第四百五十八話
愛するコナが刀を学校に預けて外出だけじゃなく、外泊可能にしてくれたのは大きい。というか人生最大の価値をやっと取り戻した感さえある。
コナ最高! 愛してる!
「……まあ、そのコナと同じ部屋にいられる方が、ボクにとっては幸せなんだけどね」
ため息を吐きながら自宅マンションの最上階フロア――……尾張シオリの住まう、要するにボクの城で端末を弄る。
こないだの特別授業で語った理論には続きがある。言わないだけで、真実。
お金を払い続けてもらうための市場作り。ファン獲得の流れ。あとは――……未来を見据えた顧客との関係作りかな。形態に囚われるべきじゃない、という現状を打破するための思考と、むしろ顧客が愛した商品および会社の根源は変えるべきじゃない、という維持するための思考は、まあよく対立構造的に描かれることが多いけど。
儲けている会社はどっちも日常的にやってると思うよ。ポリシーまで変えたら、その会社らしさはなくなるだろうけどね。みんなそれぞれに苦労しながら今を生きている。
顧客と企業は対等であるべき? あるいはサービスを提供する側は奉仕するべき? まあそれぞれに意見があるだろうけど。
ボクみたいなギークとしては、なんともいえないかな。情報を取って、ばらまいて、たまに悪戯をする。それだけじゃ暇なんで、いろいろやる。圧倒的個別的集団であるボク“ら”は遊びが趣味だから。
『やっほー。何か楽しい知らせは?』
打ち込むとすぐに返事がきた。
『韓国の連中と作ったのがさー。ちょっと変なことになってるんだよね』
友人の返信に続いてウィンドウが大きく広がる。
現在配信中のゲームだ。FPS、VR利用可能――……ファンタジー世界での殺し合いゲーム。もちろん、モンスターも出る。倒した敵のアイテムを剥いで、能力値を奪い、キャラクターの強化に勤しむ。ライブ中継によるプレイスタイルの常時評価システムを導入して、実況と絡めて人気を獲得させる。
それじゃあ永遠に状況が変わらない。よくあるゲームと同じ。そんなものをボクらが作っても仕方ない。なので――……。
『人気キャラクターの定期的な獲得、課金。プレイスタイルでどこまでお金と未来を獲得できるかの実験……やっぱ問題あった?』
開発に携わったけどね。ダミー会社をわざわざ立ち上げて運営させてもいる。それなりに話題になっているけどねー。ヌルゲー好きならいい。人気プレイヤーのキャラが獲得できるっていうところで、プレイヤーに価値を生ませる仕組みはボクらのチームのいじわる野郎が作った。
課金はプレイヤーに還元する。まあ当然、中抜きはするよ? そりゃあね。慈善事業じゃないからさ。でもまあ、それでプロゲームプレイヤーのフィールドを提供してみたわけ。
ポイントなのは、ゲームがアップデートされるたびにバランス調整がなされるから、過去に購入したキャラクターが永久的に無双できるわけじゃないところ。逆に言えばレベルデザインを続けていけば、そしてスタイルを磨いでゲームに奉仕すればするほど稼げる可能性がある。ただ遊ぶだけでも十分楽しいように、PK禁止サーバーも置いてあるよ。もちろんね。
とはいえ……いつかは問題が起きると思っていたんだけど、予想よりも早かったな。
『変なのがいるんだよー』
『β公開して三ヵ月くらいだったよね? それで目立つような奴? ログは見てるけどなあ……そんなのいたっけ?』
『白騎士』
『……誰だっけ?』
『見せるよ――……こいつ』
新たにウィンドウに表示される。
白一色のキャラクター。プレイヤーの個人情報もすべて表示された。
もちろん、これは裏技。もちろん普通の会社は取り扱いに厳重の注意を払うけど……だってほら、ボクらはよからぬ集団だからさ。基本的にそのへん気にしないわけ。一般人を相手にゆすったり、ばらまいたりはしないよ。念のため。
「……にしても、これが白騎士ねえ」
冴えない眼鏡のナード野郎。吹田コウキ、三十一歳。調査によればフリーター。実況はやっていない。ランキングにものっていない。だけど――……ちょっとだけ意外。どの人気プレイヤーキャラよりもパラメーターは高い。敵やプレイヤーをキルした数だって抜群に高い。なにが気持ち悪いって、レアスキルを手にしてなければ、レナモンスターを倒さずに実績を積み上げたところだ。しかも誰にも捕捉されていないところ。
影に隠れてこっそり誰より強くなっていたのかな?
「……こじらせてそう」
仕様を把握して最適化した効率の元でプレイしてるんだろうけど……ちょっと身構える。そこまで本気で遊んでいるのに、稼ぐ気がないところが理解できない。
そもそも今回のゲームが話題になったのだって、ゲームがバズればバズるほどプレイヤーもがっぽり稼げるからっていうところが先行なのになあ。
ボクらの熱狂的なファンで、名前を明かしていないのに感づいて遊んでくれたとか? だとしても、それはそれで気持ち悪いけど。
「中身は普通だね」
世間一般的には中の下ってところかな? 容姿について美醜を語る趣味はないから、ボクの見立てがどこまで正確かは不明。なによりほら、その筋で仕事をしていない場合は特に、個人的な主観が評価の基準になりがちだからさ。
でもまあ、端的に言うけどさ。およそ画面にうつして喜ばれる類いの顔じゃないな。
本人も自覚しているんだろうなあ。アバターのデザイン、やたらイケメンに作り込んでるもん。いっそ開き直ってマッチョとかチビとかユニークにしてくれたら、話題性につながるから、人気も出ていいのに。こんなにキャラを強く扱えるのに、もったいないことするなー。
まあ……プレイスタイルは基本的にはとてもプライベートな領域だし、アバターをよく作る人なんて大勢いるから特筆するべき点じゃないけどさ。デザインの外に抜けちゃう人が出るってところは、ボクらの不手際を感じるね。おかげで勉強になった!
『これほどやりこめる人なら、アバターだってもっと遊べばいいのに。センスないのかな』
『キティ、それは言い過ぎでしょ。いろんな変遷を辿ってるよ、履歴はこちら』
ウィンドウが表示されて、納得した。
最初は黒一色。しかもファー付きコート。世代を感じるなあ……。
それから上半身の色を変えたりし始める。馬ヘッドとか猫ヘッドとかつけたりして、時には全身タイツの青一色とか。だけどパンツは常に黒の細身! そのこだわりはなに。
それが、最初のPKの前に白一色の騎士甲冑に変わる。
『これ、特別なアイテムだっけ? 覚えないんだけど』
『や、市販のいっちゃん見栄えのいいのを白く染めてるだけ』
『……意地でもレア狙いはしないわけか』
その主張が、また、その……控えめに表現すると、香る。いや、本音は言えないけど。プレイヤーには言えないけど。こだわりをもって遊んでくれて嬉しいですって言うけど。
なんとなく気になって、投票上位十名のアバターを表示する。なんだかんだで美男美女は安定。でも、へんてこアバターを妙にまとめてキャラクターにできている人も強い。
しかし表現の幅は狭い。もしかしたらまだまだなのかもなー。
むしろ、もうちょっとアバターの選択肢を増やしてもいいかも。魅力的な種族の追加とか、世間的には差別される個性すら含めて、もっと心地いいキャラクターアイコン化できるようなデザイン設計が必要になってきた頃合いかもしれない。
そのへんは今後の課題だなー。それは横道だから話を元に戻すとして。
『フレンドゼロ、チャット履歴も「さみしい」っていう呟きだけ。よくいるたんなるぼっちのソロプレイヤーじゃん。あ、別に悪く言う気はないんだ。なにせ昔はボクもよくやったからね』
『キティ?』
『寂しさに耐えかねて話しかけるようになって、気がついたら姫扱いされてマッチョアバターの主婦プレイヤーと派閥争いをしたのも、すべてなつかしいなあ。小学一年の頃だ……いやあ、ボクも若かったなあ』
『キティ……キミやキミに類似するプレイヤーに恣意的な情報を与えたくないんだけど。話を戻しても?』
『そうだった。それで、なんか問題?』
『最近になって、私刑を始めてるんだよね。どうやってか、ファンを食ってる人気配信者……まあ揃いも揃って世間的にいけてる男子のキャラを特定して、率先して倒してるんだ。そして倒された配信者はすぐに未成年に手を出したみたいな、そういう後ろ暗くて酷い過去が暴かれてる』
『――……ふうん』
音声入力に切りかえて会話しながら調べてみた。白騎士がキルしたプレイヤーキャラの履歴と、そのプレイヤーの情報。警察の端末に繋いで探ってみると、まあ――……なるほど。
『たしかになんか変だな……“倒したPCのPLすべてがどこかやばい奴”ってのは、気持ち悪い』
『オカルトの領域か、あるいは偏執的なストーカーか、ヒーロー妄想に取りつかれた“表”を断罪する潜在的犯罪者か。どれだと思う?』
『――……全部かなあ』
社会的制裁が与えられている、と本人が思っている内はゲームに留まるけど……そうじゃなくなったら、ゲームと現実の境目を見失っていたら? いくらでも手を汚すだろう。自意識って、ほら。厄介だろ? 犯罪者だからって、そいつを法律の外で殺すのは、それもまた犯罪なんだぜ? まあ、ボクが言っても説得力ないけどねー。
にしても。
『ひとりのプレイヤーの暴走で実験が崩壊ってのは面白くないな』
『というわけで、チームの意見をキティに伝える。対処を』
『了解』
通信を切って、白騎士のプレイヤーである吹田コウキの顔写真を顔認証探査プログラムに設定。実行!
「あーっ! また落ちた!」
髪を振り乱して叫ぶ。
もさもさした髪を摘まんでため息を吐いた。仕事するから切れって言われてる。コナの行きつけの美容室に連れて行かれる予定もある。別に大事に育ててきたつもりはないけど、ボリュームがなくなるのはちょっとさみしい。もさっとした印象の方が埋没しやすいし。
「はあ……」
ため息ひとつで思考を切りかえる。
白騎士とやらの欲望は、かなり育ってそうだ。暁先輩やメイ先輩に知らせておいた方がいいかもしれない――……。
◆
鮫塚さんに放り込まれた閉まるはずだった下着屋さんで今のスタイルをはかられたり、丁寧にオーダーメイドの予定を組んでくれたのは、なんだかんだで助かったし、その間ずっと外で待っていた鮫塚さんはわりと律儀だ。
子分に彫り物やスーツを紹介するような、そんなノリなんだろうなあ。電子タバコを切ない顔でくわえているところを見ると、もうちょっと気持ちよく過ごしてもらおうって気持ちになるね。
「それじゃあ理華ちゃん、またね」
リムジンに乗って去っていく鮫塚さんを見送って、車が見えなくなるまで手を振る。こういうところは大事。気持ちがなきゃしないし、気持ちがあるからする。それだけ。
駅に移動して着替え用のカバンを回収、トイレで制服に着替えてバッグをロッカーへ戻す。
スマホが鳴った。予定の十分前。いつだって必ずかかってくる。
「もしもし、吹田さん? どうしたの?」
『い、いや……理華ちゃん、これるかなって……心配になって』
てんぱった声。だけど彼の妄想上の私がどんな目にあっているのか、そっちのほうが私は心配。
「だいじょーぶですよ。きっちり予定通り、指定した店にいきますから」
『ほ、ほんとかい? いつもいっているけど、きみみたいな可愛い子が――……』
「待っててくださいね。あ、タクシーきた! それじゃあまた!」
ぶちっと切る。いろんな意味で。
ため息を吐くし頭痛がする。縁が重たくなってきた証拠だ。
こういうの、正直きらいだし、切った方がいろんな意味で安全で安心で、なにより楽なんだけどね。それはほんと、最後の手段にしておきたい。
それはそれとして……ねえ。苦手なんだよねー。「きみってこうだろ」って言われるの。だってほら、それはあなたにとっての私で、それを押しつけられてもさ。演じろっていうの? って、プレッシャーに感じるの。面倒でしかない。
特に……「きみってこうだろ? だから僕はこうするんだ」理論は厄介。いいことしてくれるならいいけど、うっとうしいことされたら迷惑。
ちなみにこの理論を振りかざす人って、本当の意味でこっちの話を聞いてくれなくなる。だってほら、その人の中における私はもうその人の中で決まっているから、そこから動かないんだよねー。こっちがなにしても、よほど裏切らないかぎりは変わらない。
結論。めっちゃ面倒。そしてその傾向が会ってから日に日に増している。吹田さん、基本的にはいい人なんだけど……世界が狭くて見識が狭いから、すごく窮屈なんだよね。
だからって……女性経験がないからさー。
がちの本域で「目の前にいるんだからさ、ちゃんと私を見て欲しいなあ」って言ったら、暴走させちゃうだけだってわかってる。
あーでも気が重いなあ。私の裁量を上回るって判断したら、手を打たざるを得ない。私を守るために。
「一応手は打ったけど――……こっち!」
タクシーを止めて店に移動した。
支払いは――……おごらせたら面倒になるタイプだから基本的には自分で持つ。それに今日は特別だった。
移動中にスマホを確認する。誘いのメッセージはこうだ。
『とうとうやった。理華ちゃんが教えてくれたように、悪い奴はこらしめるべきだ。だから……僕のできるかぎり、断罪した。もっともっと救えるはずなんだ。導きをくれないか』
ね? やばい。相当こじらせてるよ、これは。事件が起きる前兆がぷんぷんする。それとももしかして起きたあと? やだなー。やだからさ。
タクシーを下りて――……最終判断をするための、馴染みの店へ。
名刺をもらった中でも鮫塚さんクラスで特別な人がいる……いわば私のフィールドに入る。
木製の扉を開けると、薄暗い店内でヒゲを生やした三十路イケメン俳優ばりのおじさんがすぐにカウンターの中から声を掛けてくれた。
「お、理華ちゃん。例の彼、来てるよ」
「ども、藤さん。様子は?」
「二階のいつもの個室。かなりやばいね、あれは」
「じゃ、なんかあったらよろしく!」
「おっけー」
指でサインを作ってくれる茶目っ気が好き。
大人がワインやビールでスペイン料理を楽しむ小さな居酒屋だけど、二階にプライベートルームがいくつかあって、私はそこをよく使わせてもらう。
馴染んだ手前右手の部屋に入ると、いたよ。必要以上っていうくらい熱くしているにもかかわらず、コートを羽織ってフードをかぶっている吹田さん。
椅子に立てかけてある布に包まれた棒はなんだろう。狂気にしか見えないんだけど。
「お待たせしちゃいました?」
「……ちょうど三十秒遅れかな」
鳥肌おさまれ。
「今日は急に呼んでくれるからびっくりしちゃいました。理華、なにか教えちゃいましたっけ?」
「……その、悪いことをする奴がいたら……全力で罪を償わせるべきだって」
「言いましたっけ? いつ?」
「去年、暮れ……僕の働いていた居酒屋で、ひどいクレーマーをこらしめた時」
「あの日が出会いでしたねー。んー?」
思い返すまでもなく覚えている。
「理華が言ったのは、悪意には悪意で立ち向かうのが一番楽な手段だって、それだけですけど」
「同じだよね」
俯いている顔。けど瞳は異様にギラギラしてこちらを見ている。
膝がかすかに震え始めた。
「……憎いんだ。自分の欲に誰かを巻き込む人間が。だから……誰かがやらなきゃいけない。警察に言える子ばかりじゃないから……だから、俺がやらないと」
ずっと静かなトーンだから怖い。
この人、本気だ。
「お酒のみます? なにも頼んでないみたい。理華、お腹すいてるんですよね。頼んでも?」
「……聞けよ」
あ、だめっぽい。
「なんです?」
「俺さ。きみに助けられたこと、すごいと思って。ネットで呟いたし、テレビ番組にも投稿した。けど……情けないって。だからやるしかないと思って」
さて……困ったぞ。
備え付けてもらってあるんだ。藤さんに危険を知らせるために、テーブルの下にボタンをね。
前のめりになって、
「なにをしたの?」
笑いながらボタンに手を伸ばそうとしたら、二の腕を掴まれて引っぱられた。
痛い。かなり。
「理華ちゃん、俺の話きいてる?」
引いてる。
「俺はさ! やってきたんだよ!」
なにを? と思いながら、立ち上がる吹田さんを見上げた。
ぷんと漂う――……濃厚な消臭剤の匂いに、何かがごまかされている。
全身黒。照明も暗い。それでもぴんとくるくらい、慣れてる。
「じゃあ御褒美が必要ですよね。なにが欲しいの?」
笑いながら、全身にどっと冷たい汗が滲む。
かすかに、けれどたしかに血の臭いがする――……。
「……理華ちゃんはさ。俺がやっと出会えたヒロインなんだ。だからさ……大事なものをくれない?」
性体験? それとも命? どっちも最悪。あり得ない。
「大事なものって、なあに?」
笑いながら問いかける。尻尾が出たがっている。まだだめだ。それに“そういう結末”を望んでいない。今のところは。
「きみのすべてが欲しいんだ」
取られた腕をあげられて、手を取られた。左手の薬指に指輪を――……。
「あ、むり」
「え……」
「ちょっと我に返ろうよ――……じゃないと、壊しちゃうよ?」
顔にヒビが入る。構わない。一線を踏み越えたいなら、いくらでも。
「え――……あ、あの、俺」
「関係の醸成ができていないから同意形成だってできていないのに、これってさ。強姦にも等しいよね。だから……指輪はよそう? ね?」
「で、でも」
怯むくらいならやるなっつーの。まてまて、落ち着け。攻めっ気はまだ早い。
「今なら何もしないから。ね? 指輪はよそう?」
「――……なんで」
あー、むりか。
「俺は! 強くなったんだ! がむしゃらになって! 助けてきた!」
「その話がよくわかんないんだよなー。だからまずはそれを、ご飯でも食べながら話しましょうよ」
「黙れよ! 俺の話をしているんだ!」
怒鳴られた。わざわざ顔を間近に寄せて。
そんなに鬱屈するほどしんどい人生だったなら、大変だったなーって思いはするけど。
同情を嫌っているように見えて、同情を何より求めていそうに見えちゃうから複雑。
よしよし、最低限の頭は働いている。鮫塚さん効果つよい。下着もばちっと決めていたらもっと強かったかも。それは次に活かすとして。
店内BGMが流れる中、足音が近づいてきた。
「お客さま、あの。そろそろご注文を――……えっと」
藤さんが気を利かせて様子を見に来てくれたんだ。
でも視線を送らずに伝える。
「あ、ちょっと仲良くお話しているんで。後でもいいですか? ちゃんと知らせるんで」
「かしこまりました」
直ちに去る藤さんを、吹田さんは気にしない。私しか見えてない。この場合、ちっとも嬉しくないなあ。
でもまあいい。藤さんに伝えた言葉には意味がある。警察を呼んでもらうための隠語が「ちゃんと知らせる」なんだよね。あとは時間を稼ぐだけでひとまずこの場はおさまる。
あとはアフターケアのためにどこまで行動できるかでしかない。そして、
「理華ちゃん……俺は、この日のために賭けてたんだ」
この人はもう、私しか見えてないからピンチは継続中。
「これ……何かわかるかい?」
布の包みを開けて出されたのは、日本刀。
「去年の暮れにさ。なんか……声が聞こえた気がして、影から生えてきたんだ。ずっと怖かったけど、立ち向かう理華ちゃんを見て、やらなきゃって思った。こいつを握ったら……力が湧くんだ」
「……ふうん?」
やばいぞ。やばいピンチが人生史上最大級のピンチになった。
「青澄春灯も、警察の侍も、こいつがあるから強くなるんだろ?」
「――……それで、誰かを斬ったの?」
「まさか」
鞘から抜かれた刀はぼろぼろだった。朽ちる寸前。
「こんなんで斬れるわけがない。でもこいつを握ってると、男の欲がわかるんだ。だからさ……追いかけて暴いて、必要なら通報して追いつめてきた。誰かを苦しめる奴ぜんいん」
話したいだけ話させておけばいい。そのほうが長引く?
いや、コントロールしないといつ切れてもおかしくない。尋ねるべきだ。
「……今日が特別なのは?」
「前に、きみみたいな子を……酷い目にあわせて、子供を作ったやつを、警察は、法律だって……うまくさばけなくて。被害者が、ばれて。自殺して……許せないからさ。刺した。だってさ!? 命が失われたんだよ? なら、加害者の命も失われるべきだろ?」
「――……すっきりした? それとも、いやな気持ちになった?」
「すっきりしたに決まっているだろ! かよわい子やかわいすぎる理華ちゃんみたいな子は! 俺が守ってやらなきゃだめなんだ! それがはっきりした!」
うーわーむーりー。
守ってやるって何様だ。あー、うざったいなー。そこは「守る」か「守りたい」でいいし、だったらこっちも面と向かって「結構です」って言えるんだけどなあ。
そもそも守るって自分の意思の話だよ? 義務にするのも責任感じるのも勝手だし、職務によっては場合によっては求められる瞬間があるかもしれないけど、自分の意思を相手に押しつけて操ろうっていうんなら話は別。
「じゃあ吹田さんも殺人未遂を犯しちゃったんですね。理華、そんな風になるなんて残念だなあ」
「――……え?」
「だって、刺したんでしょ? なにで刺したの? 包丁? それとも本物の日本刀があるとか?」
「で、出刃だけど。なんで俺が殺人未遂になるの?」
「んーだってほら。法律は殺人を許容しないから。刺したんでしょ?」
「犯罪者をな!」
「その前に人なんだよね。そして人である以上、基本的な人権は法律によって認められ、守られている。それは道徳の前の当たり前のルール」
「ルール? けど、未成年を犯したクズだ! そんなブタは死んでいい!」
「……それ、まんま犯罪者の言葉だって自覚ない? ないんだろうなー。犯罪者を裁くのはね? 法なんだよね。だから法治国家は成り立つんだよ? あ、無法も法だって顔してる。けど違うんだなー」
指輪から力を引き出して、腕を掴む手をそっと剥がす。
そして席に腰を下ろした。
「まあ法は万能じゃないって言われるけど、そんなのは……あなたが手を汚す理由にはならないし、あなたを許す理由にだってならない。いいから座って? ご飯を食べながらお話しようよ」
「――……俺の知ってる理華ちゃんじゃない」
「いいから。座れ」
「――……、」
口をぱくぱくして、きっと顔色も赤くなったり青くなったりしているんだろう。
懐に手を入れた。汚れた包丁が出てくるあたり、おきまりすぎていやになるし……気配を察してやばいと思いながら入れる藤さんの信頼と実績を思い返す。
こんなの別に、初めてじゃない。
スマホが振動した。こんなこともあろうかと――……今日、連絡先を交換したばかりの人に連絡してあるんだなー。
◆
今日出会ったばかりの子に「未来の後輩を助けてくれませんか?」って言われた時は正直迷った。けどまあ、先輩なら迷わず助けるだろうなあって思ったからふたつ返事で引き受けた。
そしてその結果、
「メイ、厄介な相手だけど……いけそうかな?」
隔離世で妙なのを相手にすることになったわけだ。
「ええ、先輩。楽勝ですよ……あなたとふたりなら」
黒い西洋騎士。甲冑の隙間から赤い何かが滴り落ちている。そんな見てくれなのに、手にしているのは錆びて朽ちかけた刀だというんだから、ちぐはぐ感がひどい。
指定された住所にたどり着いたら騎士がいた。
奴が兜の隙間から吠える。影から無数の似たような騎士が出てきた。
私にお願いしてきた彼女――……立沢理華ちゃんは言っていたな。
『知りあった人がちょっと厄介なことになってるんですよね。隔離世のこと、知ってみると嫌な予感しかしないんで……私の指定する住所に来て、もし異変が起きていたら助けていただけないですか?』
「なんで?」
『なんとなく、命の危険を感じるんですよ。直感なんですけど……警察に言うほどかどうかわからないので、お知り合いになった真中さんにお願いしたいなあって。だめですか?』
どんな女の子なんだって思ったけど、彼女の見立ては正しかったようだ。
あとでいろいろと聞かせてもらわなきゃいけないが……まずは打倒しないと。
「それじゃあいこうか」
「ええ!」
先輩とふたりで顔も知らない誰かの邪を斬る。
楽勝だよ? 当然ね。だってそれが……侍を続ける覚悟の証明になるのだから。
「いくよ、アマテラス――……焼き尽くせ!」
◆
吹田さんが包丁を突きつけてくるけれど――……不意に刀が燃えた。溶けていく。しかし椅子を焦がしはしない。ただ――……なくなっていく。
「え、あれ……な、なんで」
てんぱる彼に怒鳴る。
「座れ!」
思わず従う彼を見つめた。
「教えてくれます? あなたにとっての、罪の定義」
「――……え、え」
どういう理由によってか掴んだ刀は、けれど――……潜在的な欲望から生み出された過ちと幼さの結晶。それを育てることを怠り、あまつさえ……包丁なんかで人を刺すんじゃ、そもそも資格なしということなのかもしれない。
理屈はわかんないなー。今はどうでもいいや。
「罪って、なんであるの?」
「そ……そいつが、絶対悪だから。みんなでぼこぼこにして、殺してやらなきゃいけないんだ。生きている価値さえないんだ」
さっきほどの勢いはない。
内心で喝采をあげる。真中さん、今日出会ったばかりの私のために動いてくれたんだ。あとで死ぬほど感謝しなきゃ。
義務はない。義理もない。だからこそ、行動を起こしてくれた彼女自身の意思に、私は感謝せずにはいられない。
真中さんと吹田さんの致命的なまでにある差はどこからくるんだろうね? 真中さんは――……殺さないけど、吹田さんは殺す。そこに埋められない差があるんだろうね。
「教えて? なんでそれを人が決められるの?」
「だ、だって、悪いだろ」
「未成年を犯して妊娠させたのが悪い? 自殺に追いやったのが悪い? のうのうと生きているのが悪い?」
必死に頷く彼と私の強弱関係はもう、とっくの昔に反転してる。
そろそろ――……時間かな。
「前者は淫行になるね。恋愛が成立しているかどうかは焦点になるけど。自殺は自分の決断だから、強いて言えばその結末を選んだことを弱さと捉えるのなら、本人の責任かなー。まあ過剰に追い立てるみんなの声も悪いよね」
「――……え」
「あとは――……生きるのはそもそも、最低限の権利だからさ。それを誰かが明確に行為を犯して侵害するなら、そっちのほうがよっぽど罪だよ」
パトカーのサイレンが近づいてくる。すぐに扉が開く。
「結論。黒じゃない人なんてさ、世の中にはいないの。三十過ぎてそんなこともわからないなら、よっぽど狭い世界で生きていたんだね。でも……今日の行為は明らかにやっちゃったね」
駆け足がのぼってきて、警察官が吹田さんを取り押さえる。
「あなたってもっと、おとなしくて世の中を懸命に生きていると思ってた。でも、残念。ここでおしまいだね」
湧き上がってくる衝動をぐっと堪えて微笑む――……。
「生きるのはそもそも最低限の権利だから……刑務所でしっかり頭を冷やしてくればいいよ。もう会うこともないだろうけど、会いたいならいくらでも会うよ」
「お、おれを売ったのか」
ここへきてそんなこと言っちゃう?
「あは! いまわかったの? 犯罪を犯したのに脇が甘すぎ。人を刺したんなら、隠れるくらいしなきゃだめだよ? はっきり言って、見つからずにこの店に入れたのはマジで奇跡だから。なのに運命を感じて中学生の左手の薬指に指輪をはめようだなんて……世の中なめてるにも程があるよ」
信じられないものを見るような目で睨まれた。
「――……悪魔」
警察官に連行されていく。耳裏を指で掻いて笑う。
「やっと見抜けたんだね」
店の外は大騒ぎ。見慣れた刑事さんが渋い顔で「またお前か」って言ってきた。
愛想を振りまいておく。事情を聞きたいっていう段取りももうわかってる。
藤さんにはお詫びをしておいたよ。「いつものことだけど、いい加減うちの店が変な名所になりそうだ」って言われちゃいました。なにかお詫びを考えておかないとなー。ひとまず突然脇腹を刺してくるタイプじゃないという前提条件のもと、馴染みの深くなった人には紹介してるんだけどね。このぶんじゃ、もっと紹介がんばらないとなあ。
パトカーに向かいながら、夜空を見上げた。寒いなあ――……曇ってるし。
春灯ちゃんに会いたくなった。無性に……あの熱を感じたくなった。
白状するよ。修羅場をくぐっても怖いものは怖い。
包丁を向けられた時にはちょっと、もらしかけたよね。
真中さんにも連絡しとこ。士道誠心なら警察と繋がりもあるわけだし。頼れるものは頼る。それってなにげなくて当たり前の処世術のひとつだと思う。
だからこそ……吹田さんにも、変なことする前にちゃんと相談して欲しかったんだけど。それも今後の課題だなあ。
つづく!




