第四百九十五話
私たちだけでは行き詰まるよね、と結論をだしてすぐにカナタたちを巻き込んだの。
なんとかしてコナちゃん先輩の要請を乗りこえたいんだけど、方法が見つからない。
みんなでうんうん唸っていたら、戻ってきたお姉ちゃんが「んなもん倒せばいいだろ」と容赦のないことを言うので、俄然みんなのやる気が増したよね。なんとかして救ってやるのだ、と。
聖歌ちゃんも御霊を宿していないのなら邪を生み出す可能性があるし、だけどあの髪の変化は何かの兆しのような気がしてならないし。めちゃめちゃやばかわツバキちゃんの身体が茨ちゃんのように変化したことを思うと、聖歌ちゃんも御霊に心が近づいているのかもしれない。
それでも、だからこそ、いま邪が生み出されたらかなり凶悪な奴になりそうです。
きっとその邪は愛されたいっていう願いを持って生まれるはず。それを倒しちゃうのって悲しい。
聖歌ちゃんのお母さんがもし邪を生んでいるとしたら、それは聖歌ちゃんと同じくらい切ない願いを持っていそうだし。ただ倒しちゃうんじゃなくて、悲しみに包まれた心を癒やす道を探したい。
コナちゃん先輩もきっと、癒やせる道を探すように求めているんだ。
だからこそ、なんとかしたいんだけどなあ。
今朝方聞いた事情とか、理華ちゃんが気づいたこととか、全部ふくめて考えてみると、聖歌ちゃんは私のことが好きで、渋谷にもいてくれたみたい。きんぴかゲリラライブの動画を見ればそれは一層明らかだ。
なら、やっぱり。
「ハルが歌うのが一番だよね。娘さんが素直に楽しんでいるところを見せて、お母さんを刺激する。ふたりに邪がなければそこで終わり」
「いれば、ふたりの仲を取り持つきっかけにする、か」
「キラリ、そのとおり! たぶん、お互いの邪はお互いを傷つける、ないし自分を傷つけると思うの。ハルから聞いた事情を踏まえて考えるとね……だからこそ」
マドカは断言した。
「そんなことするより、大事な家族をぎゅっとすればいいんだよって伝える。ですよね、緋迎先輩」
振られて、見守っていたカナタが頷いた。
「ああ。春灯が俺を助けてくれたときのように、兄さんを助けてくれたときのように……あるいは、中瀬古や相馬に寄り添った一年十組のように。ほかにもみんな、この一年で思い当たる節はあるんじゃないか?」
みんなを見渡したカナタに、みんなして頷いたの。
刀や拳を、その身一つで戦場に乗り込んで……頼れるのは自分だけ? 違う。仲間がいつも一緒だった。だからこそ、ちゃんとあるよ。団結力が!
「家族の問題は、真実、家族同士でしか乗りこえられないかもしれない……だが、手を貸すことはできる。前回の戦いはあらゆる意味で負けたかもしれない。しかし、俺たちの人生は続く! 救ってみせれば俺たちの勝ちだ!」
お姉ちゃんの刀を勢いよく抜いて掲げたの。
「今日は雪祭り! 楽しく救って大騒ぎするぞ!」
おおおお! って、みんなが声をあげる。私ももちろん拳を掲げたよ。
誇らしくて仕方なかった。カナタはきっとずっと、コナちゃん先輩のように求める理想を捉え続けているんだ。なら、やりきるよ。
お歌となれば、私の出番だからね!
◆
ライオン先生たちのいる学校の教室に訪問してお誘いする。お許しをもらって移動する間にふたりの親子の様子を見たけど、かなりぎこちない。
とにかくふたりをグラウンドの雪像にご案内。その道を抜けて、特別体育館へ。
メイ先輩たちのいる長屋の中でも、ご飯処があって、そこに岡島くんたちが料理を次々と運び込んで大賑わいなの。ストーブもたくさん運び込まれていて、ぽかぽか。
江戸時代の料理を再現したご飯はどうですか、と岡島くんが持ちかけて座ってもらった隙に、カナタとノンちゃんがそれぞれみんなを隔離世に飛ばす。
聖歌ちゃんが来れるのは入学が決定している時点でわかりきっているので、問題はお母さんだ。お母さんが来ていないなら直ちに現世に戻り、私は歌う。隔離世にはキラリとマドカが残って邪をどうにかする、という分け方だったんだけど、ふたりとも隔離世にいたの。
しめたものだ。
隔離世に魂を飛ばされる衝撃に驚いているふたりに構わず岡島くんが料理を勧めなおす。
ふたりが料理を楽しんでいる間に、私はお城へ向かうの。
カナタやノンちゃんたちが特設ステージを作ってくれるから、軽音楽部の先輩たちと軽く打ち合わせながら服を化かす。
いつもの制服じゃあ味気ない。なのでタマちゃんが大好きな着物衣装にどろん!
身体の調子はいい。すこぶるいい。心のどこかで引きずっていたらいやだなあって思ったけど、あんがいすっきりしてる。ふたりが会いに来てくれたからかもと思うと、なんだか無限に元気がでてきそう。
両手を組み合わせて、思いきり伸びをした。尻尾を思いきり立てて、深呼吸する。
「いつでもいけるぜ、青澄。一発目はアルバムの曲からでいいな?」
「お願いします!」
軽音部の先輩に呼びかけられて、胸に手を当てた。
どきどきしてる? かなりね。やばいかも。
でも――……いつだって、歌うときは気持ちがどうにかなりそうで、どこまでも突っ走っていけそうな気がするの。
だからやれる。ここから始めていくよ。
拳を突き上げた。曲が始まる。もしかしたらずっと練習してくれていたのかもしれない。それくらい気合いの入った音のただ中でマイクを手にした。
長屋からたくさんの仲間たちが出てくる。先生たちもいるし、聖歌ちゃんもお母さんもいる。
お姉ちゃんがまるで「お手並み拝見だ」と言わんばかりの顔で見てる。
いいよ。構わない。
今日は無限大にだしていくの!
◆
春灯ちゃんの彼氏さんが「そろそろ催しが始まりますよ」と言って、長屋の人たちに呼びかけた。すぐに楽器の激しい音が聞こえたし、聖歌が迷わず飛び出したの。理華としては、ついていくしかないよね。
出てすぐ見えた城の前に即席の舞台が作られていた。
そのうえにいたよね。春灯ちゃんが。
ゲリラライブで見たときと変わらない、圧倒的な歌唱力で歌う。
びりびりきた! 全身の毛穴がぶわっと開いて、あちこちからいろんな汁が飛び出そうだった。それくらいやばかったの。
でも私よりも聖歌のほうがもっとハイテンションでさ。
舞台の周囲を守るように立っている人たちのそばにまで行って、春灯ちゃんに手を伸ばして幸せそうに歌ってる。負けじと横に並んだけど、聖歌が拙い発音で必死に歌っているの、なんだか無性に胸がぎゅって苦しくなった。
ほかにも士道誠心の生徒らしき人たちがうわあって集まって、同じくらいはしゃぐんだけどさ。構うもんか、みんなにあげるよって言わんばかりの勢いで春灯ちゃんが金色を注ぎまくる。惜しみなく。私も、なにより聖歌も金色を掴んだ。何度だって。
そのたびに聖歌の顔が幸せそうに蕩けていく。
なんでかな。それを見て切なくなるのは。
無条件に感じる愛情って……それって、ほんとはもっと、身内にもらっていいものだと思う。そりゃあ理想かもしれないよ? しれないけど。
はっとしてふり返った。
たてがみおじさんたちに寄り添われて、聖歌のお母さんが聖歌を見ている。
春灯ちゃんの金色を掴んで幸せでたまらない顔をしている聖歌を、とても傷ついて、けれどはっとした顔で。
指輪が急激に熱を持った。それだけじゃない。リュックの中に押し込んだノートが暴れ出す。
『覚醒のときはきた』
『これしきの欲望ならば顕現させるはたやすいこと』
『『 さあ! 因業を露わにし、己の力とせよ! 』』
頭の中に声が響く。嫌な予感しかしないのに、指輪を嵌めた手が勝手に聖歌に伸びようとする。
瞬時に自分の手で掴んだ。
前に言ったはずだ。私の身体を好き勝手にすることは許さないと。
それでも背中やお尻がむずむずし始めた。
羽根が、尻尾が生えたがっている。
急いで逃げた。やばい。やばいやばいやばい!
曲の最中なのに! くそ! くそ!
『くくく! 日頃から我を虐げた報いを受けるがいい! 小娘!』
指輪が訴えてきた。怒りと屈辱のまま、勢いに任せて指輪を掴む。引き抜こうとしたくて。けれど、できなかった。
触れた瞬間に、身体の中を暴力的なうねりが駆け抜けてふっと意識が消し飛んだ。
一瞬だけ。かすかに、七十二の何かに包まれた指輪が見えたけれど――……もはや、どうすることもできなかった。
◆
お歌の途中に駆け出した理華ちゃんが吠えた。
背中が。洋服が引き裂かれて飛び出てくるの。コウモリみたいな羽根。それにいかにも悪魔の逆ハートの黒い尻尾。
動揺した。聖歌ちゃんじゃなくて、理華ちゃんに変化が起きるなんて思わなかったから。
待機していたマドカもキラリもカナタたちさえも戸惑う。
雄叫びをあげる理華ちゃん。それは動物めいた咆吼だった。両手足を地面につけて、がりがりと病的に砂を爪で抉る理華ちゃんの背中のリュックが暴れて、中から大学ノートが出てくる。
上半身を起こして弓なりに反らせると、胸の谷間に握り拳を当てたの。
何かがすっと出てきて、掴んで引き抜いた。それは明らかに刀だった。
「総員、戦闘準備!」
ライオン先生の怒号に思わず我に返る。けれど、遅すぎた。
「『 さあ、お前の罪を見せてみろ! 』」
理華ちゃんの声に混じる響きに鳥肌が立った。尻尾が思わず恐怖に窄まった。
教授の声だ。一瞬の硬直は致命的な隙になる。この一年で学んできたはずなのに、予想外の声すぎてだめだった。
戸惑う私の前で、何かに操られた理華ちゃんが刀の切っ先を聖歌ちゃんに向けたの。
私の前で突然の事態にぼう然とする聖歌ちゃんに思いきり振りかぶった刀を投げた。
いかなきゃ! 思わず飛びつく。みんなが必死に刀を止めようと手を伸ばす。けれど、それよりずっと、理華ちゃんが暴走した瞬間に駆けつけていた聖歌ちゃんのお母さんのほうが早かったの。
「『 親子もろとも暴け! 』」
構わず、凶刃はふたりを貫いた。
手を伸ばした理華ちゃんが、ぐいっと手を引くと、ふたりが悲鳴を上げる。と同時、血はなく黒い泥の塊が吹きだしたの。
「それ以上の狼藉、許す我ではない!」
迷わず理華ちゃんに飛びついたのはお姉ちゃんだった。
引いた手に刀を戻してお姉ちゃんと切り合いながら、もう片手で胸の前に浮かぶノートを握りつぶした。それは一瞬で黒い御珠に姿を変える。とてもとても小さいけれど、見間違うはずがなかった。明らかに教授が出した黒い御珠だった。それを指輪につけようとするけれど。
「させるか!」
メイ先輩の振るった刀が黒い御珠を弾き飛ばす。それは瞬く間に大学ノートに戻って、ぱさ、と地面に何事も無く落ちた。すかさず氷に包まれる。ルルコ先輩が凍らせたのだ。
怒りに雄叫びをあげる理華ちゃんを操る何かは弱まる気配がない。
どうしよう。どうしたら。
てんぱる私に、
「歌え、春灯!」
キラリが叫んだの。
「あいつの星が叫んでる! 元に戻りたいって助けを求めてる! だから歌え!」
歯を噛みしめた。ニナ先生やノンちゃんが、なによりカナタが聖歌ちゃんと聖歌ちゃんのお母さんに駆けつけて傷を塞ごうとしていた。
なら、まずは理華ちゃんを助けなきゃ!
意を決して膨らむ尻尾に、軽音楽部の先輩たちが金光星を演奏してくれる。
がつんと気合いが入った。私ひとりなら、なるほどたしかに迷っちゃって、もしかしたら致命的なことになっていたかも。
ひとりにできることなんて、たかがしれてるのかもしれない。
だからこそ仲間がいるし、みんながいるから乗りこえられる!
やるぞう!
◆
身体が思うように動かないとか、洒落にならない。
それって私の思い通りにならないところで私がどうにでもなるという可能性でしかない。
許容できるかって? 無理! 断固拒否!
なのに、私の指輪は契約条件に私の身体を好き勝手にしていいという条項を勝手に付け足した気になって好き放題している。
許せない。絶対に。なのに。それでも。自分の身体が言うことをきいてくれない。
『く! 閻魔に連なる姫に現世に顕現した神の歌! だが知ったことか! 苛立ちを解消しなければ気が変になる! 手洗いのときは外さないし、風呂には入れる! まったく、湯船で錆びたらどうしてくれる! まだまだあるぞ!』
その理由がこれだっていうんだから、腹立たしいことこのうえない。
聖歌たちが死んだらどうしてくれる。
『ふん、問題ない。悪辣なる一柱の力にてかの者の苦しみを解放したまで』
みろ、とばかりに視界が聖歌に向けられた。
青ざめた顔をして、けれどこちらを見ている身体に異変はない。突き刺した箇所も治されて、お母さんに抱き締められていた。
むしろ気になるのは吐き出された黒い塊なんだけど、まあ明らかに直ちにやばそうなのは私のほう。
冬音さんや真中さんが攻める。その苛烈さに指輪に宿った何者かは押されるばかりだった。
まあこの調子ならすぐに片が付きそうだが。
『ええい! それでは困る! 我を失う結果になるぞ!?』
私の身体を好き放題にしたあんたをつけなきゃいけない理由があるのなら、教えて。
『士道誠心に行けなくなるぞ!』
それはこまる!
絶対にいやだ! っていうか元はと言えばあんたが好き放題したせいだろ!
『これほど霊子に満ちた存在に包まれたら無理だ! 理華、お前の心がそうさせるのだから!』
――……は?
『あの親を憎いと思ったのだろう!? あの娘に親の愛を実感させたいと思ったのだろう!? ならばこれが一番手っ取り早いではないか!』
――……母親が聖歌を守らなかったら?
『守るさ! 会いに来る気持ちがあるのなら!』
それでも、守らなかったら?
『娘の欲望を露わにして、罪を暴き出したまでよ!』
――……だとしても。これは、このやりかたは、許されるべきじゃない。
『そうか? 立沢理華は目的を達成するためなら、手段を選ばないはずではないのか?』
――……。
『言い返せないだろう? これはお前が心のどこかで望んだ荒療治なのだから。否定できないはずだ。なんなら、聖歌を抱き締める母を見て、自慢げに思ってすらいるはずだ』
――……悔しい、けど。
『だからこれは目的達成のついでの我のストレス解消でしかない!』
認めたくなってしまうし。納得してしまったし、それじゃあだめなんだって心の何かが悲鳴をあげていた。
助けて。今の私じゃ、何かが致命的にやばくて、このままじゃどうにかなってしまいそうだ。
真中さんや冬音さんと戦いながら、でももっとずっと……“私自身”を抱き締めてくれる存在を求めていた。
そんな私の耳に、たしかに聞こえてきたんだ。
「お願い金色、光って星を届けて」
春灯ちゃんの歌声が、はっきりと。
『む――……り、理華! 自由を奪うな!』
「知ったことか!」
暴れ回っているようで、自分を守るのに必死な身体で真中さんと冬音さんと戦いながら、それでも気持ちを全力で春灯ちゃんに向けたんだ。
金色に包まれる。あったかい。もっともっと感じたい。もっともっと、春灯ちゃんがくれる熱を感じたい!
「『 くっ! 』」
真中さんと冬音さんの同時の蹴りにはじき飛ばされて、けれどそれで正気に戻った。
転がって、飛び起きて、立ち上がって春灯ちゃんに手を伸ばそうとしたんだ。
けど大学ノートを吸い付くように富んできた。私の手の中に収まるだけじゃない。
『あの女は私を殺した! 私のすべてをかけた欲望を拒絶した! 許せるものか!』
頭の中を高熱で痛むときのようにがんがん疼かせる不快な声に、熱を吹き飛ばすくらい押さえきれない衝動が湧き上がる。
殺意だった。春灯ちゃんを穢す可能性。殺し、犯して再起不能にしたがる欲望の形を許容できずに膨らむそれに指輪の熱が高まる。その怒りこそ、
『そうだ。その衝動こそ、あの女を殺す唯一の力――……』
本に宿る魂がかつて抱いた衝動となんら変わりのないものだった。
いやだ。私の中にそんなものがあるなんて、耐えられない。なのに怒りは膨らむばかりで、本から笑い声ががんがん頭の中に響いてくる。
叫び、苦しみに喘ぐ私の前で本が黒い球ころになった。
『食え。食べろ。禁断の果実を食らえ。さすればお前は何者も並ぶことのできない高みへ至ることが――……ぐっ』
「それ以上はごめんね」
『が、あああ――……!』
ノートを刀が貫いていた。光り輝く刀を突き刺した人は、解散寸前だったアイドルグループを助けたお姉さん。春灯ちゃんキラリちゃんのふたりと同じ番組をやっている、山吹マドカさんだ。
「ああ……“指輪”さん、悪いんだけどこれは破棄するよ? 道を迷わせ持ち主を惑わせる本はいらない――……光り輝け! これはノート、紙の束! 分厚く重ねられていないのなら、切り裂けない道理はない! 元に戻れ!」
裂帛の気合いと共に叫んだ瞬間、マドカさんの刀が黒い球ころをノートに戻したの。
刀に突き刺さったそれを引き抜いて、真中さんに投げ飛ばした。
「メイ先輩! お願いします!」
「焼き尽くせ、アマテラス!」
「それだけでは足りぬ! 残滓をもれなく地獄へ送れ、我が炎よ!」
真中さんだけじゃなく、冬音さんまでもが吠えた。
突きだされた手のひらと刀が大学ノートを焼き尽くす。一瞬で、灰も残さずに消し去った。
『ああああ! せっかく一柱に据えようと思ったのに!』
指輪が悲鳴をあげる。けれど、構っていられなかった。
「うううう、ううううう!」
殺意が消えない。怒りが頭を熱くしつづける。果てがない。何かを傷つけずにはいられなくて、ずっと真摯にひたむきに金色を送ってくれる春灯ちゃんを最初に見てしまった。
刀の切っ先が気づけば向いていた。足が前に出る。だめだ。だめ。だめなのに。
いろんな人が立ちはだかる。知ったことかと怒りが叫ぶ。だめだ。このままじゃ。
たすけて。だれか。
「もちろんだ」
懐に潜り込んでいた。キラリちゃんが、私の胸に刀を突き刺していたんだ。
痛くなかった。ちっとも。むしろ――……。
「あんたの星なら会ったときから見えていた」
心地いい。
注ぎ込まれる。やまほどの気持ち。キラリちゃんの、だいじょうぶだよっていう声。
背中の羽根が消える。すっと肩が楽になる。尻尾も消えて――……怒りもどこかへ。
「助けたいし、助けてもらいたい。そして、あんたはひとりじゃない」
引き抜かれた。熱が離れる。
途端に身体がふらついて、キラリちゃんに抱き留められた。
「無事か?」
天使キラリちゃんの腕の中で、しみじみと思った。
あまつか、と読むけれど。春灯ちゃんは中学時代にキラリちゃんのことを“てんし”だと読んで、憧れていたという。でも、春灯ちゃんの気持ち、わかっちゃうなあ。
まるで天使みたいだった。
すごくいい匂いがして、そっと抱き締めてくれる……途方もない愛と優しさに包まれながら、願わずにはいられなかった。
悪魔になるよりもっとずっと、キラリちゃんみたいな天使になりたいなって――……。
◆
キラリとマドカがやり遂げてくれた。
ケリもついた。或いは望む形じゃなかったけど、しょうがない! 次はなんとかする!
それよりもっとずっと差し迫った次がある。
キラリの腕で気絶した理華ちゃんは元通り。けど、聖歌ちゃんと聖歌ちゃんのお母さんから吐き出された泥は巨大な邪となっていくの。
脈動する心臓になって、ぼこぼこと肉が膨らむ。
弾けて――……残されたのは、小さな犬の親子だった。
戸惑う。侍候補生を一年やってきたけれど、そんな邪は見たことがなかったの。
膝くらいの犬は手のひらサイズのか弱い犬にうなり声をあげる。小さな犬がくうん、と鳴いたら吠える。全身が震えていた。子犬はもちろんだけど、親犬はもっともっと震えていたんだ。
気づいたらみんな、刀を下ろしていた。
それはふたりの親子から吐き出された、あまりに惨くて切ない欲望の形だった。
舞台の上から下りたの。放っておけなくて。
手を伸ばそうとした。お姉ちゃんの手とぶつかった。
「……お姉ちゃん」
「それは、無垢な姿をしても現世を乱す邪に過ぎない。ならば、倒すべきだ」
「だめだよ……そんなこと、しちゃだめだよ」
そっとお姉ちゃんの手を外して、子犬を抱き上げようとした。
そしたらね? 親犬が私の腕に噛みついたの。全力で。とてもとても痛かったけど、構わず撫でたの。
「だいじょうぶだよ。だいじょうぶ……こわくないよ。あなたも、あなたの子供も、だれもきずつけないよ」
なで続ける。そうせずにはいられなかった。
親犬は必死で、ひたむきで、一生懸命で、きっとめちゃくちゃいっぱいいっぱいで。子犬を守りたいけど、どうすればいいのかわからないでいるんだ。
そんなの……倒しちゃだめだよ。
だいじょうぶだよって。一緒にやっていけるよって、そう伝えずにはいられなかったんだ。
マドカが探るまでもない。キラリが見るまでもない。
わかるよ。
「守りたくて、だけどどうしたらいいのかわからなかっただけなんだよね?」
ゆっくりと、だけどたしかに親犬の身体から力が抜けていく。
私の腕にできた噛み痕を、恐る恐る舐めて……子犬に寄り添うの。
身体に触れて、そっと金色を出した。
二匹の犬の身体がすうっと溶けて、金色の霊子に変わっていく。そうして――……戻っていくんだ。吐き出したふたりの親子の中へ。
おろおろしているふたりに、どうしたらいいだろうかと戸惑う私たちのかわりにライオン先生が言うの。
「危険な目に遭わせてしまい、大変申し訳ございませんでした。どうか、ご説明させていただけますか?」
「もしよろしければ、落ち着ける場所へ移動してお話させてください。隔離世のこと、そのほかのことも含め」
聖歌ちゃんを抱き締めたお母さんは、きっと目にしたやまほどのできごとに狼狽しきっているはずだと思ったけれど。
「――……いえ、その。私、昔はこちらに通っていたものですから。だいたいのことは、わかります」
それはとても意外な言葉だったの。
「だから、娘をこの学校に――……ああ、でも、すみません。一度、現世で休めるお部屋に行かせてもらえますか? 娘が心配なんです」
そうこぼしたお母さんを、聖歌ちゃんがはっとした顔で見上げたの。
すぐにお母さんは微笑んで言ったよ。
「……ごめんなさい。もっとずっと、最初に……こうしていればよかった。前にあなたを抱き締めたのがいつなのか、覚えていないなんて……だめな母親で、ごめんなさい」
その言葉に聖歌ちゃんの目からぽたぽたと涙が溢れてきたの。次から次へと流れる雫ごと、お母さんが抱き締めた。
きっと……きっと、ずっと聖歌ちゃんが望んでいた瞬間が訪れた瞬間に違いなかった――……。
つづく!




