第五百八十七話
江戸屋敷を引き払い、五日市へと向かい江戸時代に別れを告げるための運命の朝。
ツバキちゃんと姫ちゃんに抱き締められた腕の痺れと共に、私は目を覚ましたの。
身体が重たい。それもそのはず、ツバキちゃんも姫ちゃんも私の足を両足でぎゅって挟んでいらっしゃる。おかげで痺れまくり・オブ・マイボディ。
……ん? あってる? まあいいや。そこは問題じゃないの。冗談が受ける受けないの問題じゃない。起きれないよ!
深呼吸をしてから、そっと引きはがそうとするけどふたりともわりと力が入っていて難しい。
カナタよりも求められている感。いやいや。それもどうなの? あと求められている方向性も違うので、別物って理解しておかないと。
それにしても、まあ。
「ふたりとも幸せそうな顔してるよ」
ついつい笑っちゃう。江戸時代に来た頃の顔とはぜんぜん違う。緩んでる。勝負の日だ。ツバキちゃんと作った歌もある。いろいろとお披露目の日なのにさ。ツバキちゃんに気負いはないの。それは姫ちゃんも一緒。
私が手伝うからどうでもいいとか、そういう感じじゃない。ただただ固さが抜けている。緊張感がないわけじゃないだろう。肩肘を張ってないっていうのが大事なの。
のんびり考えていたら、姫ちゃんがもぞもぞと動いてから目を開けた。私と目が合って、全力はぐ状態になっていることに気づいてぽやっとした顔をしながら離れるの。
「お、おはようございます」
「おはよー」
そう答えると、手を握ってくるの。もう慣れた。甘えてくる人と出会うことは増えてきている気がする。私自身あまえたな自覚はあるので、どうしてもらいたがっているのかはなんとなくわかるよ。典型的なのはマドカだけどさ。
大事にしたいなあって思うんだ。人に甘えられるようになったら、次は自分を甘やかせるようになることを覚えられる。そしたら、本当につらいとき、苦しいとき、自分にだいじょうぶだよって言えるようになる。追いつめられちゃう生き方するくらい、真面目だったり自分の大事に仕方のレベルがすっごく低かったら、自分を殺しかねない。それで済まずにみんなを苦しめちゃうかもしれない。
よくないもん。殺す道よりもっと生かす道を鍛えたほうがいいよ。
だからこそ――……私は心に決めていることがある。
「姫ちゃん、今日さ。みんなを驚かせたいの。力を貸してくれる?」
「All is well... Let it be, OK?」
これくらい簡単な単語なら伝わるよね、という不安と期待。
ごめん、英語はそこまで得意じゃないけど! さすがにそれくらいのレベルならぴんとくるよ! 歌詞に使おうと勉強したワードでもあるのだし!
「ん、じゃあ一緒にやろ! いい? 耳貸して?」
素直に顔を近づけてくれる姫ちゃんに、こそこそと作戦を伝える。
マドカもキラリも爆睡中。先生たちや警戒班組の足音も聞こえるけれど、ニナ先生のものと思しき足音はない。まさにここぞっていうタイミングだからこそ、私は悪だくみを伝えて最後に囁く。
「繋がると思うかわからないけど……たいへんだけど、それでも協力してくれる? 私の願いに……賭けてくれる?」
「you bet! もちろんですよ!」
私の手を両手で包み込んで囁くの。
「あなたと私の未来に賭けて、私は日本にきたんですから……常に金色の未来に全額ベットです」
頼もしいったらないね! もう!
◆
縁が広まっていくけれど、深まる絆があれば別れる絆もあるわけで。
お城へのご挨拶に伺い、土井さんや春日さま、アイさんに……家光さんにお暇を告げて、屋敷へ戻る。将軍さまの顔をした家光さんを前に、ユウジンくんとふたりで謁見したよ。
けど、形式ばかりの挨拶だった。強いて言えば、
「はるひ。息災でな」
と最後に声を掛けてくれたときの笑顔が夜にみたふたりでのときの素直な表情だったから……涙を堪えるので精一杯だった。
タマちゃんが『鍵を使っていつでも来ればよいではないか』って言ってくるけど、そうほいほい使える力じゃないからね。それをするべきかどうかもわからないままだしさ。
だから堪えようと思ったの。
「ええの?」
ってユウジンくんが聞かなかったら、我慢して「家光さまも、どうか」と伝えられたはずなのにさ。そんな風に聞かれたら、言っちゃうじゃない。
「また会う日まで」
それが祈りになればいい。ただただ願いながらお城を後にして、万感の思いで戻った屋敷には星蘭と江戸組のメンバーが勢揃い。
幕府が手配してくれた役人さんに指示を出している人を見て、思わず目を見開いた。
宗矩さんだ。お城で働いていても不思議はないのに!
駕籠から出てぎょっとする私に気づいて、宗矩さんが歩みよってきた。
「失礼ながら……上様より天女どのをしかと見送るようにと仰せつかりましてな」
「で、で、でも、お偉い宗矩さまがこのようなことをなさっていて、よろしいのでしょうか……?」
「ご恩返しをせよと申されたゆえ参りました」
「ご恩返し……です?」
「ええ。ここではひと目につきます。街道に出てからにいたしましょう。では」
極めて事務的に話して離れていって、学院長先生と軽く話すなり準備に移っていく。
あっけに取られている私と違ってユウジンくんは気にせず星蘭の輪の中へ。マドカに呼ばれて私もそちらに合流。
てっきり大勢で電車で移動するのかと思いきや、そうはいかないようだ。
幕府の恩情のおかげで、朝食時にコナちゃん先輩から発表された「城の挨拶が済んだら幕府の目の届かないところまで移動して地下へ。電車にて直ちに五日市村へ移動して現代行き作戦を実施します!」というスケジュールが崩れてる。
はらはらしつつ、体力を温存するために私は馬車へ。
江戸を出る道中、物珍しいと大勢が私たちの行脚を見送ってくれたんだ。
「気をつけてね!」
呼びかけられた声にはっとして、馬車の駕籠の窓から外を見た。ミコさんが手を振ってくれている。思わず手を振り返したよ。
そしたら大勢が歓声をあげて、自分にもって感じでぶんぶん手を振り始めるの。天女さまー、天女さまーって。尻尾が九つある私の状態はどちらかといえば妖怪だけど、霊験あらたかなお狐さま扱いをしてもらえるのはすごく嬉しい。みんなの気持ち、ぜんぶ力に変えて現代に繋げるからね!
◆
どれほど進んだだろう。昼になるよりは前、けど朝というには遅い時間帯になって不意に大きな声が響き渡る。止まれ、と。
なんだろうかと思っていたら、コナちゃん先輩に「春灯-!」って呼ばれたの。急いで馬車を降りて先頭へ向かってみてびっくり!
幕府の人はもう宗矩さんだけ。けど、それ以外に三名が寄り添っている。
十兵衞、村正さんに……あきさんだ。
ふわって尻尾が膨らむ私に十兵衞が笑って言ってくれるの。
「さて、みなみなさまには雲隠れしていただく……いや、斬るのではない。上様のご恩返しとのことでな。探ってみればなにやら天にて吉凶の分かれ目たる戦いが待っている様子」
思わずぎょっとする私の横で、コナちゃん先輩は呆れた顔をする。
「こちらを探っていた忍びのひとりはあなただったわけね」
「伺うたびにこそこそと話していれば気になるというのが人の性」
「……ごもっとも」
私にお話を譲るとばかりに一歩下がるコナちゃん先輩。先生たちも、マドカやシロくん、カゲくんだって私を見守るばかり。
「ご恩返しって、なあに?」
「親父どの」
私に答えるのではなく、宗矩さんに呼びかけるのはなんで?
きょとんとする私にではなく、十兵衞に呆れた顔をしてから宗矩さんは宣言するのだ。
「手向けに手ほどきを」
「手ほどきって……え?」
「ここがそなたらの言う隔離世であることにはお気づきか?」
きょどる私に構わず、宗矩さんが放った言葉の意味にみんなして動揺した。
せずにはいられなかった。
だって、ちっとも感じなかった。
現世と隔離世。その境目を飛び越えるためにはいつだって魂を身体から引きはがされ、隔離世の霊子体に移されていく。
まるで教授に捕まって逃げたときのような、そんな途方もなく自然な渡り方だったの。
「そなたたちがこちらに渡る術には妙な呪い、あるいは制限を課せられているように感じる。だがいまはそれについて話すべきときでもあるまい」
彼はただ、立っているだけ。
「時が惜しいのであろう。かかってくるがいい。力のありようを示そう。それがそなたらの力になるのであれば、上様は加減せずにやれと命じられた」
いや、違う。腰に帯びた刀を掴み、寄り添うあきさんに手渡したの。
徒手空拳。無手。
柳のように立つ。風が吹けばなびくか。それとも抗うのか。
わからない。わからないけれど、ここが隔離世だと知覚してみると一気に圧倒的な霊子を感じてくる。それにも些細な、けれど重大な何かが隠されている気がするけど、今はいい。
「くるがいい。不肖の倅が手ほどきをしたならば、無様は晒すまい」
「そら。どうした? 親父殿は強いぞ?」
人を喰った笑顔でしれっと言うけどさ!
ど、どうなの? ねえ、私の十兵衞はどう思う?
『お主から打ち込んでみせろ。さすればわかる』
そ、そんなこと言われても。
『胸を借りるつもりでいけ』
そんなこと言われても!
戸惑う私やコナちゃん先輩たちと違って、先生たちは恨めしそうな顔で私たちを見ているし。
こういう場面で誰より反応する仲間がいるの。
「さて、それならば」
「いくっきゃねえよな」
星蘭の立浪くんとうちのギン。それに、
「いいねえ! 楽しみにしてたんだ、実を言うと!」
「俺も」
トモも狛火野くんも嬉しそうに出てきた。
刀を抜いて構える四人を前にしても、宗矩さんは欠片も動じない。それどころか、
「奇術を使っても構わん。全員で来てもよし……むしろ足りぬ」
なんて言っちゃうんだから!
迷わずトモが雷光となって襲いかかる。一瞬にして閃光が走り、しかしトモは弾丸のような速度で地面を転がっていった。信じられないって顔をして。
次いでギンが得意の曲芸めいた回転跳躍と共に村正を振り下ろす。けれど、刀を握る手首を取られて地面に打ち付けられていたの。
隙ありだとばかりに星蘭の人斬り侍になりつつある立浪くんが背中から挑みかかる。しかし、膝ががくんっと折れて姿勢が乱れ、その隙に足を払われてしまった。
なにが気になるって、立浪くんの膝に草むらから伸びた蔓が絡みついていたことだ。まるで自発的に伸びたかのように――……。
「なるほど……」
じり、じりと距離を詰めていく。
狛火野くんは鞘に刀を戻して、集中力を研ぎ澄ませていく。
初めて宗矩さんが自ら動いた。その場に膝をついて、正座してみせたのだ。
それだけで狛火野くんは歩みを止めた。止めざるを得なかった。
彼の抜刀術は士道誠心随一のもの。けれど彼の技は人を殺すためにあるのではない。生かすためにあるのだという。守るための刀。であれば、正座をして運命を受け入れる心構えを見せる男は斬れない。ましてや、自分よりも大きな心を持っていると見えた相手は特に。
汗をにじませて、荒い呼吸をしてから――……整えて、その場に正座してみせた狛火野くんに、宗矩さんは目を開ける。見据えられた狛火野くんの背が強ばり、そして。
「負けました」
頭を垂れた。私よりも、ギンや、もしかしたらトモよりも、剣術に生きる狛火野くんにしか見えない境地があるのかもしれない。
すっと立ち上がる宗矩さんは全員を見渡す。
いつでもこいと言わんばかりに。
直ちにトモが疾走する。ギンも立浪くんも息を合わせて挑みかかる。なのに宗矩さんはまるで全身に目が生えているかのように察知し、最小限の動きで相手の力を利用し、さらにはそこかしこのものさえ利用して避ける。投げる。足を払い、ときに叩きつける。
見ていて理解する。ツルが自然に伸びたり、葉が舞って目元に飛んで邪魔をしたり。木の枝を蹴り上げてはそれを振るって顔にぺちっと手痛い一撃を与え、怯んだ相手の足を払ったり。
刀に囚われず、利用できるものをなんでも利用して生き延びる。
その心構えから連想できたはずだ。なのに無理だった。ただ腰に刀があり、彼が柳生新陰流を身につけた強者であるというだけで――……囚われてしまっていた。
全身に浮かぶ冷や汗と同じくらい、興奮して尻尾が膨らんでいく。
柳生宗矩は侍であり、武士であり、知恵者であり――……隔離世の刀鍛冶でもあるのだ。
すごい……すごい! この人はこの力を隠し、活用し、江戸のために尽くしているのだ。徳川の世のため。柳生家のため。あるいはもっと単純に、己の心の内にある神のため。
うずうずしている私のそばで、コナちゃん先輩が吠える。
「もういい! 三名とも、そこまで! 星蘭のみなさん、先にいきます?」
「ユウジン! どないする気や!」
星蘭の集団から声が上がるの。去年いらっしゃったときにラビ先輩と体育館の壇上でコントをしてくれた生徒会長さんの声だった。
「うちらは客分やさかい、士道誠心の先生がたが生徒の手柄と思て我慢してはるのに、ここでご相伴にあずかるのんはね、ねえ? 士道誠心の生徒はんだけにお任せしたらええんちゃう?」
「だそうや! 立浪ぃ!」
ユウジンくんの気のない声に生徒会長さんが吠えて、立浪くんがむすっとした顔で私たちの横を抜けて星蘭の輪に戻っていく。
「それじゃあ――……」
「連携が取れる集団で挑まなければ失礼だ! ユウヤ、三年生! いくぞ!」
コナちゃん先輩の台詞を奪って、ミツハ先輩が前に出ていく。
「一年生、二年生、しっかり見ていろ!」
檄を飛ばすミツハ先輩の隣で、ユウヤ先輩は気のない顔をして刀を抜いた。勝てる気がしないって顔に書いてある。交渉事以外で実力を表に出すタイプじゃないもんね。
けど後ろに並ぶコナちゃん先輩、シオリ先輩に――……なによりカナタはやる気満々の顔をしていたの。
そっと後ろに下がると、お姉ちゃんが私の隣に並ぶ。クウキさんの姿はない。昨日、地獄にご挨拶してきてお別れしてきたのかもしれない。
「見物だな」
「そうだね! カナタ、修行したんでしょ?」
「何秒もつかな」
「倒せるってこと?」
微妙に答えてくれないお姉ちゃんに焦れて横顔を見たらさ。
「いや、倒されるほうだ」
あっさり言う内容が内容だったから、さすがにそれはって思った私の視界の向こうでミツハ先輩が吹っ飛んでいったの。
一瞬、アメコミ映画のコントシーンかな? って思ったけど。ぎょっとして見たら、トモの勢い並みの快速でミツハ先輩が飛んでいく。それだけじゃない。
すぱん! すぱぱん! と快音が鳴ったからもしやコナちゃん先輩がツッコミを!? と思ったら、ハリセンを手にしていたのは宗矩さんで、コナちゃん先輩がヤムチャなポーズで地面に倒れ伏していた。
「なっ!」
どよめく私たち士道誠心の生徒一同を背負って、シオリ先輩が吠える。
「凍れ!」
全力全開、コナちゃん先輩の敵とばかりに刀を振るうシオリ先輩だったけど。
バキバキと音を立てて氷の茨が伸びていく。しかし宗矩さんは躊躇せずにそれを掴んだ。そして、
「ふっ……幼い少女の恋心か。これまた風流な」
ふっと笑ってみせた瞬間に、氷が一瞬で溶かされてしまう。
ばしゃあ、と地面を濡らすだけ。シオリ先輩ったら赤面して尻餅をついていた。
さらにどよめく私たちの不安に負けじとカナタが黒い炎を宿した刀と煌めく白銀の刀を手に挑んでいく。二刀流といえば、真っ先にぱっと浮かぶの。新免武蔵。もっと名の広まっている名前で呼ぶのなら――……宮本武蔵。
カナタは舞うように刀を振るう。けれど宗矩さんはその舞いに合わせてよけ続ける。それだけじゃない。カナタの握りが一瞬だけ甘くなった大典田光世をさっと奪い取って斬り合うのだ。
カナタもカナタで、それもまたよしと開き直って切り結ぶ。黒い炎の軌跡は、けれど白銀と十字に重なりあって一切の乱れなし。
お姉ちゃんというかなりのブーストがかかった御霊を宿していながら、カナタの息があがっていく。それだけじゃない。背や足、髪の先に黒い炎がちらつき始める。
「あのばか……霊力のなさが出てきたぞ? カナタ! もって三十秒だ!」
「わかってる!」
怒鳴るカナタの声にはもう欠片も余裕がない。
振るうたびにどんどん心が削られている。戦うたびに体力がごりごり減っていくんだ。
なのに宗矩さんはカナタの刀を振るっているのに、ちっとも疲れていない。カナタが振るうお姉ちゃんの刀を前にして尚、一切の乱れなし。
なにが違うんだろう。私たちと心のありようが違うからできるの? 他人の刀を――……他人の夢を扱う術を、私たちは知らない。自分の夢すら振るい方に惑うくらいなのに。
なんで? どうして?
見ている私が戸惑うよりもっと、カナタは戸惑っていても不思議はない。
でもね? 繋がっている心から感じるんだ――……。
「くそ! くそ! なんで俺は足りない! こんなに、」
ああ――……。
「こんなに楽しいのに!」
心に満ちていた。自分の刀を、自分よりも心をあるがままに受け入れ、理解して振るえる宗矩さん。示されるのは、カナタがたどり着きたくならずにはいられない境地。可能性。輝く未来。
どんどん燃えていく。黒い炎に包まれて燃え出しかけたその一瞬、宗矩さんが光世ちゃんの柄頭でカナタの首筋に強烈な一撃を入れたの。
がくっと倒れて炎が消えて、ぷすぷすいいながら気絶するカナタから視線を外して私たちを見つめてくる。
途方もない。
ああ、こんなにも強いのか。この人は!
『さて……どうする?』
十兵衞ったら、楽しそうに言っちゃって!
「いくぞ」
お姉ちゃんが優雅に歩いていく。倒れ伏しているカナタの手から自分の刀をそっと取り上げて、カナタをライオン先生に向けて放るの。難なく受け止めるライオン先生、カナタをお姫さま抱っこしないであげてくだしい……!
マドカもキラリも、岡島くんに茨ちゃんも、シロくんも。ノンちゃんたちやユニスさんたちも、アリスちゃんも!
となれば、暁先輩だってきてもいいところなのでは? って思ったけど、先輩は馬車の御者台に腰掛けて見守る構えだ。回復しているけれど、戦いはまだ無理なのか。それとも現代に戻ってからの事態に備えているのか。
「がんばれ!」
明るい声で声援を送られて、私たちは揃って刀を抜く。
私たちの元へと戻ってきたお姉ちゃんに向けて宗矩さんが刀を投げた。背中越しの一投にもかかわらずお姉ちゃんは宗矩さんのように気づき、ふり返って難なく握りしめる。
「さて、作戦は?」
「こ、個人的にもはや意味をなさない気がしてしょうがないんだが」
シロくんったら弱気! 対して岡島くんは最初から全開モード。角を生やして青い光を纏っていく。
「じゃあお先に。茨……あと、相馬。それから冬音さん。四人でいこうか」
「おーっ! いくぞいくぞーっ!」
「俺もこっちか……しゃあねえな」
「ふん。いいだろう」
お姉ちゃんが吠えた。攻めろ、と。
岡島くんと茨ちゃんが跳躍した。その瞬間、トラジくんが刀を棍棒へと変えて地面に叩きつけたんだ。瞬間、巻き上がる土煙で視界が見えなくなる。
なるほど。この隙に攻めろってことかな?
しかしお姉ちゃんは動かない。代わりに、
「ふぐっ!」
「くっ――……」
煙の向こうからミツハ先輩やトモがやられたように岡島くんと茨ちゃんが吹き飛んできた。
力が強いほど、返ってくる力もまた強くなる。反射? 反作用? ううん、わからない言葉を使ってもうまく表現できないけど。
なんだか……。
「まるで、自分と戦っているみたい」
私の呟きにマドカとカゲくんが「へえ」と声を上げる間に、トラジくんが振るった棍棒による烈風が煙を吹き飛ばした。見守る十兵衞たちも、もちろん宗矩さんも動じてない。一切ね。
「で? 青澄姉、どうすんだ?」
「ケンカしてこい。我が見送ってやる」
「そりゃあ気が進まねえな。安いケンカは買わないし、勝てないケンカはしない主義だ」
棍棒を肩に当てた瞬間に、刀へと戻る。トラジくんは角を消して、長い息を吐いた。
「――……ちっ、シガラキめ。仕方ないな」
我がいく、とお姉ちゃんが歩いていく。
宗矩さんに光世ちゃんを放ったの。カナタみたいに切り結ぼうとしたのかもしれないけれど、宗矩さんは受けとるなり地面に突き刺して跪いたんだ。
ぎょっとした。狛火野くんのときのような正座での圧迫か。そう思ったけれど。
「我に虚偽は通じぬ。答えよ」
「何か」
「――……なんのために生きる?」
「生きればこそ生きる。ただ理の内にあればこそ、内なる神に従い息をし、飯を食らい、子を成し、生きる」
「死する者はどうする」
「それもまた内なる神の導きあればこそ。あなたのような存在がある」
「――……我は閻魔か」
「閻魔であり、人であり――……少女かと」
「ふん」
鼻息を出して「もういい」と言って、お姉ちゃんは戻ってきちゃった。
不思議な光景だし、それはもういやってほど見た気がする。
戦うという行為にすら執着せず、手ほどきをすると決めた心に従って時々に合わせて行動する。万事を尽くし、対応する。
おおきな人だ。軸があるから? それとも迷い廻って今に至るの?
わからないけれど、どうでもいい。目の前にいる宗矩さんのありようを、まずは受け入れる。すべてはそこからだ。
刀を握りしめて昂揚している私とは違って、
「俺はパス。ユニス、おまえは?」
「私もいい」
ミナトくんもユニスさんも戦うつもりはないみたいだった。特にユニスさんは本を大事そうにぎゅうって抱き締めながらはっきり言うの。
「師は既にここにいるし、自分の問題も見えているもの。見ているだけで学べる価値に思いを馳せるだけで、いまは精一杯」
「だよな……リョータ、コマチ、アリス。おまえたちは?」
「私は……私は、その……ごめんね?」
みんなに頭を下げてから、とてとてとコマチちゃんが歩いていく。
楽しそうだとばかりにアリスちゃんもくっついていくの。
ふたりの少女が刀を下ろして、ひとりの男に尋ねる。
「力はなんのためにあるのでしょうか」
「自分を殺しかねない力でも、持っているべきですか?」
コマチちゃんだけじゃなく、アリスちゃんさえいつものふわふわ加減を引っ込めている。
宗矩さんは私が思うよりもずっと優しい顔をして伝えるんだ。
「力があるのではない。意思があるのだ。刀、奇術、いずれもただの形。己を殺しかねない力ではない。己を殺しかねない意思と対峙し、振り回されることなく、意思のままに扱うのだ」
彼の答えに満足したのか、ふたりは深々と頭を下げて戻ってきた。
今度は自分がとばかりに、虹野くんが駆け寄っていく。彼もまた、刀を鞘へと戻して。
「誰かの技に……夢や物語の力に憧れて、それを借りるのは悪でしょうか?」
どきっとしたし、納得もした。虹野くんがニチアサ特撮が大好きな男の子だということを、彼の恋人であるキラリから何度も聞いて知っていたの。それに私も、なんなら学年や学校全体でマシンロボとか作戦の軸にさせてもらったりするときもあるし。
気になる問いだけれど。現代で聞いたらノーって言われるところだけど。
「技も戦い方も、生き方さえも、物語に触れ、夢を知り、真似て、学んで体得していく。迷う暇があるのならば、憧れの分だけ真似て己の憧れを守り、技を己のものとせよ。そして技を通じて憧れより己の心のあり方を知って殻を破り、己の理を悟るまで突き詰めよ」
「――……ありがとうございます!」
コマチちゃんとアリスちゃんのお辞儀とは違う、勢いのままに力一杯なお辞儀に宗矩さんは苦笑い。でも瞳にはあったかい感情が満ちあふれているようにも見えた。
走って戻ってくる虹野くんの笑顔といったら!
キラリがマドカの背中を叩いて、私に一瞥をくれて歩いていく。キラリさえ、刀をおさめているし。マドカも深呼吸してから、後に続いていく。
私もいこう。
真っ先に歩きだしたキラリが最初に尋ねるの。
「あたしが聞きたいことはひとつだけだ。己の獣を制御する術は?」
「内なる神に逆らうな。拒めば無理が出る。素直にせよ」
「……それが一番むずかしい」
肩を竦めて一歩下がるキラリと入れ替わりに、マドカが前へ。
「他人の力しか使えない。己の力が――……心が見えないんです。どうしたら、見えますか?」
「他人の力を通して己の心を見よ。なにを感じるのか。そこに答えがある。他人の力を使えるのであれば、他人の心を素直に捉えてもいよう?」
「それは――……」
ためらうマドカに私はキラリとふたりで「まちがいないです」って言うよ。
落ちつかなそうに肩を強ばらせるマドカに、宗矩さんは伝えるの。
「それをどうするか。どうしたいのか。素直に捉えたままに、己の心を見出して――……あとは、それについてどのように感じるのか。己の感じ方から己を知って、守るべきを守り、破るべきを破れ」
「――……それしか、ないか」
わかっていたんだろうなあ。圧倒的な立ち振る舞いを示し続ける宗矩さんに言われて感じ入る部分がやまほどあるんだろうね。それも芯から響く形で! だからマドカも吹っ切れた顔をして、後ろに下がるんだ。
だから――……とうとう、私の番。
一年生たちが向かっていってもいいだろうけれど、先輩たちはだめって空気を醸し出している。戦闘訓練もまだまだちっともしてないし、宗矩さんは幕府の大事な人でもあるわけで。
とびきりの機会なのにだめっていうのはもったいないけれど。
また来ればいい。そう割りきって、深呼吸をしてから尋ねるの。
「孤独は人の心を苛みますか?」
いろんな含みがある。
家光さんのこと。徳川における将軍という立場のこと。
もちろん昔の私や、これからの私かもしれないし。江戸時代に来たばかりの姫ちゃんや、私が高校に入学する前のツバキちゃんかもしれないし。
――……クロリンネにいる黒い私かもしれない。
「鰥寡孤独……救済対象とみなされる家族構成。とはいえ助ける者がなく、生活が困難な者という意味においても、引いては語らう者や心を許せる者がいないという意味においても、それは心を苛むだろう」
あるいは。
「大勢の中に囲まれていようと、心を打ち明けられる者などおらず、寂しく生きれば当然、周囲との溝は生まれる。苦痛なれば至極あたりまえのように、苛む」
故に。
「人は生まれたときにひとりなどではない。女の腹の中から生まれる。男が種を仕込まねばならぬ。男と女が生まれるためには親がなければならぬ。人の交流なければ男と女は出会わず、出会わぬのなら夫婦にもならず、友や仲間、先祖やお家あればこそ、魂の結びつきは死する前にひとりになろうと――……消えるものではない」
これまでで一番、饒舌だ。
彼は結ぶ。
「故に己をひとりにする意思こそが、己を苛む。己が己を殺すのだ。苛むとしたら、己自身に他ならぬ。他者の侮蔑や嘲笑が己を孤独にするのではない。それに感じ入る己の心が己を苛むのだ」
そう断言できるまでに、彼はいったいどれほどのことを積み重ねてきたのだろう。
わからないよ。ただ――……強い。
「それが天女どのの敵なれば、己を苛む者の味方になればよい」
「たとえば、それは――……泣いている赤子を母親が抱き締めるように?」
「あるいは、それは――……怒鳴り散らす者の話をそばで聞いてやるように」
「――……寄り添えば?」
「救われる道もあろう。ひとりの悪を斬るよりもわかりにくく、途方もなく、険しい道なれど」
「私がその道を歩きたいと思うのなら」
「行けばいい。己の信じた道を行かずにどうする……天女どのの内に宿る神が願うのならば、それが天女どのの生き方なのであろう」
進め、と。ひとことをくれた彼に、私は精一杯の会釈をした。
タマちゃん、ごめん。この人のこの言葉には、どうしても頭を下げずにはいられないよ。
『――……よい。救われたお主の心の趣くままに選んだことならば、妾は文句などいわぬ』
ありがと!
「さて。これにて終いか? 幼子の相手はせぬゆえ……何も言わなければ、こちらは見送るのみだが」
はいはいって理華ちゃんの声がしたけど「場を弁えろ!」「よせって!」「そういう空気じゃないから!」って、九組の子たちがあわてて止めに入っているの。
あはは……。
まあまあ。時を超えることが自発的にできるようになったらさ。そのときにくればいいさ。
幕府にとっては私がどこまでも顔役で、私が済んだらやっぱり終わりな空気になっちゃうの。
宗矩さんがあきさんから刀を受けとり、胸に手を当ててすっと消えていく。隔離世から現代に戻ったのかもしれない。
そしたら、当然。
「ぎん、刀を大事にしろよ」
「おう!」
村正さんだって後に続くし……十兵衞もふっと笑ってこちらを見て、頭を下げてそれっきり。
あきさんだけ、私のそばにきてそっと抱き締めてくれた。
「この出会いが夢幻のものだとしても――……忘れません。いまに満足せず、貪欲にお友達をたくさん増やしてくださいね?」
「――……はい!」
ひいがいくつつくのかわからないくらいのご先祖さま。でもそれよりもっと、優しいお姉さんだった。じっくり交流を深めたかったけれど、私たちは毎日が忙しすぎた――……。
思い返すほどに、また来たいと思っちゃう。
離れたあきさんが星蘭の中にいるユウジンくんと――……それからもうひとり、狐の女の子を見つめてからお辞儀をして、十兵衞のそばへと戻っていく。
村正さんが手を掲げた。消えちゃう。別れの瞬間。いやだって思うけど。
まるでそれを見越したように、
「己に勝て」
十兵衞に言われてしまった。噴き上がってくる複雑な気持ちのまま、足を前にだすけれど。
「あ――……」
消えちゃった。
――……消えちゃった。
キラリに腕をそっと引かれたの。
深呼吸をする。かすかに残る匂いを覚えてる。いつか忘れてしまうかもしれないけれど。いまはまだ、覚えてる。
目元を手の甲で拭ってから、息を吐き出す。
さあ、戻ろう。
私たちの時代へ。
何が待っていようとも――……関係ない。
「帰ろう」
今日、帰ろう。私たちの居場所へ。
現代へ!
つづく!




