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その刀を下ろして、帯刀男子さま!  作者: 月見七春
第三十八章 三月の太陽

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第四百五十三話

 



 生きていると、世界のどうしようもない現実を突きつけられることがある。

 スーツを着て出ていった元女子アナの可愛らしい顔を思い描きながら微笑む。


「急いでいるからって、パンツ忘れてくか?」


 黒の無地。飾り気なんて一切なし。未来に期待。もしかして下着に変化があったなら、大人の彼女が自分を本気で意識してくれている証なるのかも? なんてな。ないか。いや、可能性は消えていないんじゃないか。


「まあいいや」


 いちおう連絡だけ入れておこう。忘れ物はないか、と。

 ベランダに出る。彼女の姿はもうない。二月であろうとその寒さに上半身だけ裸を晒す。

 痛くはない。きびしくもない。このくらいは――……楽勝。

 むしろデートに連れ回して、夜の時間をふたりきりで過ごした時に見せた彼女の無垢な部分に参る。

 可愛くて仕方ないし、そそっかしいところが愛らしくてたまらない。

 そんな彼女が、ねえ――……。


「頭領、彼女についた邪の討伐、完了しました」


 ベランドの下から声が聞こえてきた。

 見おろす。仕事で一緒に活動することが増えた青澄春灯とさして年の頃は変わらない少女がいた。


「お疲れちゃん。時雨、下がっていいよ」


 笑ってジーンズのポケットからタバコを取りだしたところで、階下から迷惑そうな声があがる。


「頭領……ベランダ喫煙、禁止ですよ」

「……へーへー」


 生きにくい世の中になったもんだと呟く。

 東京は変化のただ中。テレビもなんでもかんでもそうだ。変わらないものなんてない。

 隔離世の事情も、侍たちも――……。

 思いに耽っていたら、階下の少女が猿のようにあがってきた。都内、マンション。いちおうは高層階なんだが、お構いなしに。


「頭領」

「なに」


 面倒そうだなあ、と十代の少女の厳しい顔つきを見て思う。


「忍びは……このままでいいのでしょうか」


 当たりだ。


「不満かな?」

「隔離世は広まりつつあり、侍も刀鍛冶も時代の中でめきめきと存在を主張しています。なら、我ら忍びだって!」

「だめだめ。仕えるべき主君をとうに失い――……それでも抗って、内調にいったりいろいろだけどさ。俺たちの御珠は存在さえなかったことにされて久しいんだ。表舞台に出るなって話さ」

「でも! 伊賀ハチロウタさま! 我らは――……」


 思いあまって詰め寄ろうとする少女の唇に人差し指を当てて笑う。


「その名で呼んじゃだめだよ。とうに捨てて久しい……いまの俺は売れない芸人の橋本さん」


 赤面して俯く少女の頭を撫でた。幼い頃から面倒を見てきた子飼いの下忍。ほかにも仲間がいるのだが――……表舞台に出ることはない。

 我ら忍び、影からこの国を守るものなり……なんて気取るつもりもないのだが。なにせ、そんな時代じゃないのだ。とうの昔から。あるいは……文明開化の頃から? 大戦の後からか。どうでもいいな。正直ね。

 そう思っていたら、身体をすり寄せて甘えてきた。


「――……でも、侍ばかり、ずるいです」


 胸だけじゃなく下肢にも遠慮なく触れて甘えてくるから、おでこにチョップを入れた。


「あうっ」

「よしなさい。子供が大人に使う術じゃないよ、それ。誰が教えたの」

「おもに独学ですかね」

「いつ使うつもりなの。きみ、都内の女子高生でしょ」

「んー。脳みそ下半身野郎ですかね。お小遣い稼ぎになるんで」

「よしなさい」

「だって頭領、お小遣いちょっとしかくれないんだもん。若さはお金になるので、いまのうちに稼ぎながらパトロンを探したいんです」

「ただれてんなあ」

「だから、ねえ? 頭領、我ら忍びも……いいでしょ?」

「だめだってば」


 俺以外の野郎なら効果覿面だろうけどね。

 時雨と呼んだ少女を見つめた。ワイシャツと下着だけ。二月にもかかわらず、艶やかな格好で、しかもノーブラ。まあ生まれてからずっと下の世話まで見てきたから、立つものなんてないんだが。贔屓目を抜いても愛らしく育ったなあ、とは思う。

 同じように色につながる御霊を宿していると聞く青澄春灯と比べると、時雨にはいろいろと足りない物があるとは思うが。やれやれ。歳は取りたくないもんだ。


「部屋に戻って、学校に行ってきなさい。それが学生の仕事。本分でしょ? ほら、いったいった」

「けち! 侍連中みたいに芸能界にいって有名になってちやほやされながらお金がっぽがっぽ稼いで使いまくって爛れた生活してたまにスキャンダルを起こしたいだけなのに!」


 どんな願望だ。


「世の中そんなに甘くないってば」

「まあ頭領が売れない芸人に甘んじている時点でお察しか」

「こら」


 もう一度チョップの構えをすると、彼女は笑ってベランダの縁に飛び乗った。


「まあ、私はいいですけどね……日高は暴れたがっていますよ。いいんですか? 放っといて」

「時雨……パンツ見えてるよ」

「見せているんです。ああでもいらないか。しっぽりした後ですもんね? 女子高生のパンツくらいじゃ効き目ないか。それとも……脱いだら中身に興味をもってくださいます?」

「安売りはよしなさい。その気にさせるやり方としちゃあ、下策だぞ?」

「はあい。ねえねえ頭領、今度の恋は本気? それとも浮気?」

「子供が生意気いうな。俺はいつだって本気だよ」


 笑い声をあげて曲芸師のように飛び降りて階下に戻る時雨にため息を吐いた。

 彼女が言っていた名前に思いを馳せて、すぐに連絡する。

 果たしてすぐに通話はつながった。


「あーもしもし。時雨から聞いたぞ。お前いまなにやってんの」

『知らねえっす。入学前の士道誠心で悪さなんてしようなんて考えてないっす』


 しているんだな。いままさに。


「ほんとさあ。なにやってんの?」

『さあ? 存在ごと死にたがってるばかな頭領にはわからないんじゃないっすか? つうか、なんで俺のこと知ってるんすか?』


 ああもう。年下めんどい。


「時雨が言っていたんだ」

『あのびっちめ』

「言葉遣い! とにかく、あほなことするなよ? お前は刀を抜いてないんだし。ただの中学三年生なんだからな? 忘れるなよ? 忍びの掟、その一!」

『忍びのことは言わない。わかってるから、ほっとけ! 頭領のあほ! えろおやじ! 俺だって元女子アナとよろしくしたい! うおおおおお――……』


 電話が切れた。めまいがしてきたな。

 まあ……忍びの素性明かすべからず。その誓いを破るほど、無責任でもないだろう。

 部屋に戻ったらスマホが鳴った。すぐに出ると、


『あ、あの……あの! ぱ、ぱ、ぱ……』


 鹿取ちゃんの消え入りそうな声に笑って答える。


「いまどこ? 持っていこうか? それともコンビニで買っていく?」

『――……りょ、りょうほう』


 泣きそうな声をだすから励まして、居場所を聞いて着替える。

 その前に――……胸に手を当てて引き抜いた。

 小太刀、二刀。銘はない。強いて言えば御霊はある。しかし侍たちのように表に出しはしない。

 とうに忍びは歴史の役目を終えて久しい。諜報活動は専門の機関があって、隔離世においては――……大戦を終えて、この手を汚し、同胞は壊滅的な打撃を被った。

 もういいだろうと決断した祖父から頭領を次いで、もう何年になるか。

 どうでもいい。隔離世の平和は侍が守ってくれるというのだ。なら、任せておけばいいんだ。

 それよりも連絡してきた鹿取ちゃんに思いを馳せる。

 そそっかしくて残念で、そこも含めて愛らしい女性のもとへと急ごう。

 ところで――……コンビニで女性用の下着を買うくらいの知恵はあるが、いったいどんなものを選ぶべきなのか。

 まだまだ経験が足りないな。


 ◆


 まさかパンツを履き忘れるなんて。ブラはしたのに。

 紙袋に包んで渡してくれた彼にはお礼の言葉しか出せなかった。

 気遣い屋だと噂の橋本さん。けれどその本名なんだか芸名なんだかよくわからない呼び方以外知らないと気づいたのは、彼にどんなお詫びをするべきか局に到着して考えたときだった。

 だめだ。思考が散漫。経験して世界が変わったという話を聞いたことはあるけど、たしかに変わった。そして気づかされる。どれほど自分が視野狭窄に陥っていたのか。

 まあいい。よくはないけど、考えるべきは次の企画だ。椅子について急いでまとめる。移動中に浮かんできたアイディアは、単純だからこそ明快でまとめるのはとても楽だった。

 なるはやで急いで作って、必死に何度も確認した。方向性に間違いはないと実証するために調べられるかぎりのデータを揃えた。見やすいようにまとめた頃には夜になっていた。

 見せた瞬間、上司の顔が変わった。


「――……へえ。ふうん」


 ぱらぱらと一応体裁上は、厳しくチェックしてくれる。

 だが感触は一瞬でわかった。


「悪くないね。昨日と今日でえらい違いじゃないか。何かいいことでもあったの? 昨日と服が一緒だけど」

「それ、セクハラです」

「心配してるんだ」

「だとしても、言い方」

「そういうところは変わってないな……まあいい。でもほんと、何があった? 変なことに巻き込まれていない?」


 真剣に尋ねてくるから、やっとの思いで頭を振った。


「……ちがいます」

「男か」

「そ、そういう短絡的発想、きらいです! ――……まあ、そのとおりなんですけど」

「あはは。そっかそっか。いや、ごめんね。けど恋愛で変わるなんてのに、性別は関係ないからさ」

「……まだどうなるかわからないし、相談なんてしませんから」

「できる奴にしてくれればいいし、いい仕事してくれれば文句はないよ……これ、準備しておいて」

「わかりました」


 初めての好感触だ。っていうか、ここまで反応がいいなんて、自分以外の人たちを見てもめったにないことだった。

 いけるかも。まあ、懸念事項はあるけれど。

 椅子に戻ってパソコンに映る顔を見た。マウスを操作して動画を再生する。


『愛してるから、いちゃいちゃしたいし。あんまりいちゃいちゃできてないと、そりゃあ……ちょっと気持ちが暴走して、たまにはジャケットとかお布団に包まれて幸せに浸りたくなるんです』


 青澄春灯。

 彼女にとって、自分の印象は決してよくないだろう。

 自分で作った企画書を見た。


『士道誠心の卒業式を軸にした、青澄春灯のリアルを追いかけるドキュメンタリーコーナー』


 制作会社でこういったディレクター業に転向してやっていけるほど世の中甘くないのは身に染みた。男社会で強さで立ち向かおうとしても限界があるというのも、いやっていうほど体感した。

 それでも、ここからやってみよう。再スタートは……彼女を知ることから。ずっと遠ざけてばかにして見下して、でもどこかで憧れを捨てきれなかった世界の最先端で駆け抜けている少女を知ることから、始めてみよう。

 彼女が受け入れてくれないのなら、そのときはどうしようか――……。


「謝って通るんならいくらでも謝るし、それでいいかな」


 ため息交じりに口にしたひとりごとに気づいて笑った。

 仕事絡みで自然に笑ってしまったのは、これが初めてのことだった――……。


 ◆


 学校に呼ばれたんだ。立沢理華さま、刀の確認に一度お越し下さいって。

 いまってさー。卒業式シーズンじゃん? めっっっっちゃ! 忙しいんじゃないかなーって思ったんだけどね。だいじょうぶだっていうから来てみた。

 っていうかさ。遠いよ。遠い。中央本線に乗って、ひたすら西に向かうの。

 電車は嫌いなんだよねー。撮り鉄って言われちゃうくらい電車を愛する人がいるのもわかる。けど問いたい。満員電車の乗り心地、愛していますか? って。

 知識がある人は言ってきそう。昔の満員電車はもっとやばかったーとか。世界の満員電車はどうだーとか。

 そんなこと言ってるんじゃないの。日本の、ぎゅうぎゅう詰めになる電車の、気にしたら気になるばかりでストレスが増えるばかりの乗り心地を愛せるのかと問いたいの。

 うわ、いまの私めっちゃうざい。

 でもねー。隣に座っている何日徹夜したんだかわからないおじさんから香る匂いとか、目の前にずらっと並んだ人たちのせいで席を離れられそうにない現状とか。

 わりと死にそう。

 人に消臭剤を吹き付けていい権利が行使されたら、いったいどれほどの人が酷い目にあうのだろう。そんなことしちゃだめなのはわかっているので、思いを馳せる。

 大人になったら徹夜するくらい働かなきゃいけない瞬間がくるのかなあ。そんなにいやならやめちゃえば? という意見が「仕事つらい、やめたい」という声に対してあがるくらい、みんな悩んでいる問題なのかも。

 やば。中三にして私は世の中の闇を見た!

 そんなことないかな。ない? どうでもいっか。

 隣を見たら、うつらうつらと船を漕いでいたおじさんの唇が紫になってきたから、さすがに放っておけなくなった。


「あのー。だいじょうぶですか?」

「――……仕様どおりです。再現するまで根性みせてください……しよう、どおり」


 これはやばいね。


「おじさん。ちょっと横になったら? すみません、ちょっと立ちます。場所あけてもらえます?」


 立っている人たちにお詫びして立ち上がり、おじさんを横に寝かせた。その頃にはおじさんが白目を剥いて泡を吹き始めたから、みんなして騒然となる。

 電車がちょうど止まった。

 外にだした方がいいんじゃないか、とか。いろんな声があがったんだ。そんなときだったの。


「ったく、頭領にあれこれ言われたあとでこれとか、ついてねーなあ! あーもう、見てらんないっす! ほら、ちょっといいっすか?」


 やんちゃそうな男の子がでてきて、おじさんをひょいっと担いだ。

 私くらいちっちゃいのに、中肉中背のおじさんを軽々と。すごい。


「いったんおりまーす。道あけてくださーい」


 でていく背中を素直に見送って、閉まる扉の向こうに思いを馳せた。

 後は任せた!

 ……え? ついていかないのかって?

 やだなあ! 私、そこまで良い子じゃないもんね! ほら、私って悪魔だし!

 よしよし。匂いの元は去った。椅子に腰掛けて膝上のカバンからスマホを出そうとして――……ない。

 あれ!? カバンがない! なんで!?

 あわてる私に目の前に立っていたお姉さんが「もしかして、カバン探してる?」って聞いてきた。素直に頷いたら、お姉さんは気の毒そうな顔をして言ったのだ。


「さっきの、体調を悪くした人があなたに縋り付いたときに、握っていたよ」


 そんなばかな。


 ◆


 仕方なく次の駅で降りて戻ったよね。

 そしたら救急車のサイレンが聞こえていた。あわてて駆け下りて、駅員さんに事情を話してサイレンの聞こえる方へ。すると、


「だから、付き添ってください! 一刻を争う状況なんです!」

「やだよ! おれ、別にそこまでする義理ねーし! あんたらが運んでいけばいーだろ!」


 おじさんを背負った男の子が救急隊員と揉めてた。

 それだけで済まなかった。男の子が私を指差して「あーっ!」と大声をだした。みんなして思わず私に注目する。

 すかさず男の子は救急隊員から離れて私に駆け寄り、肩をぽんと叩いてきた。


「じゃ、あとはよろしく」

「は、はあ!?」

「さっき俺らを放っていっただろ」


 う。


「あんたのカバンなら、おっさんが持ってるから」

「くっ……」

「あばよー」


 笑って立ち去る背中を睨みつけたけど、仕方ない。カバンには変えられないし……さすがにここまできて見捨てることはできない。


「あの。付き添いがいるなら私が」

「なんでもいい。急ぎたいんで、乗ってください」


 救急隊員に言われて、とほほと思いながら救急車に乗った。

 おじさんの顔はもはや土気色になっていた。

 うわごとのように仕様がどうとかバグがどうとか呟いている。IT絡みかゲーム会社のプログラマーとか? どちらにせよ、ここまで追いつめられるんなら辞めた方がいいか、それかそんな風になっちゃう業務体系を見直した方がいいんじゃね? って思うなあ。まあきっと、一社員にどうにかなる問題じゃないんだろうけどさ。

 サイレンを聞きながら病院へ。栄養失調と極度の衰弱で倒れちゃったみたい。おじさんからカバンをなんとか奪い取って、だからってすぐに帰るのもなんだか癪だった。

 ひとまず士道誠心に事情を話して遅れるって伝えて、病室に戻る。

 点滴を受けて寝ているおじさんは起きる気配がない。いびきがすごいし、それよりもっと目のクマがやばい。

 おじさんのカバンを調べてみた。けど中にないから、


「ちょっと失礼しますよー」


 一声かけておじさんのポケットを探ると――……あった、あった。スマホが。

 一世代前のスマホ。これなら指の認証で――……よし。ロック解除。


「どれどれ?」


 メールを確認する。未読のエロサイトのスパムまみれ。これじゃないな。

 会議用アプリを開くと――……ヒット。


「うわあ」


 仕様変更、罵詈雑言の嵐。こういう露出されちゃ困るツールで、大人が敬語を使って非難しあっているログを見るのは、なかなか社会勉強になりますなあ。

 しみじみしていたら、悪魔と画面に表示された。通話だ。迷わず取る。


『もしもし!? 朝尾くん!? こまるんだよ! どこに逃げたの! はやく会社に戻って!』


 いきなりの怒声。心配とか気遣いとか皆無。余裕がない職場に優しさなんてないんだろうなあ。

 うんうん。哲学てつがく。


「もしもし。こちらは緒方弁護士事務所の者です。いずれお電話をさしあげようかと思っていたのですが、そちらからお電話をいただけて助かりました。お名前を確認いたしますが、朝尾の上司の――……」

『な、弁護士!? え、あ』

「すみません、お名前を?」

『え、と、あ、の……レッドフィールドの嬬恋ですが』

「嬬恋さまですね? 実は本日、朝尾さまが救急車に運ばれて、現在治療を受けております。過労によるものだと診断書を書いていただきます」

『は、え!?』


 てんぱる相手を前に、悪魔の尻尾を出してゆらゆらと揺らしながら笑う。


「御社の業務形態には著しい問題があり、朝尾さまは心身ともに多大な苦痛を被りました。つきましてはその賠償について、後日あらためてご連絡させていただきます。それでは」


 ぷち、と切ってやった。

 もちろん、ぜーーーーーんぶ、うそ!

 うそだけど……関わるなら、どこまでやらなきゃ気が済まない。

 尻尾を好き放題うごかしながら笑っていた時だった。


「――……設計書どおりです! ……あ、あれ!?」


 おじさんが起きた。瞬時に尻尾を消す。うちで練習したからもう慣れたもの。


「おはよ、おじさん」

「――……え、あれ? おれ、デリヘルでも頼んだっけ? いや、それにしちゃ若すぎるし、可愛すぎる! 待って、もうここ三年くらい立たないんだ、こんな可愛い子を相手に立たないなんて! ……もしかして、俺、死んだ?」


 そうとう疲れてるね、こりゃ。


「おじさん。死んでないし、私は女子中学生。通報されたくなかったら、深呼吸しよっか」

「えっ!」


 あれま、固まっちゃった。

 しょうがないのでさっきの電話の件も含めて、病院に来た経緯について話す。

 するとね? おじさんの顔が真っ赤になったり真っ青になったりして、もー大変。

 いやあ、楽しい楽しい! やっぱり立ち去ったのは失敗だったな。


「見ず知らずの女子中学生が付き添ってあげたんだよ? 事情、聞かせてくれるよね?」

「き、き、きみは! 会社の上司になんてことを! 俺、この仕事がぽしゃったら首をくくるしかないんだぞ!」


 首根っこを掴まれて容赦なく前後に揺さぶられる。構わないけど。


「やだなーおじさん。その仕事から逃げて倒れたんでしょ? やめた方がいいよ。じゃないと大声だしちゃうぞ?」

「くっ! ……く……くそ」


 私の胸に頭をしれっと当てて、でもガチ泣きし始めたからため息を吐く。


「修羅場から逃げ出した時点で、おじさんの心と身体が同じ答えをだしてるよ。泣いているのはさ。楽になったってほっとしてるからでしょ?」

「おれは! おれのなにがわかるっていうんだ!」


 怒った声をだしているのにさ。


「だって顔、笑ってるもん」

「――……え」

「いいからさ。まーおちちは貸せないけど。話くらいは聞くから、ちょっと落ちついて深呼吸しようよ」


 鼻を盛大にぐすぐす鳴らして、ぼろぼろと球のような涙を浮かべておじさんが言った。


「……抱きついて泣いてもいい? それくらいのムードじゃない?」

「だめ。それは別料金かなー」

「……いくら?」

「とりあえずこの場で十万だす覚悟があるなら、まあ抱きついて泣くくらいはいいよ」

「……残業代、でなくてさ」


 哀愁漂うおじさんの隣に腰掛けて、背中をぽんぽんと叩いた。


「まあ、つらいことあるよね。あ、だめだよ? そんな顔しても。背中ぽんぽんで我慢して。家に帰ってデリヘル呼んでよ」

「……せちがらいなあ」


 めそめそするおじさんに笑って言ったよね。


「まあでもさ。可愛い女子中学生が寄り添って話を聞くんだから、それで満足してよ」

「……天使だと思ったら、悪魔に見えてきた」


 その返しにいたく満足したから、感極まったおじさんに十秒くらいは肩を貸してあげたよ?

 これでもサービスしてる方なんだから。ほんとにね!


 ◆


 何か面白い展開が起きているかと思いきや、まあよくある話だったかな。

 おじさんは要するに孫請け会社の下っ端プログラマーで、上流過程に立ち向かう上の会社の人たちがイエスマン。いくらでも設計をお客さまの後だし要請に応じて変えちゃう。割りを食うのが、下流で働く人たち。上流と下流なんて表現をしても、両者がいないと仕事は成立しない。

 しかし元請けになる会社だとプログラマーは新人の仕事という風潮があって、孫請けなんて立場だと弱い時がある。いなきゃ困るから頼んでいるはずなのに――……。


「それをわかってないんだ……誰も」

「んー」


 どうなんだろうなあ、それは、と思いつつ。追いつめられて逃げて倒れちゃったおじさん相手に言うことでもない。それくらいは弁えてるよ。一応ね!


「ひっどいサイクルの中にいたみたいだね」

「……彼女つくる暇もなくて、中学生相手にガチで泣くとか。俺ってロリコンなのかなあ」

「たんに甘えられる異性ってだけでしょ。そんなことよりもさあ」


 カバンの中から分厚いファイルを取りだした。


「おじさんさ、まだ働きたい?」

「……今の会社はもう無理かなあ。でも、プログラマーではいたい」

「なら……んーっとねえ」


 ぱらぱらぱらとめくって――……あったあった。


「弁護士と、あとはちっちゃい会社でよければ紹介したげるよ。どうする?」


 名刺を二枚ぴっと取った。

 それを見せる。取ろうとしたから引いた。


「だめだめ。原本はあげないよ。スマホあるでしょ、登録して」

「た、たすかるけど――……きみ、なにもの? なんでそんなもの持ってるの? ねつ造?」

「気になるなら、まず調べてみたら?」

「そ、そうだね」


 スマホを操作してすぐに答えは出たようだ。


「ど、どっちもホームページがある……」

「それだけで信用するのはどうかと思うけどね。連絡してみたら? 立沢理華の紹介って言えば、話くらいは聞いてくれる。会社の内定までは約束できないけど、弁護士さんならお金さえあればガチでなんとかしてくれるよ」


 あわてて登録作業をしてから、おじさんが呟いた。


「きみ、なにもの?」

「ただの顔が広くてとびきり可愛いってよく言われる女子中学生」

「……自称してもいいくらい、可愛いと思うけどなあ」


 首を捻るおじさん、まだ頭がやられているみたい。

 そこじゃないよ?


「なんでそんな女子中学生が顔広いのってとこでしょ」

「そ、そうだった。なんで?」

「まー、こういう目によくあうからね。会う人、会う人、みんな連絡先くれるの。で、たまに連絡して遊んだりしてたら、困ったことがあったら教えてって言ってくれるからさ。助けてもらうんだよね」


 にっこり笑って名刺をファイルに戻してカバンに入れた。

 背負って立ち上がろうとしたら、コートをくいって引っぱられた。


「お、おれも……その、退職間近の三十路でよければ、連絡先あげてもいい?」


 まあ、人脈が増える流れって、要するにこういうことだ。

 尻尾を出したい気持ちをぐっと堪えて微笑む。


「私から連絡するとは限らないけど。それに、えっちなことはしないし、女を求められたら切るけど。それでもいーい?」


 予防線。恋愛するために繋ぐつもりはない。

 もっとシンプルな繋がりだけで、今は十分。

 可能性は見せない。ぶった切る。相手にその気がなくても、断言しておく。

 そういうことをしたら――……。


「た、たのむ……まず、きみとつながっておきたい」


 ほらね? かすかに欲望が刺激される。

 繋がりを作っておきたい。それにもしかしたら、自分なら、あるいは好き同士になれたら? だって、初対面なのにここまでしてくれたんだし――……。

 そんな甘えが私の力に変わる。いやあ、我ながら黒いですなあ!

 まあね。私の力なんて言っても、そんなのはまやかしでしかないことなんて百も承知。だからこそたまに予定があえばみんなで会って遊ぶし、相手の得になるように動くわけ。

 このおじさんが顧客になってくれたら弁護士さんは実績がまたひとつ増えるし仕事ができるしお金が入る。おじさんの腕がよければ、会社に通れば――……その縁がまた、何かの運命を動かす。

 そうして私とつながる誰かが幸せを生み出していく。

 広まれば広まるだけ、可能性が成長する。それってさ。純粋にわくわくするんだよね。

 それが楽しいだけ。


「ところでさあ……おじさん、私の胸みすぎじゃね? また私に抱きついて泣きたいの? 意外と甘えん坊なんだね」

「そ、そんなことは」


 動揺しながらてんぱっちゃって、そういうところは可愛いけど。

 別に年齢とか体格で差別するつもりもないからね。

 素敵だと思ったら、案外あっさり落ちるかも? まあ、ないかな。まだね。

 連絡先を交換して、ばいばいって言って立ち去った。

 扉を閉めて、病院の外に出て呟く。


「残念。恋愛に興味はないんだなあ」


 思いを馳せる。

 春灯ちゃんは恋愛の真っ最中。不安になったりさみしくなったりしているみたい。

 でも、その思いが歌になったりニュースになって、私たちを楽しませてくれるんだ。

 羨ましいなって思う。恋愛ってたのしいのかな? たのしいなら、体験してみたい。

 またねって言いたくなるような出会いはくるのかな?

 今のところ、私の心の中はひとりでいっぱい。

 青空の下を駆け出して笑う。

 春灯ちゃんに会えるかな? 会えたらいいな! 今日の楽しみはむしろそこに尽きるんだ!




 つづく!

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