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その刀を下ろして、帯刀男子さま!  作者: 月見七春
第三十八章 三月の太陽

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第四百五十一話

 



 どういうことなんですか! と声があがって、私は会見のための部屋で滝のような汗を流しながらフラッシュを浴びていました。


「青澄さん! 男性のジャケットを下着姿で匂いを嗅いでいたとのことですが!」

「お相手は誰なんですか!」

「なんでそんなことをしたんですか!?」


 しにたい。


「え、えと……あの。これは、ですね。その……匂いは、ですね、その」

「嘘だというつもりですか!?」「ネタはあがってるんですよ!?」

「いや、だから……あ、あのう」


 大勢の記者さんが写真を突きつけてくる。

 白黒で寮の、上半身下着の私がカナタのジャケットを抱いて恍惚の顔をしています。幸い、ジャケットに隠れて下着も素肌もたいして見えてないのですが。とはいえ。

 致命的には違いありませんよ!


「え、えと。相手は、彼氏で」

「どなたですか!?」「同じ学生ということですか?」「先日の会見で仰っていた彼氏ですか!?」

「……そ、そうなんですけど」


 社長はいない。高城さんは笑顔。だけどこめかみに血管が浮いている。

 変装して見ているナチュさんは爆笑を必死にこらえていた。


「じゃあ彼氏のジャケットを!?」「そもそも彼氏との関係はアツアツじゃないのでは?」「どうしてこんなことをしたんですか!」

「「「 答えてください! 」」」

「そ、そういわれましても」


 魔が差したというか。その。彼氏の匂いに包まれたいみたいな、そんな気持ちありませんか? しどろもどろになって説明すると、一転して記者のみなさんが優しい顔に。

 もしや、許される? と思ったのですが。


「じゃあ具体的に恋人の匂いはどうでしたか?」「どんな恋人ですか? お名前は?」「青澄春灯さんの好みの匂いとは?」


 なきたい。


「え、えと。恋人の匂いは、その……ちょっと、汗の臭いと。あと柔軟剤の匂いが、してですね」

「男臭い方なんですか?」

「いやっ、えっと、どっちかっていえば、綺麗系です」

「芸能人で例えると?」

「ええっ? えええっ……えー」


 ちら、と高城さんを見たら腕をクロスさせてバッテンで示してくれた。


「芸能人は無理ですが。一言で言うと……私の王子さまです」

「「「 おお…… 」」」


 や、やや引き!?


「ちなみに柔軟剤はどんな? シトラス? それともフローラル?」

「あ、それは私の使ってる柔軟剤で一緒に洗濯して――……」


 高城さんが怒った顔で必死にバッテンを作る。


「してないです」

「「「 してますよね? 」」」

「し、したいなあって話で。ほら。彼氏とおそろの柔軟剤で一緒に洗えたらいつでも一緒、みたいな――……」


 高城さんの顔がどんどん真っ赤に染まっていくよ! ひ、ひい! 許してくだしい!


「えっ! えっと! 香りはシトラスですかね!」

「ちなみに好みの匂いは?」

「そ、それはきつねう――……」

「会見はここまでです! ありがとうございました!」


 足音強めにやってきた高城さんに引っぱられて、ばしゃばしゃシャッターを浴びながら立ち去る私ですよ。


 ◆


 はるひぃいいいい、と。

 初めて大人が本気でぶちぎれてる顔を見て、私は尻尾を抱えて泣きたい気持ちでいっぱいでした。


「寮を激写されたのは週刊誌の加熱の結果で春灯の責任じゃないけれど、カーテン! 開け閉め気をつけなきゃ! きみは女の子なんだよ!? それも芸能人の女の子なんだよ!?」

「す、すみません……許してくだしい!」

「言葉遣い!」


 ふう、ふう、と荒い呼吸をする高城さん。

 朝、連絡を受けて学校を休んで事務所へ。そして高城さんに何が起きているのか説明された後、日常生活で気をつけるべきレポートをちゃんと読んだか確認されたの。

 ……読んだけど覚えてなかったよね。

 だから……望遠レンズで高校生の学生寮をばっちり激写というパパラッチに撮られてしまったわけですよ。とほほ……。

 激怒する高城さんを社長がなだめて「むしろ活用しよう」と方針を打ち出した。それがさっきの会見なのですが。

 私はぼこぼこでしたし、事前になるべく情報を出すなといわれていたカナタや私の私生活についてぽろっと話しかけたし、それはもう取り消せないレベル。

 テレビのワイドショーはネタに飢えている。

 そりゃあそうだよね。毎日決まった時間、話さなきゃいけないんだもん。それも長時間ね。何かネタがあれば、そりゃあ飛びつくよ。じゃないと尺が余って、無駄な時間が作られて、番組の体をなさなくなっちゃうもん。

 まあ、それを揶揄するように「なんにでも食いつきすぎだろ」という指摘もあるんだろうけど。作ってみればわかるに違いないよ。 

 みんなが思っているほど余裕なんてなさそう。じゃなきゃ、私のハスハス写真なんてネタにされない。

 そう思わないとやってられないよ!

 だ、だってさ!?

 私のハスハス写真が全国のお茶の間に――……いたたまれなさすぎるよ!


「まあまあ。これくらいなんでもないって」

「ナチュさん! でもねえ!」

「いいじゃん。彼氏がいるのは公表してるし、下着姿だっていうけど奇跡的に下着も素肌も見えない一枚だよ? ならむしろ、謎に満ちた春灯ちゃんのネタ提供ってことで、ちょうどいいって」

「け、けど! 来週はシングルが出るっていう大事な時期ですよ!? イメージダウンは困るんです!」

「だからこそだよ。神秘性をウリにするのはもう、その段階を過ぎたから。それに味を加えていこうよ。春灯ちゃんらしい、ありふれた日常をだすんだ」


 高城さんをなだめて座らせて、ナチュさんは腕を組む。


「ただでさえ春灯ちゃんは尻尾を生やして不思議な光を出すっていうだけで、人と違うところだらけで遠い存在なんだ。だけど黒歴史を出す番組に出て、様子が変わった」


 真っ黒な笑顔で笑うの。


「あれ? この子、意外と普通じゃない? ってね。自分と意外と近いかもっていう感じ……実は結構いい印象のようだ。そこに加えて今回の騒動。トシさんの攻めた歌も、僕らで作った歌も、ツバキちゃんの歌詞もみんな、よくわからない女の子じゃなくて等身大の青澄春灯というひとりの人間が歌っているという証明に使える」


 指を鳴らして、何かの開始を示すの。


「むしろここは春灯ちゃんの日常をどこまでみんなが納得できる形に脚色して出せるかにかかってるのさ」

「このあと、生放送で中継つないで、ワイドショーにでる。夕方の番組にもでるから頭を抱えていたんですが。情報はむしろ出すべきだと?」

「その通り。カナタくんの情報は彼のプロモに関わるから、早急に答えを出すべきだけど。ストーリーは明快だ」


 攻めっ気全開で、ナチュさんは未来を見据えていた。


「とてもとても残念な、みんなを巻き込んじゃう不思議な女の子がいました。その子は中学を卒業し、高校生になって不思議なところがさらに膨らんで、狐に変わり、恋を獲得しました」


 歩みよっていくのは、ホワイトボード。

 真っ白な背面を手前に見えるように転がして、青ペンで書いていく。


「みんなに光を注ぎ、伝える愛情は――……孤独な彼女がやっと手にしたぬくもりなのでした」


 端的に表現される、私のこれまでの人生。


「どう幸せになったのか? そしてそれをどう伝えたいのか? 今の彼女はどんな苦しみの末に愛情を手にしたのか? その答えはもう、僕らは聞いている。なら?」


 青澄春灯は刀を手にして、どんな人生を過ごしてきたのか。

 そして、なぜハスハスするに至ったのか!?

 書き記されたホワイトボードの二行の文字を、私はどんな思いで見つめたら。


「次は、春灯ちゃんに興味を持ってくれた人が知る番だ」


 ナチュさんのプレゼンに飲みこまれて、フロアに集まっているみなさんが「おお……」と感動している中で、私は尻尾を片手に抱いて恐る恐る挙手しました。


「あ、あのう。結論はハスハスなのでしょうか?」

「もちろん、結論はハスハスだよ! なんていったって! 事件はハスハスから始まったんだからね!」


 あははははは! って、言いきってから爆笑しないでくだしい……。


 ◆


 撮影が本格的に始まったら、どうしたって学校を休まざるを得なかった。

 ラビと剣戟のシーンを撮り終えて思う。

 アクションはいいんだ。アクションは。むしろ身体を動かしていたい。

 並木さんとの恋愛シーンとか、町娘役の女優さんとのささやかな恋愛シーンとか、俺はいったいどういう思いで乗りこえたらいいのか。

 既に並木さんとのラブシーンを撮り終えたラビはがっつり本域でやった。そのせいで……キスもばっちり撮ることになってしまった。

 おのれ、ラビ。

 気が重たくて仕方ない。

 春灯が教えてくれた、役柄に似合う誰かになりきるというのは悪くないアプローチだ。

 それまでの俺はというと、どうしたって作ってみせた自分で挑むしかなく、それじゃ受け入れてはもらえなかった。これまでの失敗を思えば、むしろ前進している方だ。

 あいつに俺は、ずいぶん助けられている。

 明日は並木さんとのキスシーンだ、と決まって気が重い。

 濃厚なのを、と言われている。

 思いを抱えた幼なじみ剣士の俺は、内に宿る鬼の衝動を堪えながら並木さん演じるヒロインを守ろうとする。しかし彼女はラビ演じる鬼にかどわかされていた。自分に振り向いてもらうため、そして彼女の心を掴むためにその身を削り、戦い、傷ついて――……守り抜いた時、涙を流して俺の役の思い、そして自分の中の彼への思いに気づいた彼女が、なぜかと尋ねる。

 俺の役を抱き締める彼女が告げる。好きだ、という素直な気持ちを。

 だから答えるかわりに俺の役は彼女の唇を奪う。

 彼女の揺れていた心も奪うように、全力で――……情熱的に。

 事前に言われていた。舌が入っているとわかるくらい濃厚なラブシーンに、と。

 まだまだ芝居は下手なんだから、彼女のOKもでているしやりきれ、とも。

 名だたる役者さんたちは苦笑いをしていたが、まだ打ち解けていないから聞けずにいる。これが普通なのかどうかさえ、俺にはわからない。

 ふたりは……つきあっているふたりは特に気にした素振りはない。

 むしろ自然体だ。必要ならやれば、という、そのノリが俺にはよくわからない。

 台本を読んだらしい春灯さえ気にしていない。

 俺だけか? そういうこと気にしているの、俺だけ……なのか? 仕事とプライベートは別というやつなのか?


『どきどきしているのは、気にしているのは……ちょっとやましい気持ちがあるからなんじゃないのか?』


 冬音の指摘が痛い。たしかに以前、並木さんに思いを寄せてもらっていた時期があった。告白だってされたことがある。それでももう、時は過ぎて久しい。

 俺は吹っ切れている。それは並木さんも同じはずだ。


『なら気にしなければいいだろ? 仕事なんだから。役者を続けるなら、それくらい乗り切るべきだし、割りきるべきだろ』


 け、けどだな。舌までいれろって、それは! 役者とはいえ高校生がやることか!?


『話題性が必要なんだろ。どう考えても原作モノ、それも熱狂的なファンのいる原作モノの実写映画化なんて炎上案件なんだから。ケチをつける下準備をして見る風潮があるんだからさ』


 そ、それと濃厚なキスシーンと、いったいどんな関係があるんだ!


『だからさあ。芝居はダメだしされまくりのお前でも、ことアクションになればプロが唸る出来映えなんだ。つまりアクションが受けてるし、それには可能性がある。なのに肝心要でメインの恋愛要素がぐだってたら、そりゃーお前。原作愛を胸に一縷の望みをかけて見に来た女性の観客を興ざめさせちゃうだろ。私の愛するキャラはこんなキスしないって』


 ……だ、だからって、舌はやりすぎだろ。それこそ原作ファンを怒らせるんじゃないか?


『命を失うかもしれない男の最後の口づけ、それもずっと抱え込んできた思いがやっと報われた瞬間だ。いわば名シーンだろ? 感極まっているその瞬間に、サイレント、あるいは主題歌が流れてのキス。あらゆる演出を使って気持ちを持っていくんだ。だいじょうぶだって、プロを信じろ』


 だとしても、だな……ちょっと、その。くさすぎないか?


『お前が言うな。大好きだろ? こういうの』


 ぐ、ぐう……。


『それに結局、脚色と省略の美学っていうからなー。やりすぎくらいがちょうどいいんじゃないの?』


 くそ、最後の最後で雑に流して……。


『まあいいじゃんか。それに春灯も公認なら、浮気にもならないだろ。お前の相手役も、その彼氏もちゃんと仕事に徹しているから文句を言わないし、気にしてもいない。それだけだろ』


 ……それは、そうなんだろうけどな。


『なら、お前も仕事とわりきって、お前の演じる役ならどんな口づけをするのか……ちゃんと考えて、本気でやれよ? カナタの仕事ぶりが残念なようじゃ、将来的に春灯が損をする。我はそれを許さない』


 はいはい……まったく。お前は春灯第一主義だな。


『当たり前だろ。じゃあな』


 声が遠のく。ひとりきりでため息を吐いた。

 憂鬱な思いで衣装から制服に着替えて、スタジオから出てひと息つこうとした時だった。


「カナタ、こっちこっち!」


 ラビが俺を呼ぶんだ。駆け寄ると、並木さんとくっついてタブレットを見ている。

 なんだろうかと手元を見て吹き出した。


『青澄さん。なぜ彼氏のジャケットに顔を埋めたんですか?』

『そ、そそそそ、それはですね。さいきんあんまりちょっと、くっついてなくて。充電したいなあって、それだけで』


 俺の彼女が放送で恥ずかしい告白をさせられているんだが……!


『つまり、出来心だったんですか?』

『かっ、簡単に言えば、そういうことになりますね』

『けどねえ……今週発売予定の週刊誌、スタッフがなんとかして写真だけを取り寄せたんですがね。この写真のあなた、あまりに幸せそうですよ? 匂いフェチなんですか?』

『そっ、そういうわけじゃなくて! でもほら。好きな人の匂いって、嗅ぐだけで幸せな気持ちになりません?』


 俺の彼女が放送で性癖を自白しているんだが……!

 ぱっと写し出された雑誌の見開きには、ジャケットを抱いて至福の顔をしている俺の彼女が。っていうか俺たちの部屋が写し出されているんだが……!


「いやあ、悪いことはできない世の中だねえ」

「怖いわね……望遠レンズで撮影? 学生寮にこれはやりすぎじゃない? 学校側も動くだろうけど、こっちもシオリに言って……冬休みまでの警備を強化しないと」

「まあでも、雑誌は発売されるみたいだね……いやあ、芸能人ってこういう目にあうんだ。気をつけないとなあ」


 しみじみ言わないで欲しいんだが!


「あ、あ、あの、ばか!」

「まあまあ。ハルちゃんには罪はないって……ぶふっ」

「そうね……好きな人のジャケットをぎゅって、わりと憧れのシチュよね……ぷふっ」

「ふたりとも! 笑いを隠しきれていないぞ!」


 思わずスマホを取りだしたら、ラビに止められた。


「ハルちゃんに電話するつもりなら、よしたほうがいいよ。生中継だよ? これ」

「な、な――……」

「全国に届いているわね」

「なあっ」


 あわてる俺の思いの届かないところで、春灯は仕事の真っ最中だった。


『ちなみに春灯ちゃん。高校生とはいえ、彼氏と同居でしょ? まだ日が昇っている内だから表現が難しいけど、大事にされてないの?』

『なっ、そ、そんなことないですよ!?』

『いやでも、大事にされてたら、匂い嗅いだりしないんじゃない? 満たされてたらここまでしないと思うんだけど。それについてはどう思う?』

『わっ、私はほら、尻尾の櫛入れをしてもらったり。あとは寝るときと学校に行く前に必ずキスしてもらってます』

「「 へえ? 」」


 ち、ちがうんだ!


『それでも……恋人の存在は常に感じていたいというか』


 もうやめてくれ……!


『愛してるから、いちゃいちゃしたいし。あんまりいちゃいちゃできてないと、そりゃあ……ちょっと気持ちが暴走して、たまにはジャケットとかお布団に包まれて幸せに浸りたくなるんです』

『……つまり?』

『で、出来心だったんです! 許してくだしい!』

『はい! まだまだ事務所と本人のOKもらっていますんで、掘り下げていきますよー! いったんCMです!』


 ぷつ、と映像が切りかわる。

 そしてふたりがにやにやしながら俺を見つめてきた。


「愛してるから」

「いちゃいちゃしたいし」

「ちょっと気持ちが暴走して?」

「ジャケットやお布団に包まれたくなる、ねえ」

「「 お幸せそうですねえ 」」


 くっ……!


「う、うちの母親じゃあるまいし! からかうな! 俺は帰るッ!」


 必死に走った。明日に向かって。


『ばあか。逃げてるの間違いだろ』


 うるさいな! いいだろ!?

 くそ! テレビで見たことはあったぞ? そりゃあな。

 嫁さんの奇天烈なところや奇想天外なところをネタに、お茶の間に笑いを届けているタレントなら、俺だって知っている。

 だが、まさか、俺が、全国にネタを届けられる側に立つとは思わないだろ!?


『いやいや。別にお前の名前は出ていないし。せいぜい、学校関係者、あとは春灯とお前の関係者くらいしかお前のことだなんてわからないって』


 だ、だけどだな! 十分すぎるだろ! 俺を知っている奴にはモロバレなんだから!


『今更じゃね? それともなにか? 映画に出るっていうのに、お前……一般人のつもりなの? そりゃあちょっと、虫が良すぎるんじゃないの?』

「くっ」


 顔を覆いたいくらい恥ずかしくてたまらなくて、春灯のせいじゃないと思おうとした時だった。スマホが鳴ったから、嫌な予感がしつつも出た。


「もしもし?」

『カナタ? みたわよー! なあに? 毎日春灯ちゃんといちゃいちゃしてキスしてるって?』

「かっ、母さん! 見てたのか!?」


 悲鳴をあげた。


『そりゃあねー。いやあ、息子があんなに可愛い子と幸せそうにしていると聞くと、母さんも安心だわ。あ、でも朝はキスする前にちゃんと歯を磨いている? 意外と寝起きって口が臭くなる人がいるのよ。気をつけなきゃだめよ?』

「う、うるさいな! 気をつけてます! 切るぞ!」

『あっ、ちょっと待って!』

「なに!?」

『ジャケットの匂いを嗅いだり布団にくるまれて幸せ感じちゃうくらい、暴走させちゃうなんて……あの子をほっといちゃだめよ? そうなる前にちゃんと構ってあげないと。最近、夜はがんばってるの? 避妊は大事だけど、だからってするなって押しつけたいわけでもなくて――』

「切るから!」


 ぶちっと切って、いらいらと恥ずかしさでどうにかなりそうになりながら駅に駆け込んだ。

 どうして母親っていうのは、息子にいちいち絡むんだ!

 だいたい、母親が言うことか! 年齢を考えてくれ!

 電車を乗り継いで渋谷へ。気が動転していた。いやな予感を抱いてスマホを確認したら、春灯の呟きアプリのアカウントがお祭り騒ぎだった。いい意味でも、悪い意味でも。

 いまも春灯は恋愛について、俺との実体験を語っているみたいだ。いちおう、お互いのマネージャー同士で調整はしてくれたようだが。俺の意見は?

 ――……いや、まて。こういうことがあった時のために、事前に聞かれていたな。どこまでOKでどこまでNGか。春灯を信じて任せる――……と、言ったな。言った。

 その結果が、これか。


『うける。やばい。春灯ちゃんの匂い、握手してもらった時に近くで嗅いだことあるけど、すっごくいい匂いだった。彼氏もむしろhshsしてそう。私が彼氏ならする』


 hshsってなんだ。

 嫌な予感を覚えながら検索して知った。

 匂いを嗅ぐ、あるいは非常に興奮した時の呼吸音。

 膨らむ予感に急いで検索したら、まあ出てくる出てくる。春灯の彼氏への意見がずらずらと。

 めまいがした。春灯のそれを横目で見ていていつも「大変だな」と思いながら、しかしそれはどこかで人ごとだった部分があるのだと思い知らされた。

 すぐに春灯に焦点が戻るし、俺への意見なんてささやかな量ですぐに埋もれるけれど。でも、まあ。これは焦る。

 春灯が呟きアプリを見て一喜一憂していたり、てんぱっていたところを思いだした。

 これは焦る。俺って大丈夫なんだろうか、と不安になった。

 おとなしく学校に戻る勇気が持てずに、原宿へ歩いていった。父さんの店の扉を開ける。


「――……おお」

「ども」


 エプロン姿の天使と父さんが小さなノートパソコンをカウンターに乗せて、ふたりでカウンターから俺を見て笑った。


「好きな人の匂いって」

「嗅ぐだけで幸せな気持ちになりますね。どうぞ、こちらへ」

「くっ……」


 ふたりしてからかってくるなんて!

 とんだ厄日だ……っ!


 ◆


 さんざん愚痴った俺に天使は涼しい顔で父さんのコーヒーを出しながら指摘した。


「まあでも。春灯が甘えん坊なのはもういやってくらい知ってるだろうから。放置した結果じゃないんですか」

「――……それを言われると」


 笑顔の天使を見上げて呟く。


「お前、バイトしていていいのか? 仕事は?」

「ここの仕事はなるべく減らしたくないんで。じゃ、図星太郎お疲れ」


 愛想のかけらもなく、尻尾を揺らして立ち去っていく。


「父さん、バイトの愛想がないんだが」

「うちではこれがルールだ」

「――……そうですか」


 だめだ。むしろウリにするつもりだ。

 つんつんしながら猫のようにつんつん振る舞う天使を、以前はマダム客の多かった店内にやたらに増えた男性客がでれっとしながら見ていた。

 しかし誰も変なことはしない。表面的には紳士に振る舞う馴染みの客や、非番で来ている警察の侍隊たちは、ただ愛でるだけ。


「……母さんは?」

「今日はコバトを連れて青澄さんちに行っている」


 さあっと血の気が引いた。


「――……まさか」

「さっきメッセージが来た。お前に伝言だ……うちの娘がごめんなさいね。これに懲りずに構ってあげてね、とのことだ」


 知られてる……!


「あ、甘やかすと調子に乗るし、張り切ると疲れるからキスはほどほどでいいそうだ」

「先輩。どうなんですか? 張り切ってしてるんですか? 好きでしてるんですか? いいなあ、アツアツですね」

「――……くっ」


 みんなして弄る方向性か! くそ! コーヒーをぐっと飲んで立ち上がる。


「好きでしてるんだ! 悪いか! じゃあ帰るから!」


 小銭を置いて逃げるように出ていく。


「「 またのご来店を 」」


 騒ぎが落ちつくまでこないからな!


 ◆


 そんな日は来そうになかった。

 帰りの電車で確認するかぎりじゃネットニュースになっていて、日本はまだまだ平和だなあと思い知らされる。

 恥ずかしいことを語った春灯には、決して悪気がないんだから怒るな、という気にはなれなくて。

 でも春灯の仕事のためには必要だったのかもしれないと気づくと、今後もこういうことは増えそうだと予感した。

 なにせ先人たちは率先してネタにしている。それかまったくネタにしないかのどっちかだ。

 しかし春灯は語らざるを得なくなったのだろうし、それは今回に留まらないに違いない。

 思い描く。どうしたいか。

 俺は彼女とつきあっていると世に訴えたいか。認知されたいか。

 ――……昨日の春灯のタバコの匂いで動揺するくらいだ。認知してもらった方がいい。独占欲の強さを誰かに押しつけるのはみっともないというのはわかっている。それでも、青澄春灯の恋人は俺だと示していたい。

 未熟だな。未熟すぎる。事実に縋り付いて彼女を傷つけてどうする。

 なるほど。春灯が思わずジャケットの匂いを求めるくらいさみしがるのも無理はない。

 たしかに自分のことで精一杯で、あまりふたりの時間を大事にできていなかった。

 どんと構えて、春灯を愛し、大事にする。

 しなきゃいけないからじゃない。俺がそうしたいから、する。

 それでいいはずだ。いいはずなんだが。


『青澄春灯の彼氏まとめ。士道誠心の刀鍛冶で侍。剣道をずっとやってた。きれい好き。春灯ちゃんの尻尾の手入れに余念がない。そば打ちが趣味。お昼ご飯のそば率はほぼ十割』

『やばい。私の中で春灯ちゃんの彼氏、角刈りで渋いマッチョなおっさんみたいなイメージなんだけど……』

『どんな彼氏なのかさっぱりわからない。意外とブサメンだったらどうしよう。あれ? 前に春灯ちゃん、彼氏との自撮りあげてなかったっけ?』

『っていうか一緒に過ごしてるんなら、ジャケットの匂いを嗅いじゃうくらい放置しちゃだめっしょ』


 違うんだ……!

 説明させてくれ……!


 ◆


 カナタのマネージャーさんの調整も適宜受けながらお話しきって、寮に帰る間の私といえば。


『ちょっと今日のテレビ、なあに? あんたさ、あんなことしないで、カナタくんに素直に甘えるくらいできないわけ?』

「だ、だから! お母さん、何度も言ってんじゃん。カナタは忙しそうだったし、お風呂いっちゃったから、それで私は……その」

『魔が差したっていうけど。引き留めて一緒にお風呂はいっちゃえばいいじゃない。どうせ何度もしたんでしょ?』

「――……実の母に、そういう生々しい事情はちょっと」

『したっていう自白とみるわね』

「うっぷす!」


 高城さんの運転する車の中でお母さんと話していたの。


『とにかく、今日はきっと拗ねてると思うから。誠心誠意、謝った方がいいわよ? 全国ネットで私生活暴露したようなもんなんだから』

「……はあい」


 電話をぷちっと切ってため息をつく。


「高城さん……カナタ、怒ってるかなあ」

「俺が彼なら……どうかな。人気がでるためならどんどんネタを使ってくれっていう人もいれば、絶対に言わないでくれっていう人もいる。うちのタレントさんたちでもまちまちかな」

「――……はあ」


 項垂れちゃうなあ。横目でみると、高城さんは涼しい顔だ。


「高城さんは怒ってない?」

「怒ってる」

「うっ」

「うそうそ。春灯はまだまだ子供で、気が回らないこともあるだろうし。なにより、しっかり守れなかった俺の責任だ。だから怒ってないよ。怒っているのは、俺自身だ」

「……すみません」

「いいよ」


 片手で私の頭を撫でて、高城さんは息を吐いた。


「でも、学生寮はちょっと限界があるね。今回の雑誌、とめられそうになくて。何かにつけてこうやって狙われちゃうと苦しい」

「う……」

「学校側に確認したら、刀を学校に預けるかぎりは部屋をうつってもいいと連絡があったあ」

「――……え」


 想像さえしていない言葉に心がざわつくの。


「学校側の、取材攻勢に対する警備が万全にならないかぎり、春灯には部屋を出てもらった方がいいというのが……うちの会社としての答えだ」

「そ、そんな!」

「もう春灯ひとりの身体じゃないんだ。きみには大勢のファンがいる。毎日ふえてるんだ。それにトシさんたちはどうなる? 春灯の歌手活動がこけたら、ツバキはどうなる?」

「――……そ、れは」

「俺もこれを言うのは心苦しいけど」


 高城さんは私の頭から手を離して、フロントガラスの向こう側を睨む。


「たとえば生徒の誰かが春灯の入浴中の写真を撮ったら、それだけで致命的なんだから。ちゃんと考えておいてね?」


 めまいがした。うそだ。みんなと一緒にいられる場所から離れなきゃいけないなんて、そんなのさみしい。


「し、士道誠心にはそんなだめなこと考える人いないです」

「信用じゃ、保証の担保にならないんだ。たとえば来年度の生徒は? 外部から侵入されたら? 絶対に、安全だと言えるのかい? 今回、下着や素肌が露出しなかったのははっきり言って奇跡なんだよ? 撮られた後なんだよ? 断言できるのかい?」


 いやだ。いやなのに。心がどんどん納得していっちゃうのが、つらい。


「……大浴場はいらないから」

「それでも足りないんだ。刀鍛冶のすごさは仕事で関わる春灯の上級生たちから聞いた。通風口から覗かれる可能性だってある。きみは……きみのすべてはもう、ただの女の子じゃないんだ」


 いやだと叫びたいのに。


「ナチュさん……親近感を、ウリにするって」

「それはあくまで仕事上の見せ方の話だ。仕事できみのプライベートを出すことに価値が生まれた以上、日常の見せ方はどうしたって気をつけなきゃいけない。いいかい? きみの写真が載った雑誌は、きっと数が出る。きみの日常はテレビで使えるものに変わったんだ」


 言えない。大人の社会に入り込んだのは私で、そこにいるための覚悟だってとうに決めちゃったから。いまさら辞めるなんて、言い出せない。


「――……どうしても、だめ?」

「逆に教えて。たとえばある日、起きたら恋人との大事な時間を晒されて話題にされたら? 裸の写真が出回っていたら? 春灯は耐えられる?」

「……、」


 無理だ。ハスハスでもう心が折れかけてるのに。

 尻尾の櫛入れで「くふう」といっていたり、もしまた発情期がきてカナタにがぶってやってるところがすっぱぬかれたら? ……むり! ぜったいむりだよ!

 それに、あまあまを見られるのは……ぜったい、やだ。


「……や、だけど。みんなと、いたい」


 高城さんを縋るように見たの。


「なんとか、ならないです? 三年生が卒業しちゃうのに、さらに寮を離れるの……さみしすぎて無理です」


 すっかり落ち込む私を見て、高城さんの顔に迷いが浮かんだの。


「――……これから言うことはひとりごとだから」

「え……?」

「――……社長が契約しているのは、いまの士道誠心の三学年の子たちだ。その管理を学校の学生寮に委ねるのは限界があると見ている。だから――……事務所でなんとか、三学年の子たちの受け皿になる部屋を用意できないか、社長が既に調整中」


 ――……あれこれ動く社長が放置するわけ、なかった。


「まあ南ちゃんたちの会社もあるから、もうちょっとだけ時間がかかるけどね。南ちゃん、並木さんと学校側と協議して、詰めている――……なんて話を聞いた気がするなあ」

「ほ、ほんとです!?」

「俺、いま何か言ったかな?」


 笑って流しちゃう高城さんの腕に飛びついて大好きって言っちゃった! あぶないって悲鳴をあげられましたよ。

 無事に寮に戻ってすっきりした気持ちで扉を開けたらね?


「――……おかえり?」

「た、ただいま」


 笑顔のカナタが出迎えてくれたの。

 ゴゴゴゴゴ……! という擬音を背負っているかのような圧で、仁王立ち。

 や、やばいよ! 一本だけの尻尾が私の九本分に見えるくらい、ぶわって膨らんでるよ!

 私の尻尾は内股に逃げてきたよね! はじめてカナタがげきおこなんだもん。


「すこし話があります」

「……は、はい」


 やばい、敬語だ!

 予想よりもずっと怒っていらっしゃる!

 どどどどどど、どうしよう! お母さんの言ったとおりだ!

 当たり前だよね!? 私わりとべらべら喋っちゃったし!

 こ、こ、こ、これは最大級のピンチなのでは!?




 つづく!

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