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その刀を下ろして、帯刀男子さま!  作者: 月見七春
第四十八章 大江戸化狐、片恋欠月帳

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第五百三十二話

 



 将軍さま攻略作戦を練り終えた頃になって、メイ先輩とユウヤ先輩がなにかを言い合いながら入ってきたの。なんだろうってコナちゃん先輩とふたりでふり返る。

 ふたりの険悪な雰囲気に尻尾が思わず縮み上がるよ。なんだろう。ケンカかな?


「あのさ。保体の授業ってのはとっても繊細なのに、なんで一年生男子の七組から九組の担当をしたユウヤが一発やっとけなんて言っちゃうわけ? あり得ないでしょ!」

「さっきから言ってんだろ? ぐちゃぐちゃ言うまえに経験しないとなにもわかんねえっつっただけだ。エロネタだと思って妙なポーズを取るのが高校生男子なの! めんどくせえの! 茶化すわ、バカにするわ、気にしてない振りをしながらめちゃめちゃ気にするわ!」


 なんの話題で揉めているのか、わかっちゃった。

 どうやら一年生七組から九組の男女はそれぞれ保健体育の授業だったみたい。メイ先輩とユウヤ先輩が講師をしてくれたようだけど、どうも授業方針がメイ先輩とユウヤ先輩で違うみたいだ。


「だいたいなあ! 避妊だ男女の身体の違いだなんだっつっても、図解を書くだけではしゃぐ連中は猿だ! ガキそのものだ! 面倒みきれるか!」

「だからジロちゃんに任せろって言ったのに! ルルコは反対しなかったわけ!?」

「したよ! でもジロウは俺に押しつけやがったんだ」

「なんで!?」

「後輩の面倒の見方を覚えたほうがいいとかなんとか抜かしやがった……全部あいつのせいだ」

「ジロちゃんに責任転嫁しないの。一年生の子に聞いたけど、男子よりも女子のほうがしっかり真面目に聞くぞ? 死活問題だからな。お前らのガキくせえ態度がまさに日本社会の歪みそのものだよ、とか言ったって……ユウヤ、正気?」

「――……だって、そうだろうが」


 不服そうに拗ねるユウヤ先輩を見て、メイ先輩が深いため息を吐く。そしてやっと、私たちを見てくれた。


「ごめん。ユウヤが受け持ってるクラスの男子が、幕府から渡されているお小遣い取って街に出ちゃったって言うの」

「……わりい。真面目に聞いてる奴ら相手に授業してたら、逃げられた」


 ユウヤ先輩、ミスは素直に説明してくれるところが潔い。

 説明を受けたコナちゃん先輩は「なるほど」とこぼして、すぐに立ち上がる。


「おふたりで来たってことは、捜索隊を出すっていうよりは?」

「ついでだし、差をつけると禍根を残すから。抜け出される前にみんなで出かけちゃおうと思って」

「となると、捜索隊は別で出すと?」

「そゆこと。頼める?」


 申し訳なさそうに肩を竦めるメイ先輩に、コナちゃん先輩は苦笑いを浮かべながらも頷いた。


「ええ。できれば……行き先に心当たりがあると助かるんですが」


 それなら、とユウヤ先輩が手を掲げた。

 みんなの注目を浴びながら、手を下ろして腕を組み、忌々しそうな顔で教えてくれるの。


「出ていった連中は比較的、荒っぽいっつうか、跳ねっ返りばかりだ。それこそ色町にしけ込んでるか、賭け事でもしにいってるんじゃねえかな」


 ええええ! いまもめ事を起こしたり、騒ぎになるのはまずいのに!

 それだけじゃなくて、現代に戻ったら大目玉じゃ済まないよ? 大問題になるよ? セットで私たち金光星もお仕事いくつも飛びそうだよ?

 それは困る! CD販売やライブが控えているのに!


「わ、私も探します! キラリもマドカもいいよね!?」

「いやだって言える空気じゃないしな」


 ぶすっとするキラリは苛立たしげに尻尾をぶんぶん左右に振る。私とマドカにびしびし当たるんですけども! いやなんですね!? とってもいやなんですね!?

 そういえば、キラリ真面目だもんね。私よりもマドカよりもね。だから許せないのかも。授業を抜けだしたことも、お金を奪ったのも、それで遊びに行ったのも。

 憂さ晴らししたいぜって気持ちはわかるけど、黙って抜け出されて何のおとがめもないっていうわけにもいかないかなあ。難しいね! とりあえず尻尾ビンタを止めるためにも、私とマドカはすすす、と前に出て射程範囲から逃れつつ口を開く。


「ひとまずみんなで江戸見学ですかね?」

「ついでにみんなで明日出発前に遊びまくる感じで」


 私とマドカと尻尾ひゅんひゅんモードのキラリを見て、コナちゃん先輩が目元を手で覆う。


「ほんと、予定通りにいかせてくれないんだから。まあ……しょうがない! 出かけますか! ただし、春灯は岡島たちと共に留守番」

「ええええええええええ! 横暴です! 私だってお江戸の街を練り歩きたい!」

「冬音さんならいいけれど、あなたはだめ」

「尻尾の有無ですか!? けもの差別ですか!? よくないと思います!」

「将軍さまが来たらどうするのよ」

「――……そ、れは」


 ちっとも考えておりませんでした!


「言葉に詰まったからアウト。さあ、ラビたちはほかのクラスの授業に顔を出して展開してきて」


 きびきびと生徒会や集まってる人たちが行動を始める。ユウヤ先輩の脇腹を肘で突きながらメイ先輩も出ていった。

 なんてこった……!

 お留守番はもうごめんなんですけど! それこそ私が逃げ出したくなってきたよ。

 どうも私の出番は明日以降になりそうです。とほほ!


 ◆


 事前に金の保管場所を調べておき、こっそり潜り込んで奪う手立てを考え、脱出ルートを構築。計画通りに奪取と逃亡を敢行し、街に出て解散。空があかね色になったら館の前に集合。必ずふたり以上で行動すること、と約束させておく。

 そうして――……天王寺スバルはさっさと適当な奴と組んで逃げる予定だった。

 しかし、予定は狂ったとしか言いようがない。巡り合わせがよくないんだ。


「それで、どこへいく」


 店で買ったにぎりめしをもしゃもしゃと食べながら、七原ヨゾラがついてくる。

 すべてはこいつのせいだ。

 ワトソンと岡田、それにキサブロウは真面目だから誘いに乗ってこなかった。ルイはそもそも誘わなかった。面倒だし、いまのところあらゆる勝負事をふっかけて勝率は半々。遊びに誘うのは癪だったし、まあ……それでも、理華とくっつくためには時間がいるだろうとも思う。

 邪魔する気は本当はない。理華は知恵と知識と経験を頼りに、どこまでも強くなるタイプだし、逆に言えば壮絶に我が強い。

 ああいう手合いは面倒だ。自然に理華の心を揺らせないなら、長く付き合える関係にはなれない。すくなくとも、自分には無理だ。からかって弄って本気になって、いつかケンカして別れるのがオチなのは見えてる。

 見た目がどれほどよくても、それですべて許せるような性格じゃなけりゃあ無理。自分は性格的に相性があう女のほうがいい。その意味で、立沢理華と天王寺スバルの相性は正直あまりよくない。美華とか聖歌も無理だな。聖歌は面倒な匂いがぷんぷんするし、美華はそもそも男嫌いだし勝負っけが強い時点でケンカする未来しか思い描けない。

 詩保あたりが一番妥当なんだよな。ほどよく世間を知ってるし、本音と建て前を使い分けることもできるし。その点、姫はそもそも空気が違うから合わない。

 きれいどころが揃っていると他のクラスの男連中に揶揄されるが、中身を見ろ。個性的な連中しかいねえぞ、と。ようく見ろって言ってやりたい。まあ、見た目はいいけどな。それより、見た目普通とか残念でもいいから、尽くしてくれる女がいいよ。マジで。


「道を歩きながら考え事するのはよくないぞ」

「ちかよんな、めんどくせえな」


 姫を落としたっていうより姫に落とされた七原を肘で追い払って、ため息を吐く。


「あのさあ……ついてくんなよ。俺はこれから用事があるんだ」

「いいじゃないか。旅は道連れ世は情け。それにお前自身が言ったことだぞ? ふたり以上で行動しろってな」

「俺はいいんだよ。七組の弓槻と一緒にいりゃあいいだろ? 二年七組の目立つ先輩たちに目ぇかけられてるし、なんでもできるぞ。俺といるより楽しいはずだ。なにせ俺は――……」

「けんかっ早いし攻撃的? バカを言うな。お前が本当は良い奴だってことくらい、俺は知っている」

「俺のなっ――……なんでもねえ」

「そうか。ちなみに俺のなにを知っているんだって言うつもりなら、なにも知らないって答えておくぞ」


 ほんとうぜえ!

 睨みつけてやろうと思ったら、今度は焼き鳥の櫛をやまほど抱えて食べていやがった。


「つうか、いつの間に買ったんだよ……」

「前しか見ないとこうなる」

「横を見るたびに違う飯を食べてるお前が見れるってか? そいつはご機嫌だな」

「お腹がすくだろう」


 意味わかんねえ!

 ああもう、いいよ……放っておくしかねえや。

 日高ルイの身体能力は異常だが、それはキサブロウやワトソン、七原ヨゾラも同じだった。

 まけるとも思えない。

 渋々歩を進める。


「吉原か? 女遊びのつもりだとしたら、俺は困るな」

「姫に嫌われたくなけりゃあ、どっかいけ」

「まあ、問題ないな」

「早々に別れることになっても、俺は責任とらねえからな」

「その必要もない」


 なぜか勝ち誇っている顔をする七原を見ていると無性に苛ついてくるから、歩幅を早めることにした。

 七原の言うとおり、行く先は吉原。あの女、明坂ミコのいる……あの店が目的地だ。

 握りしめた袋の重さを確かめながら進む。

 どうしても、確かめずにはいられないことがあるから。


 ◆


 呼び込みの連中が口を開けて女を見ていけという中で、明坂ミコのいる店はかなり特殊だった。大勢の男たちが羨望をこめて、柵の向こうの女たちを見る。ほかの店なら客が入っていくのに、明坂ミコの店だけは別だった。誰も入っていかない。

 女に魅力がないのかって思って見てみりゃあ、ほかの店よりもずっとべっぴん揃いだった。お高くとまっていたりはしない。笑みを浮かべて自信をもって、けれど男達を拒絶したりせずにただ美しく座っている。

 見ていたら、やっとひとりの男性客が入っていった。それを男達が羨望の眼差しで見送る。


「くそ。会員ってのは、なんだ?」

「ここの女将の作った木札がなけりゃあ、この店の女は買えないんだよ」

「噂じゃ馴染みの客の紹介がなくても、女将に面をみせれば木札はもらえるって話だ」

「じゃあお前が行けよ」

「無理だよ……ここの女将は神通力が使えるって評判でなあ。女にだらしがなかったり、酒癖が悪かったり、およそお天道さまに顔向けできない奴は出入り禁止を食らうって寸法よ」

「そんじゃあ、おまえさん。なにかやったってえのかい?」

「よせ、聞いてやるな。嫁さんに酔って手をあげたのさ」


 ああ、と頷く男達は、目の前に見える花に骨抜きにされながら、しかし誰も女将の面接に挑戦しようとしない。これだけ大勢の男達が見ているのに、女将に袖にされたところを見られちゃあ罰が悪いもんな。

 けど店の女たちの美しさは江戸でも屈指のものなのか、みんなこの場を離れない。これだけ注目を集めていると、それだけで男達がふらふらと誘われてくる。

 なかなか考えてんなあ。ほかの店の連中はいやがりそうだが、そのへんはどうしているのかね。

 腕を組んでみていたら、すぐに理由がわかった。


「ここだよ、ここ! べっぴんさんが集まっているっていうお店!」

「ちょっとちょっと、女将に面みせもできないタマ無しどもはどっかいきな!」


 女たちが歩いてきてあれこれと声をあげる。たまらず男衆が逃げていく。

 いつの世も強いのは声のおおきな女ってことかね。

 ほかの店には吐きそうな面をみせる女も、この店だけは別格なのかね。足を止めていた女たちが吸い寄せられるように柵越しに店の女たちに集まっていく。


「肌が綺麗だねえ。どうやってるんだい?」

「なにか秘訣があるのかい? どこかに温泉があるとか?」

「白粉の塗り方かねえ。それにしてもいいかんざしに着物じゃないか」


 さっきは黙っていた女たちが胸を張って口を開く。美について、店で教わったことを伝えていく。それはいずれ夜の話題になって、今度は男達が逃げるように他の店にいったり、離れていったり。しかも、折に触れて声を掛けてきた女や他の店の娘を褒めるのだ。

 やはり顔を顰めて歩いていく女もいるが、しかし集まっている若い女たちは夜の蝶を勤める女の教えを素直に学んでいる。

 ブランド化と流行の最先端になること、そして情報を発信するだけじゃなく宣伝にも努めることを意識しているのかね。

 明坂ミコ。考えてみりゃあ変な存在だ。まあ、どうでもいい。


「姫を裏切りたくなけりゃあ、お前はここにいな」

「ついていく。ひとりじゃ心細いって顔してるからな」


 図星だった。


「うるせえよ! いいか、最初に言っておく……この店の女をふたりも買う金なんてねえからな」

「ひとり分ならあるのか?」

「……それもねえよ」

「だと思った」


 思わず睨むが、七原は笑っていた。あと、煮干しをばりばり食っていやがった。どんだけ食うんだよ……まあどうでもいいけどな。


「悪いけど、失礼するぜ。女将はいるか?」


 戸を開けて中へ入り、開口一番に告げると、入り口で正座をしていた明坂ミコ本人が首を傾げた。


「おや。うちはいつから自分で稼げない子供の避難所になったのかな……そこの坊、ぶら下げた袋の中身が金貨じゃなけりゃあうちの店の娘に相手してもらうことはできないよ」


 こいつを信奉している美華ばりに当たりがきつそうだ。

 予測の範囲内だから、問題ない。


「休みの娘さんに話を聞きたい。それなら、銭でもいいじゃねえか。なあ?」


 両手を広げておどけてみせるが、先輩連中の誰よりもきつい視線を向けられる。


「それが人に物を頼む態度?」

「……わかったよ」


 店の主人に舐めた口を利いて通る道理もねえわな。そりゃあ当然だ。

 玄関口だろうと構わない。膝をつく。手をつくのも躊躇いはない。

 七原は止めなかった。不思議と構うくせに距離感を保ってくれるこいつ相手なら、別に気にしなくていいと思った。それくらい、俺にとっちゃ大事な頼み事だったし、こいつがいるからこそ俺はそれに気づけた。意を決して出てきたのに、クラスメイトがいるくらいで諦めるなんてな。そんなつもりはないってわかったから、迷いはなかった。

 女将は俺を値踏みするように真剣な顔で睨んでくる。

 いいさ。頭を下げるとも。


「どうか、俺に話を聞かせてもらう機会をくださいませんか」

「――……そう。そんなに、あなたは“知りたい”のね?」


 彼女の言い方と含みに胸の奥が激しく痛む。けれど堪えた。同い年の連中や訳知り顔の連中が言うのなら、迷わず拳を振るう。けれど、彼女は違う。理解しているから、我慢する。


「なら、うちで一番の太夫がいるから話を聞いてきな。菊? 菊はいるかい?」

「はい、女将!」

「案内してやんな」

「へいがってん!」


 髪を剃ったちびの女がでてきて、女将に答えた勢いの良さはどこへやら。指先で手招きをしてくる。やれやれ……。

 すっと立ち上がって店にあがる。七原は黙ってついてきたけれど、女将は黙ったままじゃなかった。奥に向かおうと足を進めた瞬間、彼女は言うのだ。


「聞いてどうなるものでもないと思うけれど?」

「……いいだろ、別に。あんたには関係ない」

「私の未来の愛する子たちのひとりには関係ある。美華がいるのなら看過できない」


 舌打ちをしてから、それでも「銭は払う。ありがとな」と伝えて進む。

 奥の扉を抜けて、菊と呼ばれた娘についていく。髪型を崩して羽織を引っかけた菊について、離れた場所の二階建ての屋敷へ。階段をのぼって奥の部屋に彼女はいた。


「――……ふう」

「ねえさん! お客さまでごぜえます!」

「菊かい。口調が直らない子だね……客ってのは、どいつだい? あたしゃ月の物がきてるんだ。七日は必ず休ませてくれる女将さんの心変わりのわけが知りたいねえ」

「知らねえでごぜえます!」

「はあ……」


 ため息を吐いた彼女を、俺も七原もぼけっとした顔で見つめていた。

 化粧っけもなく、乱れた着物姿から覗く手足の肌色よりも、漂うけだるい空気の色っぽさに魅せられていたせいだ。

 菊に盃の花札を指先に挟んで窓際に腰掛け、江戸の街を眺めていた。その横顔も憂いを帯びていて、心が引きよせられる。見た目ざっと二十代半ばってところか。年上のお姉さんっていう称号をつけてよろしくしてもらうには、これほど希望通りの相手もいねえな。


「男の匂いがするねえ……なんだい?」


 不機嫌そうな声に悩むが、七原に背中を押されて深呼吸をした。


「休みの日に申し訳ない。俺は――……その、京都の花街で働き、いまは夜鷹になって病気がちな母親がいてな。親の春売りのおかげで、ここまで大きくなれたんだ」


 七原が俺を見てきた。本当かどうか疑っているのだろう。

 いま言ったのは――……概ね事実だ。


「――……人情話なんか求めちゃいないんだけどねえ?」


 流し目を俺にくれる彼女の色気に惑わされている場合ではない。


「頼む。聞きたいことがあるんだ。あの店で一番の太夫と聞いたあんたにしか答えられねえんだ。どうか、教えちゃくれないか」


 必要とあれば膝をつくさ。迷わず屈もうとした瞬間、彼女にぴしゃりと言われる。


「膝をつくんじゃないよ。安い男は見苦しい。女将さん相手にだって、頭を下げたんじゃないのかい? ――……そうだよねえ。女将さんが約束事を違えるなんてよっぽどだ」


 察しがいいね。


「情けない話しじゃないか……いいよ。寝ているのも暇だし、答えてやるのもやぶさかじゃあない。見たら――……なかなかいい男じゃないか。その顔つきは、いかにもガキ丸だしだけどね」


 刺激されても堪える。同い年の連中ならそれこそかっときていたところだが、大人から見りゃ俺がガキだってことくらいわかっているさ。働いてもいねえしな。


「それで? なにを聞きたいっていうんだい?」


 仕事用ではなく、休みの気楽な状態で彼女は尋ねてくる。それならこっちも素直に言おうじゃないか。


「知りたいんだ。その生き方はつらくはないのか。幸せなのかどうか……そうやって育ててもらった俺は、母親を誇りに思ってもいいのか?」


 七原の呼吸がうるさかった。

 そばにいた菊の視線もだ。

 けれどそれ以上に、尋ねた彼女の心底気に入らないっていう顔のほうがきつかった。


「あんたはどうしたいんだい」

「……誇りに思いたい」

「じゃあそれでいいじゃないか。馬鹿で野暮なこと聞くもんじゃないよ。あんたはね、血の滲む思いで生きてる母親を殴りつけるようなことを言っているんだ。わかっているんだろう?」


 真正面から言葉をぶつけられて、思わず俯く。そんな俺に彼女は鼻で息を吐いた。


「ふん……誰がなんと言おうと、あんたが誇りに思うかどうかが大事なんだ。どんな商売だろうとねえ。それで生きてる人間がいるんだよ。バカにする連中なんか知ったことか。自分が胸を張れるかどうか、まずはそれが大事なのさ」


 迷いを一瞬で吹き飛ばすような力強い言葉に、迷いが晴れていく。


「あんたの母親はどうなんだい?」

「――……胸張って、笑って生きてるよ」

「ならそれでいいじゃないのさ。それともあんた、母親が嫌いなのかい?」

「まさか!」

「じゃあ……あんたはどうでもいい連中の言葉と母親、どっちを大事にするんだい?」

「……母親に決まってる」

「ほらね? 馬鹿で野暮な質問ってもんさ。わかったら、もう二度と聞くんじゃないよ」


 もう一度鼻息を出して、窓の外に視線を戻す。


「菊。お客さんがお帰りだ。女将さんの元へ連れていってやんな」

「ええ? ねえさん、お兄さんがたはまだ用事があるかもですよ?」

「ないよ。そこの男の顔を見てわからないようなら、あんたはまだまだ修行が必要だね」


 なんですかそれ、と菊が唸るけれど、がつんとやられた俺にとっちゃ彼女はかなり粋だったよ。煙管を持たせりゃあな。きっと彼女にはよく似合っていたはずだ。

 十六世紀にはもう伝わっていたと思うんだが、彼女は持っていない。煙草事情は江戸で禁止されたり、煙管は吉原の女たちのステータスになっていたりしたと思うんだが。まあいい。


「名前を聞いても?」

「よしなよ……自分の金で私を買えるようになってからにしな。じゃなきゃ未練にしかならないよ」


 ほらな。格好いい。媚びないけれど優しさがないわけじゃない。むしろとびきり優しいほうだ。付き合ってくれたんだから。


「ありがとな」

「礼はいいよ。さっさといきな」


 頭を下げて離れる。

 菊に連れられて店へと戻り、事情を話した菊に頷くと彼女は「その銭でうまいもんでも食べな」と俺たちをそっと追い払った。

 外に出て、横に立つ七原を見る。カステラを食べながら、嬉しそうな顔で俺を見ていた。


「ほらな? 問題も必要もなかった。お前は良い奴だ」

「……うるせえ、黙ってカステラ食ってろ」

「うまいぞ?」

「そういうこと聞いてねえから」


 まったく……うんざりするよ。

 聞いてこないし踏みこんでもこないかわりに、俺をひとりにもしない。

 まるで――……うちのおふくろみてえな奴だ。男相手になに考えているんだか。やれやれだ。


「屋敷に戻るか? うちの女子たちの顔を見れば気分も変わるぞ」

「どうでもいいね。賭場でも探そうぜ……すっきりしたから、いまの俺の運を試したい」

「だとしたら、急いだほうがいいな」


 妙なことばかり言うヤツだな。


「なんで急がなきゃいけない」

「そろそろルイが動き出して、俺たちを捕まえに先輩たちが動き出す頃だ」

「――……そいつは気持ちが軽くなる最高のニュースだな」

「つまらない皮肉を言っている暇はないんじゃないか?」

「そうですね!」


 まじでめんどいなあ、こいつ。姫はどこがいいと思ってこいつにアプローチかけたんだ?

 そりゃあ、妙に鋭いところがあるけどな。

 俺は男に礼は言わねえからな。絶対に!


「じゃあ移動中の雑談として、ひとつ話題を提供しよう。七原の本当の好みは、どんな人間だ?」

「よりにもよってそういう話題かよ。うぜえ」

「ルイはいないんだ。いいだろ?」

「ちっ――……ふたりでいたら落ちつく女だよ」


 舌打ちをしてから歩幅を広める。


「これでいいだろ? いくぞ! どうせ江戸に残れるんだから、賭場探しはやめだ。手近な寺にでも行っておみくじでも引くぞ」

「売っているとしたら、狙いは大吉か?」

「吉くらいがちょうどいいんだよ。大穴狙いはしない主義なんだ」

「意外だな。願望は大きいほうだと思ったが」

「予防線だ。人は謙遜するんだよ」

「素直に言ったほうがいいぞ? 大吉がいいって。俺は大吉を引いてみたい。いままで大凶ばかりだったからな」


 思わず横目で七原を見たら、カステラが饅頭に変わっていた。


「そんだけ食って幸せそうで、しかも彼女がいるんだ。大凶だろうが大吉に見えるよ。お前の人生」

「俺もそう思う」

「……お前はちょっとは謙遜しろよ」

「いやだね。俺は幸せを認めて生きていくんだ」


 そいつは、幸せそうだな。


「ご機嫌だな」

「ああ。そしてお前といる。これも巡り合わせだ」

「……ご機嫌だな」


 もういい。


「ほら、食ってばかりいないでちっとは早く歩け」

「次はなにを食べようかな」


 マイペースな相棒ができちまったもんだ。まったく……。

 頼み込んで引いたおみくじは中吉だった。巡り会いに心根素直に従えば幸ありって、こりゃどういう意味だ? まあ、今日の吉原行脚は幸ありだったけどな。あの太夫は落とせないだろ。そもそも俺がくすねられる金じゃあ買えないに違いない。あの女将が俺に通える木札をくれるとも思えないし。


「あー! いた! こんなところにいた!」


 理華の声がして、ぎょっとしてふり返るとうちのクラスの女子が先輩と一緒に駆けてきた。

 姫が喜色満面に七原に駆け寄るなか、俺のそばにくるのはルイと一緒の理華とか美華で、マイペースに歩いているツバキは先輩と一緒だ。

 さっきの太夫の色気のあとじゃガキにしか見えねえなあ、まじで。

 そう思ったときだった。


「中吉って、どれくらいなの?」

「うお!?」


 すぐそばにいつの間にか聖歌が歩みよってきていて、思わず驚く。醜態を晒した俺を理華とルイがからかうように笑うのが心底うざかった。

 あーもう。ったく。


「そんなに近づくんじゃねえよ」

「近づかないと読めない。この時代のおみくじ、どんなのか知りたい」

「ぐいぐいくんなよ!」


 聖歌が近づいてくるけれど、押し返せない。


「おい、理華か美華、だれでもいいからこいつを遠ざけろ!」

「いやあ……面白いんで見てます」

「右に同じく。あなたが動揺するなんて、珍しいこともあるものね」


 くっ、性悪どもが!


「みせてよ。それか、おみくじ貸して」

「これでいいか!? もうこっちくんな!」

「照れてるの? 意外と初心」

「うるせえな!?」


 理華と美華が揃って楽しそうにはしゃぎはじめた。

 くそ! こんなの俺のキャラじゃないから! 初心とか言うなよ! 俺はパーソナルスペースを大事にするたちなんだよ! 女相手にはな! ほっとけ!


「私のこと嫌いなの?」

「そういう話じゃねえから!?」


 無理だ。やっぱり予想通り、聖歌はめんどくさいタイプだ!

 付きあい方がわからないからな! ああ、そうですよ! 感性と心を剥き出しに生きてるような、ほわほわ女子が俺は苦手ですよ!


「じゃあどんな話?」

「――……勘弁してくれ」


 おみくじを押しつけて逃げる。

 無言のルイが肩に手を置いてきたから、つまさきを思いきり踏んでやった。

 しかし奴は笑いながら俺に言いやがった。


「痛くも痒くもないっすよ。いやあ、まさかスバルにそういう弱点があったとは。思春期の男の弱点はすくなくとも、性嗜好相手が含まれるっていううちの姉貴の言葉は本当でしたねえ」

「うるせえ黙れ。お前だって理華に手のひらで転がされてるだけじゃねえか」

「なっ!? そ、それとこれとは関係ないじゃないっすか」

「いいや、大ありだね! てめえも女が苦手ってこった! これで勝敗は五分五分のままだな!」

「こ、これは関係ないっすよ!」


 言い合いを始める俺たちに女子がやれやれって顔をするが、俺は内心ほっとした。

 聖歌の興味がおみくじに移ってくれたからな。おかげで俺はなじみ深い、野郎とのケンカという振る舞いに逃げ込めるってわけだ。


「スバルの恋は巡り会いに心根素直に従えば幸ありだって。江戸時代で誰かに会うのかなあ」

「「「 いやあ 」」」


 理華と美華だけじゃなく、詩保までしたり顔で声を出すからぞっとして、言い合いを止めてふり返る。聖歌以外、姫さえ含むうちのクラスの女子が揃って、俺をにやけ面で見てくるんだ。

 ああうぜえ。これあれだ。小学生の頃の恋に関する話題に気づいたクラスメイトの顔だ。


「「「 もう、出会っているんじゃないかなあ 」」」

「どういうこと?」


 きょとんとする聖歌に駆け寄っておみくじを奪い取る。


「俺は飯を食ってくるからな! ついてくんなよ!」


 逃げようとした背中の布地を意外と強い力で引っぱられた。ふり返ると聖歌が不満げな顔をして俺を睨んでいる。


「おみくじ最後まで読んでない。返して」

「はあ!?」

「返して。読みたい」

「――……ああもう!」


 拒絶しても恨まれそうで、それは困ると思って従う時点で俺の弱点は明らかすぎた。

 女子たちのみならず、先輩も七原さえもが微笑ましい顔で俺を見つめてくる。

 うぜえ。うぜえ! うぜええええ!

 ――……それでも拒否できないし、無視できない俺の動揺が一番、面倒だ。

 意識したら終わりだって言い聞かせても、もう遅い。

 おみくじを返したら微笑む聖歌を見ていると、心が乱される。

 まだ、この気持ちに形を与えるつもりはない。それじゃあまるで七原と姫に刺激されたみたいで癪だ。癪だが――……。


「お、あそこの娘さんたち、べっぴん揃いじゃないか」

「ああ――……あの桜色の髪の娘さんはとくにいいな」


 舌打ちして、聖歌に歩みよってひそひそと話す男たちににらみを利かせて追い払う。

 近づくと感じる。どうしても。ずっと無視しようとしてきた。

 けれど無理だった。

 聖歌から香る素敵な匂いは男子中の噂の的だった。けれど、俺はそれよりもずっと……聖歌が理華や美華、それに青澄春灯に向ける無邪気な笑顔のほうがきつかった。


「いつの時代も、こういうの楽しんでるんだね……なんかいいなあ」


 ほらみろ。

 見てるだけで、穏やかじゃない気持ちになるんだ。

 なら……こいつもまた、巡り合わせなのかもな?




 つづく!

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