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その刀を下ろして、帯刀男子さま!  作者: 月見七春
第三十八章 三月の太陽

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第四百五十二話

 



 正座とかいわれたらどうしようって思ったけど、ソファに腰掛けたカナタは尻尾の手入れをするって言い出すの。

 と、とりあえずお説教タイムじゃないみたいだ。

 コートを脱いで暖房の効いた部屋で、ジャケットも脱いでカナタの隣に恐る恐る腰掛けて尻尾を向けた。


「だめだ。寝そべって」

「……たたかない?」

「お前に暴力を振るう奴があるか。いいから、ほら」


 櫛を手に膝上を叩くカナタに大人しく従うの。

 櫛が入る。


「くふう」


 極上の櫛テク、健在! っていうか発揮してくれると思ってなかった。乱暴にがりがりされても文句は言えない状況だと思ったから。

 でもカナタは丁寧に繊細な手つきで私の九尾を櫛で整えてくれるの。

 なんでだろう。わからない。ただ、話があるって言ったカナタは切り出してこない。

 そわそわする私の心のままに尻尾が揺れる。ついにカナタは観念してため息を吐いた。


「……ハスハスしたな?」


 カナタの口からハスハスっていう単語がでる日が来るなんて!

 なんかほんと、すみません!


「し、しました」

「……今日は大変だったな。それに放っておいてすまなかった」

「お、お叱りは?」

「……まあ怒ってないといえば嘘になるけどな。テレビの仕事もするっていうことは、こういうことなんだろう」


 ど、どうしたんだろう。カナタがいつになくいい人すぎるんだけど。


「まあでも、天使や母さんたちからからかわれたのはしんどかった」

「うっ」

「別にやましいことはないんだが……ひとつを除いては」

「……やましいことって?」

「春灯と過ごす日常だよ。朝晩のキスとか、そういうこと」

「――……ん」


 テレビで言われたくなかったって怒られちゃうかと思ったのに。カナタは現実を受け入れてどうしようか考えてくれているんだ。

 ――……私、愛されすぎなのでは。そう思ったばかりだったから。


「だからな。春灯が俺のジャケットをハスハスするほど寂しがっていると気づけなかったことを反省している。あまあまが足りていなかった」

「――……っ」


 尻尾がぶわっと膨らんだ。

 あ、あれあれ? まさかのあまあまタイムへの導入!?

 尻尾の櫛入れテンションは増すばかり。もしやまさかのまさか、今日は御褒美タイムに突入なのでは!?


「じゃ、じゃあ。も、もしかして……今夜は?」

「だめだ」

「えーっ! 期待させておいて裏切るなんてひどすぎるよ!」

「そんなに露骨にがっかりするほど足りていなかったとなれば、さらに反省するけどな。お前のマネージャーさんから連絡を受けたんだ。学生寮では控えて、と」

「あ――……そ、それって」

「覗き見防止だな。昨日と違って、ちゃんとカーテンも敷いているけど、だからって安全なわけじゃないし」

「……ユニットバスは?」

「いま思えば通風口を通じて声がダダ漏れなんだよな」

「うそやん!」


 思わず悲鳴をあげてしまった。


「寮に帰った時にちょうど隣室の仲間と会ったから、それとなく尋ねたら……ダダ漏れだったそうだ」

「トモに聞かれてたとか死ぬしかない!」

「落ち着け」

「落ち着けるわけないよ!?」

「仲間だって、誰だって、率先して聞きたいもんじゃないぞ? だから配慮して離れてくれていたし、俺が仲間でもそうする」


 だ、だだだだ、だからってこんな! なにげなく話していたのに! まさかそんな、そこまで筒抜けだったなんて!


「隔離世に行って、というのも手だけど」

「この恥ずかしさのダメージが深すぎる……それに隔離世は刀鍛冶の人に気づかれてしまう可能性があるのでは」

「まあな。じゃあ、やめるか?」

「それとこれとは話が別です」

「……お前もなかなか根性が据わっているよな」


 呆れたように笑いながら、カナタが感覚の繊細な尻尾の付け根を丁寧に撫でる。

 それをされると、たまらない気持ちになっちゃうの。


「くふう。くふう」

「じゃあ……たまにはおとなしく、早めに寝て――……普通に、ベッドで」

「話はもういいの? ……くふう」


 心地よすぎてだらける私にカナタが微笑んだ。


「映画のプロモーションでテレビに出る。マネージャーと話して、そこで公表する方向性で段取りを組んでいる。春灯のマネージャーの高城さんとも協議して、カップルでの出演も視野に入れている」

「――……えっと?」

「俺も春灯の話をしていいかな?」

「――……え、え、まって。くふう! やだ、まって! ちゃんと考えて――……くふう! あっ、あっ」


 櫛が。櫛が!


「いいよな?」

「まってまって、尻尾の付け根ばっかりずる――……くふう! やっぱりぜったい怒ってる――……くふう!」

「いやいや。俺はお前に喜んでもらうために必死なだけだ。ほら、どうなんだ?」

「遠吠えしたくなっちゃうううう!」


 程なく、カナタのテクに屈した私はいいと言わざるを得なかったよ……。

 カナタにすっかりリードされてベッドでくたった私にタマちゃんが呟いたよね。


『久々に、ばか丸出しじゃな』


 申し開きようもございませぬ……!


 ◆


 お布団と毛布に包み込まれて、カナタとくっつく。

 腕をぎゅっと抱いて、寝ちゃったカナタの邪魔にならないようにスマホを出した。

 お助け部の卒業お祝い会はマドカたちと調整中。

 マドカから個別でやまほどメッセージがきていた。


『高城さんの案件おもたすぎる。見ても見ても参考VTRおわらない』


 特に目立つその悲鳴に苦笑い。けどどうしてかな。やりきれちゃう未来しか見えない。

 だってほら。マドカはへこたれずに挑んでいるんだもん。だから大丈夫だと思う。

 むしろ問題は、一年生グループメッセージ――……。


『卒業式の準備おわんねー』

『こっちもやばい。ピンチ』

『ダンスの仕上がりはいいけどな? なんか問題あるか?』

『問題だらけだろ。プレゼントが用意しきれねーぞ。誰だ、個別に送りたいものがある奴は刀鍛冶に頼って作ろうぜなんて言いだしたヤツは』

『それねー。もらうものが少ない卒業生が出たら切ないから、なるべくがんばろうってことになったのって……いつだっけ』

『さあ。でも二年生に見劣りすんの悔しいからなー。しょうがないよな』


 悲喜こもごもが満ちている。

 士道誠心は気を抜いた時にびっくりするほどおっきなイベントが起きる。

 いつだって私たちは翻弄されてきた。特に主催にまわる二年生には振り回され続けてきた。こないだの特別授業はいい例だ。

 やり返したいっていうわけじゃないけど、いい加減、私たちだってちゃんとやれるってところを見せなきゃ悔しすぎる。それが私たちの意地にもなっていた。

 三年生に喜んでもらえないのは、何より悔しい。そのハードルくらいは乗りこえたいのです。

 ざっとログを読み込んでから、呟きアプリを見た。

 カナタへの、というより、私の彼氏への反響がちらほら。リプのペースは変わらず。としたら、これくらいは平常運転。それって安心していいのか悪いのか。

 内容もねー。


『ビッチ!』


 みたいな方向性のも多々あるし。それに対する揶揄とかも含まれて、まーたいへん。

 そういうの見ていると心が削られるので、そっと閉じてリストを眺める。

 ツバキちゃんは幸せ素敵って前向きな呟きを。リカちゃんは幸せそうに情報をまとめたりしてくれている。

 それを眺めて改めて考える。

 カナタが露出したらどうなるんだろう。さらに叩かれる? ネタが増えるんだから、そりゃあその可能性もあるよね。

 祝福してくれる人が増えれば、ふざけんなって言う人も増えるだろうなーって。

 スマホを置いてカナタの肩口に顔を埋めた。仕事で脱いだりする可能性もあるからっていうから、痕はつけられない。それは私も一緒。

 もう、私一人の身体じゃない。それを実感する。

 だとしても、プライベートを大事にしないと――……ハスハス事件のようなことが起きそうです。自分のケアは大事。それをカナタにばかり求めると、カナタにとっては負担なはずで。そういうの嫌がるタイプだったら、とっくの昔に破綻していた。

 だけどカナタはひたすら一途に強くなろうと挑み続けて、実際にお姉ちゃんの絆まで持ってきてくれた。

 許す力の強さをマドカを通じて体感することは多い。

 それをカナタは体現しつづけてくれる。まあでも……尻尾テクを駆使して私を籠絡してまで、テレビ出演をするオッケーを取ってきた時点で、なにを話すつもりなのか身構えちゃうけど。

 こういうとき、心を繋ぐ私たちの絆とあまあまの形は露骨すぎるのかも。

 だってわかっちゃうんだ、相手の考えていること。

 あまあまの最中に見えちゃったの。


『どうせ打ち明けるなら、いい形で』


 もっといろいろできるはず、というカナタの欲望をたしかに見たの。

 まあねえ。リカちゃんのまとめを見る限り、なかにはカナタって残念で配慮の足りない人かもって見方をしているファンがいるみたいだから。

 せめてそこに関してのイメージはあげたいのかも。カナタは格好つけたがりだしなあ。

 こういうなにげない瞬間は、わりと素だけどね。寝ているときの顔はゆるんでる。そういう瞬間さえ私は好きだけど、カナタは隙を見せたがらない。日常さえ意識高く過ごしていたら、肩がこって大変じゃないかなあ。

 それに――……。


「こっちは元気」


 敢えて何がとは言いませんけどね。いじってみたらカナタの顔がゆるむ。

 やりすぎたら考えることさえできなくなっちゃうから控えるけど。

 そっと上にのって、つながりを増す。

 目元をこすってカナタが起きた。


「――……どした」


 ゆるみすぎた声に笑ってささやく。


「んー。カナタって欲望をあんまり表に出さないけど。さっきつながった時に、もっとしたいけど寝なきゃーって思ってたみたいだから。私ががんばってみようかな、と」

「サービスしてくれるのか?」

「気楽にしてて?」

「――……ん」


 寝ぼけた顔に口づけて、甘さにひたる。

 腰を抱き締められて、深呼吸をした。

 カーテンが敷いてあって、窓の向こうは見えない。

 獣耳を澄ませても何かが聞こえたりはしない。

 ふたりきりの時間。手放したくはないなあって思う。


「カナタ……寮、でなきゃだめ、かも」

「……まあ、そう、だな」


 身体を起こそうとしたら、カナタに抱き締められた。腰と背中にまわった腕にぎゅっと包まれる。


「安全を考えたら、な」

「……ここも危ない?」

「怪しい霊子の流れは防いでる。ずっとな」

「……うそ」

「まあ、お前に興味がある男がいるっていうことだろう」


 カナタの熱を強く感じて目を細めた。


「カナタがいればいいかなあって思うのに」

「世界は俺たちふたりきりってわけじゃないからな。仕方ないさ――……目が冴えてきた。いいかな?」

「ん」


 カナタの声にうなずく。

 ふたりでたっぷりの時間を過ごしながら思いを馳せる。

 いつか私を苦しめたあの人のように、また誰かが狙うのだとしても……カナタや、高城さんたちのように、私を守ってくれる人がいる。

 心乱されて暴れたら、それこそ問題。

 こういうタイミングでの対処はわりと致命的になる。だからせめて、心穏やかに――……。


 ◆


 面倒なことになった――……帝都テレビで働く上司は、鹿取の企画書を眺めて唸った。

 青澄春灯を中心にした、士道誠心ら四校と侍たち人ならざる力を持った人々の特集番組。

 ここ最近、露出が増えている女子高生歌姫を中心に、特に士道誠心はブランド化しつつある。生徒をすべからくタレントとしてネット配信番組を中心に展開。地上波でも取り扱いが増えだしていた。業界最大手の事務所が本格的に攻勢をかけている。役者として売り出すために力のある原作と名だたるスタッフを集めたり、かなり手広い展開だ。

 いつまで続く流れかはわからないが、少なくとも――……追いつめる方向性でのアプローチはバッシングを呼び込むだけだ。帝都としても受け入れるわけにはいかない。

 なのに、こんな。


『一般人からみれば彼らの異常性は明らかであり、そう感じている視聴者にとって訴求力があるテーマを題材に、切り込む』


 なんて書かれても困る。

 資本に住良木が関わっていて、住良木は隔離世の技術を売り出している真っ最中だ。

 時流を見ても、会社としても、受けとるわけにはいかない。


「あのねえ、鹿取ちゃん。これは使えないよ」

「報道の自由は!?」

「――……あのねえ。きみもアマチュアじゃないんだからさ」


 ため息を吐いた。どんなアプローチなら、この暴走しがちな若い新人を導けるだろうか考える。


「いいかい? 時代には流れがある。たとえばよその、ジャーナリストが中心となってやってる番組の中の一コーナーとしてはありだけど、この企画はそもそも否定ありきだ。それじゃあ報道とはいえないんじゃないのかな」

「……島流しにされて、これじゃあ終われないんです」


 周囲にぶつかり、苛立ち、攻撃するばかりだった彼女が初めて弱音を吐いた。

 理解はする。華やかな道を捨てて、どんどんきびしく追い込んで、先輩のしごきに必死についてきた。彼女を認める風向きがあるのも事実だし……厄介者だという見方をする者が多いこともまた、事実。


「うまくいかない時こそ、否定で立ち向かっちゃだめだ。否定ありきなのも、否定されたから否定で返すのも、どれも子供のすることだ。きみは子供か?」

「――……ちがいます」

「この企画書を、本当に通したいのかい? この企画に命をかけて、これで復帰できたら幸せかい?」

「――……それは」


 迷いと後悔がにじむ彼女を見て、微笑む。


「気晴らししておいで。ろくな奴がいない職場だと思った時こそ、それに染まるんじゃなく、どうやって受け流せるかだ」


 ため息を吐いて項垂れて、差し出された企画書を取った彼女を見送る。

 無性にタバコが吸いたくなったが、職場は禁煙なのだった。


 ◆


 ジョッキをテーブルにどんと置いてため息をついた。


「鹿取ちゃん、落ちついてよ」

「これが飲まずにいられますかっての!」


 女子アナで華々しく活躍していた時に出会った橋本というお笑い芸人とふたりで飲んでいた。いつもなら乗らない誘いに乗って、ふたりきり。個室居酒屋で、向かい側にいる男を睨む。

 青澄春灯とふたりでネット配信の番組をやっているという。

 下心はあった。むしろ下心しかなかった。


「ねえ、なにか面白いネタない? 切り口でもいい。そのためなら、その」


 今までしたことがなかったけど、敢えてボタンをくつろがせた。

 胸は大きい方だ。話題になったこともある。だから絶対に武器にはしてこなかった。

 性別で職業を分けられるのも、差別されるのも腹立たしい。

 女子アナであることを誇りに、というけど。女子をつける意味なんてないだろ、とも思う。

 結局、テレビ映り第一に選ばれるなんて。じゃあ大学で必死に勉強したりがんばってきたことはなんだった? 許せない。そう思っていたのに。

 初めて武器にした。そして橋本は思わず胸元を見て喉を鳴らしたのだ。

 けれど、下積みの長い彼はすぐに笑って目を閉じた。


「やばいなー。鹿取ちゃんのそれ、武器だけどさ。そういうの、らしくないよ。俺はきみのそういうところ、見たくなかったなー」


 かちんときたし、みじめだった。

 酒の酔いにのまれて呟く。


「――……意地を張って死にかけなの。女を使って生き返れるなら、いくらでも使うわよ」

「いやでしょうがないって顔してるよ。そういうの、嫌いでしょ?」


 突っ込まれてどきっとした。閉じたはずの目を開けて、橋本が自分をじっと見つめていた。


「下心はあるし、お近づきになりたいと思って誘ったのは口説きたいからだし、付き合いたいから。愚痴ならいくらでも聞くけど、枕で取引されるのは俺への侮辱じゃない?」

「……ごめん」

「いーよ。それほど弱ってるんだろうし」


 まあまあ飲んで、とグラスを傾けられて、素直に生ビールを飲み干す。


「……はふ」

「でもさー。なんでそんなに侍とか春灯ちゃんを目の敵にするわけ? 若くて美人だから? それとも女を武器にしているように見えるから?」

「……ぜんぶ。っていうか! 私よりも頭わるくてなんにもできなさそうなガキがもてはやされてるの、納得いかない!」

「それ、春灯ちゃんを通じて誰に怒ってんの?」


 その指摘はあまりに痛すぎた。


「――……橋本さん、優しくない」

「知ってる。けどきっと、春灯ちゃんを弄るのは筋違いだし。いまやるべきネタじゃないし、そもそもその切り口は誰も幸せにしないよ。それってテレビマンのすることかい?」

「……ほんと、やさしくない」


 お説教とか、聞きたくない。呟いて、項垂れる。


「もうだめなのかな」

「そんなことないでしょ」

「……どうして?」

「きみが女子アナ時代にさ。絶対キャラじゃないのに、深夜にやった売れない芸人と大御所の激論番組にでたじゃん? わりと早めに打ち切られたけどさ……覚えてんだよなー」


 しみじみと橋本さんが天井を見上げた。


「みんなの、それこそネットにさえ流れないようなしょうもないコントさえ丁寧に調べあげて、大御所さんに切れ味のいいツッコミばんばんやって。最高に面白かった」

「……でも、打ち切られたじゃない」

「あれは一緒にでてる俺らが悪かったの。ひとりは泥酔して車で追突、ひとりは薬で捕まる。ほかにもコンビ解消したり、よりにもよって集まる時期と面子が悪すぎた」

「……橋本さんは悪くないけど」

「強いて言えば、そんな連中と一緒になるって見抜けなかったところが悪いよ。でも、鹿取ちゃんと会えたから、差し引きで考えたらプラスの方が多い」


 断言してくれるこの人、ほんと……ずるい。

 この人なら……いいかもしれないって思っちゃった。酔いが回りきっているに違いない。でも……だからこそ、今がちょうどいいのかもしれない。


「部屋、いってもいいですか?」

「なにそれ。本気にするよ?」

「……私、処女ですけど」

「気にしないけど」

「うそ。大学で会った時、めっちゃ嫌がられました。めんどくさいって」

「あー。まー、ねー」


 視線が泳ぐ。


「なにその反応」

「俺もガキじゃないからさ。経験してたら楽だし、してなかったらさて気張るぞ、となるわけだ。逆に教えてよ。鹿取ちゃんは俺でいいって思ってくれた? それともこの場の勢い?」

「りょーほーです」

「俺、責任とっちゃうよ?」

「……だから、りょーほーなんです」

「そ? じゃあさ。せめて――……ここの刺身くってからにしよ。うまいんだ、まじで」


 笑って言ってくれた。いつだって明るい。それが頭に残っていたから、他にも誘ってくる人はいたけれど、彼しかあり得なかったと素直に思う。

 ふたりでオススメの刺身を堪能してから街に出た。いたるところで青澄春灯の新曲のプロモーションが流れている。いまどきの言葉を使うならバズっているというやつだし、テレビで平易な表現を使うことを第一としている自分としては流行していると言うべきか。

 羨ましいんだ。ただただ。自分にないものをもって、ますます輝いていく年下の女の子が。

 彼女を通じて、自分にはできないことをする――……前はずっと見下していた同期や後輩の子たちは、朝や昼の冠番組に出てばりばり働いている。

 羨ましくて仕方ない。


「どこでかけちがえちゃったのかなあ」


 涙が出る。

 ネットじゃ信仰なんて言葉が出るほど大事にされる、未経験。けれど現実には面倒くさがられたり、遅れていることの象徴でしかない。

 自分より遊んでいる子なんてやまほどいた。ずっとばかにしてきた。いまだってばかにしてる。あんな子たちに負けるはずがないって思っていた。

 でも、あんな子たちに含まれるはずの同期が自分より活躍しているのを見て、理解した。

 一面だけを見て侮っていただけで、たとえば男と遊べるのはそれだけ相手に近づく能力があるっていうことだし、ちやほやされるっていうことは、それだけ大多数の求めていることがわかるっていうことだ。経験があるっていうことは、それだけ愛されてきたっていう事実を示している。

 頭でっかちになって、いらないと決めつけていたものの大事さを、どんどん思い知らされていく。それがつらくてしかたない。

 夜風を浴びながら、ふたりで東京を歩きながら呟いただけ。車の音にまぎれて消えそうな囁きに、彼はふり返って笑う。


「掛け違えたら、また掛け直せばいい。人生ってのはさ。ほんとはいくらでもやり直しがきくんだ」

「……ほんと?」

「エリート街道から一転、なんてざらにあるけど……みんな勘違いしてるよ。入り口に立つことばかりが偉いんじゃない。その職について、なにをしてきたか。積み上げたことこそ、評価されるべきだ」


 俺はさ、と隣に並んで橋本さんが笑う。


「ちゃんとそこを調べて、わかってくれる鹿取ちゃんとなら……いくらでも仕事したいし。それだけじゃ足りないから、こうして一緒にいるんですよー。わかってくれるまで、何度でも言うぞー」


 子供みたいに。たまらなくきゅんときて、どうしようもなくなって。

 なのに……こういう時の振る舞い方を知らなかった。


「こういうとき、どうしたら……いいんですか?」

「大人バージョンと、控えめバージョン。どっちがいい?」

「……大人になりたいです」

「よっし。じゃあ――……盛大に遊んで、気晴らししてさ! 最高の夜にしよ!」


 私の手を取って、誘ってくれる。

 この人が見せてくれる景色を見てみよう。

 もしかしたら明日から、何かが変わるかもしれない。そう信じて――……。


 ◆


 朝方、起きると不思議とすっきりしていた。

 隣に裸の橋本さんが寝ていて、自分も裸だった。

 思い返して頭の中がお祭り騒ぎ。

 とても――……優しかった。いきなりキスとか、エッチをするんじゃなくて。

 自分がいかないようなお店や場所に案内してくれて、おいしいものもたくさん食べた。

 夢みたいな時間を過ごした。なんでも褒めて、受け入れて、認めてくれた。

 だめなところも、ぜんぶ。

 ちょっと前の自分なら、今の自分を軽蔑していただろうなって思う。

 でも、経験してみると――……なんだ。案外、とってもいいじゃないか。これ。

 だってずっと手を繋いでいる。たとえばこれが、愛読している漫画やドラマのひどいパターンなら、違う女性の名前を言われて破綻するんだけど。


「――……ん、あ……ああ……やばい。鹿取ちゃん、いろっぽすぎるだろ」


 目を開けた彼が夢見がちに笑うから、頭の中で鐘が鳴ったし。これを運命だと思っちゃうくらい、自分には経験値がない。

 だからこそ、身構えてもしまうのだけど。


「子供とかいないですか?」

「あはは。警戒されてる……いないよ」

「彼女は? 仲の良い、彼女寸前の女友達は?」

「どっちもいない。強いて言えばキミに彼女になってもらうために、俺わりと全力」

「……幼なじみとか、婚約者とか。バツがついていたり?」

「ないない。しないってば……そんなに不安なら」


 起き上がった彼が私を抱き締めて囁く。


「俺の実家くる? 紹介するけど」

「――……い、一ヵ月。せめて、一ヵ月。ちゃんとお付き合いしてからなら」

「おーけー。他にお願いは? ほら。一ヵ月はピュアがいいとか。ぜんぜん乗りこえるけど。ない?」

「……むしろ、これまで経験したことがないぶん、大事にして、ほしいです」

「もち」


 頬に口づけて笑う橋本さんに押し倒されて、緊張したけれど。

 愛されながら感じたのは――……不満を誰かのせいにして、誰かを攻撃したら解消されるんじゃないかっていう、自分の未熟。

 それよりもっとずっと、こうして愛されて感じていたい。生きていていいんだってたくさん思いたい。

 なにより、こんな気持ちをくれる彼のことを、もっと知りたいと素直に思った。

 どれほどの時間、ふたりでそうしていただろう。

 喉が渇いたと笑い合って、水を飲みながらテレビをつけた。

 青澄春灯の話題を流していた。


「記者会見、いったんでしょ。彼女、どうだった?」

「――……私が思うよりずっと、しゃんとしてた」


 グラスの水を飲み干して、テレビを見つめる。


「あの子、どんな子なんだろう」


 呟く私に、彼が笑う。


「それだよ。それを調べて、素敵に語るのがきみのお仕事なんじゃない?」

「――……うん」


 頷いて、衝動がわきあがって企画書を見た。

 ああ、なるほど。たしかに上司の言うとおりだ。これじゃあ使い物にならない。

 私の不満のはけ口の企画書なんて見せてどうする。

 出すのなら――……いま、注目が集まっている彼女への興味を満たす。橋本さんが喜んでくれたような、最高の仕事に違いない。


「ご、ごめんなさい、私」

「いーよ。いっておいで」


 感謝して、あわてて服を着て飛び出した。

 こうしちゃいられない。やっと自分の仕事が見えたんだ。走らずにはいられない――……!




 つづく!

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