第四百四十八話
マイクを向けられると、思うことがあるの。
「青澄春灯さん、恋人発覚とのことですが!」
「そもそも長くお付き合いされているとのことですが! 彼氏とはどんな生活を!?」
「高校生にも関わらず男女で同室とは、なかなか進んでいらっしゃいますね! ぶっちゃけ、ご結婚のご予定は!?」
前世でいったい私はどんな罪を犯したのだろう、と。
ちらっと横目で見ると会見を見守る高城さんは真面目な顔をして前を見据えているだけ。
社長は笑って手を振ってくる。カナタたちのマネージャーさんの姿も見えるよ。
会社の人たち、会見に集まってくれた人たちみんな、私を糾弾しようとか追い詰めようとか、そんなノリじゃない。
ちょっと前に会見の内容は事前に打ち合わせておくとかいうのが問題になったけど、そんなノリじゃないの。
「ちなみに歌にはいわゆる性に前のめりな姿勢も見え隠れしますが、実体験ですか!?」
だからってねえ。これはちょっといきすぎなのでは? と思うわけです。
「えっと……」
渋い笑顔で口を開く。ばしゃばしゃフラッシュが焚かれる。明るくていじれて面白いネタ、という触れ込みによって私に焦点が集まっているから、ここらで一発、新曲発売前のプロモーションとしてアピールしてみよっか! という、高城さんも止めた社長の鶴の一声でこうしているのですが。
劇薬なのは間違いないし、こんな窮地を乗り切れるほどの人間的な強さを私はちっとも持ち合わせていないので、さて難問だぞ! って思った時でした。
「私個人としては、いくつに経験しようといいと思うんです。すべきかどうかさえ、いまの世の中、個人差が広がるばかりで――……それは格差じゃなくて、期待の差でしかないかなって」
た、タマちゃん!?
「でも、ええ。貞淑かつ厳格なこの国で言うのもなんですが――……」
カメラを……それもいちばんよさそうなカメラを見つめて、
「経験してますし、そんな私が歌をお届けすることに意味があるのなら……喜んでいただけるよう、全力で努めます」
今日一番の笑みを浮かべてみせるの。
いつかの会見でコナちゃん先輩が使った笑顔の魔力をばんばん放って、タマちゃんが私の口でしれっとスピーチに答えるの、なにかの冗談だと思いたい。
「ち、ちなみに……夜って」
「だめですよ。それはプライベートな問題。セクハラだし、普通は人に言わないことじゃないかな? ……それとも、知りたいです? 年下の女の子の、そういう事情」
「……そ、そうですね。すみません」
タマちゃん、顔だけじゃなく声さえ意図して変えて煽るのずるい。あと何割かの男性が前のめりになるのはなんでなのか。
記者のみなさんが戸惑う中で、ひとりだけ、女性の記者さんが手を挙げた。
「そちらのかた」
「帝都テレビの鹿取です。あの、侍候補生を養成する学校は現在、日本に四校あります。女子校の北斗を除いたどの学校も教育の過程で男女同室を前提としているケースがあるようですが。それについてのご意見は?」
私のプライベートよりももっとずっと、踏み込んだ質問に違いなかった。
高城さんが頷き、社長が見つめてくる。これが肝だと訴えてくるふたりに内心で頷いて、タマちゃんが下がってくれるからこそ私自身の言葉で伝える。
「まずは生徒自身、お互いの了解がなにより大事です。生徒の両親の許可がなければ成立しません。これが大前提ですし、どちらかが生活を送るうえで問題を起こさないよう、いつでも学校側が待ったをかけられるようサポートしています。そのうえで――……」
軽やかでお茶の間を賑わせる芸能人のスキャンダルの時間はいったん止めて、
「命を預け合う侍と刀鍛冶の候補生同士、ごくプライベートな領域においても絆を深めることには意義があると思っています」
「若い男女であるがゆえに間違いが起きる可能性については、どうお考えですか?」
「えっと」
タマちゃんが心の中で『かわるかの?』と尋ねてきたけど、だめ。引かないよ。
「そもそも侍と刀鍛冶の候補生のペアは男女に限りませんし、人と人である以上、間違いが起きてしまうのは、これはもう……当然のことだと思います」
「つまり、犯罪が起きても仕方ないと?」
きた。論点を自分のフィールドに持ち込む一撃だ。でもこんなの、ラビ先輩やルルコ先輩に鍛えられてるから……だいじょうぶ。
「そうならないために心身を鍛えていますし、学校側は必要なサポートをしています。けれど、世に溢れている些細なケンカから、果ては暴力やハラスメントって、結局その人個人が他者に対していかに気をつけていくのかでしかないと思います」
「つまり――……生徒たちに罪はないと?」
「いえ。悪いことをしたら相応の報いを得て謝るべきだし、そもそも仲間を傷つけないように個人個人で気をつけるのは社会生活を送る上で大前提だし、命を預ける相手なら傲慢に振る舞うべきではないと我々は身に染みているだけです」
ばちばち火花を散らす。笑顔を向け合って、けれど危ういところがあるかないか。あれば突くぞ、という相手の気持ちに怯まず、そんなところないし、あってもカバーするって立ち向かうだけ。
「じゃあ、一昨年から去年につれて声高に叫ばれた不倫問題については、どうお考えですか?」
誰かが茶々を入れてくる。帝都の鹿取さんが露骨に顔を顰めた。けれど私は答えなきゃいけない。
「当事者同士の問題であり、それより他にないと思います。当人たちに対して外野はどこまでいっても外野ですよね。なので個別にコメントはしません」
「そ、そうですか」
「――……じゃあ最後に」
鹿取さんがすかさず入ってきた。
「もし、生徒間で問題が起きたら、学校側は……あなたはどうしますか?」
へこたれないなあ。けど、そんなの私だって同じだ。
「学校側はするべきことをしています。生徒同士の問題は、あくまでその生徒同士の問題でしかありません。助けられるのなら、私にできることをします。逆に周囲の介入を求めないのなら、私が個別に何かをすることはありません」
「つまり、責任を取る気はない、と」
いじわるだなあ。そんなふうに世の中を見ていても、幸せにはなれないと思うんだけど。それはあくまで、私の考えでしかないわけで。だからって相手の考えに従うつもりもない。相手のようにね。
「だって、たとえば私が誰かを傷つけたとき、私には誰かを傷つける理由があって、傷つけてしまった責任がある。私を別の誰かに置き換えた時、理由に私が関わっていたのなら、その理由に対して取るべき行動はあると思いますけど。そうじゃなかったら、余計なお世話では?」
「その理由に、男女同室を認め、カップルとして今後幸せに生きていくことによる影響が関わってくるかもしれませんが。それについてはどうお考えですか?」
私にぐいぐいきていた記者さんたちさえ、渋い顔をし始める。
鹿取さんの求める内容は学校をきびしく問い詰めるための材料。けれど私がそれをあげないから、平行線。そして鹿取さんは諦める気がなさそう。
女子高生歌姫、彼氏とのいちゃいちゃってどんなもの? というお題で、私をいじりつつ仕事に使えるネタをたくさん取っていこうとする記者さんたちと、明らかに空気が違う。
まあでも、だからってへこたれないけどね。
「世の中に理想的に見えるカップルは山ほどいますけど、彼らは今日、ケンカして破局するカップルたちの問題を解決する義務があるでしょうか?」
「――……それは」
初めて鹿取さんが怯んだ。たたみかけるよ!
「結婚する夫婦……というより、このご時世だからカップルといいましょう。そんな幸せを過ごしている人がいる横で、たしかに今日、不幸にも離婚するカップルもいます。けど、両者にどれほどの因果関係があるでしょうか? 逆に教えてくださいませんか? 誰かが幸せになるとき、不幸になる誰かの責任を背負うべきですか?」
「……いえ」
「すこしだけ補足しますけど。たとえば不倫問題、便宜上ですよ? 旦那さんが浮気をしたり愛人を作ったのなら――……奥さんには、旦那さんが過ちを犯すだけの理由があるかもしれません。けど、不貞を働いたのは旦那さんだし、受け入れたのは愛人や浮気相手だし、奥さんが浮気や愛人を作ることを認めたわけじゃない。ならこの時、罪に対する責任は旦那さんが負うべきだし、愛人が負うというのが、今の日本の法律だったと思います」
あらかじめ高城さんに予習させられておいた知識を並べつつ、締めくくる。
「理由に関わった……その理由の範ちゅうはどこまでなのか。罪を犯した人の周囲にまで罰を与えたがるのが今の世の中ですけど。私は違うと思う。さっきの例でいうなら、不貞を働き奥さんに苦痛を与え、権利を侵害したふたりにだけ罰を与えるし、その罰はこらしめたり苦しめるためじゃなく、罪を償い許されるためにあるのだと思う」
一呼吸を置いてから、笑顔で伝える。
「生徒同士に問題が起きたらどうするか? 生徒同士が乗りこえられるように必要なら手を貸すし、その必要がなければ見守ります。他に何か質問は?」
「――……ありません」
引き下がり、会見の席から離れていく背中を見送ってから、私は残ったみなさんに言うの。
「じゃあ、続けましょっか」
◆
会社のソファーに突っ伏して、足をばたばた揺らす。
「もうやだよー。なんで私があんなふうに怒られなきゃいけないのー」
ほんとは内心、汗だくだったよ? へこたれていいなら、いくらでもへこたれたかったよ。
「お疲れ、春灯。社長の筋書き、理解しておいてよかったでしょ? 反響いいよー」
「女子高生歌姫、海千山千の記者をやりこめた、だってさ。帝都で暴れてあれこれまわって辿り着いたのがあの位置で、だからこそ鹿取ちゃんも必死に食らいつこうとしてるけど。芸能会見なのに、社会派きどっちゃだめでしょー。空気よめてないよね。おかげでうちは大もうけ。鹿取ちゃんはへこたれながら局に戻る、と」
「あ、あはは……いや、鹿取さんもがんばってるだけですよ」
「尖って我を通して仕事しても、つらいだけだよ……ほんと、苦労するだけじゃんか」
高城さんの言葉にすぐにナチュさんが乗っかる。
「あのう……鹿取さんって、私にきつめに質問してたお姉さんですよね。ナチュさんも高城さんも知ってるんですか?」
「同じ女子アナたちと一線を画した、美人で頭のいいキャラみたいなのを期待されて張り切って、ボタンを掛け違えた残念な子」
ナチュさん、なんでそんな評価を幸せそうに言えるのか。
やっぱり……超絶腹黒ドSだからなのかな。
「春灯ちゃん、なにか言いたそうだね?」
「べ、べつになんでも。高城さんは?」
「そうだね……出身大学が同じだから、まあ会って話したことがあるくらいかな。悪い人じゃないよ。迷走してるけど、きっといつか素敵な仕事をしてくれる。そう期待してるよ」
ふたりの評価を聞いて思い浮かべてしまう。
がんばっているけど、からまわり。そんなの私にとっては日常茶飯事なので、親近感が湧く。それでも次の会見で鹿取さんを見たら、どうしたって身構えちゃうだろうなあ。
「いやいや。鹿取ちゃんを引き入れて会見するあたり、社長はほんと……俺の師匠だわ」
楽しそうに言うナチュさんに苦笑い。
台本はなかったよ。けど、社長は敢えてリークしたネタに突っ込んでくるだろう、いじわるな質問を読み切って、私にどう答えるべきか叩き込んだの。
そして……鹿取さんの状況もきっとわかっていて引き入れたんだろうなあ。
大人の本気はえげつなくて恐ろしい。
「ネット中継させちゃうあたり、悪辣ですねえ。おかげで編集して改変するっておきまりの手が許されない状況だ。だからこそ、うちはさらに大もうけ」
「テレビとネットの対立構造も考え物だけどね。その条件を飲んでもらっての会見なんて、なかなかできる手じゃない」
高城さんの渋い顔にナチュさんは笑う。
「いいじゃないですか。メディアは嘘をつくなんて、十代がかかるはしかみたいなものを利用して、鹿取ちゃんも利用して。すべては春灯ちゃんと、深く協力する士道誠心のため。うちのグラスタだけじゃない。あまねく歌や創作物は印象操作で成り立ってるんだ……勉強になるよ、ほんと」
過激な言葉に身体を起こす。
「印象、操作?」
去年、ニュースで話題になっていたワードだった気がする。
「偏向と言われちゃうと、大衆感覚から逸脱してるのかもしれないけどね。みんな日常的に印象操作をしてるんだよ?」
よくわからないでいる私に、向かい側のソファに腰掛けてナチュさんは言うの。
「お小遣いがなくて、渋いお母さんにもらわなきゃ、目的を達成できないとしたら……いつものようにお願いする?」
「……んと。お母さんが納得できるように言う?」
「春灯ちゃんは本当に素直だね。そうだね、知恵を使ってどうにかして目的を達成できるか、あるいは諦めるか考える。お母さんに言うなら、いつものようには話さないよね」
そこでさ、とナチュさんは言うの。
「自分の人生の難易度が大幅に変わる局面で、あるいは自分の願いを叶えるために……なにも考えず、相手にどう思われるか考えずに話すなんていうのはさ。愚かな行為だよ」
逆に言えば。
「みんな誰しも、自分の目的と、その目的によりそう相手に配慮して、相手にとって印象がいいように話すし、行動する。そんなのはさ、当たり前のことだ。そもそも他人にする前に、自分にするだけで、生きやすさは随分と変わるよ?」
なんか……すごく、生々しい話をされている気がします。毒気たっぷりのやつね。
「裏方の話をしちゃえばさ。世にあふれる歌もお話も、見てくれる人の快楽原理に則って作られている。そうじゃないものさえ、そうじゃないものを喜ぶ層に向けて作られてる」
ナチュさん、そう言いながら嬉しそうなの、なんでなのか。
咳払いをしてカックンさんが私の隣に腰掛けた。
「ふー。いやいや、ナチュさん。行動からなにからエキセントリック。会社と山ほどケンカして、それでもファンを掴んでいる人だっていますよ?」
「それもそれで戦略なんだよ。反抗的な記号化を自分に課している。まあケンカはただの社会人としての失敗でしかないだろうし、それを商業に取りこんでるだけだって。あんなのは」
「なんか商売の話になると、ナチュさんってマジで生き生きしますね……やだやだ。春灯、こんなのに染まっちゃだめだよ? オトナの汚れの集大成なんだからな、こういうのは。アーティストっていうのは、商業に染まりきるべきじゃない!」
「いーや、むしろ染まるべきだね! いいかい? 会社員じゃなく、個人事業主で生きていくっていうことはね? 自分を商材にして生きていくしかないんだ……どこまでいってもね! それともカックンってあれ? お金かせいで、いずれは料理店を開いてシフトするつもり? だとしたらもっと染まるべきだよ!」
「お、俺のことはいいでしょ! ちゃんと音楽で食っていくつもりだっつうの! それにそういう話、高校生にはまだ早いでしょ! 春灯はピュアなところもウリなんですから!」
「なにいってんの、さっきの会見みてなかったわけ? むしろどっかんどっかん稼ぐために高校生だからこそ教えるべきだね! 春灯ちゃんにはもっともっと鋭くなってもらいたい!」
「断固死守!」
「一点突破!」
え、えっと……どうしたら?
てんぱる私の首根っこがひょいっと持ち上げられた。トシさんがタバコの匂いを纏って言うの。
「おら、荷物もってちょっとこいや」
「はあ……ふ、ふたりは?」
「ほっときゃいい。高城さん、さっき話した通りだ。春灯ごと、あがっていいか?」
「あ、はい! どうぞ!」
「んじゃ、いくぞ」
荷物を掴んだ私はトシさんに動物のように持ち上げられて移動しながら、そっとふり返ってみた。
激論を交わしているように見えて、ふたりとも楽しそうなの。じゃあ、まあ、いっかな。
でも、トシさんはいったいどんな用事なんだろう?
◆
会社から外に出るとごついアメリカンスタイルの大型バイクがあったの。
お父さんが心待ちにしている超大作RPGの七作目に出ていたような……っていうかそっくりすぎるそれにまたがって、トシさんがヘルメットを投げてきた。
受けとって素直にかぶる。獣耳を伏せてだけど、ちょっと窮屈。私の頭よりおっきなヘルメットだからだいぶマシ。
「おら、乗れ」
「はあい」
素直に従って、トシさんの後ろに乗っかった。カバンを背中にしょって、ぎゅって抱きつくべきか悩んだ時に気がついた。
「これ、写真を撮られたらアウトなのでは?」
「てめえの学校まで一直線だ。別に問題ねえよ」
ふり返らず、エンジンを吹かしてトシさんが笑う。
「ガキに手を出すほど女に困ってねえしな」
「え!? わっ!」
一気に加速したから、あわてて背中にしがみついた。
振動と増していく速度の開放感。横目に見る景色の流れるスピードは、高城さんの車と比べるととびきり早く感じるの。
でも不思議が膨らんでいく。
「と、トシさん! なんで送ってくれるの?」
「学校行事だかなんだか知らねえが、一週間近く休みやがって! ふざけんな!」
「お、怒られても!」
「こっちはな! おまえの歌に飢えてるんだ! ご機嫌なやつ、なんでもいい! つくまで歌え!」
「ええ!? えっと! えっと!」
口を開く。バイクは渋谷へ。私の尻尾はとにかく目立つ。ゲリラライブをしてからの私は渋谷じゃ特に認知されるみたい。テレビもネットも拡散してくれたから、そのおかげ。
みんなの気持ちひとつ……その積みかさねで私の人生はたやすく変わる。そのためにできることはなんでもしろっていうナチュさんの言うことも、そもそもそんな生活の前に私はどうしたいのか大事にするべきっていうカックンさんの言うことも、わかるの。
旅行のとき同様に、私は私のやりたいようにやる。だからって、人に迷惑をかけていいわけでもないし、喜んでもらうのがお仕事なら……みんなの喜んでもらえるように、やりたいようにやるだけ。
「――……」
二月の東京の雪と無縁で、バイクで風を切るからとっても寒い。
構うもんか。しがみついているトシさんの気持ちはとっても熱くて、私が歌う曲を知っていたら一緒に歌ってくれる。高ぶるばかりなのだ。
来週、シングルがでる。そして卒業式が開かれて――……メイ先輩たちが卒業する。
喜んでもらえるように……やりたいようやるの。
◆
ラジオを聞きながら帰るのも楽しいし、トシさんとふたりで歌って帰るのも好きだなあって重いながらお部屋に帰るとね?
カナタが私を見て顔を強ばらせたの。
「……た、ただいま?」
「……タバコ、匂うんだが。仕事か?」
「あっ」
なにか心配されちゃってるみたいだ。
「ううん。トシさんにバイクで送ってもらったの。ほら、あの人ってタバコ吸うからさ」
「――……ふうん」
え。なに、いまの間。
「……あのう。嫉妬してます?」
「してない」
ぷいっと顔を背ける時点でダウト!
カバンを置いて、コートを脱いだ。匂ってみたら、たしかに匂いがうつっていたの。
消臭剤を取ってぷしゅぷしゅしながら、もちろん言ったよ?
「ないない。トシさんとなんて絶対ないってば。私の人気はトシさんたち人気あってこそだし。トシさんたちのファンを裏切るようなこと、絶対しない」
「――……」
いらいらしているカナタにそっと近づいて、袖を摘まんで言うよ。
「なによりカナタを裏切ったりしないってば」
「――……でも、お前から違う男の匂いがするのはいやだ」
「ん。私も。なので……カナタの匂いに包み込んでくれると嬉しいのですが」
ほらほら、と手を開いてはぐ希望ですよ。
私を抱き締めて、深いため息を吐いたの。
「……すまん。余裕がなくて」
「いーえー。島から戻ってきて、なんか煮詰まってるね? どしたの?」
背中をぽんぽんはたきながら、しっかり覚えておこう。
カナタは私の男性関係、かなり不安でたまらなさそうだって。安心してもらえるようにする以上に、カナタが自分自身を安心させられるように、私にできることはないか考えてみよう。
それはそれとして。
「メイ先輩たちに叩きのめされちゃった?」
「予定調和的にな。だが、それは……まあ、みんなで覚悟していた。それよりも、だな」
私の身体をそっと離して、テーブルのうえの本を渡してくれるの。
「台本? 映画のやつだよね? どうかしたの?」
「現場で会う役者さんたちはもちろん、監督たちからも手厳しく指導されて凹み中なんだ」
「あー……」
頷きながら開いてみたら、やまほど書き込まれていた。
「たとえば事前にプランを練って、並木さんとラビと三人で挑むんだが。どうも違う。用意したプランで演技するんじゃねえ、現場は水物だ! と怒られた」
「……ふうん?」
「それで翌日、読み込みはしたが撮影に素のままで言ったら、練習が足りないって怒鳴られた」
理不尽!
「三人のシーンはもちろん、他の役者さんとのシーンでも……あのふたりは慣れていっているが、俺は足を引っぱってばかりいる」
肩口に頭を預けてきた。
弱みをみせないほうがかっこいいとか、強く立ち向かっている姿しか知らない方が楽ちんだとか、いろいろつきあっていなかった頃の理想ならあるけれど。
一緒にやっていこうって決めた今は、もっと知りたいなあって素直に思う。カナタは弱さを抱え込んで暴走しちゃうからね。カナタと一緒にいたい私は知っておきたかった。
「じゃあ……私の主演男優賞さんの演技を見せてください。ね? それで一緒に考えてみない?」
「お前は……仕事終わりで疲れているのに」
「いーよー。カナタとやることなら、私はなんだって楽しんじゃうの。どや、いい彼女やろ?」
「……そうだな」
やっと素直に笑ってくれた。よしよし。
カナタに演技してもらって、なんとなく見えてきた。
ラビ先輩の役はコナちゃん先輩演じるヒロインを翻弄して、ときにきびしくはげしく振り回す。手に負えない、手の届かない……どきどきさせられちゃう人。
対してカナタの役はコナちゃん先輩演じるヒロインを優しく癒やし、寄り添い、けれど思いを伝えられない男の子。脚本が前に見たときと若干変わっているけれど、侍と少女の恋愛物という軸はぶれてない。鬼ふたりの狭間で揺れる乙女心を描くラインも変更なし。
見れば見るほど当て書きしたんじゃないかっていうくらい、ラビ先輩とコナちゃん先輩はまんまなんだけど。カナタの台詞は前に見たときよりもっとずっと、ナンパになってた。
気やすくて落ち着ける幼なじみの男友達っていう設定になっていたの。
だからかなあ。かっこつけちゃうし似合うカナタと、胸の内を晒していそうな気やすさの内側に恋心を秘めて耐えている役の男の子との間に差がある。
なるほど、用意してもっていくカナタの演技は無理に気やすさを表現しようと顔を作っていて、それがいかにもかっこつげたがる男の子に見えて違う。それじゃあ三枚目が前面に出た役の男の子に近づいていない。そういう意味じゃ、練習が足りないとも言える。
言葉が足りてないし、それは自分で気づいてくれなきゃできないでしょっていうハードルと期待と最低限現場で求める要素なのだろう。
プロの世界だからもっともっと細かくて繊細な何かがある気がするけど、とはいえ突破口は見えたかもしれない。
「じゃあねえ。化けてみない?」
「化けるって……なににだ?」
「ほらほら。私ってばよくカナタになんでも話すし、クラスメイトの話もしてるでしょ?」
「……まあな」
「それに心も繋いでいるから、私がどう思っているのかだってわかっているはず。なので!」
ストックしてある葉っぱをカナタのおでこにのっけて「どろん!」と化けさせる。
――……カゲくんに。
鏡で見せて驚くカナタに笑って言うの。
「ほら。ラビ先輩に立ちふさがられて、苦労しながらもユリア先輩への恋に励むカゲくんみたいな流れでやってみない? 私もユリア先輩になるからさ……どろん!」
化けてみせた私に、カゲくんの姿になったカナタが笑う。
「まさか、こういう指導とは」
「名案なのでは?」
「……そうだな。やってみようか」
頷いて真剣な顔をするカナタに「だめだめ。もっと肩の力を抜いて。ほら、カゲくんならもっと自然に振る舞ってみせるよ?」と言って、コナちゃん先輩の役柄を演じてみる。
ふたりだけの夜を過ごしてカナタが満足できたから、ふたりでくっついて元の姿で笑いあった。
やっと日常に帰ってきたことを実感したの。
来週はイベント盛りだくさん。目が回るほど忙しくなるよ。
想像するだけでめまいがするの。お店をまわったりするのわかってるし、収録もたくさんあるだろうし。休んだしわ寄せをもらえるうちが花。ありがたいので励むまでです。
歩みを止めずに進み続けるよ。愚直に前へ。どんなに道のりが遠く感じても、歩き続けるからこそ目的地にたどりつけるんだもの。
高城さんに許可をもらって、自撮りを添えて呟いた。
『そろそろ卒業式の季節。三月がはじまるね? 一年生の私はさみしさふくらむけど、卒業は終わりじゃない。なにかのはじまり。来週、お届けできる気持ちがみんなの幸せにつながりますように』
ツバキちゃんやリカちゃんのリプがきた。
そうだね……ふたりも中学を卒業するんだよね。そして四月になれば同じ学舎にやってくるんだ。
メイ先輩たちだって、士道誠心を巣立って次の場所へと旅立ち、会社に芸能界に活躍の場を広げていく。
続いていくよ、どこまでも。
感慨をもって考えていたら、高城さんから電話がきた。
あれ? いまの呟きまずかったかな、内容だってチェックしてもらったけど。そう思いながらもしもし? って呼びかけたらね?
『春灯、芸能人の黒歴史を晒してお茶の間に爆笑に添えてほっこりしてもらうためのドッキリ番組のオファーがきたんだけど。受けてもいい?』
いろいろ台無しだよ! もう!
だから言ってやったよね。
「是非お願いします!」
ってね!
つづく!




