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その刀を下ろして、帯刀男子さま!  作者: 月見七春
第四十九章 大江戸化狐、血恋新月帳

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第五百四十八話

 



 春灯ちゃんたちが暴れただけで、すごくゆるい空気になった。悪辣の限りを尽くす教授さえ従っている。

 当然、妙だ。

 違和感しかない。なんでだ? なにがおかしい?


「理華、あっちで先輩たちが会議してる。行かなくていいの?」


 呼びかけられて思考しながら答えた。


「美華こそ愛しのお姉さまのそばに行かなくていいんですか?」

「お姉さまは意識を集中なさっている。邪魔はしたくない」


 ほら。やっぱり変だ。

 視線を向けて明坂ミコを見つめた。

 大鎌を消して月に向けて手を組み合わせている。祈るように。

 気になって冬音さんを見た。説教されている人たちを見ながらいらいらと足踏みしつつ、けれどずっと付き従っている謎のイケメン眼鏡お兄さんに差し出された水をこれでもかといわんばかりの勢いで飲み続けていた。

 春灯ちゃんは心配して説教されてる組を見ているけど、マドカちゃんはいかにも頭が切れそうな先輩たちや真中さんたちと一緒に真剣にお話している。

 教授は?

 足下に呼び出した死人を集めているだけではない。胸の魔方陣は消えているけれど、肉と皮でできた表紙の本を手に目を伏せていた。

 あいつはなんだ?

 他人の苦しみが糧。記憶を取りこぼしながら、それでも人の醜悪な一面が覗ける場所へ進んで赴き、多くの人間を苦しめる。未練だらけの死人を操り、己を守り続ける。

 その目的とは、なんなのか。

 発想の転換が必要だ。

 あいつがそうしなければならない理由はなんだ?

 単純だ。たぶん、そうしないと生きられないからではないか。


『いいか、理華ちゃん。敵に囲まれたとき、それも自分の理解の及ばない敵だったとき、どうするべきか』


 鮫塚さんはかつて私に教えてくれたことがある。


『相手の行動原理を探れ。人間誰しも無意識に自分の中のルールを持っている。それがなにかを掴め。暴け。しかし明かすな。勝ちきっても絶対に』


 たまに最後の明かすなっていうのを疎かにしちゃうんですけども。

 教授の行動原理は単純。人を苦しめること。そして死体を必要とすること。その死体は私が目にした限り、どれも教授によって苦しめられて人生を歪められ、未練だらけになっている人たち。

 だとしたら――……あの騎士たちは、魔法使いは、本当に伝承の存在なのだろうか?


「――……ふむ」


 いいな。なかなか冴えてる気がする。こちらをびびらせるにはいい手だ。

 しかし実際に戦える死人であるのは間違いない。だとしても――……替えならあるんじゃないか? それこそ江戸時代の前は安土桃山時代、そしてその前は戦国時代だったんだ。いくらでも戦える死人は調達できる。武将の亡骸を利用して、外側と武器をごまかすほうが安上がりじゃないか。教授にとっての死体保管の難度はわからないけれど、五・六世紀の連中を使うよりは百年以内の死人のほうが新鮮なのは確か。

 そもそも教授自身が語ってみせた。海を越えるのは面倒だと。ならばイギリスから死人を連れてくるのは大層面倒なのではないか。

 指輪、真偽はわかる?


『距離を感じる。触れてみなければわからぬ。剣は――……本物のように感じた』


 肉体だけ偽装したって線は?


『大いにあり得るな』


 だとしたら――……やはりいろいろと妙に感じる。なんだ? なにが妙なんだ?

 教授の目的はいい線ついていると思う。

 人々を苦しめなければ生きられない男。それは呼吸をし、食事を取り、睡眠時間を確保するのと同じくらい彼にとって必要な行為なのではないかという問題提起は、悪くない。

 それが彼にとっての生存本能であり、必然的な行為。

 ただ見守っているなんてはずはない。あり得ない。絶対に。

 ならきっと、今も何かを準備しているはずだ。明坂ミコと冬音さんは備えていて、先輩たちは対策を取るために作戦会議をしているのだろう。

 でも、それは彼らに任せればいい。

 そうじゃない。私がするべきことは、私にしかできないことを最優先にしたい。

 この違和感の正体を考える。どれだけ時間が掛かろうと、教授は文句を言わない。なら、この時間を私だって有効に使うべきだ。

 なにがおかしい? いったいなんだ?


「なんか妙な感じになってきたな」

「僕はこういう空気が大好きだけどね!」


 笑っている岡田くんの後ろに、詩保に手を引かれて姫ちゃんが歩いてくる。鍵になる杖を手にしていた。けれどそれは一瞬で消えてしまう。姫ちゃんがその必要を感じないとばかりに消したのか。それは別にいい。

 姫ちゃん。感覚が何かを告げている。彼女を見ていると、心の奥底がざわざわする。

 たぶん、姫ちゃんだ。何かが隠されているとしたら、それは姫ちゃんでしかあり得ない。

 だが、それはなんだ?

 思案する私の耳に足音がきこえてきた。ルイだ。会議をしている先輩たちの元からやってきて教えてくれる。


「逃げ出した狐は四体、ちゃんと対処したってことでした。姫、安心してくれっす」

「ど、どうも」


 ほっとしたように息を吐いて、けれど教授に視線を戻す姫ちゃん。

 ――……よりも。


「ねえ……ルイ、いま、なんていいました?」

「え? だから……安心しても大丈夫だって」

「お約束やってる場合じゃねえんです。最初になんて言いました?」

「そりゃあ、えっと。逃げ出した狐は四体、対処――……うわ!?」


 思わずルイの首根っこを掴んで引きよせた。毛穴がぶわっと開く。

 心の中がざわつく。動揺を一瞬で消して、ルイを抱き締めて背中を叩いてごまかす。


「いやあ、そうですよね。そうでしたそうでした。どうも!」

「な、なんなんすか? いったい」


 きょどりながら離れるルイを横目に、一歩、二歩さがる。

 みんなは先輩たちや教授やミコさんに夢中。だから問題ない。

 離れて、離れて――……彼女の背中を見つめる。

 不安と怒りに小さな背中が震えていた。詩保に寄り添われている。けれど、彼女を私のようにすこし離れて見守っている男の子がいた。

 七原くんだ。彼女の姫を、いつでも助けられるように身構えている。

 彼も気づいているんだ。姫ちゃんをずっと見つめ続けている彼なら、或いは必然か。

 つうかマドカちゃんたちは気づいていてもおかしくないだろ。

 そう思って見たら、獣耳がこちらを向いていた。

 そりゃそうか。そうだよな。


「理華、どうした?」


 身構えていていっぱいいっぱいのルイじゃなくて、スバルが声を掛けてきた。キサブロウは七原くんに話しかけている。

 ふたりとも気がつくんだからなあ。さすがだ。

 こういうときに動きそうなワトソンくんはというと、ユニス先輩たちの元へ歩いていって様子を窺っている。いつでもフォローができるように身構えてもいる。

 まあいい。さってと。


「九引く四は?」

「――……そりゃあ、五だろ」

「私たちが目にした狐および春灯ちゃんたちが対処した狐の数は?」

「四――……いったい、どういうことだ? 何が言いたい」

「さて」


 笑いながら――……全身に浮かぶ冷や汗にむしろ昂揚する。


『九体以上の数にはならず、一体は作っても作っても朽ちて消えてしまう』


 それはいつか。わからない。ただもし教授襲撃事件のあとだとしたら?

 一体が朽ちて消えてしまう理由は?

 左手の薬指に親指で触れる。いろんなピースが頭の中で一気に組み上がっていく。

 たまらなく興奮しながら、それでも一気に冷えていく思考で答えを出す。

 青澄春灯の尻尾の数と、彼女から指輪を得た聖歌、詩保、姫――……そして、立沢理華。

 仮定その一、私が指輪を手にしているから、一体が朽ちる。

 現状確認、三人が指輪を手にして、合計四人。

 仮定その二、指輪を手にしている人数と朽ちる数が同じかもしれない。

 以上の仮定二点による推測は――……朽ちる数は四。なのに、狐の数も四。

 これじゃあ計算が合わない。

 というわけで、結論にいこう。

 あと一体はどこにいる? 髪に仕込まれているなら、あのタイミングで出たはずだ。じゃあ、別の場所にいるのか? それはどこだ。

 そこまで考えて――……めまいがするほど恐ろしい仮定が浮かんでくる。


「ああ……くそ」


 よろける私をスバルがあわてて支えた。


「どうした、理華」

「……いや」


 それを知覚するよりも、言語化するよりも先に彼を見た。彼の表情を。彼女の恋心に応えた少年の心を。

 七原ヨゾラはただ、絶望に抗うように、希望に縋るように、恋人になったばかりの少女を見つめていた。かんざしが音を鳴らす。寂しげに。切なげに。


「――……くそ。ああ――……ほんと、自分がいやんなるなあ」


 それでも、そろそろ……誰も言語化せずにいた、けれど特別重たい謎の話をしよう。

 疑問。なぜ、たび重なる調査を受けた時任姫から、仕込まれたトラップが見つからなかったのか。

 事実その一。刀鍛冶たちによる調査は、本人のあり方を探るもの。

 事実その二。混ざり物があったり、異物があれば刀鍛冶は気づく。

 事実その三。にも関わらず、刀鍛冶は気づかなかった。

 さあ、ここまで踏まえて考えてみようか。

 仮定。敵組織は刀鍛冶の調査を上回る術を持っている。それ故に見つからなかったのだ。

 意見。刀鍛冶の調査の術を上回るだけの事実は証明されていない。そのため上記の仮定を結論づけるだけの情報は現在、存在しない。

 ならば固執せずに別の方向性から考えてみよう。

 第二の仮定。そもそも時任姫には混ざり物などなかった。すべてが時任姫として存在していたがゆえに、刀鍛冶は異物を認識できず、敵の仕掛けを見つけることができなかった。

 もし、そうだとしたら――……。


「くそ」


 仮定による推論。

 彼女自身が、青澄春灯のクローンである。


「だめだ。ここから先が肝心だ」


 爪を噛む。必死に何度も。

 疑問が生じる。

 彼女の魂は偽物か?

 いや、違う。彼女が語ってくれた話も、焦燥も不安も恐怖もひとりの人としてありふれたものだ。そもそも事実を把握するべきだ。

 狐四体はほぼ出来損ないだった。やがて朽ちるだけの肉塊でしかなかった。なのに、時任姫はあまりに人として成立しすぎている。

 それはなぜだ? そもそも時任姫に重なっているからとか?

 これまでのできごとを一瞬で頭の中で再生してみると――……違和感があるエピソードはひとつ。

 時任姫が時計を手にして、学校へ来て、それを使用するくだり。

 お父さんが危ない。それは疑わない。母親が死んでいた。それも疑わない。裏があるかもしれないけれど、彼女が追いつめられていた事実は変わらない。

 ただ、でも。思わない?

 姫ちゃん、素直に時計を使っているあたりに違和感ねえかなあって。

 母親のショックからの流れはあまりにスピーディーすぎて、実感が湧かないんだ。

 教授にとっての必然をここでもう一度思いだしてみよう。

 人を苦しめる。そして未練を抱いた死体を求める。

 なら――……なら。


「はああ……」


 めまいがする。頭痛もしてきたけれど。

 時計を与えられた時点で、或いは――……アメリカにいた時点で、彼女は殺されていたのではないか。もしくは、瀕死の状態にされたのではないか。

 そして、青澄春灯のクローンの霊子と融合させられた死体ないし半死体になっているのではないか。


「映画の見過ぎって思えたらどんなにいいか」


 けど江戸時代に飛ばされている。クローンはいた。なら、敵のレベルを低くは見積もれない。それくらいされてもおかしくない。

 舌で唇を撫でる。冷たい。

 気づけば汗だくで、スバルが聖歌を呼んでくれていた。

 聖歌に撫でられていることに気づいて、深呼吸をする。息苦しさを感じて、どれだけ呼吸を忘れていたかに気づかされる。

 それでも思考せずにはいられない。

 なにせ、これが最後の推測だ。

 青澄春灯のクローンを通じて命を繋ぐ時任姫は操られていたのではないか。

 だとしたら。

 指輪、教授は姫ちゃんに気づいているか?


『その気配はないが警戒はするべきだ』


 オーケー。了解。

 さて、ひとまず――……致命的な事実ではあるものの、めまいがするほど敵がむかつきはするものの、解決策はひとつだけある。

 なにより鍵は既に彼女が手に入れていた。まさしく明坂ミコが告げたように。

 聖歌とスバルにお礼を伝えてそっと姫ちゃんの元に歩いていく。


「姫ちゃん。姫ちゃん、いい?」

「……なに?」


 彼女がふり返ったまさにそのときだった。


「我の貴重な一時間を無駄に使うなよ!」

「うお!?」


 打撃音がして卒業生の伊福部先輩が吹き飛ばされていく。

 地面に落ちて居たたまれない空気になっていくなか、マドカちゃんたちに話しかけられた春灯ちゃんが挙手して宣言しちゃう。


「え、えっと。タイムお終いです!」


 ちょっと待った、と叫べばよかったんだ。

 教授が姫ちゃんを見つめて微笑む。


「ならばちょうどいい。面白い少女がいるな」


 鳥肌が立った。それだけはさせられない。

 思いきり力をこめて刀を構えるけれど、教授が右手を伸ばして放った光は私を貫通して、うしろにいる姫ちゃんを貫いた。七原くんが覆い被さって守ろうとした。けれど、それは――……意味をなさなかった。


「アアアアアアアアアアアアアアア!」


 叫ぶ。姫ちゃんの皮が裂け、肉が膨らみ弾けてしまう。血がまき散らされて――……。


「姫!」


 絶望と共に叫ぶ七原くんを片手で突き飛ばして、自分の運命を悟った姫ちゃんが視線を向けて囁いた。


「ごめん、さよなら」


 その瞬間に、弾けて消えた。血が降り注ぐ。肉も。臓物も。それらは集まり、ひとりの少女の姿へと変わっていく。黒髪の春灯ちゃんに。裸の彼女の肉がまたたく間に朽ちて、落ちて、骨だけになってしまう。けれども地面からぼこぼこと出てくる死人の肉に包まれて、醜い人形に早変わり。首から下はかろうじて背骨だけ、膝下からやっと肉のある姫ちゃんの死体になってしまう。両手はない。爆発でももろに食らったのか、断面は黒ずんでいた。


「うああああ! うああああああああああ!」


 悲鳴をあげながら七原くんが泣いて見つめる死人に頭が沸騰する。


「ふうう!」


 それでも必死に堪えて、刀を握りしめる。

 いやだめだ。成仏させちゃだめだ。それじゃあ戻せない。

 何かないのか。唯一あった彼女の鍵を使う術はないのか。それがなきゃ。それがなきゃ、大事なクラスメイトを失ってしまう。


「うう!!」


 春灯ちゃんが呻いて倒れ伏した。金色の毛だらけの尻尾の一本が、瞬く間に漆黒に染まっていく。黒の侵食はほかの尻尾へと。これこそが敵の手。きっと奥の手。青澄春灯の尻尾を奪い取るための最大の手。

 動揺する士道誠心に教授は数え切れないくらいの死人を胸から出した。騎士団の姿を取らせたそれは演出でしかない。


「ミナト! なんとかできたらビンタ一発で許してあげる!」

「しゃあねえ! 映画やゲームでおなじみ円卓の騎士団だが、目の前の連中はぱちもんだ! 剣さえ、いわくのあるもんをごまかしているだけだ! 侍で立ち向かえ! ワトソン!」

「わかっています!」


 ふたりの剣士が迷わず挑んでいく。

 腕利きの侍たちが刀を手に戦いを始める。

 けど、ああ、そんなもんいくらでも先輩たちに任せるさ。

 私たちの戦いは別だ。姫ちゃんを助けて、みんなを苦しませる教授をどうにかする!

 私がやらずに誰がやる!

 さあ、窮地を乗りこえるときだ!


「ぐっ、うう……」


 聖歌が指輪をおさえて歯を食いしばる。それでも、彼女は歩いていく。どこへ?

 姫ちゃんの元へ。悲劇は起きた。恋する男の子だけでは救えないほどの悪意が敵。

 それでも聖歌はもう選んでいた。彼女の生き方を。指輪が黒ずんでいく。指先からどんどん黒いモヤが聖歌を包んでいくけれど、気にしない。肌も目もなにもかも、死人のそれでしかない姫ちゃんを抱き締める。


「だいじょうぶ、だいじょうぶ……姫はぜったい、助けるよ」


 死人は歩こうとする。暴力さえ振るえない。既に罠は発動したあと。狐は姫ちゃんを通じて教授によって最悪のタイミングで春灯ちゃんの尻尾へとうつり、奪い取ろうとしている。

 だからもはや、世界にとって時任姫の結論は出ている。

 知ったことか。


「私はおぼえてる。姫がどんなに綺麗な女の子か、覚えてる。こんな姿にされていいわけない」


 聖歌は必死に撫でる。なくなってしまった身体を。

 悪意に抗うのは、ただの希望。苦しめられる。傷つけられる。でも構わない。聖歌はもう、選んでいる。希望のままに生きることを。

 ゆっくりとだけど、姫ちゃんの肌が盛り上がっていく。死人のまま。だけど、それでも――……。


「女の子だもん。こんなひどい姿のまま、いられないよね」


 聖歌はひたすらに願いながら、元に戻れと念じてなで続ける。

 黒いモヤが聖歌を包む方が早い。けれど動きは止まらない。ゆるんでいく。止まりそう。それでも、聖歌の意思は止まらない。なにより生き様が尊い。


「――……くそ、こんなのに、負けるか」


 同じようにモヤに包まれながら、詩保は左右の目が狂った場所を見つめている姫ちゃんの亡骸を見つめた。そして、よたよたと歩みよって聖歌ごと抱き締める。


「私は女の子はみんな、あるがまま綺麗に生きる、そうであるべきだと信じてる」


 指輪が煌めく。黒いモヤなんかに負けないように。

 ただただ願っている。強く夢見ている。それだけが、たったそれだけのことが魔法なんだと信じて祈っている。

 指輪から伝わってくるからわかるんだ。痛いくらい、沁みてくるんだ。


「あんなさよなら、姫に似合わないよ! 戻ってきて! 姫だってこんな結末、認めてないはずだよ! 自分の願い通りに変えていくんだって決めたんでしょ!?」


 死んでいる。それが現実。でも誰も言わない。そんなこと言って受け入れるつもりはないんだ。


「余計なことを――……それはもはや死体なのだ! 現実を受け入れ、朽ちよ!」


 ミコさんと冬音さんと真中さんに攻められながら教授が手をかざした。

 姫ちゃんの肉体が瞬く間に朽ちていく。聖歌の手が止まりかけたときだった。


「くそが!」


 スバルが背中から抱きついて、黒いモヤを必死に払いながら聖歌の手を動かす。止まらない。


「誰かを苦しめるためだけの力なんか僕はいらない! 笑顔さえあればいいじゃんか!」


 岡田くんが必死に、払い落とされても聖歌や詩保の身体に戻ろうとするモヤを踏みつける。すると花火に変わってモヤが消えていくんだ。だから止まれない。


「キサブロウ! スバルのようにお願い!」

「失礼する! 気高ききみに触れる詫びを先にしよう! みな、ただ望んでいる!」


 キサブロウがスバルのように詩保のモヤを払いながら叫ぶ。

 けれど今度はモヤが蛇や獣に変わって四人を苦しめようとする。


「ちぃっ! 俺がやるっす――……」

「待って」


 手をかざそうとするルイを止めて、ツバキちゃんが歩いていく。刀すら下ろして、自分に噛みついてくる猛獣たちを撫でながら姫ちゃんを見つめた。


「姫。あなたの魂はきっとまだ、ボクたちのそばにいる。心の中にキミが残ってる。だから諦めないで」


 すっと差し出したのは、かんざしだ。


「恋に落ちたキミは、その結末を見届けたがっているはず。まだ見てない、やってないこと、たくさんあるよね? 諦められないはずだよね? へこたれながらも一途にアピールしたキミは……まだ味わってない幸せがやまほどあるって知っているはずだよ?」


 真摯に訴えるメッセージに、姫ちゃんのうつろな目から涙が溢れてきた。

 指輪が熱を持つ。黒いモヤなんかお構いなしに、響いてくる。姫ちゃんの心を感じる! ああ、だから、絶対に止まれるもんか!


「姫! 俺はまだキミとやりたいことがやまほどあるぞ! まだキミを助けられていない! こんな結末、いやだ! 出会う前に終わっていた!? そんなの許せるか!」


 同じように駆け寄って彼女を抱き締める。七原くんを獣たちが噛んでいく。血が舞う。けれどもう誰にも止められない!

 指輪。叡智の結晶なら。頼む。

 奇跡を起こさせろ。私に。ほかの誰でもない、恋人たちの絆を繋ぐ奇跡を!


『助けるんじゃなくて!?』


 それは七原くんがやるさ! お姫さまが苦しめられてるんだ! 王子さまの出番だろ!?

 さあ!


『いいだろう!』

「『 借りるぞ、青澄春灯! 』」


 私の口を奪って叫ぶ。

 指輪が煌めいた。刀が眩く輝く。金色の光に霧散して、一瞬で指輪に吸収された。

 遠くで苦しみに喘いでいる春灯ちゃんの尻尾から飛び出る。ちっちゃな春灯ちゃんたち、三体。それが真っ先に真っ黒になっちゃった尻尾に手をだして、三人がかりで引っぱる。

 もはや考えるまでもない。それは姫ちゃんと繋がる一尾に違いない。

 そうして引き出された。黒髪になって、苦しんでいるちっちゃな子を、三人でぽいって私に放るんだ。右手で受け止めて、笑ってみせる。


「いける? あなたの大事な女の子を助けるの」

「もち!」


 ちっちゃな子は健気に笑ってくれたよ。


「あずけるよ! 鍵を!」


 金色に溶けて私の中に流れ込んでくる。指輪から通じて飛び出てくるぞ。

 姫ちゃんが使った鍵が!

 けれど一瞬で消えそうになる。それだけじゃなくて、体力がごっそり持っていかれそうになる。


『消耗が! くそ! 母体が侵食されていると、予想よりも限界が!』

「くっ……なんとかしろ!」


 歯がみして堪えるけれど、倒れそうだ。

 そんな私をルイが抱き締めた。


「復讐どころじゃないっすね! ああもう、なんかよくわからないけど! 俺の霊力もっていけ! 方法に対する不満はあとでいくらでも!」

「へ!?」


 そして私のほっぺたにキスをした。流れ込んでくる。ルイの力が、やまほど。

 頭は一瞬で沸騰しそうになるけれど、それでも鍵を生み出すには足りない。予想よりもずっと大きな力なのに。それでも足りない! 止まれないのに!


「――……くそ! 仕方ない! 不本意だって先に言っておくから!」


 大鎌を振るって私たちを守っていた美華が怒鳴ってから、私に飛びついてきた。そしてルイのように私のほっぺたに口づける。

 鍵がやっと顕現した。一瞬ぶれる。長くはもたない。作りだすだけで精一杯。

 でも、条件はクリア!


「さあ! 王子さま! あんたの出番だ!」


 七原くんに投げ渡す。受けとった彼は決意の表情で叫んだ。


「恩に着る!」


 そして迷わず、聖歌が再生させた心臓へと鍵を突き刺す。


「ひだりにまわして!」


 私の指輪から顔を出したちっちゃい子が叫ぶ。

 従う七原くんを見つめながら。


「『 “私”を助けて! 』」


 姫ちゃんの声と入り混じった響きでたしかにそう言って、お姫さまの命運を王子さまに託したのだ――……。


 ◆


 目にした光景が真っ赤に染まった瞬間、受け入れるしかないと思った。

 死んだ。いや、ちがう。死んでいた。ただ、戻されただけ。

 自分に重ねられて、化けて溶け合っていた狐がなくなればもう……時任姫は生きられない。

 思いだした。すべて。理解していたはずの事実に食い違いがあった。あるいはあったけれど、気づかずにいた。

 ただ漠然とした不安だけがあったけれど、それはすべて……事実から生まれる感情でしかなかった。

 警察に告げられて、教授の連絡を受けて。箱を手にして開けて――……爆発した。

 気がついたときにはもう、液体の中に浮かんでいた。

 容器の向こう側に見える誰かの顔。声は聞こえない。ぼこぼこという泡の音だけ。

 自分の身体を見おろして、叫ぼうとしたけどできなかった。喉の奥までチューブを入れられていたから。

 胸から下がなかった。毛が無数に絡まり、肉を作ろうとしていた。溶け合っていくあの気持ち悪さにのたうちまわる腕さえなかった。

 あまりに衝撃的すぎて忘れてしまったのか。それとも、自分をこんな目に遭わせた連中によって忘れさせられてしまったのか。いまとなってはどちらでもいい。

 魂が離れていく。肉体から。視界は赤。ただそれだけ。どうせなら、彼の名字のように七色に煌めいていたらいいのに。

 いや、アメリカの友人から聞いたドラッグ中毒患者の体験談みたいだな。七色に輝くなら、それは未来であってほしい。もはや自分には望むべくもない。


『――……』


 声が聞こえた気がした。赤が溶けて桜に変わっていく。

 記憶がこぼれ落ちていくようだった。それでも、その色を覚えていた。


『――……』


 強い輝きが伸びていく。誰の輝きか、それもようく覚えていた。


『――……』

『――……』


 祈り、願い、そして理解。

 光の先に、とうに失った手を伸ばす。感覚は、けれど何かを掴んだ。

 引きよせる。彼がくれたかんざしだ。

 もっと先に進みたかった。もっと一緒にいたかった。ずっとふたりでいたかった。

 いやだ。いやだ! いやだ!!! ここで終わりなんていやなんだ!


『――……』


 三つの衝動が自分の中を駆け巡る。

 過去。現在。未来。

 私はそのすべてを手にしたい。自分の望むように生きたい。どこでも、私らしくありたい。

 ここで負けて、うちひしがれて、それで終わりなんて耐えられない!

 彼ともっといろんなことをしたかった!

 みんなと一緒にもっと過去から未来にかけて、すべてを味わい尽くしたかった!

 なのに、こんなところで終わりなの?

 いやだ! いやだ!

 もがくように手を伸ばす。ない。なにもない。かんざしさえ浮かんで、胸に届いてそれでお終い。消えていく。こぼれていく。なにもかも。

 そんなの耐えられない。

 助けて――……助けて! 七原くん!


「ああ!」


 伸ばしたはずの、なにもない手をたしかに誰かが握ってくれた。

 その熱を覚えていた。忘れるはずがなかった。大好きな人の熱だから。時任姫にとって、唯一無二の未来の熱なのだから。


「姫! お前を苦しめた過去を乗りこえる準備はいいか!? 長くはもたない!」


 うん。うん! その準備しかないよ!


「お前の形は俺が覚えている! みんな忘れずにいる! さあ、元に戻るときだ! あるべき姿へと変わるときがきた!」


 彼の熱から流れて溢れてくる。みんなの声。願い。大好きだっていう気持ち。

 なにより、彼の真摯な愛情が自分を満たしていく。

 失ったはずの血肉が戻っていく。

 桜色が自分を包み込んで消える。黒一色の世界で彼と繋いだ手に煌めく指輪三つが金色に煌めいて、世界を一瞬で照らしていく。

 彼の姿が見える! 自分の心臓に鍵を挿して、開いてくれる彼の笑顔がよく見える!


「姫! 俺の願いはお前と共にあることだ! お前の願いは!?」


 胸一杯に息を吸いこんで、叫ぶ。


「あなたとふたりで幸せになるの!」


 思いきり彼に抱きついた。当然のように口づける。みんなの思いと彼の愛情を受け入れた証のように、鍵が私の中へと溶けこんでくるの。

 金色の世界で、たっぷりあまめのキスをして――……離れて、指輪に願う。

 さあ、反撃のときだ。あの人とのケリをつけるよ。力を貸してくれる?


『『『 ええ、もちろん! あなたの時間に祝福を与えるために私たちは契約を交わしたのだから! 』』』


 よし! さあ、起きよう! 目覚めの時は来た!

 なんていったって、王子さまのキスなんだから! もはや私は無敵に違いない!




 つづく!

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