第四百五十六話
刀を手にやっとの思いで立ち上がる。
大勢の人たちが神社に集まってきたし、尻餅ついている姿で印象に留められたくない。やっぱほら。イメージって大事でしょ?
さっきは嘘みたいに無双できたけど、まぐれなのか。それとも背中に疼いている何かの存在のせいなのか。私が無理矢理引き出した力の代償は――……まあ、それはいいか。ひとまず急いで尻尾を消しておこう。
歩くだけで汗が滲んでくるくらい、めまいがするわ、頭痛がしてくるわ。背中から漏れ出る何かはもう放出をやめている。だからそれでよしとして、神社の石段に腰掛けた。
七原って子を今日やたらと絡んだ男の子が背負って歩いてくる。真中さんたち大勢の人たちと一緒に。その中には冬音さんもいたし、警察の侍っぽい人たちも大勢いた。
学院長さんが迎えいれて、みんなで和やかに話し始める中――……さも当たり前のように、七原って子とふたりで私のそばへやってくる。
「よっと――……軽いなぁ、なに食ってんすかね」
ごくごく自然に私のそばに寝かせた風を装いながら、彼は後ろにある球を睨んだ。
「――……やっぱ違うんすね」
「意味深な台詞の最中わるいけど。わざわざ近くでやられると、うざいかなー。意味不明すぎて」
笑顔で言う私を睨んで、彼はぼやいた。
「お前、ほんと性格悪そうな」
「え、なにそれ。褒め言葉?」
「……面倒そうな奴。まあでも最終的に面倒見はよさそうな」
意外な返しだった。
「おっさんもあんたも放置したけど。なんで面倒見よさそうになるわけ?」
「結局、救急車に乗ったの見たんで。来るまでの時間を鑑みると、最低限のことはしたんじゃねーのかなーって」
「え、やだ。あたしがここにくる時間とかなに把握してんの? ちょーきもい」
「――……お前さあ。女子に言われるきもいの破壊力ってやばいんだぞ? やめて? 傷つくから」
「んーだからいってるんだよ? きもいって。もっと言って欲しい?」
「……いえ、もういいっす」
笑顔で言うとすっかり落ち込んだ顔をして項垂れてる。
よしよし。なんかしらないけど、変なことをしようって空気は消え去った。
「で? さっきのあんたの……名前なんだっけ?」
「自由すぎか。おまっ……日高だよ。日高ルイ。つうか、名前を聞くならさあ」
「立沢理華、以上自己紹介終了。でさあ。ルイのさっきのジャンプなに」
決して主導権は持たせない。むしろ率先して奪っていく。
だってほら。気になるじゃん。なにこいつって感じ。
「ねえ、どうやってんの? 刀もってないのに戦えたの? あんたってどういう人生送ってきたの? そもそも彼女いんの? いや待って、女友達そもそもいる?」
「質問! 質問の内容がひどい! あと圧がやばい! つうか顔が怖い!」
「さっさと言えよ」
つま先を蹴ると身構えた。
「こわっ……女子マジで怖い。え、暴力?」
「優しくしても喜ぶ性格じゃないでしょ? 出会いが最悪だったし、だからこそ今更あんた相手に猫かぶる意味なんてねーし。というわけで単刀直入に。あんたってそもそもなに」
「まとめて聞く質問が、存在そのものへの疑問とか!? ……はあ、もういいっす。ただの中学生っすよ」
疑問でしかない。
「言いたくないと?」
「どっからどう見たって、ほら。俺ってよくいる中学生男子じゃないっすか」
「平均化したビジュアルなんてそもそも観測者によっていくらでも定義づけが変わるよねー。ファッション、髪型。流行だってわかっていなきゃなにそれ? って眉を顰めるものでしかないわけで。よくいるっていう言葉はよくいるっていうざっくりした感覚でしか捉えられないんだ。要するに」
半目で鼻で笑う。
「はんっ! 正体の怪しさをごまかせてないよね。掟がどうとか、学院長と話してたけど――……」
かまをかけるなら、このタイミング。さーて、なにがいっかなー。面白い単語がいいな。
侍だらけの学校で奇想天外。門外不出感があって、刀を持っていないのに強くて、球を意識せざるを得ない存在かあ。そうだなー。
アメリカとか海外じゃ、日本って寿司、テンプラ、侍、ニンジャってノリだよね。よし、安直にいこう。
たっぷりの間を作って考えた結論。冗談でかまかけ、そして和解でもして、来月に登校するまでの知りあいを増やす。そんなノリでまとめるか。
ここまで十秒。さて、結果はどうかなあ?
「ニンジャ? ――……なぁんて」
ね、と言おうと思った唇を手で塞がれた。
そして露骨に汗だくになって、真っ青な顔をしてびびってた。
「なっ、な、ななな、なっ、なに言ってんすか! ばかじゃないっすか!? あははは、や、やだなあ?」
無遠慮に口元を触れられるのって、案外いらっとくるんだな。
まあ今はそれよりも大きな問題があるんだけどね。
顔を引いたら手が追いかけてきたから、じっと睨む。
それだけで怯んだルイが手を引いた。
無言で刀を置いて、カバンの中に手を入れる。それからウェットティッシュを取りだして、まずはルイの手を全力で拭う。
「え、え、なにこれ。追求されるかマジ切れされるかの二択だと思ったんだけど……あ、あのう。なぜ俺の手を拭くんすか?」
「私の唇の感触よ、消えろ」
「――……な、なんだろう。今日だけであんたにめちゃめちゃ傷つけられてるんですが。そんなに俺っていやな存在っすか?」
聞かれている間に唇を思いきりごしごしと新しいので拭って、それからリップを塗って調子を整える。よし。
「それはそれ、これはこれ。ルイが問題なんじゃなくて、ほら。思春期の男子って唇の感触だけで一週間はおかずにできそうだし。そういう間接的な性的搾取の対象には断じてなりたくないだけで。強いて言えば思春期男子相手ならこうするだけです。表でやるくらい意識してないのは、まあ謝るけど。逆に言えば教えて欲しい。あたしに意識して欲しい?」
「あ、あんたがどれほどひどい女か身に染みてきたっす……し、しないっすから! そんなこと! 触ったことにも気づかなかったくらいで、自意識過剰っつうか! 敵を増やすっすよ、そういうの!」
「でも、いま赤面して手をちらっと見た。私の唇の感触を反芻してるとみた」
「そ、それは」
口籠もる時点でダウト。
笑顔になる私にルイはあわてて言い返す。
「そ、そもそも! ごしごし拭かれてわからないっすよ、もう!」
「それじゃあ私の対処は的確だったということで」
「くっ! み、見た目は完璧にかわいいのに、中身は悪魔みたいな女っすね!」
「それも褒め言葉かなー」
地味にルイと話すの楽しくなってきた。
「仲良くやっていけそうだね、私たち」
「二度と話しかけないっすよ……」
「遠目に見ているだけでいいんだ……あの子のかわいさは……なんて振る舞っていると、一生童貞のままだよ? いーの?」
「う、うるさいっすよ! 別に童貞でもいいでしょ!? 決めつけないで! まだまだ可能性しかない中学生っすから!」
「その可能性、夢見るだけで叶うといいね」
「ほ、ほ、ほんと、まじで! 怒りますよ!」
話せば話すほどわかる。こいつ、いい奴なんだろうなあ。だからこそちょろくて弄り甲斐があるんだけど、たしかにいじわるが過ぎた。そろそろ矛をおさめよう。
「じゃあ、いきなり男の子と付き合ったことのないいたいけな女子の口を勝手に手で塞いだ結果、私のファーストキスが消えたんだけど。突如働いた狼藉について謝ったら、私も謝るからさ。そこから始めない?」
「え、え、えぐりかたえげつない……ま、まあ、そりゃあ悪かったっす」
ほらね。やっぱり良い奴。
普通、ここまで煽られて謝れない。もちろん、そんなことはわかっている。
でもこいつは謝れた。だから気合いの入った良い奴だ。そういう知りあいが増えるのはいい。
「そ、そっすか。ファーストキスっすか。へ、へえ? そうなんすか」
なにその穏やかじゃない、みたいな笑顔。
「あははー。まじきもい」
「す、すまないっす。いまのはさすがに自覚しました」
胸を押さえながら言うルイを睨んでから、ため息を吐く。
「まあでも唇じゃないからノーカンね」
「おい!」
「いじってごめん! じゃあ次いってみよー」
「謝罪も軽い!」
「ところでルイ、来月に入学すんの? 高等部? あんたの場合、なんか中等部に編入でもおかしくなさそうな童顔だけど――……え、まさか小学校に?」
「流れ! 流れがひどい! 高等部だから!」
ぷち切れしながら言い返してくる、そのツッコミがね。えらく気持ちがいい。打てば響く。
良い奴で、しかもツッコミ上手……なんでだろう。
「ルイには今のまま、一生童貞のままでいてほしい」
「いやな呪いかけないでくれっす! 俺だってできればね! 声が可愛くて華奢でだけど胸のおっきな、夜はちょっと……いやかなりえっちな彼女が欲しいんす!」
「天然で? ドジっ子で?」
「そうそう。デートの待ち合わせで俺を見ると笑顔になって駆け出すんだけど、ちょっと転んじゃったりなんかして!」
「初デートはどんなのが理想ですか?」
「やっぱりそれはほら、俺もいろいろ考えたっすよ。映画館なら映画の話題で盛り上がれるし、遊園地だと会話が弾む子となら最高じゃね? とか! まあ夜は雰囲気ばっちりなところでキスできれば、相手に合わせるくらいの余裕は持ちたいっすけどね!」
どや顔でノリノリで話すルイにスマホを向けながら笑顔で促す。
「初めてのデートでキスですか。ちなみに初えっちはいつがいいんです?」
「そ、そりゃあほら。ノリと勢い重視か、はたまたじっくり関係を結んでからがいいのか。悩むんすよ。姉貴はめちゃめちゃ爛れた生活してるんで、それを傍から見ていると身構えちゃうんですけどね。でも理性で付き合ってたらいつまでもできないままなんじゃないかなーって童貞的には思うんですよね」
「つまり、初デートでもいけそうならがつがついく肉食系で攻めるんですね?」
「草食を否定はしないっすけどね! やっぱり人間って心だけじゃなくて身体もあるんで。その繋がりも大事にしたいから、まあそりゃあえろいことはやまほどしたいっすよ? けどほら。彼女を作りたいのはえろいことがしたいからっていうよりもっとずっと、お互いに好き同士でいられる子が欲しいっていう、そこに尽きるし。できることはなんでもしたいっていうか」
「つまり、えっちもしたいと」
「ま! まあね! 結局ね! でもあくまで、彼女としたいことのひとつでしかない――……あれ?」
そこまで言ってから、ルイは喋るのをやめて私のスマホを見た。それからふり返る。
警察も士道誠心の人たちもみんな、優しい顔をして見守っていたよね。私のスマホはばっちりルイのインタビューを撮影済み。録画を止めて笑顔で告げる。
「ノリがいい男の子って貴重だよね。ルイ、入学したらよろしくね? だいじょーぶ。ルイは仲良くしてくれるって、私……信じてるから」
スマホの録画映像を流した画面を向けながら、今日一番の決め顔で伝えた。
「――あんた、まじで悪魔っす」
赤面した顔を両手で覆ってうずくまるルイは、記録媒体に残さず脳に記憶する。
本当に素敵なものや愛らしいものほど、曖昧な部分に残す。それをセンチメンタリズムと呼ぶのなら……うん、そうだね。その通りかも。
気に入っちゃった。遊び道具として? いやいや、遊び友達としてだよ。もちろんね?
まあ――……白状すれば、今ほど尻尾を出したい瞬間はなかったけどさ。それはそれだ。
◆
不思議な感覚に襲われてみると、私は地面に腰掛けていた。ロッカールームにあるはずで、引き抜けた刀もどういう理屈によるものなのか、ちゃんと抱えたままだった。
破壊されたはずの天井は残っていた。七原くんは手錠と足かせを嵌められて、刀も奪われて背負われる。そのまま警察車両に乗せられて運ばれるみたいだ。
背中に触れる。コートを脱いで確認したけど穴はなかった。身体に変化もなく、問題なし。なんでなのかは気になるけど、さておいて真中さんへ突撃! 連絡先を交換してもらったよ。
ルイとふたりで、たてがみみたいな髪をしたマッチョに連れられて職員室へ。その移動中ずっと、
「鬼、悪魔……最悪っす……今まで見た中で一番かわいい子が、今まで出会ったどんな人よりも性格やばいの、なんの巡り合わせっすか……時雨みたいな女の子ばかりじゃないって信じてたのに、裏切られたっす……」
ルイがうるさいので、スマホを操作して動画を自分のメアドに転送してから、
「ほら、これみて」
「……なんすか。追い打ちっすか?」
「これをこうして……こうしたら、消えたでしょ?」
スマホ操作する画面を見せながら、動画の削除操作をする。
「やりすぎたからさ。あんたをいじめるのはもうやめるから……ほら、消したから信じて?」
面倒そうな人(男性限定)に向ける必殺笑顔で伝えると、
「……も、もうしないっすか?」
乗っかっちゃうんだから、人生経験ってなにごとも大事だなあとしみじみ思いながら頷く。
「もういじめないよ」
めちゃめちゃいじるけどね――……おっと、やばいやばい。尻尾が出そうだ。落ち着け。
「じゃ、じゃあ……許してあげるっす」
そういうところで上からって見える言葉を使っちゃうと、禍根を残すよ? 器の大小も露骨に見えちゃうんだよ? それってあなたの弱みになるんだよ? だいじょうぶ? 教えてあげないけどね!
一番かわいいって言ってくれたのは嬉しいけど、素直できっとバカがつくほど人が良いルイだから嘘じゃないんだろうけど、でもルイの出会った女子の顔を知っているわけじゃないから迂闊に喜ばないし、飛びつかない。
慎重に。前向きに。
「仲直りに――……」
このあと遊びに行かない? と誘おうと思ったんだけど、だめだ。今日は約束がふたつも入ってた。人生のルールはなるべく少ない方がいい。判断に困らないし、行動が明確になるから、ずっと生きやすくなる。
「明日、遊ばない?」
「……ええ? な、なんか場違いな店に連れて行かれて場違いな目にあって恥を掻いて泣きながら帰る未来しか見えないんすけど」
うーわ。ネガティブこじらせてる。めんどくさっ!
そう思いながらも、しかしこれくらいで怯む私じゃない。
やると決めたらとことんやる。それが少ない私のルールのひとつ。
「あんたの好きなご飯は?」
「ラーメンっすかね。あと百円寿司」
「じゃあ昼はラーメン、夜は寿司で」
「……あんたみたいな可愛くていけてる感じの女子がそんな店いくんすか? SNSでめっちゃ悪口呟いたりしないっすか?」
「伝えたいことは直接伝える主義なんだ。さっき体感したでしょ?」
「かつてない説得力っす」
事前の流れも活用する主義。それはそれとして。
「予算は?」
「……まあ、そうっすね。んー」
私を横目に見て、腕を組む。ちょっと赤面して呟いている。「これってデートなんすかね。だったら見栄をはるところっすよね。むしろ奢るべきなんじゃ? だ、だとしたら高額は無理っす! 中学生っすから! ああでもしょぼい金額いってせっかくのチャンスを不意にするわけには!」だってさ。
ほんと掛け値なしに良い奴だし、いろいろ露骨すぎるなあ。やっぱり、このまま一生童貞でいてほしい。変にすれたりしないでさ。
まあでも話が進まないから言っておこう。
「自分で稼いでいないなら奢らなくていいし、そもそも奢る必要もないよ」
「……え、これもトラップっすか?」
「べつにー?」
「……いやだって、あんたどっちかっていったら絶対、オシャレにも外に出るのにもやばいくらいお金かかってるんだから、男と女じゃ経費に差がある分、おごれよ! っていうクチでしょ」
面倒な価値観って世の中にやまほどあるよね。そんな風に付き合って楽しい?
そんなところでむかつく相手なら、やめちゃえば? だって男なんて世の中にどれだけいると思って――……いやいや、芸人さんのネタだ、それは。
「私が好きでやってるんだから、別に対価なんて求めないよ。あんたのためにやってるんじゃないし、対価を求める関係になりたいわけでもないし」
そういう付きあいならやまほど抱えている。腹ぺこだけど、ルイとそうなりたいわけじゃない。今のところはね。
「結論。一緒に遊びに行くんだから、一緒に遊びに行ける範囲で十分。さすがに公園で日向ぼっことか、街中でぼうっとするみたいな選択肢だったら今後の付きあいを考えるけど」
「さ、さすがに公園に誘ったりはしないっすよ……にしても。あんたって、読めないっすね」
「素直なだけですよー」
自分の生きたいように……それが叶うようにね。
「で? 女の子とどんなことして遊びたいの?」
「……なんでそんな、めっちゃどきっとする言い方するんすか」
「あはは」
どぎまぎしているルイに笑っていたら、マッチョのおじさんが立ち止まった。
「ひとまずそこで中断してもらおう」
移動中ずっとだまっていたから話に参加しないのかと思っていたんだけどなあ。
渋くて厳つい声かと思いきや、とても優しい声だった。印象よりずっと若いのかもしれない。
「中で手続きを」
「「 手続き? 」」
はからずもルイとハモってしまった。一生の不覚レベルの失態だ……。
「入学、入寮、怪我の可能性から何から一通り必要な確認は済ませましたけど。他になんの手続きが? それも親のいないこの状況でできる手続きに何があるんですか?」
私の問いかけに、たてがみマッチョは笑う。
「構えさせてすまんな。来る卒業式の見学希望の確認と、その手続きだ」
思わず眉根を寄せた。卒業式って……士道誠心の、それも高等部の卒業式だろうか。
だとしたら、迷う。たんなる卒業式を見せられても、そんなの退屈だ。なにせろくに関わりのない人たちが、その人たちにとって特別で大事な時間を涙ながらに過ごす瞬間を見せられてもね。私にどうしろと? ってなるわけ。
日にちもまあ、重なると当然いけない。そんなことは教職員ならわかっているはずだ。にも関わらず誘ってくるとなると――……。
「それって、面白いことが待っているんですか?」
「ど、どういうことっすか?」
ついてこれていないルイよりもずっと、マッチョおじさんを見た。
たてがみマッチョは笑って頷く。
「いい感じ方だな。我のクラスにも似たような生徒がいるが……まずは中へ。参考映像がある。それを見て決めてもらおう」
参考映像ね……。
深呼吸してから頭を切りかえる。
物事を楽しむコツは、まあきっとやまほどあるんだろうけど。
個人的に大事にしているのはね?
最初から楽しむ自分でいること。これに尽きる。
これいる? こんなの楽しい? 自分を楽しませられるの?
そんな風にマウント取らず、もっとシンプルに。
楽しませたいって? いいよ、どんとこい。なによりあたしがあんたの望む以上にあたしを楽しませるのが上手だからね。
そんな風に前のめりになっちゃった方が、その気じゃないのに付き合わされるよりずっと楽だと思いません?
◆
ルイと並んで座らせてもらったソファで目にしたよ。
ノーパソの映像。去年の卒業式。ハリセンを手にした長髪の美人さんが、春灯ちゃんの彼氏さんや銀髪の男女、それにめっちゃもさっとした髪の眼鏡の女の子とバンド演奏をする。それだけなら普通だけど、周囲に光る鳥がまたたいたり、世界の景色が変わったり。何から何まで、今まで見たアーティストのライブの豪華な演出並みに派手ですごかった。
真中さんたちのショーもやばかった。グラウンドに出た真中さんたちが見せたのは砂をアイスリンクに変えて踊る光景。真中さんの喋りすぎを指摘した超絶美人のお姉さんがフィギュアスケートを披露する。ジャンプのたびに衣装が煌めいて変わっていく。圧倒的な美。くそ。フィギュアスケートの文脈がないから表現のしようがないけど、プロがやるような回転数のあるジャンプを何度も繰り出している。
見守っている、恐らくは卒業生の――……特に男子生徒は目を奪われていた。いつしか真中さんたちははけて、お姉さんひとりになる。滑って削るたびに氷が舞う。小さな欠片は氷の鳥になって飛んでいく。卒業生の手元に届いて変わるんだ、花びらへ。
どっちも他の学校の卒業式じゃ見れない。そりゃあ出し物を考える学校だってあるだろうけど、基本的には厳かに、しめやかに行なうのが基本。なにせ父兄もくるんだから。ご家庭によっては義務教育が終わる瞬間なわけだし、そんな大事な日に羽目を外してくれるなよって怒る風潮の方がより自然。
でも、この学校は違うんだ。
考えてみれば、或いは必然なのかもしれない。たとえ学校とはいえ、安全に配慮されているとはいえ……さっきの特別体育館で見たような危険な場所へ赴く三年間を過ごした生徒たちには、お祭りがあってもいいのかもしれない。あるべきだ! とまでは言わないけど……でも、士道誠心じゃ許されているんだ。
見てみたいと思った。素直にね。だってさ。こんなの見せられたら連想するよ。
「私は見学します!」
前のめりになって宣言する。間違いなく、青澄春灯は卒業式に歌うはず。見逃す手はない!
「書類ってサインすればいいですか? 印鑑がいりますか? 一応もってきましたけど、他に必要なことってありますか?」
意気込む私に、ノートパソコンを持ってきてくれた着物のお姉さんが笑ってくれた。
「あらあら。じゃあ……日にちを確認して、問題ないようならこれにサインしてくれるかしら」
そっと差し出された紙を手にして、内容をさっと確認する。
日程は私の卒業式の翌日だ。欠片も問題などない。うちの親ならだめだと言うまい。むしろよく見て判断してこいと言うだろう。うちのパパなら間違いなくそう言う。今日だってそう言われたからね。
迷わずジャケットの内側にさしてあるペンでサインした。着物のお姉さんに渡して、さてどうしたものかと横を見たらルイは難しい顔をしてパソコンを睨んでいた。
お祭りとか嫌いなのかな? すごくノリがいいから、前のめりになるかと思ったけど。
「あなたはどうする? もし判断がつかないようなら、後日電話でもいいけれど」
「――……ほかの新入生は、来るんすか?」
「案内は送っていますよ。うちの学校はよそと違って特殊だから、なるべく理解してもらえる機会を増やしているの。昔からね」
「じゃあ……七原ってやつも来ますか?」
不意を突かれた。私だけじゃなく、職員室にいる人たちのほとんどが虚を突かれた顔をしている。でもルイの問いかけは至極まっとうだ。
警察が管理し、鎖に繋いだ囚人――……。
ルイと私が中学生なら、あいつもそうであって不思議はなく、なら……あいつにも権利があって然るべきなのか。
あいつも同じように入学する? いくら私たちの入学する士道誠心が普通の学校とは比べものにならないほど激しい場所だとしても、そんなのあり?
いや、なしだ。普通なら。
だって法律は刑務所にいれると決めたら、よほどのことがないかぎり出すはずがない。だからこそ機能するんじゃないの?
なら――……普通じゃない、よほどのことが起きている?
たとえば……そうだな。七原の刀の力は二度も見た。とてもやばそうだけど、刀にまつわる力の基準点が見えない私には、どれほどの脅威度なのかはわからない。ただ、それは低くはないのだろう。警察がやまほど一緒にいて、学生の力も借りるくらいなんだから。
そんな七原を迎えいれるほどのことって、なんだ。
犯罪者は罰する。程度によって隔離する。それが結局のところ、この国の真実じゃないのか。
その前提を覆すようなことを起こす? それはなぜ?
答えなんて……ひとつしかないんじゃないか。
「彼、何もやってないんですか?」
答えあぐねている大人達の顔色が一斉に変わった。ルイの問いかけよりもずっと、露骨に。同じように攻めたルイさえもが、ぎょっとした顔をする。
「なんのことかしら」
必死にごまかそうとする着物のお姉さんは、それでもよほど胆力がある方だと思う。
深まる笑み、目を伏せて仏のような顔をして――……作ってみせている。
でも私が問いかけた一瞬の目元のこわばりは隠しきれるものじゃない。
いやあ、ルイのニンジャに続いて二つめか。今日の私はいつも通り冴えているっぽいぞ。よしよし。でもその能はひけらかすために磨いたものじゃない。
「いえ、なんかほら。警察が鎖に繋いでいたのに学校これるって。すごいなーって思うじゃないですか。もしかしたらって。たられば話ですよ。でもそんなのあるわけないですよね。だって、彼、鎖に繋がれていたんですもん。何もしていなかったら成立しませんよね」
笑ってみんなが納得できる言葉を並べる。
冷静に考えれば、とみんなの思考が巡る。
まあでもね。形式上は刑を執行中っていう形になるのなら「何もしていない」が法律上成立するまで彼は犯罪者として扱われる形を取らざるを得ないと思う。ある程度の配慮はなされるかもしれないが、そこはさすがに知識の外だなー。
ううん……元犯罪者の知りあいが欲しいな。清廉潔白なだけじゃ、知り得る世間は狭まるばかりだ。こういう時に判断材料がないのは困る。それは今後の課題としておこう。
思考を巡らせる私を見て、着物のお姉さんは開いた目をルイに向けた。
「さて、彼が来るかどうかはわからないけれど……日高くん。きみはどうする?」
流した。それとも……流してくれた? 露骨に話題を逸らされたけど、構わない。女の嘘は女ほどよく気づく。この人には私の天然を装った演技が通じないとして、別に不思議はない。私は役者じゃないし、芝居で食べていくつもりもなければ、それでもこれまでの人生で磨き抜いて通用するぞ! なんてお気楽に思うほど自分に甘くもないのだし。
着物のお姉さんの問いかけにルイは渋い顔で紙を受け取りサインしたのだった。
◆
刀を返して正門前まで見送ってもらって外へ。スマホを操作しながら移動して、先生にお別れを言う。春灯ちゃんの教室にもう一度くらい行きたかったけど、それは次回……いや、卒業式は無理だろうから、入学するまで持ち越しかな。
くらくらするほど不思議な世界を目の当たりにした。刀の瞬間移動とか意味わかんない。でもまあ、そういうものだと受け入れて考える。
未知の世界に飛び込む時、先に進むにはまず受け入れることが大事。否定していたら、それこそパニックを起こして真っ先に死ぬ映画の端役に早変わり。そんなのは望まない。私は私の主役でいたい。
さてと。ルイと連絡先を交換したから、笑顔で告げる。
「じゃあね、ルイ。また明日!」
「え。なんか、一緒に帰る流れじゃないんすか?」
「移動中に呼んでおいたんだよね、タクシー。あ、きた。じゃ、そういうことで!」
「えええ! 駅まで乗せていってくれてもいいんじゃ」
「お金だせるならいいよ」
「ええええ! いや、だって、駅いくんじゃないんすか? それなら一緒に乗せてくれたって」
「用事があるんだよね。だから駅には行かないし……出すの? 出さないの?」
「だ、出さないっすけど。電車とバス代しかもらってないんで」
「じゃあ諦めて。お疲れ!」
笑顔で別れを告げて、扉を開けて待っているタクシーに乗り込む。
あっけに取られているルイに手を振ってから、運転手さんに告げた。
「六本木まで」
「……あの、お客さん。見たところ学生さんのようだけど、六本木まで行くとお金かかるよ? だいじょうぶ?」
しっかり確認。聞き方とかはさておいて、大事なことだ。よしよし、運転手さん。信頼するぞ。
でもねー。こっちは切り札がいくつかあるんだなあ。
外の顔のための財布を取り出して、ブラックカードを出して見せる。
「支払いはこれでお願いします。カード、使えますよね?」
にっこり笑顔で伝えると、運転手さんは余計な詮索はせずに仕事人の顔になった。
「かしこまりました」
走りだす。立ちつくすルイを見た。どんどん遠のいていく。
まあいいや。明日会えるし。
あ、もしかしてカードが気になる? もちろん、お父さんのカードじゃないよ。これはねー。これから会いに行く人が渡してくれたんだよね。
普段は絶対に使わない。会いに行く時だけ使う。大人の男の心をくすぐる手段はまだまだ模索中。きっと会ったら「もっと使っていいんだよ」って言われる。でもたぶん、使えば使うほど……求められる。買ったもので着飾り、望むままに成長していく様を求めて――……まずは心を。やがては身体さえも奪いにくる。見え透いているから、くすぐるくらいにしか使わない。
恋する気持ちは下心。そういうやりとりさえ、大人同士だと力関係が露骨すぎてもう無理になっちゃったおじさまの名刺も、やまほど持っている。
えっちはしない。そもそも、手も繋がないし、キスだってしない。ただ一緒にご飯を食べて、悩みを聞いて、素直に話すだけ。そんなことさえ難しくなってしまった大人とふたりきりの時間を過ごす。
札束を出されたら縁を切る。押し倒されたら縁を切る。触れられたら。女を求められたら――そこでもう終わり。二度と会わないし連絡もしない。それがルール。
わかっていて、それを求めているはずなのに――……欲は消せず、顔を出す。
飲み物に酒を混ぜた人がいた。倒れそうになってふらふらの私に注射をしようとした人さえいたし、薬を飲ませようとする人もいた。
いきなりキスをしようとしてきた人もいたっけな。そういうことは一切しない代わりに探偵をつけて尾行させようとしてきた人もいたなあ。
極道とだって会ったことあるし、なんならソープ嬢の仕事現場に連れて行かれて目の当たりにしたこともある。人生勉強だとかいって、私をびびらせようとしたから……妙に人なつこい鷲頭組の構成員とかいう知りあいさんの力を借りて、倍返しにしてやったけど。
修羅場を乗りこえてきた。まだまだ余裕でびびるくらいの経験値でしかないのが、我ながら悲しいところ。先生相手に打つ手なしになるんだから、私はまだまだ笑っちゃうくらい弱い。
縁を繋いだ社会的に立場のある人ほど、カードのようにいろんな力をくれるけれど。
錯覚したくない。私自身の力を。じゃないと絶対に痛い目を見る。そんなのもう、わかりきっている。
だって、いやっていうほど、私のなにかを犯そうとする人たちに出会ってきた。
御せると思ったら、上に乗りたくなるのが人の業であり、弱さなんだろうね。そんな現実の一面に何度だってぶちあたって、私は私の人生を歪まされそうになってきた。
先生だけじゃない。だからこそ、私の中に眠る反発心から生まれた悪意は日に日に成長していく。それは時に爆発しそうなくらい巨大になって、力を振りかざしたがる。
春灯ちゃんとは真逆――……私の頭に宿った何かを灼いた冬音さんに近しい、何かを殺したがる強すぎる衝動。
相手と同じ。私も人だ。
理解しているよ。その醜さや汚れはむしろ……自然の一部だって。
窓の外を見つめていたら、視線を感じた。フロントミラー越しに私を見ている目。露骨じゃない。ただ見つめられたから笑顔を見せた。
「お嬢さん、可愛いね。タレントさんか何かかい?」
学生さんからお嬢さんに変わっている。そのあたりに男を感じるけど、これくらいは可愛いもんだ。
「よくいわれるんです。でも、どーですかねー」
笑って愛想を振りまく。求められるならした方がマシ。求められなきゃしない方がいい時もあるけど、でもした方が乗りこえられる時もある。
これくらいはただのサービス。
結局そうした方が世の中うまくまわるっていう諦めと慣れもあるし、それ以上に――……。
「士道誠心っていやあ、あちこちに売り出し中だってもっぱらの噂だよ」
「え。どんな噂です? 聞きたいな! あなたのお話……教えてくれますか?」
「そ、そうだね。これは前に乗せたお客さんの話なんだけどさ――……」
上機嫌になって語り出すおじさん運転手の話を聞きながら思う。
ほらね? 得をする。
まあ、おじさんだって誇張したり作ったりする部分もあるだろうけど、そのへんは注意しながら相づちを打てばいいだけの話。私みたいなのが嫌いな人を相手にするなら、それはそれで戦いようがあるけど、おじさんは興味を持ってくれるタイプみたいだから、わかりやすい。
それにしてもさ。
こんな技を増やせば増やすほど、人の下心に寄り添えば寄り添うほどに思うのだ。
恋ってどんなものなのかなあ。それって、そんなにいいもの?
楽しめるものなら、相手と自分を幸せにできる可能性があるのなら、それだけでいい。
でも、気になる――……私が落ちる恋って、どんなもの?
春灯ちゃんが金色を掴み取ったように……私も掴み取れるのだろうか。真中さんが見せてくれた太陽みたいな、あたたかい何かを。
それとも、悪魔には無理かな?
特別体育館で自分の中にあった殺意に触れた。あの衝動をおさえてくれた太陽を掴める自信もなければ、道筋も見えない。
だからこそ士道誠心に行く。こんな私を優しく照らしてくれた春灯ちゃんのそばにいったら、何かを変える道が他の学校に行くよりもっとずっと見えやすいかもしれないから。
それは恋なのかな。それとも、愛なのかな。
わかんないや。中学生だから……子供だから、だめなのかな? それとも――……春灯ちゃんみたいに好きな人ができたら、変わるのかな。
もしかしたら、それはもう……理性じゃ出せない答えなのかもしれない。
話を聞きながら、そっと人差し指で唇に触れる。
いつか、好きな人とキスをしてみたいと思った。
つづく!




