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その刀を下ろして、帯刀男子さま!  作者: 月見七春
第四十一章 罪と罰

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第四百七十五話

 



 渋谷の作戦は大規模なものとなった。

 同時多発的に発生した邪の討伐を終えて、刀を振るう。


「掃討の完了を確認。討伐を終了します」

「了解、被害状況を確認します」

「ったく……青澄春灯さまさまだな」

「おい、隊長の弟の彼女で我らが愛するアイドルに皮肉をいうな! このたわけもの!」


 隔離世に集まる警視庁の侍隊のほとんどが結集した渋谷のスクランブル交差点を見渡して、鞘に刀を納めた。


『シュウ……春灯の尻ぬぐい?』


 いや、違うよ。これは私の仕事さ。

 禍津日神の問いかけに苦笑いを浮かべた。

 同じように考えている部下は少なからずいそうだが、しかし……必要なことだ。

 柊くんが駆け寄ってくる。以前はほのかに寄せてくれた思いも、恋人ができたことを伝えて砕いてしまってからは薄らいで久しい。それでも忠実な部下として働いてくれる彼女の献身に報いよう。上司として。


「隊長……けが人ゼロ。確認された邪はすべて低級クラスの雑魚どもでした。現世に撤収しますか?」

「ああ。ただちに現世に撤収し、遅番の隊員に引きついで今日は終わりとしようか」

「はっ! ――……総員、撤収準備!」


 きびきびと働く真面目な彼女に後を託して、深呼吸をした。

 霊子体が数多く行き交う場所は侍隊にとっては激戦地帯。放っておけばやがては邪が増殖するだろう。渋谷警察署の侍隊は激務だな。23区それぞれのエリアで出てくる邪の傾向も変わる。よって、それぞれの警察署、各署交番に配属される侍と刀鍛冶はエリアに特化した能力を持つ。

 警視庁の侍隊が出張ることは珍しい。黒い御珠のような災害事例、ないし、今回のような特殊な事例に対する行動が基本だ。

 ライブのようなイベントは特に注意すべきものだ。人の欲望を刺激する。その性質から、どうしたって邪を増やす。

 楠さんたちがレプリカを用いて我々を現世に戻した。警察車両の中で目を開ける。ただちに車両は発進し、その場を去る。

 雑務を済ませ、遅番の者に後を任せる。その場を離れようとした時だった。


「隊長」


 柊くんだった。私と同じように後はもう家に帰るだけのはずだ。なのに敢えて呼び止めるとは、どういうつもりなのか。


「――……なにかな」


 身構えると悟られることこそ彼女を傷つける。わかっているから、あくまで上司として尋ねる。


「今日の仕事が不服かい?」

「青澄春灯が侍隊にとっての広告塔であること、侍と刀鍛冶の人口を増やすために必要な存在であることは理解しています。妹が接触したそうですが……素直で明るい良い子だと聞きました」


 話が見えない。


「何か問題が?」

「彼女の手にした不思議な金色の光。あれを用いれば邪の抑制につながる可能性がある、と楠さんが言っていました。なら、彼女が活動するときにはその使用を求めるべきでは?」


 きびしく強い彼女の声はよく通る。隊員たちがこちらを見つめていた。同じ意見を抱いている人も大勢いるのは、顔を見ればわかる。


「民衆を扇動するために彼女を守っているわけではないんだ。それに……彼女が接する人々の欲望すべてを消せ、と彼女に命じるつもりもない」

「なぜですか!」

「彼女は民間人だからだ。学生であり、子供だからだ」

「ですが、人気を集めて活躍中の歌姫でもあります! なにより警察の広告塔でもあるんです! なら従わせるべきです!」


 正義感が強いのも考え物だな。権利主義が見え隠れして、それは大層面倒だ。


「だめだ。繰り返すが彼女は民間人だ。そして彼女の歌と光は人を洗脳するためにあるわけでも、欲望を抑制するためにあるわけでもない」

「隊長!」

「柊くん。きみの本音はあれだろう? 青澄くんが仕事をするたびにあちこちで発生する邪の駆除で我々が忙しくなるのが納得いかないという」

「ふぐっ」


 図星のようだ。

 言葉に詰まるのは露骨すぎるな。そういうところが彼女のかわいげなのだろう。


「わ、私は……高校生に振り回されるのが納得いかないんです。私だけじゃないですよ!」


 ぶすっとしながら、それでも本音を打ち明けてくれるようになったのは……我々の関係においては改善点の一つだな。だからといって、砕けすぎも問題だが。


「松浦とか秦とか、ほかにもいます!」

「ちょ、俺は振り回されるなデートがいいって言っただけです。流れ弾やめてくださいよ!」「右に同じく。めちゃかわ女子高生に振り回されるのは、正直悪くないですね」

「……年下の可愛い女の子にはみんな甘いんだから。ほんと、男って。ふんっ!」


 柊くんが巻き込もうとしたふたりは渋い顔で逃げの姿勢。噛みつくようにうなり声をあげて威嚇する柊くんにため息を吐いた。


「ほかに不満がある者は?」


 フロアに集まる侍隊の全員がこちらを見つめてくる。ちらほらと手は挙がるが、すべてではない。多くはないが、少なくもない。そして刀鍛冶の重鎮でもある楠さんが厳つい顔で手を挙げているから、無視もできない。


「楠さんもですか……お話を伺わせていただいても?」

「役職はそちらが上でしょう。命じてくださればいい」

「あなたは父に力を貸してくださる恩人だ。現代における刀鍛冶の重鎮でもある。なにより恩師でもある……礼儀は尽くすべきです」

「ふむ。老婆心ながら、それにしては全体的に砕けすぎですな。ですから……湾岸埋め立て地に島流しという意見も出始めておるのです」


 楠さんの発言にみなが一斉にざわついた。胃がキリキリと痛む。誰にも言わずになんとか回避しようと苦しんでいるのに、しれっと公言されては困る。


「それは、あくまで我々の仕事が評価されない頃に出た一意見に過ぎません。出始めているのではなく、終わった話です」

「ではいま、評価されていると胸を張って言えますかな?」


 踏み込まれたら、言わざるを得ない。


「住良木の技術による可視化が進んでいる現状を維持できれば、我々の仕事もまた可視化される結果にもつながります。事実、住良木は警察にも技術提供し、今回の任務も監視していました」


 それは作戦行動に移る前に告知した内容だ。


「警備会社ができ、学生たちが立ち上げた企業も活動を開始していますが、治安維持活動を担うのは我々警察であり、警察に所属する侍隊です。それは変わりません。それに、可視化されない現状でも、御霊による身体能力向上によって活躍してきた侍たちの功績があります」


 断言する。


「島流しにされたりはしません」

「――……ではなぜ、青澄春灯に未来を託すようなことをなさるのですかな」


 それよりずっと鋭く厳しく懐を貫く師の言葉に目元が強ばる。

 それがあるいは、この場に集まるみなの不満の理由なのかもしれない。


「年下の少女に運命を委ね、振り回されるしかない。我らの役目はもう終わりですかな」


 柊くんが、みなが答えを求めて私を見つめてきた。

 禍津日神がみなの願いを伝えてこようとする。その必要はない。教えてもらうまでもないからだ。


「否」


 矢面に立つからこそ、黙り込んではいけない。怯んではいけない。


「我らは守る。己を食いつぶす欲望を切り裂き、邪に飲まれた人を救い――……人々を守る。それが本分です。我らにできることと彼女がやることが違い、だから立ち位置は異なる」


 単純明快であるからこそ。


「我らは守る。彼女が歌う。それだけのことです。みんな、彼女の起こせる奇跡に託しすぎてはならない。我らの本分を忘れてはならない。これまでのように、これからも。当たり前のように職務を遂行するのみです」


 答えを示し続ける。


「民間人に委ねてどうする? 自分にできない奇跡を体現できる誰かに任せてどうする? そうではない。我らが御霊を宿し、御霊を癒やし導く力を宿したのはなぜか。その力を警察で活かそうとしたのはなぜか。思いだすべきだ」


 柄に手を置いて。


「我らにできないことを彼女はやっている。それは明らかだ。だがそれと己の職務にどれほどの関係がある? ――……仕事に励め。それが諸君の本分だ。それとも、まだ何か不満がある者はいるか? いればいくらでも訓練で示そう」


 みなを見渡した。楠さんの目に歓喜が浮かび、けれどまばたきで一瞬で隠されてしまった。

 柊くんが自省し、みなも内省に努めてくれている。ならば、頃合いだ。


「いないようで何よりだ。それでは遅番に後を委ねます」


 立ち去る。お疲れさまでした、という声が聞こえた。晴れやかな声に口元が一瞬ゆるんで、けれど堪えた。

 着替えを済ませて車へ。後部座席に乗って深呼吸をし……我ながら重たいため息を吐き出す。


「――……疲れた」


 楠さんも意地が悪い。私にはああいうことが苦手だとわかっていて、それでもなお推してくる。いろんな角度からな。年功序列という意味でも、積みかさねた実績という意味でも、なにより強さという意味でも、あの人が表に立ってくれたほうがいいと思うのに。


『楠じいじはなんでやってくれないの?』


 禍津日神の問いかけに苦笑いを浮かべた。

 彼もまたわかっているのさ。

 侍隊の人口が増えずに推移してきた事実が意味するものを。

 調べればわかる。この一見して平和な国で命を張りたがる者は決して多くはない。

 力を宿す高校四校で過ごす日々に心折れる者もいる。よしんば卒業できても、もう満足して刀や力を失う者もいる。

 星蘭の卒業式に出た。牡丹谷タカオくんは士道誠心の真中くんのように強く凜々しく可能性を示し、警察に入りみなを守る夢を語ってくれた。彼女のような生徒ばかりであれば、どれほど楽だろう。

 そうはいかない。そうはいかないのだ。

 或いはこの現状は……我々が前だけを見ていた罪に対する罰なのかもしれない。

 罰と言えば――……。


『昇進は諦めろって、お昼に言われたね。結婚式の話をした時に……うざったいおじさんに』

「……そうだな」


 ため息が深くなる。

 縦社会、それも厳格な……私の生きる道で、先はないと断言されたような状態。

 父さんが諦め、これまで侍隊にいたすべての人間が諦め、受け入れるしかなかった現状。

 私が五月に病まなかったら、変わっていただろうか? どうだろうな……変わらなかっただろうな。


『シュウ……』


 たしかに私は期待している。

 今を塗りかえるくらい、照らしてくれる青澄くんの輝きに。

 何かを変える勢いを持った彼女に。

 新たな御珠を生み出した少女。長らく御珠を生み出せなかったこの国に、新たな可能性を生んだ彼女に期待せずにはいられない。

 未来を作ってくれるかもしれないと……期待しているよ。

 私だけじゃなく、みんなそうなのだろう。

 自分の言葉が返ってくる。いつだって――……言葉は自分に返ってくる。


「それでも、仕事に励む。本分をまっとうするさ」

『……カグヤのご飯、楽しみだね』

「ああ」


 両手を膝上に置いて、瞼を伏せた。


「――……ん?」


 決して出過ぎたことをしない、話しかけてもこない。そんな馴染みの運転手が窓を開け、ステレオにラジオを再生させた。


『――……ょうのゲリラライブはもうやばいの一言! 大反響の彼女の曲をお届けします。青澄春灯で、金光星』


 曲が流れる。青澄くんの曲だ。伺うようなフロントミラーの視線に頭を下げて、耳を澄ませる。

 そういえば今日は聞けなかったな。隔離世にいたから。


『特等席だったのにね』


 ――……たしかに。思わず笑ってしまって、そしたら気づいた。ずっと気持ちが楽になっていたことに。


『英雄に憧れすぎて諦める。現実だけが否定する……なれるよ! たった一言が僕を何かに変えてくれるのに』


 歌詞がふと心を揺さぶった。


『なら僕が言い続けるよ。きみがすき、きみはだいじょうぶ。ひとりにしない、絶対に!』


 気づいたら、鞘を抱き寄せていた。


『シュウ?』


 ……すこし思いだしていたんだ。五月のあの瞬間、彼女が叫んでくれた言葉を。


『つらいなら離していいんです! それでも離したくないなら、愛せばいいんです――……』


 忘れずにいる。腐ることなく毎日に臨む力をくれる言葉だから。


『ひとりにしないよ、離さないから』


 彼女の最後のメッセージに笑って頷いた。

 なにがあっても……どんなに失敗しても、未来を閉ざされそうになっても……離したくないから、その気持ちのぶんを足して増して何倍にもして、愛していく。

 曇りはない。もはや――……緋迎シュウに立ち止まる理由はない。

 いつものようにお礼を告げて、いつもよりも深く頭を下げて運転手に明日を告げて、自室の呼び鈴を鳴らす。

 扉が開く。

 己の住まいと家庭の匂いを――……居場所の香りを伝えてくれる彼女が出迎えて、微笑んだ。


「おかえりなさい――……どうしたんですか、すごく嬉しそう」

「わかるかな」

「あなたのことですから……ご飯にしますか? お風呂に入ります?」

「まず……ハグで」

「あ、あの――……げ、玄関で、毎日抱き締めなくてもあなたの愛は伝わっています……よ?」

「だめかな?」

「……だめじゃない、です」


 赤面する彼女の手が背中にまわる。

 帰る場所があるから。現実が罰を与えてくるのだとしても――……己の愛に許しを与えながら、生きていく。それに名前をつけるなら――……幸せでいいのかもしれない。


 ◆


 さんざんの紆余曲折を経て、青年は口と鼻以外が隠れた拘束具に包まれながら背中を押されて歩いた。かつて生まれた母国の土――……もとい、アスファルトを踏む。

 耳栓がされて音は聞こえない。眼帯をされた上での拘束具。それゆえに光も感じない。背中を押される。手かせが引かれる。

 強く押されて転がる。振動を感じた。車が走る。どこまでも続きそうな永遠の後、また歩かされて――……やっと、椅子に座らされた。

 拘束具の頭部が外された。眼帯はそのまま。けれど耳栓が取られる。音を感じる。いまはいつか。わからない。思考はとうに散漫になって久しい。

 青澄春灯を襲った。英国を襲った。魔女たちの神秘を暴き、世界樹の種を芽吹かせた。そうして――……三人の少女の訪問と、己のすべてが何かに塗りかえられるような、そんな瞬間を体感した。魔女たちによれば、己の生み出した何かの化身が浄化されたという。

 言われてみれば、たしかに狂気は消えた。何かをせねばならぬ焦燥感も、何かを狂わせねば気が済まぬ義務感も、なにもかも。

 眼帯が外される。まばゆい光がやっと落ちついたとき、そこが個室だと気づいた。

 向かい側に禿頭の白人が腰掛けている。


「コードネームはジョーカー。本名、アダム・ホワイト。金髪と聞いたが……日本のゴールドに己のカルマを灼かれたと聞く。しかし白髪ではなく黒髪になるとは、面白い変化だ」


 視線を向けた。スーツ姿のいけすかない顔。その手前――……伸び放題の黒髪が見える。


「英国の魔女たちは語った。お前の心はとうに死に絶えたとな。モニターしているが、心拍は正常。しかしどういうわけか――……“急激に若返り、現在九歳ほど”というのはどういうことか」


 視点は低い。相手を睨むことさえなく……ただ見つめる。


「言葉は理解しているか? 英語でだめなら日本語がいいか? 中国語? 広東語? フランス? ヒンディー? ……どれもだめそうだな」


 視線を落とす。

 それからもいろんな言葉を投げかけられた。手を握られたり、頬を叩かれたり、なにをされても――……反応を示さないでいると、諦めたようだ。


「――……今日はここまでにしよう」


 指を鳴らした男にずらずらと軍服の男達が来て、自分の肘を掴み引きずっていく。

 部屋を出て程なくのことだ。サイドの男ふたりがぼやく。


「大統領を狙ったクソガキを殺さない理由ってなんだ?」

「人のカルマが生み出す化け物を殺す武器を生み出すオーパーツを、こいつが生み出せるかもしれないってよ……上の連中は、こいつからまだ絞りとれるものがないか探りたいのさ」

「裁判は略式。判決は死刑。偽装までして、結果がだんまりじゃ浮かばれないな」

「俺たちは数少ない秘密を知る者ってわけだ」

「――……この一件が終わったら殺されそうだな」

「違いない。これがお前の好きなドラマならだけどな」


 ふたりは笑いあって――……黙り込んで、ベッドとトイレのある監獄に投げ飛ばして終わり。

 転がって、壁にあたって……扉が閉まる。

 足音が聞こえなくなってから、上半身を起こした。

 見えてくる。光の霊子――……集まって、形作っていく。

 自分の人生の基点になった少女の姿に変わっていく。


「――……春灯」


 名前を呼ぶ。彼女は答えない。わかっている。これは……この金色の光の集まりは彼女じゃない。己の生み出した邪の結晶体、その御珠を癒やした彼女の霊子の集まりでしかない。

 己が生み出した黒い御珠が結んだ深すぎる絆、そのすべてを知覚している。

 コナタと呼ばれたあれは――……自分の内なる魂の具現化したものだった。

 だから、彼女と彼が自分にくれたすべて――……浄化されたすべてが自分を変えた。


「これが……最後だと思うんだ」


 原始へと変える。若返りは止まらない。英国を離れる前に魔女の長たる女性は言った。


『あなたはいずれ魂が還元され――……あるいはあるべき姿に生まれ変わるでしょう。それはもう、遠くない時期に叶う。あなたが幼い頃に見た無垢な夢と共にね』


 彼女は見抜いていた。


『ありきたりな、けれど愛情深く優しい家庭……いいことばかりではないけれど、悪いことばかりでもない日常……そのすべてが、ようやく叶う。あなたの形を一度失うという……死を持って』


 微笑みを浮かべてさえいた。


『悲しまないで。痛みはない。絶望もない。死は生への繋がり……あなたはただ、生まれ変わるだけなのだから。もっとも、今のあなたの記憶を引き継げるかどうかは神のみぞ知るところですが』


 触れず、近づかずに告げる。


『あなたの夢は――……ようやく叶う。あなたの死をもってね』


 そして気絶させられて、気づいたときには船の上だった。

 けれど怒りも悲しみも感じない。

 自分の中にあった炎は消えた。渇望も。何かを汚さずにはいられない衝動さえも……すべて、消え失せた。自分を形作る、どこかで間違えて積みかさねてしまったすべては、もう……金色に溶けてなくなった。


「……怖いのかな」


 わからない。瞼を伏せる。繋がりを感じる。形を持ち、生まれて育つ母体の中の魂と。

 汚した手に消えない血。虐げたすべて。そういうなにもかもが溶けていく。彼女の金色が塗りかえて――……ただ悲しみだけが残っている。それももう、感じなくなって久しい。

 記憶は薄らいで、残されたのは――……彼女と彼がくれた喜びだけ。

 これは罰なのだろうか。それとも許しなのだろうか。わからない。

 ぬくもりを感じて目を開けた。金色の少女が自分を抱き締めてくれていた。涙があふれてきた――……止まらない。

 頭の片隅に残ったかすかな何かが噴き出て、それはカードになった。

 世界のどこにでもいけるパスポートのような力。切り札だ。使えば逃げられる。けれど掴んで握りつぶす。彼女の熱に溶かされて――……消える。

 もういらない。これはもう、いらない。

 深呼吸をした。結末を受け入れよう、と。微笑みながら、ぼんやりとそう思った。

 いまでも彼女がくれた家庭の香りを覚えている。自分の家にはなかった。記憶と経験をこそぎとって無垢な魂となって――……彼女に抱き締められて初めて感じた、やすらぐ香り。許しの香り。生きていてもいい、居場所はここだよと教えてくれる優しい香り。あれがきっと、家庭の香りだ。自分が知らずに育った……ずっと求め続けたすべてだった。

 心を決めた時だった。瞬く間に身体の退化――……或いは変革が進む。

 足音が遠くから聞こえてきた。

 構わない。赤子に変わる自分を包み込む、彼女の金色の中で――……溶けて、消えてなくなる。

 最後に思ったのは――……。

 エンジェル、キミは無事かい? という……かつての相棒に向けた問いかけだった。

 金色が溶ける。溶けて――……漆黒は消え去る。ただ一粒、金色がふわりと浮かんで飛んでいく。それは駆けつけた人々に気づかれず、祈りを届けるように羽ばたいていくのだった。


 ◆


 青澄家にて閻魔姫としての責務を果たすべく、クウキが持ってきてくれたぷちえんま帳を眺めていたときだった。

 文字が浮かんでくる。ある男の死と再生の記述。

 そばに控えていたクウキが顔を顰めた。


「姫さま――……母体回帰と転生願望。あまりに生々しすぎませんか? 少々引きます」

「なにを言う。こんな男はざらにいるぞ。まあ……だからといって心地いいかどうかといえば、別問題だが。これも或いは一つの結末なのだろうさ」

「結末、ですか」

「そうとも。それに男が望んだものは、或いは……根本的には死に求める救いでしかないのさ」


 春灯のベッドに寝転がって、ぷちえんま帳を睨む。


「直接的にではないにせよ、春灯は己を苦しめ続けた男さえ救った。そうと気づかずな」

「妹君に教えなくてよろしいので?」

「……生まれ変われば、それはもう別の魂だ。アダム・ホワイトは死んだ。もういない」


 次々と記述が自動的に増えていく。ありとあらゆる人間の罪科が記されていく。


「新たにお母さまから産まれるのはコナタと春灯が名づけた、新たなる命だ。因果はかつてふたりが黒き御珠を宿した幼子を救った時に結ばれた。しかし根源を生み出したものの、死した男のすべては引きつがれない。それは……あの男がもう死んだ事実を裏付けるだけだ」


 お父さまの、あるいは他の煉獄が下す決断を眺めてから閉じた。


「次に生まれた命はもはや別物さ……あいつのそれは脈々と続く魂の一つとなるだけで、まったくの別物だよ。それが真実さ」

「救いなのでしょうか、それは」


 珍しい問いかけだ。我よりずっと長い生を過ごしてきた鬼の問いかけとは思えないほどに。


「魂は還元され、新たな命の礎と変わるか……或いは溶けて消えてなくなる。広すぎるこの海のどこかに生じる何かに変わるだけかもしれない。なら、それは救いなのでしょうか」


 或いは試されているのか。そのほうがずっと、クウキらしい。お父さまから我のことを任されるクウキらしい。

 なら、迷わず答えようではないか。


「そんなものは、それぞれの考え方次第だ」


 クウキが笑う。構わず続ける。


「我は姫ではあるが閻魔ゆえ、我の前に来た者への裁定を下す。それは行動の結果に対する判定だ。だが……過ごせばすべて、何かにつながる。それに意味を見出すのはすべからく、個人の意思だ。裁量に委ねられる。それゆえに」


 身体を起こす。


「己が納得できるかどうかさ。これは救いなのだとな」


 膝を抱いて、クウキの背中を見つめた。


「死の間際、最後の瞬間に見せた顔が……残したメッセージがすべての答えさ――……なら、アダム・ホワイトはたしかに救われたんだろうよ」


 ぷちえんま帳を渡して、ベッドから下りた。

 罰ってのは、周囲が納得してそいつを受け入れるための決断だ。受け入れられなきゃ追放するか殺す。その境界線がどこにあるのか、どの程度の刑罰が妥当か……社会は時に厳格に、時に曖昧に決める。

 けど救いってのは、本人が求め、納得するための瞬間であり、きっかけだ。それはときに生死を超えて何かを変える。

 だからさ。やっぱり……どんな人生を過ごそうと、最後に見せた顔や……誰かにあてたメッセージが答えだ。救われたのか、それとも罰にまみれて死ぬのか。

 春灯が注いだ優しさの中で微笑みながら消えたあの男は――……救われたに違いない。

 立ち上がる。


「我の答えは以上だ。お前の裁定は?」

「誰より誇らしい――……私の自慢の姫です」

「姫が閻魔になるようがんばるよ。さて、士道誠心の制服を受け取りに行くぞ。我は早く新しい学生服を身に纏いたい」

「かしこまりました」


 ぷちえんま帳を懐にしまうクウキを従えて、お母さまに外出のご挨拶をする。

 扉を開けた時だ。ふわりと浮かんできた金色の蝶を目にした。

 手を伸ばそうとしたクウキを片手で止めた。


「……よろしいので?」

「ただの祈りさ。飛ばせてやれ……やっと自由になったんだから」


 見送る私たちに、スリッパの足音が近づく。


「ああ、冬音。悪いんだけどスーパーで買い物を――……あら?」


 顔を出したお母さまの前で弾けて――……お腹に触れて溶けていった。

 帰りたい場所へ帰ってきただけ。祈りは溶けて、祝福へと変わるだけ。


「ねえ。これって何かの符丁だったりする?」

「……そうですね。健やかな子供になりますように、という祈りじゃないでしょうか」

「そう? ……なら問題ないわね。どんな子でも全力で生むし、ばっちり元気に育てるから!」


 明るくそう言える強さは途方もないものだ。特に……我にとっては、そう思えてならない。

 誰もが理想通りに産めるわけじゃない。理想通りに生きられるわけじゃない。誰も。誰しも。

 それでも覚悟と勇気を持って決意を語れる我らのお母さまは強く、誇らしいと思う。


「それじゃあこれ、メモとお金いれといたから」

「私が受けとります」


 クウキがお母さまから買い物バッグを受けとる。


「いってらっしゃい!」

「いってきます!」


 送り出されて外出した。歩きながら考える。

 死と再生。繰り返される輪廻。新しい未来へつながる。くるくるまわりながら。輪の一つとなって――……たしかに明日に何かを繋いでいく。

 我から言えることはない。彼の裁定を下す役目は我にはないからな。

 ただ、願うことがもしあるのなら――……次に生まれる命に幸せがありますように。それだけさ。


「ところで姫さま。昨夜の妹君のテレビ放送、まだ見ていらっしゃらないのでは?」

「……うぐ。と、トウヤがすっかり忘れて我をゲームに誘うのがいけないのだ! お母さまが録画しているから、帰ったら見るぞ!」

「かしこまりました」


 微笑むクウキを従えて思いを馳せる。

 それからお父さまにいただいたスマホを出した。春灯からメッセージが来ていた。


『お姉ちゃん、昨夜のテレビどうだった?』


 さて、どう答えたものか。制服を受けとって家で着替えて確認したら、本腰を入れて見るとしよう。トウヤが「俺が帰るまで待ってよ!」と言っていたからな。あいつの帰りを待ってやらないと。

 それにしても……春灯のテレビ番組ね。いったいどんなことになっているのやら。




 つづく!

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