第五百十四話
聖歌の手がどんどん強ばっていく。
そりゃあそうだよね。あちこちから悲鳴が聞こえるし。授業をしているのはなにも一年九組に限らない。
ほかの一年生も「ちょちょちょ! 空に投げるのなんで――……ぇえええええ!」とか「水が! 水が追いかけてくるんですけど!」なんていう具合に、多種多様な悲鳴をあげていますよ。
それでも頂上を目指すのは、第一におにぎりのため。第二に一年生代表に選ばれておきながら情けない真似を晒すくらいなら指輪を得たプライドに懸けて活躍したいから。それに、頂上のそばに行けば行くほど窮地にたどりつきそうな予感があった。
そうしたら、聖歌が力を手に入れられるきっかけが手に入るかもしれない。
授業の目的は明白だ。私たち一年生が力に目覚めること。あくまでそれは最終目的であって、一年生全体の目的で言うのなら、江戸時代を生き抜くための心構えを作るほうがもっと危急で大事なのだろうけどね。
見抜いているのなら、生徒として一緒になって参加するよりも、春灯ちゃんたちと同じことができるようになりたい。願うなら、行動を。
「り、理華、足が、もう」
「ごめん」
気ばかり急いていたのかも。
荒い呼吸を繰り返す聖歌に足を止めた。耳を澄ませるまでもなく、聞こえている音がある。
金属がぶつかりあうような音。ときに甲高く、ときににぶく、耳障りな擦れ合う音になったり、或いは炭同士をぶつけた時のように軽く、目まぐるしく変わりながら激しく衝突し続けている。
「あそこ、いく、の?」
「深呼吸して――……そうだね。放っておいたほうが無事にたどり着けるけど。聖歌はどうしたい?」
「仲間が困ってるなら、助ける」
「そうこなくちゃね」
迷わない聖歌が頼もしく誇らしくもあり、同時に不思議にも思う。
どちらかといえば一匹狼だった聖歌と行動を共にすればするほど、この子は人を素直に思える子だ。かすんじゃうくらいお姉さんが凄かったのかもしれないけど、それにしたって……聖歌のクラスメイトになったらほっとかないよなーって思うことのほうが多いのに。
しんどいなー。社会で生きるのは……みたいなことかな?
素直に接するのはねー。剥き出しになるからねー。相手が少しでも辛辣さを見せると、それだけで追いつめられて苦しんでしまう。効率的とは真逆の生き方だ。
鏡なんだよな。誰もがそうなんだけど、特に聖歌みたいに素直に生きている人たちって鏡になるんだ。自分の接し方によって、自分の生き方や捉え方が露わになるんだよ。
そう考えると、聖歌が自然であればあるほど自分に対して無意識に呪いをかけている奴ほど苦しむだろうし。それは衝突と軋轢を生むのだろう。聖歌に理由を押しつけて。
あーやだやだ。こういうことを考えている暇はねえのにな。ほっとけないって思うと、ふつふつと浮かんでくる。この子がこれまでほっておかれた事実に対する怒りみたいなものが。
お尻がむずむずしてきた。尻尾が出たがっている。やばい、やばい。また悪魔になりかけてる。
深呼吸をした私を、唐突に聖歌が抱き締めた。あまりに急すぎて固まる私に、聖歌が心配そうな顔をして見つめてくる。
「なんだか、つらそうだった。だいじょうぶ?」
「――……あは」
笑った。あーなるほど。聖歌のお母さんの言うとおりだ。
みんなでレールに乗っていきましょう。振り落とされた人はだめな人です。放っておきましょう。それが自己責任です。彼ら敗者の数が増えるほど、レールの先には価値が生まれます。
そんな生き方してたら、聖歌は受け止めらんないわ。理解さえできないだろう。
この子は迷わず触れる。手を伸ばすに違いない。
これほど――……私が知りたいクラスメイトも、なかなかいないぞ。
「天使の抱擁で元気百倍ですよ。どうも」
「へ、変なこと言うよね」
「聖歌ほどじゃねえけど! ……さて。動けそうです?」
「ん。だいじょうぶ、なんだけど」
なぜか聖歌は私から離れて、山の下、館を見おろした。
「どうかしました?」
「……何か、くる気がして」
またまた。そう笑い飛ばしたかったんだけどね。
『彼女の言うとおりだな。狐娘がくるぞ!』
まさか、と思ったときにはもう遅かった。
「――……ぃいいいいいやっほぉおおおおう!」
ご機嫌な声と共に空から降ってきたんだ。
目の前、坂になっているところに、春灯ちゃんが。
着地した瞬間に埃が噴き上がる。聖歌を思わず抱き締めて庇う。背中にめっちゃ風と小石があたる。
「いたたた!」
「あうち!?」
なぜか春灯ちゃんと悲鳴をあげる行動がかぶったよね。
「けほっ、けほっ」
「り、理華、いたいよ」
「ご、ごめん」
やっべ、急すぎて力加減できなかった。
あわてて離して、胸に手を当てる。戦わなきゃいけないなら、私がやるべきだと思って。
だけど、
「――……ちょ、ちょっと、ちょっとだけ、待ってくだしい」
這いつくばって足を必死に伸ばしてる。ぷるぷるしている春灯ちゃんを見て、聖歌が恐る恐る問いかけた。
「もしかして……足がつってるの?」
「は、はずかしながら。じんじんします……ああひっ!? ぴんって! ぴんってしないとじんじんきちゃううう!」
思いきり目をぎゅっと瞑って必死に足を伸ばしているけれど、だめみたい。
わかるなあ。足がつった時ってさ。ポジション決まらないと、痛いよね……。
呟きアプリを見てツバキちゃんに次ぐ青澄春灯愛好家を自認する理華は、もちろん春灯ちゃんが残念なところもたくさんある女子だということを理解していたけれど。
まさかこの目で見ることができるなんて! スマホをだしてめっちゃ撮りたい! ああでも春灯ちゃんにきらわれちゃうから無理! しょうがねえ、見守るしか!
「待って」
悪魔な私よりもっとずっと素直に天使な聖歌が春灯ちゃんに駆け寄る。
ぷるぷるしている春灯ちゃんの足に触れて、膝を伸ばさせて、つま先をあげさせた。
「ゆっくり息をして」
「う、うん……いたたた! あうち! のう! おうっ!」
「だいじょうぶ……だいじょうぶ」
優しく語りかけながら、けれど春灯ちゃんの足に触れる聖歌に迷いは一切なかった。
つま先をキープして、春灯ちゃんがふうってすこしでも気を抜いたらゆっくりと戻し、またつま先をあげるのを繰り返す。
だいぶ楽になったのか、ふうってほっとする春灯ちゃんの足をそっとさする。マッサージしているのかも。
「理華、手伝って」
「あっ、えっ、あ、は、はい」
あまりに手際がいいから驚いている私に呼びかけてくる。
あわてて春灯ちゃんのそばに駆け寄って――……けど、なによりまず最初にお礼を言いそうな春灯ちゃんが黙り込んでいる理由に気づかされた。
春灯ちゃんの足をさする聖歌の手がぼんやり光っていた。
なによりびびるのは、聖歌はそんなことに構っていられないとばかりに真面目な顔をして春灯ちゃんの足をマッサージすることに真剣なところ。
言葉を失う私と春灯ちゃんに構わず、聖歌は足をさする。
「痛みなんて、どこかへいっちゃえ。だいじょうぶ、だいじょうぶ。痛くない。痛くない」
唱えるように、祈るように。
そんな聖歌が触れたところから、光が春灯ちゃんの足に染み込んでいく。
そうして――……春灯ちゃんの胸から噴き出てくる。金色の光が。それは循環して、輪を作って――……聖歌の薬指に指輪の形に嵌まっていく。
「ふわっ!?」
突然、春灯ちゃんが驚きの声をあげた。
尻尾がぶわって膨らむように生えたんだ。なぜか三本だけになっていた春灯ちゃんの尻尾が、一本増えて四本に。
「うぃっく、うぷっ……し、神水が回ってきた……も、もうだいじょうぶだよ……うぷっ、うう、う、や、やばいかも……別の意味で」
聖歌ちゃんの背にそっと触れて、青ざめた顔をして口元を押さえてる。
迷わず春灯ちゃんの背中をさする聖歌の指輪が煌めき、春灯ちゃんの身体を光に包んでいくの。すると、どうしたことか。
「あ、あれ――……気持ち悪くなくなってきた。むしろ――……ぽかぽか、あたたか……ぐう」
ころん、とその場に寝転がって「すかー」と気持ちよさそうに寝息を立て始める。
春灯ちゃんの頭をそっと抱き上げて膝枕をした聖歌が苦笑いを浮かべて言った。
「動けなくなっちゃった」
って、おい。
「いやいやいやいやいや! いろいろ! 待って! いろいろあっただろう、ツッコミどころが! そう言いたいんだけど、それよりいろいろありすぎて理華の整理がつかねえ! 待って!」
「理華……寝てる人がいるときは、静かにするものだよ?」
「そっ――……くっ」
深呼吸をして、頭に手を当てた。
ほんと、春灯ちゃんだけじゃなくて、聖歌も退屈させないよね。
整理して分析して知識に変えたいこととか、共通認識に変えたいことがやまほど目の前にある。けどそれは、今回の授業が終わってからでも遅くはない。ひとまずは。だな?
『――……ふん。まあ、現状では周囲に怪しい何かは感じぬよ』
なら、
「春灯ちゃん任せてもいい? 上の連中――……たぶん、美華たちに合流してくる」
「ん。気をつけて」
熟睡している春灯ちゃんを膝に乗せた聖歌に言われちゃうと、腰砕けになりそうだけどね。
見れば春灯ちゃん、目に隈ができていた。いろいろと抱えているのかもしれない。一年生よりも二年生、二年生よりも上級生。そんな空気はたった一日ではっきりと感じられるほど。それでよしとするようなタイプの人じゃないもんね。
そんじゃまあ……いってきますか!
◆
おにぎりほとんど取られましたけど。
春灯ちゃんの面倒を見ていた聖歌はふたつ。姫ちゃんと詩保は三つ。男子と残りの女子はみんなひとつだけ。
おにぎりひとつ勢で下手人の先輩を見る。
「どんなにひとくちをたくさん噛んでも……足りない」
銀髪の美少女、ユリア・バイルシュタインの名前は一年九組のトラウマになりそうだった。
いやさー。美華と合流したぜ? ツバキちゃんとふたりで慣れないながらにキラリちゃんに挑んだぜ? けどさ。
「キサブロウとスバル、だらしなさすぎじゃね?」
「面目次第もない」「うっせえなあ」
「ルイも七原くんも、マドカちゃんにぼこぼこだったって?」
ルイを睨む。なさけなっ! お前ニンジャじゃねえのかよ。
「……あの人、まじぱないっす」
「常に上手をいかれては、能力があろうと意味がない。実に見事な先輩だ! あっぱれ!」
七原くんはおにぎりを片手に朗らかに笑う。
彼を恨めしそうに美華が睨んだ。
「あなたたち男子が粘っていたら、先輩たちがこちらにくることもなかったのよ……ワトソンと岡田はなにしてたの?」
「僕たちは早々にユリア先輩にやられたね。岡田くんは幸せそうだったよ」
「あんな綺麗な先輩に全力で追いかけられるの、僕、わくわくしたよ!」
岡田くん、やばい奴かもしれない。目をキラキラさせてときめいている場合か?
深いため息を吐く。
「やべえ……飯がわびしい」
おにぎりひとつ。たくあんふたつ。野菜の煮物、ただし味はない。
これじゃあ理華のお腹はときめかない。
「今夜は魚だって!」
「この野菜に醤油やみりんの味がしない時点で、ただ焼いただけの調理と見た。せめて塩をくれ」
唸る私の横で、美華が肩を竦める。
「効果的に痩せられそうだけど」
「聖、それは間違いだ。粗食は心を貧しくする。少ない食事も楽しめなければ意味がない」
目の前の献立にへこんでいる自分を鑑みれば、キサブロウの言葉には説得力しかねえな。
しゃあねえ。切りかえていくか。
「うまい飯くいたいし、ハプニング的な事件から旅行に変えるのはもう決定事項。となると、次の問題はいかにこの旅を楽しめるものに変えるか……何かやれることはない?」
「先輩たちが考えているんじゃないの? 一年がでしゃばるところじゃないと思う」
「詩保せんせえは真面目でいらっしゃる」
「スバル、あんた私にケンカ売ってんの?」
「常時な。それより俺は理華に意見するぜ。首脳会談、俺らも混じって舵をきる手はねえのかよ。一年代表、もっとがんばれよ」
スバルは煽るのが基本だな。あーもう。めんどくせ。
「他人に押しつけてないで、あなたがやったらどうなの?」
「よせ、美華。絡むなって。スバルはどうせ、俺に任せたらケンカしてくるけど、みたいに言うんだから」
「代表様はようくおわかりで。もうひとりはそうでもねえみたいだけど」
「あなたねえ!」
「ほらな。飯が足りないとかりかりするんだよ。それとも血が足りないのかもしれないけどなー」
「――……っ!」
思わず顔を真っ赤にして立ち上がる美華にスバルが笑って構える。
根っからのケンカ性。戦っていないと気が済まない、好戦的って言葉じゃ足りないくらいの問題児。
スバルに心乱されるだけ無駄だ。とはいえ、まあ、すごく癪だけどスバルの言葉にちょっとした、けれど決して無視などできない問題を思いだす。
美華の手を取って座らせようとしたのは、私と聖歌だった。
深呼吸をして、それでもスバルをきつく睨みながら座る美華に当のスバルはつまらなそうに肩を竦める。
女子はまとまってきてるけど、男子はまだまだだな。制御役がいる。そうしないと火種を抱えて行動する羽目になるし、それはよくない。
期待している人は一応いるんだけどね。ふたりを見た。ワトソンくんはおとなしいし、七原くんは静観してる。まだ様子見か? それじゃあ困るんだが。
ともあれ話を進めないと、ケンカが広まりかねない。
「まあ、そうですねえ。首脳陣会議に混ざれる流れを作りたいですねえ」
「できれば九組、それも一年代表二名が絡める形で頼むぜ-。ひとりは頼りないけどなー」
男子って、なんでこううっとうしい言い方しかできないんですかね。そういうところが評価を下げて敵を作るって理解しないと、呪いが深まるだけなんですけど。因果応報と申しますが、まじで言った言葉は自分に返ってくるよ? 一応、ちゃんとした理屈というか理論はあるんですけどね。それを話すターンではないんで、またいずれそのうち。
「ああもう美華、ああいう言葉は無視するに限りますよ。構ってちゃんなだけですからね。でもまあスバルの意見自体には賛成かな。私が絡みたいからという一点に尽きますが」
問題は山積みだ。
一年生全体の意識統一を図るタイミングがいる。
私が勝手にすれば私の責任となり、引いてはその構図がいらない軋轢を生む。
全員で決めたという流れが必要だ。とりあえず納得する、というだけの単純な段階を踏むか踏まないか。たったひとつのプロセスの有無による精神的な影響は、実は長期的に見るとバカにできないものだった。
まあそれが形骸化すると毎週毎朝やるうんざりするような意味のない会議とかになるんですけどねー。それはおいておくとして。
二年生も三年生も卒業生も、学年ごとに首脳陣めいたチームが決まっていて、そのチームが決めたことに従うプロセスができあがっている様子。化け物退治を学生の段階で定期的に行なうことや、入学に際して怪我をする可能性もあることをくどく説明されることからも、団結が必要なのだろう。
対して一年生はそのあたりがまだまだだ。当然だけどね。昨日入学したばかりだし。でも甘えてもいられない。なによりもったいない!
「昼の休憩に一年を集めたいですねえ。ルイは各クラスの男子、ワトソンくんは各クラスの女子を対象にする形で、それぞれ一組と八組からお互い逆に声を掛けていってもらえます?」
「そんじゃ俺は一組の男子から声をかけるっす。できるだけ気さくに」
「なら……僕は八組の女子から。男女に対して露骨じゃなければいいんだよね?」
「そゆこと!」
ふたりとも異論を挟まない時点でわかってるねー。
スバルにもキサブロウくんにも頼みづらい。七原くんはまだ未知数だからなー。ルイに頼むしか無いよね。男子相手にきれいどころをださない理由は一点だ。きれいどころの女子、たとえば聖歌や美華を行かせたら女子のヘイトを集める。女子のヘイトは厄介だぞー、まじで。姫ちゃんは繊細だし、詩保はこういうことを頼めるタイプじゃない。私とケンカをする時点で私も詩保も控えたほうがいい。
そして女子にはイケメンを捧げる。イケメンは男子のヘイトを集めないのかって? 女子と同じだろって? いいんだよ。だからこそ、気さくに誰とでも話せるルイをセットにしてんの。男子が声を掛けているっていう状況を作れればさ。男子が声を掛けて回っているっていう形になるし、ワトソンくんが露骨に女子に絡まなければ「あ、イケメンがきた」くらいのもんだって。
ふたりが早速立ち上がって移動を始める。スバルは見送ることすらせずに雑魚寝を始めた。九組が集まる部屋できれいどころの女子だらけ。誰に対してもきついことを言うけれど、女子だから構えるとかそういう気配はなし。キサブロウも基本的には物静かだ。
むしろ賑やかなのは岡田シンゾウくんね。
「ああ、お腹がすいたときのお米がおいしいって本当だったんだなあ! 僕、野菜の味がこんなに濃厚だったなんて知らなかったよー! たくあんも噛めば噛むほど味が出るよね! スバルはどんなご飯が好き? 僕はねえ! 味噌汁!」
「聞いてねえよ」
「キサブロウは?」
「流すのかよ!」
「そうだな……座布団に座っているから、たとえば肉ならザブトンだな。焼き肉が好きだ」
「お肉いいよね! 僕ね、羊の肉をこないだ初めて食べたんだ! 聖さんや夏海さん、羊肉食べたことある!? ちなみに時任さんと平尾さんはお肉より魚派!?」
むしろ、うちのクラスで一番やばい奴かもしれない。
「魚……かな。好き嫌いはないよ、私」
「姫みたいに言えたらいいけど……最近は豆乳と大豆食品、それにわかめとサプリメントばかりね」
詩保の言葉に思わず岡田くんが畳をぺちっと叩いた。
「だめだよ! キサブロウが言ってたけど、ご飯はおいしく食べなきゃ! 炭水化物だって大事なエネルギーなんだよ!? 悪者じゃないよ!」
「わ、わかったから。おにぎり食べたでしょ!」
「これはチェックしないと……平尾さんって、聖さんみたいな体格的な細さじゃなくて病的な細さに見える。それじゃあ心配になるよ!」
「は、はあ!?」
「スバルもそう思うよね!?」
「俺に振るなよ……まあ、ぽちゃってるくらいが可愛いんじゃねえの?」
「ほらああああ!」
ぺち、ぺち、と畳を叩いてアピールする。それにしても非力すぎるだろ。普通なら「うるせえ、どんどん叩くな」って怒るところなのに、聞こえてくる音があまりにもしょぼすぎて笑うしかない。
対して詩保は、その頼りない音に反撃を開始した。
「とかいって! すこしでもお腹のお肉が掴めたら、何度もどや顔で太ったっていうのがあんたたちじゃない」
「……まあ、要するに男子って胸とかお尻とかしか見てないよね」
「だけど腰はくびれていなきゃだめなんでしょ。やらしい目でしか私たちを見ないのが、あんたたち」
姫ちゃんと美華が加わる。こうなるとめんどくさい。
「そ、それとこれとは話が別だよ! そうだよね、スバル!」
「だから俺に振るなって……まあ、あばらが浮いていても何の自慢にもならねえと思うけどな」
スバルの言葉に女子三人の顔が険しくなる。ケンカをふっかけてばかりのスバルもさすがに威圧されたのか、仕方なく身体を起こして言うのだ。
「いや、お前らのあばらが浮き出ても……俺らは言わないよ。あばらが浮いてる、わあすごい! 指で撫でたらどんな音がするんだい? なんてな」
やばい。吹き出しかけた。
美華たちが争っているからなんとか堪えたけど、スバルの意見はたしかに的を射てる。そして同時に、大きく外してもいる。
「別に私が綺麗になろうとしているのは男子のためじゃない」
「……まあ、自分磨きでしかないよね。あくまで。それをしていない人を馬鹿にするかどうかも、結局その人の品性と器でしかないし」
「要するに私たちは私たちのためにがんばっているの」
女子三人の結束を前に心底めんどくさそうな顔をしてスバルが再び寝転がった。
「岡田。がんばれ」
「そ、そんなあ! キサブロウ、七原くん! 援護してよ!」
「その必要を感じないな」「ああ、俺もだ」
ふたりして静観の構えとなると、岡田くんはあわてて畳をぺちぺち叩く。
「そ、そんなあ! おいしくご飯を食べるべきだし、別にきみたちをえっちな目でしか見てないなんて、そんなことないわけで。そこは信じてもらうしかないよ!」
「でも」「太ってるのは」「やなんでしょ?」
「誰かああ!」
岡田くんが悲鳴をあげはじめるから、しょうがないなあ……。
「価値観の変遷を踏まえて、もっとシンプルに、自分のこと、自分のしたいことを捉えたほうがいいんじゃないかな」
結論を伝えるけれど、ぴんとこないみんなに説明する。さあ、やるべ。
「太ってるのはやだっていうか……体型を気にしているのは自分のためだとかいいながら、結局他人の目を気にしているが故の行動なんですよね」
みんながこちらを見てくるから、続ける。
「責める理由になると誰もが共通認識として持っている――……かのような空気が満ちているけれど。たとえば江戸時代。この時代の人たちの食事はまだまだ戦国時代からうつり変わっている段階なので、体型の自由はあまりなかったんじゃないでしょうか」
胡座かきたいなー。掻いたらパンツ丸見えなんだよなー。
「ではいつから、誰が、なぜ……体型によって人を区別し、非難していいかのような空気を作ったのか。答えはいくつも浮かぶでしょうが、最初にはっきりと出てきたのは戦時中じゃないかなーって理華は思います。さて、理華がそう思うのはなぜでしょう……スバル!」
「あ?」
答えられなきゃ自分で言うし、スバルがどの程度の考えでいるのか知りたくて振ったんだけど。
「戦時中の苦しい食生活のなかで、肥えていたら自分たちが苦労しているのに、いいもん食いやがってとか……そういうことじゃねえのか?」
「まあね! 戦後もそれは同様ですよねー。空襲を免れた地域ならいざしらず、そうでなければ食べるのもやっとなんていうのは、ひいおじいちゃんやおじいちゃん世代の人たちがよく言うことです。さて」
思いのほかぴんとくる答えに乗ってくれたから、興も乗る。
「江戸時代からキリスト教の存在が広まっていきますよね-。キリシタンって聞いたことくらいありますよね? それはなにかな……姫ちゃん!」
「戦国時代の後、カトリックの信者や伝道者……と、その働きだった?」
「だったかな、と! でもって、キリスト教の広まりと共に日本の価値観はいろいろ変わっていった……なんて説を聞いたことがあるんですよね。さて、キリスト教……おもにカトリックにおける、ある罪の概念があります。さあなにかな?」
みんなして、首を捻る。けどねー、ツバキちゃんが恥ずかしそうな顔で手を挙げた。
やっぱりツバキちゃんにはわかるよね。そうだと思った。
「どうぞ!」
「……七つの大罪?」
「そゆこと! ちなみにその定義は?」
「時代によって、さまざま。でも今回は暴食、色欲、嫉妬、憤怒、怠惰、物欲、高慢……にしようかな」
「いーっすね。まあはっきり結びつく証拠があるとか、そういう話じゃないですけどね?」
足を崩して女の子座りをしながら結論づける。
「たくさん食べる、その象徴たる肥満は罪である、という概念が広まったんじゃないですかねえ。元々農民が多かった日本にとって、そもそも太るっていうのは、それだけたくさん食べられることの象徴でもあり、嫉妬の対象だったから、相性がよかったんじゃないかなあ」
「ま、待ちなさいよ。じゃあなに? 太ってもいいって言いたいの? 理華だって華奢じゃない!」
「まあまあ、詩保。最後まで聞いてくださいよ」
片手でなだめて続ける。
「ぶっちゃけ、他人に決して干渉されるべきではない個々人の美意識と、最終的には健康問題でしかないと思うんですよ。医者は適度な運動と食生活のコントロールをオススメしますからね。でもそれだって――……究極的に言っちゃえば、延命治療をするしないと同じくらい、個人の自由なんです」
詩保と姫ちゃん、それに美華までもが揃いも揃って不思議そうな顔をする。
「だって、長生きしようが太く短く生きようが個人の勝手じゃないですか。健康的じゃなくて先が長くないからお前の生き方はだめだ、なんてのは……正直、余計なお世話だし、何様のつもりだって感じです。家族が長生きしてくれよっていうのとは、わけがちがうんですよ」
断言しておいて、添える。
「長生きしたいです、そのために程ほどに痩せたいですっていうダイエット志望者がいたとして。その人を責める権利は、医療従事者にも、ダイエットトレーナーにも、世界中の誰にもねえんですよ。だってそれ、たんなる中傷ですから。人を責める権利なんてのは、ぶっちゃけ世の中にねえんです。それをした人を責める法律が増えるばかりですよ。カタカナ六文字でいうと……美華?」
「……ハラスメント?」
「そのとおり!」
実はそういう考え方なんて、まだまだちっとも広まっていない。静かな差別意識のほうがずっと強く生きている。緩やかに世界は変わろうとしているけれど、正直まだまだですよねー。
「たとえば……そうですね。徳川の世だから言うと、徳川家康公は狸親父という形容が似合うお腹の出方をしていたみたいですけど」
いちおう、そのへんも掘り下げておくか。
「後世……つまり私たちの時代において家康の人気って、大河でひどい家康像が描かれることもあり正直いろいろみたいですが。この時代では人気が高かったみたいです」
「徳川の世だし、当然じゃない?」
「まあね! それでも全員じゃない。徳川家康を嫌う人は……そりゃあね。言うかもしれません。狸みたいに太りやがって! と。育てた食料を年貢として収めて食べるのに困っている村人は呪っているかもしれないですし。自分たちは食べられないのに、あいつはなんだって」
でも。
「太っているから悪だとか、そういうことじゃなかったと思うんですよね-。嫉妬とか、やむにやまれぬ気持ちから言っていたんじゃないかな?」
つまり、美意識というよりはもっと切実な理由から言われていた言葉じゃないかな。
さてさて、女子にはしんどい単語が続いているから、そろそろ方針転換するか。
「前向きな話にすると、たとえば女子に関してですが、この時代におけるスター職業のひとつは花魁だったりします。人気のある花魁の格好を真似したいみたいな、そういう憧れしかなかったんじゃないかなー」
「……花魁って、えっと」
姫ちゃんが首を捻るから、まあぶっちゃけちゃいましょうか。
「要するに花街……えっちなことをするお店の、現代で言う風俗嬢です。あ、意外ですか? 風俗嬢が憧れなんて」
女子が揃って頷くの可愛すぎか。
「ぶっちゃけこの時代、子供をぽこぽこ産んでも育てるのが苦しくて、しかも大人に育つこと自体すくなかったそうです」
「出生率よりも、むしろ……若い頃に死んでしまう。武将にもよく見られる話ね」
ここぞとばかりに美華が乗ってきたから笑う。
「その通り! 家の継ぎ手の男を産むために、生きていくために、そりゃあもう。やまほどやりまくっていたんじゃないかな。避妊具なんて、噛んだ紙だそうですよ?」
ちょいときわどい話題ですがね。それを出すための流れのほうがきわどいんですが。気になったら調べてみてくださいね。さてさて。
「でもまあ、女子しか生まれねえし、嫁がせるしかねえし、みたいな家もそりゃああったことでしょう。嫁ぎ先が見つかればいいけど……それよりもっと、手堅い道があるじゃあないですか」
女子の顔が曇り、男子は素直に好奇心を浮かべている。このあたりはしょうがねえ。性差がでても。
「売るんですよ。子供を。なんなら、色町に。あ、もちろんいきなり仕事なんてしやしませんよ? 春を売ることができるまで育てるんですよ、花魁の付き人みたいな感じで……色町に紹介できる、女を売り買いする人を女衒って言うんだったかな」
「ちなみに付き人をかむろと言うんだったかしら」
「かぶろ、とも呼ぶらしいですね。とにかく」
美華に頷いて続ける。
あー、やっぱり胡座かきたい。それにお茶が飲みたい。ないよなあ。ないかあ。
「それくらい子供を産む、そして金を作るのは自然なことだったみたいですし。妻がいる男も、妻公認で色町に繰り出していたそうですね」
露骨に男子と女子で顔に違いが出るの、面白いっちゃあ面白い。
不倫だなんだと騒ぎ立てる世の中で生きてたら、意外でしかないかもね。
「独り身の男が遊女と遊ぶルールもいろいろありまして。馴染みになった遊女を変える、なんてのは浮気とみなされ、御法度だったそうです。花魁クラスの遊女はむしろ遊び相手を選んでいたくらいで……スバルみたいにケンカっぱやかったら、初会と呼ばれる一回目で袖にされてましたよ」
「ちっ」
舌打ちしながらも、流れを壊してこない。そういう知恵が回るなら、普段からもっと気遣いしてくれ。面倒なだけだから。
「要するに、生き方の幅が狭い、売られるのもやむなしの世の中で、身体ひとつで生きる真剣勝負の世界で頂点に立った女は、この時代の女性にとってかっこよくて強い存在なんじゃないでしょうかね……それこそ、刀ひとつで立身出世を夢見た戦国時代の侍のように」
すげえざっくり言うと、だけど。理華の知らない知識もやまほどあるだろうから、暫定的な現状の考えでしかないけど。
「死生感が変化して、価値観もまた変化していますが。根底にある……戦う者の美と、それに対する羨望とか、嫉妬とか。具体的に切りわけて考えていいんじゃないかな」
たとえばさー。
「詩保が自分の信じる美に忠実なのは素敵だと思うし、だからこそ詩保が男子に攻撃的になるのはもったいないとも思う。詩保の美ってきっと、もてたいとかじゃなくて、こうありたいってものでしょ?」
「――……うん」
「なら、男子がどうこうなんて関係ないじゃん?」
「――……まあ、そう、かも」
「よっしゃ。すこし話を戻すと、貞操観念もまたキリスト教の広まる前と後じゃあかなり違ったそうです。肌に対する考え方も違くて……」
聖歌には特に伝えたい内容なんだけどなー。いまは言えないな。しょうがねえ。
「これは、またいずれ話すとして。それでも、この時代にはモラルがあったそうですよ」
私の言葉に美華が口を開く。
「あなたの言葉を繰り返すのなら、浮気は罪」
「ですねえ。不倫は死刑! なのに……実はねー。女子の数が男子に対してかなり足りてなかったそうですよ。しかも長屋暮らしなんてことになると、家事に必要な時間は少ないし! そもそも狭い長屋に嫁いでくれる人妻自体が貴重! となれば?」
キサブロウが微笑む。
「なるほど。女性は浮気し放題、か。それに宵越しの金を持たないというのは、気前の良さというよりはむしろ……給金がそもそも少ないせい、だったか?」
そういう話があるっていうことしか知らないけど、まずは頷く。
「となれば、夫は住まいを変えられない。離縁なんてしようもんなら、世間のいい笑いもの! そこで妻も言うわけですよ。どうぞあなたは女を買ってきな、わたしは職場の旦那とねんごろよ、なんてな!」
岡田くんよりキサブロウより、スバルが顔を強ばらせていた。お、意外。こういうのだめなのか? かわいいところもあるじゃん。まあいいや。
「そんなわけでこの時代の女子って、案外さばさばと、しかも強く生きていたんじゃないかなー」
「いや、それは……あくまで一部じゃないかしら」
「ですかねえ? 三行半をつきつける、なんていいますが……夫が書く離縁状しか別れる手立てがないかといえばそんなことはなくて、いろんな手段があったそうですよ? それこそ、もしかしたら今まさに鎌倉の東慶寺に駆け込んでいる人がいるかも!」
「駆け込み寺、ね。なるほど」
美華に頷きつつ、口を動かし続ける。
何が言いたいかっていうと。
「互いの命、その姿形は私たちよりも生々しく生きているこの時代の人たちのほうがもっと素直に捉えてるんじゃないかな。まあ、理華はほいほい肌を合わせたくはないですが……それでも、この時代、男の女の恋愛っていったら肌を合わせるのが当然だったそうで」
そのあたりの変化もやっぱり、海外から宗教が入ってきてからの変化だという話もあって。触れていったらきりがないんだけどね。高校でがちで勉強して大学に行ったら、もっといろいろわかるのかね! 気になるね-。まあ、ひとまずさておいて。
締めくくるべ。
「価値観の変遷を踏まえて、もっとシンプルに、自分のこと、自分のしたいことを捉えたほうがいいんじゃないかな」
最初に言った結論を最後にもう一度つたえた途端、ツバキちゃんと姫ちゃんがめちゃめちゃ拍手をしてくれた。ふたりだけじゃない。いつの間にか一年生や先輩たちが私を見て、手を叩いていた。
い、いや。そこまでじゃないでしょ。さすがに。ないない。そう思って流そうとしたんだけど。
「立沢。そんなに話せるんなら、いっそ先輩たちの手間を減らすためにも午後の座学の教師、お前がやったら? なあ、よさそうじゃね?」
スバル、お前……!
「いいと思う!」
聖歌が! 聖歌が眩しい笑顔で手を叩いている……っ!
「い、いやいや。さすがに、ねえ? 同い年にそんな、教わるなんて……ねえ?」
暗に辞退しようとしたら、スバルがそばに来て肩を抱いて笑った。
「いやあ、謙遜するなって! お前がやるべきだろ! なあ!?」
みんなをけしかけて煽って声を出させている隙に、耳元で囁きやがった。
「てめえが教師やれば自然と俺らのクラスも中心に立てるだろ。それに先輩たちの会議に入る口実になる」
「てめえ」
ふたりして笑顔で寄り添うけれど、私は肘で思いきり何度もスバルの脇腹をえぐる。
それでもスバルは耐えて私の肩から手を離さない。やばい。既成事実になる!
「あーその。女子を困らせるのは感心しないっすね」
「あ?」
私の肩の手をすっと取り上げて、ルイが私の首根っこを摘まんでスバルから引きはがした。
「なにすんだよ。立沢は――……」
「理華、嫌がってたじゃないっすか」
え、え。なに。なにこの空気。なんでふたりしてにらみ合ってんの。
てんぱる私の耳に手を大きく叩く音がした。続いて手を叩いた人が声を張る。生徒会長だ。
「はいはい、そこまで! みんな、昼休みはあとちょっとで終わるわよ? トイレに行くなら早くしてね? 水がなくなると、ボットン状態になるから」
あわてて現代っ子たちがトイレに走りだす。
私を見て、それからルイを強く睨んでスバルもトイレに向かった。
見送ってから、ルイが私をそっと下ろす。
「すんません。ちょっと……見てられなくて。だからってひょいって、よくなかったっすね。大丈夫っすか?」
「ああ……うん……まあ……その」
怒ってないし、いやじゃなかったし、なんなら。
「助かった……」
「そうなるには遅すぎたというか、正直むりでしたね」
「え?」
ルイが目線で私の後ろを示すからふり返ると、生徒会長が笑って立っていらっしゃった。
やべえ、いやな予感しかしねえ。
「考えてみれば一年生の教師を一年生がやってはいけない決まりなんてないわね。というわけで、立沢。これからじゃんじゃん頼るから、よろしくね?」
肩をぽんと叩かれてしまった。
ああ、くそ。なんてこった……。
やりたいようにやってはいるけれど、そこまで見据えちゃいなかったぞ。
つづく!




