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その刀を下ろして、帯刀男子さま!  作者: 月見七春
第五十章 大江戸化狐、葵澄空天女帳

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第五百六十六話

 



 お姉ちゃんもキラリもマドカも苦しんでいる。というより、必死に探しているみたい。

 見ていると不思議なの。

 私は自分に流れる霊子を金色に変えて反射したのに対して、お姉ちゃんは身体に黒い炎を宿して近づいてくる霊子を片っ端から塵に変えていく。それじゃあだめだと顔を歪めては、ミツハ先輩に黒い炎が静まった瞬間に棒で肩を叩かれるの。

 キラリは逆に星が集まっている。けれど難しい顔をして、なんなら脂汗を流して必死に何かに耐えているような表情なんだ。尻尾がひゅんひゅん唸って、これまたやっぱりミツハ先輩にびしってやられてるの。

 そうなるとマドカはどうなっちゃうんだろうか。


「――……」


 尻尾を一切動かさず、無。

 なにも考えていなさそうだし、深遠な何かを考えていそうでもある。

 横のふたりと違って露骨に目で見てわかる変化はない。ただ、時折尻尾が九尾になったり猫のものに変わったり、かと思えば獣耳ごと消えて黒い炎を浮かべてみたり。

 とんでもなく慌ただしい。周囲の人の影響を受けているのか、それともマドカ自身が何かを感じとろうとしているのか、わからないけれど。

 それぞれに兆しは見えるし、だからこそ士道誠心にいる、ないし残ってくれた人の中でも最強の刀鍛冶こと楠ミツハ先輩がいてくれるんだろう。

 お姉ちゃんの炎やキラリやマドカ、もちろん私も含めて手こずる四人を相手にできるなんて、それだけですごい。伊達にメイ先輩とルルコ先輩、北野先輩の刀鍛冶をひとりで担っていない。

 去年カナタと出会った侍候補生と刀鍛冶のお見合い会ならぬ顔合わせ会を思いだすと、基本的には一対一。ノンちゃんとギンの関係がそうだ。

 けれどラビ先輩、ユリア先輩、シオリ先輩の刀を見守るコナちゃん先輩のように複数人の面倒を見ている人もいる。もしかしたら私と同年代の柊さんや日下部さん、泉くんたちをはじめとするみんなもそうなるかもしれない。

 カナタもノンちゃんも、専属派。だけどカナタは、たとえばお姉ちゃんが御霊を宿したら面倒をみるのかな。姉妹の相手をする内に、だんだんお姉ちゃんに心が傾いたりしないかな。そしたら……。


「な、ないない」


 頭を振る。変な妄想している場合じゃない。

 見ているだけじゃなくて、私もなにかできたらいいのに。身体はくたびれているけれど、タマちゃんやあきさんのすごいところを見せてもらったあとで、これくらいじゃ満足できないよ。


『そうこなくては。恐らくはそこな者たち三名が霊子の定義をすませたのなら、いつでも次の段階に移るのじゃろうが……妾の術をひとつ、身につけてみるかえ?』


 うそ! タマちゃんが!?


『なんじゃ、その驚きようは』


 だってお化粧とかボディメイクや芸事以外でタマちゃんが積極的に私に教えてくれるの、珍しいのでは!? っていうか初めてなのでは!?


『化け術など軽く言うてやったじゃろうに』


 ほんとに軽くだもん!


『お主が掴めなければ意味がないからのう。釈迦に説法しても意味はなく、蟻に人の理を解いても仕方なし』


 あ、蟻扱いです?


『見えているものの差が、そのまま住む世界の差となろう。優劣でも上下でもなく、厳然とした違いの話じゃな』


 ……難しいのですが。


『お主のように歌えと、歌うことに興味のない者に教えられるか?』


 えっとう――……欠片も想像できない! とりあえず無理そうってことはわかるよ!


『たわけ』


 うっぷす!


『雑に答えおって……まあ、しかし真理は掴んでおるな。己のやり方、生き方を等しくすべての者に教えられるなど、それは幻想に過ぎぬ』


 そうかなあ。学校でみんな、一足す一とか、あいうえおとかから学んでいくし、高校生になったらだいたいある程度はわかるようになると思うけどなあ。


『それもまた幻想』


 なんで?


『文字が読めぬ者はどうなる』


 ――……あ。


『生まれつき数字に弱い者もいよう。言葉の機微を理解できぬ者もいよう。どうしても物覚えの悪い者もいよう。先天的に限らず、後天的な素養によって感じとることにも大きな差異が生じる。お主はそれを勘定に入れて語っておるのか?』


 それは、その――……ないです。

 深く反省しました……。


『そうであろう。お主の内に宿る妾ですら、お主という幼い狐にどのように物を教えるべきか非常に悩む。お主はほれ、根が素直じゃし』


 な、なにか問題あるの?


『妾が――……まあ、これは万が一にもあり得ぬが。それでも、お主をうまく導けなければどうなる? お主だけでこれほどまでの輝きを放てるようになったのに』


 私の内側から溢れてくる金色を見て、言いたいことがなんとなくわかってきたよ。

 だから気持ちを素直に伝えるね?

 私だけじゃここまでこれなかったよ。何度だって思ってきたし、届いているはずだよ。

 みんながいて、タマちゃんたちがいてくれたから……私はここまできたんだもん。


『ならば、惑わせたくもないという妾の気持ちもわかってくれ』


 そんなに怖がらなくてもいいのに。

 ここまで一緒にやってきたんだし、それはこれからも一緒。

 問題ないない! あっても乗りこえちゃうんだから。ね?


『――……ならば、進めるぞ?』


 望むところです! そんな風に脅かさなくても、だいじょうぶだよ?

 どんとこいですよ!


『よろしい! お主のことをますます気に入るばかりじゃな! まあ、たまに見せる阿呆なところは目につくが!』


 そ、それはいいじゃない!


『さて――……心のありようを決めるは、己のみ。とは申すれど、接して見つめて感じとる他者のありようもあろう。それが誠か嘘かはさておいて』


 そうだね。キラリはこうだとか、マドカはこうだって思っていても、それはあくまで私にとってのふたりでしかない。とはいえ、私にとってふたりがどうかって思う事由はある。押しつけたらうんざりされちゃうだけで。でもふたりが気に入る形であったなら、受け入れてもらえるだろうっていうだけ。


『それでは……妾がなぜ、過去に因縁あれど……悪夢にさえ見ようとも、妾を恋した男を呼んだか答えてみよ。妾の霊力とはなんじゃ?』


 いいいいいい、いきなりの難問なのでは!?


『そうか? ヒントは露骨ではないかのう。妾を宿したお主の心の叫びでもあり、これまで何度となくお主が願ってきたことじゃぞ?』


 えええ……なあに?


『考えてみよ。それでも足りぬのならば、思いだせ。緋迎カナタが苦しんだとき、その兄シュウが己を見失って叫ばずにいられなかったお主や、助けずにはいられなかったカナタがなぜそのようにしたのかを』


 ――……答えを言われているんだと思ったし、それを意識した瞬間に涙が溢れてきた。

 安倍晴明さえ呼び出した。最初の四神とは別の、その召喚の意味さえきっと同じ。


『言葉にしてみせよ、春灯。妾の真の――……心の願いを』


 目頭が熱くなって、必死に目元を手で拭うけれど、内から金色が溢れてくる。

 その熱は私のものっていうよりも、きっとずっとタマちゃんの――……。


「愛したい」


 ただ、それだけを願う優しい熱でしかないんだ。

 それこそが、タマちゃんの真の願いだし、霊力の源なんだ。

 迷い、惑い、道を外れたこともあるけれど。

 愛されたい気持ちもきっとたくさんあるだろうけど。

 それよりもっと、愛してみたいんだ。愛する自分でいたいんだ。

 時代故のあまりに陰惨なことにも、そりゃあ関わったりいろいろあっただろうけれど。

 長い時を経て残された気持ちは――……澱みから絞り出された、根源的な願いとはつまり、愛したいっていうそれだけのこと。

 中学の頃にキラリやユイちゃんたちを遠ざけながら、誰か弱者を求めて自分を成立させようとする人たちを見ながらうんざりして、それでも私だって望んできた。

 みんなまるごと遠ざけてひとりぼっちになるんじゃなくて、ユイちゃんたちが歩みよってくれたときとか。ほんとはキラリが寂しそうにしてた瞬間とかに、行動できていたはず。

 ただ、愛さずにはいられないって思うだけで。それだけでよかったのに。


『妾を神へと押し上げてくれたお主の気持ちもまた、妾の霊力と繋がっておる。しからば必然、青澄春灯は妾の霊力を扱えるはず』


 タマちゃんを宿した人だって、同じじゃないの?

 たとえば、あきさんとかさ。


『否。違うよ……春灯』


 それは去年、夢の中で聞かせてくれたお母さんみたいな慈愛に満ちた声だったの。


『心根を同じくしているのは後に先にもお主だけ。そら……妾のようにしてみせい』


 タマちゃんのように――……。

 誰かを呼び出すの?


『愛する限り、妾の力は無限じゃ』


 胸を張って言ってそう! でも黒いお兄さんとか、晴明さんとかを呼び出しているときはそんな感じだった!


『別に性愛や恋愛だけに留まらぬ。迷い子が嘆き叫んだときに躊躇わず抱き締めるのもまた、愛』


 姫ちゃんのことだ。

 理華ちゃんの首を絞めて正気を失っていて、あまりの心の痛みに壊れてしまいそうだった。

 あのときの選択肢は、いま考えてみても抱き締めること以外になかった。


『かの娘が癒やされ、受け止めた。その瞬間に生まれた心根こそ、互いの思いの成果であり……信頼の愛情なのではあるまいか?』


 ううん――……たしかに姫ちゃんはよく、寝るときに私のそばにくるし。なんならひっついて寝ている場面も多い。甘え上手なだけじゃなくて、愛され上手な気もしますね!

 慕われているなあって思う。それは出会ったばかりのツバキちゃんによく似ているから、わかりやすい。対してツバキちゃんはもうだいぶ落ちついているというか、江戸時代における自分なりの課題や、現代に戻ってからのお仕事に夢中だったりもして、とても頼もしい。

 ふたりに対して胸の中にある気持ちもやっぱり、愛。

 まるでアイドルのすっごい昔の歌みたいだね。うちのお母さんが大好きで、ライブ行く勢なの。家事をしながらよく歌ってるよ。きっとお姉ちゃんも知っているはず。

 やっぱり最後も最初もそこに行き着く。

 生まれたときに愛されてほしいし、死ぬときにも愛されてほしい。人生が愛に満ちていたらと願いながら――……そのときを迎えたい。

 もっとずっと未来のことだろうけどさ。ひとまずはうちのお母さんの出産を通じて、それを願いたいなあって思わずにはいられない。

 それだけじゃなくてさ。

 アダムも、教授でさえも……それくらいだめな人を相手にしてすら、死ぬときないし、その先になにか暖かいものが待っていてくれたらいいのになって願う。

 決して地獄の黒い炎とか、そういうんじゃなくてさ。

 別に誕生と死に限らなくて。興味を愛情に変えられたらと願うし、優しく接してくれる人には全力で懐くし。きついだけの人とか、厳しいことしか言わない人とは距離を取る。

 あまい循環だけでいい。それしか取り入れている余裕がない。ただでさえ注目を集める仕事をするのなら、うんざりするような接し方をしてくる人がたくさんいる。だからやっぱり、仕事以外で自分のそばにいてもらいたいと思えるのは、私が受け止められる愛をくれる人くらいだ。そういう人たちを一生懸命愛することだけで精一杯だよ。


『それでも輪は広まっていく一方じゃがのう』


 嬉しい誤算なの!


『ならばそれでもよいじゃろう……さあ、妾の術をひとつ授けてやる』


 私の胸の内側からじんわりと慈愛が満ちていく。

 タマちゃんが愛した人たちの顔――……最後にふっと十兵衞が浮かんだ瞬間、思わず願った。


「きて」


 そう呟いた瞬間にね? 一本の尻尾がぶるぶる震えてなにかが流れ込んできた。

 心に浮かんだのは姫ちゃんのこと。あの子の熱だ。そう理解した瞬間に、胸の内側から何かが溢れ出してきた。


『――……む!?』


 久しぶりに聞いた、この時代にいる彼とはちがう――……私の大事な大事な御霊の声に、目をぎゅっと閉じて、胸に手を当てて念じる。

 十兵衞?


『うむ。面妖なことだ。気づけば妙になつかしい場所にいる』


 ――……ぶわって尻尾が膨らんだんだ。

 もしかして、もしかして!?


『呼ぶくらいならば……挑戦してみせい』


 うん! じゃあね! じゃあね!

 ユウジンくんたち星蘭のことも浮かんだけど、もし呼べても戻せないなら大勢の居場所を確保しきれない。となれば、なによりもこの旅で必要だった人たちを――……!


「おいでませ!」


 集まってきた霊子と漂う金色を思いきり吸いこんで、願う。

 一年間、私たちを鍛えてくれた大事な大事な、この場にずううううっと欠けていた人たちを呼び寄せるんだ!


「先生たち!」


 掲げた手に巨大な金色の鍵が出てきた。思いきり捻った瞬間に、天井に穴が空いて――……。


「むっ!?」「わっ!」「なななな、なんです!?」


 ライオン先生やニナ先生、クウ先生をはじめ、


「ほっほ、これはまた妙な」「厄介ごとか……」「いや、さて」


 ほかの先生たちも出てきたの!

 およそ学校の先生全員が出てきた。となれば当然、


「――……これまた、面白い」


 長い髭を指先で撫でつけながら、学院長先生が言うんだ。


「さて、どれほどの時が流れたろうか。わからぬが、生徒は息災のようじゃな。のう?」


 思わず力一杯うなずいちゃった!

 さすがに修行しているどころじゃないとマドカやキラリが動こうとするけれど、ミツハ先輩にびしびし叩かれて成敗されてる。

 それゆえに、質問役はミツハ先輩しかあり得なかった。


「青澄、私たちを戻せるか?」


 聞かれてすぐに手の中を見た。鍵は既に消えている。

 それに――……会いたいと思えばこそ呼べるけど。

 ねえ、タマちゃん。いまの術だと、呼ぶことはできても飛んでいくことはできないよね?


『残念ながらな。妾と同じ霊力の扱い方に成熟するまでには、まだまだ時間がかかるじゃろうな』


 だ、だよねえ。


「ごめんなさい、無理そうです」

「――……それでもありがたい。とはいえ授業中だ。青澄、ユウヤかシオリを呼んでこい。先生たちに事情を話して、場合によっては五日市へ向かってもらおう」

「はあい!」


 久々の吉報だ!

 自分で掴んだ奇跡に大満足して立ち上がろうとしたけれど、膝に力が入らないどころか倒れ込んじゃう。


「うう……」

「力尽きたか。無理そうだな……そ、そうだな」


 ミツハ先輩が珍しく動揺した素振りを見せるから、クウ先生が「じゃ、じゃあ私いってきます」と走りだす。

 変化が訪れた。より盤石になるばかり。となればもう、この時代での窮地をどうこうというよりはむしろ、家光さんとの逢瀬を重ねて親交を深めながら理解していこう。

 タマちゃんの霊力に重なる私の霊力の扱い方を。愛し方を、もっと――……もっと。


 ◆


 村正は用事があると言って去っていった。恐らくは奴の仕事に関わる用事か。


「十兵衞さま、すこしお時間をいただけますか?」

「さあて。今度はなにを見せられるのやら」

「そう仰らず」


 にこにこと笑うあきに連れられて向かう先はどこか。

 時間をかけて歩いた先には東海寺。門前にきたあきを見て、奥から坊主がひとり歩いてきた。

 目配せして、あきと共に歩いていく。ふたりの距離は近い。

 ならば坊主はあきの許嫁か。振り向いて流し目をくれるあきに苦笑いを浮かべる。

 どういう仕掛けなのやら。はてさて。

 茶を頼んですぐに、坊主は俺を見て切り出すのだ。


「柳生殿とお見受けする」

「下の名を呼ばなくてよいのか?」

「それを申し上げるは些か野暮かと」

「助かる」


 蟄居を命じられて久しい。外に出ていると噂になられては困る。まあ、もはや手遅れのような気もするのだが。


「それで?」


 向かい側に並んで座るふたりを見て、出方を窺うこちらに坊主がすぐに笑った。


「そう警戒めされるな、と申しても無理でしょうね。あきとのこと、聞き及んでおります」


 あきはほのぼのと笑っていた。黙っているべき話ではないのか。それとも裁かれたいか。わからぬ。

 戸惑うこちらに坊主は、妙なくらい明るい笑顔で居続ける。


「さて。拙僧が笑う理由とは?」

「つまり――……恋仲ではないのか?」


 まさしくと言わんばかりに頷く坊主に、思わず額に手を当てて唸る。


「なるほど。惑わされるは男ばかりなり、か」

「そも……寺を通じて守り続けた現世の神でございますれば、そもそも坊主が手を出すなど理に反しましょう」

「神道でもあるまい」

「仏を抱いてはなりませぬ。そうでございましょう?」


 とんでもないことをしれっと言う。坊主の言葉を誰も真に受けない。或いはそれが、この近辺における坊主の評判そのものなのかもしれぬ。


「では俺は地獄へ行くか?」

「かもしれませぬ」


 にこにこと、邪気など一切ない顔をし続けて、しかしあまりに無体な言葉ではあるまいか。


「お主があきを嫁にもらうのではないのか?」

「いつまで化かされておいでかな?」

「――……あき」


 さすがにたまらず名前を呼ぶと、あきは朗らかな顔で童女のように小首を傾げた。


「既に腹に宿りし命あれば、わたくしはあとは――……あるべき場所へ嫁ぐのみでございます」

「してやられたわけか」


 目元を手で覆った。


「それについて、ご承知いただけるのであれば事前にお伝えしたいことがいくつか。沢庵さまより書状を預かっております」


 父の苦々しい顔が目に浮かぶようだ。


「断ればどうなる?」

「狐は毎晩、嫁入りに参ります」

「――……柳生屋敷を水浸しにするか」

「柳生庄でも一向に構いませぬ」


 事後通達甚だしく、到底承知のできぬことといえど。


「――……お主の神通力で腹に俺の子がいると申すか?」

「励んでいただいたので」


 なんということだ。

 これでは頷くほかあるまい。

 蟄居のみならず腹に子を孕ませ逃げるとあれば、勘当では済まぬだろう。


「そう気落ちめされるな。仏は今生にて最後の子を残そうという腹づもりでございますゆえ」

「――……なに?」


 話の行く末が見えぬ。

 こちらを安心させるつもりがあるのならば、声音に姿勢に示して欲しいが、坊主は構わず続けて語る。


「陰ひなたとなって寄り添いはすれど、あなたにも天命がございますれば……影の女として、子をなして家族を作り、子孫末裔に至るまで繁栄する予定だと伺っております」

「あき」

「まあ、そういうことなので……“彼女”に縁があるのでございますよ」


 しれっと言う仏の言葉には耳を貸さずに、坊主を睨みつけた。


「俺の了解はなしか」

「抱いた時点で得たものかと」

「そ、そうはいうがな」

「人生を引き受けるつもりでお抱きになった、と。そう伺っておりますれば」

「――……あき、どこまで話した」


 頭痛とめまい、それに心の臓が悲鳴をあげている。

 しかし彼女はのんきに茶を啜ってから、上目遣いをしてくるのだ。


「さすがに伽の中身までは申し上げませぬが……愛しているという、たった一度のお心はお伝えしました」


 妙に蕩けた声で言ってくれるな。


「貧乏くじだと思いなさるな。沢庵さまは見抜いておいでだった。この通り」


 坊主は懐から書状を出して床に置き、そっと押してくる。

 仕方なしに受けとり眺めて絶句した。

 要約するとこうだ。

 女には気をつけろ。祟られたくなければ、抱いた情に従うも人の道かな。

 人を喰った笑顔が浮かぶ。ようく酒と女についてたしなめられたものだが、まさかこういったいじわるな手に出るとは。よほど幕府と揉めた一件が尾を引いているか? それとも……いや、詮無きことだ。もはや、この段階に至っては意味をなさぬ。


「それで、俺は何を気にすればいい」

「了承してくださったと見ても?」

「そうではない。俺は抱いた女の責任を取るといっているだけだ」

「なるほど――……それで十分」


 歯を見せるように笑う坊主は、妙に憎めない。

 わかりやすい顔をしているな。それもまた、和尚殿の采配か。やれやれ……。


「早く言え」

「は……彼女がこれまで産んだ血筋を理解していただきたく」


 嫌な予感しかしないのだが。


「織田や豊臣などと言うまいな?」

「残念ながらおふたりよりも、より明白な天下人ゆえ。わたくしが真に目を付けた強者とは――……」

「ま、待て」


 あきがある一点を見て、肝が一気に冷えた。

 城の方角。それも上。ならば、必然――……徳川。


「い、いや。しかし。そのような話、聞いたことなど」

「化けるのは得意でございますゆえ」


 いや、いやいやいや。


「見世物とてそのような奇抜なことは聞いたことがない。これも俺を化かすための方便か?」

「そうであればよいのでございますが――……彼女の友を見たのであれば、真偽は伝わるかと」


 坊主の説明に倒れなかったのは奇跡といえよう。

 となれば、あれか。


「俺は、それほどの仏に手を出したと?」

「地獄行きは免れませぬなあ! なあに、拙僧が供養いたしますぞ」

「――……それは、なによりだ」


 心乱され、狂わされ、それでも制御を取り戻し、呼吸を整える。


「しかし、これはやはり虚飾であろう」

「ほう?」


 愉快だと言わんばかりに前のめりに屈み、アゴを指先で撫でつける坊主よりも今度はあきに視線を向けた。


「妙なものばかり見せられた。ならば信じることもあろうが、しかし狸と狐が寝たというには無理がある。あき、真実を話せ。夫婦となるならな」

「そう仰られますと……仕方がありませんねえ」


 深いため息を吐いたあきは、


「もっとずうっと前。狐は狐であろうとも――……わたくしに宿り、わたくしを仏に変えた狐は、あなたさまに縁のあるあの子とは違う狐でございますれば」


 一瞬だけ瞳を獣のそれに変えてみせた。今更驚かぬ。それよりも気になる。


「どのような血筋がある」

「晴明」


 其の名くらいは聞き及んでいる。


「そして――……数名の武士でございます。その血筋は、ええ。あなたが思い描いた血筋に続いておりますよ」


 くらりときたが、深呼吸して頷いた。


「なるほど。たしかに男は化かされるし――……女子は年ではなく気立てというのも頷ける」

「あら。失礼でございますよ? わたくしの抱き心地、気に入りませんでしたか?」

「その答えはお主が知っておろう」

「くふ」


 嬉しそうに笑うあきにため息を吐いて、坊主を見た。


「なぜ今日、この話をした?」

「あきがひとりでは落とせそうにないと申しますし、沢庵さまの書状を渡すに相応しい時期だと伝えてきましたので」

「――……気の強い妻を持つと、夫のやることはなくなるそうだが。これでは俺は尻に敷かれる未来しかみえん」

「それも男の甲斐性でございましょう」


 やれやれ。逃げても追いかけられ、捕まるだろうし。誠に腹に子がいるのならば逃げられぬ。それに仏を孕ませたとあれば、明らかに大罪を犯したと言える。これ以上の狼藉は働けぬというわけだ。


「あいわかった。この十兵衞、観念した!」


 膝をぱんと叩く。それより他に打つ手なし。父ならば時間を稼ぎ、その間に万策を尽くして己と天下を守らんとするだろう。だが、抱いたときにある程度の覚悟はしていたのだ。

 あきが人ならざる気配を漂わせていたことには気づいていた。不可思議な神通力を操り、己のあずかり知らぬ境地にある化け物どもと戦う術を持っているのだということも。

 そして――……言葉にはしないけれど、愛し愛されたいと願っていることも。


「腹に子がいるのならば、無理はするな。屋敷へ戻る。他に話もあるまい?」


 立ち上がって手を差し出す己に、坊主は嬉しそうに尋ねるのだ。


「祝言には呼んでいただけますかな?」

「酒くらいは持ってきてやるさ。名前を明かしてくれるのならな」

「さてさて。拙僧はただの坊主でございますゆえ!」


 言う気はない。現状では強い興味もない。あきと話さねばならぬことも多い。

 しかし確認しておく。


「お主まで、あきが化かした何かではあるまいな?」

「はは! 拙僧、陰間が好きなよくいる生臭でございますよ」

「そうか。茶、馳走になった」


 いえいえ、と見送る坊主を置いて、あきの手を引いて外に出る。

 当たり前のように腕に抱きついてくる娘を横目で睨んだ。


「先ほどは俺の嫉妬心を試したか」

「おいやでしたか?」

「――……いい気はしなかった」

「あら! まああ!」


 嬉しそうに二の腕を叩いてくるあきと共に歩く。

 空は明るく、雨の降る気配なし。もし仮に祝言をあげるのならば、雨が降るのであろうか。

 それよりもまず父が許すのだろうか。名のある家の息子がこれでは困るか? 兄弟たちがなんとかするか。友矩には不安がある。宗冬か? ううむ……。


「これでようやく――……あなたさまに、刀を授けることができそうでございます」

「なに?」


 妙なことを言う。


「刀なら間に合っているが」

「そうではございませぬ。小僧と三人での旅路で何度かお貸しした、人の邪なるものを切り裂く刀でございます」

「なに――……人の、邪なるものだと?」

「わたくしを嫁にしてくださるのなら――……同時に、この世の邪と対峙していただくさだめにございます。故にわたくしは、強きおのこを選ぶのです」


 まるでその言葉は天命に従うただの娘のようだった。


「そうして生きながらえてきたか」

「生と死を繰り返しながら、輪廻を重ねてここまで参りました。いまのわたくしは、あなたが生娘を奪った娘でございます」

「生前の記憶とでもいうのか?」

「それを受け継ぐのももはや、あなたさまで最後となりましょう」


 道ばたで春を売るしか生きる道がなく、相手にもされず人生に絶望した老婆よりも重たい息を吐く彼女を放ってはおけぬ。


「なにゆえ、俺で最後だ」

「――……もう、疲れたのですよ。願い続けることに。誰かの愛を忘れられず、けれど失われた心を求めてまた別の誰かに愛されようとせずにはいられぬ自分に」


 彼女がそう言ったときになって、ようやく気づいた。

 未熟者め! この十兵衞、人の気配がなくなったことに今頃気づくとは!

 突如、目の前に雨が降る。自分がいる場所から一歩先の向こう側にかけて、しとしとと。

 天の光が差している。狐雨――……。

 あきが腕を離して、胸の内に入っていたとは思えぬ赤い傘を広げてふり返る。

 雨の中からふり返る彼女の衣装が瞬く間に花嫁衣装のそれに替わった。


「ですから、最後は真に愛せる男と添い遂げたいと願いました。わたくしの心、受け止めてくださいますか?」


 幽鬼のように陰り、漂い儚く消えそうなモヤに囲まれて、彼女の姿が一瞬透けて見えた。


「あなたさまがどのような女子を娶る運命か、どのような人生を過ごすのか……わたくしは、その一切を承知した上で、お願い申し上げます」


 いつか見た九尾とは異なる、白く煌めく尻尾と耳を生やして彼女は憂いを帯びた瞳を向けてくるのだ。懇願している。ただただ、愛を求めて。


「どうか、わたくしを愛してくださいますか? あなたの愛を最後に死んでいきたいと願っているのでございます――……」

「地獄で俺を待つか?」

「わたくしは天にいくでしょう」

「片思いか」

「いいえ。違います――……愛してくださるのなら、わたくしの心はあなたと共にあり続けます。これまで出会った誰にも捧げたことのない、わたくしのすべてを捧げます」

「なれば、距離は関係なく、天国であろうと地獄であろうと関係ないか」

「ええ。ただ――……ただ、秘密にしてくださいませ」

「なに?」


 妙な願いだ。


「きっとあなたは、わたくしにとって特別な化生を愛することになる。それでもどうか、地獄にあり続け、わたくしを秘密にしてくださいませ」


 手を差し伸べてくるのだ。


「この愛は、あなたとわたくしだけの秘密。未来永劫――……そうしてくださる限り、わたくしはあなたの心を満たし続けましょう。あなたの影には必ず月が映るようになりますよ?」


 あきの影が伸びていく。

 顔を覗かせて、多くの化生が顔を覗かせる。神々しさを感じさせる存在も、鬼もやまほど。

 みながこちらを睨んでいる。

 まさに境界線。手を取れば戻れぬ魔性の道に墜ちる。


「お前には何が残る。誠に望んでいるものは、愛だけか?」

「――……もうひとつだけ」

「なんだ。ここまできたらすべて申せ」

「ええ」


 腰に手を当てた俺に変わらず笑いながら、けれど憂いをこめた瞳のままで。


「わたくしが死ぬとき、わたくしの目をあなたの目にしてくださいませ」

「――……目を抉り、交換せよと申すか?」

「さすれば強き絆が結ばれます」

「仏は言うことが違うな。仏の目とあれば御利益がありそうだが、俺はますます地獄の深いところへ墜ちるだろう。お前にとっても得はないのではないか?」


 苦笑いを浮かべた俺に、彼女は懲りずに手を差し伸べ続ける。


「あなたの身体の一部となれれば幸いでございます。どうか――……どうか。愛してくださいませぬか?」

「最初よりも要求が多い」

「女の愛は欲が深いのでございますれば」

「――……男は勝てぬわけか」

「ええ」


 こいねがうような視線を受けて、ため息の代わりに一歩を踏み出した。

 雨の中へと入り、傘をそっと取り上げる。


「妙な友たちのご同行も今はいい。祝言のときまで待っておけ」

「あ、あのう。手を差し出したのでございますが」

「人前で手など繋げるか。相合い傘で我慢しろ」

「ああん! そう仰らず! 大事な場面でございますので! 後生ですから!」

「――……いま手を取ったら、あきが雨に濡れる。ならばお前が俺の傘を持つ手を取ればよい」

「それはそれで素敵ですけれども! ……わたくしの手、取ってくださいませんか?」

「今夜、部屋で。それまで待て」

「どうしてもでございますか?」

「どうしてもだ」


 容赦のない俺の言葉にむすっとしながらも、渋々と傘を持つ手に手を伸ばしてこようとして――……けれど彼女は引っ込めた。


「では、夜のお部屋でもう一度。それまではお預けです!」

「それは夜が楽しみだ」

「十兵衞さまのいじわる!」


 頬を膨らませるあきに苦笑いを浮かべながら、しかし内心では赤い傘でよかったと思っていた。これならば、年甲斐もなく緊張して赤くなった顔に気づかれずに済む――……。


 ◆


 先生たちに事情を話してから、職員会議状態になっちゃって。

 でもって、休憩のために戻ってきたコナちゃん先輩は褒められたり叱られたり、私たちもいろいろと熱い指導を受け、一年生にいたってはめちゃめちゃ謝ったり忙しかったの。

 それでも夜が迫ってくる。

 となれば当然、家光さんの使いの駕籠がくるわけで。


「待って。さすがに生徒だけに行かせるわけには」

「しかし、相手方は忍びや武士が警備しているとなれば無茶はできぬ。生徒たちが苦心してここまでたどりついたお膳立てを我らが崩すわけにもいくまい」


 科学の先生の意見にライオン先生が反対したの。正気かって顔をする先生たちに対して、ライオン先生はたくましい胸を張って言ってくれたんだ。


「青澄。我はお主に託したい。だがお主をただ行かせるほど白状でもない。それは我らのみならず、並木たちも一緒であろう?」


 話の矛先を向けられたコナちゃん先輩は迷わず力一杯頷いた。


「もちろんです。日高に頼ることが多く、敵の警備も厳重ですから、なかなかうまく連携できないでいたのですが」

「であればこそ、策を弄するべきだな。とはいえ――……ここまで自主的にやってきたのだ。我らが来たから我らがすべてを舵取りしてしまうのではもったいない」

「獅子王先生!?」


 三年生を見ている先生が悲鳴をあげたけど、ライオン先生は揺るがない。


「無論、生徒の窮地は防ぐし全員の命を守り抜く。たしかに我らは常に後手に回りすぎてきた。いい加減、払拭するべきではないかと思えばこそ、我の言葉に反対するのであろう?」


 気色ばむ先生もいた。それでもライオン先生は突き進む。


「だが同時に教育というのは、なにも我らが教えを押しつけることにあらず。彼らが成長しようとしているときには、背を押すのもまた教師の務めではないか?」

「「 それは…… 」」

「しかるに――……並木、楠、伊福部。ほかにも誰か、我らを活用して打てる手を思いつく者はいないか?」


 ライオン先生がにいって笑った瞬間、コナちゃん先輩が直ちに答えた。


「ニナ先生の子犬を青澄に。要するに通信ができないのなら、変わりを用意すればいい。私たちにはできなくても、ニナ先生の力なら可能ではないでしょうか?」

「うむ! 並木、いいぞ。まさしく我も同じ考えよ。ほかに案は? ――……なさそうだな」


 全員の顔を見渡して尋ねるライオン先生に、不安や心配を顔ににじませる先生たちばかり。

 いきなり来ちゃってショックが強いのに、ましてや生徒が敵地の中心になるかもしれない場所へ行かなきゃいけないとなれば当然! なんて理想はみない。だからこそ、先生たちの表情に現われた気持ちが嬉しかった。


「家光さんはお友達になりたがっているし、城はとりあえず様子見で、穏便に帰ってほしそうなので、それで今日はひとまず十分ではないかと」


 けどって言う先生もいたけど、学院長先生はおひげを指先で撫でつけながら許してくれたんだ。


「よかろう! 獅子王先生の言葉にも頷くし、ほかの先生方の心配ももっとも。故に今日を乗りこえ、生徒たちの教育を意識しつつ、盤石の対策を練ろうではないか。しかし――……」


 含みを持たせる学院長先生に江戸残留組みんなの視線が集まる。

 けれど朝会の挨拶よりも気さくにひょうきんな笑顔で言ってくれるんだ。


「これほど得がたい機会もあるまい。どうかな? まずは生徒たちの自主性を重んじようではないか。諸君が学生であった頃のようにな」


 最後の言葉が止めになったみたい。

 普通の学校じゃきっとあり得ない。けどあり得ないだらけのことをあり得ないだらけの力でやり続ける場所が、士道誠心なんだもの!


「そういうわけだ。主導権は引き続き並木に委ねる。助言を求めていい。助けを求めていい。そして――……やりたいことをやっていい。守り、必要とあれば導くのが我らの勤めだ」


 ライオン先生に肩をそっと叩かれただけじゃなく「よくがんばった。まだやれそうか?」と囁きかけられてるの。だからかな、コナちゃん先輩は目にぶわって涙を浮かべて、あわててそれで腕で拭ったの。


「もちろん! 私たちは引き続きやり通しますよ! みんな、その覚悟はあるわよね!?」

「「「 おうっ! 」」」


 ここまで乗り切ってきたんだもん!

 あとはお任せしますだなんて、そんなのあり得ないよね!

 さあ、気張っていきますよ! 突っ走るぜ、江戸時代!




 つづく!

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