた。
拷問や銃殺の痕のようにしか見えない。彼らの末路が悲劇にまみれていたと見て取るには十分過ぎた。
「死して尚わたしのそばを離れない軍勢よ! いけ! 私たちが助かるために!」
怒りに顔を歪めて吠える。
黒い霊子が吹きだした。と同時に、モヤさえも。
既視感を覚える。それは黒い御珠が吹きだしたモヤとまったく重なって見えるもの。
なんでかな。なんで黒い御珠のことを思いだしているんだろう。
「こいつらが輝くなら! 私たちだって輝いていいはずだ!」
金切り声をあげる黒い私から、次々とモヤが噴き出てくる。
『――……すけ、て』
聞こえてくるの。
『たす、けて――……て』
モヤから、はっきりと。
『助けて――……て』
ツバキちゃんの声が聞こえる。耳を澄ませば、もっともっと、たくさん。
けれどそれよりも、なによりも、ツバキちゃんの声に耳を澄ませた。なにかを訴えてきている。救い? それだけ?
『助けて――……げて――……がい』
ちがう、それだけじゃない。
『助けてあげて、おねがい』
はっきりと聞こえた。自分のことじゃない。強いて言えば自分たちのことだし、なによりもまず――……。
『もう、彼女は限界なの。心が真っ黒になって、みんな……だめにしちゃう。なのに、助けを求めることさえできないの』
黒い私への救いを求めている。
おかげで。
「心が決まった」
とっくのとうに、なにをするべきかは決めてある。
私と同じ――……ううん、きっともっとずっと強くて太い心を持っているはず。だけどそれゆえに周囲を見ることさえできなくなるほど追いつめられるくらい、突き進みすぎて。
聞こえないんだ。
「ううう! ああああ! あああああああああああ!」
吠えて、黒い霊子よりもっとたくさんのモヤを吹き出す。
正気を失っているに違いなくて。危うい均衡の中で私を待っていたのか。
聞こえてもいいはずだ。ツバキちゃんだけじゃない。大勢が言っている。助けて。自分たちも助けてほしいけれど、それ以上に……自分たちのためにここまで曇った彼女を助けて。そう願っている声が。
あるいは聞こえるからこそ苛まれて、必死に心を閉じているのか。
どっちでもいいや――……お助けせずにはいられないよ。
「さあ、お祭りの前哨戦だ!」
救いたい人の心に気持ちを伸ばす。
この耳は。心は。ちゃんと受け止めるよ。みんなの声。願い。思い。本人さえ気づかないような魂の囁き声を。
赤い瞳、漆黒の肌。背中に翼があったなら、いつか夢見た最高の姿に見えたかもしれない。
でももう――……それに憧れるのはやめたの。
彼女の瞳が己の味方以外の、すべての者にひれ伏せと訴えてくる。抗い方を知らず、屈してしまう子もいる。
けど私にはもう聞かない。
姫ちゃんの心と繋がる尻尾の心から流れ込んでくる。
消えない映像に変化が生まれていく。金色の私が姫ちゃんと飛び越えて、端から救っていくんだ。そうして祈りを私へと届けてくれるから。みんなと繋がるたんびに、大神狐モードですら制御しきれないくらいの霊力が――……みんなの元気が集まってくるんだ。
きかない。ひとりぼっちの昔の私の呪いになんか、もう負けない!
さあて、それじゃあ。
「いっちょやってみますか!」
あふれてくる霊力が止まらない。金色が溢れていく。どこまでも。黒いモヤと重なって溶け合っていく。死人の軍勢と呪いをはね除けて、みんなを苦しめる力をほどいていく。
顔をあげるみんなが、拳を握りしめ、あるいは刀を掲げる。
けどね? 私は言うんだ。
「刀を下ろして。みんな……だいじょうぶだから」
戸惑うみんなを背に、私は足を踏み出す。
ひとりぼっちの――……いつかの私へと。ただ、前へ。
つづく!




