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その刀を下ろして、帯刀男子さま!  作者: 月見七春
第三十九章 歌え、愛する先輩たちの卒業式!

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第四百六十五話

 



 頭痛がして、重たい身体を起こす。

 最近は寝不足が続いていた。移動中くらいしか、安心して眠れない。特に今日は無理だった。

 小鳥が朝を告げている。

 遮光カーテンの下から漏れる光を見つめて、南ルルコはため息を吐いた。


「――……昨日は危なかった」


 ユウヤの車で移動中に寝て、起きたら駐車場についていた。

 あいつが私をじっと見ていた。それを見て思ってしまった。ああ、いやじゃないなって。

 私の考えはきっと伝わった。たがいに進むも引くもできなかったあの瞬間、メイが「帰りはいつか」って連絡してきたんだ。

 着信音が鳴らなかったら、危なかった。本当に。

 憂鬱なことはほかにもある。食事を取るようになって私の体調はだいぶ改善されるようになったけれど、それでも限界はある。仕事は忙しくなるばかりで、休みを取る暇がない。

 まあ、昨日の一件のほうが重たいけどね。

 布団と毛布が落ちて、素肌がカーテン越しに光を浴びる。

 硬い手が滑り、腰へと伝う。


「――……」


 寝息を立てている青年の頬を撫でた。

 羽村くんの裸身ならいくらでも見ていられるなあ、と感じながら、けれど三月に残る寒さに耐えきれずに抱きついた。

 硬い筋肉に包まれた華奢な身体は眠りで弛緩している。

 無防備な横顔をながめながら思う。

 卒業式がくる。卒業しなきゃいけない。ここはあくまで高等部の学生寮なので、自分は我が家同然のこの部屋を離れる必要がある。

 大学は士道誠心のエスカレータ式を利用してそのまま進学する。だからメイとサユたちと暮らせる部屋が見つかるまでの間は駅前の寮に移る予定だけれど、学校から離れなきゃいけない。

 そしたら当然、環境は変わるし……彼とも距離ができる。

 未熟な私たちは、未熟な恋をどう育てられるだろうか。

 恋愛教則本も誰かの経験談も意味はない。人と人。それぞれに答えがあるし、それはどんな正解につながっているかもわからず、その先をどういう結末にもっていけるかどうかもふたり次第。

 それでもね。

 メイと私のように、羽村くんにも誰かが現われるかもしれない。学校という閉鎖的な環境で物理的に私より近く寄り添える誰かが来たらどうなるか……わからない。

 私だって同じ。会社の営業のために、業界のパーティーに顔を出したり、イベントに顔を出したりしている。言いよられることが増えてきた。露骨にお金を積まれて愛人にならないかって言われたりもしてる。そういうんじゃなくて、お酒と甘い言葉で口説かれるシーンも増えてきた。

 そういう連中よりもむしろ、守ってくれるユウヤとの距離感が近づいていることのほうが、私にとってもユウヤにとってもずっと手近な問題。

 悲しいし、だからとうといね。ハルちゃんとカナタくんみたいな恋愛ができる人は、そう多くないし。あの子たちすら、ふたりの関係をつくるためにいろんなことを乗りこえているだろう。

 私たちはどうしようかな。

 ねている頬に口づけたら、抱き寄せられた。

 体温が重なる。素肌の密着は、心が重なると勘違いさせてくれるもの。握手やハグと同じ。キスさえそう。

 神話のように願っていた。このつながりは特別で、永遠に穢れないものだって。

 初めて男の子に告白されたときのことを思い出せないのに、あの日の昂揚と不安はいまでも思い出せる。それに付随するクラスメイトの女の子たちの冷ややかな反応はさておいて。

 亡くなったおばあちゃんの声を思い出せないけれど、おばあちゃんの愛情は忘れないように……きみとした時の喜びも忘れない。

 案外、そういう気持ちの積み重ねが私たちを繋ぐのかもしれないね。忘れたり、離れたら……取り返せない。

 だから私たちはそばにいようとするし、愛情を言葉にしたり、形にしたり、ときにはケンカして、気持ちでつながろうとするんだろうなあ。

 気持ちを触れ合い重ねて実感するのもいい。

 ファッション雑誌の仕事はキラリちゃんのように私もしていて、モデルの子たちと一緒になる瞬間もある。だけどメイやサユ、ミツハたちとくっついて撮るよりもっとずっと露骨できつい。

 単純な距離感とか、行為そのものが特別なんじゃない。

 誰とどんな距離感で、どんな行為をするのかが特別――……結局、誰かが大事。

 キスをしたら、彼が目を覚ました。

 幸せそうに顔を蕩けさせて、それから囁く。


「今日ですね、卒業式……おめでとうございます」

「はやいよ、いうの」

「最初にあなたに言いたくて」

「……じゃあ、卒業式の朝に……一回。ね?」

「キス? それとも――……」


 腰を抱かれて下へ。額に、お鼻。耳元から――……首筋、さらにその下へ。

 キスが下りてくるから、お鼻を鳴らして彼の頭を抱き締める。

 朝を堪能したい。学生寮で彼と過ごす時間を、限りある時間を、願わくばいつまでも――……。


 ◆


 倒れ込んできた身体を抱き留める。

 柔らかい肢体の持ち主は、耳元で荒い呼吸を繰り返した。


「――……はあ、はあ……はあああ……先輩、うちのこといじめすぎですよ」


 恨みがましい声に笑って、背中を撫でる。


「卒業のお祝いっつって、夜にパジャマ姿で訪ねてきたら……そりゃあお前、張り切っちゃうだろ?」

「……だからって、夜通しはずるいです」


 拗ねる頬に口づけた。甘えた声で笑って、キスを返してくる。

 ルミナの腰を抱いて、引きよせる。


「卒業祝いにしちゃ豪勢だな……心配ごとか?」

「――……ん、独占したいなあって。痕をたくさんつけておけば――……うちの先輩でいてくれるかなって」


 熱に上擦る声で囁いて、首筋に吸い付いてきた。

 何個目になるかわからないほどつけられて、おかげで痕だらけ。


「浮気防止ですか」

「南先輩とあやしいの、うちはちゃあんと見抜いていますから――……ね?」


 熱が強まるのを感じて、上半身を起こす。

 布団が落ちて、互いの香りが広がる。足が腰に絡められて、離さないとばかりに抱きつかれる。


「――……卒業しても、うちだけの先輩でいてくれますか?」

「やってることと言ってることが――……そんなに締めるなっての」

「いーやーでーすー……心も体も、うちのですから」


 ぎゅうううっと抱きつかれて苦笑いしかけて……目にした名残の残骸たちを見て、ため息を飲みこんだ。

 呆れる代わりに耳に口づけた。


「ひゃう――……も、もう、耳はだめです」

「可愛すぎるんだよ……俺もいよいよ進退窮まったな」

「いまさらですよー?」


 軽やかに笑って、けれど密着する熱に余計なフィルターは一切なし。

 全力で愛情を伝えてくる。


「別名保存の恋なんかに……負けるつもり、ないから――……先輩、おねがい」


 その先に囁かれるおねだりに、彼女をベッドに押し倒していくらでも。

 こうしている間はたしかに浮かばない。式の開始、一時間を切ってやっと出ていったルミナを見送る。時間がきついし身体の痕がやばいから、大浴場は見送りだな。

 寮は今日中に出る。卒業時に退寮する運びだ。

 とはいえ式のあとに敷地内の学生寮については、退寮式を行なう。最後に大浴場で身体を流して終了。学校側が用意してくれる二次会の会場へ移動となる。

 家具を持ち込んでいる連中は事前に配送している必要があるが、俺はベッドもなにもかもレンタルだ。私立だけに金もってる連中が集まっているが、だからって仲間にあわせて無駄遣いすりゃいいってもんでもないんでね。

 とはいえ、シーツと布団カバーは私物。こんなこともあろうかとってな。

 消臭剤を吹き付けて名残を消して、一息吐いたらユニットバスへ。

 シャワーを浴びながら考える。不安がって卒業前に行動に出たルミナは、目ざとい。こないだの車移動の一件から、南と妙な空気になることが増えてきた。

 さすがにルミナといる時に、あいつを南と間違えたり、南を思って沈黙したりとか、そういうヘマはしないけど。ひとりになると、つい南のことを考えてしまう瞬間はある。

 終わったはずの別名保存の恋心。いつだって再燃する。男の心は繁殖に都合良くできている。それを女性は「下半身と脳が直結している」と揶揄するが、別に俺は南と寝たいわけじゃ……。


「いや、それは否定できねえな」


 一度は恋した相手と、もし結ばれる瞬間があったなら?

 そんな仮定についつい夢を見たり身を委ねてしまうから、田舎に戻って再会した相手と結ばれたり、成人式や同窓会で浮気したり不倫する連中がいるんだろうさ。

 白状する。そりゃあできりゃあいいな、とは思う。でもやるかどうかは別問題。結局最後は、そこに折り合いをつけられるかどうか……ないし、致すなら、どんな形で致すかでしかないんだろう。そしてその答えは、先日の車で南に言ったとおりだ。

 まずなにより、お互いの相手を大事にする。それが最優先だ。学生の恋愛事情と卒業後の恋愛事情はおおきく異なる。現実か、はたまた夢か。


「……いっそ結婚しちまうか?」


 苦笑いして頭を振る。

 ルミナの商売は独り身であることが大前提なんていう縛りがあるらしい。大変だな……。

 それに俺は学生やりながら商売邁進。安定企業になるまでの道のりは長く険しい。

 結婚しても、幸せな家庭を築くための時間を割く余裕がいつもてるのか、断言するが未知数だ。余裕はきっと、作らないとできないだろうしな。いまは会社で手一杯だ。

 そんな不安定かつ信用のない俺がルミナの親に挨拶して娘さんをくださいなんて頭を下げても、相手も「寝言は一部上場してからいいな」と返すだろう。俺ならそうする。


「……結婚、ね」


 学生が卒業後の別離に対する不安でする対処としちゃあ、ちょっとレベルが高すぎる。それに急すぎるな。急すぎるが――……。


「はあ」


 ため息を吐いた。

 目を伏せると浮かぶ。ふたりきりの車内。昨日のあいつは移動中ずっと寝ていた。いつも停めてる駐車場に車を停車させ、無防備な南の顔を見ていたら、あいつが目を開けて。それで、見つめあった。お互いに無言で、いつまでも。真中が南のスマホをならさなかったら、正直やばかった。

 もちろん手はある。

 ジロウなりミツハなり、誰かしらを乗せりゃあいい。けど稼働が高い連中は別で仕事してもらわないと会社がまわらず、俺と南は同時行動が多いからやむをえず、別個で行動させるにはまだまだ不安。あいつはいやにモテるから、妙な誘いを受けることも多い。

 いっそ真中が付き添って、常に南を守ってくれりゃあいいんだが。真中も真中で忙しいからな……。


「今日の南を見て決めよう……」


 いきなり結婚はないにしても、具体的に先に進めるくらいはしてもいいかもしれない。

 あとは……そうだな。刀の所持許可証がなくても刀を学校に預ければいいのだから、ルミナとふたり暮らしとか? そのへんも要相談……やりすぎか?

 シャワーの栓をひねって止めて、タオルで身体を拭きながら鏡を見た。

 キスマークまみれになった自分を見て呟く。


「やっぱ話そう」


 どれだけ不安を誘ったのか理解したら、ためらう理由はもはやない。

 そう心に決めて朝飯をさっと済ませて教室に行く。

 南と目が合った。お互いに顔が緩む。安心感と心地よい昂揚を感じたのは俺だけじゃなかったみたいだ。だからなのか、南と俺は同じタイミングで必死に頭を振った。

 やばい。この感情はかなりやばい。


「……やっぱ話そう」


 ルミナにメッセージを送る。


『今夜あいてるなら、俺んちにこないか? 不安にさせちまったから……お前に大事な話があるんだ』


 すぐに返事がきたよ。喜んで、だとさ。


 ◆


 サユに肘で突かれて、耳元で囁かれた。


「ルルコとユウヤ、怪しい。メイはどう思う?」


 言われなくてもわかってるって。でもな。


「今日をもって卒業するんだから……もういい加減、自己責任でしょ」

「自己責任、ね」


 サユが意味ありげな視線を送ってくる。


「卒業したら、暁先輩と同棲するんでしょ」

「……な、なにか問題でも?」

「べつに? 三人で暮らせる場所が見つかるまで、彼氏の家に住む人の自己責任ってなんだろうなって」

「そ、それを言うなら、ルルコだってサユだって実家に一旦戻るんでしょ? 問題ないはずだよ」

「そうだね。納得のいく物件が見つからないのが悪いよね」


 言うだけ言って、自分の席に戻っちゃう。

 もう! たまに辛辣なの、よくないと思うよ? ほんと。

 むすっとしていたら、後ろから胸を鷲掴みにされた。


「ささやか乳ともしばしの別れ」

「……ミツハさん?」


 怒りをこめてふり返ると、首から下を包帯で巻いたミツハが立っていた。制服はアイロンがびしっときいているわりに、どこか痛々しい。


「……実家との決着、ついたの?」

「じいじやお父さん、兄弟連中ならだまらせてきた。最後はばあばの鶴の一声でフィニッシュ……問題ない」

「とてもそうはみえないけど」

「だから哀れ乳を揉んでるの」

「――……やめてもらえます?」


 残念と呟いて手を離すと、今度は百面相をしているルルコの背後から抱きついて乳をもみしだいている。激しいし変な奴だ、ほんとに。


「メイちゃん、お疲れ」


 隣の席に腰掛けたジロちゃんに笑顔を返す。


「お疲れ。今日でこの部屋を出るんだって信じられる?」

「全然。けど……黒板の絵とか」


 ジロちゃんが見つめる黒板にはチョークで絵が描かれている。コナちゃんたちが用意してくれたサプライズの絵なのだろう。卒業おめでとうございます、だってさ。

 黒板を背に、クラスの子が入れ替わり立ち替わりスマホで写真を撮っていた。


「既に泣いちゃってる子とか」


 耳を澄ませば聞こえてくる。華やぐ声に混じる、寂しさとか不安がこみ上げて涙に変わる声が。


「……馴染んだ机と離れるって実感しちゃうよね」


 いつだってお日様みたいな笑顔を見せてくれるジロちゃんの表情に僅かな影が差す。けれどそれは渋さに変わって、大人びて見えた。

 予鈴が鳴る。先生が入ってくる。ぴしっとスーツで決めた姿、腫れた目元。万感の思いで見渡す顔。みんなそれぞれに席に戻る。

 時間が来たら、体育館への移動を告げられるだけ。刻一刻と、そのときは近づいている。

 ああ――……終わりなんだなあ、と。

 そう思うと、複雑だ。


「二年生が花を持ってきます。つけたら順次、移動を」


 ぼやっとしていたから、先生のその言葉ではっとした。

 コナちゃんやラビがやってきた。

 ラビはいつもの顔をしていて、憎らしいくらいらしくて清々しい。

 対してコナちゃんはもう目元がぐしゃぐしゃでひどい有様だった。

 平気だった子たちがそれで涙腺をやられた。悔しいけど――……私もダメだったよ。


 ◆


 体育館に集まって、先輩たちを待っていたの。

 今日の主役は間違いなく三年生の先輩たちだ。

 さみしい。いやだ、いかないでっていう気持ちよりもっとずっと、素敵な一日にするんだっていう覚悟のほうが強かった。

 後方のパイプ椅子にたくさんの父兄がいたよ。そして、中学生の子たちも。社長たちもいた。カメラも入っている。

 それに警察の関係者も多数きていた。シュウさんはいない。仕事が忙しいのか、はたまた星蘭の卒業式とかぶっているからか。

 だからって騒がない。一年生の輪のなかで、みんなでひそひそと打ち合わせていたら、二年生がやってきた。

 そうして二年生と一年生の中から何人かの人が壇上に向かっていく。そして、楽器を手にするの。

 きぃん、と甲高い音が鳴って、教頭先生がマイクに語りかける。


「これより――……卒業式をはじめます」


 呼びかけられた言葉に思わず背筋を正した。


「卒業生、入場」


 楽器を手にした人たちが演奏を始める。

 卒業写真という曲目――……。

 吹奏楽部の調べに誘われるように、三年生が後ろの入り口から入ってくるの。

 メイ先輩とルルコ先輩が先陣を切っていた。真っ赤になった目元と潤んだ瞳、それに輝かんばかりの笑顔で歩いてくる。それだけでもう、目元が勝手に歪んで、気持ちが騒ぎ出す。

 飛んでいって抱きつきたい。いやだって叫びたくなってくる。封印したはずの願いが暴れ出す。たまらなくなった時だったの。隣にいる茨ちゃんがぎゅって手を握ってくれた。みたら、茨ちゃんも涙でぐしゃぐしゃになった顔で、お鼻をすんすんいわせて見守っていたよ。

 だから堪えたの。

 三年生が席についた。演奏が終わる。着席の号令で、みんなが座る。


「学院長、開式の挨拶」


 壇上にのぼっていく。

 始まるよ、式が……終わりが始まっちゃう。


「卒業生諸君、今日という日を――……誰も欠けることなく、健やかな状態で迎えられたこの日を祝い、心より申し上げたい。卒業、おめでとう」


 じんときちゃう。もうすでに無理だ。私も茨ちゃんの手をぎゅっと握った。


「卒業証書、授与」


 教頭先生の言葉で音楽が流される。

 三年生の担任の先生方が生徒の名前を呼ぶ。ひとりひとり。

 壇上にあがって、卒業証書が渡されていく。晴れやかな顔をしていたり、流れる涙で必死な人がいたり。

 証書だけじゃないの。


「北野サユ、御霊――……級長戸辺命(しなとべのみこと)

「はい」


 凜とした声を放って壇上にあがる北野先輩に証書と一緒に、刀が進呈されていた。

 侍候補生には刀を。なら、刀鍛冶の先輩は?


「楠ミツハ、御霊――……金山彦神(かなやまひこのかみ)

「はい」


 壇上にあがる、士道誠心最強の刀鍛冶でありトップだったミツハ先輩は証書と一緒に金のメダルを受けとっていたの。もしかしたら……御珠のレプリカなのかなあ?

 次々と名前が呼ばれる。


「南ルルコ――……御霊、櫛名田比売(くしなだひめ)

「はい!」


 壇上にあがるその人を見て、気持ちが制御できなくなるの。

 氷の粒を周囲に浮かべて、刀と証書を受けとって学院長先生にお辞儀をして――……下りるときに目が合ったよ。はにかんで笑ってくれた。私に指差して、それから羽村くんやマドカ、キラリに――……シオリ先輩を指差して、手を振って下りていく。

 本当に、卒業しちゃうんだ。ルルコ先輩、離れちゃうんだ……。

 いやだな。やっぱり、いやだ。ずっと一緒に学校にいたい。そう思っちゃう。だから、


「真中メイ!」


 その名前に心が軋みそうだった。


「御霊――……天照大神(あまてらすおおみかみ)

「はい!」


 壇上にあがっちゃう。

 メイ先輩が、学院長先生から証書と刀を受けとった。

 ふり返る。階段へ――……刀を抜いて、掲げる。まばゆく煌めく、圧倒的に強くて途方もなく頼りになって。いてくれなきゃ困る、私たちのリーダーの刀がお日様のように輝いた。

 刀を傾けて、そっと納刀して……涙をひとしずく垂らして、下りていく。

 いろんな生徒たちを見つめて――……最後に私を見て、笑って。

 耐えきれなくなって泣いた。無理だった。ああ、やだなあ。ずっと一緒にいたいなあ。卒業なんて、そんな日……永遠にこなければいいのになあ。

 茨ちゃんの隣から、岡島くんがハンカチを貸してくれたの。必死に拭うけど、足りない。あとからあとからわき出て止まらない。

 ルルコ先輩も、メイ先輩も……みんな、みんな、涙で濡れた目元で清々しい笑顔を見せてくれた。

 笑顔で送り出さなきゃいけないのに。なんでかな。なんでこんなに悲しいのかな。

 茨ちゃんと抱き合って、必死に先輩たちを見守る。特別な一瞬を思い思いに過ごして、三年間の証を受けとる先輩たちの姿を忘れないように。

 最後のひとりが受けとって――……皆勤賞とか、賞状の授与をして。


「学院長、式辞」


 進んでしまう。


「まずは一言。卒業、おめでとう。いいかな……今日の涙は、明日への活力。忘れないよう――……大事に、大事にこぼしなさい」


 学院長先生の言葉に気持ちが揺れた。


「今日まで大事なご子息ご息女を見守り、委ねてくださった父兄の皆さまへ、心より感謝を申し上げます。誠にありがとうございます……皆さまのご支援のおかげで今日、かけがえのない夢を心に宿すに至りました」


 私たちの前――……二年生の前にいる三年生の席から、お鼻をすんすん鳴らす音が聞こえる。


「卒業生諸君。きみたちはそれぞれに夢を抱き、それぞれの旅路に進みます。ですが士道誠心学院高等部で学んだ三年間の教えと、なにより築き上げた絆が、それぞれの人生を支え、道を切り開く力になると確信しております」


 いつだってお話をすぱっと終わらせる学院長先生が、珍しく……もしかしたら、初めてたくさんの言葉をくれている瞬間なのかもしれない。


「最後に――……卒業は通過点です。こういう場においては素晴らしい門出と表現し、新しい世界へ送り出すかのようによく言うものですが、私はきみたちに伝えたい。誠意に務め、心を忘れることなく、己の人生を変わらずひたむきに生きて欲しい。これまでのように、これからも……今日がすべてではない。毎日が、すべてだ」


 皺のある顔でくしゃっと微笑んで、


「よき一日になるよう、もういちどこの言葉を贈ります――……ご卒業、おめでとうございます」


 一礼した。そうして――……壇上を降りる。三年生への最後の言葉はもう、贈られた。


「在校生、送辞」


 学院長先生と入れ替わりで壇上に上がるのは、コナちゃん先輩だった。

 いつだって毅然としていて、強くて凜々しくてしゃんとしたコナちゃん先輩は、壇上で涙と鼻水でぐしゃぐしゃの顔を晒したの。

 その瞬間、たまらなくなって堪えきれなくなった。あちこちでお鼻を啜る音がする。


「――……っ」


 笑ったの。


「すみません。いろんな言葉を用意しました。今日という門出の日に、愛してやまない先輩がたが胸を張って卒業できるよう……在校生を代表して、生徒会長として……なにより、愛してくださった後輩の代表として、みなさんに贈る言葉を」


 涙はずっと流れていた。お鼻も。


「どの言葉も適切じゃありませんでした。おめでとうと言いたいし、許されるなら今日という日をありがとうで埋めつくしたい」


 必死にお鼻を啜って、懐から出したの。巻物だ。とっても太いの。

 広げて、転がして。その時に見えたよ。びっしり文字が書いてあった。

 それを置いて、一瞥すらしないで……先輩たちを見つめているの。


「刀鍛冶の先輩がたへ。私たちが侍の心を癒やすだけでなく、共に寄り添い戦える道を切り開いてくださったみなさまにはどれだけ感謝しても足りません」


 必死に。


「侍候補生の先輩がたへ。去年度に起きた悲しい事件をきっかけに壊れそうだった私たちをきびしく強く導き、支えてくださったみなさまがいなければ、私たちは……今の士道誠心は、ありませんでした」


 伝えている。


「あなたたちがいたから、時に迷い、時に間違え、時に傷つけ合う私たちはここまでくることができました――……っ」


 必死にお鼻を啜って、深々とお辞儀をしたの。

 マイクなしで、だけど伝わる声で――……。


「ありがとう、ございました」


 すんすんと鳴る音が広まる。


「「「 ありがとうございました! 」」」


 二年生の先輩たちが声をそろえて唱和するのは、もう、反則でしかなかったよ。

 身体を起こして、悪戯っぽく笑ってさ。


「驚いてもらえました? 日々をあなたたちへの感謝に変えて……まだまだ、驚かせます」


 晴れ晴れとした笑顔で、指を鳴らしたの。

 二年生が一斉に立ち上がる。舞台袖からラビ先輩たちが楽器を携えてやってくる。


「入学式がうるさいなら、卒業式はもっとうるさいのが我が校の伝統。あなたたちの過ごした三年間に誠意をもって、全力で送り出すべく……贈り物を。まずは我々、二年生から」


 シオリ先輩が渡したクラシックギターを受けとって、コナちゃん先輩が弾き始めるんだ。

 二年生の先輩たちがマラカスとかを手にして、鳴らし始める。


「――……」


 三月の……あの将棋漫画の映画、後編で使われたテーマソングだ。

 ワンコーラスからどんどん音が増えていく。ラビ先輩やカナタが、シオリ先輩が、二年生の先輩たちと一緒に楽器を鳴らして――……一緒に歌い始める。

 合唱だった。長いトンネルを――……刀鍛冶の先輩たちが、体育館の光を奪って再現する。

 まばゆく輝く光を手のひらに浮かべて、コナちゃん先輩がメイ先輩に放つんだ。


「「「 ――…… 」」」


 二年生の先輩たちがサビを歌う。

 その合間にね?


「ジロウ先輩、いつも優しく教えてくれてありがとうございました!」「ミツハ先輩、そのきびしさにいつだって救われました!」


 とか言うの。二年生の先輩たちが、それぞれにメッセージを伝えていくんだ。

 落ちつく暇なんて、すこしもくれない。


「ルルコ先輩! ボクを見つけてくれてありがとうございました!」


 シオリ先輩の直球のメッセージに視界が揺らいだ。

 光に満ちていく。メッセージのたびに闇をまばゆく輝かせて、桜吹雪に変えていくの。

 舞い散る桜の中で、


「メイ! きみと会えてよかった! まだまだ迷惑かけるから、覚悟してね!?」

「メイ先輩! あなたがいてくれてよかった! あなたのメッセージの通り、走り続けますから! 先輩も走り続けてください!」


 ラビ先輩とコナちゃん先輩が贈るんだ。


「――……」


 聞こえないなら何度だって伝えるよって勢いで、春の歌を歌い続けるの。

 二年生の全力のメッセージを浴びて、三年生の先輩たちは抱き合ったり身体を寄せ合って、肩を震わせながら受け止めていたよ。そうして――……。


「――……並木コナ、生徒会長より、二年生を代表して――……ご卒業、おめでとうございます」


 曲が終わり、二年生の出番が終わる――……なら?


「二年生を、ということはもちろん……一年生の出番もあるわけです」


 コナちゃん先輩が話す間に、マドカがキラリとふたりで壇上へ上がる。

 ラビ先輩たちが去っていくステージの上で、マドカが私たちを見つめる。

 一年生のみんながすぐにサプライズをする覚悟を決めた。

 茨ちゃんに押されて、私は体育館の後ろへ走っていく。ご厚意で手伝ってくれるスタッフさんが運び込んでくれた楽器たち。トシさんたちが私を迎えてくれた。

 マイクを手にして――……マドカと頷きあう。


「父兄のみなさまは面食らっていることと存じます。普通、在校生の送辞と言えばひとりがしゃべって終わりですからね。でも……卒業生のみなさん、ひとりひとりが主役であるように、私たちもまた――……ひとりひとりが代表です。おめでとうを言わせてください! そして」


 アンプを通じてトシさんたちの演奏が流れるの。


「数え切れないくらいの、ありがとうを言わせてください! 先輩たちの願いに星が届きますように!」


 すう、と息を吸いこんだ。めいっぱい尻尾を膨らませるんだ。

 さあ――……ずっと支えてくれた人たちの涙の光を辿って、みんなで流れていった星をお届けするために歌うよ!

 めいっぱいの金色を放って、口を開いたの。

 さあ、お歌の時間だ!




 つづく!

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