第五百八十六話
みんなでお風呂へ移動して、似非カップル風呂がすでに星蘭や五日市村組に占拠されていて絶望しつつ女風呂へ。みんながわいわいと文句を言いつつも、現代に戻ったら何をしたいかという素敵なお話をしている中、私は湯船に浸かりながら膝を抱えていました。
ねえ、十兵衞。
『なんだ?』
宗矩さんの兵法家伝書を読んだときに、ちょっと不思議に思ったことがあったの。
『さて……父の話で妙な振り。俺は何を聞かれるやら』
聞きたいことはやまほどあるよ? あきさんとのその後とかさ。もうやまほど気になるんだけど。
でもそれは現代に帰ったらでもいいの。宗矩さんに接触する余裕もいまの私たちにはないのだし。だからね? 聞きたいのはさ。
私って生かす道を選んだし。去年、星蘭のみんなを翻弄したあの夜の特別体育館で、十兵衞は私に誇りを汚すような、殺すようなことをするなってメッセージをくれたじゃない?
『そんなこともあったかな?』
あったの!
でさ。宗矩さんは書物で「大勢を救うためにひとりの悪を斬れ」っていう趣旨のことを書いていて。要するにそれは、自分の仲間を助けるために、敵の核を捉えて容赦せずに滅ぼせっていう話じゃない?
『それが?』
十兵衞って宗矩さんと同じ考えなの?
『ほほ! これは十兵衞、きつい質問じゃなあ? 核心をついてきおったわ』
『ふん』
『ほれほれ。答えてやれ』
さてな、と……この場にいたら、いや女湯に十兵衞が出てきたら大騒ぎになるけど! そうじゃなくて、問題のない場所で十兵衞が見えたならアゴに手を当てて憎めない笑顔ではぐらかしてきそうであります!
『この時代の俺の考えなど、もはや忘れたな』
そういう逃げ方するの? ずるいなあ。じゃあじゃあ、今の十兵衞ならどう?
『春灯の力が答えだ』
もーっ! やっぱり逃げるんだから!
明言してくれてもいいのにさー。
『照れ屋で頑固なのじゃから、しょうがあるまい』
タマちゃんまで十兵衞の肩をもって!
やれやれですよ。
私はさ。大勢を助けるためにひとりをまず助けたいよ。ひとりの後ろに大勢が見えるときは特にね。本当の意味で孤独になっちゃっているのなら、やっぱり放っておけないし。
答えは変わらないよね。
『それでいい』
もー。後乗りしてー。
いいけどね! 気持ちは一緒だってわかるから。
殺人剣はいいよ? 別に。それが必要な時代もあったんだろう。
現代だって、そこから離れられずにいる社会が確かに存在しているわけで。
何年経っても、人の心や文化がトンデモ進化でもしない限りは無理なのかもしれない。
どうでもいいや。
呪いをかけるように「殺さなきゃいけないんだ」って人に言ったり自分に言い聞かせるような人生には興味ないもん。
鏡に映る自分をまっすぐ見られるくらいの心の温度でいたい。いつだってね。それくらいの余裕があるほうがずっと、そばにいる人に優しくできると思うの。なんとなくだけどね!
だから私は活人剣がいい。殺さず傷つけず癒やせる剣がいい。いつだってそうあれるわけじゃないけどさ。それ故に意地を張る価値があるの。
私にとってそれは歌であり、両目の力であり、ふたりの御霊と大神狐モードであり、抱き締めることなんだ。
すっきりした。やるころは明白だもの!
そう思ったところで、ほっぺたに水鉄砲を食らいました。
びっくりして隣を見たら、トモが笑ってこっちを見ていたんだ。
「ねえ、ハル! あんたは現代に戻ったらなにがしたい?」
「そうそう、聞かせてよ」
キラリも、隣にマドカも、ノンちゃんやユニスさん、コマチちゃん、アリスちゃんだって私を見ていた。
アゴに人差し指の腹を当ててううんと唸る。
「そうだなあ。ライブがあるし、テレビの仕事もあるし、ネット配信番組の収録も待ってるし。お歌をはじめいろんなトレーニング待ちだし」
「思ったよりも色気がないのね」
「先輩の話、しないの?」
ユニスさんとコマチちゃんの質問にゆるい蕩け顔でノンちゃんが言うの。
「どうせデートするしあまあま三昧に違いないのです」
「具体的にその内容を聞いていこうって言う話じゃないの?」
トモがすぐに言い返して、でどうなのよと私に水鉄砲をいつでもかけられるように両手を向けてきた。指を下ろして、くふふと笑ってみせますよ。
「そりゃあ、もう! ……どうしよう」
「「「 おい! 」」」
総ツッコミにあうち!
でもでも、どやって言おうと思ったら気づいちゃったんだよ。
「化けても尻尾があったらお外デートは見つかっちゃうし。ふたりきりってむつかしいのでは」
「隔離世でデートしたらいいんじゃないですかねえ……ノンはそうします……」
どんどん顔がゆるんでいくノンちゃん、ほっといたら溶けちゃいそうだ。
そういえば柊さんは見ないけど、時間帯をずらしているのかもしれない。残念! シオリ先輩の手伝いをしているのかな。それともコナちゃん先輩から指令を受けているとか? だとしても不思議はないけれど。
「隔離世デートして警察の侍に見つかったら補導されそう」
「そうですねえ……見つかったらアウトですねえ……」
どんどん適当になってるよ!
「佳村、なにかあったのか?」
「柊さんと五日市組の二年生の刀鍛冶総出で、男性教諭たちの授業、別名悪ふざけに付き合って星蘭も運べる高速列車を用意しているんだって」
「おかげさまで働きづめなのです……」
身体の力が抜けきっていて、座っているのも諦めたノンちゃんが仰向けに大の字になってぷかぷかと漂う。ちなみにアリスちゃんはずっと泳いでいる。
「じゃあ柊はずっと働いているのか?」
「泉くんや日下部さんを捕まえて燃えているそうだよ。メカとか大好きみたい」
マドカとキラリの話を手で追い払うようにして、トモがずずいと詰め寄ってきた。
「で。どうすんの? 緋迎先輩とケンカしたって噂になってるよ」
「どこから漏れたんだ!」
「一年の日高が生徒会長の指示で後をつけて見守ってたの」
おう……。
日高ルイくんはコナちゃん先輩たちにかなり重用されているんですよね。
カナタとのケンカも見られていたのかも。そっかあ。
「ケンカはだいたいケリがついたの。今夜ふたりきりで話そうって言ったけど、先生たちのピリピリ感をみると無理そうだし……だから、ふたりきりになれる場所で、あまあましながら私がいかにカナタが好きか伝えたいなあ」
「むしろ、一週間あまあま禁止にして……御褒美のあまあま、すれば……いいかも?」
コマチちゃんの提案にユニスさんとキラリがふたりして「トラジ……」って呟いたの、突っ込みたいけど突っ込むべきじゃないんだろうね!
「春灯には無理。春灯があまあま好きだし」
マドカ……!
「あまあまで相手を支配するのって、どうなの?」
「トモさま!」
「やりたがりには有効だろ」
「キラリさん?」
「そうですねえ……やりたがりには有効ですねえ……」
「ノンちゃん……っ!」
「だとしたら最も有効なカウンターを彼氏に与えることになるから春灯にはオススメしない」
「マドカさん!?」
みんなして好き放題言い過ぎなのでは!
「まあ待って! あまあまから一旦離れてみよう。そもそも緋迎先輩って自信ない勢なんでしょ? 褒めたら?」
「トモしゃま……」
「根本的に自分を肯定する習慣がない人って、自分を否定するんだよね。しかも無自覚なのに率先してやるからたちが悪い。こじらせると他人までも否定するようになるけど、緋迎先輩はそこまでじゃないよね」
おう……。
マドカの分析にぐうの音も出ない。
「あまあまとかだと、一時的にしかならない、から……自分で自分を認められるよう、成長してもらうしか、ない……かな」
「そうね。他人との付きあい方と切りわけてしてもらわないと、さらにこじらせるけど。否定するよりは肯定する力が強いほうがいいね」
コマチちゃんとユニスさんの分析も、なかなかえぐいのでは。
彼氏の話? それとも、自分の話? どちらにせよ、私の心もずきずきします……!
「振り切れるというか、吹っ切れるきっかけがあればいいんじゃないか?」
「ああ……さすがキラリ!」
カナタは吹っ切れたときの勢いがかなりすごいの!
それほど普段、自分に鎖をかけちゃう癖がついているんだけどさ。
「私はそれをしたいかな。カナタが吹っ切れるようなこと……なにがいいかなあ」
「ねえ、ハル。先輩のそば打ちはストレス解消なんでしょ?」
「そうなの。いつだったかすごく不安にさせちゃったときは、お部屋に帰ったらそばの球がやまほどできてた」
私の言葉にみんなが爆笑するの。
「暴力を振るってきたり、文句を言うよりいいよ!」
「かわいいかわいい!」
「あのおそば、おいしかった……」
「また食べたいわね!」
もーっ! 適当なこといって!
むすっとする私に「そう怒るなって、真面目にやるから」と伝えてからキラリが提案するの。
「料理ってのはいいんじゃない? 岡島はよく、めんどくさがりでアホで元気でえっちな男子小学生が高校生になって女になっただけの茨を巻き込んで料理してる」
「あー。たしかに。あのふたり、よくふたりで食堂の厨房に入れてもらってるね」
うんうんと頷く私に、キラリは両手を組み合わせてうんと伸びをしたんだ。同性ながらに見惚れちゃうくらいの天使のラインを惜しげもなく披露するキラリにみんなが羨望とも嫉妬ともつかない視線を向ける。一致しているのは「こうはなれねえな」っていう諦めの境地かな……。
けどちっちゃい頃から綺麗なキラリはもはや慣れちゃっているのか、そもそも気づかないのか、すごくリラックスした顔で夢見がちに天井を見つめた。
「先輩のお父さんがやってる喫茶店のバイトでさ。先輩のお母さんの指導も受けつつ、カレーの作り方を教わるんだけど。達成感がやばいんだ。料理はさ、がんばったら食べれて、味わえるだろ? うまくできたら、わかりやすく自信がつくんだよなあ」
「「「 ああ…… 」」」
「ま、岡島の場合は茨ががんばって料理してる姿を見たいのと、なんだかんだで茨が楽しんでいる顔を見るのが好きで、しかも付き合ってくれるのが嬉しいからやってるだけだろうけど」
「「「 ああ…… 」」」
みんなして二度も納得してハモっちゃった。
マドカは犬耳の犬尻尾でおイヌさま丸だしだけど、茨ちゃんもどちらかというとアホ可愛いわんこみたいなところあるもん。自分の尻尾を噛むために全力でぐるぐる回って、超いい顔してわふって言ってくれそうな無邪気かわいいところがあるよ……!
男子でいた頃よりも下ネタは減ってるし。岡島くんは折に触れて必ず茨ちゃんを可愛いって褒めるから、なんだかんだで最初の頃よりもオシャレに気を遣うようになってる。たまに寮の大浴場の更衣室で見かけるたびに、下着がかわいくなっていってるし。
一度、岡島くんの趣味にあわせてたりする? って聞いてみたらさ。かわいいって褒めてもらうのが嬉しいから、俺なりにがんばってるんだって言ってた。まぶしすぎたよね……!
話題を締めくくるように、キラリはすっと立ち上がる。やっぱり私たちは天使の身体が眩しすぎて目が眩みそうになるんですけどね!
「やりたいこと、やまほどあるな。バイトも仕事も、リョータとする朝の散歩も……お見せ廻りも通販サイトをひたすら眺めるのも、ぜんぶやりたい」
「だね」
うんうんと頷いて立ちあがる。尻尾が重たいのにはもう慣れているし、キラリの身体の美しさにももう慣れている。
モデル雑誌の要件は明白。その時代における美を体現すること。モデルの仕事を始めているキラリに聞いたら、きっともっと私よりしっかりした答えが返ってくるに違いないけれど。
私は高城さんから、少年誌の表紙のグラビアのお仕事がくるかもーなんて言われたことがある。三月に発売した侍雑誌に掲載されている水着の反響がだいぶいいみたい。でも、それはキラリのしているお仕事の領域とは違う。
タマちゃんを宿した私には似合っている気がするけれど。やっぱり羨ましいなあとも思う。
キラリと並ぶといろいろ違うもん。腰のくびれ方とか、お乳のラインとか、腰回りのそもそもの骨格の差とか。肩や首筋の悩ましさとか。もー並べるときりないけど。おへそも綺麗だし!
「ふたりに並ぶの、ほんと憂鬱」
しみじみ思っている私と気にしないで出ていこうとするキラリの背中を見て、マドカがぼそっと呟いた。それから立ち上がる。剣道部で汗を流していて、なんでも器用にこなすし、みんなをまとめることさえできるマドカはキラリとは違う引き締まり方をしている。私とは違う意味で悩ましいし、高城さんからマドカもグラビアの話が来てるって聞いたよ?
「私はマドカの裸も綺麗だと思うけどなあ」
「どーもー」
おざなりな返事をして、キラリの後を追いかけて出てっちゃう。
実は三人の中でもいちばんライバル意識があるからなあ。マドカは人のいいところを見抜くのも感じとるのもうまいけれど、カナタと同じで自信があんまりなかったりして。
地味にそこが気になってる。なんとかできたらいいんだけどね。私にもキラリにもできないたくさんのことを、マドカはできるし。
うまくいかないなあ……。
「はいはい。落ち込まないの」
のぼせるから出るよーってノンちゃんやアリスちゃんに呼びかけて、トモもお湯からあがっていく。
筋肉で引き締まっているといえばトモだ。誰よりもアスリート体型なの。剣道で自分を鍛えているだけじゃない。体力作りに余念がないタイプだからさ。かっこいい身体してるんだよねえ。
アリスちゃんとノンちゃんが湯船からあがっていくのを追いかけるように、コマチちゃんやユニスさんもお風呂から出る。
私からしたらみんな違ってみんな素敵。特に意識しているキラリには過剰なくらい褒めたくなっちゃうけどさ。だからってみんながうーんって唸っちゃうような見た目だと思っているわけじゃない。
マドカみたいに私は私で自分の身体にうーんって思うところがあるけど、それもタマちゃんのご指導を受けて自分らしく輝けるよう改善するだけだし。
気にならないかなあ。
とはいえ……これだけ素敵なみんなが集まっているわけで。
カナタも男子たちも、いっそ女子部屋にこっそり侵入できないか考えてくれてもいいのでは?
◆
先生が浴場から離れた瞬間になされたラビの提案に、俺は頭を抱えた。
「もう一度いってくれ。なんだって?」
「だから、男子部屋と女子部屋の下に空間を作るのさ。それこそ個室をたくさんね。そこで逢い引きすればいい。生徒は全員、カナタやハルちゃんが化けて、寝ている体を装えば問題なし」
「あのなあ」
沢城や虹野、一年九組の男子連中も揃って真面目な顔をしてラビを見つめていた。
「だめに決まっているだろう」
「なんでだい?」
「なんでって……お前。先生たちに絶対にばれるだろ」
「ばれないように頼むよ」
「簡単に言うなよ!」
悲鳴をあげる俺にあわてて五日市組の三年生たちが飛びついてきて口を塞いだ。
「ばか! 静かにしろ!」
「獣憑きの先生はいないんだ! 静かにしていればばれねえ!」
「五日市組にとっても光明なんだよ!」
いや、お前たちのほうがうるさいからな!
「こっそりやればばれないよ」
「もっとも頼りにならないかどわかし方だな。雑すぎるにも程がある」
「ばれてもカナタが怒られるだけだし」
「ようし、ラビ。いつかお前とは決着をつけなきゃいけないと思っていた。そこに座れ」
「もうお風呂に浸かっているけど」
「……くっ、ああ言えばこう言う!」
「金曜日夜七時半からやっている嵐を呼ぶ幼稚園児の友達じゃあるまいし。深呼吸したら?」
お前が言うな!
「頼むよ、カナタ。コナちゃんとだいぶご無沙汰なんだ!」
「そんな話を俺にするな!」
「カナタだってハルちゃんとご無沙汰なんだろう?」
「そういう話をみんなの前でするな!」
「みんなだって決戦前夜の前はふたりきりで時間を過ごしたいはずさ。具体的にはしっぽりしたいはずさ!」
「最後の話を男子しかいないからって言うな!」
「それじゃあ多数決に入ります」
「俺の話を聞け! っていうか問答無用でやらせる流れだろ、これ!?」
「カナタに先生たちにばれないように個室部屋を設置して欲しい人-!」
「「「「 うぃーっす! 」」」」
「くっ……お前ら、覚えてろよ!」
ばぁん、とけたたましく扉が開いて「うるせえぞ!」と先生が怒鳴ってきて、みんな素知らぬ顔をしてリラックスし始める。
こういうときの団結力はいったいなんなんだ……まったく。
先生がむすっとしながら扉を閉めた瞬間に、一同は悪い笑顔で「じゃ、よろしく」と言い放った。最悪だ……。
うんざりしながら風呂から出ると、春灯たちがちょうど出てきたところだった。
こちらを見て湯上がりの少女たちがくすくすと笑って電車に向かっていく。それをぽぉっとした顔で見送る俺たち男子一同の間抜けさたるや……。
追いかけるようにホームに向かい、やってきた電車に乗ろうとしたときだった。
「緋迎くん」
「え……あ、ニナ先生?」
湯上がりなのか、上気した頬で獅子王先生とふたりで歩いてきた浴衣姿のニナ先生に近づかれ、肩に手を置かれた。耳元で囁かれる。
「ぜんぶ聞いてましたよ」
鳥肌が立ったけれど、指先が! 指先がぐっと俺の肩に食い込んで!
「悪さしちゃ、め! ですからね?」
にこぉおおおお! ってしているけど! 爪が! ああ、爪が!
「わかりましたか?」
「は、は……はい」
「よろしい。湯冷めしないようにね?」
手を離して軽く着物を指先で叩き、ニナ先生は電車へと入っていく。
獅子王先生は俺をちらりと見て、憐憫の情を顔に浮かべてみせてはくれたのだが……結局、
「普段ならお主たちの味方になるのだが、風紀の先生に目を付けられていてな。新婚は気が緩むんですね、と」
「ああ……」
「すまん」
それ以外はもう、なにも言ってはくれなかった。
仕方ない。この場で何かを言おうものなら、ニナ先生に間違いなく聞かれてしまう。
それに納得してしまったんだ。
風紀の先生。簡潔に述べるなら最年長のご婦人の先生である。学院長先生と最も付きあいの長い先生だ。刀鍛冶としてご活躍していた時期もあるという辣腕を振るう社会科の先生なのだが、性的な部分に対する考えはどちらかといえば昔気質というか、お堅い先生なんだ。
彼女を怒らせると後が怖い。俺にとってのミツハ先輩のような存在だといえば、ニナ先生にとってどれほど怖いかは容易に想像がつく……。
城から屋敷に戻ってきたときに見た山吹と立沢を叱るニナ先生は、かなりぴりぴりしていた。危険かつ高度な実技授業で、しかも愚かな失敗をした生徒を怒るときにしか見せない怒りの表情を見せていた。正直、かなり珍しいことだ。
よほどねちねちと言われているのかもしれないなあ……。
悲しいかな、理由はいくらでも思いつく。
コナも俺も、五日市組のメイ先輩たちも、ユウヤ先輩が許して山吹が率先して作ったカップル風呂には悩まされた。けれど止められなかったし、壊すことはできなかった。
もし風紀の先生がニナ先生に「日頃からあなたが甘やかしているから」とこんこんと説教していたら? 目を付けられている先生が見ている前で、立沢や山吹が何度もアタックしてきたら?
ニナ先生が離れた場所でやんわりと言おうとしたり、その場面を目撃した風紀の先生から「ここで、目の前でどうぞ叱ってごらんなさい」と言われたら?
さすがのニナ先生でも、士道誠心の教師陣ではかなり若いほうだ。逆らえるものじゃない。
この状況でニナ先生を苦しませるようなことはしたくない。
正直、日頃からかなりお世話になっているからな……。
発車前の警告音が聞こえてあわてて電車に乗り、ラビの隣に腰掛ける。
兎の耳を指先で撫でながら、ラビは窓の外を眺めていた。黄昏れている顔がガラスに反射して見えたが、理由は考えるまでもない。
「聞いてのとおりだ。諦めろ」
「はあ……現代までお預けだなんて。ひどくないかい?」
「しょうがないだろ。俺たちにとってのアイドル先生で、先生方の屈指の良心であるニナ先生が苦しい状況なんだ」
「……それを言われちゃうとねえ」
鼻を啜って、涙ぐんだ目で恨みがましく俺を見つめてくる。
「でも。愛するくらい、自由でいいじゃないか」
「俺の隣で眠って、彼女の寝息でも聞いて我慢しろ」
「……けち」
「俺に言うな。先生がたに言え」
「無理だよ……朝まで正座コースだよ……」
「一年生の特別授業で真中先輩の泊まっている部屋に遊びにいったお前の罰は、ああ。たしかに朝まで正座コースだったな」
「カナタも付き合ってくれたじゃないか。あの時の結束はどこにいったんだい?」
「だからお前を部屋に誘ってるんだ」
「……今日はカナタが抱き枕か」
「頼むから、いいかげんひとりで寝ろ」
「江戸の夜が寒いのがいけないんだ」
むすっとしながら言うな。
「シオリの手伝いでもしろ」
「だめだね。ゲーム作るのに夢中で構ってくれないんだもん」
「じゃあ諦めて寝ろ」
「湯たんぽ作ってくれない?」
「だめだ。俺の布団にいれて一緒に寝る気だろ? 暑いから二度とごめんだ」
「けち!」
はあ……。
頭痛がするような会話を経て電車を下りる。
屋敷へとあがる階段を歩いていたら、後ろから追いかけてくるようにして春灯がのぼってきた。俺の隣に並んで、ジト目で睨んで言うのだ。
「江戸時代だとカナタはラビ先輩に添い寝してもらってるんだね? へええ?」
「なんだよ」
「べつにい? 今夜の話し合いは現代に戻ってからに持ち越しになりそうだから。話題が増えたねえって言いに来ただけ! べーっだ!」
舌をだしてくしゃくしゃの顔で不満をアピールすると、すぐに悪戯っぽく笑って俺の鼻を指先で押してきた。
「私の熱が恋しいからって、ラビ先輩に抱きついたら一生ネタにするからね?」
「するかよ!」
「どうだかー」
笑いながら走って先へいく。後を追いかけて、二年生の女子たちが俺に意味ありげな視線を送っていくのだ。華やかな香りと眩しい笑顔たちを俺も、ラビもほかの男子も見送ることしかできない。
あまりにも惜しくて、つい呟いてしまったんだ。
「早く現代に戻ろう」
「「「 それな 」」」
その場にいる男子の心がひとつになった瞬間だった。
あるいはとても残念な瞬間かもしれないが……しかし俺たちのやる気は増すばかりなのだった。
やれやれだ!
つづく!




