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その刀を下ろして、帯刀男子さま!  作者: 月見七春
第五十一章 大江戸化狐、時女神青色帳

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第五百八十四話

 



 緊張と反省と後悔と不安とごめんなさいという五つの感情に苛まれたカナタを後ろに、アイさんの先導で夜のお城の広間へ。

 カナタを大奥へ入れるのは問題あるよね。夜の将軍さまのお部屋に男子がっていうのは、その。現状を踏まえると、いろいろと問題がある。それに刺激的すぎる。

 お城を守護する男の人たちがぴりぴりした空気で私とカナタを睨み、けれどアイさんに怯んでいる。

 カナタとケンカした時に思いだしたお母さんズや親戚のお姉さん、それにマドカやノンちゃんたちの言葉はさ。男はとか女はとか、そういう言葉を使っていたけれど。現実にはジェンダーレスというか、性別に囚われない表現を模索して、壁を築くんじゃなくて橋をかけようという意思が映画大国を中心に発信されていっている。

 私たちは男だからとか女だからとか、そういう呪いに無自覚に、あるいは意図的に囚われているけれど。ほんとなら、そんな風に雑に人をくくることの無意味さにもっと意識的に気づくべきだし。

 家光さんの苦しみも、そこに行き当たるのかもしれないね。

 将軍さまだから子供を産むために女性を受け入れなきゃいけないとか。そういう己の立場を気にせず、むしろ素直に好かれようとするなら子供だなんだと肉体的な部分を押しつけられずに済む男子のほうが、同性だし気やすくていい、みたいな。

 とても繊細な話題だから、私から敢えて家光さんに聞いてはいない。正室についてもユウジンくんたちがアプローチを始めて任せきり。正室は公家の出なんだったっけ? だとしたら京都に馴染みがいいユウジンくんたち星蘭の生徒の方がずっと機微がわかる……とか?


『ふ』


 あーっ! タマちゃん、いまはっきりと鼻で笑ったでしょ!


『いまは妾への指摘が必要な場か?』


 うっぷす! でも悔しいかな、タマちゃんの言うとおり!

 用意された座布団に腰掛ける。カナタも渋々、隣の座布団に腰を下ろした。流れで頭を垂れようとするカナタはけど、私が顔をあげたままなのに気づいて戸惑う。

 コナちゃん先輩たちを前にこれまでの逢瀬の報告はしてきた。私が頭を垂らさないことにしたことも知っているはず。でもカナタは身分や立場に素直に従おうとしているし、囚われているとも言える。

 もちろん礼儀を欠いていると判断するのは、まずは相手側。なのでこちらが礼を失する行いをした場合、リスクをこうむるのはこちら側なのだけど。


「ふむ――……余から見ても、また頼りない男よ。しかし狐でもある。なかなかの美貌よ。のう、アイ」

「はい。天女さまの思い人という気性は、真面目そうなお心から見えまするが」

「よい。そなた、名をなんと申す。はるひから聞いてはいるが、そなたの口から申せ」


 和やかにアイさんと話す家光さん。ふたりの会話のあたたかさは、家光さんの決意とアイさんの受け入れる心、そして私がささやかなきっかけを作ってからふたりが近づけるよう家光さんに寄り添ったすべての時間の積み重ねの結果です。どや、家光さんとアイさんはもちろんだけど、私がんばったのでは?

 だからカナタが助けを求めるように見てきても、すまし顔で流しちゃう。

 自然体で。もっともっと、心に素直に。けれど相手への敬意を持って。それは意外と難しい。私はもちろん、見栄っ張りなカナタにとってもね。


「緋迎カナタと……申します」


 微妙な間をおいて。


「上様の仰るとおり、未だ未熟の身なれど――……春灯と恋仲です」

「尻尾の数はふたつか?」

「狐の尻尾は多ければいいというものではございません」


 あっ、そういうこというの!?


「いずれ失い神へと至り、獣であることから離れるのでございます。なれど、天に至れば四つ。地に下りてひとつとしてなく……あるべき性根を素直に現せば、妖狐としての素質を現す九は偉大な数やもしれません」


 煙に巻くような言い回しをして!


「そなたは未だ心が小さい。しかし、なれば近しく感じもする……傍らの天女が眩しくはないか?」

「彼女は太陽のように輝いては月の私にある窪みを照らしますゆえ」

「そうか……月と太陽でなければ、なんと表す?」


 ずるい! 男同士の会話に流れ込んでる!

 ますますむすっとする私にアイさんがそっと目配せをしてきた。

 わかってる。家光さんのしたいようにさせてあげてっていうお願いなの。ここ数日でふたりで作ったサインだから、心得ているよ。我慢、がまん。


「そうですね」


 アゴに手を置いたの。

 直ちに横目で見たよ。内容如何によっては、今夜の展開が大きく変わるかも。それくらいしてもいいかなあっていう主張。

 やらかした自覚があるのか主導権をこちらに委ねるかと思いきや。


「氷とあたたかな水――……或いは木と炎。蜂と花。稲を貪る虫と、それを食らう虫」

「そなたは食われる方か?」

「己の種を残すが生物の本能。故に選択する権利のある雌が強いのが世の理でございます」

「雄が食えばよいのではないか?」

「雌が雄を食べることもあります」

「――……であれば我らは奴隷か?」

「そういうことではございません」


 あんまりいい流れじゃないのですが、これは。

 じーっと睨む私に気づいて、カナタは咳払いをしたの。


「未熟な身なれば食われてしまいます。こちらは溶けて、彼女をいっとき癒やすかもしれません。ですが、転じて離れてみれば……どちらも人の恵みに繋がるものでございます」

「であればそなたの話における人とは何か」


 楽しそうに問答しちゃって。ふたりとも子供なんだから! ずるいよ、混ぜてよ!


『お主が一番子供ではないか』


 いいの! まだ十代だし!


「互いの絆でございます。食って食われて、立場は何度も変わりながら……互いの絆に変わっていきます。人さえも、彼女か、或いは己になり……互いの思いを食いながら、みっつの栄養へと変えていくのです」


 ――……ん?


「わたくしは未熟の身なれば、彼女こそ天の恵みであると知りながら、ときに忘れてしまいます。毎日のように日がのぼれば、誰も光の大事さなど思い煩いませぬ」

「――……米あつまれば、それを当然のことと思わず。民の結晶と心得よ」


 そう呟いて、深く頷くなり家光さんはアイさんに目配せをした。


「刀を」

「上様。恐れながら、みなが心配なさいます」

「木でもよい。持て」

「ですが、万一のことを考えますと……お怪我を負われては、悲しゅうございます」

「だが――……余はこの者と手合わせしてみたいのだ。腰に差した刀と出で立ちは、余の心をくすぐるに十分である」


 駄々をこねる家光さんにアイさんが目配せしてきた。眉間の皺の意味は考えるまでもない。


「将棋、ないし囲碁などは……ございますか?」

「む? そなた、打てるのか?」

「手は天であれば人の理よりも進んでいるやもしれませぬが、私は父に教えられているのみ。父も名人というわけでもございませぬゆえ、ちょうどよろしいかと」


 笑顔でしれっというけれど、カナタはちょっとずるい。

 まさしく現代のほうが、江戸時代よりも手が研究されているから囲碁にせよ将棋にせよ、戦いやすさは現代の私たちの方が上なのでは。

 とうぜん、頂点を目指して切磋琢磨している人たちなら、という但し書きをつけたほうがいいのは百も承知だし、カナタはちゃんとそこに触れている。

 けどやっぱり、勝つ気まんまんにしか見えません。だって繋がっている心から、ひしひしと感じます。私を九回も夜に独占するなんて! って。嫉妬は見苦しいのでは。


『お主でもほれ。心穏やかにはおれんじゃろ?』


 そりゃあね!


『大目に見てやれ』


 十兵衞まで。けどさあ。カナタが家光さんを倒しちゃまずいよ。かといって手を抜いたら、それはそれで家光さんが気づこうものならもめ事になる。

 お父さんがよくいってた。接待ゴルフの基本は相手を褒めること。本当かなあって感じだけどね。打ちっ放しにもいかないし、土日はゴルフ放送ばかり見ているというよそのお宅のお父さんの話と比べると、うちのお父さんはアニメか映画かマンガかラノベしか気にしないし。

 とにかく、不安。


「まあ見てろって」


 自慢げにかすかな声で囁いて、私ばりのどや顔を見せるカナタを見ているとやっぱり不安。

 だいじょうぶかなあ。


『ところで、カナタにすっかり主導権を奪われておるぞ?』


 うっぷす!


 ◆


 アイさんが呼びかけてお城の人が直ちに用意してくれたのは、将棋盤。

 カナタがそれとなくハンデをつけるべきかどうか確かめるけど、家光さんは笑って「同等でよい」と言うの。獣耳を澄ませると、遠くで土井さんやお城の男衆が気が気じゃない声を出していて、宗矩さんは「今宵の上様を含めた四名のことは、四名だけのことと心得よ」とそれとなく落ち着けって促している。

 家光さんはもちろん、アイさんも私もそのつもり。カナタはどうなんだろう。

 どきどきしながらふたりの将棋を見守る。

 正直ちっともやったことがない。マンガで見たことは何度だってあるよ? けど、肝心のルールがわからないの。

 十兵衞ならわかる?


『指し手の説明など聞いても、理解できまい』


 むうう! その通りだけど!


「かなた。申せ……はるひのどこに惚れた」


 不意の問いかけにどきっとした。


「余が見たことのないくらい、今宵のはるひの顔は険しかった。ケンカをしたと聞く。なれどふたりは共にあり、余が見た仲違いをした夫婦ほど剣呑ともしていない」


 家光さんは私が思っているよりもずっと、ちゃんと、私のことを見ていてくれているんだ。


「それにはるひはお主を常に気に掛けておるように見える。あい、はるひは何度かなたの話をした?」

「さて……数えきれません」


 アイさんの指摘にカナタが伸ばした手が揺れて、きっと狙っていた駒じゃない隣の駒に触れちゃったの。


「ということだ。さあ、かなた。申せ。そして手は戻すな」


 家光さん、策士!

 カナタもカナタで、ラビ先輩がやんちゃしているのを見つけて怒っているときの笑顔で見つめ返す。


「殿がお感じになったかどうかはわかりませんが。彼女は心根素直に、手を差し伸べてくれるのです。俺は――……あ、その」

「よい。気楽にせよ」

「は、はあ。それでは――……俺は、よく惑います。頭でっかちで、ばかになれぬと呆れられることも多い」


 ぱち、と次の手を打って腕を組み合わせる。


「考えすぎてしまいます。己はかくあるべき。こうでなければならぬ。しかし」

「現実の己はなかなかそうはならぬし……いかぬ」

「まさしく」


 深く頷くカナタに家光さんが次の手を打った。

 けれどもう、盤面の動きは私にはどうでもよかった。

 むしろこのふたりが出会えたことに、感謝するばかりだった。

 家光さんは何気なしにか、それとも最後の夜だからこそなのか、カナタを呼んでくれた。

 けどよかった。それで。家光さんのほうが気づいていたのかもしれない。

 カナタの悩みは私よりもずっと、家光さんにとって身近なものだったんだ。


「生きたいように生きる。それが一番難しい」

「……このような夜の盤面では、いくらでも遊べるというのに」

「勝たねばならぬ。負けてはならぬ。勝ちたい。負けたくない。そう願うほどに、身体ががんじがらめになっていくんですよね……」

「宗矩はよく言う。囚われてはならぬ。己のあるべき姿を捉え、そのために注力せよと。しかしな」

「わかります」


 ふたりは顔を見あわせて、無邪気に同じような笑顔で言うんだ。


「「 あるべき姿になろうとすると、囚われてしまう! 」」


 あはははは、と笑ってさ。お酒があってふたりが飲んでいたのなら、酔っ払いの意気投合だという風にも見えるけど。無邪気に将棋を楽しんでいるふたりはいっそただの子供にしか見えなくて。

 正直ちょっと妬けちゃうな。


「素直になるのが一番むずかしいですよね」

「余はそなたに勝って、はるひの心に残ってみたい」

「勝っても許しませんよ。あなたは十分、彼女の心に居場所を作ったし。大事な場所にはもう俺がいますから」


 まったくもう……。

 なにしれっと言ってるんだか。それくらいで許したりしないから!


『蕩けた笑顔で考えても説得力がないのう』


 しーっ、黙ってて! タマちゃん!


「そなたの心に残るのも一興よ」

「それもだめです。あなたは俺が今までで一番嫉妬した男であり、俺より将棋の強い最高の男として残りますし、なにより彼女がいますから」

「狭量よな」

「恋しているときは誰でも心が狭くなりますよ」

「確かに……違いない」


 ふっと笑って、ふたりはご機嫌で見つめあう。


「続けよう」

「ええ」


 もう、今夜はこれで終わっちゃいそうだ。

 なのになあ。ずるいなあ。ふたりは将棋だけでわかりあっちゃってさ。私は八日を語り合いで通してきたのに。羨ましいし、何も言わないこの時間がなによりも尊く感じちゃうの。

 時間が流れてとうとう、足音が近づいてきて「そろそろ」だと告げられてしまってさ。

 家光さんが勝敗のついた盤面から目を離してすっと立ち上がったの。

 苦しみ寂しがっていた面影は、いまもよく見えるけれど。アイさんがそばに控えているだけじゃなくて。


「心配されているようだ。余はいらぬ心配だと思うが……この盤面を見ればな?」


 ど家光さんの誇らしげなどや顔に、カナタは苦笑い。しかもちょっと唇の端が引きつってる。


『接戦だったが、上様の心根勝ちだな。カナタが途中で気持ちを切らした』


 ――……なんで?


『勝ち筋が見えて高ぶって、愚かな一手を打った。上様はそれを見逃さずに詰め――……カナタは未熟に気づいて、己を取り繕おうとした』


 あー……。


『まだまだ未熟だと気づいて集中力を取り戻したが、時既に遅し。鍛え甲斐があるな?』


 私よりも嬉しそうに言うの、どうなの?

 別にいいけどさ。十兵衞はカナタと絡むの好きだもんね。

 それにしても。


「どうだ! はるひ、余は勝ったぞ! それも手加減なしでだ! まいったか!」


 子供みたいに笑ってさ。本当に嬉しそうな顔をしてくれて。

 彼氏が負けちゃって、それは複雑だけど。でもそれとはまったく別の次元で、やっぱり誇らしかったんだ。


「ええ。お強くなられましたね」

「うむ! 当然だ! 余を誰だと思っておる?」


 将軍とか、徳川の子とか、そういうことじゃないんだ。


「お主が手を差し伸べた男じゃ! 負けるはずがあろうか!」

「ええ……そうですよね。よく、今日までがんばってこられましたね」


 すっと立ち上がって、流し目をくれて襖の向こう側の人に促すの。

 そっと襖が閉まった。誇らしげにする男の子の頭にそっと手を置いて撫でるんだ。


「これからも、がんばれそうですか?」

「――……うむ」


 目に涙を浮かべ、瞼を伏せて一筋。

 ようく躾けられているからこそ、そっと指先で拭ってからとんと胸を叩く。


「任せよ! だから――……」


 叩いた手を下ろして、そっと頭を垂らして囁くの。


「もう少しだけ、撫でてくれ。余の頭を撫でられる者は、そうはいないのだ」

「――……はい」


 カナタにごめんねって囁いてから、家光さんをぎゅっとして頭を撫でる。

 心が繋がっているのなら、届けたい。

 この人は男の人じゃなくて、子供だった。私の前ではずっと――……愛情を求める子供でしかなかったんだよ。


 ◆


 駕籠に乗って移動している間に、ささやきを通じて語り合う。


「春灯を大事にしてやれと――……まさか別れ際に言われてしまうとはな。結局、俺はずっと見当違いな嫉妬をしていたわけか」

「やっと気づいた?」

「でも……見た目が大人で、しかも天下の将軍だぞ?」

「それに囚われないで」

「ありのままに……という言葉にも?」

「まさしく囚われちゃだめ」


 笑って尻尾を撫でつける。


「ちっちゃな子供なんだよ。どれほど大人に振る舞っても、責任の重たいことをやってもさ。傷ついたぶんだけ愛情を感じとる力と一緒に、疑う力が強くなると思うんだ」


 金色のふさふさの毛をしていても、現代でちゃんと手入れしていた頃に比べるとくたびれ気味。早く特別シャンプー使ってつやつやに戻してすっきりしたい。


「信じられないことが増えると、人は大人になるんじゃなくて子供に戻るんだと思う」

「……そうか?」

「そうだよ。重ねた年の数だけ理屈を並べるのが上手になって、自分をだますことにも慣れやすくなるけど。さらに年を取って、それすらも疲れて取り繕えなくなると、きっと気づくんだ」


 手ぐしで撫でつけてから、深いため息を吐く。

 重たい考え。タマちゃんの心の傷や十兵衞の抱える葛藤のほんの一割でも知るだけで思う。


「大人って力を示す状態じゃなくてさ。優しさや知恵でたくましく笑顔で生きられる心根を指し示すと思うの。抑圧された社会を描いた映画で表される拷問者や圧政を敷く人が大人には思えないし、関わりのない人の不貞を断罪する人も大人には思えない」


 けっこう毛が絡んでいる尻尾のように。


「許せて笑える心が大人なんだと思うんだ。子供に戻ったり、脱せない人生や社会はきついよ。親とか守ってくれる人がいないと」


 私たちは絡まり合って、自分じゃどうにもできなくなるときがいつか来る。

 そもそもひとりで育っている人なんて、どれほどいるんだろう。親がいて、親が勤める仕事があって、仕事を提供する企業ないし団体が存在して、そういう社会が無事に保たれる法律や国があって。脅かさないで、みんなで幸せにしあえたら素敵だけど。

 好き嫌いがあって、仲良くできることばかりじゃなくて。利益があって奪ったら得になる瞬間が確かにあるのなら、争ってでも手にしたい人が出てくるのも自然の摂理だし。人間の社会より獣同士の社会のほうが、いっそ露骨に生存競争をしている。

 競争のない社会は理想だろうか。なにかの奴隷にならないと生きていけないのかな。本能には抗えなくて。けっきょく私たちには、なにかに囚われないと生きられないのかな。

 どうせ囚われる必要があることが存在するのなら、それはすくないほうがいいと思うけど。

 単純に結論をだせることでもないよね。

 むつかしい。歴史の積み重ねに対して意見をしても最適解を出せる社会に導けるような、万能な存在にはなれない。なりたいわけでもないし。

 なりたいのはただ、自分らしく生きられる自分でいたい。それだけ。

 多くのことを考えるきっかけになったし、黒い私と対峙するために必要な思考かもしれない。

 たださ。


「大人にならなきゃいけないとき。思い出せるぬくもりがあったらさ。人は強くあろうとして、何かに挑める気がするの」


 お母さんやお父さん、トウヤはもちろんだし。お姉ちゃんだってもちろんそうだし。

 ツバキちゃんもそうだ。

 トモ、ノンちゃん、ギンやレオくん、タツくん……狛火野くん。

 キラリ、マドカ、ユイちゃんたちやユウジンくんたち。

 ライオン先生にニナ先生。

 トシさんたちに高城さん、社長や、仕事で関わるみんな。

 コバトちゃん、ソウイチさん、サクラさんにシュウさん――……なにより、カナタ。

 名前を挙げたらきりないくらい、たくさんの人が私にぬくもりをくれる。

 ぬくもりを確かめて、来てくれる人にお返しするためのライブだって待っている。

 だから頑張れるし、自信がなくなったり見失っても歯を食いしばって耐えて、思い出せる。未熟でも大事な自分の信じ方を。


「きっと本当はそれを作るための九回だったし。私もカナタも、それがいまの課題なのかも」

「――……そうだな。ぬくもりを力に変える、か。忘れずに、確かな力にしていくとなれば、お前の尻尾が九本で俺の尻尾が二本なのも納得だ」

「どうして?」


 思わず尋ねた私に、カナタは駕籠の中からかすかな吐息を聞かせてくれたの。笑ったのかな。


「春灯と冬音で二本分だな」

「むっ。ここは最高の台詞で私への愛情を示す場面なのでは?」

「嘘だ、悪い。冗談だ」

「じゃあじゃあ?」


 期待して囁く私にカナタが言った答えはね?


「春灯の愛情で二本分……おかげで俺は光世と冬音に怒られる」

「でもそう言わなかったら私が怒る」


 すかさずツッコミを入れた私にカナタはやっとリラックスした声で返してくれるんだ。


「わかってるって。寝てから抜け出せるか?」

「あ、そういう企て? 大好きだけど、先生たちをごまかす化け術を身代わりにするのはハードル高いなあ」

「じゃあ……おとなしく風呂場の似非カップル風呂にするか」

「水着姿の私に欲情しない?」

「したら一発でわかるだろ? 水着だけに」

「私は構わないけど」

「見回りに来た先生に見つかるのはいやだ」

「背中向けてれば見えないんじゃない?」

「――……付きあいたての頃よりざっくばらん過ぎないか?」

「そりゃあ……まあ、同棲状態で一年も経てばね。初心モードのほうがいい?」

「いい。こっちに来て何日も経つから忘れがちだけど、毎日のように一緒に寝てるわけだし」

「あー。その様子だと、私にひっついて寝てる一年生の子たちに嫉妬してるなー?」

「……ふん」

「素直に言ったら? 私と一緒がいいって」

「ラビとふたりで寝てるからいい」

「――……ん?」


 思わず固まって、すぐに聞き返したよね。


「どういうこと?」

「冗談だ。たまにあいつが電話で言うんだよ。ハルちゃんに今度そう言ってみろ、ってな」

「冗談にちっとも聞こえなかったよ!? 悪い冗談にもほどがあるよ!」

「なんでだよ。だいたい、あいつの部屋に泊まったときはだいたい起きたら抱きつかれてるぞ」

「なんで!?」

「なんでってなんだよ。あいつの寝相が悪いって話だろ」

「どうしてラビ先輩の寝相を知ってるの! 納得いかないんですけど!」

「お前が怒る理由のほうが俺には納得いかないんだけど! どういうことだよ!」

「わからないの!? カナタのほうが浮気してるよ!」

「なに!? 彼をハグして頭を撫でたお前に言われたくないぞ!」

「はあああ!? そっちこと仕事だからってコナちゃん先輩とキスしておいて!」

「それは終わった話だしお前自身が流して終わりにした話だろ!? いまさらほじくり返すなよ!」

「仕事の一環でもあったんだもん! 同じ話題でしょ!」

「いいや、あれは昔の話だ! そっちのは今日の話だろ!」

「でも同じ話だもん!」

「そういうことを言い出すなら、こっちにだって話題はあるからな! たとえば、山吹に風呂でよく身体を洗われているって聞くが、あれはなんだ!」

「そのまんまの意味だよ! マドカが背中を流してくれてるだけだよ!?」

「全身を洗ってるって聞いた!」

「それはちょっと前の話ですーっ!」

「でも実際にあった話だろ!?」

「カナタだって三月の特別授業のお風呂でラビ先輩にお姫さま抱っこされたって聞いたもん! どういうことなの!?」

「あれはただ滑っただけ!」


 気づいたらぎゃあぎゃあ騒ぎ出す私たちに、駕籠を運んでくれるお兄さんたちが揃って「狐の夫婦ゲンカってなると、イヌは食うのかね」なんて呆れていました。

 やれやれだね!




 つづく!

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