第五百二十七話
江戸の町を歩けることになるとなれば、大はしゃぎ! なんていうノリは、悲しいかなごく一部くらいのもの。やっと外に出れたっていう開放感のほうが強いし、やっぱり授業の一環かよっていうノリの顔してる人もいる。
私のそばにいる聖歌と美華はわりとうきうき組だ。真中さんが説明してくれる江戸の豆知識にふんふんと頷いては感心していた。すこし前を詩保と姫ちゃんが歩いていて、間にルイと七原くんがいる。岡田くんとワトソンくんは先頭集団に混じって楽しそうに会話しているし、スバルはキサブロウとふたりしてけんかっ早そうな一団と一緒に可愛い人を見たらはしゃいでいた。
ほかのクラスの人はルートがかぶっていたり、いなかったり。卒業生の有志が私たちを守り、案内してくれるんだけど、みんな一律とはいかないみたいだ。まあ大勢でぞろぞろ歩いてもしょうがないし、当然と言えば当然かな。
支度金が幕府から支給されているみたいで、真中さんは折に触れてお菓子や遊具、食事を振る舞ってくれた。ひとりでも興味を示すと必ず足を止めて丁寧に説明してくれる。
一年九組はどちらかといえば前向きで遊び好きな連中が多いし、好奇心も強めみたいだ。夕方になるころにはめちゃめちゃ楽しめてた。
まあ、スバルがいちいち「賭場はないんですかあ?」って言うのは、ちょっとうんざりするけどね。最後には、行けるか! 行ってどうする! と詩保とふたりで説教する羽目になった。こちらが攻めてもスバルは急に顔を近づけてきたりするので、ペースを乱される。男子ってほんっっっっっとに! めんどい!
そのたびにルイが庇ってくれたんだけどさ。それはそれでどきどきするから勘弁してほしい。なんなんだ、まったく。
「それじゃあ……理華ちゃんが授業したっていうから、花街だけ覗いてみる?」
真中さんの提案にみんなで顔を見あわせた。
女子が見に行くものでもないだろうっていう理性と、そんなん関係あるか! みてみたいわボケ! という好奇心がぶつかり、天使と悪魔の理華両方が「ひとまず面白そうだし行ってみるべ」と直ちに結論を出す。
意外なのはスバルが尻込みしているところだ。
「いや……見るもんじゃねえだろ」
「あれえ? 意外ですねえ。スバルは喜んでお願いしますっていうかと」
「……別にいいだろ?」
むすっとした顔でそっぽを向かれた。なんだ? 言い返してくるとかじゃないのか?
好戦的なスバルの反応としてはとても意外。身内に水商売で働いている人がいるとかか? だとしたら、さすがにデリケートだ。姫ちゃんの一件で懲りたからな。みんなの前で指摘するのはよしておこう。
「全員が行きたいっていうなら構わねえけどな。はしゃぐなよ? 相手はそれこそ命張って籠の中で暮らしてるんだからよ」
ますます意外な言葉が出てきたぞ?
俄然興味が湧くけれど、我慢、我慢。姫ちゃんがすぐそばにいて、詩保もみてる。こんな状況でやらかすわけにもいかない。めっっっっっちゃ! 聞きたいけど! 理華は我慢できる女子!
よし、峠を越えた。
「美華は行きたいんですよね? 詩保やワトソンくんたちは?」
いいながら、ルイを見た。どういう顔をするのか見ておきたくて。
そしたら目が合った。私を見てた。なぜ。いやいや、目が合ったくらいでてんぱるなって。恋かよ。恋なのか? 恋なのかも……。
待て待て。再起動しろ。いまそういう時間じゃねえから。
「私はまあ、後学のために見ておきたいかな。たとえ売春や身請けのためだとしても、着飾っているこの時代の女性を見てみたい。姫は?」
「見てみたいよ? でも、いやがられないかな……」
「嘲らず、見下さず、生きる強さをただまっすぐ見つめる限り……いじわるをしない限り、あとは彼女たち次第だ」
七原くんはたまに深いことを言うから困る。
「そう、だよね……じゃあ、見たい」
頷く姫ちゃんに渋い顔をする岡田くん。はしゃぐ瞬間を逸したことを理解したからか、それとも素直に「はしゃぐ場面じゃないし、そういうことでもないよなあ」って反省しているのか。わからないけどさ、ワトソンくんは岡田くんに何かを話しかけた。それで岡田くんのエンジンが再起動したみたいだ。
「残りの女子はどう? こういのって繊細でしょ? 僕は見たいけど、あ! 見たいっていうのはいやらしい意味じゃなくて! いや男子の僕が言っても説得力ないかもしれないけど!」
必死になるほど疑わしいよ、ほんとさ。まあいいや。気を遣ってくれている彼はちょっと可愛いし。
「ツバキちゃんはどう?」
「ボクは……興味あるかな。勉強になりそうだから」
「そっか。聖歌はどうしたい?」
「……シンパシー、あるかな。見たい」
みんなが「ん?」という顔をするから、あわてて「女子は見たいってことで!」とまとめる。ああもう。そうだった。聖歌はまさに地雷原のような存在だった。
私にくっついてくれているから、奔放なところが隠れているけれど。それこそスバルにでもばれようものなら……目も当てられないことになりそう。
クラスで男女絡みのもめ事なんて、こんなやばい状況下じゃごめんだからね。まじで。修羅場なんて勘弁だ。
「よし、それじゃあ行ってみようか」
真中さんが音頭を取って歩きだす。吉原はいまでいう人形町のあたりにあるんだったかな?
本来ならそこそこ歩くけど、元々いくつもりだったのかな。真中さんの選んだコースの先にくるように移動していたから、十分もしないでたどりついた。
そうして――……目にした。
大勢の男たちに混じって、女性もちらほらと混じって見惚れている。
ひとりの女性が派手な椿の着物を着て、たくさんの櫛だけじゃなく椿のかんざしをつけて、妙に厚底な下駄を履いて歩いていた。小さな娘さんをふたり、それに傘を持った人とかを付き従えている。
まさしく美華が見たがっていた花魁道中だ。主役の女性の綺麗なこと、歩き方の優雅なこと。首の白さのせいか映えて見える、自信に満ちあふれた顔立ち。
花魁、ないし太夫は自分の部屋を守るために多額のお金を払わなきゃいけないという。花魁道中もどんどん豪華になっていくんだそうだ。金をあしらった着物になったり、人を大勢集めてみたりするんだったかな?
そうして、やがては規制され、裸や風俗業は恥みたいな価値観を広められて、卑しめられて、形を変えていく。
まさに花。この時代に許された花。あるいは咲くことを強要される花。
男は刀を手に、戦地へ赴いた。生き残る者はいい。けれど殺されたら悲惨だ。近隣の村から死体の追いはぎが出てきたりするという。みなが等しく葬られるわけでもなかっただろう。
天下人が出て、豊臣から徳川へ。そうしてこの世は盤石になったかと思いきや、今度は女性や子供が刀を使わない戦地にかり出されている。この時代の梅毒、性病……それに避妊の方法と、さらにはその先の妊娠、出産のサイクルを思うと、まさに人生すべてが戦そのものだっただろう。
授業では前向きなことを語ってみせたけれど、この時代ならではの悲劇や悲恋はやまほどあっただろうと思う。
そう考えてみると複雑だよなあ。それでも、そうすることが生きる道であったなら……私だって、花魁道中を歩く彼女のように気高く生きたいけれどね。
私の腕に抱きついている聖歌は純粋に目を輝かせてみていた。けれど美華はとてもがっかりした顔をしている。
「――……美華?」
呼びかけたら、美華は急に走りだした。
「ちょっ!?」
あわてて追いかける。
足音を立てる私たちをみんなが追いかけてきたけれど、構っていられなかった。美華は全力疾走で進んでいく。早すぎる。
縦に柱が何本も入った仕切りの向こうにいる女性たちが不思議そうな顔で私たちを見つめるけれど、私だって不思議だった。美華は迷わず駆けていく。
一軒の店にたどりついてようやく、美華は足を止めた。荒い呼吸を繰り返しながら、仕切りに歩みよる。そして中にいる女性たちをじっと見つめている。
呼吸を落ちつかせながらそばに歩みよって、中を見た。
不審げな顔をしている女性たちが私たちを見ている。
美華の眉間に皺が寄る。目元を歪めて、ゆっくりと項垂れていく。
見ていられなくて、肩に触れた。
「美華?」
囁くように名前を呼ぶ。私が追いつめてしまったときの姫ちゃんに似て、心が砕けそうになっている。中に誰かいるのか? 見覚えのある人なんていなかった。誰も。いるはずがない。そもそも、ここは江戸時代なのだから。
そう思いながらも、けれど。もし、強さを示した美華に連なる誰かがいるのだとしたら、ここかもしれないと考えてみると、気になってもくる。
それは誰か。どんな人物か。そう考えたときだった。
「ちょっと、店の前で邪魔はしないでくれる? 綺麗なお嬢ちゃんふたりが前にいたら、男達が見にこれないじゃないか」
呼びかけてきた女性の声に、美華の身体が露骨に跳ね上がった。それだけじゃない。布地越しでもわかるくらい、かぁっと身体が熱くなったのだ。
「――……おねえ、さま」
美華がそう呼んだ女性を見る。
春灯ちゃんやツバキちゃんばりに小柄だ。めっちゃ小顔で、それこそ太夫やさっきの花魁クラスの美貌を持っていながら、しかし髪に櫛はなく、着物は金魚柄。お世話係兼研修中の禿というわけでもなさそう。むしろ、女将といった感じ。
「あら――……へえ? そう……」
何度も頷きながら美華に歩みより、それから次に私を見た。そして、私の左手を取って指輪を眺める。
『ぐっ――……理華! ただちに離れろ!』
「余計な心配は無用。手出ししやしない……城で騒ぎがあったと思えば、これまたずいぶんと、面白いことになっているのね?」
遅れてやってきた真中さんと私のクラスメイトを見て、それからなぜか――……姫ちゃんを見つめて腕を組むと、美華がおねえさまと呼んだ彼女は襟元から扇を取りだして、ばっと広げて口元を隠した。
「いいでしょう。茶屋に行くわ――……菊、夢、留守にするわよ!」
「「 ええ、ねえさんまたですかあ!? 」」
「おだまり! 今日も荒稼ぎ! なにかあったらいつもの店に!」
「「 しょうがないんだからあ 」」
店の中から聞こえてくるふたりの女の子にぴしゃりと言い返して用を言付けると、私たちを連れて歩きだす。真っ先に待ったをかけそうな真中さんはなぜか、彼女の言葉に従うことにしたみたいだ。私たちの背中を押して「ほらほらいった」と促してきた。
美華が駆け寄っていく。そして恋する女の子の顔をして、女将さんを見つめるんだ。
手を伸ばそうとして、引っ込めた。すぐに女将さんは気づいたよ? 迷わず美華の手を握って話しかけている。ぱっと輝くように笑顔を咲かせて美華がしゃべりまくる。
ふうん――……。
「理華、なんか苛々してない?」
「べつにい?」
聖歌の問いかけにすっとぼけながら、しかし、心の底から苛々していました。
別に美華が好きとかそういうんじゃなく。クラスメイトとして好きになってるけど。そういうんじゃなくて!
なんていうかこう……自分の手落ちで見落としたことに苛ついているんですよね。
気づいたよ。美華の経歴を思えば、明坂にいたことに気づくべきだし、そうとなれば美華が手を繋いで笑っている彼女は間違いなく明坂ミコその人だった。
なんで気づかないかなー! ああああああ! こういう失敗が死ぬほど嫌いなんだよ、私は!
しかしなー。そうくるか。江戸時代に明坂ミコ! しかも美華だけじゃなく私の指輪についても気づいているっぽい。
とんでもない人が出てきたってことか? なら、案外あっさり江戸時代から帰れたりするのか?
期待しちゃうぞ。むしろ叶えてくれ。できれば、いつでも時間跳躍できる方向で!
ストレスケアにも限界がある。いつか戻るっていう方針は叶わない限り、重たいストレスの元にしかならない。だって達成できないままなんだもの。
迅速にどうにかしてほしいんだ。正直そこだけはマジで糸口のいの字さえ掴めてないんだから。
案内された魚料理屋で晩ご飯を振る舞われながら、美華が口を開こうとするよりも早く私は仕掛けた。
「ぜひ聞かせていただきたいんですけど……あなたが何者なのか。そして、私たちの事情を理解しているのか。理解しているのなら、打開の方法を知らないか」
ぶしつけにたたみかけた私を美華がきつく睨んでくる。
理解しているよ。美華にとってこの人が特別だってことは。それでも、聞かずにはいられない。
「美華の知りあいが江戸時代にいる。きっとあなたは――……特別、なんですよね?」
真中さんが微笑み、クラスメイトが大勢きょとんとしている中でワトソンくんが真面目な顔をして彼女を見つめている。
彼女は、鼻でめいっぱい息を吸いこんでから、ふっと笑った。そして、なぜか姫ちゃんを見つめる。
「説明すると長くなるし“いま”のあなたたちが理解できるとも思えない。立沢理華、あなたの問いに正確に答えるとしたら、タイミングはまだずうっと先のこと」
名前!? どきっとして美華を見たけど、なぜか勝ち誇った顔をしてどやられただけ。
「言ってないから。お姉さまは相手の名前を知ることくらい、わけないの」
なんだそれ! どんな力だよ!
「でも……答えられる問いはある。城での異変は目にしていたし、そちらの坊やが理華? あなたの窮地を助けたことも承知している」
無茶苦茶だ。鮫塚さんをはじめ、すごい大人はたくさん見てきたけれど。そういう世界の境界の外にいる。そんな人にしか感じられなかった。そもそも、人なのか?
「いい感じ方するね。でもそれも後。それよりも……真中愛生? いつの時代も生き方を教える学舎っていうのは、それほどないものなのかしら」
「――……怖い人だ、あんたは。でもいい。正直、藁にも縋る思いでね。力を貸してくれない?」
「あなたを知っている私は未来の私でしかないんだけどね。いいでしょう。時を荒らされても困るし」
ふう、と息を吐いた彼女は置いてけぼりのクラスメイトも含めて、やっと自己紹介したんだ。
「この時代では恋の花と書いてレンカと名乗っているわ。ミコでもなんでも、好きに呼んで。ただし、雑には呼ばないこと。敬意をもって呼ばないと無視します。それじゃあ、よろしくお見知りおきを――……ひとまず、そうね」
なぜか城のほうを見て微笑むと、彼女はぴっと人差し指を立てて宣言した。
「ここにいる者は全員、青澄春灯の滞在に合わせて江戸に残りなさい。私が鍛えてあげる。あなたたちがいるべき場所へ戻る鍵はもう――……すでに手の中にあるのだから」
動揺した。真中さんさえ含めてだ。
かなりのぶちかましを食らったぞ!
「ど、どういうことですか?」
思わず前のめりになる私に、レンカさん――……だとややこしいな。この時代の人たちがいるところで呼べばいいや。ミコさんは顎で姫ちゃんを示す。
「そこにいるじゃない。時任姫。彼女に目を付けないなんて、まだまだ甘いわよ?」
くっ……煽られるとは!
美華がいちいちどや顔してくるのも、地味に精神にくる! ああああ、もう!
「ご飯を食べて。男の子たち、お腹すいているんでしょう?」
「「「 いただきます! 」」」
ルイもスバルもキサブロウも迷わず声を上げた。ちなみに岡田くんは既に食べていた。
促されても食べないのはワトソンくんだけ。
「女子は? ねえ女子は? っていうかお肉は?」
聖歌が無茶なことを言うけれど、ミコさんは笑って「魚の肉もおいしいのよ? 食べてみて」って促すだけ。しぶしぶお箸を伸ばした聖歌が魚の肉を食べた途端に顔を輝かせた。
それを見て詩保が姫ちゃんとふたりで食事を始める。
やばい。すべてもっていかれそうだ。
ミコさんは凄すぎる。きっと結果を出されて、私たちはあっさり戻れそう。みんなにとってはそれが最善だろうけど、私にとっては正直不満。
私の領域の外で、ことが進んでいく。そんなの……世界に私がいる意味がないって突きつけられているみたいで、我慢ならない。
眉間に皺を寄せていたら、口元に魚の身を挟んだ箸が伸びてきた。ミコさんの手によって。
意図がわからない。混乱する私に彼女は教えを説いたの。
「未熟は未来の自分が手にする資質」
それくらい、知ってる。そう憤ることもできた。けどしない。それこそ未熟そのものだ。
そこまでじゃない。私だって着実に積み重ねてきたんだから。
いいだろう。上等じゃないか。
明坂ミコ。あなたさえ理華は飲みこんで、自分の糧にする!
「さあ、食べて?」
「いただきます」
がぶって噛むのははしたない。そっと口にしてみた焼き魚は塩味が効いていてとてもおいしかった。
食ってやろうじゃないか。どんとこい!
ところで美華、そんなに睨むなよ。怖いだろ?
「お姉さまに……あーんだなんて」
「いや、私が頼んだわけじゃないから」
「だから許せないの!」
明坂グループの鉄の結束みたいな噂を聞いたことがあるけど。
案外それって、純粋に明坂ミコを愛しすぎているだけで成立しているのかな、なんて。
考えすぎかな?
◆
宗矩さんが訪ねてきたときには、私もコナちゃん先輩たちもみんなして固まった。
一年生たちはまだ外出している。守るべき対象が離れているのは、幸運とも不運とも言えない。
物々しい雰囲気で、おじちゃん侍たちが続いてお部屋に入ってきたから、不安は増すばかり。
けれど、ひとりのおじいちゃんを見てトモが顔色を変えたの。なぜかわからないまま、宗矩さんが腰を下ろす。そしてなにを考えているのか表情におくびにも出さずに私を見つめた。
「さて、単刀直入に申す。狐殿には殿を袖にしていただきたい」
動揺しかない。コナちゃん先輩の見立ては正しかった。けど、なぜ。将軍さまが美少年好きだから? 私が妖怪とか天女とか、よくわからない感じで通っているから? 出自がわからないから?
いや、美少年好きなら女子に興味を持つきっかけ自体は手放したくないのでは?
そう思い至ったときだったの。
「しかし出来る限り、殿の情欲を誘っていただきたい」
いきなりの無茶ぶりきた……!
「と申しますと、殿の男色を直したいということですか?」
すかさずコナちゃん先輩が尋ねた。女子がなにを言う、みたいな顔をするおじちゃん連中に一切構わず、宗矩さんは頷く。
「うむ。これは殿の母君の願いでもある。正室である鷹司孝子さまとの間には子ができぬどころか、子を作る気配もない。ゆえに、このままでは困るのだ」
「しかし……素性もわからず、人かどうかさえわからぬ女子との間に子ができては困る?」
「まさしく。狐殿をはじめ、この場に集まる者たちには手助けいただいた故、無碍にはしたくない。この世ならざる者たちか、あるいは奇術使いの類いか、どちらでも構わぬ。殿に女子の良さを伝え、穏便に江戸を去っていただきたい」
めまいがするなあ。そしておじちゃん連中の私たちを責めるような顔つきの理由もわかった。要するに幽霊騒ぎから退治にいたるまでの一連の騒動すら、私たちが起こしたことだと疑いをかけられているんだ。
派手にやりすぎちゃったかな?
でも宗矩さんの言葉に嘘がないのなら、私たちとしても願ったり叶ったり。まあ……とびきり困る条件がひとつあるんですけどね。
この私に女子の良さを伝えろなんて言われても。
無理だよ!!!!! どうやってしたらいいの!? タマちゃんならまだしも!
汗だくになってぷるぷる震える私ではなく、コナちゃん先輩が尋ねる。
「恐れながら、その話には続きがあるのでは? つまり――……提案を退けたら、わたくしたちはどうなるのでしょうか?」
この場にいたって、さらに私たちを追いつめる考えがあるの!?
ぎょっとする私のお尻をキラリとマドカが左右から同時につねってきた。
いたい! いたいよ! 我慢しろっていうなら口で言ってよ!
「いかにも。現在、我らはそなたたちを理由に徳川に仇なす連中を抑えておるが、狐殿が我らの意に反するのであれば……目が滑ることもあるだろうな」
――……ん? と? どういう、こと?
「目薬を効かせるためにも従え、と?」
「さて」
「……元より、我らは異邦人でございますれば。異議などあろうはずもございません」
深々と頭を下げるコナちゃん先輩に、おじちゃん連中がむすっとしながらも、いくらか溜飲を下げたのか、顔の皺が薄れた。
「殿と狐殿の逢瀬の際には、こちらからも使者を出す。怪しき術を使うのであれば容赦はせぬ」
「委細心得ております」
「では、後ほど屋敷を含め、今後の手配について書を持たせる。失礼する」
すっと宗矩さんが立ち上がり、離れていく。ずらずらとおじちゃんたちも部屋を出ていくけれど、なぜかトモが目を奪われていたおじいちゃんは、すたすたとトモの前に歩いてきて屈んだの。
「女子のそばに見慣れた刀があるのはどうしたことか……娘、手をみせてみよ」
「――……あ、の」
「よい。怒らぬよ。さあ、手を」
朗らかに笑うおじいちゃんに、トモが恐る恐る両手を差し出した。
迷わずおじいちゃんが握る。指先で撫でて「ふむ、ふむ」と頷き、それから刀を手に取る。
一切の躊躇なく引き抜いて、かざして見つめて、不意に豪快に笑うのだ。
「はっはっはっは! これは面白い! そうか、そうか……親父殿の名残を感じる。娘さん、血を浴びたことは?」
「――……あ、ありませんが」
「そうだろう、そうだろう。この刀も、娘さんも初心だ。しかし気高く強い。そのようなあり方こそ、未来の世の姿なのかもしれん……いいものをみせてもらった! 精進せよ」
鞘へと刀を戻して、トモに渡すの。
マドカもキラリも、コナちゃん先輩はもちろん、部屋にいる先輩たちみんなが固まっていた。凍り付いていたと言ってもいい。
けれど、トモは感激のあまりに涙を目に浮かべて、恭しく刀を受けとった。
おじいちゃんは笑い声をあげながら去っていく。
足音が聞こえなくなって、やっとトモが刀をぎゅうって抱き締めながら泣き始めた。
わけがわからないでいる私に、マドカが囁きながら教えてくれたの。
「あれは立花宗茂。トモが手にした刀の持ち主を父に持つ人……でもこの時代、女性が刀なんてあり得ないレベルで……血をだす女は穢れの象徴みたいに扱われていた。なのに、彼はトモを受け入れた」
キラリがすぐに囁いてくる。
「それってかなりあり得ないことだけど、逆に言えば恐ろしいとも思う」
「そうだね」
マドカは直ちに頷いたよ。
「既成概念に囚われずに、刀と手を見てその研鑽の意味を見抜き、理解して、認めた。男女の垣根などなく、修練を褒めたんだ。常人にできることじゃない……今日だけの幻かもしれない。それでも」
それっきり、マドカはなにも言わなかったけど……トモを見つめる視線で、言葉にしなかった気持ちは十分伝わった。
トモは報われたんだ。きっと、この瞬間。心の底から救われたに違いない――……。
つづく!




