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その刀を下ろして、帯刀男子さま!  作者: 月見七春
第五十一章 大江戸化狐、時女神青色帳

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第五百七十一話

 



 理華の歌は正直、ほんと、笑っちゃうくらいド下手だった。

 なんでもできる器用な天才肌を誰より無自覚に演出できるからこそ、立沢理華は将来化け物のような天才になるだろう。けれど彼女だってすべて完璧にこなせるわけではない。

 そう思いながらも、下手くそな彼女の歌に心が揺れたのも――……聖美華にとっては揺るぎない事実だった。

 この仕事をしていると――……露出された頃にも体感していたことなのだけど。

 満たされない。お姉さまに認めてもらいたい一心で駆け抜けていた、小学生の頃。

 声援を送られたり、拍手してもらったり。

 すごく嬉しかったけれど、でも同時に心の中の渇きを自覚した。

 これじゃない。これじゃないの。本当に欲しいのは。

 お姉さまが契約として自分の血を吸ってくれたときに感じた、あの――……あの、互いの人生が互いを拒絶することなく、永遠に結ばれるような途方もない幸福こそが欲しい。己の血が抜けていく。お姉さまの柔らかいくちびるの感触。抱き締められる心地よさ。圧倒的な快楽。

 あれが欲しい。歌うお姉さまはいつだって満たされた顔をしている。あんな風になりたい。

 でも自分はどれほど輝いても、たどり着けない。

 本物じゃないから? お姉さまがいないと輝けないから?

 ネットの誹謗中傷によくある。実質的にはお姉さまのワンマンで、それ以外はそれ以外でしかないと。ミユさんをはじめ、メンバーの誰しもがさらなる輝き方を模索して爆発的に売れるきっかけとなった記事を、けれどメンバー全員が心底から恨んでいる。

 バッシングで燃えて力に変えた人がいたとき、その功績はバッシングサイドに立った人には欠片も存在しない。ただただがんばった人だけが偉いのだ。

 けれど、同時に思う。

 お姉さまのような本物だったらいいの? イミテーションじゃ、足りないの?

 誰かがお姉さまに弱音をこぼしたときに、お姉さまは己の血を薔薇の花びらに変えて私たちを包みながら笑って言っていた。


「仮初めであろうと本物であろうと、それに囚われることほど愚かなことはない。輝いて魅了できればどちらだろうと関係ないの。なぜなら、その輝きは本物なのだから。それだけでいいの」


 お姉さまのその言葉と薔薇の香りが私たちの力の源のひとつになった。

 見えているものがあるんだ。契約した明坂のメンバー全員が知っている。お姉さまは長い時を生きて尚、人生を楽しみ謳歌せずにはいられないし、同じように生きられる仲間を欲しているということを。

 長命による孤独だろうと、関係ない。楽しく、前向きに。お姉さまのポジティブさと、契約を通じてくださるあたたかい優しさ、寵愛。報いようとするこちらの愛情こそ、お姉さまを癒やす薬。私たちは応えたい――……けれど、同時に思う。

 本物になれたら、お姉さまをもっと癒やせるし……そしたら自分自身も満たされるのではないか。

 青澄春灯を初めてテレビを介して目にした瞬間、鳥肌が立った。止まらなかった。興奮も緊張も冷や汗も。なのに焦がれずにはいられなかった。

 だから嫉妬したのも、同時に心の底から憧れたのも事実だった。

 話してみたら素敵だけど、いい人だというだけのようにも見えた。一緒に生活してみたら、あの人のすべてが歌――……ううん、ちがう。愛するためにできているようにしか思えなくなった。だからあの人の歌は本物に聞こえるのかもしれない。

 愛して欲しいという気持ちに染み込んでくる。優しくあたたかな金色で包み込んでくれる。渋谷や各地でやったライブで、彼女を目の当たりにした人すべてがファンになったんじゃないかと思わずにはいられないくらい、爆発力のあるヒットの仕方をしている。

 理華は、へたくそなのに……でも、あの子の歌は何かを感じさせてくれた。

 自分の歌はどうだろう。理華より上手い。それは明らかだ。レッスンを受けて、歌でセンターを取るくらいパートをもらって。明坂の歌姫だなんて言われていた。いまもその実力は落ちていないと自負している。体力は落ちたけど……そ、それはいくらでも挽回できるし。

 問題は、心へ訴えかける力だ。

 いったいなにが違うんだろう――……。

 先生がたに理華が率先してアドバイスをもらって、まとめあげて解散に。

 お風呂はいった後で汗かいて俺らばかじゃね、とスバルがうんざりしながら出ていった。岡田くんが誰よりはしゃいでいて、それにつられて男子がみんな笑って部屋に引っ込んでいく。

 岡田くんのハイテンション維持にはたまについていけないときがあるけれど、ある意味では彼も本物だ。寝ているときの寝言すら、男子たちの心をくすぐって寝不足にしているという。どれだけのエンターテイナーになるのか。考えてみるだに怖い存在でもある。

 聖歌だって、ツバキだって。実はほんとは詩保だって怖い。スバルもワトソンも天才肌タイプでなんだってこなせそうだし、キサブロウはまだまだ爪を隠していそう。みんなして目を引かずにはいられないパフォーマンスをしれっと発揮したりする。


「――……自信、なくすなあ」


 女子たちと離れて屋上に出て、空を見上げた。

 江戸時代の星空は私たちにとって娯楽のひとつだった。

 数え切れないくらいの星たちを見つめていると、でも……今日は心がくすんでいく。

 とびきり輝いている星があっても、天の川がどれほど素敵に見えても、その中に紛れ込んだり外れたところにかすかに淡く光る星があって、どちらがより輝いているのかは明白だった。

 私はお姉さまに力をもらわないと輝けない、消えそうに見える星なんだろうか。


「――……はあ」

「アイドルが出すため息じゃない」


 後ろから聞こえた声にどきっとした時にはもう、あったかい毛布を掛けられていた。

 隣に腰を下ろしたの。キラリちゃんだ。ケープを纏って、私がさっきまでしていたように夜空を見上げている。


「明坂のさ。胡桃沢さんだっけ。この前、モデルの仕事でお世話になったんだけどさ」

「ああ……」


 胡桃沢チハヤ。明坂の中でもお姉さま、ミユさまよりもモデル業を優先的にしている。なによりビジュアル抜群のチームにいる仲間で明坂の先輩のひとりだ。


「明坂の人は他の同業の人以上に優しいんだよな。ほかの人にも、仕事のフォローをしてもらったり。助かってるからさ。勝手にこう、仲間意識があるんだよね」

「――……はあ」

「それ以上に、あんたって妙にほっておけない」


 おかしそうに笑っている横顔に思わずむすっとしたけれど、キラリちゃんが夜空に浮かぶ星に手を伸ばすのを思わず見つめてしまった。


「どうせさ。すごい奴がいて、そいつに比べたら自分なんか消えそうな星とか思ってたんじゃないか?」

「――……心を読んだのなら、それってひどい」

「悪い。性分なんだ。けど、だからこそ願っちゃうんだよな」


 キラリちゃんの人差し指に星が浮かぶ。マドカちゃんや春灯ちゃんの力を見てきた。似ていて違う。きらきらと煌めく粒が夜空に撃ち出された。


「光の距離、観測される場所に届くまでの時間とか言うけど、正直……星にまつわる力を手にしながら、あたしは天体観測っていうより天体観望しかしたことがない。違いがわかるか?」

「え……と」

「天体観測は観測を目的とするから、学術的な研究であったり、船出をした船乗りが自分の位置を探ったりする。けど、観望は一般的には鑑賞っていうんだよな。要するに、見て楽しむんだ」


 キラリちゃんが撃ち出した星が天の川にまぎれて見えなくなってしまった。

 圧倒的な光の暴力に、人の放てる輝きなんてささやかすぎて見えなくなってしまうのか。

 そう思うと落ち込むばかりなのに。


「顔をあげろ。あたしがお世話になったお返しを、あんたにするから――……よく目を見開いてみてみろ」


 彼女の言葉に誘われて、もう一度だけ夜空を見上げてみる。

 光の暴力。ちっぽけな自分を思い知らされて、綺麗すぎるからこそ目立てない星を思うと心が痛くなってたまらなくなる。そんな景色に向けて、キラリちゃんがてのひらを口元に添えて息を吹きかけた。

 手のひらから星がやまほど飛んでいって、私たちを包み込む膜を作っていく。その膜を通して――……淡く消えそうな光が妙な輝きを放った。すごくどきっとした瞬間に、


「もっと魅せてくれ。お前たちの命を」


 キラリちゃんの祈りが広がっていく。

 膜が七色に煌めいて、膜を通して見る夜空が文字通り姿を露わにしていくのだ。


「塵の向こう側にある輝きもあれば、波長の違いであたしたちの目には捉えられない輝きを放っていたりもする」


 光が色を変えて夜空を彩る。七色に揺らめいて、見えていなかった輝きをもっと身近に感じとる。かすかすぎるささやかな光のモヤのように見える場所から、赤く強く煌めく星の輝きも見えた。


「見える光に限りはある。マドカはそれを捉えて、輝かせることができるんだろうし……春灯はもう、あいつ自身が恒星みたいに周囲を照らすんだ。けど、誰もが自分の輝き方を見つけ出せるわけじゃない」


 心が締め付けられるようだった。私はまだ、見つけられない。


「けどな。一見うらやましく思えるあいつらを、あたしたちの代は別に妬みも羨みもしない。なぜかわかるか?」

「――……なんで?」


 私は羨ましくて仕方ない。

 必死に自分がやれることをやってきただけだった。

 観客に届くだけで幸福なはずなのに、満たされない。そうじゃない。

 私が欲しいのは特別な愛を感じられる、感じさせる力。それだけ。

 なのに特別な人しかその力を持っていないように思えて、それがどうにも恨めしくてたまらない。

 キラリちゃんを含めた三人がいる学年で、妬んでいる人がいないだなんて、とてもじゃないけど信じられない。なのに、キラリちゃんは星空を眺めて、天の川に手を伸ばす。


「がんばって生きてきた結果そういう力を手に入れてしまっただけだ。あたしも、あんたも。眠ってるんだ。見つけ出せるときが十代か、その下か。あるいはもっとずっとさき、老いて定年を過ぎて死ぬ三年前みたいな人もいるだろう」

「――……」

「落ち込むな。自分には素質がないとか凹むなんて、この……目には見えない星空を目にして、言うのはもったいないことなんだぞ?」


 猫の尻尾を倒して、キラリちゃんが毛布にくるまる私の胸元に人差し指を当てた。


「だってさ。他人がくれるものじゃないんだ。他人はきっかけとか、進める道や場所を示してくれるだけ。反応をくれるだけ――……光はさ。自分で放つものなんだよ」


 あたたかい力を感じて、胸元を見おろして――……思わず目を見開いた。

 胸にかすかに、だけど確かに光る私の赤い星。


「作るものだ。見つけるものなんだ。これまでしてきたこと、これからしたいことに。たいへんな苦労とか、逆境とか、大層な夢がなきゃだめなんて……そんなことない」


 淡く消えそうになる。いやだって願っただけで、光が煌めいた。消えたくないっていう単純な願いさえ、光に変わる。けれどそれじゃ不確かで。


「美華はなにをしたいんだ?」

「――……大事な人の心を揺らして、満たしたい。大事なみんなも――……大事にしたい自分も」

「うん」

「歌いたいんです。もっともっと輝きたい。お姉さまやミユさんや、グループのみんなはもちろん、春灯ちゃんたちのように。私なりに光る星になりたい!」

「そうだよ――……それが、あんたの願い星なんだ」


 キラリちゃんがそっと手を引いた。

 私の赤く煌めく星がゆっくりと引き抜かれて、眩く力強く輝いていく。

 思わずそっと手を伸ばした。けれど消えたら怖くて戸惑う。

 私の手に、キラリちゃんが手を重ねて優しく頷いてくれた。

 恐る恐る触れてみる。痛いくらい、自分の中に宿っている熱くて冷たい力が疼いていく。

 消えたくないとか、そういうんじゃない。

 ただただ、願わずにはいられない。激情の叫びだった。弱気な気持ちなんていともたやすく焼き尽くす、私の恒星――……。

 お姉さまに血を吸っていただいたときに抱いていた気持ちを思いだしたの。


『美華。いい? ――……あなたは境界線を越える決意を抱いた。私が目にしてきた中でも、あなたは素敵な輝きを放つ可能性を秘めている。だから私はそのときがくるのが楽しみでならないの』


 抱き締めてくださったお姉さまの鼓動が伝わってきた。

 とても高鳴っていた。早鐘を打つ私くらい、どきどきしていてくださった。

 あの瞬間の幸せを、何度でも。

 ――……そうだ。それだけなんだ。

 愛したいし、愛されたい。

 この気持ちが私の歌う理由でしかないんだ。

 見つけた。ああ、あああ! 本当に見つけた! なにがあろうと開き直って邁進できる、私のための力を!


「吹っ切れたか?」

「あ――……はい!」


 思わず素直に頷いたら、抱き締められた。

 伝わってくる。キラリちゃんの鼓動も。あの日のお姉さまにとてもよく似て、私の心と重なって高鳴るもの。

 出会ってまだまだちっとも時間が足りないのに、それでも確かに感じた。

 キラリちゃんの思いと愛情を。


「――……どうして、ここまでしてくれるんですか?」

「見てみたいからだよ」


 耳元で囁かれる声がくすぐったい。


「春灯とか、マドカみたいに自分を持ってる理華や聖歌じゃなくて。あたしみたいに探している美華が見つけて、突き進むあたしの先でも全然かまわない。どこまでも輝くあんたの背中をみてみたい」

「――……せん、ぱい」


 期待と、愛情。それは、どんなものからくるの?

 わからない。ただ――……私の背中をあまりにも強く、優しく押してくれたこの人の気持ちが嬉しすぎて、だから戸惑わずにはいられなくて。

 すごくどきどきした。先輩に彼氏がいるのはもちろん知っているけど、でも。すごく――……どきどきして、止まらないんだ。


「もちろん、置き去りにするくらい突っ走る気だけど。ついてくるだろ?」


 悪戯っぽい声に思わず笑って頷いた。

 よくわからないけど、でも――……好きだと思った。この人のことが。

 自然に抱き締め返していた。

 すごく落ちついた。

 思いも寄らなかった。まさかお姉さま以外に、こんなに心満たされるハグができる人がいるなんて。

 どれほどそうしていただろうか。

 強い風が吹いて、ふたりして「さむい」って呟いて笑いながら離れる。


「下に戻ろう。でもその前に言っておくよ」

「え……」

「美華はほかの誰にも譲る気がないから」


 天使という名字が反則的なまでに似合う美貌の先輩から、強い意志を向けられて心が震えたの。あまりにもかっこよすぎて。恋に落ちるのに十分なレベルで。

 むしろ、落ちる音しか聞こえなかった。

 頭の片隅で思った。こんなかっこいい女の人ばかりいたら、将来の自分は結婚なんかできそうにない。彼女を越える男というだけでハードルが高すぎる。

 これってピンチ? わからない。ただ――……正直、いまこの瞬間だけに関していえば全力で叫ぶ。

 これはこれで最高! ついていきます、先輩!


 ◆


 春灯が理華ちゃんとツバキちゃんと聖歌ちゃんと詩保ちゃんと姫ちゃんに群がられて、横目で見ていると正直ちょっとつまらなかったりもする。キラリは美華ちゃんが屋根瓦にのぼったと聞いて速攻でアプローチをかけにいっているし。トモも茨ちゃんも春灯に混ざって、無自覚かつ自然にツバキちゃんと詩保ちゃんを引っぱっていく。

 山吹マドカはどうするべきか。悩む。正直、先輩後輩っていう関係性は苦手だ。

 上下関係というやつは厄介で、人によっては立場の違いによる経験値の差でしかなかったり、人によっては敬意を払うべきとか、そういう押しつけごめんだっていう記号になっている。

 だから人対人というところに持っていくまでに時間がかかるし、調整も必要。

 無自覚にできたり、経験値がある人が羨ましくてしょうがない。その点でいくと、私は調整力極振りなんだけど、社会的慣習が事務手続きにしか思えないから面倒くさい……。

 いっそ、冬音さんみたいに爆睡できたらいいんだけど。そこまで肝が太いわけでもない。冬音さんの睡眠は体質的な問題が大きいようだから、しょうがないけれど。

 普段の彼女のオーラは春灯に似て非なる強大なもので、現代に戻って気がついたら軍勢を作っていそうな勢いだ。彼女に関しては正直誰も心配の必要すらないと感じているに違いない。圧倒的な大物感があるからな。対して私は別だ。

 黙っていてもしょうがないか。


「春灯、独占しすぎ」

「え、あっ、ご、ごめん」

「謝るんじゃなくて、混ぜて」

「ん!」


 ぱふぱふ、と布団をはたいて座る場所を示す彼女の隣に腰掛けるけれど、彼女の膝元を見ると正直複雑。疲れ切った聖歌ちゃんが春灯の膝枕で寝ている。満たされて笑っている顔をして。まるで春灯の子供みたいに。

 不思議だな。

 春灯に対するあらゆる感情はきっと、制御しきれないくらい鮮烈で、私の心の奥深くから指先に至るまで、私を染めるくらい強すぎるもの。

 一度は考えたことがある。春灯にお母さんや光のような、私をすべて肯定してくれる親や恋人、あるいは師匠や先生、崇拝するみたいな感情を抱いているのかな。今でも答えは出ていない。

 ただ、どうやら聖歌ちゃんをはじめ、ツバキちゃんやほかの子たちとは違うみたい。

 春灯へのライバル感情は、実はトモや沢城くんよりも、なんならキラリよりも強いという自負がある。

 認めてもらいたいっていう気持ちは失って久しい。春灯は求めなくても認めてくれるし、わりと意味がないと割り切れている。

 それもやっぱり不思議だ。

 人はみんな違う。違うからこそ輝く。光を宿して、みんなの気持ちや欲望に触れるたびに思う。春灯は最近、ちょっとくさくさしていて、日頃浴びせられるヘイトにうんざりしている瞬間も多いみたいだけど。本来はもっと明るくて優しくて、ついつい見ていたくなっちゃう輝きを持っている。

 羨ましいけれど、それは春灯の輝きであって、私の光じゃない。

 私は春灯じゃないし、なる必要も無い。違うからこそ、尊い。

 理解してみればこそ、真似て、その意図を学んで、自分なりの方法を作りあげていく。

 多くのプロや第一線で活躍している人が必ず通った道を、私もいく。

 すべては模倣から始まる。話すこと。文字をかくこと。料理を食べ、風邪をひいたら身体を大事にして。社会で築き上げられてきた行為、知識を真似ながら吸収して、自分のやりたいことに向けて自分なりの方法が見つかるまで必死に勉強する。

 天からギフトを授けられて、その箱をあけてもらう手伝いをしてもらわないと輝けないタイプでなければ……結局みんな、努力からは逃げられない。

 だからこそ楽しめる人とか、報酬のため、そしてその先を見据えて、そのために邁進できる人が一番強いというのが個人的な現状での答え。今後もちろんアップデート予定でもあるけどね。

 それゆえに春灯の輝きは眩しすぎる。

 足掻いているし、苦しんでもいるけれど。春灯はそれでも走り続けている。その姿勢が、止まらない歩みが眩しすぎるときがある。

 羨ましくて、憧れて、けれどそれは――……どこまでいっても、私の光じゃない。

 私はどう光りたいのか、ずっと探している。

 今日の修行で一番最初に抜けた春灯の次に、先生たちが来て落ちついてから再開した修行でキラリが抜けて、冬音さんがすこし遅れて抜けて。でも私は最後まで見つけ出せなかった。

 ミツハ先輩に強制的に暴けもするけど、と言われたけれど辞退した。

 自分で見つけたい。

 キラリに提案され、春灯に気遣われても。違う。違うの。

 私は光に魅せたいの。光が歩めなかったすべてを。一緒に感じていきたいの。

 ――……照らして魅せたい。魅惑の見せ方をしたいの。

 だからこそ、それを自然に人にしてしまえる春灯がときに眩しすぎてつらくなる。

 ちがう。影の中に入って誰かの輝きを眩しく感じてもしょうがない。

 まずは光の中へ。そして、自分のしたいことを見つけだして、突き進むだけ。それだけでいい。

 羨ましいなら、してみればいい。格好つけたり失敗を恐れて妬むくらいなら、いっそね。


「理華ちゃん、ちょっといい? 私たちがお風呂に行っていた間に、気になることがあったみたいなんだ。その話をしたいんだけど」


 仕掛けていこう。


「――……はあ。いいですけど」


 身構えるんじゃなくて、笑って戦闘態勢に入るこの子を正直、心の底から愛しく感じる。

 同じ血を感じるの。私もそうだから。

 挑まれたとき、あるいは挑むに値すると判断した瞬間から、目の前に立ちふさがる壁とリスクと結果はすべて、プラスに繋げられる経験値になる。へこたれたり妬んだり逃げ出したら、なんにもならない。逆に言えば、貪欲である限りそれはいくらでもプラスに変えられる。

 それを本質的に捉えている人は恐ろしくすくない。大勢がへこたれることに対して、エネルギーを消費しない。するとしても、それは自分をうんざりさせたり、世を恨む方向でしかない。私だって春灯に対してはそういう瞬間がちょいちょいあるからね。

 最高で完璧に見える人にさえ、そういう瞬間は多くあるか、あったに違いなくて。付き合う人数が多ければ多いほど、無自覚な悪意に悪意を抱かずにはいられない瞬間が増えるのが摂理。

 完璧な人など自分も他人にもいないというのが士道誠心における教えのひとつ。

 だからこそ、悪意を周囲にまき散らすのではなく、自分を成長させるためにどう生かすのか、あるいは流すか、すごくクローズな場で身内同士で愚痴るなりして消すのかが大事だったりもする。

 その対処が間に合わなくて心が病んじゃう人も、十代の時点でそれなりに増えていて、通信校が存在したりして。その先に元気なままいけても、会社に馴染めずに病んじゃう人も一定数いる。

 難しいんだ。結局。悪意や不幸に晒されたときの自分との付きあい方が一番、難しい。

 でも理華ちゃんは違うんだ。私の夢見る方向性よりも、もしかしたら先にいるかもしれない。

 私はこの子と一緒にいて、知りたいことがやまほどある。

 だから――……連れ出して、誰もいない庭の端まで出て攻め込もうとした。なのに。


「マドカちゃんって……実は無防備ですよね」


 気がついたら壁に背中を押しつけられて、追いつめられていた。


「理華、わりと早々に気づいていましたよ? 春灯ちゃんやキラリちゃんと違って――……あなたはまず、救いを求めているんだって。必死にみんなを導きながら、恐ろしいほど冷静にみんなの力を分析しながら――……旗を手に、光る未来に先導しながら」


 暴かれていく。


「本当は救われたがってる」


 顔がどんどん近づいてくる。


「私はこれでいいのか。大丈夫だよって言って欲しがってる。だから……春灯ちゃんを誰よりも強く意識し続けてる」


 彼女の尻尾がゆらゆらと揺らめいていた。


「だけどそれじゃだめだって思い詰めて、自分さえ持てあましている――……かわいい人ですよね、あなたって。不幸も、幸福も、正直に言えば――……理華好みです」


 悪魔のそれに脅威を感じたのは、はじめてだった。


「理華に救ってほしいんですか?」


 鼻がぶつかりそうな距離。それだけじゃない。胸に人差し指を当てられる。心臓がある場所だった。命どころか、心のすべてを見透かされているかのような――……。


「言ってくださいよ。先輩。理華がほしいんでしょ?」


 羞恥心だけじゃない。

 なんでか。光に触れられたときよりも、春灯に触れているときとか、キラリと遊んでいるときより心が跳ね回って――……ユウに愛してもらったときより、怖くて。なのに、なんでかな。それがきっかけのように思えて、欲しがってしまう。


「あ――……の」

「マドカちゃんが気づいた話、静かにしていてくれるんなら――……理華が飼ってあげてもいいですよ?」


 心臓に当てた指先をゆっくりとあげて、顎の下を滑り、唇にあたる。

 感触を確かめるように輪郭をなぞって、普段は漆黒の瞳に赤い光が宿っていく。

 悪魔――……よりは、小悪魔。

 ならその誘いは破滅に繋がっている? わからない。わからないけれど。


「そ、の……」

「飼ってくださいって言って」

「あ――……の」


 身体が密着してくる。膝が割り入れられて、追いつめられていく。


「言って?」

「――……あ、う」


 顔が真っ赤になる。逃げたい。失敗だった。この子は私が思っているよりもずっと危険な子だった。迂闊すぎた!


「だ、だめだって。そんな、先輩と後輩でそういうの、おかしいし。女子同士で、そんな」

「マドカちゃん、百パーの確信を持って断言できますけど。気にしないでしょ?」

「か、彼氏が」

「それも。優先順位を変えるほど迂闊じゃないし、間違いであったとしても問題ないですよね?」

「――……で、でも、こんなの」

「尻尾、私の足にあたっているんですよね。お腹晒して、尻尾を丸めて怯えた子犬――……それがいまのマドカちゃんなんです」


 はっとして尻尾に意識を向けたけれど、理華ちゃんが膝でぐりぐりと押してきていやでも自覚してしまう。ほとんど服従状態。身体は先に判断をくだしていた。待って! これは困る!


「だ、だめ、私があなたを導かなきゃ」

「よしましょうよ、そういうおためごかしは。躾けて欲しそうな顔、してますよ?」


 唇が近づいてきた。だめだ。三秒さえかからない――……。


「やっ」


 思わず両手を伸ばして押し返していた。

 けれど理華ちゃんは抵抗さえせずに、にこにこ笑って言うのだ。


「弱点みっけ。要するにとっさの状況への対処と、しかも好みの女子に弱いタイプ。ああ、交換条件はひとつだけでいいですよ? 先輩たちに黙っていてくれたら、いまのは理華の心の中にしまっておきます」

「――……っ」


 尻尾が内股に逃げたまま。鳥肌が立つくらい、怖い子だ。

 悪魔という言葉を大事な後輩に使うべきではないことくらい、百も承知だった。

 それでも脳裏を過ぎったのはたしかだ。理華ちゃんの力を迷わず借りて表情を笑顔で固定する。その瞬間に理解する。


「意外ですね。いつもはよく、悪魔って言われるタイミングなんですけど。さすがはマドカちゃんってことかな。あは!」


 少し離れたからこそ見えた。すこしだけ彼女の腕が震えていた。一瞬で彼女は反対側の手できゅって握ってごまかしたけれど。ならさっきまでのはすべて、演技なの?

 びびって、その上で最善手はこれだと賭けて暴れてみせた。

 解釈を更新する。

 怖い子じゃない。悪魔じゃなくて私と同じ人間でもある。でも、胆力と思いきりの良さととっさの行動力は正直、末恐ろしいものがある。

 なんといっても度胸がいい。よすぎるくらいに。


「交渉は成立ですか?」

「――……今回はね」

「マドカちゃんを飼うのは爛れているけど面白そうな夢なんで、妄想はしますけど。それもマドカちゃんが言い出さない限りは保留ということで。じゃ!」


 尻尾を揺らしてスキップをするように去っていこうとする背中に、あわてて呼びかけた。


「まっ、待って!」

「なんです? 仕掛けの話ならしませんし、ならマドカちゃんが聞きたいことは言えないんでお開きになるんじゃないですか?」


 足を止めてふり返る彼女の、暗にここで手打ちにしとこうよっていう提案に流されずに言う。


「あなたはキラリでも春灯でもだめ。たぶんトモでも茨ちゃんでも、ほかの女の子でも無理。男子はもっと手玉に取られる」

「よくおわかりで」


 悪びれもせずに言うけれど。彼女の素質を考えると、選択肢は正直ないといっていい。

 尻尾を無理矢理立たせて、必死に勇気を振り絞って言う。

 もう逃げないって決めた。だいぶ前に。だから、彼女を手放すつもりもなかった。


「わ、私があなたを飼う!」

「――……ふうん?」


 赤い瞳を細めて、極上の笑顔を見せた彼女に鳥肌が立った。


「返事はいつまで?」

「え……」

「条件は? 飼うなら躾けてもらったり、遊んでもらわないと。まずは江戸時代から現代に戻る最後の日まで具体的にしてください。あなたにできますか?」

「――……で、できるもん。絶対、あなたを飼うから!」

「へえ? へええええ!? そうですか! あはははは! やっべ! びびりながら告白されるとか! しかも同性の憧れてるうちのひとりからとか! しかも属性的に理華のが有利なのさっき証明してみせたばっかなのに! 初めて言われたわ! やっべええ! 初体験すぎてツボだ!」


 言わないと逃げられる。出任せでもいい、手を伸ばさないと。

 そんなこちらの焦燥さえすべて見透かして、彼女は尻尾を揺らして頬に両手を添えて蕩けた表情で陶酔の息を吐いた。


「あー。こういう弄りがいのあるお姉さんとそういう遊びはさすがに経験ないなあ……鼻血でそ。高ぶってきた……あは!」


 楽しみにしてますね! と言って、今度こそ本当に行ってしまった。

 気がついたら尻餅をついていた。腰が抜けていたんだと気づくまでにずいぶん時間がかかった。

 冷や汗まみれ。なのに身体が異様なくらい火照っている。


「わ、わたし、なにやらかしたの……?」


 わからない。だが致命的、あるいは奇跡のような何かが起きた。

 そんな感覚に満ちていた――……。




 つづく!

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