第五百二十話
東海道に出て西か東か、いや西だろうと結論を出して先を急ぐ。
冬音は神水の補助がなければ夜には寝てしまう。回復したクウキに背負ってもらって、春灯そっくりの娘さんとちっちゃな男の子を連れて十兵衞と仲間と警戒しながらの旅路。
野宿をしたり、途中で刺客に襲われたり。退屈はしなかった。突然襲われるのは、もはや当たり前。火の番をしているときの襲撃にも関わらず、寝ていたはずの十兵衞が目覚めて何度も窮地を救ってくれた。
刀は持っている。けれど、これでは現世のものを斬れない。自分の身を守ることはできても、相手を殺す力のないもの。相手が攻めてくる限り自分の身を守るしかなく、逃れるためには体術が必要不可欠だった。おかげで俺と仲間の当て身の技術があがるあがる。
苦労がなかったといえば嘘になる。実際、冷や汗まみれで切り抜けたとひと息つこうとするたびに十兵衞に叱責されて、その場を離れてから指導を受けた。
仲間は強さに貪欲だし、それは俺も同じだ。柳生十兵衞といえば月之抄などが有名だが、本人から直接話してもらえるのはいいな。
重心、丹田、水月……神妙。内に宿る神の先に心があり、その先に身体がある。万物に宿る神を捉え、外に現れ出る妙を理解し、囚われることなくことをなす。
自由闊達でございますれば、などと春灯にそっくりな娘さんのあきさんが十兵衞について評するが、十兵衞は笑うだけで肯定も否定もしなかった。自由闊達という言葉にすら囚われぬ、という心の現われなのだろうか。
わからない。ただ、現代で春灯に宿った十兵衞よりもずいぶんと若く、そして精力に満ちた顔つき体つきの頼もしさたるや。
おかげで何度も窮地を救われながら、たどりつくことができた。
平塚宿に到達して、大磯の近くの海に見知らぬ城が現われたと聞いた俺たちはしかし、あっさり取り囲まれていた。刀を手にする男達、それに村正を名乗る男に。
村正が飛んだ。姿が見えなくなる。これだ。この技に、気がついたらやられていた。次の瞬間には縄に捕まっていてもおかしくはない――……。
「ちっ!」
何かが弾けて、村正が吹き飛ばされていく。難なく着地してみせたものの、彼の着物は燃えていた。青い炎を手で払うだけで、軽々しく消してしまいながら、村正が俺たちの中にいる彼女を睨む。
「女、なぜその球を持っている」
見ればあきさんが御珠を掲げていた。
風呂敷の布が足下に落ちている。けれど、旅の途中で一度も見せてもらったことがない。
同じく見せてもらったことのないものを彼女に見た。
九尾の尻尾だ。耳だ。彼女は狐の性質をたしかに現していた。
「あなたの刀のほうが、わたくしには不思議でございます。表に出てはならぬ身の上なれば――……」
あきさんの両目が煌めく。その霊子に覚えのあった俺は叫んだ。
「仲間、十兵衞、冬音! 目を!」
瞼をさっと伏せる俺の周囲からうめき声が聞こえた。次いで倒れる音がいくつも重なる。
「みなさまがた、ことは済みました」
あきさんの声に恐る恐る目を開けると、たしかにそこいら中に人が倒れていた。
あの村正さえもだ。
そっと風呂敷を手に取り、御珠を包んで背負う。彼女の尻尾も耳も消えていく。
刀はない。宿した御霊は、その霊子は――……なじみ深いものでしかなかった。
「あき。話は聞かせてくれるのだろうな?」
「それはもう。あとすこし――……いらっしゃいました。あちらの方々とご一緒したならば、喜んで」
あきさんが見つめる先に視線を移すと、木製の台車を引いて移動してくる綺羅先輩が見えた。その台車に見慣れた少女を見つけて、思わず目を見開く。
「春灯!」
「えっ、あっ、カナタ! ここにいたんだ! やっほう!」
ぶんぶん手を振るあいつは、九尾を隠しもせずに飛び降りて抱きついてくる。
騒動が落ちついて恐る恐る顔をだす人々がみんなしてぎょっとする。迂闊な彼女に頭痛がするけれど、それでも抱き締めずにはいられなかった。
会いたかった。本当に。
◆
授業の合間合間に、江戸時代の実地研修を決めこんで食料やお金の調達に加えて情報収集をするメンバーが選出されるんだけど、やっと選ばれたから出かけてみたらカナタに会えるなんて!
それだけじゃない。それだけじゃないよ?
なんとなんと! 十兵衞がいるの! 私のことなんか知らない頃の十兵衞が、刀を差さずに杖を手に、まるで修行僧みたいな格好ですぐそばにいる。生きて目の前にいるんだ。
さらにいえば、ご先祖さまとおぼしきお姉さんも一緒なんてね! 縁は異なもの味なものなんて言うけれど、十兵衞と旅をしているなんて聞くと不思議でしかないんだ。
ひとまず平塚で買えるものを用立てて、カナタを狙う人たちから逃げるべくさっさと出ようかと思ったときだった。
コナちゃん先輩とミツハ先輩、それにユウヤ先輩が村正って名乗る人を見て、三人で話しあってから言うのだ。
「その人、連れていくわよ。立沢の作戦、実施するなら今が好機。敵の情報も握っているでしょうし――……十兵衞、構わないかしら?」
「気の強い娘さんだ。俺は構わんよ。外法使いであり、お前たちはその術に聡い様子だ。あきと同じ尻尾の娘もいることだしな。毒を食らわば皿まで」
村正さんをひょいっと持ち上げて、台車にのせる。すぐに綺羅先輩とミツハ先輩が縛り上げた。霊子を練って作りだしたお縄なのかもしれない。
急ぐわよ、というコナちゃん先輩の指示で急いで住処へ戻る。
砂浜で汗を流す後輩たちの姿を見て、十兵衞は微笑んでいた。あきさんは私と目が合うと微笑んでくれる。そばを歩いているちっちゃな男の子は終始無言。遠くに見える富士山をたまに見つめて、それだけ。
宿の手前に来て、十兵衞が綺羅先輩とふたりで村正さんを下ろそうとしたときだった。
あきさんが男の子の前に跪いて、手を握るの。
「それじゃあ……あなたはここまで。あとはひとりで行ける?」
何も言わずに男の子が頷く。
たまらずカナタが口を挟んだ。
「ま、待ってくれ。あきさん、年端もいかない子供を放り出すと?」
「それが火迎の運命なれば。富士の山の麓へ行き、血の獄へ。戻れるかどうかは、その者の力次第でございます」
「そんな――……」
カナタが何かを言いたそうに男の子を見たけれど、ちっちゃな瞳はカナタを捉えることなく迷わず富士山へ。ひとりで歩きだす。足取りは強く、ぶれずにただ先へと進むだけ。
カナタの刃を受け入れた心が痛む。たまらない気持ちだった。モヤモヤの正体がよくわからない。怒り? 悲しみ? それとも……孤独?
我慢できずにカナタが追いかけようとする。けれどそれを、十兵衞が止めるの。
「よせ。それは余計な世話というものだ」
「だが!」
「語らないのはな。縁を繋ぐ気がないからだ。死に生を宿して飛び込もうというのだ。ただ、見送ってやれ」
「――……あまりに、むごい」
「のたれ死にはすまい。気づけばよく、あれは獣を狩り肉を食べていた。強い男だ。放っておけ」
奴さんが起きる前に移そうと十兵衞が動き出す。みんなも。けれど、カナタだけはずっと、男の子の背中が見えなくなるまで見つめていたの。
彼は最後までふり返らなかった。
ぼうっと立ちつくすカナタにトモやお姉ちゃんが何かを言おうとするけれど、結局なにも言えず。私の肩に触れて、ふたりもクウキさんもお城に戻っちゃった。
そっとカナタの手を握る。振り払われなかった。逆にぎゅうって握られた。ちょっと痛いくらいだった。
波音と、後輩たちが身体を動かす授業に勤しむ声をどれほど聞いただろう。
日が傾き始めた頃になって、カナタがそっと呟いた。
「字は違うみたいだけど、でも――……あれは、もしかしたら、ご先祖さまなのかもしれないんだ」
「……うん」
「気がかりで、でも……どう接したらいいのかわからないまま、ここまで来てしまった。途中、何度か話しかけたんだ。けれど、答えてはもらえなかった。余裕のある旅路でもなかったから」
小さい身体で文句ひとつ言わずについてきたんだと、カナタはとても寂しそうに言うの。
「余裕がない。自分ひとりでことをなさねばならず、助けはない。それはとても……厳しく、つらいことだな」
いろんな気持ちがこみ上げてくる。尻尾からも伝わってくる。なんでかな。尻尾の気持ちもなにもかもがモヤモヤしていて、それがなんなのかさえ、私にはよくわからないけれど。
「今からでもふたりで追いかけて、お助けする?」
「いや――……十兵衞の言うこともわかるんだ。覚悟を汚すな、ということなのだろう。それでも……俺はこうするしかできない自分を不甲斐なく、さみしく思わずにはいられない」
「……そう思えるカナタなら、だいじょうぶなんだよ。きっと。彼がしたいことを叶えようとする優しさも、心配で不安で大事にせずにはいられない優しさもあるから、だいじょうぶだよ」
目元を歪めて、たまらず瞼をぎゅっと伏せた。そして無理して笑って言うの。
「海沿いは風がきついな。中へ入ろう――……すこし疲れた」
「……ん」
頷いて、ふたりで戻る。
恋人がそばにいる。いろんな体験をしてきたに違いない。
かみ砕くまでにきっと、時間がかかる。経験に変えられるまでに、たくさんの時間が。
私も確かめたいことがやまほど増えたの。
戻る道中でカナタから聞いたんだ。あきさんが尻尾を出したという事実を。九尾で、しかも……タマちゃんの霊子をたしかに感じたという。
ふたりで最上階の部屋に移動した。捕まった村正さんは既に起きていて、胡座を掻いて向かい側のコナちゃん先輩を険しい顔で睨んでいる。
私たちが部屋に足を踏みいれたときには、殺す気しかなさそうな視線を向けられた。
「なるほど、なるほど。ここが畜生どもの館か。たしかに妙な力をそこかしこに感じるな……なにより気に入らないのは、女風情でそこにいるお前だ」
「私はこの城の主ですので――……春灯、カナタ、こちらへ」
コナちゃん先輩に手招きされて、大人しくそばへ歩みより、用意されていた座布団の上に正座した。きっとそれほどもたずに足を崩したくなるだろうなあ、なんて思えるようなゆるい空気ではなかったけれど。
「さて……佳村?」
「はいです」
「手はず通りに」
「――……正直、かなり気が進まないのですが」
集まっている中からノンちゃんが立ち上がり、しずしずと村正さんに歩みよる。
目の前に腰掛ける小柄な女の子に目を見開く村正さん。けれど構わずノンちゃんは着物を左右に広げた。そして目にする。
胸から半ば露出しているように見える心臓を。
村正さんは眉間に皺を寄せて暴れようとしたけれど、背に回った十兵衞が手を捻り押さえつける。
「――……こんな無茶なことをして、明日死んでもおかしくないですよ?」
「はっ……見ず知らずの娘に命の心配をされるとは」
嘲ろうとする村正さんにへこたれるようなノンちゃんじゃない。なにせ暴れん坊で強い言葉も鋭く使うギンの彼女と刀鍛冶なんだもの。
「失礼します――……」
「――……っ!? よせ! やめろ!」
ノンちゃんが首筋に触れてからしばらくして、不意に村正さんがじたばたもがきはじめたけれど、十兵衞に押さえつけられたのではうまく逃げ出せないみたいだった。結局、村正さんは瞼をぎゅっと伏せて項垂れる。
「――……見せていただきました。ノンの心も、そして、ノンが鍛える村正も、ご覧になりましたね?」
悄然として項垂れる村正に十兵衞が首を傾げた。
ノンちゃんが「だいじょうぶですか?」と尋ねるけれど、村正さんは答えない。
気まずい沈黙が流れる中、足音が聞こえてきたの。見れば開きっぱなしの襖の向こう側、階段をのぼってやってきたんだ。
「よう。一年の授業が終わったから来たぜ。生徒会長、俺になんか用だってんだろ?」
ギンだ。腰に下げた刀は、まぎれもなく私たちにとっての村正。
最初に反応したのはギンに呼びかけられたコナちゃん先輩でも、ノンちゃんでもない。
「――……その刀、見せてはくれねえか?」
村正さんなの。
俯いていた。いまも。見ていないはず。なのにどうしてか、ギンにそう問いかけた。
ノンちゃんが霊子を繋いで、互いの記憶を共有したのかな。それで、ギンの声がわかったとか?
だとしたら、どう反応するんだろう。わからない。
刀は刀鍛冶の名前がつくって聞いたことがある。けどだからって、ひとつの名前があっても、流派として継がれた名前が銘に打たれる場合もあるみたい。
村正ってたしか、何代にも渡る流派の名前じゃなかったっけ? 最低でも何代まであったんだかなあ。あと流派が分かれて名前も変わったんだっけ?
よく広まっている妖刀説も否定されているって聞くよ。昔はよく使われていた刀だから、名前が一人歩きしたんじゃないか~みたいな、そんなノリじゃなかったっけ?
江戸では有名だったみたいだけど、三河じゃそもそもとてもよく使用された刀だったとかなんとか。
よく斬れるから大勢に使われたっていうよね。
ゲームとかで有名になってきてる千子って呼ばれた人は江戸時代よりもっと昔の人なんだったかなあ。室町時代だっけ? たしかね?
ノンちゃんはよく、ギンのことを世に広まった村正のすべての集合体を御霊として宿しているみたいに言うけれど。
「ふん――……見なくてもわかるんじゃねえのか?」
そうギンが言ったときに、ノンちゃんはもちろん私も、もう一つの可能性を見出していた。
「違いないが……それでも見たい」
「大勢に睨まれて、押さえつけられて。妙な匂いまでしやがる……しかし、なんでかな。初めて会った気がしねえんだ」
「――……ふん」
「だからこそ、だめだ。いまのてめえは、まだここから逃げる算段をしてやがる。見せて欲しけりゃ、一晩おとなしく泊まってけ」
訝しげに顔を歪める村正に構わず、ギンはコナちゃん先輩に視線を移して腰に手を当てた。
「これでいいのか?」
「ええ、十分だわ。ありがとう」
「へえへえ」
じゃあな、と手を振ってギンは階段を下りていっちゃった。
取り残された村正さんの身体から力が抜けたみたい。それでも十兵衞はそばにいることをやめようとしなかった。私たちを守ろうとしてくれているんだろうなあって思うと、頼もしさしかない。
「私はコナ。ねえ、名前を聞いてもいいかしら」
「自称はあくまで村正だ。魂がそう名付けた。畏怖されるからこそ、名刀たる俺の力の名だ」
なぜかコナちゃん先輩だけじゃなく、集まっている人たちが私を見るのですが。
なにゆえ? ねえ、なにゆえ?
「まいったわね……ええと。こういう場合は」
「おそれながら――……こういうのはいかがでございましょうか」
隅に控えていたあきさんがすっと手を挙げて、コナちゃん先輩が「どうぞ」と言うと前に出てきた。風呂敷を広げて御珠を晒す。そうして両手をかざして唇を動かした。けれど音は出さない呪い。突然、
「くっ――……よせ、やめろ!」
村正さんが苦しんで、身体を起こして叫んだ瞬間だったの。
浮き出た心臓から吐きだされるようにして、ひとりの女の子が出てきた。
奇しくもノンちゃんによく似た女の子が、周囲をきょろきょろと不安げに見渡してから呟く。
「え、えと……表向きは男児、実は女児にて生涯を閉じました彦四郎もとい、千子でございますが。村正さま、私、なんで出てきちゃったんでしょうね?」
「――……ああ、もう。好きにしてくれ」
観念したように項垂れた村正さんに千子さんがあわてて「す、すみません、私またなにかやっちゃいました?」と言うけれど。
私でもわかるよ。それいうの、きっと遅すぎると思うんだ。
◆
あきさんの不思議な術で顕現した千子さんは、村正さんにとっては人質みたいなものなのかもしれない。わりとあっさりといろんなことを白状してくれた。なぜかって、ノンちゃんが記憶を共有した時点で隠しても無駄だと悟ったからみたいです。
「徳川の江戸城に幽霊が出る。それを鎮めるために九尾が必要……ねえ?」
コナちゃん先輩やみんなが私の尻尾に熱い視線を送ってくる。いまだかつてない注目ぶりなのでは!
「幽霊退治か。それに江戸で妖怪の出没が増えていると。すこしばかり黒い御珠事件を思い出してしまうけれど……どう思う?」
その振りに腕を組む。ううん……。
「あのう。黒い御珠が相手なら、やっぱり御珠に変えるのが一番いいのでは?」
「それができればいいんだけど、江戸時代だと勝手が違うかもしれないのよね」
「それは……そうかもですけど」
モヤモヤするなあ。
理華ちゃんが先生役になって江戸時代の話をしていたときに言っていなかったっけ?
死生観が違うというか、生と死の距離感が現代よりも近いって。
だとしたら、欲はもっと深くて強いかもしれない。江戸時代の邪は現代よりよっぽど強いかもしれない? ううん……でも、平塚とか大磯とか、それから最初にきた村のみんなも、こらしめた庄屋さん以外はそんな気配なかったけどなあ。よっぽど、飢饉とかに喘いでいたら、その邪はとびきり強そうだけど。江戸の邪っていうと、この時代の日本のどこよりも大人しそうな気がするのは私の見積もり甘過ぎなのでしょうか? 意外と、ほら。各藩のお姫さまを人質にとっていたみたいな話もなかったっけ? 吉原とかもあるし、欲望渦巻いている可能性はあるよね。
わかんないなあ。どれくらいなのか、見てみないことには。
「いっそこちらから江戸に行っちゃいます?」
「面倒な連中が追ってきているんでしょう? それも、よりにもよって幕府に与する忍が私たちを狙っているというのなら、敵地にいくっていうのはちょっとね」
ああそっか、と唸る私と、悩みはじめるみんな。
すっと手が挙がる。理華ちゃんだ。コナちゃん先輩が頷くと、立ち上がった理華ちゃんが言うの。
「今日、村正さんを歓待する勢いで、お店として江戸に移動し続けるっていうのは?」
「切った張ったが当たり前の連中を相手に巻き込めるんなら……化かせるんなら、手ではあるけれど」
「それはよしたほうがいいな。敵の俺から言わせてもらうなら……どうしてかは、お嬢ちゃんがいいな」
村正さんがまさかの待ったをかけるとは!
ノンちゃんが恐る恐る口を開く。
「敵の忍びの中には、隔離世に繋がる力の持ち主が何人かいるみたいです。なので、襲撃されたら戦いになっちゃいます。村正さんに一任されていたんですが、それも失敗となれば」
「次はここが襲われかねないか。だいだらぼっちで移動し続けるのも、目立ちすぎていけないし」
腕を組むコナちゃん先輩にみんなして頭を抱えていたら、十兵衞が不意に笑ったの。
「ははは! いやあ……意外だな。妖怪どもの巣だと思えば人の子しかおらぬではないか。ここにいるのは本当に妖怪なのか? そこの狐娘、その尻尾は飾りか?」
見つめられて、あわてて首を振る。一年以上一緒だった相手が自分を知らないっていうの、不思議すぎて慣れないよ。
戸惑う私からすぐにコナちゃん先輩へと視線を移して、十兵衞は片手で村正さんを押さえたまま、もう片手でぴっと空を指差す。
「化かせばよいではないか。なんとなれば、空を飛べばよい。それか、海の底をいくとかな。それとも、そんな芸当はできんか?」
思わず二年生以上のみんなで「……ああ!」と頷いちゃったよ!
江戸時代暮らしの十兵衞にまさかそんな提案されるなんて、と驚くばかりの私たちですが、コナちゃん先輩はすかさず「ミツハ先輩、それから佳村と柊。手配を」と命じたの。
程なくルミナの艦内放送が入る。砂浜に出た生徒は直ちに戻ってください、という放送に十兵衞たちはめちゃめちゃ驚いていた。
せっかく竜宮城なんだから海の中を行こうということになって、霊子の泡を纏った船へと姿を変えて、漁船の網に気をつけながら進む。
村正さんと千子さんをカナタたちと一緒に連れていく十兵衞を見ていると、たまらなく気持ちが高ぶるの。いろんなことを話したいし、聞きたい。けれど迷う。いまの十兵衞は、私を知らない十兵衞なんだ。どんな顔をしてなにから切り出せばいいのかさえ、よくわからない。
結局見送ることしかできなかった私の前にやってきたのは、あきさんだった。
「お名前をお伺いできますか? 名字ではなく――……お名前を」
不思議な問いかけだなあって思いながら、答える。
「春灯です。春の灯りと書きます」
「――……そう。そうですか。玉藻、姿を出して」
心臓が鷲掴みにされたみたいな、そんな衝撃だった。
風呂敷を膝上に置いて、くるまれた御珠をそっと撫でた途端にあきさんの背中から現われたの。
タマちゃんだ。間違いなく。とてつもなく荒んだ顔をしていて、あからさまに不機嫌で。私を見る顔はとびきり冷たかったけれど。それでも、間違いなくタマちゃんだった。だからつらい。憎むような目つきで睨まれるのが、ひたすらに。
「まったく……気軽に呼び出すな。地獄で荒稼ぎ中なのじゃから」
「そう言わないで。顔合わせしておきたかったの」
あきさんの声には答えずに、タマちゃんは肩を露出させた艶やかすぎる着物姿で私の前に来て、顔をじっと見つめてきた。どぎまぎする私からすぐに興味を失う。
「――……ふん。丸顔すぎる。金長でも宿したほうがよさそうな娘じゃな。しかしたしかに、妾の力を感じる」
もうよいか? と言って、すぐに消えちゃった。つれないどころの騒ぎじゃない。
「ごめんなさいね。まだ人を恨んでいるの」
「――……そう、ですか」
私の中に宿ってくれたときにはもうフレンドリーで愉快なお狐さまだったけど、昔のタマちゃんはやさぐれていたんだ。しょうがないのかもしれない。暴れたのは事実みたいだし、それで恨まれて殺されたのも事実みたいだから。へこたれてへそを曲げて恨み節を炸裂させたとしても、それもまた素直な心の現れ方だと思う。
でも、それでも……両手を広げて抱き締めてくれたらと思ってしまうのは、私のわがままで。大好きだから夢を見ずにはいられなくて。
無条件に優しく受け止めてくれるわけじゃない。一緒に夢を見られたから、一緒に笑えるのであって。いま必要なのはきっと、愛してってお願いするんじゃなくて、振り向いてもらえるように生きることでしかないんだ。
心の中に神がいる。私は一年、未来のタマちゃんと十兵衞と過ごしてきた。そうして現われる妙を見せて、示しながら、生き抜く。それだけの覚悟が必要なんだ。
江戸を救うとか、現代に戻るとか、そういうのよりもっと……ずっとシンプルで必要な、覚悟。私らしく生きる覚悟を持つ。
再確認できた。そう思ったら、自然と頭を下げていたの。
「ありがとうございます――……」
「いえ、そんな、頭をあげてください」
そっと肩に触れられて、顔をあげる。
見れば見るほどよく似ているけれど、でも私じゃないし。彼女の中に宿っているタマちゃんは、私の中に宿っているタマちゃんの昔の姿で、それはもう別人と言ってもいいもの。
だけど魂が変わるわけじゃない。十兵衞だって、それは同じ。
内に宿っているのではなく、私の外にいるふたりだから、一年で積み重ねてきたものを示してみたい。
怖いけど。不安だけど。痛くてたまらないけれど。
それでもね? だからこそ感じるんだ。ふたりへの気持ちを、離れて強く感じるの。
残されたのは、目の前にいる人への純粋な疑問。
「あきさん、あなたって」
「……詮無きことです。私がどこの誰でも、あなたに縁あってこうして出会えたことにこそ意義がある」
現代にいる誰かよりもよっぽどわかりやすい価値観の違いの形。時代が違う、という表面的なものよりきっと。
「努めていますか?」
「――……はい」
彼女の問いかけと、それに答える私の気持ちが答えに違いない。
つづく!




