第四十七話
カナタくんの入寮手続きをしたまではよかったの。
よくわかってなかったから。
理解したのは、部屋についてからでした。
「趣味が偏りすぎだ」
「なっ」
「内装は変えるぞ」
「そんなああ!」
懐から出したメモ帳に何かを書き込んでいるから覗き込んでみたの。
そこにはカーテンも壁にも水晶玉にもだめだしのサインが!
ショックを受ける私に一言。
「今日から一緒に住むんだ。妥協はしてもらう」
はっきりとそう言いました。
そしてやっとここに来て理解しました。
「え。一緒に? ここで?」
「さっきもそういった。どうやらおつむは残念なようだな」
シャープペンでおでこをつんつんされました。
屈辱……! 確かに中学時代の成績は後ろから数えて一番目でしたけども!
「……え、じゃあ着替えとかみられちゃうの?」
「お前が着替えるときは俺がトイレで着替える」
「べ、ベッドは? 一緒に寝るの?」
「一緒に?」
はんっと笑われました。
「そうしたいのなら応えても構わないが、随分と欲しがりだな」
「な!」
ち、ち、ちちち、
「違うから! 私べつにそういうつもりじゃなくて! 寝る場所はどうするのかなって!」
「わかったわかった。耳まで赤くなるとは思ったより初心だな、相棒」
メガネのツルをくいっとやっても、シロくんなら愛嬌あるのにこの人の場合だめ! 意地悪だ!
「ベッドは運んでもらう。あと……鹿の頭、あれは何かの冗談か?」
「ち、ちちちち、ちがうもん! あれはただちょっとしたインテリアで、あると落ち着くというか!」
あわててベッドに駆け上がり、身体で鹿の頭を隠した。
名前だってつけてあるのに!
「私のオスカルを悪く言わないで!」
「それも撤去だ」
「オスカァァアアアアル!」
「机は君のベッドの近くに移動だな。本棚は……これはなんだ?」
私の闇の聖書全四十八章の一冊を手にとってぺらりとめくる。
「なになに?」
常闇を照らす軌跡、それは零を生み出す始まりの刻。
私は預言書の導きにより世界を救い、神羅の支配から解放する黄金の精神を固めた。
「ああああああああああああああああ!」
読みあげられた呪文によりベッドに転がって身悶える私。
クズを見るような目で見てくれたらいいのに、それならいっそまだ抗えたのに。
「……青澄」
笑顔でした。
目が優しかったです。
それが一番つらいというのをきっとわかった上でやっているに違いありません。
「これは残しておこう」
「わっと!?」
「お前に言うことを聞かせるいい手段になりそうだ」
「む、むしろ私が今すぐ実家に送りたくなってきたのですが」
「俺が許すとでも?」
俺様だ……。俺様だよ……。敵いそうにないよ……。
「後で全部覚えておくか」
さらっと言ったよ。さらっと。
「ぜ、ぜんぶ読むの?」
「著、クレイジーエンジェぅ」
「いやああああああああああああ!」
ベッドにじたばた転がる私を哀れむような目と笑顔で見つめて一言。
「覚える」
ううう。
強弱関係は明白でした。
◆
ショックなのはこれに留まらなかったの。
日が暮れた頃にベランダにひょいっとやってきた沢城くんとにらみ合うの。
「なんだてめえ」
「お前こそなんだ」
ばちばち火花が。火花がひどい。
律儀に窓を開けて迎え入れるあたりカナタくん優しい。
「俺はこいつを抱き枕にしねえと眠れねえんだよ」
おでこをぶつけて睨む沢城くんの発言に「あうち」とおでこをおさえる私。
「彼女の恋人か?」
「ちげえ」
「ならお引き取り願おうか、彼女はもう俺の相棒だ」
「あぁん? なんで俺がそんな命令に従わなきゃなんねえんだ」
「彼女の相棒だからな、世話は俺が見る」
「……てめえ、むかつくな」
「奇遇だな、初めて意見の一致を見た」
「ちっ」
カナタくんの胸を突き飛ばして、刀を振り抜いた。
間違いなく斬られたはずの軌道だったの。
なのに、カナタくんは涼しい顔で立っているだけ。
「刀鍛冶に刀を向けないことだ。特に俺のような本物相手にはな」
沢城くんが睨もうとして、けどすぐにはっとした顔で自分の刀を見たの。
いつもなら妖しい輝きを放つ村正がへにゃへにゃになっていたよ!
「あいつを奪い取るためならべつにステゴロでもいいんだぜ?」
「泣き言を言わないだけ褒めてやるよ、一年の新入生代表どの」
カナタくんが指を鳴らしただけで、村正はいつもの姿に戻ったの。
「ちっ……沢城ギンだ。てめえ、名前は?」
「緋迎カナタ。二年だ」
「その面、覚えたからな」
ぎらぎらした目で睨むと、沢城くんは舌打ちしてベランダから出て行ってしまいました。
な、なんか声を掛ける暇もなかったよー!
「他にここを荒らしに来るあの手の輩は?」
「い、いない、です、けども……」
「それは何よりだ」
涼しい顔で窓を閉めるカナタくんに思わず呟くよ。
「つ、強いんだね」
「お前の刀鍛冶だからな」
ふり返ると、本棚のそばに腰を下ろして私の書いた闇の聖書を真剣な顔で読むの。
あれからずっとそうしてるの。
「お……面白い?」
恐る恐る尋ねたら、カナタくんは視線だけをあげて私を見たの。
「言い換えているだけで、これは……悲惨な学生時代を明るく乗り切りつつ、それでもだめな時には奇行に走ったお前の日記だな」
「うっ」
既に読み解いていらっしゃる……だと。
「まあ……お前の分析には役に立つよ、青澄」
そ、そんな目線で読まれるとよりつらいんですけども。
気をつけよう。心に留めるの、青澄春灯。
「カナタくんをツバキちゃんに会わせちゃだめ。絶対」
「ツバキちゃん?」
「な、なぜカナタくんがその名前を!」
「今お前が口に出していたんだが」
「おぅっ! まい! がっ!」
身悶える私を呆れたように半目で見て、ため息を吐くカナタくんでした。
「どうやら俺の相棒は随分残念なヤツのようだ」
◆
晩ご飯を食べに行ったんだけど寮の食堂は随分賑やかになっていました。
それもそのはず、刀鍛冶科の人が増えたからです。
女の子の姿もたくさん増えたけど、ふと疑問に。
「この学校って風紀ゆるめ?」
「侍よりも刀に興味のある生徒の方が多いから、この時期はまだ静かなものだそうだ」
向かい側のカナタくんは退屈そうな声なのにちゃんと教えてくれた。
「それに上級生の異性に手を出せる下級生もそうそういない」
「なる……ほど?」
「あとは……まあ。特別課外活動で成果をあげて外出許可をもらった時に逢い引きするんだそうだ」
あいびき……。
「肉のことじゃないぞ」
「食いしん坊じゃないからね! お肉のことなんか考えてないよ!」
「なら何を考えたんだ?」
「そりゃあ……その」
恋愛的な、ね。コミュニケーションというか。その……。
「興味はあるんだな、年相応に」
「い、いいから! そういう鋭さいらないです!」
肩で笑うだけのカナタくんにぶすっとしつつ周囲を見渡した。
少し離れたところでトモがぽやっとした子に「もっと食べた方がいいって」「もっと似合う服があると思うんだけど」と世話を焼いていた。やっぱりトモって面倒見がいい。相棒さんもまんざらじゃないみたいで顔を赤くして頷いてる。
少し離れたところに目線をうつすとね。
「あんたさあ。あたしを追いかけてきたならもうちっと身長伸ばしてきなさいよ」
「ちげえし、お前のためじゃねえし! さっきも言ったけど、俺はね!」
「はいはい、高嶺の花のユリアを求めにきたんでしたっけ? がんばるねえ、はいはいえらいえらい。世紀末覇者になるのかなー?」
「頭を撫でるな! 俺と大して身長かわんねえだろ!」
「一センチあたしの方がでかいもん!」
カゲくんは同い年くらいの可愛い女の子と言い合ってた。
それはまだいい方かも。
クラスのみんなはお姉さんたちに延々話しかけられて必死で相づちを打ってるし。
そこへいくとシロくんはちょっと雰囲気が違う。
「吉宗ひいたんならもっと食え。でかい男になれんぞ」
「う、うるさいな! これが僕の適量なんだ!」
「だからひょろっちいんだ。刀鍛冶よりなよなよしていてどうするんだ、え?」
がさつそうなお兄さんに絡まれてたよ。
うちのクラスは基本的に賑やかそうだね。
「ぼっちゃま、紅茶をお持ちしました」
「うむ」
レオくんはなぜか執事服のお兄さんに付き従われてるし。
「タツさん、お茶を持ってきました!」
「いいってのに……すまねえな」
タツくんは中学生にしか見えない男の子が駆け寄っているし。
「ユウくん……最近ちょっと、食が偏っているんじゃないかしら」
「姉さん、世話を焼くのはいい加減にしてくれ。僕は一人で大丈夫だから」
狛火野くんは……あれ? なんかすごくそっくりなお姉さんに怒られてた。
そんな中で……ギンの姿だけ見つからない。
「よく観察しておけ」
「え――」
カナタくんの言葉にどきっとしたの。
「それぞれが一ヵ月、半年、一年を過ぎる頃にどう変わるのか。僕たちの参考になる」
外面の一人称を使って言う言葉には思い悩む色があったの。
「……実はカナタくん、私とうまくやれるか不安だったりするの?」
「先輩だ。二人きりならいいが、外では礼儀を通せ」
「う……わかったよ」
まさか怒られるなんて思わなくて、我ながら子供だけどむすっとしながら言ったの。
そしたらプリンを置かれた。
「食べろ」
「え」
「好きだろ、それ」
よくみたら牛乳プリンでした。
正直大好物ですけども。
「な、なんでわかるの?」
「第二章に書いてあった」
まさかのネタ元!
「弟とケンカをすると、仲直りに必ずプレゼントされると書いてあった。君は残念な姉だな」
「う、うるさいなあ!」
「けど羨ましいよ」
もっとからかわれると思ったから、予想外の言葉でした。
「僕にも妹がいるが……ケンカをしたことがないからな。仲直りの方法も知らない」
「さみしい、の?」
思わず口から出た言葉にカナタくんは本当に驚いた顔で私を見たよ。
「……そうかもな」
儚げに笑ってそう呟くと、トレイを手に行っちゃった。
何かを抱えているんだろうと思った。
みんなもそうだし、知れば知るほどなんとかしたいと思い続けてる。
まだ一つとしてちゃんとなんとかできた覚えがないのがつらいところ。
「やっと一人になりましたね……この時を待っていました」
女の子の声が聞こえてふり返ると、見覚えのない顔が私を睨んでいた。
長い茶髪で気の強そうなつり目。腕組みをして仁王立ちしてる必要性は食堂にはないと思う。
「あたしはギンの右腕になった佳村ノンです! 一年生で刀鍛冶を任された中等部からのエリートです! た、たぶん!」
私よりも小さい。多分だけど身長ぎりぎり百四十センチくらいなんじゃないかな。
ツバキちゃんと大差ないくらいのあどけない顔立ちをしてるし……背伸びしてる。
つま先立ちして一生懸命優位性をアピールしようとしている……!
「いいですか! あたしの侍に手を出さないでください!」
「だしたらどうなるの?」
「微笑ましい顔でほっこり声で質問しちゃだめです!」
びしっと指差してきたので「人を指差しちゃだめだよ」ってきゅって握ったら顔をぽっと赤く染められたよ。
「と、ととと、とにかく! おぼえててくださいね!」
ダッシュで走っていったよ。目を閉じて。だから柱にぶつかって泣きべそかきながらどっか行っちゃったよ。
……賑やかになってきたなあ。
あとあの子……えっと、佳村ノンちゃん。
ギンの刀鍛冶になってこの寮にいるってことは、ギンの部屋に住むのかな。
ちょっとイメージ湧かない。ううん……ん?
『もやもやするかの? ジェラシーかの?』
ううん、タマちゃん違うの。
次にギンの抱き枕になるのあの子かなあ、と思って想像してはみたんだけど。
ちょっとほっこりするなあ、って思って。
『……あんがい、おぬしもなかなかじゃの』
よくわかんないけど。
それより気になるのはね?
「あんなに背伸び可愛い子がいるのに、ギンはどこにいるんだろ」
◆
お風呂上がり。
購買で買った尻尾のある女子用ジャージとTシャツ姿でほくほくです。
尻尾の上にボタンがついてて、それを留める感じなの。下着は寧ろ尻尾の上がないです。
寮の中を歩いていたら、部屋への帰り道に出くわしちゃった。
「お前がシロの刀鍛冶か」
「そういうお前は沢城か」
「なんで僕を挟んでにらみ合うんだ」
ギンがシロくんと食堂で一緒にいたお兄さんとにらみ合っているの。
間に挟まれたシロくんがおろおろしている。
「……ふん」
「ふっ」
不意にお互い同じタイミングで笑い合うと手を重ねる。
「今日はそっちの部屋いくから」
「おう」
二人して何かをわかりあったみたい。ほっとしたシロくんの背中を二人が押していく。
男の子同士通じ合う何かがあるのかなあ。
ほんほんしながら部屋に戻ったら、ベッドに腰掛けたカナタくんが私を見て手招きをしてくるの。
なんだろうと思いながら近づいたら、ひょいっと腰を抱かれてベッドに座らされたの。
次の瞬間には背中を押されて、カナタくんの膝に身体を預ける格好に。
「ああああああ、あの? あの?」
「尻尾、毛が絡んでいる」
「え……ひゃう!?」
こそばゆい感触が尻尾から! つーって。つーって!
あわてて振り向くと、カナタくんが綺麗な木製の櫛で尻尾の毛を梳いてくれていた。
「ずっと気になっていた。ちゃんと洗っているか?」
顔を尻尾に近づける気配がしたのであわてて「た、たまに洗ってるよ!」と答えました。
尻尾の匂いを嗅がれるなんて絶対無理。恥ずかしすぎて無理!
「前はいつ洗った?」
「先週ちゃんと洗ったもん! 生えたときだってトモに洗ってもらったし! ……その時は一本だけでしたけど」
「だとしたら残りが洗い足りてないな……あとでユニットバスを使おう。俺が洗ってやる」
「きょ、拒否権は?」
涙目で聞いたら笑顔で断言されました。
「そんなものはない」
「デスヨネ……」
それから小一時間、男の子の膝上に身体を預けて尻尾を梳かれる私です。
こんなに密着して私は恥ずかしくて恥ずかしくてたまらないんですが、カナタくんが全然気にしてないから自意識過剰かもって思って黙るしかなかったのです。
でもさすがにユニットバスにさ。
男の子と二人のではいるのは……さ。
ちょっと……違うと思うんだけど、さ。
「早く来い。縁に腰掛けろ」
シャワーのお湯を出してジャージ姿で良い笑顔で手招きされても困るんです。
「で、でも」
「いいから」
手招きされて縁に腰掛けるとね。
「いくぞ」
ぷち、って。
ナチュラルにお尻のボタンを取られました。
ぽろんとあらわになるお尻(尻尾の上)。
がーん……とショックを受ける私のジャージを掴んでぐいっと下ろされました。
ぱんつが露わに。
更なるがーん。
「久々の大物だ」
けどカナタくんは私の下着がお目見えしても無反応。
その目は尻尾を捉えて話さず光り輝いているのです。
三度のがーん。
「あつくないか?」
「……あつくはないです」
お湯は気持ちいいくらいですが、私の心は嘆き悲しんでいます。
「購買で買ってきたシャンプーで申し訳ないが」
そう言って水を吸った金色尻尾にシャンプーを注ぐの。
一滴二滴じゃ足りないよ。だって八尾もあるんだもん。
実際洗ってみたことあるからわかっているけど、凄く疲れるんだよね。
なのにカナタくんは生き生きした顔で尻尾を洗ってる。
手つきが妙に慣れてて、だからトモに負けず劣らずすっごい気持ちいい。
でも、その。
……あのね?
「ねえカナタくん」
「なんだ?」
「……女子の下着に興味ある?」
「年頃の男だからないといえば嘘になる」
のど元まででかかったよ。
私のじゃだめですか? って。
そりゃあ……そりゃあ購買で手に入るやっすいやつだけど。
きっと女子のパンツを見慣れない男子でも見たらわかる。やっすいやつだけど。
でも一応私も女子なわけで。そこにはパンツがあるわけで。
「見ろ。どんどん……綺麗になっていくぞ」
「尻尾がね」
「ん? ……何をむくれてるんだ?」
「……カナタくんにはわからないよ」
ぶすっとしながらも洗うのを彼に任せる。
その内に鼻歌が聞こえたの。
「機嫌いいね」
「すまない、こういうのが好きなんだ」
「うきうきしてるよね」
「洗うのは楽しい」
「……女子のお尻に興味ある?」
「まあそれなりには」
ちょっと視線をずらしたら見えるはずなんですけど。
「よし、二尾目だ」
「楽しそうだね」
「自分では気づいてないかもしれないが、お前の魅力に触れているからな」
私の尻には魅力がないのですか。
触れろ、というわけではないですけども。
もうちょっとその「うわ、みえた」「すまん、そういうつもりは」みたいなの……ないの?
私が夢を見ているだけなんですか。そうですか……。
悔しくてふり返ってみたら、本当に楽しそうに無邪気な顔で尻尾を洗っているから。
なんか……ずるいなあって思いながら身を委ねました。
◆
濡れちゃったパンツは履き替えることになりましたし、気づいていそうで気が回らない鈍感な彼がタオルとドライヤーで尻尾を乾かすことに夢中なので、色々たいへんでした。
「後にしてよ、お世話ばかか! 私はパンツを履き替えたいの!」
「どうせ乾かすまでの間に濡れるんだから脱いでいればいいだろうが」
「~~!(ばしばし叩く」
「やめろ、よせ!」
こんな会話のくだりで察してくだちい。
無理だって? そうだよね……。
はんけつ晒してジャージにノーパンで我慢しつつ乾かしてもらいました。
いろんなものを乗り越えちゃった気がするよ。
波乱だらけだけど一区切りついた時にはもういい時間だった。
気にする気配が皆無なカナタくんに思わず言ったの。
「カナタにとって、私ってどんな存在?」
「お前みたいな妹がいたら大変だろうな、とは思うよ」
「~~!(ばしばし叩く」
「だからよせ!」
要するにあれだね。小学生の妹さん未満なんだね……。
しょぼくれながらユニットバスでパジャマに着替えてお部屋に戻ったの。
そしたら購買で買ったのかな、カナタは毛布を身に纏って壁に寄りかかってた。
明かりが消えてたけど窓から差し込む星明かりでうっすら見えたの。
「どうした? 寝ないのか?」
「そりゃあ……寝るけど。そこで寝るの?」
「なに、布団もないところで寝ることには慣れている。別に問題は無い」
しれっと言うけど、それってかなり問題あると思う。
「おやすみ」
「……うん」
メガネを置いた彼の顔をベッドに腰掛けて見たよ。
本当に気にする素振りもなく目を閉じて……膝を抱えて、そのまま寝ちゃいそう。
柔らかくて薄い毛布だから、彼の姿勢が見える。
そして十兵衞の念から伝わってくる。身体がいつでも臨戦態勢に入れるよう、緊張しているって。
一人で世界と戦っているみたいだ、なんて。
なんでこんな時に浮かんできちゃうんだろう。
「カナタ」
「いつの間にか呼び捨てが定着しているな、まあいい……なんだ」
すぐに答えちゃう彼の声は、ユニットバスで聞いたリラックスした声とはかけ離れていた。
眠そうだったらよかった。でもギンとやり合ったときと大差ない響きだったの。
「……やっぱり、やだ」
「なにが」
目を開けて私を見つめる顔は冷たくて、それが無性に許せなかった。
それだけ。
それだけで私は立ち上がって彼の腕をとって、ベッドに引きずっていった。
「な、なんだよ」
「寝るの」
「は?」
「一緒に寝るの」
「おま……気は確かか」
「カナタが自分の部屋になったここで、あんな風に寝るのはいやなの!」
「なっ……わ、わがままかよ」
「だから一緒に寝るの! いい!?」
ぶすっというと、抱き締めた腕を振り払われた。
「わかった! わかったから……くっつくな」
顔を背けられました。
横になって隣をぽふぽふ叩いたら、渋々横になってくれた。
背中を向けられたけど、いい。
逃げられないように背中の布地を摘まんでおく。
「……やめろ、そういうの」
ちょっと上擦った声でした。
「え? なにが?」
「服をつまむな……そういうことしたら、勘違いするだろうが」
「勘違いって……なに?」
はああ、とため息を吐かれました。
「よくわかんないけど、私が寝たらベッドから逃げるでしょ?」
「そういう勘の良さはいらないんだが」
「それとも抱きつかなきゃ逃げちゃう?」
深いため息を吐かれた。
背中を向けられてるから、どんな顔をしているのかわからないけど。
「……逃げないから、離せ」
「じゃあ手を握って?」
「なんでだよ」
やっとふり返った彼は私の顔を間近に見て、困ったように眉を寄せていた。
「最初にカナタに手を握られた時、何かを感じたの。何かが始まる予感みたいなの」
「~~っ!(おでこをびしびしつつく」
「いた、いたいよ! な、なんでおでこつつくの?」
「あの沢城がその気になるわけだ……玉藻の前を引き当てたのも今やっと納得した」
しみじみと言われました。
「な、なに? どういうこと?」
「……さっきの質問のお返しだ。お前にとって、俺はどんな存在なんだ? 沢城や、他の男は?」
「放っておけない、大事な仲ま――」
最後まで言えなかった。
肩を押されて……足の間に膝を入れられて。
気がついたらすぐ目の前に、鼻と鼻が当たる距離にカナタの顔があった。
「沢城にどこまで許した?」
「え――……」
「今すぐ思い知らせてもいいんだ。お前のそばにいるのが、男だって」
ギンに似て、違う。
欲はあっても思いと直結していない無邪気さがギンにはある。
「ああ……白状しよう。俺もお前の手を取って感じたよ。何かを」
けどカナタは違う。
年上の男の子の目は、密着した身体からは、声からは……狂おしい何かを感じる。
「もし、それが運命だというのなら――……確かめたい」
その一言が心を叩いたの。
狛火野くんがヒビを入れていた私の心を……砕く。
瞬間、タマちゃんの思念から一気にいろんな……艶事が浮かんでは消える。
やっと――……やっと、頭と心が私の中で繋がった。繋がってしまった。
カナタで、はじめて……繋がっちゃったの。
「――……っ」
顔中が熱くなった。身体だって。すごくどきどきして落ち着かない。
息をすればするほど入ってくる。
カナタの匂い。グリーンからジャスミンに移ろう濃厚な香り。
『そなたの刀鍛治になる男だ。そなたと相性がいいのも……必然よの』
タマちゃんの囁きに答える余裕なんてない。
聞こえるのは私の息、それから鼓動の音。
すごく好き。
身体中が叫んでる。
心もぐいぐい引き寄せられている。
きっと落ちてる。
手を引かれて歩いたあの時。
あの背中を見た時にはもう……恋に落ちてた。
昨日あんなに思い出に残る夜を過ごしたばかりなのに。
……最低だ。
そう思うのに。
『妾とそなたはそういう風に出来ておる……ほれ、尻尾がよう膨らんでおるわ』
優しく許すタマちゃんの声に流されてしまいたい。
それがどんなにいけないことかもわかっているから……無理だ。
「止めるなら急げ」
そう囁く唇が近づいてくる。
昨日は留まった理性は彼の匂いで消し飛んでしまっていて。
出来たことは彼の腕を握ることだけ。
頭の中を過ぎるのはたくさんの男の子の顔。
いいのかな。いいのかな。
でも……したい。私も確かめたい。けど、でも。
「いま、他の男のこと考えたな」
触れる直前に囁かれて心臓を鷲掴みにされた。
「なら……俺がすべて忘れさせてやる」
次の瞬間にはもう、すべてを奪われていた。
つづく。




