第五百七十二話
理華ちゃんが妙に機嫌のいい顔で戻ってくるのと対照的に、マドカが赤面しながら狛火野くんに支えられて戻ってきたの。マドカは理華ちゃんと目を合わせて顔を真っ赤にして、狛火野くんとふたりして別の場所へ歩いていった。ふたりであまあまタイミングかな。
先生たちにやんわりとそろそろ寝なさいって言われてみんなで横になったの。理華ちゃんと姫ちゃんに挟まれて眠るのだけど、マドカは私がうとうとしても帰ってこなかった。
キラリは美華ちゃんと楽しそうに話しながら戻ってきたのに。なにかがあったのかな。
気になるからぷちを出そうと思ったけれど、左右を挟むふたりの体温に誘われて気がついたら寝ちゃっていた。
思っていたよりもずっと疲れていたのかもしれない。
心が落ちていく。
ふと気づいたとき、誰かに肩を揺さぶられた。なのにそう認識だけで、実際に感覚はない。
じゃあこれは夢なんだ、と理解して目の前をみた。血だまりに反射して見える顔は、見ず知らずの男性の顔。手にする銃器を必死に持ち上げて、乱射する兵士たちにまぎれて引き金をしぼる。
連射される弾丸はけれど、当たらない。
歩いてくるの。
黒髪の私が、金髪の私の肉体を引きずりながら。
弾丸は途中で分解されて霧散していく。高らかに笑う黒髪の私が金髪の私を掲げた瞬間、誰かが叫んだ。やめろって。
銃撃がやんでいく。完全に制止した環境で、黒い私が金の私を、こちらへとほうり投げた。
弾んで飛んで、ごろごろ転がってきた肉体を見て誰かが悲鳴をあげた。
血は流れていない。目の焦点はあっていなくて、肌は変色していた。尻尾の毛はすべてくすんでいたし、明らかにもう――……死んでいる。
凍りつく兵士たちの後ろから金に駆け寄っていく少女がいた。姫ちゃんだ。
涙を目に浮かべて、大事そうに運命の三女神の時計を手にして私を抱き締める。時計が光り輝いた。駆け寄るひとりの少年に空から狐火が降り注ぐ。七原くんだ。彼を姫ちゃんの元へ近づけないようにするための妨害。誰がしたのかなんて、考えるまでもない。
兵士が叫ぶ。あいつを撃て。いやけど、俺たちの女神が! みんなが戸惑っている間に、事件が起きた。
姫ちゃんの身体から膨大な霊子が放たれていく。命が失われるような速度で。あらゆる霊子が集まって金の私に集っていくの。その霊子の流れを、黒い私が哄笑しながら操作した。すべて、自分へ。
絶望の表情を浮かべて霊子に解けて消えていく姫ちゃんと、死んだままの金の私。空しく落ちていく時計を、優雅に歩いてきた黒の私が拾い上げる。
そしてすぐに立ち上がって後ろに手を伸ばした。
片翼の悪魔が殺意にまみれた表情で拳を突きだしていた。角を生やして、右腕と左足を失い、それでも命を燃やして拳を振るう――……理華ちゃんを、けれど黒の私はものともせずに尻尾を掴んで思いきり叩きつけていく。何度も。何度も。
黒い狐火がやまほど放たれて、兵士たちも七原くんも援護どころではなくて。
だから、理華ちゃんの首を掴んだ彼女がこちらを見て歪んだ笑いを浮かべたときにはもはや絶望しかなかったの。ごき、と妙にいやに響く音がして理華ちゃんの全身から力が抜けてしまった。
ほうり投げられながら、転がりながらも人の姿へと戻っていく。
七原くんが怒りと絶望に身を委ねて刀を手に疾走していくけれど、黒の私は時計を掲げて叫んだ。最後のひとつを手に入れた、ここにもはや用はない!
そうして――……七原くんが刀を振り下ろしたときにはもう消えてしまうんだ。
後に残されたのは、ただの絶望だけ。
失意と恐怖で人が死ぬのなら、まさにこの瞬間に大勢が死に絶えていたのではないか。それほどの寒気を覚えて周囲を見渡して言葉を失う。
夜空に浮かぶ氷の花、二輪。ふたりの少女の生首を中心に浮かべた花の歪さがただただ恐ろしい。
私が視点になっている兵士がゆっくりと、のたのたと歩いていく。
そして恐る恐る、金の私に手を伸ばした。死んでからどれほどの日にちが経ったのだろう。わからないけれど、絶望でも希望でもない。ただただ信じられないという顔をして息絶えた哀れな瞳に手を当てて、そっと瞼を下ろす。
義足の足を車いすに乗せて、ごろごろと押してきた柊さんが言うの。漆黒の反応は完全に消失。人類の敗北です、と。
荒野にかろうじて残る都庁の残骸を見つめて、ため息を吐く。サブマシンガンの銃身を抱いて呟いた。
もはやたったひとりを除いてヒーローは失われた。終わりだ、と。
目の前の金色がほどけていく。黒髪に戻って、尻尾が失われていく死した私を見つめて叫ばずにはいられなかった。
◆
目を開けてすぐに猛烈な寒気を感じて、興奮と恐怖で暴れる心臓に手を当てようとして、次に隣に寝ているふたりが腕をいつものように抱いていたら無理だと思った。けれど、私の手は自由に動いたの。
それだけじゃない。
「はあっ、はあっ……」
「――……はっ、ふ……」
青ざめた顔をして理華ちゃんも姫ちゃんも起き上がっていたの。一目でわかるくらい汗まみれになっていた。私だってそうだ。
飛び起きた私を見て、ふたりしてぎょっとした顔をしたけれど……間違いなく三人そろって、理解していた。
「じゃあ」
「いまの」
「……ふたりも?」
私の問いかけにふたりとも頷いたの。理解できないけれど、偶然で片付けるにしてはあまりに不穏な内容過ぎた。
惑う私に姫ちゃんがすぐに口を開いた。
「あ、の……生徒会長を起こして、説明しないと」
「え? どういうこと?」
ぴんとこない私の隣で、理華ちゃんはとんだ寝起きに悪態もつかずに、すごく集中した顔で姫ちゃんを見つめている。
「実は、その。昨夜、へんなことがあって――……ああ! 私からはうまく説明できないです。生徒会長を!」
青ざめて震えている身体で、それでも急いで寝ているコナちゃん先輩に駆け寄っていくの。
腕を組んでから理華ちゃんがぽつりと呟いた。
「――……夢じゃないなら?」
私を見て、それから呟く。
「まだそうと決まったわけじゃない。でも――……でも、考えておかなきゃ」
そう言うなり、理華ちゃんもすっと立ち上がってコナちゃん先輩の元へと歩いていくの。
汗を吸った尻尾を手で撫でながら、心が不安で砕けそうだった。
死して時を経た自分の死に顔はあまりになにも残せずにいる虚無の顔で。
あんな風に死にたくないと願わずにはいられなくて――……。
◆
大奥で眠る将軍の胸にそっと呪を描き、人の目につかぬように印を切り消してしまう。
女たちに気づかれぬように屋敷の外へと出た瞬間、のど元に錫杖をつきつけられた。
「天海さま。これはいかなるおつもりか」
にやけた面の坊主を見て、微笑みと共に言い返す。
「宗矩の差し金か」
「いやいや。それだけでは」
「ならば沢庵か?」
「それだけでもなく! お主が隠した真の天海さまを助け出し、命じられた故にございますれば。おおっと! 動くのはオススメいたしません」
指先を動かそうとしたときにはもう、背中に刀の切っ先が当てられていた。
「斬るはたやすい。誰の手の者か」
柳生宗矩ご本人がお出ましとは。天海として笑い、答える。
「いやいや。徳川の世を思えばこそ、これは天命に従って行動したまで」
「先日の天守閣幽霊事変もお主の手引きか」
殺気はない。尾張柳生と分かれ、江戸柳生。しかし彼の技は決して侮れまい。
「そうだといったら斬るか?」
「――……和尚どのたちは口を揃えて言う。そなたは奇術を操ると。正体を申せ」
「方術を使うのであれば拙僧が止めよう」
ふたりの狙いにかかと笑い、しかし身動きはせずにつま先に意識を傾けた。
「さて、いつぞやの戦国で死にそびれた男か。あるいは刀鍛冶の息子か……どちらでもよい。お主たちの狙いを果たせ。もはや目的は達した!」
手を広げた瞬間、刀が骨と骨の隙間を貫き臓を切り裂いた。構わぬ構わぬと叫ぶ。
「喜んで地獄へと舞い戻ろうぞ!」
足先に忍ばせていた式神を行使して己を焼く。
呪いを刻んだ。ただの暇つぶし。己を宿した男の最後の願い。
どうせ生きられぬのならば、もはや未練なし。そも、願いはとうに叶っている。
「徳川の世は続く! そして――……“あの方の願い通りに私は種をまくことに成功した”!」
酸素が奪われるけれど、自ずから溶けて消えていく。
あとに残されたふたりは奇怪な死に様を見せた誰とも知らぬ男の末路たる灰を見おろして、呟く。
「いかがされますか」
「上様と大奥を改めよ」
「はっ」
誰か、誰か! と叫ぶ坊主を尻目に、そっと灰を改める。風に吹かれて、そもそも存在しなかったかのように消えてしまった。しかし一瞬だけ触れた指先に感じたそれは、砂浜のそれと大差ないと感じた。
であれば、そもそも人であったのか怪しいところだ。男の言葉を裏打ちするような情報など一切ない。十兵衞と、十兵衞に連れ添う娘にもあれこれと尋ねたが、しかし……見えるものはなく。十兵衞が嫁にするなどと申すから懐を割って話せと申してみせれば、娘は嘘など一切つかずに己の知るすべてを伝えてきた。疑う余地のないものを見せられもした。
忍びたちを使っても見えてこないとなると、もはや霞に手を伸ばしているかのような手応えのなさ。いっそあの娘を呼ぶか。己の知るすべてを語り、十兵衞とともに探らせるしかあるまいか。
だが、なによりも先決なのは上様よ。
「――……なにごとじゃ。騒々しい」
普段とさして変わらぬ顔をして出てこられた上様に跪く。
状況を知らせ、春日さまたちを頼りお体を確かめさせていただいたが怪しいところはなく。
我らの目には見えぬのかもしれぬ。
上様がお気に入りの娘によく似た、十兵衞が嫁にもらおうとしている娘に直ちに会わせて調べさせるほかないか。
「まったく」
予定通りにはいかぬもの。
うんざりするが、対処できぬ思考や問題に心を囚われても仕方なし。
己の手の届く範囲で、まずは対処するほかない。
とはいえ。
「疫病神を信じたくもなる」
何かの異物がこの時代にきた。
それはあの男か、それとも狐娘たちか。わからないが、あのような存在がいるのなら疫病神がいても不思議はない。心の内に神あれば、いったいどのような心のありようが疫病神なのやら。
◆
コナちゃん先輩を起こして夢の報告をしたらすぐに全員で会議をしようってことになったの。だけど汗だくの私たちを見て、まずはお風呂に入りなさいって言ってくれた。
ミツハ先輩やニナ先生たちを起こしてから、全員起床を唱えて朝風呂行きたい派で移動を開始。岡島くんは誰より早く目覚めて、ひとりで調理に勤しんでいたの。誘ったけど「気にせずいってきて。今日は驚かせたいから、手伝い無用。ひとりでやらせて」なんていうの。
食材が気になったけど、教えてくれないので渋々、こっそり設置された地下へのエレベーターへ。
駅に降りてびっくり! ホームが綺麗に整備されている! しかも五日市方面に穴が伸びている。さらに天井に照明まで設置されていたの。それだけじゃない。電車がない。なんで!?
「あれ……電車つくらなきゃですかね」
私の問いかけにコナちゃん先輩が前に出ようとしたらね?
なぜか男性教諭一同が不敵な顔して笑い始めた。ふっふっふ……! だってさ。女性教諭一同が心底あきれ果てた顔をしているのは、いったいなぜなのか。
でもね? 既視感はある。それはサバイバル授業の帰りの船移動のときにとてもよく似た状況だった。そう気づいたときだ。ぴんぽんぱんぽん、という音が鳴り響いたの。
『一番線に電車が参ります。白線の内側にてお待ちください』
自動音声が流れて、ふぉおおんという警報のあとに五日市方面から電車がやってきたんだ。
ブレーキの音がしてゆっくりと停車した電車の中を見て、思わずあんぐりと口を開いてしまいました。ルルコ先輩たち五日市組の人たちがタオルを抱えてパジャマ姿で乗っているんだから!
乗車を促す音が流れて、男性教諭たちが嬉々とした顔で「早く乗車を」と促してきたの。キラリやマドカと一緒に先頭車両に入った。よく見たら二車両から六車両になってるし。けっこうな乗車率だ。
発車しますという運転手のアナウンスと笛の音。誰が吹いているのか。それとも演出なのか。
車掌を三年生の理系授業を受け持つ先生がやっている。制服からなにからそれっぽく揃えて、電車を運転している背中はやる気に満ちあふれていた。
なんだかなあ。これはあれかなあ。野暮だから突っ込まないほうがいいやつかなあ。
思わず考え込む私と違って、キラリははっきり言うの。
「うちの先生たちっていうか……男連中って、基本的にアホだよな」
呆れてる。気持ちはすごくよくわかるけども、言い換えれば大人も遊ぶし、無邪気になれる瞬間って大事だし。
「だからこそ、私たちの生活が便利になっていくのかも」
「そういう見方もできるけど」
ため息を吐いてから、キラリが車内を顎で示した。
「中吊り広告、席の下や天井のエアコン、壁の広告からつり革から手すりまで。そこまで再現するべきか?」
「あ、あはは」
まあまあってフォローしようとしたら、進路方向から警報が聞こえてすぐに隣の線路を帰りの電車が通り抜けていく。っていうか、待って!? 線路が増設されているのでは!?
一番線って言っていたけど、まさか線路がふたつも作られるなんて! 遊びすぎなのでは!? しかも中に人がたくさん乗っていた。五日市組の生徒たちに違いない。
「――……訂正。私もこれは全力の遊びだと思う」
「便利を率先して、遊びのために実践するなんて技術の無駄遣いというか……お金もらえるわけでもないのにね」
「サービス残業的な?」
「まさにそれ。学院長先生の一存で江戸時代のお給料だせるわけでもないだろうし。先生も好きだよね……」
キラリの言うアホには前向きなニュアンスもあるんだろうけどさ。
もしかしたら、キラリの感じていることにはもっと深い何かが眠っているのかも。
現代のお金だなんだって言っていられる状況にはない。
迅速に江戸時代に戻るっていうのが急務。だからその先について、いま考えてどうにかするよりもまずは江戸時代から現代に戻ることに集中する。
もしかしたら先生がたの会議にて学院長先生はある程度の保証を約束しているかもしれないけどね。そのほうが先生たちの士気もあがるし、確実性が増すし。そもそもそれが筋だし。
私が気づくことだから、私よりもマドカが先に言いそうなものなのに。今日は静かなの。変なの!
「マドカ?」
「え――……ああ……なに?」
ぼんやりした顔で右手で左手の二の腕を抱き締めていた。
「なにって……ねえ?」
キラリに視線を投げかけるとさ。キラリは面白くなさそうな顔でマドカを見てぽつりと呟いたの。
「一途に振る舞わないから、しっぺ返しを食らうんだぞ」
「――……うるさいな。わかってる」
あ、あれ。ふたりの話がケンカに聞こえるの、私だけ?
マドカが急にぴりぴりしはじめて、キラリは尻尾をひゅんひゅん振り回し始めた。おかげで私のほっぺたにびしびしあたるのですが!
「あ、あの。ふ、ふたりともどうしたの?」
キラリの荒ぶる尻尾の射程範囲外に逃げてから見るけど、ふたりともつんと澄ましてなにも言ってくれない。
ゆうべ一緒にお風呂に行ったときも、帰ってきてからも仲良くしてたのに。
ふたりがそれぞれ一年生と話してからマドカはずっと戻ってこなくて、私よりも先にキラリは寝たはずで。朝だってふたりとも私よりあとに起きていた。ケンカするようなきっかけなんてないはずだよ?
「別に。マドカが何を考えているのかいやっていうくらい見えて、うんざりしてるだけ」
「それはこっちの台詞。キラリがどんな欲を持っているのか丸わかり。そういうやり方で当てこすりなんてしないでよ」
「してない」
「してる」
え、え、え、待って!
「ふ、ふたりともあれ? 御霊の力でお互いの気持ちを見てうんざりしてる的な?」
「「 ……別に 」」
あー……当たりなんだけど構うなっていうことですかね。
嘘でしょー。三人で仲良くやってきたのに! まさかの江戸時代でケンカとか!
「あ、え、と、そ、その」
「春灯……あんたは気にしなくていいから。これは」
「私とキラリの問題」
「いや、一方的にあんたの問題」
「どこが!?」
にらみ合うふたりにはらはらしていたら、電車が減速を始めた。
ばちばちと火花を散らしているふたりの視線におろおろしていたら扉が開いたの。
狛火野くんや虹野くんに助けを求めたいのだけど、男子は男子で固まって久々の馬鹿話に花を咲かせていたんだ。
ならいまこそカナタさんの出番なのでは!?
「久しぶりにカナタの背中を流せるね」
「どうして喜ぶんだよ」
ああもう! ラビ先輩とふたりでいちゃいちゃして!
「待って。ケンカはその、よくないっていうか」
「「 ふん! 」」
下手なりに仲裁しようとしたけど、大失敗。そもそも私、この手の経験がまったくないといっていい。ほら、あの……ぼっち時間が長かったので。ああ! すごく泣きそう!
「ま、まってくだし――……くれるわけないですか、そうですか」
ふたりとも肩をぶつけてずんずん歩いて行っちゃった。
とぼとぼと歩いて電車から降りたら、五日市組の去年のクラスメイトと盛り上がってたトモが気づいて駆け寄ってきてくれたの。
「なに落ち込んでるの! どうかした?」
「あの……キラリとマドカがケンカしてて」
「あー。あのふたりなら大丈夫だって」
「そ、そうかなあ」
とてもそんな風には見えないんだけど。
俯きそうになった私の眉間に指を当てて、くいって押して顔をあげさせるとさ。
「そうそう。あのふたり、ハルの見てないところでしょっちゅうケンカしてるから」
「え!? 嘘!」
「ほんとほんと。風呂から出る頃には仲直りしてるよ。それよりも、ノン!」
トモが呼びかけると、去年の零組四名と一緒にいたノンちゃんがてててててって小走りでやってきたの。
「はいです! お風呂いきます? ユリカさんやランさんたちも、ルミナさんたちもいますけど」
「や、久々にこの三人ではいろ」
「あー、いいですねえ!」
嬉しそうに飛び跳ねるノンちゃんにほっこりしてから、ふと気づいた。
「あれ? お姉ちゃんは? 起こしたと思うんだけど」
「冬音ならとっくにクウキさんとふたりで、新しいカップル風呂だよ」
「……素早いんだから」
大事にしろとか構えとかいうわりには自由なんだもん。
むすっとする私を見てトモが私の背中をばしっと叩いた。
「ほら、あんたも冬音のことでむすっとしてる。けど、どうせすぐに仲直りするでしょ?」
「……うん」
「キラリとマドカも同じだよ。ほら、いこう! ちょっと身体冷えてそうに見える」
からっとした気持ちのいい態度で優しく接してくれるから、トモにはいつだって助けられちゃうんだ。ノンちゃんと手を繋いで、三人で女子風呂に向かうの。
夜は家光さんとの話し合いが待っているし、気合いを入れていこう!
そう思ってお風呂を満喫して廊下に戻ると、キラリとマドカはふたりして笑いながら和やかに話していた。トモの言うとおりだったんだ。
疎外感も、そりゃああるけど……終始べったり、なんでもかんでも知っていなきゃいけないっていうわけじゃない。教えてくれたらいいなあと思っていたら、ふたりが私を見て笑い合ってから近づいてきてくれるの。やっぱり気にしてたって笑ったんだって言われたし、ばっちり獣耳で聞こえていたけどね。
それから昨夜、マドカが理華ちゃんとどんな話をしたのか聞いたの。キラリは、日頃の行いが悪いから理華ちゃんみたいな抜け目ない人に利用されちゃうんだぞって怒ってたんだって。願い星が見えてマドカの事情を察したから。いらいらしているキラリの欲望を浴びせられてマドカはマドカでいらいらしちゃったんだってさ。
ふたりでカップル風呂の空きに入って相談したらすっきりしたんだとか。
「ごめんね。その……心配かけて」
「どうせ謝るなら、遊びすぎてごめんなさいっていうべき。狛火野が可哀想だろ?」
「わ、わかってるってば! 何度も言わないでよ! ゆうべ、ユウには全部はなして許してもらったんだから! ……気をつけるから」
「よろしい」
しゅんとするマドカの頭をキラリがたっぷり撫でて、私に言うの。
「とまあ、こんな感じだ……あー」
悩ましい顔をするから、仲間はずれとか気にしたのかなあって思って先に言っちゃうの。
「ふたりが仲直りしてくれてよかったよ! それだけでじゅうぶん! もう、ほんとびっくりしたし怖かったんだから」
でももういいのって付け足したら、キラリがほっとしたように表情を和らげた。
「わるい、その」
「いつものことだし……ね?」
ああって頷くキラリも、それで終わりにしちゃうマドカも。ほんと、トモの言ったとおりだ。
恨めしいったらないよ。もー。ふたりが仲良しならそれでいいけどね!
ほっとしつつ電車から降りて、五日市組のみんなとお別れしてお屋敷に戻った私に、ライオン先生が近づいてきたの。
「青澄、幕府から通達があった」
「え……な、なんです?」
思わず身構える私に、ライオン先生は険しい表情で確かに言ったのだ。
「家光が妙な奇術をかけられた。あきという娘でも手が施せぬという」
「――……え」
「というのも……あきが申すには、お主が知る陰陽術に連なる者でなければ解決できぬと言う、と伝令の者が伝えてきた」
真っ先に思い浮かんだ顔はあれど、ただただ戸惑う。
「そ、それってどういう?」
「さてな。我は伝言役でしかない。だが……謎だらけではあるものの、あきの申す者が誰かは見当がついている」
「そりゃあ、私だってそうですけれども。な、なんででしょうか?」
「さあな。しかし、お主と、お主を通じて必要とされておる男がいるということだ」
わけがわからない。
「あ、あの! 家光さんは無事なんですか!?」
「今はな。だが時を経たらどうなるかわからぬそうだ。駕籠は既に来ている。本来であれば朝方見た夢の会議をしたいところだが、幕府の火急の用事とあれば無視できん。行けるか?」
「そ、それはもちろんですけど!」
不安でたまらなかった。
恋愛とかそういうのはもう一切関係ないけど。それでも家光さんはもう大事な友達のひとりっていう認識だから。
危ないなら迷わず行く。ニナ先生が今度は私のためっていうより、家光さんにかけられた術のために子犬を貸してくれた。
駕籠に乗っている間ずっと不安でたまらなかった。朝が最悪すぎたからかな。
なにごとも起きませんように。そう願いながらも江戸城本丸の部屋へ通される。
座布団に座って待っていたら、足音が近づいてきたの。
ふり返ると宗矩さんや土井さんたちに連れられてあきさんがやってきた。
私の隣にあきさんが腰を下ろして、宗矩さんたちが席次に従って腰を下ろす。
物凄くぴりぴりした空気の中で、土井さんが喋るのだけど一切頭に入ってこなかった。
どうしよう。どうしよう。
ひとりぼっちを強く感じていた家光さんに、まだ話せてないことがやまほどある。なのに、こんな形でお別れになったらいやだ。
「――……春灯どの。春灯どの!」
土井さんに名前を呼ばれて、はっとして顔を上げた。
みんなしてなんとも苦々しい顔をしているなか、土井さんは申し訳なさそうに顔を歪める。
「よもやそなたがそこまで上様を大事に考えてくださっているとは思わなんだ。しかし、聞いてもらわねば困る」
「家光さまは、ご無事なのですか!?」
「うむ!」
力強く頷く土井さんに、すごくほっとしたけれど。でも。じゃあ、この物々しい雰囲気はいったいなに?
「だが……そうだな。簡潔に言おう」
膝に手を置き、沈痛な顔で土井さんが言うのだ。
「そこな春灯どのによく似たあきどのが言うには、上様の種をよからぬものが蹂躙しているという。このままでは……どのような影響が出るのかわからぬ。早急に対処しなければならぬ」
「――……え、と」
事情はわかった。要するにお世継ぎによくない影響がでちゃう模様で、直ちにどうにかしなきゃいけないんだよね。
戸惑いながらあきさんを見た。あきさんにできないっていう伝言があったからだ。それも妙な話だよ。あきさんの実力は私たちとは比べるべくもないものなのだから。
「春灯さま」
「は、はい」
「――……あなたさまの居場所である天界よりの使者の術でございます。わたくしども地上の者では手出しできませぬ」
心の底から申し訳なさそうに言うの。心痛が伝わってくるつらそうな声だった。
それに、あきさんの言葉を変換してみせると、こうなるよね。
未来から来た誰かがかけた術だから、江戸時代の人には手出しできない。
そんなことってある? タマちゃん、十兵衞、ぴんとくることあるかな?
『さてな。俺はもう長いこと、戦うことしかせんからな』
『妾も地獄で酒を振る舞う店遊びが忙しいが……とはいえ、妾には思い当たることがあるのう』
な、なに!?
『この世の霊子ではない、という……まさにそこが問題なのではあるまいか』
それって――……時計のこと?
『うむ。どこか違うところから紛れ込んできた時計のように、此度の術もまた』
『なるほど。俺のような門外漢はさておき、彼女やただ力を持っているだけの者ではなんともできぬ仕掛けがあるわけか』
ふ、ふたりの理解が私の先をめちゃめちゃいきすぎている件について!
「私の知る人なら、どうにかできるという確証はなぜ?」
「あなたさまが私の知らぬ術を使えるからでございます」
端的! 要するに願掛けというか希望しかないんだ。具体的な理由まではない。
どうかなあ。
たしかに彼はなんでもできる、私の思いつく限り最強といっていい存在だけれど。
「天の都合はわからぬが、頼む! 無茶を申したことも詫びる! しかし上様に倒れられては困るのだ!」
「あの方をお助けいただきたい」
土井さん、宗矩さんだけじゃない。ほかの武士のみなさんも期待と必死な願いを私に向けてくる。
先生たちを呼び出す前に思い浮かべた彼の名前を、まさかこんな形で呼ぶことになるとは思わなかったけれど。
深呼吸をした。お腹がぐうううって鳴ったの。岡島くんの朝ご飯を食べたい。それも明るく前向きに、すっきりした気持ちで!
さくっと解決しちゃおう! そして今夜も家光さんとお話するの!
ようし――……やるぞう!
「それではみなみなさま、すこし場所をお開けくださいませ」
尻尾をぴんと立てただけじゃなくて、心に燃料を注ぐ。爆発するくらいの勢いで燃やすんだ!
一瞬にして尻尾が消える。大神狐モードになるのはもはやたやすい。
それだけじゃない。ミツハ先輩の修行のおかげで、この場にいるみなさんの願いが集まってくる。お城や大奥の人たちだけじゃなくて、上様に向けた気持ちがあちこちからくるの!
満ちていく。いい感情ばかりじゃなかろうと、それを金色に変えて自分の力に変えていくんだ!
いくぞう! いくぞう! お願い!
「おいでませ! 安倍ユウジン!」
地面に思いきり手を当てて彼を想ったの。
その瞬間、手で触れた畳に五芒星が浮かんで中心から飛び出してきたんだ。
学ラン姿の彼が。糸目で周囲を見渡して一瞬にして武士と同じ姿に化けてみせた。
着地して刀を片手でおさえ、私を見て細い目を閉じてにこぉって笑いながら言うの。
「えらい久々に呼ばれたおもたら、なあに? 愉快な状況になってるようやねえ?」
あああああ! お怒りでいらっしゃる! なんかすみません!
「事情、聞かせてもらいましょか」
刀を下ろして襟元から扇子を出して、ぱっと開く。
四尾の白い狐が描かれた扇子で口元を隠して微笑む彼に、みんなびっくりしていたけどさ。
なんでかな?
あきさんだけは、目を見開いて、しかも頬を染めて見つめていたんだ。
まるで、お母さんが初めて自分の子供を見つめたときのような、そんな愛情に満ちた顔をしていたんだ――……。
つづく!




