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その刀を下ろして、帯刀男子さま!  作者: 月見七春
第四十二章 チャンネルはどうぞ、そのままで

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第四百七十八話

 



 頭痛がする。未成年はお酒なんか呑んじゃいけない。特に親が酒に耐性がないなら、余計にオススメはしない。悪酔いしてひどい頭痛とめまいがするのが関の山だ。ただ口に含んだだけでもだめ。誰にも気づかれないようにぺっと吐いても、なんだか頭がふわふわするしずきずきする。

 ビールやワインについて、飲酒可能な年齢の早い国なら十四歳からなら許される場所もあるという。けど日本は違う。良好な関係を築いている親や親族に「ひとくちだけ飲んでみろ」と何かの機会で誘われてその気がないというわけでなければ、飲むべきではない。ちなみにそれも違法だと思う。

 中学を卒業して、今はカラオケ店の外にいた。

 生きていると最悪なことが多い。士道誠心の卒業式にも行けなかった。

 なにせここは北海道。気軽に飛行機に乗って、来月進学予定の学校の卒業式を見学だ! なんてできるはずがない。


「はあ……」


 いやなことは積み重なる。

 学校を卒業して、仲の良い子だけで集まればいいのにクラスでお別れ会をするとかで……カラオケに行った。特に仲良くもない子たちの同調圧力に負けた。

 だからって、よりにもよってカラオケなんて。

 マイクを渡された。当然のように。


『明坂で一番、歌がうまかったんでしょ?』

『ねえ、聞かせてよ』

『春灯ちゃんとどっちがうまいのかな。ねえ! 早く歌って!』


 期待する彼らの目。目。目……。


「“最悪”だ……」


 クラス一のひょうきん者で生徒会長をやった男の子のお兄さんが働いているお店で、こっそりお酒を出された。

 見つかったら捕まるどころじゃ済まない危険な遊びを、中学の卒業の高揚感と奇妙な連帯感、そしてもう子供じゃないぞという反発心と好奇心と背徳感で飲みあう空気になった。

 それで?

 飲んだ振りをして捨てた。

 ますます盛り上がるみんなが歌うように求めてきたから離れて、外に出てワイファイ拾って民放公式アプリでお姉さまの出ている生放送を眺めていた。

 青澄春灯をはじめとする士道誠心ブランドのタレントたちの大活躍。それだけじゃない。かつて自分がいたグループの――……明坂29のみんなの歌を見た。自分のいたはずの……居場所に、青澄春灯がいた。


「……っ」


 ずきんと傷む心に顔を歪めて、私の居場所で歌った女の子にあてて呟きアプリの別垢で呟いたときだった。すぐにイイねがついた。よりにもよって“最悪の女”から。


「……青澄春灯」


 呟いた瞬間、胸がずきりと疼いた。痛くてたまらなかった。

 だって――……だって、明坂に囲まれて歌う彼女。その居場所は、本来なら私の――……


「ミカ。なあ、聖ミカ!」


 そばにある扉が開いて男の子が顔を出した。それだけじゃなく名前を呼ばれて、はっとする。

 あわててスマホをポケットに押し込む。


「テレビなんてもういいだろ。中に入って盛り上がろうぜ。田中と村田がキスしててさ。いやー盛り上がってやべえやべえ。脱いでる奴もいるんだ。お祭り騒ぎさ」

「――……ごめん、その」

「歌ってくれよ! 元アイドルだろ? 休み中だっけ? まあいいや、めっちゃ歌うまかったべさ。俺、お前の歌めっちゃききたいんだよね。ってか、お前の声?」


 気分じゃない、と言い返そうとした。


「あんまノリ悪いの……きらいだなあ? 東京に行っちゃうんだろ? なら思い出を作ろうぜ、なあ……聖、いいだろ?」


 彼が覆い被さってきた。


「すげえよな……三大神がかったミつきの明坂三人娘の歌姫が、ここにいるんだもんな……」


 壁に手を突いて、逃げ場を奪う。最悪のシチュエーションだった。


「お前、元アイドルだろ? なまらめんこい……なにより、声が最高にエロい……」


 酒臭い息と露骨に浮かんだ欲望の声。

 コートを羽織った腰に手を当てて、ゆっくりとだけどいやらしく胸にあげようとしてくる。

 状況は明白。クラスの人気者の彼が、自分に言いよってきた。春には東京に行くと聞きつけて、この機会を逃すまいと接近してきた。こんなことにならないように“お休み期間”に入ったら髪を伸ばして地味にして、いつも図書館に引きこもっていたのに。

 一見してみんながいいと思う人の中身はクソで、その人は自分より立場の弱い人に凶悪な内面を露わにする。そんなの本当に……よくある話。彼のことは警戒していた。最後の最後に、詰めを誤るなんて、最悪が重なりすぎだ。


「……やっぱ、普通の女子と全然ちがうな。こんなん、人生で一度しかねえわ」


 興奮した鼻息と、ぎらついた瞳。夢を見すぎて現実を見失っている。私だって普通の女子だ。一度ついた仕事がちょっと普通じゃないだけだ。

 怖気がした。鳥肌しか立たない。

 悲鳴をあげれば済む。それだけの状況で、なのに抗えない。

 ただただ怖くてたまらなかったからだ。


「や」


 ささやくことしかできなくて、それは彼の劣情を煽ってしまったみたいだ。最悪なことに。


「誘ってんの? 最高にくる声だすよな……お前の声って、喘いだらどんな風になんのかな。俺、経験あるからさ。気持ちよくしてやれるよ」


 いやだ。いやだいやだ! きもいきもいきもいきもい!

 そう叫べたらどんなにいいだろう。けど無理だった。目に涙が浮かぶ。彼の顔が近づいてくる。なにを勘違いしたのか知らない男の顔が――……不意にかくんと揺れて、崩れ落ちた。


「私の大事な子に……それもアイドルの純潔に触れようだなんて、許せない行為ね」

「――……え?」


 囁く私の前で、尻餅をついてそれっきり。白目を剥いているだけじゃない。泡を吹き始めている。まばたきをする私に向けて風が吹いた。

 三月の北海道に満ちる雪を舞い散らせて――……空から当たり前のように、あの人が下りてきた。翼をはためかせて。着地してそれはすぐに消えたけれど、幻想を体現する類い希なお姿は消えなかった。

 私は――……ううん、グループに入った誰もが認めている。私たちは普通の女子だ。クラスにひとりはいそうな子。だって絶対的なカリスマがいるから。


「だめでしょ? お休み中とはいえ、アイドルが男とふたりきりなんて……ミカ、私と一文字違いの子にしては迂闊すぎ」


 明坂ミコ。私たちの大事な大事な――……。


「おねえ、さま――……おねえさま!」


 思わず駆け寄って抱きついた。

 明坂ミコ。アイドルの頂点、そのセンターに位置するカリスマというだけじゃない。

 吸血鬼であり、夜の王でもある人。この人のためならなんでもできたし、足だってなんだって舐めるくらい心酔している。今も、それは変わらない。

 でも、お姉さまは私を捨てたはずだ。守るためだといいながら……おそばに置いてはくださらなかった。だから、私は、こんな場所で――……。


「おいで」


 そう呼ばれただけで、こみ上げてきた。

 お姉さまに当たり散らしたい気持ちもたくさん入った激情は、けれど私を突き動かしてお姉さまの腕の中に飛び込ませた。

 抱き留めてくれる。その腕の中で、必死に呼吸する。高ぶって自分を制御できない私の耳元で、お姉さまが囁く。


「お酒は呑んでない?」

「ごまかすために口に含んだけど、すぐに捨てました」


 頭を振る。必死に振る。


「なら“あの日の事件”よりはマシか。ぎりぎりアウトかな、まあいいや――……生放送の後で飛んできて、今夜の私はマジで働き者」

「……すみ、ませ……ん」

「いいのよ。それで? 明坂最高のディーヴァはお休みを十分に取れたかしら?」


 俯く。


「――……休みなんて、とれないです。私は、もう……ただの人です。汚れた、生きる価値のない……そうなんでしょ!? だからお姉さまは私を捨てたんでしょ! だって私はもう眷属じゃない!」


 絶望に叫ぶ私の頬を、あくまで愛しげにお姉さまは撫でてくださる――……。


「違う、そうじゃないの。夜の王たる私でもあなたを“変える”ことはできないのよ、ミカ」


 頬を撫でられた。


「戦うつもりのない子に武器を持たせておくことはできない」


 声を上げたい。でも無理だった。


「打ち上げに連れ回されておかしな男に紹介された挙げ句、席を離れた隙にソフトドリンクに薬を混入され昏睡させられた。そんなあなたに狼藉を働こうとした芸能関係者の醜聞……未成年飲酒、淫行。いやあ、あのころのワイドショーと週刊誌の騒ぎは思いだすたびにうんざりね」


 それこそ、お姉さまの言う“あの事件”の概要……。


「あの時だって、さっきみたいに唇を奪われそうになったあなたを、あわやというところで助けたけれど……ねえ、ミカ。あなたは戦う意志を持てなかった。だから眷属から一度、ただの人へと戻したの。私のあげた力は覚悟がなければ毒となるから」


 スキャンダルの事件の時だって、さっきだって……いつだってそうだ。怖くなると……みんなで攻めてこられると、私は萎縮してしまう。それをお姉さまは見抜いていらっしゃるのだ。


「私の勧めのままに北斗ではなく士道誠心に進学すると決めて……東京に戻ってくる気持ちはあっても、戦う覚悟まではまだなさそうね」


 私の頬から喉へ、そうして――……コートのファスナーが自動的に下りて、ブラウスと下着ごしに胸の谷間に人差し指を当てられる。


「ミカ。明坂におけるアイドルの定義は?」

「……ファンに喜んでもらう活動を支えるために存在する、もの」

「ならさっき、あなたはどうした方がよかった?」

「……勇気を、だす?」

「それはまだハードルが高い。怖かったんでしょ? ……それはいいの。怖くて当たり前だもの」


 思わず頷く私に、お姉さまは微笑む。


「怖がるのはいいの。だからね? 私の名前を呼びなさい。心の中でもいい。今日のように、いつかのように……必ずあなたを助けにくるから。まずはそこから……いい?」

「はい!」

「よろしい。なら……人払いの結界ならすでに張ったから、先に済ませてしまいましょうか」


 素肌に浮かんでくる。黒い染みが……びっしりと。それを人差し指を離すことで私から引きはがして――……青い炎で燃やし尽くす。

 東京の城でお姉さまに聞いたことがある。人々の欲望を集めることができる才能を持った者がいる。その者はあらゆる欲望に蝕まれるが――……転じて大きな可能性を示すことができる、と。私もまた、そのひとりなのだと。

 黒い染みは多くの人間の欲望。明坂29の活動を、お姉さまに休みにされて過ごしていても尚、それは私を狙って現われる。お姉さまは灼いてくださったのだ。

 済んだらすぐに、力で晒した素肌を自らの手で隠してくださった。お姉さまにボタンを留めてもらうのは、すごく久しぶりのことだった。


「いつだって私たちを犯すのは自分と世界の欲望。まず最初に抗わなきゃいけないのは、悔しいけれど私たち自身の役目なの。実に腹立たしいことだけど、ただしさだけで自分を守れはしないのだから」

「……私は、弱いから……眷属ではいさせてくださらないのですか?」

「いいえ。人に戻したのは――……あなたが大事なことを忘れてしまったから」


 砕けそうな心でお姉さまを見た。


「支えてくれるファンのみんなが夢を見せてくれるの。私たちが見せるように、彼らもまた見せてくれる。その力をあなたは忘れてしまった。そして――……」


 お姉さまに言われる前に、自分で呟いた。


「歌えなくなってしまった。だからもう……用済みですか?」


 呟いたら、もう止まれなかった。


「だから青澄春灯なんですか? 私のかわりみたいに! あそこは私の居場所だったのに!」

「――……ミカ。あなたがお休みに入ってもう三年が過ぎた。あの日のあなたは幼すぎたの。だからこそ“あの事件”はセンセーショナルで、あなたは歌えなくなるほど深く傷ついたし……世間から、あらゆる醜い欲望があなたに集まった。人の目を避けて休む必要があったの」

「うるさいうるさい!」


 こんなときに、お姉さまに感情をぶつけてしまう自分がなによりうるさいし。


「お姉さまのそばで、お姉さまと一緒に、明坂を背負って歌うのは私の役目だったのに! なんで! なんで明坂と関係ない子が、あんなに私の居場所を奪って輝いているんですか!」


 ざわつく心のままに叫ばずにいられない自分はやかましかった。

 必死に呼吸して、言葉が出なくなって――……その場限りかもしれなくても、すっきりしてしまって。優しく見守り続けてくれたお姉さまに「ごめんなさい」と謝る。

 明坂は若い子だらけ。私みたいに小学生で参加してた子もいて、そんな子もまるっと面倒みているお姉さまはこの程度の癇癪なんてものともしない。それを知っていて甘える自分に自己嫌悪した。きっと休みに入る前の自分じゃできなかったことだ。


「どうしたいか、気持ちは固まっているみたいね?」

「――……その」

「謝罪を聞くためにきたんじゃない。謝れるようになったのなら、それはあとでいくらでも聞いてあげる。だから膨らんだ気持ちのまま、素直なお願いを聞かせて。聖ミカ――……あなたはどうしたいの?」


 もう一度深呼吸してから、お姉さまに伝える。


「お姉さまにオススメされるまま、北斗ではなく士道誠心に入学を決めました。東京に戻ります――……だからどうか、ほかのだれかじゃなくて……私に、聖ミカに、お姉さまのおそばで歌う権利をください。もう一度。どうか――……どうか」


 選挙のときのようにお辞儀をした。深く。深く。お姉さまが紹介してくださったマナー講師のきびしいおばさまに教えていただいた通りに。顔をあげたら、お姉さまは私をそっと抱き寄せてくれた。


「あなたの中に眠る、明坂一の勝ち気が戦意になるように……小学生のころよりきつく指導する。ついてこれる?」


 ずっと待っていた。ほとんど卒業同然に離れて、北海道に戻されて……ずっと夢見ていた。

 お姉さまの愛情を。飛びついた時点で私の気持ちも理性もすべてが答えを出している。


「もちろんです!」


 ぎゅっと抱き締める。あのころよりずっと目線が近くなった。

 前は子供と大人くらいの身長差だったのに。ずっと近くなったんだ。

 気持ちが落ちついて、お姉さまに促されるままに離れる。


「明日と明後日はオフにした。札幌のホテルに泊まるから、いつでもいらっしゃい。さあ、まずは家に送っていくわね」


 そう言って歩きだそうとしたお姉さまのコートの裾を、私は気づいたら握りしめていた。


「ミカ?」

「――……おそばにいるのはだめですか?」


 私の欲は訴えていた。ずっとずっと、三年もの間、待ち焦がれていた人のそばにいたい。


「今日はだめ。あなたのご家族に挨拶をしたいし、明日ね」

「……わかり、ました」

「そんな顔しないの。かわりに明日と明後日は、あなたとふたりで行動するから」


 意外な言葉にすごく驚いた。


「ミユさんや、みんなは?」

「それぞれお仕事。なに、会いたかった?」

「会いたくないわけじゃないけど……お姉さまがいればいいです」

「はいはい。それ、みんなの前で言わないでよ?」


 呆れたみたいに笑う大事な人に差し出された手を取る。

 くっついて歩けるだけで幸せで満たされる。それでも――……。


「お姉さま。なんで士道誠心なんですか? 私……あの人きらいです」


 思い浮かべる。私の居場所で、私よりずっと生々しい生活をしているであろう女の子が……三年前の私よりずっと輝いていた。

 あの人はずるい。きらいだ。だいきらい。

 私よりずっと、醜聞が広がってもいいはずだ。ひとりぼっちの中学生生活、歌うことしかできない、なのに人生初めての彼氏とやりたい放題なんて……もっと叩かれてもいいはずだ。

 アイドルじゃないから許されるの? 悔しいから配信されている曲を買って聴いた。英語の歌詞はとびきりやらしくて、なのに潔くて……ちょっとかっこよかった。ま、まあ、青澄春灯じゃなくてトシさんの曲だから当然だけど!

 だとしたら……やっぱりきらい。グループで戦う私たちが「誰かの力を借りてじゃないと活動できないなんて」と言う資格はない。むしろ力を借りれることのすごさを体感するから、そこはいい。

 だとしたらもう……残る理由は単純だ。

 気に入らない。私よりのびのび歌う女みんな、気に入らない。誰にも負けるつもりはないけど――……青澄春灯は私を脅かす。だから、だいきらい!


「やっぱりミカは彼女を許しておけないか」

「……お姉さま?」

「うちのグループで誰より彼女を意識してるね。期待通りだ。なら、ちょうどいいかも」

「どういうことですか?」

「明後日の予定が決まったってこと」

「なんのことです……?」

「まだ内緒」


 楽しそうに笑うお姉さまの意図が、まるでわからない。

 わかったのは二日後。お姉さまに連れられて顔を出したCDショップにあの人がいたの。


「どうも、青澄春灯です! やっほー、きたぜ札幌-!」


 集まっているファンの子たちに手を振って愛想を振りまく……耳と尻尾の生えた一つ年上の女の子。春灯ちゃん――……私の居場所に立った人。

 膨れ上がるのは、怒りと憧憬と羨望。


「燃えてるね。だけど……恐れてもいる」


 なにより、恐怖。今の私じゃもう敵わないかもしれない。逆立ちしたって元に戻れないと思い知らされてしまうかもしれない。そんな――……絶望に至る恐怖。

 きらい。青澄春灯がきらい。私の休んでいる間にでてきて、私よりも輝いて歌う彼女がだいきらい。

 いやだ。それを認めたら、私のすべてが折れて砕けて粉々になってしまう。


「……お、お姉さま。よそへいきませんか? ……ここにいたくないです」

「だあめ」


 私を背中からぎゅっと抱き締めて、帽子と髪型だけでごまかしたお姉さまが耳元で囁く。


「歌えないミカだからこそ、聞くべき」

「――……でも」

「だいじょうぶ……あなたのスマホのライブラリに彼女の歌が入っていた。聴いていたんでしょう? ご両親から聞いた。なら――……だいじょうぶ」


 言い返したいのに言葉が出ない。

 その間に簡易ステージにバンドメンバーと春灯ちゃんが立つ。

 曲が始まる。どういう曲かは知ってる。発売されたばかりの、すっごいストレートな歌詞とポップでメジャーな曲調のシングル。突然のアルバム販売からの、ようやく落ちついた形で発売されたシングルタイトルになっている、金光星。

 何度だって聴いた。発売されたその日に、何度だって。歌詞はすべて、頭に入っている。曲を構成する音のすべても。

 だから怖いのは曲というよりもっとずっと、歌う彼女自身だった。

 彼女が呼吸をして――……わかった。スイッチが入ったのが。同じ感覚を何度も味わっているから、知っている。

 彼女が口を開く。私もつられて口を開いた。

 歌い始める彼女の声のように、私の喉から音が出てもおかしくないはず。

 なのに――……声は出なかった。かひゅう、と掠れた音が出るだけ。あ、ぅ、と詰まる音。

 お姉さまの腕の中で、逃げようのない場所で実感させられてしまう。

 青澄春灯を聖ミカがきらう理由は、ただ一つ。

 私は春灯ちゃんに嫉妬している。

 歌えるあの子に、ただただ嫉妬しているだけ――……。

 悔しい。泣きたい。逃げ出したい。もういやだ。聞きたくない! なのにお姉さまは離してくれない。

 喘ぐように、自由に歌う彼女を見た。

 ライブ会場とも、それこそ渋谷でやったというゲリラライブとも規模が比べものにならないほど小さなこの会場に集まった全員に全力を届ける彼女を。

 いやでも思いだすの。明坂のライブステージでお姉さまとミユさんと三人で歌った瞬間を。

 なのに、私の喉はもう歌ってくれない――……。


 ◆


 青澄春灯のお仕事行脚、初日の大阪の日はめっちゃ大変だったよね。なにが大変って、午前中突貫で府中に行ってマドカ、キラリと三人で免許を取らされたの。撮影の一環だからお金は出してもらったので、不満を言ったら罰があたるけどね!

 その足で飛行機に乗って大阪へ。

 夜中の握手会&インストアライブをやるだけじゃなく、地方局の収録に顔をだして販促したりしてさ。おいしいものもごちそうになったから、まあよしとするけど!

 翌朝すぐに札幌行き。こんな過密スケジュールだよ?

 北海道ロケをしているというカナタと連絡を取り合って、会えるとしたら今日のお仕事をやりきった後ってわかったの。函館に行かなきゃいけなくて、気が焦る私の気持ちなんて高城さんはまるっとすべてご承知でした。帰りのチケットはなんと函館空港発! もう! もう! 高城さん愛してる! 早く奥さんに認められてお子さんができますよう!

 あーもうやばい。ねえねえ、もう三月も中盤だよ? ホワイトデーがあるんだよ? カップルになって初めてのホワイトデーだよ?

 ソウイチさんのお店のお部屋、満たしてくれるつもりなのかも。なにかをくれるのかもしれません!

 最近のカナタさんのプレゼント攻勢は止まっていたので、めちゃめちゃ期待していますよ? にやけます! おかげで私の免許証の顔といったら。それを見たマドカとキラリがお腹を抱えて笑うの。


「「 丸顔が蕩けてますますゆるい餅になってる! 」」


 だってさ。失礼しちゃうよ! まあ免許証の写真の私が蕩け顔なのはほんとのことだけど!

 さすがにみんなの前やカメラの前だと普段通りの笑顔でいるけど、そうじゃない時はお察しです。おかげで同行している高城さんに何度も言われたよね。いい加減しゃきっとしなよって。そんなつもりはありません! 人生で初めて素敵なホワイトデーが待っているかもって思ったら、もうただただ期待するよね。期待が膨らんでやまほど妄想して、きっと当日はちょっとやそこらのサプライズじゃ驚かなくなってるかも!


『面倒な』


 十兵衞の指摘にうっと唸る。でもでも、それが励みになるの!

 あれ? 意外と私、愛されているのでは? って思っちゃうとさ……くふ……くふふ!

 まあでもお仕事はお仕事。ちゃんと本気でやるともさ!

 北海道にいる人に会いに行くんだ。切りかえていくよ! 忘れないけど!

 ライブツアーの話も内々だけど出ている。なら……北海道のファンを増やすためにも、今日のお仕事は地固めのひとつ。きばるぞう!

 札幌どんなかなーって思いながらお店の人に案内されて、トシさんたちと一緒に出て――……すぐに気づいたよ。ミコさんの存在に。

 ミコさんがその腕にぎゅっと抱き締めているちっちゃな女の子が、妙に苦しそうな顔をして私を見つめていたの。

 後ろにいるミコさんが唇を動かした。


『テレビゲストのおかえし、まさに今もらえる? ……迷える子羊に救いの手を』


 吐息で囁かれたミコさんのメッセージを拾えたのは真実、私の獣耳だけだったに違いない。

 手を伸ばして応援してくれるみんなに右手を伸ばした。

 もっとずっと、この場で誰よりへこたれている女の子の心に気持ちを伸ばす。

 へこたれモードのあなたの心の中にある、ささやかでも決して消えない光が――……なんでかな。マドカじゃないし、キラリでもないのにね。見えた気がしたんだ。

 だから届けたいと思った。私の輝きでそれを照らせるのなら、いくらでもね!

 サビに入る。さあ、いくぞ――……!




 つづく!

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