第五百一話
目覚まし時計が鳴る直前にスイッチを切った。
朝がきた! とうとうきた!
いよいよ立沢理華が士道誠心の学生になる日がきたぞ! つうか待たせすぎじゃね? そんなことねえ? だがな、私は待った! めちゃめちゃ待ったぞ!
「うっしゃあ、おら!」
すぱっとパジャマを脱いだ。そして事前に飾りつけておいた化粧箱のショーケースを眺める。
鮫塚さんに教えてもらった下着屋さんのオーダーメイドの下着がすべて並んでる。
ラインナップを眺めて悩む。うそ。答えは決まってる。
「白でいくべ」
ずっと黒か赤かで悩んでいたら、ママが「最初はまっさらな気持ちで行くといいんじゃないかしら。あ、あとそのお店おしえてね? ママも行くから」って言ってくれたの。なるほど、まっさらな気持ちか。新天地に行くんだもんな、と納得して白にしつつ、お店の名刺を渡すんじゃなくて今度一緒に行く約束をした。
やっぱり紹介するならついていきたいし、一度着たあとの直しが必要だってデザイナーさんに言われてんの。ひととおり着たら持ってきてって言われている。
白は――……ずっと取っておいたんだよね。だってほら、悪魔が白ってどうなのよって感じがするじゃん? まあ、結果的にはよかったけど!
デザイナーさんはフランスで修行したことのある人みたいで、なるほど有名なブランドのデザインを組んでる……らしいよ?
魅惑してくる花のモチーフのレースにやまほどのリボン。ゴージャスになる作り方をしてくれたから、粋だなあ。あらゆる場面に使えそう。
もっとさー、どんな体型の人でも手軽に気楽に最高の下着と出会えるお店があちこちにありゃあいいのにね。別にいまあるあちこちの店に不満がどうこうっていうんじゃなくて! ただ、いまよりもっと素敵になればいいのになーって思う。
それくらい、最高の出来だった。
ずうっと白は取っておいたんだ。この日のために! これこそ運命に違いない! そう思えるくらい、我ながら惚れ惚れする姿だった。
オーダーメイドの下着をつけるときは、びしっと身体を作るべ! って気持ちになる。誰でも気楽に、けれど武器になる下着をお出ししたいといってくれたお店のお姉さん、やっぱり素敵だったなー。
鮫塚さんにいろんな人を紹介してもらうたびに思う。
職とか年収とか、そんなもんじゃない。人の価値っていうのはもっとシンプルに、笑顔にさせられる力にかかっているんじゃないかって思う。
まあだから、ニアリーイコール年収かもしんないけど、断じてイコールでもない。稼いでいても暴君なんて人はいるわけで。いつだったか助けたプログラマーおじさんの会社の社長とかね!
ちょこっと話を戻す。
すくなくともママに連れていってもらったことのあるお店も、鮫塚さんに紹介してもらった下着屋さんも、私を笑顔にしてくれた。
鏡に映る自分を何度でも見る。
うんうん、何度でも言うぞ。我ながら惚れ惚れする姿だ! よしよし。理華、だいじょうぶ、かわいいぞ!
誰かに言ってもらうより、自分がそう思えるっていうのが私にはすごく大事。恋をしたら変わるのかね? しーらね! わかんねえから、いまはどうでもいいや。恋をしたときまで保留な!
誰かを真似するのは自分で作るよりずっと簡単に思える。
なにせ自分で作る可愛いはよく迷走する。それに気づくのは大体、陰口だったりする。きついねー。そういうの、聞きたくないよねー。
男子に受けりゃあいいじゃんって振り切れる子はいいよね。わかりやすくて。でも承認欲求ってやつは面倒で、メイクをしない男子に受けるかどうかより、メイクをしている女子に受けるかどうかだろって思い始めるとさらに迷走が深まる。
雑誌は基準を示してくれるけど、その旗の行く先はトレンドと銘打って目まぐるしく変わる。流行遅れイコールダサイは世界の共通言語みたいになって、それについていくためには必死に情報を更新して新しくしていかなきゃならない。停滞は死あるのみ!
そんなのくたびれはじめて独自路線をいくと、やっぱり迷走するんだから、私たちは常に何かの奴隷になっている気がするよね。
憧れの春灯ちゃんを追いかける道で満足していたけど、当の春灯ちゃんに渋谷のCDショップで私のことをかわいいって言ってもらった瞬間、呪いはたしかに解けた気がしたよ。
誰かに言われたいんだ。あなたは魅力的だよって。でもなにもしないでいると言われない。言ってもらえない。中途半端な人からはきびしくダメだしされるし、特にがんばっている人からは見向きもされない。
――……だからこそ、そういうボーダーを飛び越えて私に言ってくれた春灯ちゃんは私にとって救いそのものだった。
これまで春灯ちゃんがあげた数々の画像を見ればよくわかる。春灯ちゃんだって、めっちゃがんばってる。その春灯ちゃんが素直にかわいいよって言ってくれた、あの瞬間は立沢理華にとって間違いなく救いだった。
一世を風靡した漫画原作のドラマで、ある女性が言う。まんま引用はできないから、ぼかして言うとさ。
私たちのまわりにはたくさんの呪いがある。価値がないと切り捨てたものは、自分が向かっていく未来でもある。呪いなんてかけないで、さっさと逃げちゃえ。
繋げて考えてみると、春灯ちゃんはきっと、いろんな呪いを振り払って生きている人だと思うんだ。そして私は意外にも、自分にやまほどの呪いをかけていた。
気づいてしまうと、まわりの人たちは実に多くの呪いを他人を通じて自分にかけているんだなーって気づかされる。
どう足掻こうが言葉は廻って自分に返ってくるんだぜ?
なのに必死に呪って、遠回しに自分を苦しめるばっかりでさ。
そんなのほんとばかみたい。そう思ったよ。
だから力になることを増やそうと思った。私にあわせて作られた、世界でたったひとつの下着に身を包むだけで私は勇気を出せるんだ。
しかもさー。下着屋さんがね? もしサイズが変わったら、遠慮せずに来てください、ばっちり直しますからって言ってくれんの!
つけ心地最高だし、行くわ。迷わず行くわ。腹が出ても胸が垂れ下がっても通い続けるわ。まじで。
残りはお母さんが寮に郵送してくれるから、問題なし。ブラの上にニットインナーを、ショーツの上にオーバーパンツを装着。
それから新品の制服に袖を通す。結構前からある制服だから、スカートを詰めやすい。やっぱ高校生たるもの、足を出していかないとね! 中学の長くてださいスカート丈とはおさらばだ。ちなみにロングスカートはそれはそれで好き派です。
姿見を確認しながら整えていく。
ブラウスばっちり。スカートもばっちり。リボンタイをつけて……形もオッケー。問題なし! ジャケットを羽織る。
うん、まあ、いいんじゃね?
昨日は美容室に行って髪もばっちり。軽く顔を整えて、あとはもう学校に行くだけ。
「おはよう、パパ! ママ!」
ふたりにキスをして、手早く朝食も済ませる。
いくらでも家には帰ってこれるから、週末は実家に帰ってくる予定。そういう取り決めになっているから、変にしみったれた話はなし。
清々しい気持ちで家を出る。
『ちょっと、おい。忘れてないか?』
あー、はいはい。気が急いて忘れてました。
この日のために新調したカバンから出して、左手の薬指に嵌めた。契約の指輪。
勘違いされると思うんだよなー。ねえ、中指サイズに変われたりしない?
『だめだ。理華の未来は我がいただいた。我の居場所は理華の左手の薬指でなければ』
もしかして……私のことめっちゃ好き? 結婚したいの?
『そ、そういう意味ではない。あくまで重要な契約という意味だ。お前のような小娘と、誰が婚儀を結びたがるものか』
ほー、そうですか。生身でいたら苦しめてあげるのに、今のあんたは無抵抗な指輪なんだよね。ほんっと、残念! さあて、どうしてやろっかなー。
『嘘ですすみません。あなたは現代において美しく知恵に富んだ素敵な女性です。だから下水道に捨てようとしないでください』
どうせ捨てても戻ってくるんでしょ? こういうアイテムの定番を踏襲してさ。
『それを踏まえて汚すためだけに捨てようとしないで! 我は綺麗好きなんです!』
ふうん? ……まあいいや。
学校いくよ。
『せいぜい痴漢にでも遭えばいい』
お前は現代の女性すべてを敵に回す気か。
『この世には痴女というものもいるぞ』
あーまあいるねー。いるだろうね。
『男か女かの違いだ』
それは現代の問題に一石を投じる指摘だね。
とにかくその手の犯罪者に巻き込まれる予定はないんで。
『被害にあうものみなそうだろう』
そーですねー。でもまあ、自分を守るし、なんとでもするよ。
『せいぜい気をつけることだ』
はいはい。まったく、心配だって一言で済ませられないのかね!
軽く頷いてバスに乗る。いつも会う運転手さんに笑顔で会釈。愛想はふりまいておくほうが得だ。老若男女問わずね。
すぐについた駅から電車を乗り継いだ。
路線からするといやに乗客が多い印象がある。扉を背にスマホを持って乗客に正面を見せる。
いつでも撮影すんぞこら、という殺意を放っていたら、喜んで犯罪者になりたい人以外は退けられる。でもそういう女子ばかりじゃない。
「――……あ、の」
反対側から気まずそうな、それもよりにもよって聞き慣れた声がしてうんざり。
あんたはそういう奴に目を付けられそうだと思ってました。
「すみませーん、ちょーっと、ごめんなさーい」
明るく朗らかに声を出して、人の塊をかき分けて反対側のドアへ。
すると、いたよ。ドアに身体を向けて背中を晒した聖歌が。その後ろにいる男が身体を押しつけている。まだ手は動いてないけど、時間の問題だ。だってほら、まさに今、片手が聖歌のスカートを持ち上げた。
迷わず撮影。ぱしゃっとね。それと同時に声を上げる。
「やっほー! 聖歌、押しつぶされてない? だいじょうぶ?」
「あっ……」
ほっとした顔を見せて、聖歌が私を見つめてくる。後ろの痴漢は動揺してた。
ぱしゃぱしゃ撮りながら進む。
「満員電車なんてろくでもないよねー? でもでも初登校記念だ。うっし、自撮りするべ。スマホを掲げてー! 元気に-!」
聖歌の肩を片腕に抱いて、スマホを掲げて撮ってみせる。
すると聖歌に興奮のただ中にいたコートのおじさんは私を睨みつけて離れていった。
「聖歌、あいつに触られた?」
「……腰、押しつけてきた」
「はーい痴漢さん、待ってね? 逃げても無駄だよ、既に撮影済み! ほらほら、観念して戻っておいで。次の駅でおりようぜ! 手間取らせないでよ? 遅刻したくないんだから!」
げ、と唸るおじさんが必死に否定するけど、聖歌のそばにいた人たちが正義執行モードに切りかわる。あとは手早く済む。冤罪はよくないけど、動かぬ証拠があって間違いなくアウトな人の痴漢行為だってもちろんよくない。
問題なのは、適正に捜査され、罪の有無に適切な対処がなされるように現状なってないという印象が強いところ。本当のところはわかんねーけどさ。痴漢する奴も被害にあう人も、冤罪ふっかける奴も巻き込まれる人もいなくなりゃあいいよなーって思います。
駅につきだして連絡先を交換して、退散。すぐに電車に乗って、聖歌とふたりで移動する。
電車に乗って実感。
老若男女かかわらず、聖歌を見てる。
鼻をくんと鳴らしてみるまでもない。聖歌からはやっぱり不思議な香りがする。心が妙に惹きつけられる香りだ。
それにねー。やっぱりなんていうか、すきだらけというか、目を奪われちゃう容姿してるんだよな。そのせいとは言わないし、言うべきじゃないことくらいはわかっているので、あしからず。
とにかく、この子は魅力的過ぎるから、ひとりにしちゃだめだわ。私がいないと――……って、あれ? 私、保護者になってね?
「理華、朝から憂鬱そう」
「むしろ聖歌が私よりへこたれてないことに驚きだね」
「電車、混んでると……よくある」
ほんと聖歌は苦労してるな。
「いやになんない?」
「……いやだけど。悪いことしてくるひと、みんな、さみしくてつらい人生なのかなって」
「ああ……まあ、ある意味ね」
わー。私、すげー。登校する前にふたつも炎上しそうなことに関わってる。
今のところ、より正確にはっきり痴漢と断定できる証拠のある形で捕まった人って、どれほどいるんだって気がするよね。
たとえば私が比較的そばから聖歌をちらちら見てるおじさんに、駅についた時の人の出入りを利用して近づいて、おじさんの肘を掴んでお尻に手を当てさせてさ? 手元だけを写真に撮ったら? 周囲にいる人たちが気づく瞬間が、私が声をあげたときだけだったら? おじさんの人生めちゃめちゃになるよね。たとえば私とおじさんに繋がりがあったら、裁判で明らかになる可能性はあるかもしれないけど、私が悪ふざけでやったら? むしゃくしゃしてやったら? それってどうなんの? って思う。どれだけの精度で明らかになるんだい? って気になる。
監視カメラがついた電車も増えつつあるみたいだけどねー。
そもそも痴漢行為を起こさないようにする方向性で対策を取るべきだっていう国もあるみたいだ。男女を分けるより、犯罪をしてまで他人の権利を侵害する人間が出ないようにするほうが大事だっていう考えには賛成。正論だし。
その場その場の対処よりもっとずっと、根本的な原因を解決するほうが、長く険しいけれど、その分、得られる結果は大きいもんね。
でも現代の日本の都市部の電車には乗らない方がいいと思う。
人生のパワーバランスが狂ってる場所には近寄るべきじゃないよ、マジで。
電車自体がよくなろうと、満員電車が快適になるわけじゃない。ほんと、早くなんとかしてくれないかな――……って、あれ? もしかしてこれも呪い? やばいやばい、気をつけないと。
たしかに世の中、呪いに溢れてるかもね。
「……理華?」
「ああ、ごめん。私はよく思考の迷宮に迷い込むんですよ」
「よ、よくわかんないけど……そういうことしているから、頭いいの?」
「嬉しい評価どうもありがとう。でも別にいいわけじゃないですよ。ただ使ってるだけ。聖歌がいま、私に呼びかけてくれたときに気を遣ってくれたようにね?」
表情に困る聖歌をぎゅっと抱いて笑う。
「かーわい。よう、彼女。制服めっちゃ似合ってんじゃん!」
「……あ、ありがと。理華、すごくかわいい」
「どうも!」
ふたりで笑いあう。
ひとつだけ訂正しよっかな。
友達と一緒に乗る電車は、悪くない。
あんま騒ぎ過ぎちゃ迷惑になるから、小さな声で。十分それで伝わるくらいの距離感で話す。
「そういえば……理華、襟のそれ、なあに?」
「ん? ああ……」
襟を摘まんでみる。
昨夜、今日の準備をしているときにつけたんだ。
校章だよ。それだけじゃなく、刀の形をしたピンもあって、事前に学校から着用するよう伝えられてあるんだ。
「まあ、身分を明らかにするためのピンじゃないですかね。侍候補生ってことじゃないかな」
「春灯ちゃんの制服には、なかった……」
「たしかに! 新しく作られたんですかね? まあ、誰がどんな存在かわかりやすいのはいいことですよ」
「……私、まだない」
「刀を抜くか、刀鍛冶でしたっけ? その素質に目覚めれば、すぐにでも支給されるんじゃないかなー。心配すんな! すぐだって、きっと」
「ん……すぐだといいなあ」
不安がる聖歌の髪を見る。眉毛も睫毛も含めて、みんな同じく桜色。これほど春に似合いの色もない。
染めているのでも脱色しているのでもなく、自然にこの色になる時点で聖歌が不思議な力をすぐに手に入れられそうなのはもう、規定路線。
だから、ねえ、神さま。裏切る必要なんか微塵もないから、直ちに聖歌に力をあげてくれ。
『次は、学院都市駅、学院都市駅でぇ、ございます』
やべ。考え事してたらついちゃった。
電車が停まって扉が開く。聖歌とふたりで出ようとしたときだった。
横を通り抜けていく奴になぜか視線が引きよせられた。
黒くて長い髪、ぞっとするほど白い肌。そいつが私の視線を感じてふり返る。
「なにか?」
蕩けるような声を出して問いかけた彼女の目が、一瞬赤く見えた気がした。
まばたきをした時にはもう、普通の黒目になっていたんだけど。
「あ、いや、その」
「……失礼します」
軽く頭を下げて行っちゃった。ちょっと、いやかなりつんつんしてるな。
にしても、そうとうの美人だった。春灯ちゃんたちを思い返すと、士道誠心きらきらしすぎだろ。いい加減にしろ!
「ちょっと、立ち止まらないでくれます?」
背中からどんとぶつかられた。ふり返る。メイクで五割増し、元は普通くらいの顔した士道誠心の制服姿の女の子が立ち止まっていた私を睨みつけていた。
うんうん。マジで普通。これくらいだよ。人生で出会うのって。むしろ理解できるからこそほっとするし、愛しくもなる。だいじょうぶ、私たちのがんばりはときどき迷走するけど、でもみんな可愛いよ! じゃないと私が死ぬ!
春灯ちゃんといいキラリちゃんといい、聖歌といいさっきの女子といい、妙に士道誠心にはいけてるきらきら女子が溢れすぎだからね。現在浸透している一般的な基準なんていう曖昧で男女差もある、あやふやなものでどうこういうのも傲慢だけど! でもまあ、うん。
「なんかほっとした」
「ああ? ケンカ売ってんのかテメエ?」
「いや、わざとぶつかってきたあんたに言われたくないし?」
火花散らしてくる女子に笑ってみせる。
けどどうしよう。許してくれそうにないなー。やっば。初日から面倒くせえなあ。
さて、どうしたもんかと思っていたときだった。
突然、高らかと男子の声が響き渡ったのは。
「そこの少女ふたり、および、ひとりに寄り添う少女よ! 俺は悲しい!」
「「 ……は? 」」
見たら、いつか真中さんにお姫さま抱っこされながら助けられてた男子が仁王立ちしていた。
ぞろぞろと電車から降りた人たちが歩く中で、
「なぜ人は争うのか!? くっ……これが世界の選択だとでもいうのか!」
かなりいっちゃってることを迷わず大声で言える神経って、どうやってできるんだろうね。
「しかし――……だからこそ、俺は言おう。美しくない少女などいない。であるならば……立ち止まった少女に非があるのだろうか?」
「あ?」
やばい、四月初のいらっとだ。
そんな私の横で、私にぶつかった奴がどや顔をする。
「それとも、彼女にぶつかった少女に非があるのだろうか!」
「……は?」
今度は逆の立場に変わる。
「いいや! 俺はただ敵意を憎む! さあ……笑いたまえ! 少女たちよ、本来あるべき美を見せてくれ! 愛らしい笑顔こそ、きみたちには相応しい!」
「「 いや、突然そんなこと言われても 」」
なんだこいつ、という気持ちで、不覚にも隣の女と一致団結しそうになる。
「さ、先行くわ。とにかく、急に立ち止まらないでよ? じゃあね!」
あ、逃げやがった。くそっ。逃げるのは恥だがマジで役に立つな!
「彼……なんか、おもしろい人だね」
にっこり笑った聖歌に男の子は前のめりにばたんと倒れた。
「う、うつくしすぎる……やめろ、日陰を歩いてきた闇に住まうこの俺に、その輝きはあまりにも眩しすぎる! 目が! 目が潰れてしまう! おおおおお!」
「だいじょうぶ……?」
「優しさが俺の心を一瞬で溶かす! なんて素敵な匂いなんだ! 鼻が! 鼻が尊さに溶ける! 助けて!」
揺さぶる聖歌に耳まで真っ赤になる男の子。
えーっと。どうしよう? これ。
みんなが遠目に見ながら急いで離れていく中で、たったひとりだけ残った奴がいた。
「……なにしてんすか?」
ルイの問いかけに、私は半笑いで呟いたよ。
「そんなん……私が知りたいわ」
おいおい。ほんとに私の学生生活、大丈夫か?
◆
エリザ、と名前を呼ばれて背筋を正す。
山奥に作られたとは思えない洞穴。城塞型にくりぬかれた異様な施設。
その大広間、幾重にも張られた布の先に盟主がいた。
松明の明かりにゆらゆらと影が揺れる。
「なんなりとお申しつけください」
跪きながら頭を垂れる。顔を見たことはない。組織の誰ひとりとして。
天上の調べ。どこかあの青澄春灯という少女と似て聞こえる響き。幼いのか、老いているのか。声自体は若いのに、妙にしわがれた声だと錯覚するときもある。
「“時計”は既に日本へ?」
「今頃は発動のタイミングを待っている頃かと。これほどの規模で使用できることは稀です。“時計”の使用、および転移先、本当にこれでよろしいのですか?」
「今でなければならないのです」
初めて盟主の声に熱が灯った。
切実な感情を見せることなど、今まであっただろうか――……。
いや、今はよそう。
「彼らが戻ってこれる保証もありませんが、本当によろしいので?」
「心配いりません。彼女たちはまさしく転移した時間に戻ってくる――……青澄春灯は団結の意味をさらに深く知り、帰ってくるのです。それが我らの作戦の求める方向に近づくとも知らずに……くふ」
笑い声が聞こえる。
それもまた、初めてのことだった。
思わず顔をあげようとしたけれど、盟主を守る甲冑の乙女たちの殺気に当てられて、更に深く俯く。
「青澄春灯が黒に染まった状態で採取された髪の“培養”の成果は?」
「百体をまず製造してみた結果、八体のみ生存に成功しました。研究班の報告では数を増やすだけ無駄とのことです。盟主のご指摘どおり、この世に九体までしか存在できぬようです」
九体なのに、できあがったのは八体。
そう、一体だけ足りないのだ。
それがなぜかはわからないが、彼女にはお見通しのようだった。
嬉しそうに笑うような、そんな気配を感じた。これもまた、珍しいことだった。
「そう――……そうでなくては。知能は?」
「どれも平均的に低いですね。こればかりは教育プログラムの修正が必要です」
元々、青澄春灯本人はタレンテッドである可能性があると見ている。あくまで、可能性の話でしかないのだが……けれど彼女の歌は、それほどの説得力を感じさせる何かが眠っていると思うのだ。
そんな彼女をベースにした人格に特化した教育プログラムは用意できていない。
一般的に天才と言えば飛び級を真っ先にイメージするのだが、まだまだ浸透しきっておらず、これから深めていこうと思われるものに対して、万全な用意などできようはずもない。
結果的に、用意できた八体の知能は促進した成長に上塗りされた、ささやかな程度のものでしかなかった。
「エリザ、彼女たちの此度の作戦への投入準備は予定通りに?」
「ええ。手配した“時計”と共に。すべて失う可能性がありますが?」
「問題ありません……彼女たちの理想の悪役に徹しながら、成長を見守ることにしましょう。くふ。くふふふふ!」
彼女の目的は何か。
我々の組織を作りあげ、人としてはあり得ないほどの長さに渡り君臨し、隔離世と現世を重ねようという彼女の狙いは――……わからない。誰も。そもそも、顔さえ知らないのだ。ただ絶対的カリスマとして、自分たちを助け、道を与え、導いてくれる存在。
彼女を信じてここまできた。これまでも――……これからも、それは変わらない。
日本の士道誠心に思いを馳せる。
派遣して潜入させた“時計”からの報告によれば、今日が入学式兼始業式らしい。彼らは文字通り、お祭り騒ぎに出会うだろう。
青澄春灯がどのような変化を持って戻ってくるか、今はただそれを楽しみに待つとしよう。
とはいえ、ラビ。きみの困った顔がそばで見れないのは非常に残念でならないよ。
つづく!




