第五百十八話
歌いきって放送が終わったことをスタッフをやってる人が告げてすぐ、私は前のめりに倒れた。
汗だくで、頭はもう空っぽ。CMたくさんいれてもらったけど、それでも軽音楽部の先輩に楽器を出して一緒に全力で歌うのは予想よりずっと消耗した。
やばい。
「きもちいー……」
呟いて寝転がる。畳の上。尻尾が窮屈そうに揺れる。気づけば九つ。いつでも全力で戦えるくらいに回復したのは、神水をもらえたから。
仙人の豆レベルで役立ちすぎるし、でも酔うし。そもそも刀鍛冶が自分の霊子を水にこめるのも、そうたやすいことではないみたい。今のペースで飲んでいると、明日にはなくなるって怒られちゃいました。
おいしいし元気になるし、身体に悪いわけでもないならいいじゃないって侍は思っちゃいがちなんだってさ。それを作る刀鍛冶にとってはたまったもんじゃないみたい。
なかなか便利な道具ってないものだね。
それこそ、江戸時代にペットボトルのたくさん入った自動販売機はないわけで。
視界ににゅっとキラリが顔を覗かせる。
「大丈夫か?」
「お水のみたいかも」
「岡島が、ぬるくてもいいならってさ」
「あー……冷蔵庫もないのか」
「ルルコ先輩に冷やしてもらう?」
「お願いできるならー」
「待ってろ」
足音が遠のいていく。
番組やりきったぜー。でもくたびれちゃったぜー。寝ていたいぜー。
甘えていたいけど、そればかりでもいられない。
目的があるの。現代に戻るんだ。そしてコンサートの準備と新曲のレコーディングに全力を注ぐ。二年生として授業もがんばるし、後輩の面倒だってめちゃめちゃみたいし、三年生のお助けだってしまくりたい。
寝てばかりいられないのです。
「おもい」「つぶれる」「おうたきもちいい」「きらきらきんぴか」
もぞもぞと尻尾の中からぷちが四人でてきた。ちゃっかり者を先頭に、微妙に表情が違う。遅れて五人のぷちが出てくるけど、私と同じようなことしか言わない。
ただ共通して、九人とも元気。尻尾から抜けだして、機材を片付けるみんなにまとわりつこうとしたり、指示を出しているルミナにくっついたりしてる。
あーもう。お騒がせしてすみません。
「みんな、戻っておいで」
「「「 や! 」」」
まったくもう……わがままなのは同じなんだから!
むすっとして身体を起こそうとしたけど、くたびれすぎて無理だった。そんな私を指差して、ぷち九体がいたずらっ子まるだしの笑顔で笑う。ああもう!
すぐにルミナが口を開いた。
「春灯は寝てて。うちらでやっとくから! えっとー、セットは畳める? ならこの部屋に置いておこう。ここはスタジオに使うの。そのためにおさえてあるんだから!」
きびきび動く。言うだけじゃなくて、行動しているルミナが中心だったの。
体力も気力も充実してた。すごいなあって感心するばかりだ。軽音楽部の先輩たちが私の頭をそれぞれにつっついて「お疲れ」って離れていく。遅れてやってきたキラリに氷の入った水のグラスを受けとり、飲み干した。
きんきんに冷えているお水さえ贅沢なんて、江戸時代はんぱないね……!
◆
岩場に覆い被さるように竜宮城を築いたのか、お風呂は天然の岩場を利用した岩風呂でした。ごつごつしているところはちゃんと丸めるように加工されているあたり、建物構築班の仕事は完璧すぎるのでは!
「ふへえ……」
それにしてもお風呂はいりすぎなのでは。水戸の紋所が目に入らぬかにおける、お姉さんの役どころなのでは? いやいや、あそこまでの色気はないよね。ないない。タマちゃんがいてくれたらなあ。そりゃあねえ? ファビュラスマックスなお色気シーンもできたと思うのですが!
湯船にうつる自分の顔を見る。
丸い。丸すぎる。満月なのでは? しゅっとする気配がないのですが。小顔ダイエットとかするべきなのかな? いや、してるよ? してるけど……。
「どんどん丸くなってるような」
ゆらゆらと揺れる小さな火の明かりに照らされて、海が見える岩風呂の水面に波紋が浮かぶ。
ちゃぷ、と水音がして目を向けたら、キラリだった。すこし離れたところにマドカがいて、ほかにも縦割り九組の女子が思い思いにくつろいでいる。
一組から順に持ち時間を決めて入浴しているんだけど、九組はラストです。だからこそ次を待つ人たちに急かされることなく入れているのだけど。いずれ、湯船を湧かすためにがんばっているメイ先輩たち卒業生に怒られちゃいそうです。
それでもねー。お湯加減が絶妙すぎてやばいのですよ。
コナちゃん先輩なんか、ずっと湯船にぷかぷか浮かんでる。五体投地! そんな勢い。
竜宮城をイメージして作られているから、湯船自体はとっても大きい。
「明日は三組合同くらいでもいけそうだな」
キラリの言葉に「そーだねー」と緩くお答えしながら、私は膝を抱えた。
キラリはしゅっとしてるんだよなあ……。
「……なんだよ」
「どうしたらそんなに素敵な顔になれるの?」
「なんだ、どや顔のこと気にしてるのか?」
「……だって私、顔まるいし」
ぶはっと吹き出された。たいへん不服です!
「いいじゃん、愛嬌あって。あんたの顔って感じがする」
「キラリはいいよ。しゅってしてるもん」
「なんだそれ……知らないけどさ」
んーって言いながら伸びをするキラリの身体のライン、憎らしいくらい綺麗でずるい。
「別にいいじゃん。春灯は春灯で。あんたの顔、あたしは好きだし」
「――……最近のキラリ、破壊力ましているのでは」
唸る私にキラリが意味わかんないって返す。でもねー。一年生がキラリを見て「いいなあ」「つか綺麗すぎじゃない?」ってひそひそ言ってるよ。
やっぱりキラリが羨ましいよ。
じゃぶ、と音がして目を向けると、ユニスさんが出るところだった。
ゴージャスファビュラスマックス!!! 姫宮さんとふたりで話しながら、桶にためたお湯で身体を流し始めている。すこし離れたところにいるユリカちゃんは上気した肌で岩に腰掛けて涼んでいた。白い髪をしているけれど、上気した肌とのギャップが――……。
あ、あれ? もしや、私のクラス、綺麗な人だらけなのでは?
私みたいな丸顔属性はいないのでは――……な、なんてこった!
あわてはじめる私のほっぺたに水がびしっと当たる。見ると、キラリが水鉄砲を手で飛ばしてきてたの。
「なに考えてるのか知らないけど、それ絶対かんがえすぎ」
「うっぷす」
「あと、じろじろ見てないで、もうすこし羽根を伸ばせ」
「……あうち」
私だってさー。へこたれたくないんだけどさー。
こう、もうちょっと、ああなったらいいのにー、とか。こうだったらいいのにーとか。あるんですよ。それだけなのですよ。ほんとに。
タマちゃんの声は聞こえなくても、ストレッチとかちゃんとやろう。がんばるぞ! さらに丸顔が極まるかもしれないけど! それはそれだ!
「ふおおお! 燃えてきた!」
「落ち着け。のぼせるぞ」
「……はい」
キラリにたしなめられて湯船に戻る私ですよ。
それにしても――……一年生が妙にみんなして元気なの。
会議がどうとか言っているんだけど、なんだろうね?
◆
男だらけの湯とか、なにがいいのかさっぱりわからねえっす。
そう愚痴ったら、七原は笑った。
「なに、裸の付きあいというじゃないか」
「ルイは女子とよろしくやりたいんじゃねえか? なあ、キサブロウ。お前はどうなんだ」
「恋仲になった女子との混浴には憧れるな」
「素直かよ」
「スバルはどうなんだ」
「おれぁ……まあ、見るだけならな」
「僕、女の子だらけのお風呂に入ってみたいよ!」
「岡田は落ち着け」
「覗く!? ねえ覗く!?」
「犯罪だ、よせ。先輩たちが俺らんこと見てるだろうが」
つうか岡田のテンションハンパない。
そうだよねいけないよねって言いながらも元気なのはどうなんだ。
とりあえず身体を流して湯船に浸かる。
すこしだけ上部が開いた壁を隔てて聞こえてくる。
「あー……身体溶ける……」
「熱いお湯はいいものね」
女子の声だ。スバルと岡田が揃って、壁に敢えて存在する空間を見ている。
行けば覗けるだろう。そして、死が待っている。向こうからも気づかれる位置にあるのだから。敢えてそこまでして女子の裸を覗きたいか?
そりゃあ、まあ。年頃の男子だから。覗きたいか覗きたくないかでいえば、覗きたい。女子の素肌というだけで三日は戦えるくらい、持てあまして生きています。どうも、男子のひとりです。
けど無理だ。絶対にしてはいけないし、倫理を無視して覗いたらどうなるのか、考えるまでもない。間違いなく女子のみんなに嫌われ、高校生活を棒に振るだろう。そこまでのリスクは犯したくない。結局、自分はもちろん、スバルもそのへんわかっているのだろう。
行動には移さないのだ。決して。
ネットが使えないのが悔やまれる。俺たちの安らぎはどこへ! すこしでもいけてる画像を保存している奴がいたら人気が殺到するし、それは電池が切れるまでの短くて儚い命でもあった。
実に哀れ。俺たちは肌色に踊らされるばかりなのである。
「ふう……」
長いため息を吐くワトソンの妙な色気にみんなで呆れた。
いや、そうじゃない。俺たちが見たいのは、そういうんじゃなくて。もっと、こう。
「美華って天使先輩みたいだよね」
「なに、急に」
こういうのだよ! いや、妄想の中だけど!
同じクラスの女子の声に思わず耳を傾けた。
「聖歌は青澄先輩みたいで……理華はもっとこう」
「お、なんすか。そういうこと言うと詩保や姫ちゃんのことを具体的に語って返しますよ」
スバルも岡田も、キサブロウも七原も黙り込んだ。
見れば二年生や三年生の先輩たちも語らいを止めている。
ほら。男子ってこんなもんすよ。まじで。
「一年せー。男風呂が一気に静まりかえったよ。だいたい話し声きこえるんだから、刺激しないの。そういう話題禁止ねー」
「「「 はーい 」」」
ちいい! おのれ、山吹マドカ先輩!
まちがいなく男子一同の心がひとつになった瞬間だった。
しかし動じない男がひとりだけいた。
「それじゃあ、そろそろ腹を割って、タイプの話でもしてみないか?」
ワトソンの発言に一斉に怯む一年九組男子一同。
「ちょっ、おまっ」
「こ、このタイミングでかよ!」
「あちらに筒抜けなのだが」
「僕ね! 僕ね!」
「「「 岡田は落ち着け! 」」」
訂正。一名を除く。
すぐに理華が乗ってきた。
「やべえ、聞きたいなー! さあ、男子諸君! いいたまえよ!」
「どうせ……身体目当てなんでしょうけど」
「まあ聞きたくはあるよね。定番だし」
次いできつめの発言をかぶせた美華さん、妙に棘があるのなんでなの。男に嫌な目に遭わされた過去でもあるの? 元々芸能人だったようだし、重たい過去の一つもあるかもしれないが。
あと平尾は俺たちにきついのか、それとも優しいのかどちらかにしてほしい。身近な可愛い女子感がいちばんある平尾に揺さぶられるとドキドキするから!
てんぱる俺たちに微笑んで、ワトソンが口を開く。
「ちなみに僕は青澄春灯さんのような人がタイプかな」
お前、さらっと言って逃げる気だな!?
そう気づいてすぐに口を開こうとしたら、
「お、俺はっすね――……がぼっ!?」
スバルに顔を思いきり湯船に押しつけられた。
「あー俺はあれだな。気さくにあれこれ話せて軽口いいあえるタイプ――……」
て、てめえ! それは卑怯じゃね!?
おのれ! 俺の攻撃を食らえっす!
足を掴んでぐっと引っぱる。話している最中で湯船に飲まれるスバルから解放されて、勢いよく頭を出した。息を吸っている間に、
「のんびり過ごせる相手であればいい」
キサブロウがしれっと逃れた。ずるい。
「俺はァアアアアアアアッ!!!!」
「ルイ?」
理華に訝しげに聞かれたけど、言い返せない。スバルの野郎! 噛むことないだろ!
「なっ、なんでもないっすよ! 俺はっすね――……おわぁ!?」
思わず間接を決めてやろうとしたら、さらに噛まれた。
乱闘の体を示し始めた俺たちから離れて、七原が笑う。
「タイプで選びはしないが。運命を感じられるのならば、俺は迷う気はないよ」
いいこといった感じで逃げやがって!
「僕ね! 僕ね! 笑顔が可愛い子がタイプかな……うわあああ! 恥ずかしいよ、これ!」
岡田もなに流れに乗ってしれっと言ってるんすかね!
足を当てられて思いきり蹴られて派手に舞って、湯船に着水。俺も俺でスバルに蹴りを入れていたので、お互いにど派手に水しぶきを上げた。
立ち上がってにらみ合う。
「さっきからなあに? なんかうるさいんだけど」
「「 いいええ? なんでもないですよ!? 」」
詩保の声にふたりで笑うように答えながら、近づいて取っ組み合い、囁く。
「なんなんすか! 俺になんの恨みが!?」
「どうせ理華狙いだろ?」
「ななななな、なんのことっすか!?」
「あいつけっこういいよなー。攻めに回るとめちゃくちゃ強いのに、守りがてんでなってない……ああいう女って、付き合うのが楽しいんだよなあ?」
「てめえ!」
にらみ合う。掴んだ腕に入る力は増すばかり。
ばちばちと火花を散らした状況なのに、尋ねずにはいられなかった。
「スバルも理華が好きなんすか」
「別に? そうは言ってねえよ……ただ、お前に理華をひょいって取られたあの瞬間のむかつきをどうにかしたいだけだ!」
「スバルが理華にくっついたからっすよ!」
「別にあいつはてめえのもんでもねえだろ! 嫉妬する暇はねえんじゃねえか? 俺がその気になったらどうすんのかねー?」
「こいつ!」
「そうだ、殺す気でこいよ!」
囁きながらお互いに間接を決めようと必死に動き続ける。
ばしゃばしゃと鳴る水音に、女子風呂から声が届く。
「ねーなにやってんのー? つうかルイの答えがまだなんですけどー?」
「「 少々お待ちを! 」」
てめえ、おとなしく一発なぐらせろとか、うるせえ俺に殴らせろと言いあう俺とスバルにワトソンが笑う。
「日本の裸の付きあいとは、かくも生々しいものでしたか」
「いや、あれは別次元だ」
キサブロウに言い返す余力はいまの俺にもスバルにもなかったのでした。
さんざん取っ組み合って、お互いにそのむなしさに気づいた頃に卒業生の先輩たちに「さっさと出ろよ。俺らが入れないだろうが」と怒られるという目にあった……理不尽。
もたもたしていたら最後になっちまいましたよ。
ワトソンたちみんなして先に部屋戻ってるし。冷たいっすねえ。
「はあ」
ため息を吐きながら後ろ手に扉を閉めたときだった。
「あれ、ルイじゃん。湯上がりルイ!」
はしゃぐ理華の声がして、思わず顔を向ける。
彼女も風呂場から出てきたところだった。上気した頬と濡れた髪、二日目になって見慣れたはずの着物姿も妙に色っぽく見えるのはなんでなのか。
「おー。なんだ。見惚れてんのか? ばーか」
「ちょっ、な、なにルミナの部屋の真似してんすか」
「ルミナちゃんもかわいいよねー。あは! やっべー。今日楽しいことばっかだわー。ルイのてんぱってる顔みれたし?」
経験と知恵で人をくすぐる。そんなところが理華にはあるけれど、
「実はルイとふたりで話したくて、出てくるの待ってたんだよね。なので、偶然を装ってみました。さっき答えてくれなかったじゃん? 好みのタイプ。ルイがどんな女子が好きなのか気になるな-って」
でもたまに無邪気に素直にぐらっとくることを言ってくる。
「ほら……ルイと最初に会ったの、私だし。ルイのこと知らないの、なんかやだなって思って。私が一番知ってたいんですよね」
明るく言っているけれど、俺のこと気にしてるって伝えてくるんだ。待っててくれたって言ってくるのも、やばい。やばすぎる。
無理だろって思った。勘違いや押しつけには気をつけろって、時雨にいろいろと鍛えられてきたけれど、だからこそ……こういう女子には免疫がなかった。
からかっているときも多いけど。優しく言ってくれる彼女の素直な声は嘘じゃない。そう信じたい。
だって、めちゃめちゃ可愛い!
やばい。こみあげてきた。めちゃめちゃ抱き締めたい。
は? なんで? なんで俺がそんなこと考えてんの? やばくないっすか? やばいっすよ!
「ほら、ふたりで水でも飲みにいくべ――……」
ぺたぺたと足音を立てて離れていく背中に切なくてたまらなくなり、思わず手が伸びた。
ぐっと堪える。これは俺の欲でしかない。理華がいやだったら? 傷つけるだけ。
そういうタイミングじゃないでしょ。考えてみろ。ただ風呂場を出て、待っててくれた理華と顔を合わせた、たったそれだけじゃん。だめだって。いや、待っててくれたんなら、すこしくらいは。そのすこしって、どれくらいなの? ちっともわからない。
「ルイ?」
ふり返る。小首を傾げて、自分を信じてくれているのか無邪気に笑っていて。
たまらなく可愛くて、なんか理由なんてそれだけで十分じゃないのかなんて思えて。
でもいきなり抱き締めるのがアウトなら。なら? わっかんねえ! わっかんねえけど!
「お、俺……俺っ!」
「どしたの?」
「りっ……理華が、好みのタイプっすから」
「え――……」
「だっ、抱き締めたいっていうか、めちゃめちゃ抱き締めたいんすけど!」
「え、え!? え!?」
理華の顔が湯上がりだけじゃ足りないレベルで赤く染まっていく。
「――……私のこと?」
目がグルグル回って、自分を指差して。
「理華だけっす」
「あ……そ、そう……ふうん? ……そうなんだ」
頷いてみせたら、俯いて。
落ちつかなそうに両手を組み合わせて、
「そっか……ま、まあ? ルイなら、やじゃないっていうか」
そんなことを、囁くもんだから。
ぎゅうううううん、と。自分の中のありとあらゆる立沢理華に対するメーターが振り切れて、爆発した。
「りっ」
「待って!」
足を踏み出そうとしたら、手を突きつけられた。なぜに?
「待って。待った。そ、そりゃあ、私は今日の授業で話したけど! はっ、肌のこと! でもほら、私たちは現代の人間なわけで!」
「いやでもシンプルに考えるべきって言ったのは理華だし」
「ぐっ……うううう、そうだけどぉ……なんていうか好みのタイプってだけだと、その、ねえ? 踏み切れないっていうかさ!」
「いや、でも……え? わ、わかるでしょ! この流れなら!」
「そうだけどぉ!」
足踏みされた。もどかしそうに。
すごく、きっとすごく珍しいことに。もしかしたら、立沢理華にとっても人生初かもしれないレベルで、照れていらっしゃるようで。
「……もっと、ストレートに言って欲しい。うれしいから、よけい……」
か細い声に、ここは正直に告白すると。
むらっときた。すごく。
「あ、あの……だめっすか?」
だからこそ、それで押したりはできなかった。
すごく繊細なこの距離感を壊してしまったら、それだけで未来はすべてなくなってしまう気がしたから。
照れまくって涙目になった彼女が、やっと顔をあげて上目遣いに自分を見て、言うのだ。
「お預け!」
「えええええ!」
「無理! だめ! 早すぎ! なにもかもが唐突! 恋ってそういうものなのかもしれないけど! 悪くねえなって思ったけど! 私なにいってんのかな!」
「し、知らないっすよ!」
「でもだめ! お預け!」
「なんでなんすか!」
俺を威嚇するように、きっと睨みつけてから。
「私のことが好きって言えるまで、許してあげません!」
そんなことを言って、きっとめちゃめちゃてんぱっているから駆け出そうとしてつまづいて派手に壁にぶつかって。
「あうっ……くうう! み、みんなよ!」
それでも理華は照れかくしを言って、逃げるように走り去ってしまった。
耐えきれずにその場にへたりこむ。
顔が熱い。
なんだよ、もう……まじで。
「そういう言い方、反則すぎだろ」
わかってないんだろうけど。
俺が好きって言ったらOKって……理華の気持ちはじゃあ、ってならね?
破壊力抜群すぎる。眠れる気がしない。
「まじで、悪魔だ」
心ならもうとっくに奪われていた。
答えは出てる。あとはもうタイミングだけ。そしたら? そしたら――……。
「あああああ!」
たまらず転がって壁に激突したところで、水を持ってきてくれた七原に見つかった。
「なんだ。のぼせたかと心配になって水を持ってきてみれば……思春期か?」
「……まあ、そんなところっす」
それ以外に答えようがないよね。
◆
あほ。あほ。あほ!
ところどころにがつんがつんとぶつかりながら、やっとの思いで部屋に戻ってきて、みんなが見つめてくるのも構わず布団に頭を突っ込んだ。
私の超絶おばか! うわああ。うああああああああああああああ!
死にたい! なにあれ! なにあれ! とっさになったら準備していたもののすべてが出せるわけじゃないなんてわかってはいたけど! でも! でも! あれはない!
「理華、大丈夫?」
着物をくいくい聖歌に引っぱられて、絞り出すように大丈夫って答える。
でもむり。ちっとも大丈夫じゃない。足をぱたぱた揺らす。不意に掴まれて、一気に引っこ抜かれた。ふり返ると美華と詩保が私も真っ青な悪魔の笑顔で見ています。
「さては残って話すって言った」「日高くんとふたりきりで」
「「 なにかあったな? 」」
「くっ……」
コイバナ大好き女子クラスタかよ!
「まあまあ。人の恋路はそっとしておくものだよ」
「姫ちゃん!」
「そっとしておくけど話を聞くのが許されるなら、私も喜んで聞くけど」
「姫ちゃん!?」
やばい。待って。ちがう。ちがうって。こういうの私のキャラじゃないって。
「だいたい入学してから一週間も経ってないのに。早すぎるだろ! ないないない! 修学旅行テンションで付き合う男女並みにないって!」
「私の友達、旅行きっかけで中学からいまも続いているし」
「うちの両親、それ繋がりで結婚してるし?」
姫ちゃんと詩保の実例ぃいいい!
「ちがうちがう! 別に告られてはいない! 間違いなく、告られてはいない!」
「「「 じゃあ何を言われたの? 」」」
おいこら。言われたの前提かよ。まあ当たっているけども!
「……私が好みのタイプだって」
「「「 それはもう実質、告られているのでは? 」」」
わかってるよ! でも!
「遠回しなのは好みじゃないんです!」
「「「 嬉しかったくせに 」」」
「ハモるのやめて!?」
「嬉しかったくせにー」「嬉しかったくせにー!」「嬉しかったくせにー!!!」
「輪唱もやめろ! かえるのうたじゃねえんだぞ!」
三人そろってどや顔してくるの、ほんと腹立つ!
「で?」
聖歌の端的な問いかけもきついです……。
「いや、まあ……抱き締めたいとか、いうからさ」
「「「 おおお! 」」」
みんなして前のめりになんな! 圧がやべえから!
「……お預けしてきた」
「「「 はああ…… 」」」
一斉にため息つくな!
「だ、だって……好きだって言われたんならまだしも、好みのタイプだぞ? 無理だよ……」
むすっとしながら言ったら、寝転がりながら詩保が妙に色っぽい声で言うんだ。
「意外。理華ってかわいいところあるんだね」
「どういう意味だそれは!」
「いいんじゃない? これに懲りて、日高くんも次のタイミングはもっとがんばるだろうし……」
「いったい何目線なんだ」
「いやあ……男女共学の宿命だねー。しっかし頭でっかちに見える理華がトップバッターとは、いやはや。実学じつがく」
「詩保せんせえ。あの。何が言いたいのでしょうか」
「べつにい? ただ……続報、待つ!」
「だから何目線なんだ」
「野次馬目線」
「それくらいわかるわ!」
枕を持って軽くぶつける私に笑う詩保。枕投げのタイミング到来だとばかりに聖歌が混じって、美華に当たって大乱闘。
きゃいきゃいはしゃいでいたら、会議を終えた生徒会長が戻ってきて大目玉かと思いきや、やるならもっと勝つ気でやれって言われてもう大騒動!
卒業生の真中さんが湯上がりの顔を真っ赤にして怒るまで、みんなでさんざんはしゃぎまわって、結局は、南さんの提案で女子一同でもういちど風呂に入ったよ。男子には内緒で壁をとっぱらってね!
湯上がりになってやっと、一階の広間に移動して待ちくたびれた顔をした男子たちと一年生会議をした。ルイとは目を合わせられませんでした。一晩くれ。頼む。
会議自体はね? 一言でいえば捗ったよ。
まーねー! そこはさすがの理華ちゃんですよ! なんつってな! うそうそ。一年生、これで意外と個性的な連中が揃ってる。二年生にも三年生にも負けてらんないのだぜ? その気持ちはみんな抱えていたみたい。やっぱりねー。上しかいないと存在感と自己主張するためには、同じ立場の連中で団結するしかないよね。
わりとさくっとまとまったぜ。おかげさまでな!
とはいえあれこれ動き回ったせいか、部屋に戻って枕を片付けて横になったら、すぐに眠気がやってきた。
心地よい疲労感に包まれながら、聖歌と手を繋いで瞼を伏せる。
考えたの。
恋ってよくわかんねえなって。
頭でするだけだと心が置いてきぼりになるし、心でするだけだと現実的な問題が置いてきぼりになる。両方でやろうとすると、それが合致する相手なんてなかなかいないから、どちらかをなだめすかせることになる。
でもさー。春灯ちゃんを見てると、そういうところで恋してない気がする。
子宮の声とか? そういう信仰が世の中にあるのは知ってるけど、なんだかそれも春灯ちゃんのやり方じゃない気がする。
それってなんだろう。やっぱりよくわかんない。
「ねえ、理華……起きてる?」
聖歌の声に瞼を開けた。不安げな聖歌と目が合う。
「こっちくる?」
「うん……」
もぞもぞと動いて、聖歌が私に背中をくっつけてくるからぎゅって抱き締める。
さみしがりやなのはもう知ってるからいいの。
ぽかぽかの体温を感じながら、肌を合わせるって不思議だなあって思った。
男と女の性っていうと、そりゃあもう……ね? キスとかセックスとかさ。そういう話になって、それってとってもきわどくて、世の風潮的には十八歳以上推奨とかそういう制限があって。
でもべつに……そういうことだけじゃねえべって思う。
聖歌とこうしてくっついているように、ルイと恋愛するなら……こんな風にくっつくだけのときもできるはずで。
肌を通じて体を知り、体を通じて熱やかたさ、やわらかさを知る。
そうして――……命を知るのだろう。
理屈じゃねえし。頭でも心でも理解するべき真理なのかもしれない。
「……聖歌はさ」
「うん?」
「聖歌は……恋って、なにですると思う?」
素直に知りたかった。
聖歌にとっての恋の定義。
「――……私は、そうだなあ」
お腹を抱く私の手に手を重ねて、聖歌が深呼吸をした。
眠りが近いのかもしれない。それでも聖歌はきちんと答えてくれたよ。
「魂、かな」
「魂?」
「考えるより、こうしたいって思うより……もっと、強い衝動」
「……衝動?」
「息をしたり、寝たり、食べたり……そういうのと同じ、無意識にしちゃう衝動。生存、戦略」
生存戦略かあ。いいな。それ。すごくいい。
生きるって、それだけでもう戦いだ。
だとしたら生きるために自然に導きだされる答え。それが魂でする恋なのかも。
頭とか、心よりもっと深い――……自分が生きる活動の流れにある、自然と導きだされる魂の答えか。いいな!
「理華は、ルイに恋してるの?」
「――……それが私の生存戦略なのか、きっとすぐに答えが出るよ」
「なんで? ……ふ、ぁあ……あふ」
「んーそうだなあ……なぁんとなく、なんですが」
私の魂がそうささやいている気がするの。
そう呟いて、聖歌と一緒に寝た。
いちおう理由はあるんだけど、それってそれほど必要かなあって思いもする。
ただね? たださ。
なにげなく話したいっていうだけで、急接近するんなら。
ルイと私の関係は、たぶん自然に素早く変わっていくと思うんだ。
だってさ? 朝、部屋を片付けて食事が運ばれてきて、男子がやってきたときにルイと目が合ったんだけど。
お互いの間に流れた空気の特別さを……私もルイも、無視できなかったから。
きっと、答えはすぐに出るよ。
つづく!




