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その刀を下ろして、帯刀男子さま!  作者: 月見七春
第五十章 大江戸化狐、葵澄空天女帳

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第五百六十七話

 



 ニナ先生の御霊の犬神に連なる子犬を受け取り、駕籠に乗ろうとしたらやんわりと止められました。私以外を運ぶなって言われているんだって。考えてみれば当然だ。

 迷わず歩みよってきたニナ先生が子犬を引き取るの。その代わりに、誰にも気づかれないようにそっと何かを握らされた。顔色を変えないように一生懸命気をつけて、駕籠の中へと入る。

 夜の移動ともなれば真っ暗だ。

 それでもこそっと金色の一粒を浮かべて確認したら、ニナ先生がくれたのはちっちゃなちっちゃな、親指サイズのイヌのぬいぐるみ。

 だけど私が見つめていると、口を開けて「はっはっはっはっは……」って息するの。

 めちゃめちゃかわいい!!!!!!!!!!

 できることならぎゃあぎゃあ騒ぎたいくらいきゅんときたけど、暴れちゃいけないし気づかれてもよくない。

 こそっと着物の襟元に隠しておとなしく到着を待つ。

 ひと目を避けて迅速に駆ける駕籠を運ぶお兄さんたちは、慣れた足取りで江戸城の敷地へ。

 街の人が入ってこない場所に、武士のみなさんが待っていてくれる。駕籠から出て、護衛されながら大奥へ。

 こんなことなら江戸のお城の敷地に屋敷があればいいのにって思う反面、私を狙って利権を得ようとするという不可思議な思惑を持った人がいるようなので、そういう人たちを刺激しないためには敷地外であるべきなんだろうとも思う。

 もしかしたら、ほかにも理由があるのかもしれないけど! それは私の預かりしらないところですよ。

 春日さまに出迎えていただいて、アイさんに委ねられ、上様がいらっしゃる前に寝床へ移動する。

 考えてみたら不思議だなあ。

 恋人以外の寝床に来ているのに、危機感とか恐怖を感じない。

 私が超のつく阿呆で気が抜けているから、みたいな見方をされても不思議はないし、なんなら私自身がそう感じてもおかしくない。実際、それってどうなの? って思ったときもあったわけで。

 なのに家光さんから「友達が欲しい。ひとりぼっちなんだ」という趣旨の話を聞いた瞬間、親近感が湧いたし――……我ながら不思議なくらい、異性って枠組みの外にいるの。

 なんでかな?

 他人って気がしない。なんならあきさんみたいに身内みたいな感覚のほうがずっと強いのは。

 ぷちサイズのイヌが襟元から出てきて、周囲を見渡す。すんすんすんと鼻を鳴らしてから、私を見つめてくるの。

 扉の外に向けて前足を向ける。アイさんがいると指し示しているかのように。

 だいじょうぶだよ、わかっているよって伝えたくて頷いてみせたし、あまりにもぷちすぎて愛しすぎて撫でちゃった。ふかふかの白い毛をした、紀州犬みたいな子。日本犬の顔って、日本犬!!!! って言い表すことしかできない不思議な愛嬌があって好き。

 そんなことを考えながらなでなでしていたら、足音が近づいてきた。あわてて襟元に戻ってもらったときには、襖が開いたの。

 そっと頭を垂れてお出迎え。将軍さまの帰宅とあれば、どうしたって最低限よりも最大限の礼を尽くしておこうって気持ちになるよ。だってほら、私は現代でいえば歌手をやろうとそれは職業だし、女子高生なわけで。

 でもねえ。


「もうよい、襖は閉じた。顔をあげよ」

「おかえりなさい」

「うむ」


 頷いて、私に触れたいとか、襲ってやろうとかそういうんじゃなくて、寝床に寝転がってきらきらした瞳で見つめてくるんだ。


「それで? 今日の話はなんだ?」


 楽しみにしてくれているんだなあって思ったら、やっぱり……異性とかっていうんじゃなくて、友達だったり身内みたいな感覚のほうが強いよ。


「そうですねえ。天界の話はそれはもう、話数でいえば五百話くらいはあるのですが」

「さすがに多すぎるな……すべて聞きたいが、夜を通して残りの日にちを費やしても到底時間が足りぬぞ?」

「なんですよねえ。総集編をする頃合いかなあと思うのですが」

「そうしゅうへん? それはなんじゃ」

「要するに、五百話をざっとまとめて、短くするのでございます」

「それでは五百を語ってもらうよりも感動が薄れるではないか」

「いやいや。五百を聞く大変さよりもまず、五百に興味のある話をしなければ」

「――……なにやら天の理は面倒よな?」


 苦笑いしつつ考える。万策尽きたーっていうときにする総集編もあれば、話ながすぎて、新規読者のためにする総集編もあるし。映画みてくれればオッケーっす! っていう総集編もあるよね。

 私の士道誠心における旅路を一から十まで語ると、そりゃあもう。

 とびきり長い。いやそんなに長い話すんなよって言われても不思議はない。むしろ逆の立場なら私が率先してツッコミを入れるかもしれない。

 書いちゃうから書き続けてるだけなんだけどね。習慣っていうか、習性っていうか?

 要するに、私は黒の聖書と同じレベルで日記をちまちまつけているの。総集編といいつつも、それを辿ってみることでしかないし、入学のころから今に至るまで、或いはこの先に至るまで、私にとっての軸は変わらない。となれば語ることも実はそんなに多くない気もする。多くの長期連載漫画とかさ。あるいは自分や誰かの人生のようにさ。

 軸が変わるほどのことってそうそうなくて、自分の延長線上に未来があって、どれだけ磨かれていくか、ないし、自分なりに研ぎ澄ましていくかでしかないのかなーって思うの。

 ほら、人生微妙だったり、なにかに迷っている主人公が、それが報われる術を見つけて、どんどん求めていた延長線上の未来に輝きながら向かっていくか! みたいな。そんなノリ。

 いけてるばかりじゃないだろうけど。それもそれ。延長線上だと思う。


「私の話をいたしますか? それとも――……私の知る誰かの話をいたしますか?」

「興味があるのはどちらか、この状況で問うまでもあるまい」

「ですよね」


 あまりにも高くて首が痛くなりそうなかたそうな枕ではなく、横向きに寝て肘をつき、伸ばした手で頭を支えながら私を見つめる家光さんを見て「やっぱりお守りは必要ないよなあ。でも先生たちはこれで安心できるからいっか」って、すこしだけ考えてから語りだすの。


「天に産まれ、それでも孤独な少女がおりました。家族はいたけれど、真に心を許せる者はなく――……己の信条を日記に綴る毎日が続いておりました」

「そなたのことか?」

「ええ。こう見えて私、頑固だし社交性もなく、人当たりもよくなくて……他者との素直な付きあい方など、到底知らずにいたのです」

「む――……宗矩や土井の報告にあるそなたは、仲間とともに常に笑っていると聞く。余もその姿しか知らぬ。とても信じられぬぞ?」

「気立てがよく優しくても、その示し方を間違えれば周囲にとって毒になります。あるいは、毒にも薬にもならず、誰も気にかけぬ草むらの中のアリにもなりましょう」

「――……アリとて野を歩ける自由、余から見れば羨ましいが」

「しかしアリとて食わねばなりませぬし、生きねばなりませぬ」

「それすらも」

「……そうですね」


 家光さんに将軍さまだからこそ楽な部分があるじゃないっていうのは逆効果。まったく意味がないことくらいわかっている。

 アリにすら羨みを感じるのなら、いまに対する窮屈さへの共感が欲しいに違いない。

 甘ったれるなというのも簡単。きっと家光さんに接してきた人の中には、そう厳しく説いた人もいるだろう。

 けれどそれでもいま、彼は羨んでいる。それくらい苦しいんだ。言わずにはいられないのは、それを受け止めてほしいと甘えているからだし、甘えずにはいられない瞬間もあれば、そうしたくなる相手もいたりする。

 家光さんにとっては、私が甘えたい対象なんだと理解して、受け止める。

 おじさんがどうのとかさ。年上が、年下が、とか。そういう条件は萌える要素になるなら考えたいけど、そうじゃないなら考えるだけ無駄っていうか、損だし。私はおっけー。

 となれば方針転換。


「私は毒になったし、願わくば薬にもなったと信じたい。当時の私はどちらかといえばアリになろうとしていました。誰にも気づかれず、意識されず。うまくやれないのなら、気にされず、気にする必要なく存在するだけでいいと考えました」


 中学の頃の私のことだ。

 呟きアプリに逃げ場をつくって、毎日のできごととか妄想を自分のフィルターを通して、いま思い返しても恥ずかしくてじたばたせずにはいられない呟きをやまほど投稿したし、オリジナルの日記帳までこさえた。まさしくその日記帳こそ黒の聖書。全四十八冊。表紙からこだわって、中学生なりに一生懸命つくったもの。


「救われたいし、救いたい。毒になるなら、つらいものに作用して消してしまう毒となり、通じて薬となりたいと願っていたのですが、見目麗しい少女とずっと意識し合い、毒になるばかりでした。その毒は、己をなによりもまず苦しめるのです」

「己を苦しめる、己自身の毒か。それならばいくらでも思い当たる……」


 きっと苦しんでいらっしゃる場面を何度も経験されたのだろう。

 私も、中学時代にクラスメイトだったキラリにとっても同じだ。

 私たちはお互いにお互いを強く意識しながら、けれど和解できず、溝をつくって自分を守ることに必死になっていた。それに意味はあったのだろうか? いま思い返してみても、キラリと境界線を作るきっかけとなったクラスメイトのユイちゃん仲間はずれ事件の中心人物たる、ユイちゃんがキラリを一年の文化祭に連れてきてくれて、和解できなかったら……意味を作れずに終わってしまっただろうと思う。

 自分を苦しめずにはいられない。他人を意識して、あるいはつらい何かを意識して、いじめずにはいられない。私はだめだとか、あいつがにくいとか、そういうことをずっとずっと考えて、忘れようとしても学校で出会っては「ああもう最悪」って思いながら時間が過ぎるのをただただ祈るしかない。

 そんなのつらい。

 私はやだ。

 だから薬になりたい。お助けしたい。私もキラリも。

 キラリもそう思ったからこそ、私に会いに来てくれたんだと思うんだ。

 いろんな情報がやまほどあふれていて、みんなが答えを主張しているけれど。願いを世界に発信するのがもはや当たり前の時代だけど。

 でもね? 生き方はひとつじゃないと思うの。

 価値観も、なにもかもね。

 恋の幅だってさ。変わっていっているよね? ぎゅって狭くて男女じゃなきゃだめっていうのが、ゆっくりとだけど確実に愛があるならいいじゃん? っていうものに変わっていってる。

 逆行している国もあるけどさ。

 みんなの数だけ答えがあるのなら、寄り添える相手と素直に笑顔で接したい。

 単純にそう思うんだ。


「――……ある日のことです。学ぶ場へとかようことになりました」


 高校進学。学ぶ場とは、私立士道誠心学院高等部のことだよ。


「そこでは己の神通力を高め、生き様を貫くことを教えるのです。己の心のありようを捉え、磨く場でございます」

「待て。神であれば、こうせねばならぬと教えられるのではないのか? 豊穣の神あれば雨を降らし田畑を育てる民への恵みの与え方を教わるのではないのか?」


 天界っていう見方で言うと家光さんの言うイメージがもっとも的確でわかりやすく、かつ当たり前で自然だなあと思うけれど。

 これにすら――……宗矩さんの教えに従って囚われずに考えてみるとね?


「神であればこうせねばならぬ。豊穣を司るのであれば雨を降らさねばならぬと、どのような決まりがございましょうか」

「むう――……しかし、それでは民もどのように接すればよいかわからぬではないか?」

「そうではございませぬ。民は神を信じ、祈りを捧げたければ捧げればよく、民の自由でございます。と同時に神も豊穣を選ぶのであれば、それをどのようになすかは神の自由にございます」

「つまりは、天真爛漫の理か」


 思わずにこっとしちゃう返しだ。理っていわれると、それだけで心がくすぐられちゃうの。私の心は十四才。


「飾らず心素直にいること。いくつか付属する意味はさておき、己のしたいようにするのが一番でございます」

「しかしそれでは世の理と反する。みなはみなが受け入れられる者を望む」

「であれば、飾らず心素直に、みなが受け入れることのできる形でしたいようにすればよいではございませんか?」

「心素直にいれば心ないこともしてしまうではないか」

「そうではございません。家光さんは、みなと衝突し、争い、傷つけたいですか?」

「――……疲れる。禍根を残すし、世に広まれば息苦しさが増えるだけよ。無論、望まぬ」

「であれば、その心にこそ素直にあれば……当然、無体なことなどできますまい?」

「おもんばかることすら、心素直に行える心根になれ、ということか?」

「ええ。人は演じることも嘘をつくこともできます。素直にあれとは望まぬことをするな、ということでございます。なによりも、相手を傷つけてもよいというのではなく、相手を愛してもよいという教えにございます」

「愛したいという心に素直になれ、と」

「難しゅうございますか?」


 もちろん、頷く人だっているだろう。

 きらいな人とか、傷つけてくる人とか、自分の幸せを奪う相手とか。

 そういう人を愛したいと誰もが思えるわけじゃない。

 私だって教授に対して心の底から素直に全力で思えるほど、まだまだちっとも割り切れてないし。

 だけどさ。


「傷つき殺し合うのは食うか食われるかの獣の法。愛するは理性と感情を持つ知性の法。私たちは知恵をつけ、力を持ち、田畑を耕し、獣を育て、文化を築く――……」


 語りながら、


「殴り合い、傷つけあい、殺し合いの先にたどりついた時代ゆえ。傷つき憎しみ倒れた者も、飢えて苦しみ死んだ者も大勢いることでしょう。故に世に綺麗事などございませぬが、しかしそれも綺麗事にせぬ理由にはならぬと考えます」


 私の学生生活に対して出せる答えはこれなんだなあって気づいたの。


「愛さぬ理由にはなりません。選択をするのなら、私は己の心に誠実に、誰かを愛したいし愛されたい。愛しあいたいという道を、選び続けようと思っております」

「ならば、そなたはやはり性根がよすぎるのではないか……故に天女と申すのかもしれんが」


 苦しみと願い。葛藤の浮かぶ家光さんの表情には、私と同じモノを信じたい気持ちも確かにあったんだ。


「家光さまは、自分で自分の足を引っぱりすぎですよ」

「――……なに?」


 不愉快そうだったら、やっべ! ってなるけど、そうじゃなくて不思議そうな顔をしてくれたから、それだけお心を許してくださっているんだろうと理解して進めちゃおう。


「世に通用する考えはあれど……いいですか? 己の生きる道に誰も答えなど与えてはくれません。みな、己の都合のいい言葉をあなたに向けるのです。あるいはみな、己の答えをあなたに押しつけるのです」


 襖の向こうでアイさんが息を殺した気配がした。そりゃあそうだよね。みんなが教えてきた考えから将軍さまを解き放とうとしている。家光さんが手に負えなくなったら徳川に関係するすべての人が困る。けれど、そうじゃないの。そうじゃないんだ。


「それは己の色に染めたいからではございません。あなたを真に思えばこそ、みな願わずにはいられないのです。夢を抱くに相応しい徳川であれと」

「大勢の考えがひとつでないのならば、余にその答えなど見えようはずもない。この国を正しく導き、世継ぎを作ることしかな」


 苦しそうに言う家光さんの考えこそ、私には家光さんを苦しめる鎖にしか見えないんだ。


「あなたの心は間違いですか? あなたのこれまでの世の導きは間違いですか? なにが正解でございましょうか」

「それがわかれば苦労などない――……わからぬよ」


 ほらね。顔を歪めてうんざりを通り越して、痛くてたまらない顔をして。身体に力が入って強ばっているし、まぶたがひくひく痙攣してる。

 すごいストレスを抱えているんだよ。


「わからぬものに付き合って、なんの得があるのでしょうか?」

「……それに付き合わねば、答えは見つからず、世は江戸に至るまでに死した者たちの魂をさ迷わせ、世に与した者を裏切り、苦しめることになる」

「けど、おつらいのでしょう?」


 言えないんだろうなあ。私が聞いたら顔に露骨に「めっちゃつらい」って出るのにさ。唇を必死にぎゅっと閉じて、ひくひく引きつっているのに絶対に言葉に出さないの。

 時代かなあ。お立場を考えると、もちろん当然だ。それを言わせたことがアイさんから春日さまに伝わり、引いては土井さまに伝わろうものなら国を傾かせた狐め! みたいに言われて、首をはねられるかもしれない。

 けど構うもんか。私には見えてるんだ。私の見つめる先にみんなが望む未来があるって。


「悩むあなたならば大丈夫。あなたを慕う者が大勢いるから、大丈夫。ひとりぼっちだと感じ、愛し愛されたいと願うのならば……世の平穏を望むあなたならば、大丈夫ですよ」


 鎖をこれくらいで壊せるなんて思わないから。


「どうかこの先、つらくなったときに思いだしてください。正解などなく、答えはふり返ったときにどう思えるかでしかないからこそ、人は最善を尽くすのです。あなたのお心が目指すものがあるからこそ、道が見えるのです。つらければ歩かなくていい。遠回りをしてもいい」

「――……」


 眉間に皺を寄せて、身体を一瞬震わせた家光さんを見つめながら、そっと手を伸ばして繋いで言うの。


「獣道にしか見えぬときもございましょう。林や山や谷底に見えることも、奈落に見えることもやまほどあったでしょうし、これからもそれは変わりません。けどね?」


 冷たいひとりぼっちの手をぎゅうって包み込んで、熱がめいっぱい届くように祈りながら伝えるの。


「見渡してみてください。そしてどうか、お心に問いかけてください。あなたはどうしたいですか? 本当にあなたはひとりぼっちですか? 力を貸してくれる人はいませんか? そういう手助けを買って出てくれる人はいませんか?」

「――……見つからなければ?」

「探すまで時を稼げばよいのです。あなたはきっと、決断から逃げる人じゃない。悩みながらも今日まで勤めてきた。そして、あなたを気遣い、心配するみながおるのです」

「――……だが」

「不安ならば聞いてしまえばよいのですよ。そして、信じたいものだけを信じて力に変えてしまいましょう。信じられぬものと対峙するのは、あなたが力をつけてからでも遅くはないのですし、逃げようだってやまほどある」


 ううん。ちがうね。ちがうよね。


「むしろ逃げ方を心得たら、あなたの生きる道はもっと広がりますよ?」

「まつりごとからは逃げられぬが――……しかし、逃げ方か」

「武士の恥、男の恥と教えられてきたでしょうし、そのようにお思いかもしれません。ですが、命あっての物種。命はいらぬというのは、死んでから考えればよいのです」

「ははっ、なんとも妙なことを言うな! 命の価値は死んでから考えろと申すか」


 私の言葉に思わず噴きだして、愉快そうに膝を叩く。彼の目は部屋にきたときよりもよっぽど潤んでいたの。


「そうですよ。民と将軍さまとでは、無論……逃げ方の定義が違います。ならば、あなたが答えを作ればよいではございませんか」

「余の逃げ方を、余に作れと?」

「だってあなたにとって望外の味方は、まずほかの誰でもないあなたでしょう?」


 私の言葉に瞼をぎゅっと閉じて、大きくて深いため息を吐いたんだ。


「――……違いない」

「柳生但馬守さまにお聞き及びかもしれませんが、お心に宿る神を大事にし、味方になさいませ。次に折り合いをつける術を身につけ、いかに逃げ、いかに挑むか学ぶのです。それはきっと、いくつになってから始めても遅くはないことかと存じます」

「小気味いい! そうか……はは……この三代目将軍が、こうも己を御する術を知らなんだとは思いもよらんかった」


 何度も膝を叩いて、嬉しそうに笑ってさ。

 すべてのモヤが晴れたわけじゃないだろうしさ。きっと家光さんが受け止めた考えをどれだけ積み重ねていけるかは本人次第でしかないんだけども。


「晴れた気がした。青く澄んだ空がお主に見えた……春灯」

「はい?」

「葵の澄んだ空を、余は作り出せると思うか?」

「そのための道も、仲間も、家光さまには既にお見えになっているかと存じます。あとは」

「歩むだけか」

「ええ」

「……ふふ」


 ふう、と息を吐いてから家光さんが起き上がり、私の手に手を重ねて、そっとほどいて戻すの。


「織田信長公の話を幼心に一度耳にしたときにな。余は思ったものだ。かの魔王は、なぜ己の生きる道を邁進できたのかと」

「善行ばかりではないとも伺いますが」

「なればこそ、貫く意志と覚悟があったろう。初代将軍より、その前に至る武将たちの話を聞くにつれ、思わずにはいられなかった。ずっと不思議であったのだ。迷わぬのか? 己を責めぬのか? お家のみならず、民さえみな死ぬかもしれぬ戦になぜ、身を捧げる? あるいは待てる?」


 腕を組んで、視線をどこかへ向けた。何を見ているのか。戦国を駆け抜けた武将たちを思い描いているのだろうか。


「どうして邁進できる? 迷いがあったのならば、それをどう乗りこえた? いいと思っても、後々になって後悔することなどやまほどある。家臣に対しての態度ですらそうだ」

「――……ええ」

「しかし、そなたの話を聞いてようやく得心がいった。答えなどなく、なればこそ手を尽くし、己の掴みたい天下のためにどのように生きてみせるのか。まさしく、生き様よな」


 誰だろうね。家康さまとかかな。秀忠さまはご存命だと聞いているので、となればかつて倒れていった武将か。名前を挙げた織田信長さんかなあ。家康さんはそうとう苛められたみたいな話を聞いた気がするけれど。あれはなんだったっけ……いま考えることじゃないか。


「色恋も同じだと思うか?」

「もちろん! なによりもまず、色恋こそそうではありませんか? こうしろああしろでは気が進みません。己のしたい恋だからこそ、心が浮き立ち燃えるのでは?」

「うむ!」


 嬉しそうに頷いて無邪気に顔を歪ませてさあ。何度も何度も頷いていた。

 ずっと認めて欲しかったんだなあ。いまは気持ちがないし、そういうのに興味ないからほっとけ! って。したいようにさせてよ! って。


「なれば……次には、余が抱きたいと思える女子を余が申せばよいわけか」

「春日さまなら、喜んでご協力いただけるかと」

「たしかに。さて、問題はいまは興味がないことだが」

「そろそろ作ってみるかなーとか。どんな女子だったらいいかなあって、お心に問いかけるところから始めてみてはいかがでしょうか?」

「――……立場が絡む女子はこりごりよ」


 あー。正室さんに対してのうんざりが見て取れる。

 とはいえ正室さんの扱いが打倒かどうか、後世からみてどううつるかとか。

 やまほど議論の種が埋まっている気がするけれど、いまじゃないよね。


「であれば、市中の娘というのでは?」

「次は土井たちが怒るな」

「では土井さまたちが納得せずにはいられぬ時期や、話の持っていき方を見つめてみては?」

「ははは! 愉快! なるほど、家臣を前に謀をすると申すか!」

「悪戯みたいで楽しくありません?」

「たしかにな! とはいえ、余が元気なうちに余の種から産まれた男児に継いでもらうが本懐と思わんでもない」

「病気になって、しょうがないなあって思えたら、病気で先がどうなるかわかんないからって内々に伝えて許可をもらうっていうのは?」

「後々になってなんと呼ばれるか考えるだに恐ろしいが、しかし愉快でもある。死ねば天か地獄か。すでにこの世と離れた身なれば」

「関係ないのでは?」

「はははは! はあ……さすがにお主の語る言葉をそのまま伝えると、いろいろと騒動が起きそうだが」

「でも、それくらい自分にとって有利な道を探していいと思いますし、巻き込むしか手がないなら、あとはいかに相手が望めるように、己の目指す道のためにする話をもっていくかでしかないのでは?」

「正論だな。それに筋を感じる……」


 深呼吸をしてから、思案げに目を細め、すぐに頭を振った。


「考え事はそなたが帰ったあとでしよう。ただ……今宵はこれで満足した」


 意外。予想よりもずっと短い時間だった気がする。


「もう帰ります?」

「いや。帰る前に……天の歌でよい。なにか一曲、歌ってみてはくれまいか?」

「お! いいですよ! どんな歌がいいですか? 詩は?」

「――……そなたの心根が響くものがよい。作ってみせてくれるか?」

「合点承知です!」


 即興はわりとよくやる……というか。いつかのレコーディングスタジオ三十分挑戦から、トシさんたちはもちろんだけど、むしろもっと高城さんたちに何かしらの販促に使えないかっていわれて試される機会もあったんで。

 いくよいくよう。どんな歌がいいだろうか。家光さんに贈る歌がいいよね。

 ツバキちゃんが思い描いているメロディーはまだまだ未完成で、お試し版だけど。私の即興と重ねてやってみよう。どんなノリかは掴んでいるし、私の物語にするのなら、ひとりぼっちに関わる物語になるし、それは引いては家光さんにも届けられるもの。

 あとはお客さまに寄せればいいだけ。

 願いはひとつ。目標もひとつ。

 葵の澄んだ空。丸に三つ葉葵の家紋、徳川の証。それが澄んだ空に家光さんは希望を見ているのだろう。

 清廉潔白とか、罪がないとか……そういうわけにはいかない。

 先生たちの話し合いの中でキリシタンの虐殺について触れていたりもした。幕府が率先して弾圧した中には、殺された人たちの命と恨みが詰まっているだろう。

 となればその選択の重みを背負っている。

 ひとくちで雑に言えば時代が違う。立場も違う。キリシタンというけれど、現代においては宗教の自由のもとに、法に反する反社会的な行動をとらない限り自由だしさ。そもそも同じ宗教に見えても、派閥とか信仰に違いがあって、一緒くたに暴力の相手にするのはあまりにも無茶だしそれこそ惨すぎると思う。もはやそれは罪だとすら感じる。

 悩むことはある。けど何かの事件に関わる人には背景があるし、事情や信条もある。

 私にいま、それらに対してどうするべきか見えはしない。時代が変われば常識も変わる。自分の常識は他人の非常識っていう考えもある。

 だからもう、結局は……自分がどうしたいか。それだけ。

 裁定はくだる。十王が判定し、地獄となれば閻魔がくだすだろう。

 ならもう、あとはただただ願うよ。

 歌を口ずさみながらさ。

 この人が、そしてこの人に連なり、続いていく人の心が――……歴史を知っているとか、そういう知識とかそういうんじゃなくて。気持ちが救われる瞬間や、自分で自分を許せる瞬間くらいは作れるように優しくなれますようにと――……。




 つづく!

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