第五百四話
特別体育館にたどりついた一年生たち。入試、あるいは学校見学なんかで訪れているだろうけど、それでも驚いている。そりゃあそうかも。
「ようこそ、いらっしゃいましたね」
ターコイズブルーに白い花の着物でばっちり決めたルルコ先輩が、まるで城下町を取り仕切る女将さんみたいな顔でお出迎えしたんだもん。髪からメイクからガチの本気で固めていて、男の子も女の子も見惚れてた。けど大学生になって社長やっててばりばり働いているルルコ先輩は余裕を崩さない。
「さあさ、うちの会社からささやかなおもてなしですよ」
手をぱんぱんと叩いた瞬間、長屋からお兄さんたちの声が一斉にあがる。太鼓を叩く音がして、派手な喝采をあげながらツバキちゃんのお兄ちゃんやユウヤ先輩、ジロウ先輩をはじめとする卒業生男子の先輩たちが出てくる。
みんな一様に城下町に溶け込む町人の衣装姿で、太鼓だけじゃなく笛の音に歌声やかけ声をあわせて踊るの。びしっとポーズを決めたさき、私たちの後ろに回り込んでいたメイ先輩たち卒業生女子メンバーを指し示す。
和楽器だらけなのに、ノリはサンバなのはなんでなのか。とにかく陽気で明るくて、しかも振り付け完璧なの。いつも思うんだけどね? メイ先輩たちには驚かされることが多い。
でもでも、考えてみたら去年の文化祭の舞台、演出脚本は最初ルルコ先輩だったし、あの日の踊りはかなりのものだった。これくらいさらっとやっちゃう先輩たちやばいし、かっこいい!
踊り終えた卒業生たちにすかさずコナちゃん先輩たち現三年生が拍手を贈る。私たちも、一年生も続く。着衣の乱れをしゅっと直したルルコ先輩が締めくくるように会釈をしたの。
「改めまして、南隔離世株式会社の南ルルコです。先月に卒業した、あなたたちの先輩でもありますが……それはさておいて。それではまず、クラスごとに集まっていただけますか? それぞれにお茶とお昼を用意してありますからね」
「ではこちら、九組は私のそばに!」
コナちゃん先輩がすかさず声をあげる。三年生の先輩たちが率先して声をあげて、一年生と二年生を集めていく。そうしててきぱきと分けていくの。
チームを組めているならそっちで固まって、そうでない人たちは三年生と二年生が率先して誘導して引き取っていく。
私はお姉ちゃん、トモと三人で七原くん、聖歌ちゃん、ツバキちゃんと固まった。マドカはちゃっかり理華ちゃんをゲットしていて、思うにあのふたりが組むとたいへんなことがやまほど起きそうだなあと考えずにはいられなかったよね。
しみじみ考えていたら、肩をトントンと叩かれたの。
カナタだ。
「春灯、行くぞ。俺たちはメイ先輩たちの部屋に行く」
「はあい。みんな、移動するよー」
一年生たちに呼びかけて移動を始める。一緒の三年生は、カナタとコユキ先輩、それに見覚えのないお姉さんだった。なぜか毛糸球を持っているんだけど、あれはいったいなにに使うんだろう? 気になりつつ、メイ先輩たちのいる長屋に入る。
ふわっと漂うお味噌とお野菜の香り! かまどに火は入っていないけど、鉄のお鍋はぐつぐつだった。寮から運んできたのかな? 消防法? とかに引っかかりそうだもんね。
お鍋を六畳間の中心に引いた座布団にのせて、おっきな炊飯器の蓋を開けるのは見覚えのないお姉さん先輩だ。ルルコ先輩と北野先輩と一緒に長屋にいるって言ってたの。でもお出迎えする人は私たちのように考えて分かれたのかも。
「お昼がまだでしょ? さあさあ、突っ立ってないで靴を脱いであがって?」
メイ先輩にお任せばかりしていられない。私もカナタもみんなを促して、十畳ほどの広間にあがる。みんなで向かい合うように座って、お鍋の具材をよそったお椀とご飯、お漬け物と煮物の並ぶ小さな卓を前にする。
本来、長屋っていうと一畳半を土間に、四畳半を住居スペースにするとかっていうし、実際そういう長屋も特別体育館にたくさん設置されているけれど、そもそもこの施設は星蘭をはじめとする三校がやってきたときの宿泊施設を兼ねているところもあるから、比較的おおきめに作られている長屋もあるのかも。
「それじゃあ、まずは食事を取りながら挨拶するとしましょうか! 手を合わせて? いただきます!」
「「「 いただきます! 」」」
二年と三年で率先して声をあげる私たちに、一年生の三人がどきどきした顔で声をあげた。
みんなが箸を手にする中、メイ先輩は構わずに言うの。
「食べながらでいいから、聞いてね? 自己紹介だけど誰からにしようかな。取りは三年生がやるとして、やっぱり一年生からがいいかな。緊張しちゃうんなら、二年生を先にするけれど、どうする?」
その振りに迷わず七原くんが立ち上がる。
「ふ――……先陣を切る役目、不肖この俺が務めよう!」
腰に帯びた鞘を手に、もう片手を顔の前で構えている。
あれ、しってる! かっこいいポーズだ! 指先の形から何からこだわりまくりだ!
ふわっと尻尾を膨らませる私とツバキちゃんにきらきら視線を向けられて、七原くんは構えた手を心臓に当てたの。
「落ち着け、鼓動よ! 荒ぶるな……そうだ、それでいい。さて! 俺は七原――……七原ヨゾラだ。世間ずれが激しいが、よろしく頼む」
優雅にお辞儀をしたの。決まった、と私とツバキちゃんが同時に思ったまさにその瞬間、盛大に七原くんのお腹が鳴ったよ。ぐううって。
顔をあげた七原くんはあわてて口元を握り拳でぐいっと拭ったの。
「申し訳ない。久々に賑やかな場で、しかも女性と食卓を囲むこの状況に心が追いついていないが……俺ががっついてたべていても、どうかそっとしておいてやってくれ!」
刑務所でお話したときも思ったけど、面白い子だなあ。
さっと座ったと思ったら正座でさ。メイ先輩が「足を崩していいよ」って言ったのに「お構いなく。それよりもお優しい言葉、俺は天に召されそう!」とか言ってて、大変そうだ。
一人目からなかなかのインパクト。だからかなあ、聖歌ちゃんがもじもじしはじめた。それを見て、ツバキちゃんがすっと立ち上がる。それから、聖歌ちゃんに手を差し伸べたの。
きょとんとする聖歌ちゃんにね?
「一緒に言おう」
「う、うん」
迷わずそう言えるツバキちゃんはやっぱりとびきり優しくて素敵な子だった。
ツバキちゃんの手を取って立ち上がる聖歌ちゃん。彼女に目配せしてから、ツバキちゃんが言うの。
「綺羅ツバキです。御霊を手にして、身体が変化して、覚束ないところもありますが……どうぞよろしくお願いします」
深く頭を下げてから、顔をあげてすぐにね?
「夏海さん、名前、言えそう?」
「う、うん……夏海、聖歌です。どうも……お願い、します。あの、楽しいことしたくて、きました。強くなりたいし……輝きたいです! お願い、します。あ、二回いっちゃった」
「だいじょうぶ。それじゃあ、一緒に挨拶しよ」
「……ん」
「せえの」
「「 よろしくお願いします 」」
メイ先輩がでれでれの顔をしてぱちぱちぱちと拍手した。私も率先して続く。
ああもう。ああもう! 愛しすぎか! 一年生やばい、コナタを思いだしちゃうレベルで子供みを感じる。お母さんに言ったらおでこ手のひらでばちってやられそうだけど。
てれてれしながらふたりで座布団に腰を下ろすふたりにあわせてすぐ、トモが立ったの。
「仲間トモカ。二年生、剣道部です。剣道部の入部を希望するなら是非、あたしまで! あと、困ったことがあったときも呼んでね。ダッシュで駆けつけるから」
一年生の三人が名前を繰り返しながらトモを見つめてる。気づいてないんだろうなあ。隔離世のトモなら間違いなく本当にダッシュで駆けつけるはずだし、現世でも強い力の片鱗があらわれている。
ひとりでご飯を摘まんでいたお姉ちゃんが箸を止めた。トモが伸ばした手を取って立ち上がる。すごい。トモがナチュラルにお姉ちゃんをエスコートしてる!
「我は青澄、青澄冬音である。青澄の黒いの、なんて覚え方はしないように。春灯の双子の姉であるがゆえ、冬音、もしくは冬ねえさんとでも呼ぶがいい。よろしくな! ……それよりも、聖歌とツバキ、せっかくの馳走が冷めてしまう。ほら、さっさと食べろ。冷めた鍋ほど悲しいものはないぞ」
お姉ちゃんが一年生たちをきっと睨んだ。その眼光に怯んだ聖歌ちゃんはとても素直だし、気にせず食べている七原くんは強いし、ツバキちゃんがきらきら笑顔でお姉ちゃんを見るのはちょっと複雑。お姉ちゃんに持っていかれちゃうんじゃないだろうか……なんて、心が狭いこと考えている場合じゃないね。
トモの手を借りて座るお姉ちゃんを横目に私も立ち上がったの。けどね?
「……よいしょ。こんっ!」
咳き込んじゃった。なんだか尻尾のむずむずが止まらないの。
九尾すべてがざわつく。特に八尾がこそばゆい。変なの!
お鼻を撫でてから、深くお辞儀をしたの。それから伝える。
「青澄春灯です。双子の妹で、見ての通り尻尾と獣耳が目印! ばたばたして走り回ることも多いのですが、見かけたら声をかけてくれると嬉しいです! よろしくね?」
一年生たちに手を振ってから腰掛けた。
もはや慣れたけど、尻尾が重たくて前のめり気味になります。
意識を傾けたら――……またしても!
「こんっ! こんっ!」
咳き込んじゃった。むずむずするし、それにつられて喉がくすぐったくなる。
それはすぐにお鼻に通じて、気づいたら咳き込んじゃうの。
隣に腰掛けてるカナタが声を掛けてくれた。
「だいじょうぶか?」
もち、と頷いてみせる。一年生の前で不安なところは見せたくない。
だいじょうぶって答えてすぐにお腹が鳴ったの。私も食べてるね、と笑って促したよ。
「食べていてくれ――……さて、三年生の緋迎カナタだ。青澄春灯の刀鍛冶であり、同時に侍候補生でもある。このチームでやっていくかどうかに関わらず、生徒会の役員でもあるから、気軽に頼ってもらえると助かる」
なんだろう。なんなのかな。この尻尾のむずがゆさ。
タマちゃん、なにかわかる?
『――……ふむ。妾は才能あふれる狐だったゆえ、尻尾の妖気に当てられてくすぐったくなるなどという恥ずかしい真似にはならなかったぞ』
えっと……妖気って、妖怪の霊力の気迫みたいな、そういうの?
『もっと単純に言えば妖怪の力じゃな。そもそも、これは誰かがお主をどうこうするというより、お主の尻尾の毛が何者かに反応しておるような気がする』
それはもしや……鬼で太郎な妖怪の髪の毛アンテナ的な?
『わからん!』
うっぷす! と、とにかく、誰かが何かをしようとしているってこと?
なになに、私の尻尾はついにそこまで強くなっちゃいました?
『狐としての格はまだまだ! その証をぶらさげていることを恥と思え! そなたは元々、人であり、先を目指すなら尻尾の数を誇るよりも神気を高めることに注力せよ!』
むう。私にとってはもう身体の一部だし、自慢なんだけどなあ。
尻尾がふさふさ。夏毛に生え替わりますよう。カナタに梳いてもらうんだ!
だいたい神気ってたまに聞くけどさ。よくわかんないよ。大神狐モードのときの力みたいなもの?
『これまた簡単に言えば、神の力じゃな……やれやれ、まったく。自覚もないのじゃから困る。とにかく、気をつけることじゃな!』
はあい。のじゃ口調で狐だけど、タマちゃんは意識の高いお姉さまだから、ちゃんと聞かなきゃ。妖狐としても大先輩だし!
私の尻尾アンテナがびんびんきててくしゃみが出ちゃう。
教授のときとか、コナタのときとか、もっとびんびんきててもよかったのでは?
それともそれを上回る異変が起きるとか?
んー。考えにくいけどなあ。なんてことを考えてたら、とりのメイ先輩まで自己紹介が進んでいたの。
やっばい、と思いながらも箸を取ろうとして気づく。
「うまうま」
私の前にちゃっかり者のぷちがいつの間にか出ていて、テーブルの上のご飯をたいらげていたの。なんてこった。なんてこった……!
「私のお鍋たべたの!? ちょっと!」
「ごち……撤退」
「こら! 私のお鍋かえして!」
「やだやだあっかんべ!」
思わず捕まえようとする私の手をかいくぐって、ちゃっかりぷちは私の尻尾に飛び込んで消えちゃった。だからって私のお腹が満たされたりとか、そういうことは一切ない。
なんてこった、と落ち込む私を見かねてメイ先輩がお茶碗にご飯の、カナタがお椀にお鍋のおかわりをよそってくれたの。
「ハルちゃん。おかわりあるから、落ちついて」
「後輩が見てるぞ?」
「な、なんかすみません……ありがとうございます」
ふたりにお礼を言ってお箸を手にしたの。
さあ、食べるぞう!
◆
山吹マドカちゃんに誘われたときは正直だいぶ迷った。
やっぱり理華としては春灯ちゃんのそばにいたいし、でもそばにいるから幸せっていうものでもないことくらいはわかってる。
春灯ちゃん自身に言われたことだ。私は春灯ちゃんになるんじゃなくて、私らしく生きられるようになっていいんだって。それでとびきり輝けるんだって。
なら、自分らしい道を探すのもありかも。満を持してラストに私を呼ぼうとしてくれた春灯ちゃんの好意が嬉しかったし、それを乗りこえてでも私に手を伸ばしてくれたマドカちゃんに興味が湧いた。
話してみると、やばい。この人、打てば響くどころの騒ぎじゃない。かなりハイテンポにペース早めに生きている。話しているとどこまでも内容が先へ進んでいく感覚がめちゃめちゃ楽しい。
はっとしたら、特別体育館に入ったときに出迎えた超絶美人のお姉さんが私とマドカちゃんを見ていた。それから笑顔で周囲を視線で見渡す。
私のそばにはルイがいて……ルイがいて? あれ?
「ルイ、もうひとりいなかったっけ?」
「ん? ああ……金髪のワトソンって奴がついてきてたけど、どっか行きましたよ」
「――……ふむ」
気になる。ちょっとすみませんって断って、長屋を出た。
指輪! なにかやばくて楽しそうな気配は?
『……敵地みたいなものだからな』
はいそこ、ぶつくさ言わない! いいからはよう。
『あの金色娘以外にも、理華の話していた女とか、ほかにもあちこちに感じるが』
もっとこう、繊細な調査はできないわけ? 感度わるくない?
『む……すこし待て』
あ、怒った?
『そうではない! 城を見ろ!』
へ? 城?
言われるまま、特別体育館の中でも特別目立つ城を見た。
窓から見える姿はひとつだけ。
ワトソンくんだ。天守閣の下の階で窓から外を見渡して、離れる。
その直後、天守閣から何かが放たれた。
『な――……っ!』
指輪さえもが驚く異変。
何かと尋ねるよりずっと早く、天守閣を中心に噴き出た青い波動に飲みこまれる。
身体中を襲う妙な浮遊感と酩酊感にまばたきをして、次に眩い光を浴びた――……光?
違和感を抱いてすぐに空を見上げた。
突きぬけるような青空が広がっていた――……っていうか、ドームはどこいった!?
◆
お椀を嬉々として手に取ろうとした瞬間、尻尾がむずがゆくなってたまらず「こんっ!」ってくしゃみをしたらね? 身体中が不思議な感覚に包まれて、気がついたら扉や障子の向こう側から眩い光が差し込んできたの。
真っ先にメイ先輩が刀を手に襖を開けて構えた。そうして「うそ」と呟いて、空を見上げてる。なんだなんだとみんなが続いていくから、私もあわてて追いかけて――……みんなが驚いている理由に気づかされた。
ドームがなくなってる。それだけじゃない。鳥が飛んでいる。トキだ。トキがたくさん飛んでる。日本のトキはほとんど絶滅したはずなのでは? なにゆえ?
「そ、外を見ろ! 敷地の外!」
誰かが叫ぶ声がしたの。
いそいで正面玄関に向かっていって――……あるべきものが失われたことに気づかされた。
アスファルトに包まれた道路、バス停、車、周囲の建物すべてが――……あぜ道と荒れた林になってる。目をこらしてみると、田んぼが広がる平野が見えるよ。
「が、学校が!」
またしても聞こえた誰かの叫び声に視線を向けたら……あらまあ、なんということでしょう。学校も学生寮も、中等部や小等部、大学までもが綺麗さっぱり林にはやがわり! 匠により丁寧に手入れされた林には、斧を手にした村人が――……村人?
てんぱる私の後ろで、ルルコ先輩が声を張る。
「全員、装備の確認! 南隔離世株式会社、戦闘配備!」
「ユウヤ、ジロちゃん! 交渉と共に現状把握!」
すぐに続いたメイ先輩の声にユウヤ先輩とジロウ先輩が村人へと歩いていった。両手を掲げてゆるい顔をして。てんぱる私たちに聞こえるようにコナちゃん先輩が吠える。
「ほらほら、きりきり動く! まずは長屋に戻って! ――……三年生、後輩の警護を! 二年生は一年生を離さないように! 先生はいらっしゃいますか!?」
いないってあちこちで声が上がる。
いやな予感が膨らむばかりだった。
聖歌ちゃんとツバキちゃんを抱いて、七原くんに呼びかけたの。
「な、長屋にもどろ。ね?」
「……ふむ」
アゴに手を当てて考えこみながら、お城と神社のある方向をそれぞれ一度ちらっと見てから七原くんは頷いてくれた。
カナタたちが寄り添ってくれるなか、長屋に戻ろうとしたの。
だけどね? ユウヤ先輩とジロウ先輩が歩みよる先で、まさに樹を切っていた人たちが私を見て卒倒しちゃった。
「ちっ――……春灯、早く中へ。こいつはどうも、妙な雲行きだ」
お姉ちゃんって言おうと思ったけど、すぐに口を塞がれた。
「仲間、頼めるか」
「トモでいいよ、冬音。なにをすればいい?」
「獣憑きの連中や鬼の連中をひとしきり屋内へ。それから、もしここに衣装があるのなら男女みな、制服から着物に着替えさせるように伝達を。あと、絶対に刀を抜かせるなと厳命させろ」
それは俺がやると言って、カナタがコナちゃん先輩に駆け寄る。
不安が増していく私にしか聞こえないような小声で、お姉ちゃんがささやく。
「五日市村が近い。お父さまや学院長の話を聞いているから、覚えがある。この空気はな」
「――……お姉ちゃん?」
「江戸だよ」
さらりと言われた単語が理解できない。
てんぱる私の耳に誰かの悲鳴が聞こえたの。
「お城が!」
見たのは、お城がみるみるうちに朽ちていくさま。
長屋も風に吹かれて消えるろうそくのように揺らいで見えた次の瞬間には、くたびれていく。
中から飛び出てきたのは、一年九組にいた金髪の男の子と数人の男女。
駆け出す彼らの後ろでお城が倒れて消え去った。すこしの名残も残さないで。
宙に浮かぶのは御珠。けれど、それさえ風に溶けて消えちゃうの。
「急げ」
お姉ちゃんに背中を押されて走る。走りながら惑う。
誰が。なんで。どうして。どうやって。いったい、なんのために?
なにひとつわからない。ただ、尻尾のざわめきは増すばかりで――……不安に駆られた私の眼前にふわっと狐火が浮かんだの。お姉ちゃんが迷わず直ちにそれを握りつぶす。
「気を静めろ。深呼吸だ。だいじょうぶ、できるだろ?」
「う、うん……」
深呼吸をしながらトモとお姉ちゃんに庇われて、元いた長屋に戻る。
襖はぼろぼろ、お鍋もご飯もなくなっていた。先に戻っていたコユキ先輩が舌打ちして、けれど不安な私たちの視線に気づいてすぐに笑ってみせる。
「まあ、待って。見てくれと内装くらいはごまかせる――……さあ、魔法にかかる時間だよ。現世のものたち」
ぼろぼろの畳に触れてコユキが、きっと刀鍛冶の力を発動したの。
一瞬にして、それこそ隔離世のように長屋が元通りに修繕されていく。驚いた私たちよりずっとびっくりして、とっさに手を離したのは誰でもない、コユキ先輩だった。手を離して尻餅をついたんだ。
「コユキ、どうしたの?」
「――……待って、待って!」
あわてて手のひらをかざす。すると、どうしたことか。コユキ先輩の手から伸びる霊子の糸が、普段はカナタやコナちゃん先輩たちに触れてもらって体感することしかないそれが、はっきりと目に見えるの。
「霊子が漂ってる……待って!」
ふっと項垂れてすぐ、顔をあげた。一瞬だけ隔離世に行ってきたのかも。
コユキ先輩はみるみる顔を青ざめながら囁く。
「――……現世なのに、この霊子の量はなんだ? さっきまでは……青澄ちゃんが咳をして、妙な何かが城のほうから流れてくる前までは、たしかにいつも通り、ささやかにしかなかったのに」
お姉ちゃんが呟く。
「生活基盤を作らねば、戻るまでに死にかねんな。現世ではおとなしく様子見をしようと決めていたが、どうやらゲーム機の到着はしばらく先のようだ」
私の背中をぽんと叩いて、
「みな、着替えよ!」
きっと地獄で振る舞っていた威厳を胸に抱いて、私たちを導く心の旗を手にしたの。
「ただちに着物姿になれ。男子は覗くなよ? それと、刀は放さず、力のある者は未だ手にしてない者のそばを決して離れるな! 我は生徒会長とやらに話してくる!」
駆け出していった。
聖歌ちゃんもツバキちゃんもわけがわからずおろおろしている。
七原くんは腕を組み、長屋の中を見渡していた。女子だらけです。彼以外はみんな女子。カナタがいないからね。だからなのか、咳払いをしてから言うの。
「ご婦人方、安心して着替えてもらいたい。俺は着物と男が着替えている場所を探して、着替えを済ませて戻ってくる」
言うだけ言って出ていっちゃった。
毛糸玉を手のひらから肘までころころ転がして往復させながら、女の子の先輩がみんなに呼びかけた。
「それじゃあ、七原くんのご厚意もある。ひとまず着替えちゃおう。コユキ」
「わ、わかってる。箪笥の中身は――……よし、無事だ。残念ながらデザインは古いけど、とにかく急いで。着方がわからなかったら言ってね?」
ぱんぱんと手を叩く三年生に促されるまま、私たちは急いで制服を脱ぎ始める。
なにが起きているのかわからないまま、着替えを済ませて程なく七原くんは戻ってきた。きちんとノックをして「着替えは無事に終わりましたか?」と尋ねてくるあたり、律儀!
彼を迎えいれたころにはもう、スマホの電波が入ってこないことにみんな気づいていた。長屋に運び込まれたテレビも無反応。ざわざわしている特別体育館……というか、いまや元・特別体育館の敷地のみんなに響き渡るような、よく通る声でコナちゃん先輩が号令を発する。
「三年生、一名外へ! 状況を説明します! ほかのみんなは長屋で待機! だいじょうぶ、伝えた三年生から同じ内容を伝達しますので!」
毛糸玉の先輩がコユキ先輩を目で促した。すぐに立ち上がり出ていくの。
デモンストレーションとか、お祭り騒ぎとか、それどころじゃない何かが起きている。間違いなく。思わず獣耳に意識を傾けた。そうして――……聞いてしまった。
「村人からの情報によれば、江戸じゃキリシタンが殺されたって言うわ。ちょっと前っていっていたけど、彼らの言葉を信じるなら元和九年から寛永三年までの間ってところかしら。ええ、そう。わかっているわ。あなたたちが言いたいこと」
コナちゃん先輩は震えと恐れと、かすかな希望を声ににじませて集まっている人たちに告げたの。
「時間を飛び越えたみたい。ここは俗に言う、江戸時代ってやつ。ええ、言ってて自分でどうかしているって思う」
さらっと言うしかなかったんだと思う。信じられないことだらけだった。コナちゃん先輩もまさか額面通りに信じているわけじゃないとは思う。
でも。でも、周囲の景色の変化と、ここが隔離世じゃなくて現世だという事実。なによりトキがやまほど飛んでいるその光景に、信じずにはいられなくて。
「だましているのか、それとも本当に時間跳躍なのか。考えるべき問題は多い。どうやってかはわからない。けどね? 生徒たち主催の宴だと気を遣って離れた先生がたが、皮肉にもそのせいで現状ではひとりもいない状況下」
わかる? と囁いたの。
「私たちががんばらないと、被害が出るの」
その言葉に集まった三年生の先輩たちの声にならない悲鳴を聞いた気がした。漏れ出るため息みんな、とびきり重たい。
「幸い、ひとつうえの卒業生が集まる南隔離世株式会社のみなさんがいて、調べてくれている。怪しい生徒の目星はつけてあるけど、果たしてどこまで見破れるかわからない……とにかく! しゃんとして。いい!?」
お、おう! となんとか答えて、足音が散らばる。
コユキ先輩たちが戻ってくる。きっと不安を必死に取り繕った顔をして。
教授のようなどぎつい攻撃は私たちをつらい気持ちに落とした。
けれど、今回のこれがもし攻撃なら……不安にさせられたのは、間違いない。
だからこそ、いつものノリが必要なのかもしれない。
教授のときのようなヘマはしないぞ!
「せっかくだし、コユキ先輩が戻ってきたらなにかお話しよっか。仲良くなろうっていう、そういう目的だったわけだし! ね?」
明るい声を出したらすぐにツバキちゃんが「どきどきするね」って聖歌ちゃんに話しかけていた。いつもはとびきりハイテンションな七原くんは微笑みながら何度も頷きつつ「とうとい」とか言っているから、大丈夫そう。
気持ちで負けたら飲みこまれる。そんなの、私が入学した頃からずっと続いていた。
今度こそ、負けるもんか!
そう意気込んだのはいいんだけどね。コユキ先輩が伝えた事実に、一年生の三人ともたいして動揺してなかった。聞けばそれくらいの異変は起きそうとか言われるの。なんだか、私たちと違っていろいろと初体験だからこそ、素直に受け入れられるのかも。見習わなきゃね!
とはいえ、事態はそうたやすくいかなかったの。
不意に聖歌ちゃんが呟いたんだ。
「――……トイレ、行きたい」
思わず二年生と三年生で顔を見あわせちゃったよ。
特別体育館はとびきり大きな施設なんだけど、トイレが少ないんだ。
この長屋は宿泊可能な家だけど、さっき朽ちていった過程でなくなっちゃったみたいなの。
幸い、カナタやコユキ先輩がすぐに施設を復旧してくれた。刀鍛冶の力が増しているってふたりは深刻な顔で話していたけど、ともあれ、トイレは無事に済んだ。
けどさ。ほっとした瞬間、私のお腹が盛大に鳴ったの。さっき食べ損ねたよ! って。
「飯は――……困ったな」
カナタが腕を組んで唸る。
「飯の蓄えも通貨もない。霊子を操りものを飯に変えても、それに栄養があるわけでもない。すぐに飢え死にするぞ……これだけ多くの人間を前に、どうする」
お腹はらぺこ過ぎて頭が働かない私は、窄まる尻尾と共に怯えながら問いかけたの。
「も、もしかして……ご飯はお預けです?」
「元の場所というか、時代というか。戻るまでの間、用意できなければな」
「なんてこった!」
超絶大ピンチなのでは!?
つづく!




