第四百六十二話
シュウ、と胸の内から呼ばれて禍津日神にだいじょうぶだと答えながら、警視庁の廊下を歩く。
さきほどまで警視総監直々に呼び出されて副総監とふたりで命じてきた。彼らの言葉を思い返して憂鬱だったのだ。
「緋迎くん。最近の学生の暴走は目に余る。特にあの、青澄春灯とかいう少女は秩序を乱すばかりではないか」
「士道誠心は警察学校的な側面も併せ持つ。にも関わらず、芸能会社に吸収されるなど、言語道断! きみが不甲斐ないから、こういうことになる!」
「士道誠心の生徒は警察の指示系統に則り、従う必要性がある。だからこその特別授業だ。件の少女は警察を辞めた無法者の連中が育てているというが、今一度しっかり手綱をつけておきたまえ」
「星蘭のように……人の欲望を操るのが得意なのだろう? 言うことを聞かないというのなら、首に輪でもつけたまえ!」
「結婚する、と聞いた。それだけじゃない。今の立場に甘んじるつもりもないのだろう? 君には未来がある……よくよく考えて行動しなさい」
「以上だ」
刑事物のサスペンスドラマじゃあるまいし、と……この職につかずに何気なく生きていたら、そう思って決着とすることができたはず。
しかし、残念ながら上司を前に刃向かって成立するほど社会構造というのは脆弱なものじゃない。胃がキリキリする。
後進が育つなり早々に辞めて喫茶店のマスターに落ちついた父の気持ちは察して余りある。
いっそカグヤとふたりで避暑地に店舗でも構えてのんびり隠居を決め込むのも悪くないかもしれない。
『カグヤは田舎が好き』
お前まで隠居を勧めるのか?
『シュウはどちらかといえば、あまり心が強いほうじゃない』
言ってくれるな。否定はできないが。
『それに……触れる欲望は、おいしいものをたべたいとか、そういうほうが好き』
……まあ、そうだろうな。
深呼吸をしながら自分の島へと戻って部下に命じて車を手配する。
それにしても、悩ましい。
隔離世の治安維持活動については現存する憲法に明記された条文を解釈したうえで行なわれている。要するに「国民の生命、自由、幸福追求のための権利」は最大限尊重される、というものだ。けれど侍たちの戦力は、巷で話題のそれと衝突しかねない。
だからこそ、青澄春灯が示した可能性は強く輝くし、それを誰もがわかっているから「彼女を排除しろ」とはならない。ならないのだが、世論がいろいろとデリケートな現状で、彼女がもし現状の隔離世の治安維持活動を損ないかねない発言をしてしまったら? 警察にとってはかなり問題がある。なにせ、士道誠心は警察の侍隊に入るための育成機関だという慣習的な側面があるからだ。
もちろん、たとえば大学に進学する生徒がすべからく研究者になるわけでもなければ、専門学校に進学する生徒がすべからくその道に進むわけでもない現実を鑑みれば、慣習は慣習でしかなく、入学意図と卒業時の進路は異なる傾向が強いと言うこともできるかもしれない。
だが、世間一般的には「警察が協力している学校の生徒が警察に弓引くことをした」ように見える行動をされたら「警察ってだらしない」という見方をされてしまう。たまに醜聞が広まるのも頭痛の種だ。
警察組織の下に位置する四校は侍と刀鍛冶の育成機関として成立している。その前提が士道誠心を軸に崩れつつある。それを憂う声にどう対処するべきか。
舵取りをしながら、ここまで進めてきた。
なり手が減少傾向にある侍と刀鍛冶。しかし星蘭も北斗も山都も、なにより士道誠心も入学志望者数が増加傾向にあると聞く。
青澄春灯のおかげだ。時代を動かすのはスターなんて、ありきたりでありふれていて……だからこそ力がある勢いじゃないか。
『シュウ、わるいこと考えてるの?』
そうだな……そうかもしれないな。
隔離世の治安が守られて、侍の刃はかつて大戦時に利用されて大勢の血が流れた。
欲望が生み出す怪異、邪。艦船に乗せられて、敵国の兵士たちを切り結ぶよう運ばれて――……隔離世に移動して無防備に晒された命がいったいどれほど失われただろうか。現世でその力を振るおうとして、いったいどれほどの刀がさび付き、心が砕かれて死んでいったか。
御霊は現世の血を嫌う。刀が現世のそれとは違い肉を切り裂かないのがその証拠だ。魔性であればむしろ暴走の引き金となる。惨劇は繰り返された。そして――……そもそも御珠はそんな力を与えるために、我らに刀を授けてくれたのではなかった。どれほどの御珠が黒く染まり、消えていっただろう。伝聞でしかないが、それほどに世は乱れて道を踏み外した。
戦国よりもむしろ泰平で築かれた侍の高潔さと心意気こそ大事なもの――……。
それを見失ったからこそ我らは一度、あらゆる御霊に見限られ、隔離世は荒れ、現世は惨状と化した。
彼らの散りざまは悲劇として語り継がれている。
そんな悲劇が繰り返されないようにするために、ちょっと……企てているだけさ。
◆
学校には警察から連絡が行っていたし、そもそも午前授業で終わり。
だからなのか、私はマドカ、キラリと三人で引率者に連れられて指定された留置所へ。
その引率者は途中で合流したふたりの中学生……理華ちゃんと男の子だ……を迎えに出てくれたシュウさんや警察の人に紹介して笑顔を振りまいていた。
「今日はお世話になります。士道誠心の真中メイ、卒業前にこのような機会をいただき恐縮です」
「――……その。引率は本来教師が行なうと聞いているんだが」
困惑している警察の人たちの前で、シュウさんは楽しそうな顔でメイ先輩を見つめる。
「いま、車の駐車をしている獅子王ライが駐車場にいらっしゃいますが、何か問題でも?」
「ないよ。中学生を連れてきたのは、さしずめ社会見学といったところかな?」
「お察しの通りです。今日は改め、よろしくお願いいたします」
「こちらこそ――……ああ、獅子王先生、こちらです! どうぞ中へ」
とっても偉い人なはずなのに、シュウさんが直々に案内してくれるのなんでなのかな?
「……前にも来たけど、物々しいね」
「マドカ、私語いう空気じゃないぞ」
「だからこそだよ。居心地わるすぎなんだもん」
ふたりでひそひそ話しちゃって、仲良いなあ。にやにや見ていたらキラリが尻尾で背中を叩いてきた。
「変な顔すんな」
「はあい……」
怒られちゃった! でもマドカにくっつかれて嫌な顔してないところ、私はちゃんと気づいているからね?
◆
手続きを済ませてから、お部屋に移動した。
そこでライオン先生とシュウさんに説明を受けたの。
「本来は警察に所属する侍隊が身体検査をする際に別室で隔離世へ移動。邪がどれほど矮小でも必ず駆除を行なうようにしています。なぜかわかるかな?」
「挙手して答えよ」
迷わずどや顔で手を挙げるのはマドカだった。
「山吹」
「はい! 邪が育つと邪を生んだ人が凶暴化し、暴徒と化すからです!」
「……正解であり、不正解でもある」
「あれ!?」
発言するときに席を立った勢いが砕かれて、思わず肩をこけさせるマドカを見て、キラリがその背中をぐいっと引っぱって座らせた。
「いいから座れ。見えない」
「……あれえ? 授業じゃそう教わってますけど」
「一年次ではな。緋迎さん」
「ええ――……柊くん、参考映像を」
シュウさんが柊くんと呼んだ女性がパソコンを操作した。柊さんのお姉さんかな? きつそうな顔立ちと凜とした佇まいはいつかカナタとソウイチさんの喫茶店に行って会ったときと変わってない。
扉のそばにいる警察官が部屋の電気を落として、ホワイトスクリーンに映像が映し出される。
渋谷で理華ちゃんを襲った恋人連れの男の人の映像だ。細身の身体からは想像もできないほどの怪力で警察官を返り討ちにしている動画だった。
「基本的にはこのように欲望を叶えるために身体的な能力に出る場合が多いが、そもそも欲望の形はひとつじゃない」
『お主には耳の痛い言葉じゃな』
た、タマちゃん! 今はいいから! ゆうべのことはさておくの!
『やれやれじゃな』
私の様子に気づいてシュウさんがにっこり、ライオン先生のこめかみがぴくぴくしたよね。
すまし顔をするくらいの対応力は学んだつもりですよ。構わずシュウさんは続けてくれた。
「一昨年、最大手の金融グループが警察に入り損ねた侍候補生たちを抱え込んで、邪を育てて離れ島に国を築こうとしていた」
ぱっと映し出されるの。パチンコホールとか賭博場とか麻雀卓に異様な顔をしてのめりこんでいる人たち。
「もちろんいま映し出されているのは、件の金融グループの手に掛かったところでしかなく、他の店舗がこういった場所であるというわけではないことははっきり伝えておくが」
咳払いをしてから、シュウさんは説明を続けた。
「邪を操作された人々は湯水のように金を使う。危険な賭けにも命を賭ける。そして邪を育てられたごく一部の困った富裕層を顧客に、この不況の時代にそぐわない“遊び”とやらを提供する」
やばい……どうしよう。カタカナ三文字うかんできた。空中で鉄骨のうえを歩かされたりするのかな? さすがに地下とかじゃないみたいだけど。
欲望が絡むギャンブルだからこそ、邪と無関係ではいられないのかな。怖い。
「既に検挙済みで、一昨年はずいぶんと世間を騒がせた」
「……あー。たしかにたいした騒ぎになりましたね。漫画のようにはいかなかったって」
マドカの発言にシュウさんは頷く。
「人の枷を外す。この場合、枷とは身体的のみならず、理性や社会的、道義的な枷をも意味する。商取引で人の欲望は刺激されて成り立つ部分があるだろうから、そのすべてが悪だと断じることはできないし、また、するべきではないのだが」
柊さんのお姉さんが映像を消して、照明がつく。
「枷を外されると人は法を犯すことがある。そうなれば……国民の生命、自由、幸福追求のための権利を侵害する可能性がある。故に我ら侍隊は邪を討伐する。例えるなら、そう。害獣としてね」
明言されると――……とても複雑な気持ちになる説明だった。
マドカもキラリも黙り込む。メイ先輩は腕を組んで見守るだけ。
実際に隔離世に行って邪を討伐してきた私たちは、それがどんな存在か知っている。
あれが育つと人がどうなるのかも目の当たりにした。
だからって、人の心が生み出した存在には違いなくて、それを一緒くたに害獣のように扱っていいものか悩ましい。
黙り込む私たちの前に座った中学生の男の子が手を挙げた。
「いいっすか」
「どうぞ」
「……来月、士道誠心に入学予定の日高ルイっす」「です」
「……ルイです」
理華ちゃんに肘でつつかれて言い直す日高くん。気を取り直してすぐにシュウさんにぶつけるの。
「邪は人の欲望ってか……もういっそ、害意が生み出す化け物じゃないっすか」「ですか」
「……ですか」
理華ちゃんのツッコミに居心地が悪そうに肩を強ばらせるけれど、日高くんの視線はシュウさんにずっと向かっていた。
「害意なら、殺せばいいじゃないっす……ですか。だって、害獣っていうなら、街に猪や熊が出たら撃ち殺すでしょ? そうしていかないと、全国の安全なんて守り切れないんじゃないんですか?」
その言葉に思わず苦笑いしちゃった。
若いなあって思って。
「たとえば……そうだな。害獣っていう単語を使う前に知るべきことがある。動物愛護法や鳥獣保護法だ」
「要するに一般人は許可なしに鳥類およびほ乳類を殺傷しちゃいけない……おっと。すみません、だまってまーす」
理華ちゃん、さらっと言えちゃうのなんで? ちゅ、中学生なのに私よりも賢すぎなのでは……?
シュウさんは理華ちゃんの発言に嬉しそうに笑って頷いたの。
「その通り。自分たちに害をなす、という理由だけで殺傷しては自然や生態系を守れず、引いては自分たちの生活を脅かすことになる」
「でっ、でも! 邪だって駆除するんなら、別にいいんじゃ――」
「それがそうでもないんだ。そもそも欲望の定義ってなんだろう?」
シュウさんがそう言った瞬間、マドカのように理華ちゃんが勢いよく立ったの。
「何かをして欲しい、或いは欲する心です! ……あ、すみません。くすぐられる言い方をされたんで、舞い上がっちゃって」
愛想を振りまいて座る理華ちゃんにシュウさんは笑った。
「まさにいまこの瞬間、彼女の欲望がくすぐられたわけだ。生きる上で欲望は欠かせないものだ。講義の場ではないから、このへんにしておくけどね」
シュウさんは部屋の前方に設置された教卓に手を置いて、
「寝たい。遊びたい。ご飯を食べたい。おいしいものがいいというものもあれば――……理想の人に出会いたい。あるいは……今日の機会に進展したい?」
「っ」
日高くんを見ながら口にしたの。その言葉に日高くんの身体が露骨に強ばった。
構わずシュウさんは私に視線を向ける。
「特別な人と日常を大事にしながら生きていきたい……」
どきっとした。
『わかりやすいよね』
ヒノカちゃんの笑う声に苦笑い。そっかそっか。そういえばヒノカちゃんなら、それくらいわかっちゃうよね。
……お恥ずかしい!
「そういったなにげない欲望が、私たちの人生の活力になるし、華やかなものにする。もちろん、そのために他人を蹴落としたり傷つけたり、そもそも害する行為が欲望になっていたりもする。だから前者に関しては放置するし、後者に関しては危険なもののみ駆除を実施する」
「じゃあ私たちがこの一年間、駆除をしてきたのって――……」
「駆除可能なものを学校側と警察が誘導した結果……といえばわかるかな?」
マドカの問いかけにシュウさんはライオン先生と目配せして頷いた。
「こういった判断はとても繊細に行なうべきだし、細分化するべきだ。なんなら、駆除せずに済ませられるような有り様があればと望んでもいる」
シュウさんの言葉に日高くんや私たちだけじゃない、この部屋にいる警察官の人たちの顔色も変わった。
討伐以外の道を探したいという発言を、全国にいる侍隊のトップに立つシュウさんがする。その意味は重い。
私たち……お助け部の一年生三人に向けられた視線の意味がわかる。
私たちならそれができるって信じてくれての発言なんだ。
「――……」
「え……」
日高くんが囁いた言葉に思わず声がこぼれた。
マドカやキラリと目を合わせちゃう。でも隣に座る理華ちゃんには聞こえてない。獣耳がある人にしかわからないささやき。
だから気づかず、シュウさんは語る。
「拳を振るわれたら右の頬を差し出せとも、殴り返せとも言わない。そもそも振るわれることのない道を探るのが、理想だ。理想だけでは立ちゆかないからこそ、法があり、秩序を保つための機関がある。殴った者をどうするのか、そしてなぜ殴るに至ったのか明らかにするためにね。しかし、それはやり過ぎてはいけない」
管理社会への道。お父さんが好きなアニメでよく語られるテーマだった。
「自由を尊重することから妥協点を探りたい――……そのために、三人の少女を呼んだ。彼女たちを見守ってきた真中くんに来てもらったのは、僥倖だな」
「恐れ入ります」
「それじゃあ……改めにいこうか」
シュウさんが手を叩く。警察官たちが誘導を始める。
むすっとした日高くんの手を理華ちゃんが明るく引いて離れていく。メイ先輩とライオン先生も。けど、私たちは思わず顔を見あわせて言うの。
「さっきの……あの日高ってやつのささやき」
「聞こえた……よね。そりゃあ」
キラリとマドカに頷いてから、男の子の背中を見る。
「侍がそんなんだから、俺らの手が汚れるんだって……どういう意味なんだろう」
頑なな背中はなにも語ってくれそうになかったの。
◆
直接、被疑者に会わせてって形になったら不安でたまらないけど、さすがにそういう手順にはならないみたい。通されたお部屋で隔離世へ移動して、予定されたお部屋へ通された。
ぼんやりと淡い輝きを放つ霊子体が椅子に座っている。うっすら顔が浮かんですぐに消える。その瞬間、
「……こほん」
理華ちゃんが咳払いしたの。
「……どうしたっすか」
「べつにい?」
涼しい顔で答えているけど、メイ先輩が尋ねたよ。
「だいじょうぶ? つらいなら」
「あはは、やだなー。大丈夫ですって! 社会見学なら、最後までみせてもらわなきゃ」
どうしたんだろう。明るくて気さくなノリは私の知る理華ちゃんのものだけど。
違和感、ある?
『さてなあ……』
タマちゃんにもわからないかあ。マドカやキラリを見たけど気にしている素振りはない。
引っかかるなあと思っていたら、霊子体の淡い光の色が変色し始めた。すぐに柊さんのお姉さんが口を開く。
「予定通り、取り調べが始まりました」
「さて……中学生は後ろへ。獅子王先生、真中くん、よろしく」
シュウさんが柄に手を置いて言うの。ライオン先生とメイ先輩が指示通りにふたりを下がらせた。代わりに、私たちは学校から持参してきた刀を握る。
「青澄くん、天使くん、山吹くん。きみたちにもしできることがあるなら、試してごらん。無理だと判断したとき、我々は手を下す――……いつものようにね」
シュウさんの言葉に不安をくすぐられた。
やれるだろうか。そう思ったとき、刀から手を離したマドカが手を握ってきたの。私とキラリの手をぎゅっと握って繋いで、笑っていた。
「ちょっとふたりとも、ほら。メイ先輩が見ている前だからって、緊張しすぎじゃない?」
思わずキラリと顔を合わせて笑っちゃった。
「たしかに」「いえてる」
うなずいた。
どんな邪が相手でも、やることはいつもと一緒。
気合いを入れて尻尾を膨らませる。
「霊子体に変化あり。邪、でます!」
お姉さんの声がしてすぐ、霊子体の胸のあたりにファスナーが見えたの。
じじじ、と開いて内側から出てくる。灰色の甲冑騎士。金属が擦れあうような甲高い音がした。まるで悲鳴のようだった。
「あのときの……いや、刀がないし色が違うか」
「真中くん?」
「緋迎さん、対象の邪に間違いないです!」
「ふむ……青澄くんたち、やれそうかい?」
メイ先輩とシュウさんの話す内容に誰よりマドカがうなずいた。
「やれますよ! キラリ、星を!」
「いつも通りだ」
「ハルは……ハルは……」
「え、私にはなにもないの?」
「考えてみたら邪だろうと、そのありようを私が探ってキラリが星に変えればいいんだから、ハルはなにをしたらいいんだろう」
「そ、そんなあ!」
ごちゃごちゃいう私たちの顔を尻尾でぺちぺち叩いてキラリが人差し指を邪に向けた。
「ほら、仕事」
「「 あいあい! 」」
「マドカ、春灯は前衛。春灯、どうせならご機嫌な歌をよろしく」
「……ううん」
キラリの指示に考えこむ私の後ろで、シュウさんが地面をつま先で叩いた。
狭苦しいお部屋の壁が広がって広々としたステージに早変わり。
灰色の騎士が四つん這いになって吠える。兜の戦端から尾が赤く揺らめいていた。
地面を殴りつけて、鉄の配管を掴んで上半身を起こしたの。
迷わずマドカが刀を抜いた。
「じゃあ私が相手する」
騎士甲冑が飛ぶ。マドカも。火花を散らして己の武器をぶつけあう。
鋭く深く重い。灰色のそれは妄執を叫びながら、マドカを必死に切りつけながら――……じっと見つめていた。ある一点を。ふり返ってみたら、メイ先輩に庇われて強ばった顔をしている理華ちゃんが見えたの。隣にいる日高くんも暗い顔。だけど――……メイ先輩は訴えてる。
やれるでしょ? って。
どうやら……こりゃあ歌うべき瞬間みたいだぞ。
真っ先に浮かべた曲は灰色の狂った騎士に似合うもの。あのアニメがつらなるゲームやその世界観は熱狂的なファンが多いから、まあ……こういう瞬間じゃないと“宣言”するのは無理そうだ。
留置所で特別ステージ。誰に言っても信じてくれそうにない。まあいいや。
尻尾に感じる霊子を放って九つ。出したぷちのみんなが葉っぱを出してスピーカーを用意してくれる。ちゃっかり者のぷちが渡してくれたマイクを手に足で地面をタップ。
「――……」
歌うよ。どんな運命の連なりが邪を生み出して、道を惑わせたのか知らないけれど。
灰色。それは黒にも白にもなれる狭間の色。
照らしてみよう。あなたが望む色。白になりたいのか、それとも黒く染まりたいのか。
鉄パイプが切り裂かれた。マドカに蹴り飛ばされる。けれど空中で見事に回転して地面に両手足を突き込んで急ブレーキ。地面の中から再び配管を取りだした。今度は長い。鞭のようにしならせて、マドカを襲う。
怯まない。煌めきを増す刀を振るって切り裂く。
騎士が吠えた。邪魔をするなって伝えたいんだってわかる。ただただ理華ちゃんを求めていた。立ちふさがるマドカをどけたくてたまらないんだ。
だからこそ、マドカも手を打つ。
「――……無垢に天使を求める気持ち、わからないでもないけど。中学生に夢中になられたんじゃあ、ちょっと許せないかな。なら……再現するのは“こっち”か。すぅ、」
狼の遠吠えを放った瞬間、マドカの身体が光に包まれた。眩い輝きが消えたとき、マドカは黒い甲冑に身を包んでいたの。その手に握る刀は変わらず、漆黒を照らしていた。
狂おしいくらいの叫び声をあげて騎士が鞭を捨ててマドカに飛びかかる。よける。かわす。触れさせはしない。願いが叶わないからこそ、強く意識せざるを得ないのか。
「さあ――……あなたの奥底にあるものよ、」
囁いて、マドカは騎士を刀の峰で思いきりほうり投げた。騎士を生み出した、霊子体のそばへ。
「光れ!」
マドカが叫んだ瞬間、開きっぱなしだったファスナーの内側と騎士の甲冑の隙間が輝きを放つ。
その瞬間、キラリが指をずっと騎士に向けていた。ささやくの。
「感じる。ちがう、これじゃないって……彼女にみせたいのは、自分がなりたいのは――……春灯!」
呼ばれた瞬間、拳を突きだしてマドカの向こう、騎士へと思いきり金色を放つ。
思いの熱を引き出すために。染めるんじゃなくて、照らして……あったかさの中で、思いだしてもらうために。
灰色の塗料が剥がれていく。甲冑の本来の色が浮かび上がっていく。灰色は白へ。それだけじゃ止まらなくて、鎧も兜も溶けていく。
残されるのは、顔も体型もわからないくらいただれた人の形。
悲鳴を上げて顔を覆う。身体を抱き締めて、さめざめと泣きだす。
「――……見えた!」
キラリが言って、突きつけた人差し指を掲げた。ばん、と撃ち抜いた反動であがったように。
その瞬間、私の金色すべてがキラリの星に変わったの。
「欠けた気持ちぜんぶもってけ!」
注がれていくんだ。邪を通って、霊子体へ。
邪が星に溶けて、戻っていく。私の熱とキラリの思いを形に変えて、マドカが明らかにしたところへ。ファスナーの内側へ。
内側が蠢いて、膨張して、耐えきれずにファスナーが広がって――……中から出てきたんだ。怯えた顔をしたおじさんが。
「もう……もう、やめてくれ」
すぐに顔を隠す。甲冑の内側から出てきた人のように縮こまって、必死に世界から自分を守ろうとするの。刀を下ろしてためらうマドカと、その先にためらうキラリの横を通り抜けておじさんのそばに歩いていった。
「くるな! ……誰も、信じられない。お、俺の話なんて……誰も聞いてくれない……誰も、俺を愛してなんて、くれないんだ」
屈んで俯いちゃってる目線と合わしたの。
声を掛けようか迷ったけど、そっと肩に触れた。
すぐに私を見てきたよ。その向こう側にいる理華ちゃんを一瞬みた。すごく複雑でつらそうな顔をしていた。なにかがあったのかもしれない。
怯えて不安でたまらなくて、きっと生きていくのがしんどくて仕方のなさそうな疲れた顔をしたおじさんに言うの。
「ちゃんと聞くよ。あなたのママにも恋人にもなれないけど。いまちゃんと、あなたのそばにいるから……だから教えてくれますか? あなたのこと」
「――……こんなはずじゃなかったんだ。いつだって、うまくやりたかった。けど、そうはならなかったんだ……ずっと。もう、いっそ……死んだほうが、マシだ」
目元や眉間、口元。不揃いにひきつらせて、けれど膝を抱えて顔を埋めちゃう。
その孤独をまるごと癒やすことなんて、他人にはできないことなのかもしれない。
まずなにより自分が自分をお助けするための強さが必要なのかもしれない。
でもその強さを手に入れるために、ぬくもりが必要なら――……人差し指に金色を一粒だして、
「そんな悲しいこと言わないで」
頑ななおじさんの顔に寄せた。金色の熱を感じて、縋るようにおじさんが顔を上げたの。
だからそっと、傷ついた人の額にあてる。
「あなたのみせてくれた騎士姿、私は大好きだよ」
「――……っ」
目元が歪んで、大粒の涙が溢れてきた。
その中に輝きを見た気がして取ると、金色が膨らんで白い騎士の小さな人形になったの。
何か大事なものみたいで、おじさんが人形をじっと見つめていたから手渡したよ。
ぎゅっと抱き締めている。たぶんもっとも素直な姿なのかもしれない。夢見た何かがあって、それを大事にしているんだ。
私が見つめていると、おじさんははっとして、それから絶望した顔をするの。
「……ごめん、きもいよね」
「あーもうそんな悲しいこといわないで。だいじょうぶだから」
絵面のインパクトはドラマで特に耐性をつけているから問題なし。
ふたりの男子が遠隔操作キスマシーンでディープキスをしあっている絵面に比べたら、これくらいかわいいものですよ。
「その内側にある……傷つきやすい、繊細なところも。それはきっと、あなたがとても優しいことの証明だと思うの」
「――……おれ、は。でも」
「それは……自分を癒やす力になるし、罪を犯したその償いをちゃんとできる力に変えられるよ。きついこと、つらいことがあっても……乗りこえられる強さに変えられるよ。あんなに強い姿を夢見られるあなたなら、ね?」
泣き崩れながら、必死に頷く。
おじさんのつま先から、霊子に溶けて霊子体に戻っていく、その最後に――……。
「あったかい……お日様みたいな、人だな」
ぐしゃぐしゃの顔で私にそう言って、おじさんは現世に戻っていったんだ――……。
◆
現世に戻ったの。私たち三人でやった改めはシュウさんにとっても、引率のライオン先生やメイ先輩にとっても大満足の結果だったみたい。
外に出たら柊さんのお姉さん伝いにシュウさんから、
「彼は素直に自供し始めたようだ」
そう教えてもらったの。すぐにメイ先輩がいじわるな顔をして、
「事情聴取中に改めなんて異例のことをやって、怒られませんか?」
なんて聞くから驚いちゃった。けど、マドカは納得したような顔をして頷くの。
「なるほど。たとえ警察官が職務で接するとはいえ、話を聞いている最中に改めをして邪が暴れて現世の被疑者が怪力で暴れられたら困りますもんね」
「さて……なんのことかな。とにかくありがとう、気をつけて帰りなさい」
涼しい顔でマドカの指摘をかわして、シュウさんは警察官のみなさんと一緒に戻っちゃった。
しみじみしていたら、理華ちゃんに飛びつかれたよ。
「わっ、ど、どうしたの?」
「――……」
「……理華ちゃん?」
私が問いかけてもすぐに返事してはくれなかった。
たっぷり私に抱きついてから、やっと離れるとね?
「ついていこうって思いました。それだけです!」
ちょっと潤んだ目元をすぐに伏せてごまかして、笑って離れていく。
妙に敵意のこもった目で私たちを見つめてくる日高くんのもとへ。すぐに彼の険しい顔に気づいて理華ちゃんが「なんて顔してるの?」と弄りはじめたよ。彼は頭を振って、なんでもないって答えていたけど。
メイ先輩が手を叩く。
「よし、無事終了っていうことで! じゃあ中学生ふたりはここで解散でいいかな? 駅の方向とかわかる?」
「大丈夫っすから」「というわけなんで、お疲れさまでしたー!」
素っ気ない日高くんの肘を取って、理華ちゃんは行っちゃった。
ふうっとひと息吐くと、ライオン先生はみんなの顔を見渡したの。
「今日はよくやった。それでは、我は車を戻す。待っていろ」
「了解です!」
びしっと敬礼する私に苦笑いをして、ライオン先生が駐車場へ。
マドカとキラリがふたりしてどや顔で見つめあっていたから、私もそれに加わろうかなあって思ったときだったの。
「三人ともよくやった!」
「わっ」
メイ先輩にぐいぐい引っぱられて、三人まとめて抱き締められちゃった。
「自慢の後輩だ!」
ぐりぐりぐりぐり、乱暴な手つきで頭を撫でられる。
マドカはくすぐったくて嬉しそうに、キラリは嬉しいけど髪が乱れるの迷惑そうにしてる。
私? 私は……めちゃめちゃ嬉しい! メイ先輩に褒めてもらえるの、最高に嬉しいよ!
「あんたたちがいれば心配いらないかな?」
「そ、それはいいすぎなのでは」
「ちっとも言い過ぎなんかじゃない。ハルちゃんはお日様、キラリちゃんはお星様……なら、マドカちゃんは、ふたりを繋ぐ光なんだよ。三人そろっていれば、なんでもこいだ!」
すごく上機嫌なの。
ぎゅっと胸に押しつけられて、顔をこすりあわせる私たちの髪に鼻先を擦り付けてさ。
「あんたたち三人が私の太陽だ! だから……」
すごく切なそうに、だけどとても幸せそうに。
「……来月から先の士道誠心、よろしくね?」
託された。私たち三人、誰ひとりとしてすぐに返事できなかった。
こみあげてきたから。大好きで大好きでたまらない人への気持ちが。
たまらなくなって、抱きついた。私だけじゃなくて、キラリもマドカも。メイ先輩はライオン先生が車を運んできて、それでも離れない私たちにずっと優しく寄り添ってくれたんだ。
卒業式が迫っている。それはもう、すぐそこまでやってきている。
メイ先輩を送り出す日がくる。きてしまう。それがたまらなくさみしくて、しょうがなかったの――……。
つづく!




