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その刀を下ろして、帯刀男子さま!  作者: 月見七春
第四十七章 大江戸化狐、花咲金色天女帳

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第五百十九話

 



 江戸時代に合わせて厠と名称を変えたトイレから出たところで、姫ちゃんとばったり出くわしたの。お部屋はまさにいま、食事を終えてまったりムードなの。てっきりお部屋でのんびりしているかと思いきや、すごく疲れたため息をつきながらやってくるんだ。

 そりゃあ、声を掛けるよね。


「姫ちゃん、だいじょうぶ?」

「あっ!? えっ、あ、そ、その……すみません」


 すぐに謝って頭を下げようとするの。

 トモならどうするかなって考えたら、答えは自然と浮かんだ。

 姫ちゃんの眉間に指を当てる。戸惑う姫ちゃんの眉間の皺を揉みほぐして、それから頭を撫でる。

 だいじょうぶ! ちゃんと手は洗ったし! 拭いてもあるし! 問題ない……はず。ああ、でも。


「トイレから出てきてやることじゃないか。ちゃ、ちゃんと洗ったんだよ?」

「石鹸の香りします」

「なんか……ごめんね」

「ううん。すこしだけ、気が楽になりました。おでこはちょっと気になりますけど」


 あはは、と苦笑いをする私に姫ちゃんは笑ってくれた。

 けどすぐに顔が曇る。気を張っているのかもしれない。そりゃあそうだ。経緯を考えたら、あまりにも当然のこと。

 私たちを江戸時代に飛ばしてしまった。教授に惑わされて。

 だとしたら私たちがまずお助けしたいのは、姫ちゃんだ。けど、本人は今も自分を責めているのだろう。

 詩保ちゃんとか、理華ちゃんたちクラスメイトに囲まれて、なんなら七原くんの隣に積極的に歩みよったりしていて、大丈夫かなって思ったけど――……そんなはず、ないよね。

 亡くなったお母さんのこととか、いろいろ考えちゃうよね。

 コナちゃん先輩は疑問を口にしていた。自分の手を決して汚さず、そのうえでとびきり悪質なことをやまほどするのが教授の手口ではないか。

 私が受けた拷問を思えば――……コナちゃん先輩の言うとおりだと思う。

 けれど迂闊には言えない。言えるわけがない。

 ご両親は生きているかもしれない。むしろ姫ちゃんがやり遂げたら、死を偽装していた母親も込みで姫ちゃんに生きているふたりを見せて、姫ちゃんから報酬を得た瞬間に両親を部下に殺させるくらいの悪辣さを教授は持っている。

 とはいえ、教授はもうこの世にいない。仮にご両親が生きていたとして、それはいつまでなのかも定かではない。それに教授が悪辣さ、悪質さに手を抜いていたら……わからない。なにも。

 気休めで軽々しく言えないんだ。人の命は重すぎて。だからこそ気休めを言うべきときもあるけれど、それはきっと……いまじゃない。

 そもそも言い方がわからないの。

 教授はひどいやつだから、あなたの目の前で殺すために実は生かしているかもしれないなんて。教授はもういないけど、部下がどうするかはわからないなんて。言われてどう思う? やっぱり、いまじゃない。

 現代に戻ってからだ。出来る限りの調査をして、突き止めてから。すべてはそこから。

 まずは江戸時代から現代に戻らなきゃ、始まらないんだ。

 だけどね? それは私にとっての都合でしかないから――……同じくらい、私にとって、暗い顔で思い悩む姫ちゃんをお助けせずにはいられない。


「姫ちゃん……現代に戻って、すべてを取り返そうね」

「え……」

「気持ちを切りかえてなんて無茶は言わないよ。ただ……いま、私にできることはない?」


 戸惑い、周囲を見渡して、私の着物の袖をきゅっと握って姫ちゃんが縁側へ連れていくの。

 波音が聞こえる。太平洋の潮風を浴びながら、姫ちゃんが周囲をきょろきょろ見渡して、誰もいないことを確認すると、すごく恥ずかしそうに呟いたの。


「あの……抱き締めてもらっても、いいですか?」

「トイレの後でもよければ」


 吹き出すように笑って、それからぜひって両手を差し出してきたから、姫ちゃんをぎゅって抱き締めた。深呼吸をして、すぐに呼吸が湿って、身体が震えて――……聞こえてきた嗚咽と心細そうな声を受け止める。


「――……つらかったね。いつだって、甘えていいんだからね?」


 何度もうなずく姫ちゃんの背中を撫でながら、頭を撫でながら、思わずにはいられなかった。

 悲しみを広げるやり方に付き合っているほど、私たちみんなの人生に暇なんてない。余裕なんて日に日になくなるばかり。はね除けて生きられる強い人ばかりじゃない。それに、教授――……あなたのやり方で、いったい何がどうなるの? あなたの刹那の楽しみしか残らなくて、それにさえあなたは価値を見いだせなかったんでしょ? だから私に変えてもらおうとしたんでしょ?

 名前のない教授。あなたはたしかに教訓を私に残したかもしれない。傷つけてから始まることなんて、なにもないんだ。残らないんだ。傷しか。そこから立ち上がれといいながら殴りつけてくる人はいる。たしかにいる。

 けれどそんなものに価値はないんだよ。だって、自分を守るためにそんなやり方しかできないんだもの。付き合いたくないよ。

 死か生か、その二択だけで生きていけるように私たちは作られていない。ご飯を食べて、あたたかい場所で寝て、好きな人と肌を重ねる幸せを感じて生きていく。

 究極的な二択をつきつける人ほど脅迫的な生き方もないと思う。

 よほどのことがあっても、どっこい生き残るし、これくらいじゃどうってことないだろうっていう些細なきっかけで、あっさり死んでしまう。

 か弱いんだよ。心ってきっと。

 だから傷なんていらない。つける必要なんかない。あるのはそれでも負ってしまう傷を癒やす優しさだけでいい。

 姫ちゃん。あなたの傷を癒やすためにできることがあるなら、なんでもする。あなたが胸を張って生きられるように……私は守るよ。

 どれくらいの時間が過ぎただろう。泣きやんで、か細い声で「もうだいじょうぶです」と言って離れた姫ちゃんの目は真っ赤だった。指でそっと拭って、さてどんな言葉がいいだろうかと悩んだときだった。

 尻尾がむずむずしたかと思うと、ぷちの一体が私の背中をよじのぼって、肩からぴょこんと頭を出して姫ちゃんを見たの。じーって。


「え、と?」

「……おうじさま、どこ?」


 眠そうにぽやっとした顔のぷちの問いかけに姫ちゃんが虚を突かれた顔をして、それから吹き出す。


「まだ見つからないの」

「……ひとりぼっち?」

「ううん。もう……違うの。だから探すよ。いいなって思っている人の中に、運命を」

「……しあわせになれるかなあ」

「わかんないけど」


 姫ちゃんはめいっぱい泣いてすっきりできたのかな。

 晴れやかな笑顔で私とぷちに言ってくれた。


「悔しいから、めいっぱい幸せになってやるの。見ててくれる?」

「……うん。そばでね?」


 うなずいて、嬉しそうに姫ちゃんの胸に飛び込む。

 あわてて受け止めた姫ちゃんが戸惑いながら私を見たけど、ぷちはぎゅっと抱きついて離れる気配がない。ちゃっかり者じゃなくて、マイペースなぷちだ。

 すこしだけ考えて、でもこれが一番いいのかもって思えたから。


「しばらく構ってあげて? わがままな子なんだけどさ」

「あ、あの……」

「無理なら引き取るけど、どうする?」

「――……ぬいぐるみみたいで、その」


 ぬいぐるみとな。

 ぎゅうって抱き締めた姫ちゃんの腕が答えだった。


「お借りして、いいですか?」

「ぷちが飽きるまででよければ」


 あきないよーって、とても気楽な声をぷちが出すから姫ちゃんとふたりして笑っちゃった。


「それじゃあ、その……ありがとうございました。そのう……」

「いいよ、いつでも声を掛けて?」

「――……っ」


 たまらない顔をして頭を下げて、姫ちゃんはぷちを抱いて離れていったの。

 背中を見送ってから――……ふっと息を吐いて、悩んだ。

 タマちゃんだったらもっと優しく、厳しく、道を照らせるだろうに。

 私にはまだまだそれができないみたい。

 自分の生きたい道を見つけ出している姫ちゃんの心に救われたなあ。へこたれてばかりいられない。幸せになってやる、というあの子の覚悟に救われたんだ。

 その覚悟はね? 傷があるから生まれたんじゃないんだよ。

 あの子が生きようとして自然に抱いた覚悟だと思うんだ。

 だからやっぱり、傷はいらない。

 笑って無邪気にそう思えるほうが、ずっといいもの。


 ◆


 コナちゃん先輩に館内放送でお呼び出しを受けて、急いで最上階にのぼると、生徒会とメイ先輩たち三人娘にミツハ先輩とユウヤ先輩、それにレオくんとマドカとシロくんが集まっていたの。

 それだけじゃない。

 手前にいるのは理華ちゃんと聖歌ちゃん、美華ちゃんだった。

 な、なにごと?


「ちょうどよかった……春灯、こっちへいらっしゃい」


 険しい顔をしたコナちゃん先輩に手招きされて、大人しく隣に腰を下ろす。女の子座りをしたら、じっと見られたのでしぶしぶ正座に戻しました。苦手です……。


「それで、立沢――……商いをするために、銭を稼ぎに江戸の吉原へ行きたいと言ったわね。本気?」


 吉原って――……そ、それって、私でもわかるよ?

 この時代の、いわゆるえっちなお店の集まる街だったのでは?

 対して理華ちゃんは笑みを崩さず、ぴんと背筋を立ててコナちゃん先輩を見つめている。

 不遜とも言えるくらい、強気。


「ええ。理華、思うんですけど――……いつの世も、金と絆は力なり。資材を用意するのは大事なことですが、それを銭に変える形を目指すだけでは、いつ理華たちみんなが行き倒れるかわかったものじゃありません。しかもまだ、帰れるあても見つからないんですよね?」

「だ、だからって、吉原って……春は売らないと、あなたが言ったんじゃない」

「なにも売る必要はないんですよね」


 理華ちゃんの笑みがますます深くなる。

 それだけじゃない。衣擦れの音がした。理華ちゃんは迷わず手をお尻に当てて深呼吸をして、続ける。


「失礼しました。さて、この時代の美の基準と照らし合わせましても、士道誠心高等部の美女のみなみなさまにおかれましては――……」

「立沢、簡潔にして」


 コナちゃん先輩のツッコミに理華ちゃんは嬉しそうに笑う。


「あは! じゃあひとことで。お高い花魁に袖にされた金持ちをかすめとっちまいましょうよ」


 みんなが虚を突かれた。


「欲深の、ごうつくばりで、馴染みになれない花魁に欲をくすぐられているお金持ちをたぶらかすんです。そして、商談に引きずり込みます。銭を出させればこちらの勝ち」

「また無茶を言うわね」

「聞けば春灯ちゃんには左目に不思議な力があるとか。それがなくとも、現代のシステムに使えるものがあるじゃあありませんか」


 朗らかに笑う理華ちゃんの横で、美華ちゃんが恐る恐る切り出す。


「あの……お金持ちの家に訪問して、現代のホステスさんみたいに接待すればいいんじゃないかって。いわゆるメイド喫茶? をやってはどうかと、一年生で話したんです」


 上級生一同、いつの間に一年生で話し合いを? って目で理華ちゃんたち三人を見ちゃった。


「この時代も、可愛い子目当てに茶屋に通ったりするって理華が言ってた。えっちはしない。むしろ、江戸時代の人たちを相手に……もえもえ? させて、商談を進めて、お金をもらう」

「まっとうな商いをご用意していたでしょうが、もっと腹黒くいきません? がっぽり稼いでやりましょう。力の定義は数あれど、金は強いです!」


 すっと立ち上がった理華ちゃんは、


「絢爛豪華な料理、結構! 宿にするもよし、寺子屋にするもよし! ですが理華たちが暮らすための場所でしかなく、明日しか見ぬのでは次の冬さえ越せません!」


 全力で仕掛けていた。

 コナちゃん先輩は頭痛をおさえるように額に手を当てていて、マドカは前のめりに理華ちゃんを見ている。


「ですから、銭をむしりとってやりましょう。現代の知恵はこの時代において価値があり、理華たちは自分自身がそもそも商売材料なのです。使っていきましょう、稼いでやりましょう!」

「なぜ、わたしたちがー」

「かせぎたいのかというとー」


 聖歌ちゃんだけじゃなく、美華ちゃんまで棒読みで合いの手を!


「これはもはや社会見学、学を修める旅行なのです! 遊んでやらねば罰が当たる! 楽しまなければ損というもの! 見たいじゃないですか、この時代の風俗! 食べてみたいじゃないですか、この時代の美味! 極めてみたいじゃないですか、この時代の贅沢!」


 煽るなあ! すごい、堂に入っている。慣れた気配すら感じる。

 理華ちゃんの底が知れないなあと思う瞬間はたびたび訪れるけれど、今がまさにその瞬間だった。


「理華たちは学生です! 実学こそ力なり! 士道誠心が戦いにおける作法を書物でなく実技において説くところに、まさにその精神あり! いかがなりや――……」


 微笑みながらすぅっと下がり、正座して頭を下げる。

 あまりにも見事。あまりにも流暢。

 先輩たちみんな飲まれている。いや、ラビ先輩はおかしそうに笑っているし、コナちゃん先輩はますます頭痛がするかのような顔で項垂れていた。


「これはまた、厄介な後輩ができたものね……ねえ、立沢。それが一年生の総意?」

「ええ、もちろん!」


 いい笑顔!

 美華ちゃんは不満を隠せない顔をしているし、聖歌ちゃんは退屈になってきたのか海をぼけーっと見始めている。


「――……頼もしい後輩たちだこと」


 はあ、とため息を吐いたコナちゃん先輩が膝に手を下ろした。

 口を開こうとしたまさにその瞬間、理華ちゃんがたたみかける。


「さて! そのためにも私たち一年生も、皆様方の会議にお加えいただきたく、お願いする所存にてございます」

「……ずいぶんとまあ、勝手を言うじゃない?」

「愛でてくださいとは申しました。けれど、子として大人の話に加えずただ守れ、とは申しておりません。私たちも士道誠心の一員であるとお認めいただけるのであれば、一年生の名代である私たちを加えていただきたい」

「――……ずいぶんと有望な後輩ね」


 コナちゃん先輩はラビ先輩、私を見てから、メイ先輩と視線を交わして頷く。


「いいわ。縦割りを望んだのは私なのだから、むしろ一年生の参加は必要だった」


 驚く美華ちゃんに対して、理華ちゃんは顔を崩さない。


「しかし……立沢。あなたはただ参加するだけではなく、舵を切りたいと考えていそうね?」

「――……生徒会長の邪魔をする気はありません」

「腹の探り合いをする気はないのだけど」

「あは! 理華もです! なので、ぶっちゃけて言いますね」

「ぜひそうしてちょうだい」

「風通しをよくし、繋がりを強化するという当初の目的があったはず。なのに、現状どうですか?」


 理華ちゃんの指摘はとても痛いところを突いていた。


「グループ分けはなあなあになって、三人組はどこへやら。江戸時代に飛んできたから、まずは生きることを目標にするしかない。まあね、それはわかります。いざ自分がその立場になったとき、大勢を相手にその場で本当に行動を起こせる奴って実際はそんなにいないので」


 毒が! 毒が強い!


「授業をしてくれていることも感謝しています。だけど、肝心の理華たち一年生と先輩たちとの絆は、まだまだ距離があります。それって、もったいなくないですか? 私たちみんな流されてばかりじゃないですか? そろそろもっとわがままに主体的に積極的に生きてみませんか?」


 今度はコナちゃん先輩が表情を崩さない。


「発起人の理華が吉原へ行きます。銭をたんまり掴んでやろうと思っています。なので、それぞれの学年から三名ずつお貸しいただきたい。それと!」


 要求はきっと続くと見越していたから。


「どうせ授業をしてくださるのなら、人数比率もございます。できる限り、同じくらいの比率で教えていただければ、距離も縮まりやすいかと思うのですが……いかがでしょうか」

「却下ね」

「ですよね! 二年生も三年生も授業が必要ですもんね! やっぱ無理筋だったか!」

「早合点しない! ……それも一年生の総意? できれば立沢ではなく、聖、夏海のふたりの口から聞きたいのだけど」


 理華ちゃんが笑みを深くする。

 予習済み? ――……ううん、ちがう。


「正直……立沢の言葉は立沢の意思でしかなく、一年生の総意とは言いかねるのですが」


 はらはらする。美華ちゃんは理華ちゃんとは意見を異なるのか。


「でも、せっかく入学したのなら……」


 なぜだろう。私をじっと見つめてくるの。


「先輩がたについて、この学院の流儀について、よく理解したいとは思っております。入学初日の混乱と緊張下でなし崩し的に組み分けをするのではなく、互いの意思と気持ちを持って――……」


 それからちらりと理華ちゃんと聖歌ちゃんを一瞥してから、つけ加えた。


「互いの魂の命じるままに、自然と結ばれる絆を深めたいと思っています」


 夜の女王たる吸血鬼でアイドルの明坂ミコさんに繋がる女の子の意思は、理華ちゃんと同じ方向を向いているんだとわかった。

 対して、足を崩してぽやっとした顔で海を見ていた聖歌ちゃんは、徐に立ち上がる。

 足を伸ばして「いたい」と呟いてさすってから、私たちを見つめてくる。そして理華ちゃんに着物をくいくいっと引っぱられて、あわてて座った。ちょっと赤面してるの。


「あ、あの……えっと。私は……」


 話そうとして宙を見つけて、ぽけーっとしてから、


「なんだっけ」


 首を傾げる。それからすぐにはっとして、両手を合わせた。


「ああ、そうだ。仲良くしたいです」


 言えてよかったーってすごくほっとした顔でにこにこ笑うの、可愛いんだけど。

 すごくシンプルで単純で、だからこそ揺らぎにくい自然体の答えと素直なありよう――……どことなくシンパシーを感じるのは、なんでだろう。

 コナちゃん先輩が何かを言いたそうな顔で私をじーっと見つめてから、深いため息を吐く。


「今朝だけでいったい私の幸せはどれくらい逃げたのかしら……まあいいわ。だいたいどんな空気感なのかはわかった。三名と言わず、江戸への派遣からチームの編成まで含めて、今日の検討議題とします。ひとまず午前中は昨夜決めた通りに。ラビ、ユリア」

「伝えてくるよ、ルミナちゃんに放送してもらってくる」「ご飯もたらふく食べて元気だから余裕」

「シオリは引き続き解析を――……ちなみに進捗は?」

「正直ぜんぜん。いつもならさー、うちの端末があればさー? あれくらいどうとでもするよ? 時間かかるけど。でもまだだめ。読み込めません。だから中身もわかりません。以上、終わり!」

「……先の明るい報告ね。まあいいわ。あとはよろしく」


 了解と言ってシオリ先輩やラビ先輩たちが離れていく。

 腕を組んでいるメイ先輩はずっと黙り込んでいた。恋人の先輩さんがいなくなったからかな。時間が経過するほどに不安になっちゃうよね。

 難しいなあ。

 スマホを出して眺める。コナちゃん先輩が貸してくれたおかげで読める電子書籍。

 平常心が大事だって書いてあったんだ。

 なにかにとらわれた時点で、心が乱され、それは引いては乱れを生じさせて、行いが狂うという教え。

 考えちゃうのは、十兵衞のこと。

 コナちゃん先輩いわく、十兵衞も書を書いている。

 けど十兵衞は私に語ろうとしない。私の身体を使って戦ってくれたことは何度もある。けれど、私に水月――……水面に自然と月が浮かぶように相手の間合いに入る教えとか、そういうことを伝えてはくれなかった。

 ただ私のあるがまま、生きたいままに行動させていた。

 教えては、私が教えに囚われると言わんばかりに。

 型を意識しては型から抜けられぬ。型を己のものとして、意識せずにあらゆる状況に対応してことを行える心構えが大事なんだ、みたいなノリで宗矩さんは書いていた。

 型を知らなければ破ることはできないって、前にお父さんがお酒を楽しみながら教えてくれたことがあるの。

 なんだか禅問答みたいじゃない?

 型を知らなきゃ破れない。でも型を意識したら、囚われてしまう。

 自然体で。平常心で、状況にあるがままに対応すること。生き延びるため、ことをなすために、状況に対する理解を深めること。しかし囚われてはならぬ。息をするように行えるまで、染み込ませ、馴染ませ、あるがままに行なうのだ。

 むつかしいよなあ。

 歌だとか、大神狐モードだとか。そういう技にとらわれてはならぬ、と。何かをなすということに、そもそも囚われてはならぬ、と。

 万事、自然に行なう不動の心が強いのだ、というの。

 折れない心が信条の私はすごく共感したんだ。けど、同時に難しいなあと思った。

 勢いとノリで、その場その場で思いのままに行動してきた。人によっては理屈がないとか、行き当たりばったりだとか、そういう風に見えても、思われても、なんの不思議もない。

 大好きないろんなことを取り込んでみて、それがどういうことなのか意識してみて、でもってそれに囚われてぐるぐる回ってどうどう廻り。

 もっと自由に、けれど技を身体に馴染ませて、もはや意識することなく使えるようになる。それが達人の心構えなのかもしれないし、さらにそれに囚われてもならない。

 ううん、ダブルスタンダード!

 ここに来て、私は私の刀と向きあう必要があるのかもしれない。

 十兵衞とタマちゃんの声が聞こえない、この状況で――……私はそっと右目の目元に触れた。

 いっそ疼いてくれたらいいのにな。

 金色や真っ黒に囚われることすらなく、あるがままに。

 無邪気に笑って「抱き締めようと思う」って決めた聖歌ちゃんみたいに?

 きっともっと先だ。

 金色で照らしたいって思う、もっと先。

 教授のような人と出会ったり、強烈な悪意や、それでなくても呟きアプリで寄せられる心ない言葉とか、何気なく、あるいは意図的にきつめのことを言われたときの、私の姿勢は?

 剣術ならこうでなければならぬ。歌であれば、あるいは刀であれば、技であればこうでなければならぬ。そんな思いに囚われることこそが、そもそも乱れを生む。執着せず、意識さえせずにそれを扱い行なうことが肝要なのだ……って、江戸時代の人がそこまで考えて行動しているの、すごすぎなのでは?

 ただね? 私たちらしく、自然に生きる行動の結果は出始めている。

 まだまだ囚われていると思うんだけどさ。いろんなことに。

 でもね? もしかしたら答えはもう出ているかもしれない。

 私の前で指輪を手にした子たちが見せてくれた。

 窮地において、瀬戸際に追いつめられてやっと見えた、水面に映る月のように自然にあるがままに浮かぶ心構えや行動の数々を。

 私自身、一度は理華ちゃんを苦しめていた姫ちゃんを体当たりで止めて、それでも泣いているあの子を抱き締めずにはいられなかったみたいに。

 自分が意識せずに行なう行動こそが、自分を映し出す鏡。

 鏡に映る自分に抱く心は、平常心かどうか。あるがままを受け入れられるかどうか。

 強い教えすぎて、まだまだかみ砕けないなあ。もしかしたら十兵衞は私にはまだ早いってずっと思っていたのかな。わからないや。

 ただ――……ただね?

 もうすこし時間をかけて、飲みこみたいなあって思う。

 そうしたら、やりきれるかもしれない。

 胸騒ぎがするんだ。右目じゃないけど、カナタの刀を受け入れた心が疼くの。

 なにかが迫っている気がしてならない。お姉ちゃんも何も言ってこないから、聞こえてこないんだけど。窮地が迫っている気がするの。

 だからこそ――……あるがままに、力に気づける機会もまた、迫っているのかもしれない。

 なら、準備しないと。


「コナちゃん先輩、カナタからなにか連絡ってありますか?」

「え? いえ、まだなにもないけれど――……ちょっと、なにかを感じるなんて言わないでよ?」

「第六感じゃだめですか?」

「そういうね、気楽に自分が見聞きしたものを安易に使うのはやめなさい。自分の言葉で相手に伝わるよう、受けとめられるようにかみ砕いてから話しなさい」

「じゃあ……カナタが危ない目に遭っている気がするんです?」

「ありきたりだけど、あなたが言うならそうなんでしょうね」

「あのう……拍子抜けするくらいあっさり信じていただけたのは嬉しいのですが、私いま不当に怒られただけなのでは」

「ちがいます。叱っているんです」

「あうち!」


 おでこにチョップを食らっちゃいました。


「去年はシオリもあなたたちも暴れ放題だったけど、今年はそういうの引き締めていくからね」

「う、気をつけます……それで、あのう。対策は?」

「いつも通りいくわよ。ただ――……そうね。もし仮に、江戸時代で誰かに目を付けられたりしていた場合には、戦う必要があるかもしれない」

「待ってください」


 腕を組んだコナちゃん先輩に、両手で畳を押して迫ってきた理華ちゃんがそっと頭を下げる。


「恐れながら、発言の許可をいただけませんか?」

「……なによ、立沢。言ってみなさい」

「ありがとうございますー!」


 顔を上げた理華ちゃんの見事などや顔にコナちゃん先輩が口元を引き締めた。けれど構わず理華ちゃんは切り込む。


「いっそ当初の予定どおり、歓待してみませんか? 切った張ったのこの時代、飲みこまれるをよしとせず。私たちは、いわばこの時代のお客さまですから。刃傷沙汰なんて、ごめんですよねえ?」

「ずいぶんとまあ、腹黒い顔で言うじゃないの……まあ、同感だけど。歓待って、どうするつもり?」

「だからあ! 江戸にいく前の腕ならしってことで、うちの調理部、綺麗どころとイケメン揃えて、もし誰かが追いかけてくるんなら、逃げてきた先輩ごとまとめてお出迎えしちゃいましょうよ。だってここ、竜宮城なんでしょ?」


 にこやかに言ってくる理華ちゃんに私は耐えきれずに吹き出しちゃった。

 そして同時に面白いなあって思っちゃった。傷つけてこようが、殺しにこようが知ったことか。あるがままに生きてやれっていう、そういう姿勢があまりに痛快すぎて。


「言い出しっぺの理華がまとめますから! ね? ね? やってみません?」


 いろいろとちゃっかりしてるし!

 手のひらを額に当てて、コナちゃん先輩は今日一番のおっきなため息を吐いてから、がくっと項垂れたの。


「どうやら、今年も大変になりそうだわ」


 江戸時代に来ちゃってる時点で、いまさらな気がします!

 言わないけどね! ハリセンが飛んできそうだし!




 つづく!

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