第四十八話
触れたのは唇ではなかったの。
だから奪われたのは貞操とか、そういうものじゃない。
私の胸に……ううん。心臓の上に触れたカナタは私の何かをそこに凝縮させていくの。
刀鍛冶の霊子を扱う、あの力で。
最初に痛くなったのは頭。
「あ、ぅ――ッ」
思わず声をあげた私の額にカナタが手を置いたよ。
「痛いのは……最初だけだ」
そう囁いて……頭の中と心臓から引き出された私は壁にほうり投げられた。
あの小部屋でタマちゃんたちがそうであったように私もまた小さくなっていたの。
続いてほうり投げられたのはタマちゃん。それも美人さんの状態じゃない。
狐さんの姿をした状態のタマちゃんだった。
あわてて私はタマちゃんを抱き留める。
それから一体何が、と聞きたくて口を開いた。けど、
「――っ!」
何も喋れなかった。
あわてて口に手をあてると口枷が嵌められていたの。
立ち上がったカナタはその腕に『私』を抱いていた。
狐耳も尻尾も失って無感情、無表情の……黒髪の『私』。
奪われたのは私自身。紛れもなく全てを奪われてしまった。
「俺には目的がある。君の思い出も優しさも……邪魔だと判断した。君は俺を……弱く脆くする」
仮面のような冷たい顔でそう言うと私に向かって手をかざした。
壁が蠢き、触手のように壁材がのびていく。
それはあっという間に私とタマちゃんのいる場所を牢獄に変えてしまった。
「だからここにいてもらう。大丈夫、今の状態なら食事もトイレの必要も無い」
あわてて隙間から手を伸ばそうとした私の首に何かが絡みついてくる。
手で触れるとそれは首輪だった。その手首と足首にも枷が絡みついてきて、それは壁からのびた鎖と繋がっていた。
「傷つけるくらいなら……すべてが終わるまで、そこで寝ていてくれ」
悲鳴が聞こえてふり返るとタマちゃんもまた、壁からのびてきた鎖に身体をがんじがらめにされていた。
牢の格子から何かが噴き出てくる。
「……許してくれとは、言わない。これは俺の罪だから」
わけもわからずに吸いこんで、遠のいていく意識の中で呼びかけた。
なんで。なんで、こんなことするの? って。
◆
青澄春灯 → 沢城ギン Side...
シロの部屋で、俺と同じ匂いのする刀鍛冶の三年生の先輩に俺は肩を叩かれていた。
「はっはっは! あの緋迎とやりあったか、そいつは災難だったな」
「なにがだよ」
「二人とも声が大きい! 夜なんだからもう少しトーンを下げてくれ、勉強の邪魔だ」
はいはい、と二人でうなずき合ってから先輩を睨んだ。
「先輩、あいつのあの技……なんなんすか」
「俺も又聞きだからなんともいえんがね。奴さん、妹を助けるためにそれこそ異常な執念で磨いたのさ、霊子の扱いを。それこそ――……相手を思い通りに操るだけの力を持っている」
「難しいことわかんねえんすけど」
「実は俺もだ」
にっと笑う先輩に眉間の皺を寄せて睨んだ。
「まあそう怖い顔をするな。とにかく……御霊となった妹が邪の棲まう東京地下迷宮にいる、いやいや眠らない街でさ迷ってるなんて噂があってな。どちらにいくにしてもプロのライセンスが必要だ」
「僕たちは学生だ。そんなものはよほどのことでもなきゃもらえないんじゃ……」
「そうとも」
シロの言葉に先輩が頷く。
「ただ……この時期にただ一度だけ、プロが来訪して俺たちと関わる機会がある。そう、刀鍛冶を選んだ後の特別課外活動だ。例年通りなら恐らく明日、行われるだろう」
「プロがわざわざ来て確かめるんですか?」
「まあ……四月のそれはスタート地点の能力チェック、いわゆる様子見だな。夏休み前、冬休み前、学年度末になるにつれて彼らの目はシビアになる」
まあそれはいい、と手を振ると遠くを眺めるような目つきで語る。
「過去、そこでプロに認められてライセンスの取得試験を受けさせてもらう機会を得たヤツがいる」
「……普通にやってもそんな機会もらえないんじゃ?」
「ああ、だからあいつは普通じゃない技をもってる。恐らくなんでもして……機会を得ようとするだろうさ」
諦めるこった、と笑う先輩に納得がいかない。
……似ているのに違う。こいつには何か、どこか……あきらめのようなものを感じる。
緋迎の野郎はまぎれもなく研ぎ澄ませた何かを持っている。
その点においては俺はあいつを認めている。けどシロの相棒になったこいつは、それに対して線を引いてやがる。
普通に生きるなら正しいことかもしれねえ。
なんとなく……どこかを踏み越えた匂いがアイツから漂っているからな。
けど……悔しいが今のままじゃ立ち向かえない。
でもアイツは間違いなく本物だ。少なくとも目の前にいる先輩よりも。
さてどうしたもんか、と悩んでからすぐに思いついた。
「先輩。俺の村正、あいつを斬れるようにできねえか?」
「俺はお前の刀鍛冶じゃないからな。それに……卓越した刀鍛冶の技を越える鍛錬となると、正直荷が勝ちすぎている。緋迎は間違いなく、この学院最強の刀鍛冶だ。後輩に超されて悔しいが……事実としてな」
諦めろ、と。
投げ出すような言い方を自然にできてしまうこいつはだめだ。
先輩を睨む。
そんな俺の反応なんか承知の上で先輩は笑った。
「それより、扉の前でべそかいてるお前の刀鍛冶に声をかけてやったらどうだ?」
「あぁん?」
耳を澄ませてみると「しくしくしく……しくしくしく……どおしてあけてくれないんですかあ」と嘆くガキの声が聞こえた。
「なんだ、あれ」
「一つのことに夢中になりすぎてそれ以外を気にする余裕がないのが、お前の問題だな」
「確かにそれがギンの問題だ」
おでこを突かれた。シロまで同意しやがって……くそ。
まあいい。
「わかった、邪魔したな」
立ち上がって扉を開けると、ぺたんと座ってガチ泣きしているチビが俺を見上げてくる。
「沢城しゃん……」
「誰だっけ、お前」
「ひどい! 体育館で私とエンゲージして、説明だって一緒に聞いたじゃないですかあ!」
「そうだっけ?」
「そうですよー! あなたの刀鍛冶じゃないですかー!」
全力で膝を殴ってくるが、如何せん非力でちっとも痛くない。
だが煩わしい。足で振り払うとこてんと転がった。
運動神経は悪いのか、起き上がるのに時間が掛かっている。やれやれだ。
「お前なんかに……俺の村正、どうにかできんのか」
「あ、あたしは! 一年生の刀鍛冶です! 一年で唯一の、いわば選ばれし刀鍛冶なんです!」
「……ちっともそうは見えねえんだけど」
「そ、それは……これから努力する予定で」
どう見てもチビ。
女子の制服着ているけど悲しいくらいガキンチョ体型。
強いて言えば可愛く見えないこともないが、頼もしさとは程遠い。
「なんて名前だ」
「よ、佳村ノンです!」
「名前もひょろいな」
「ひ、ひどい!」
まあいいや。
「行くぞ」
「え?」
「ついてこいよ。部屋に帰る」
「は、はい!」
いつものように大股で歩いていると、とててててて、と。一生懸命小走りでついてくる音が聞こえる。ふり返ると、息切れしながら笑顔で俺を見上げてくるチビ……もといノン。
「はあ……」
「ど、どうして頭を抱えてるんですか?」
「めんどくせえな。いくぞ」
「え、ちょ! 猫みたいに首根っこを掴んで持ち運ばれるのは納得が!」
問答無用だ。
◆
扉の前につくとノンが震え上がっていた。
それもそのはず、扉の周辺が足跡や刀傷だらけなんだ。
「こ、これはいったい?」
「ケンカ売りまくって買いまくってたらこうなった」
「おおおお……これはすごいところへ来てしまったのでは?」
怯えるノンを部屋へほうり投げると「ここが今日からあたしの部屋に?」と目を輝かせて……すぐに曇った。
何もない。ベッドも、本棚も、机も。
「あ、あのう……家具は?」
「うちは昔から金がねえんだ。てめえで稼いで買うまでねえよ」
「で、でもでも、こないだ特別課外活動があったのでは? あなたの腕ならそれなりに稼いだんじゃないかと――」
「家に仕送りしたから残ってねえよ」
「……意外と家思いなんですね」
「うるせえ黙れ」
「で、でもでも! あたしの家具を届けてもらえば人並みのお部屋になりますから!」
何をフォローしているんだか。やれやれだ。
「そんなことより、村正だ。緋迎の野郎に勝てるようにしろ」
「え――……」
「なんだ、出来ねえのかよ」
「え、と。緋迎先輩はたぶん、学校始まって以来、最強の刀鍛冶で……」
差し出した村正を両手で受け止めながらも、ノンの顔は暗い。
「……そのう」
「なんだ、言えよ」
「正直に白状します。ノンはぶっちゃけ小等部からのエスカレーター進学組なんですが、ずっと成績どべで、出来ない子でした。頑張って勉強はなんとかそこそこに落ち着いてますけど、それ以外はてんでだめで」
じゃあ返せ、と手を伸ばしたらいやいやと首を横に振られた。
「運動も出来ないし。選択だって実践剣術選んだけど真っ先に獅子王先生に斬られちゃいました……刀も手に入りませんでした」
奪い取ろうとして……出来なかった。この俺が。こんなチビから奪い取れない。
それくらい必死な力だった。執念があったんだ。
「でも、諦めきれなくて御珠さまにお参りしにいったら……光ったんです。すぐに先生に報告したら、言われたの。この学校始まって以来、初の四月、一年生の刀鍛冶誕生だって」
泣きべそを掻いて、それでも離そうとしない。
「それに、それに……村正ですよ? やっと手にした特別なんです! だからいやです、これはあたしが鍛冶をするんです!」
「でも緋迎に勝つ自信はねえんだろ?」
「だけど……それでも、いやなんです!」
その頑固さを断ち切るのは、かなり骨が折れそうだ。
面倒なことはやらない主義だからな。
「諦める気はねえんだな?」
「特別を前に、諦めるなんて選択肢があり得ないです!」
俺を睨む目と漂う匂いは本物だった。
しょうがねえ。
「……その刀で戦うのは俺だから、半分は俺がどうにかしてやる」
「え」
「だからお前は全力を出せっていってんだ」
「あ……はい!」
きらきらした顔で頷くノンを見て、内心で頭を抱えた。
面倒なもん拾っちまったな。
◆
沢城ギン → 八葉カゲロウ Side...
朝のホームルームでライオン先生から「特別課外活動」の案内を受けて盛り上がる中、黒髪に眼帯をつけたハルは黙して語らず、片目だって閉じられたままだ。獣耳と尻尾がないことにみんなが触れるけど総スルー。
シロが何度も話しかけているが無視。
休み時間になって出て行って……それっきり戻ってこなかった。
「ハルがおかしい……よな」
クラスのみんなと話し合う。
身に纏っている緊張感は、あいつがこれまで戦った時のテンションと大して変わらない。
みんなが頷く。
「いつもの隙のある感じが一切ないよな、かわいげみたいなもんがさ」
「確かに。俺あいつの後ろの席なんだけど、いつもは油断しまくりで尻尾を揺らしているからパンツ見えるのに今日は他の女子と同じ普通のスカートだから全然だ」
「「「お前……」」」
まったく、と唸りながらもシロが手を叩いた。
「確かに彼女はおかしい。だから……ここはもう、ライオン先生に相談してみるか?」
「そうだな……」
シロの言葉に頷いてみんなで職員室に向かう。
俺たちの話を聞いたライオン先生は腕を組んで唸った。
隣にいるニナ先生がライオン先生に目配せする。
「毎年、侍候補生と刀鍛冶と引き合わせると何かが起きるが……今年はよりにもよって青澄か」
「例年通り……静観しますか?」
ニナ先生の言葉ににわかに殺気立つ俺たちだ。
だってそうだろ。ハルは大事な仲間なんだ。なのに静観なんて。
「刀鍛冶ですが……昨日見た限り、緋迎でしたな」
向かい側にいる狸みたいな先生が言うと、ライオン先生はますます深く唸った。
「むう……何かが起きているのは明白、か」
「ライオン先生、どうにか出来ないのかよ!」
「……生徒の裁量の範囲内だ」
「はああ!?」
なにいってんだよ、と怒鳴りそうになる俺をシロが片手で止めてくれた。
「だが我らも気をつけておこう」
「……ありがとうございます。カゲ、行くぞ」
頭に血が上っていたから深呼吸してイライラを追い出す。必死に、何度でも。
ライオン先生がハルを心配しないわけがない。
その上での最良の判断があれ、だとしたら?
俺たちが動くしかないだろ。
「シロ、知恵を出せ」
「……またそれか。まあ、今回に関しては既に案がある」
「なんだよ」
「この学校の事情を全て把握し、最適な手段を打てる人の助けを借りるんだ。僕らではちんぷんかんぷんでも、その人ならきっと解決出来る」
ついてこい、と歩き出すシロの後をついていって……辿り着いたのは二年の教室だった。
「君たちが僕のクラスに来るとは、どういった風向きかな?」
優雅に歩いてきたラビ先輩にシロは迷わず言いやがった。
「いつか妹さんを助けた借りを返してもらおうと思いまして」
◆
八葉カゲロウ → 青澄春灯 Side...
目覚めたのは夕方。
どれだけの時間が過ぎたのか。
一日かな。一日ならまだいい。
「――……は、」
身体を起こそうとして……首と手と足の枷の息苦しさに喘ぐ。
私はまだいい。身体中をがんじがらめにされて壁に縫い付けられているタマちゃんはもっと苦しいはずだった。
……ここへきて、ショックを受けてる。
カナタのことはもちろんだけど。
身体の中に十兵衞の存在を感じないの。
だとしたら私の身体に残ってるんだと思う。
十兵衞がいるなら滅多なことはないと思うけど、でも……一緒じゃないことに、どうしてこれだけショックを受けているのだろう。
でも、ぼんやりしてられない。
カナタは何かをしようとしている。
それはもしかしたら……凄く大きなことのような気がしてる。
私をこんな風に閉じ込めて……罪なんていうくらいだから、それはよくないことのような気がする。傷つけたくなくて私にここまでのことをしたのなら、余計にだ。
私のままでいたら止められちゃう、こと。
放ってなんておけないよ。
タマちゃんの拘束を掴んでなんとかはずそうとする。
けど固い。叩いても引っ張ってもねじってもだめ。
それでも……タマちゃんが苦しそうなの。
だから手を止めるわけにはいかなかった。
なんで十兵衞を選んだの? なんで……私とタマちゃんをはじきだしたの?
疑問は尽きないよ。
どんどん日が暮れていく。
苦しいんだろうと思うの。タマちゃんの目から涙が落ちていくのが見えて、だから泣きながら手を動かし続けた。
やっとの思いで口元の鎖を外して、顔を拘束から緩めて。
「すまん……のう……おとこにだまされる、わらわのわるいくせじゃ……」
しわがれた声で言うタマちゃんに必死で首を横に振った。
ちがう、ちがうよ。タマちゃん。私のせいなの。
「こうも……いいように、されると……おこる、きも、うせる……のう」
くふ、と笑うけれど力が無い。
助けなきゃ。でも出来ない。今の私には刀すらないのに。
だから――真実。
「やあ、そんなに涙を流して。嬉しいことでもあった?」
扉を開けて入ってきたラビ先輩は救いの主だった。
いま、あったの。ずるい。ずるい。
「霊子を活用している学校の設備の素材をいいことに、こうも無法をされては……監督生として行動せずにはいられないね。というのは建前で」
柄に手をかけた先輩の腕が一瞬だけぶれた。
その次の瞬間にはもう、小さな私とタマちゃんを閉じ込める監獄も、私とタマちゃんを繋ぎ止める枷もすべて断ち切られていた。
「君のクラスメイトから依頼があって君を助けに来た。まさか霊子の塊に変換して魂と記憶を取り出すなんて、新しい相棒とケンカでもしたのかい?」
優しく頭を撫でてくれるラビ先輩に安心したの。
だから涙が溢れてとまらないけど、でも今は泣いてる場合じゃなかった。
つらそうなタマちゃんに寄り添いながら問い掛ける。
「カナタが……何かしようとしてるんです。私は身体を取り返さなきゃだし、カナタの目的も止めなきゃ……いけない気がするんです」
「なるほど……把握した。君の刀鍛冶はカナタか。君はつくづくもってるね。だがそれは後にしよう」
頷いたラビ先輩は「さあ、息を吐いて……楽にして」タマちゃんの額に優しく触れた。
その途端にタマちゃんは淡い光りの珠になって私の中に戻ってくる。
すぐに生えてくる獣耳と尻尾。でも尾は一尾だけ。
それだけタマちゃんが弱っているっていうことだ。
「あくまで刀鍛治の真似事だから回復はさせられないんだ。すまない」
「いいんです! 十分助けてもらってます。でも」
「皆まで言うな、わかっているさ。君の相棒の目的も……簡単に言えば、妹を取り戻すためだが、それをきちんと伝えるためには長い時間を割かなければならない」
「そんな暇ないですし」
「ああ、そうだ。だから――」
ラビ先輩が私をひょいっと抱き上げて窓から離れた。
直後、ぱりいいんと割れて中へギンが入ってきたの。
「緋迎! 勝負だ……あ?」
きょとんとするギンをラビ先輩はにっこり笑顔で見つめて言いました。
「彼と一緒に、きついの一発ぶちかまして目を覚ましてやってくれ。それは仲間の僕たちではなく……彼の相棒になった君にしか、できないことだろうから」
つづく。




