第四百三十六話
糸使いの先輩に操られた茨をなんとか傷つけないように気絶させて、鬼を制御しきって先輩に迫る。岡島ミヤビの静かな怒りを前に、二年生の先輩は直ちに降参。地図を渡して土の中に飲み込まれて逃げ去った。
ひと息吐いて、茨を起こす。角を生やして赤い闘気を纏った鬼娘。岡島と共に、刀なしでその力を発現できるようになったのは、昨日の話。
まさか突然、すべてを制御できようはずもなく。不安定な己の鬼の制御の確認に、刀鍛冶の手練れを向けてくるとは思わなかったが――……乗り越えられたのは山吹マドカとの特訓のおかげだ。
本物の茨を相手に本気でたたきのめせるはずもない。手なんてあげたくないのだ。断じて。死んでも彼女に攻撃したくはない。舌をかみ切った方がマシだ。
まあ、それでも気絶はしてもらったのだが。その手段を反芻しながら茨の顔を見た。唇が少し腫れている。熱烈な接吻による一撃。我ながら頑張った。よしよし。
揺さぶって起こす。
「茨。茨……起きて」
「――……ううん。んぅ? なんか……すごい辱めを受けた気がする」
「気のせいだよ。いつものことさ。さあ起きて」
我ながらあんまりしれっと言い過ぎるのも問題かもしれないと思いつつ、起きた茨から手を離して地図を見た。
「なんだあ、それ。つうか、ここどこだ?」
「さあ? 気づいたら崖の上にいて、戦いをふっかけられてた」
「そ、そうだよ! 俺――……お前に、その」
赤面しながら俯く茨は順調に乙女になってきている。よしよし。一人称がなかなか直らないが、そこは元より長期戦の構えだ。
「茨。一人称。可愛く」
「う、うるさいなあ。それよりなんだよ、それ」
「地図だよ……四国みたいな形してるね」
「んぅ? まー……そうな。俺ら、いまどこだと思う?」
茨に問われて岡島は周囲を見渡した。
雲が遠くに見える。それほどの高所で息ができているのは鬼の強さのおかげか? いや、酸素の薄さを克服できる鬼とか意味がわからないな。頭を振って、それから眼下を見下ろした。
切り立った山の頂にいるようだ。雲に覆われた地域もあり、そこかしこが雪化粧。いや、遠くに見える島の縁沿いの港町だけ緑が見えた。
他にも龍の頭をした不思議な山が見えるし、妙に豪奢な街も見えた。
「どうする?」
「……そうだね」
およそ四畳半程度のささやかな頂上で格闘戦を成立させた茨と自身の戦闘能力の高さに思いを馳せながら、しかしこの四畳半を軸に茨と愛の巣を築くのもそれはそれで悪くないのではないかと思い耽り、いやそれなら寮の方が圧倒的にマシだと思い直して岡島は茨を見つめた。
「おりよっか」
「今なんか不埒なこと考えなかったか?」
「茨にしては難しい単語を使うね」
「うるさいよ! 俺だってねー! そういつもいつもばかじゃないぞー!」
その言い方が既にばかっぽいんだけども、可愛いからいいやと内心で頷いて岡島は茨を抱き上げる。なんだかんだで嫌がらない茨も茨だと思いつつ。
「いくよ」
「おう! 世界一こわくて早いジェットコースターばりによろしく」
「どちらかといえば紐なしバンジーかな」
「らくしょーらくしょー」
笑って飛び降りた。
酒呑童子。その力にはまだまだ理解が及ばない。それはつまり、まだまだ強くなれるということだ。一端とはいえ手にした力があれば余裕だと感じながら、しかし考え込んでしまう。
地図を渡した意図は? これをどうしろと? 正直、その問題については余裕を気取ることさえできない。この手のゲームじみた課題は苦手だ。
「早く八葉たちに合流しよう」
「あいつら無事だといーけどな」
「……そうだね」
無事だと言い返せたらいいが、正直あまり断言できない。
茨を差し向けてくる二年生の手段は的確で、正直ちょっとえげつない。
けれど昨日の課題を踏まえると、なるほど確かに茨と戦うのが一番、達成状況を確認するのに手っ取り早い。
みんなそれぞれに苦労しているに違いない。そこまで考えてから、岡島は笑う。
「しっかり抱きついていて。急ごう」
「どこいく?」
「気の向くままに」
「おー。どんとこいだ!」
笑って素直に抱きついてくる茨を抱えながら急ぐ。
苦労しているのなら、手を貸せばいい。それだけのことだ。
◆
少しクマのできたラビと刀を合わせながら、八葉カゲロウが必死に抗っている。
その背中を見ながら、しかし仲間トモも結城シロも加勢できずにいた。
俺が――……緋迎カナタが相手をしているからだ、とは言わない。うぬぼれは油断を生むからな。
八葉は初手で刀を返していた。当初の予定では沢城と八葉だけ、異例として刀を返していたのだ。他は――……まあ、それは言わぬが華かな。
対して仲間と結城は二人揃って木刀を与えてある。
ラビと同様に少しクマのできた俺の二刀流と戦っている。
二年生の生徒会役員二人。自分で言うのもなんだが、一年生からすれば共に手強いはずだ。そうでなくては困る。睡眠少なめに出てきた甲斐がない。
「くそ! ……お兄さん、そろそろ俺に負けてくれないっすかねえ!」
「君にお兄さんって言われる覚えはないけどね」
「ふぬぬぬぬ!」
「あはは。まだまだ。これくらいじゃユリアに声を掛ける機会さえあげられないなあ」
ブラコン丸出しのラビはあまりに華奢で、なのに細腕のどこからでるのかわからないほど力を出してくる。ずり、ずりと足が下がる。前に出たいのに、八葉は押し戻されていた。
「妹に構い過ぎってよくないぞ! そういうの嫌われると思います! 適度な距離感が必要です!」
「それなら抜かりはないよ。既に妹の兄への好感度は零に近いからね!」
「威張って言うことか!」
「それでも親代わりだからね! そう簡単に妹を渡せるか!」
互いに刀を放し、全力で切り結ぶ。
激しい戦闘を背に、俺は苦笑いを浮かべた。
「すまんな。あっちは私情だらけで」
「いいえ……くそ。ここまで敵わないか。シロ、もう少しやれる?」
「しょうじき、ちょっと……もう、無理、かな……はあっ、はあっ、くっ! はあ……はあっ」
木刀を抱いて息も絶え絶えの結城は……剣道部で鍛錬を積んでも、正直まだまだ足りないものばかりだ。必殺技を手にしてからの彼は、知恵を回す機会を放棄して縋り付いている。
それは仲間も同様だ。
気持ちはわかる。使えば圧倒できる技というのは、ついつい頼りがちになる。けれど、それはやがて見慣れたものになり、結果として対策されて……遂には打ち崩される。
それではだめなんだ。事実、刀と技を失っただけで元の戦闘力が露呈して行動できない結城を見れば一目瞭然だ。
「なるほどな。昨日の課題が身に染みるね……シロ、刀を貸して」
「だ、だが」
「あんたは……知恵を出して。あたしが全力を出すから」
「……くそ、それしかないのか! ギンなら……」
「シロは沢城くんじゃない。シロなりの戦い方があるはず……あたしも一緒だ」
結城から木刀を受け取って構える。両手を左右に開いて構えて、けれど隙はない。
「堂に入っているな」
「自分より使い手の先輩に言われてもね」
「年の功だ」
「たかが一年」
「されど一年」
にらみ合う。
悪くない。素直にそう思う。
仲間トモの本来の資質は必殺技に頼らないところにあるはずだ。
昨日の課題はそもそも、先生方から提示された。それを元にそれぞれの生徒に二年生や三年生から意見を求め、集めて取捨選択し、一年生の担任の先生方と協議して決定したものだ。
仲間トモ、結城シロ。どちらもその必殺技をいかに封殺し、元々の能力をいかにして高めるかというところに終始していた。
獅子王先生は唸っていたさ。
「彼らにとってあの技がどれほど大事かを思えば、一概にやめろとも言いにくくてな」
見た目や授業で見せる厳しさに気持ちが向かいがちだが、あの人はとても優しい。時に過ぎるほどに。
だがその躊躇いは年下の俺でも理解できる。
事実、あの技は強いのだから……若くて素直に忠告を受け入れにくい時分なら、特に素直に受けいれられはしないだろう。
けれど。
「――……初心に戻るか。仲間友花、参ります」
気迫を込めて斬りかかる仲間の太刀筋には迷いなく、さばきながら笑う。
「いいな」
「笑っていられるなら、まだまだ!」
「なるほど」
油断はなく勝ち気は強い。
遠目に見える結城の表情が曇る。己との違いを認識して落ち込んでいるのだろう。
さて、そろそろ使い時だな。
連続で突き、払い、振り下ろしと乱打を続ける仲間に思いきり左手の木刀を重ねる。軸を合わせての全力。互いの木刀が悲鳴をあげて、手首に痛みが来る前に互いに離した。
笑いながら懐から葉っぱを取り出して叫ぶ。
「――……どろんっ!」
春灯同様に獣耳と尻尾の生えた己の分身、一体。
跳躍して空から落ちてきた刀を取り、もう一本を掴んで結城へ投げる。
「さて……結城。お前は恋人に言われるままに見ているだけか? その心は既に侍ではなかったのか?」
分身の煽りを受けて、結城は受け取った木刀を手に決意の表情へ。
思わず仲間が呼びかける。
「シロ! 無理は――……」
だからこそ、男の心は奮い立つ。
「無理でもするさ! キミに守られるために、刀を手にしたわけじゃないんだ!」
切っ先を分身に向けて、結城が吠える。
「僕は! 戦うために刀を取った! 強い男になるために、この道を選んだんだ!」
足は震えている。
構えは仲間だけじゃない、剣道部の他のどの部員からしてもまだまだ未熟に過ぎるだろう。
生え抜きだらけが集まった一年九組において、彼はまだまだ下から数えた方が早いに違いない。
けれど。
「みっともなくても、まだまだ弱くても! 僕は――……侍だ!」
その志は強く、気高く。
分身を睨みつける顔は――……確かに武士のものに違いない。
我が後輩だ。愛すべき後輩に違いないのだ。
「どうした。仲間は手を止めるのか?」
「まさか。彼氏に惚れ直していただけです――……刀は一本の方が得意ですよ、あたし」
「奇遇だな。俺もだ」
互いに笑いあい、構える。
木刀を重ねながら――……導く。
もっともっと、技に耽溺することなく精進できるように。
仲間と結城の気迫は届いたか。
「あっちが真面目になったから、こっちも真剣にいこうか……ねえ、八葉くん」
「はあ、はあ……くそっ、全然疲れてねえでやんの。ったく、なんすか」
ラビと八葉のみっともないケンカが終わったようだ。やれやれ。
まあ……俺もコバトによくない男が付きまとおうものなら全力で止めたくなるから、ラビの気持ちはわからないでもないのだが。
春灯の弟がその気だと聞いて複雑だし、兄さんがよりこじらせているのは複雑なのはさておいて。
「君の刀の先を探してみようよ。ユリアを救う――……そのために得た絆の結晶は確かに尊く美しいが。君の願いはもっと単純で素直なものだ」
「……ええ?」
「ユリアへの気持ちは本物かい?」
「……言ったら俺、殺されません?」
「まあ、今回は我慢するよ」
「含みがあるなあ。まあ……本気ですよ。あんたが相手でも折れないくらいには」
「実際、諦めないよねえ」
仲間と結城の相手を全力でしている横で火花が散っているのはどうしたら。
「まあ、だからこそ素直に……君の刀はユリアのためにあるわけだ。今の姿はたぶん、仮の姿なんじゃないかなあ」
「……その答えを出せって? ここで?」
「できなきゃ……そうだなあ。冬休みが終わるまで、妹に近づけないくらいの仕込みをしちゃおうかなあ」
「わりと本気で嫌なんでやめてくれません?」
「いやいや、無理だよ。愛する半身を奪おうとする男を前に寛容になれなんて」
「えっと、えっと……娘さんを俺にください!」
「いろいろすっ飛ばしすぎじゃない?」
「でも! 要するにそういうことなんで!」
「じゃあきみ、ユリアの食費の面倒みれるのかい?」
「えっ」
「あの子の食費、一日で万は越えるよ」
「え……え?」
「大食い店に行かせてみたらはまっちゃって通ったら出禁になってさ。そういうお店が増えてるんだよね。最近はもっぱら、あれ。ミシュランにものったラーメン。いや、もはやラーメンじゃないな、あれは。マシマシ特盛り十杯は余裕だよ!」
生唾を飲み込む八葉。そこじゃない。突っ込んでいいところだ。なぜ食費なのかと。
そしていくらなんでもユリアにあの店のマシマシ特盛り十杯って。
もはやそれは人じゃないだろ。
明らかに胃袋よりもでかいぞ? ちょっとした子供くらいの重さにならないか?
ラビ、八葉にふっかけたいんだろうが、冷静になれ!
同じブラコンとしても、それはちょっと目に余るぞ!
しかしラビの暴走は止まらない。
「きみにユリアの食費の面倒が見れるのかい!? 養えるのか! どうなんだ!」
とうとうそんなことまで言い出して。
妹を思う少年を前に、兄はこうも愚かになるのか。
そして……寝不足は人をこうも変えるのか。
恐ろしい。気をつけよう。コバトに嫌われる気がするから、気をつけよう……。
「くっ……バイトでもなんでもして、俺が面倒みてみせます!」
八葉、落ち着け。そうじゃない。
「冷静に考えてみるんだ。一日で一万を越えるんだぞ? 一ヵ月で三十万。一年で三百六十万! はっきり言おう! 十代二十代でそこまで稼げる職につけるのかい!?」
「えええええ! しゅ、就職問題!?」
「はっきり言おう! いまのキミでは相当厳しいと言わざるを得ない! なにせ手取りで年に三百いかない職なんて結構あるからね! そんなキミじゃ、そもそも生活が立ちゆかない額だぞ! きみの食費はどうなるんだ! もやしで食いつなぐとでも言うつもりかい!? そんなんで三百六十五日働けるのかい!?」
ラビ! しれっと年中無休で働かせようとするな!
「くそっ! なんてことだ……俺には無理なのか!?」
おののくな、八葉。落ち着け。ラビは寝不足でどうかしてるぞ。
「あの子は芸能活動をはじめたが、それでまかないきれるか!? 今まで誰があの子の食費の面倒を見てきたか! 考えてもみろ!」
「お、お兄様!」
「わかるか!? この苦労が! しかも今の素敵体型で留まると思うか!? ある日、気がついたら一瞬でぶくぶく太ったら!? キミは愛せるのか!? まるまると可愛らしくなったユリアを! 僕は愛するけどね! 当然だけどね!?」
「なんて現実的で高いハードルなんだ! しかしユリア先輩がどうなろうと、俺は愛し抜くと誓います! ぽっちゃりもみけぽちゃでも、どんとこいだ!」
言い合う二人の話があんまりにも……。
「いい加減にして! 誰がぽっちゃりですか!」
頭を抱える八葉とハイテンションになっている寝不足のラビの頭に拳が振り下ろされた。
「「 いったい!? 」」
「……あまり人の話で、しかも嫌な話で盛り上がらないで……ほんと、どうかしてる」
むっすぅと不機嫌そうな顔をしたユリアがいる。クマはない。すっきりした顔で立っていた。
いや、しかし……どうかしてるの一言に尽きるな。しみじみ思う。
「兄さんひどい。そもそも私たちは緋迎家と……お上からお金をもらっている。兄さんが働いて稼いだわけじゃない」
「でも僕が管理しないとユリアが使い込むじゃないか」
「バイクだシオリの活動費だなんだとお金を使い込むのは兄さんの方。先月の請求みてぞっとした。さすがにソウイチに報告せざるを得ない。あとでこってり絞られて」
「……すみません」
「だいたい、私に気持ちを寄せてくれる男の子の前で太るだのなんだの、デリカシーない。冬休みまで口きいてあげない」
「そ、それだけは!」
「ならもう一生言わないで。私がこれでも地味に毎日、一生懸命走っていることを知っていて、それはあまりにも酷い言いぐさ。縁を切ってもおかしくない。おわかりになりますか?」
女子の敬語ほどぞっとするものはない……。
「ほ、ほんとにすみません」
「ふん……今はそれで我慢することにする。ただし、二度目はないから」
「わかりました……ほんと、すみません」
ラビがユリアに負けた。
「八葉くんも。変なテンションに巻き込まれて、変な約束しないで? 私と話してからにして」
「……すみません」
八葉は瞬殺だった。
「どんな姿になっても気持ちを向けてくれるというのは嬉しいけど、そこで出された単語はね。体型を気にしている女性にとっては、その状態がどうであろうとも禁句だよ?」
「う……」
「キミはもう少し……気にして欲しいから言うね? 私の悩み」
「ゆ、ユリア」
「兄さんは黙ってて」
「……はい」
なるほど。妹を思い暴走して怒られたら、兄の扱いはああなるのか。覚えておこう。
「こっちに集中を!」
「奪えないなら、たたみかける!」
仲間と結城のボルテージが増していく。
しかしコナタとの一昼夜に渡る試練でだいぶ気持ちにゆとりを持てるようになった。
十兵衞のおかげだな。抜け目なく視野を広く、すべてを受け止め理解し分析する。
その能力あればこそ、手抜かりなく二人の剣士の相手をしながら話を聞ける。
翻せば二人はまだまだだが――……それは俺も御霊に力を借りていればこそ、成立する部分もある。主にラビたちの会話を聞く余裕にのみ使っているのだが。
「オロチを宿して刀を折ってからも、私の食欲は止まらなかった。寧ろ増す一方。お酒が飲めれば少しは軽減される気がするけど、ね。未成年だし、なにより見ての通り兄がうるさいからそれは無理」
「な、なるほど」
「陸上でひたすら走っているのは、体型維持のため。コナにも――……私の刀鍛冶にも結構気を遣っていろいろメンテしてもらっているの」
「そうなんすか」
「ええ。だからお願い。私の体型について話すなら――……褒めて。余計なことは言わずにね。無茶なお願いかもしれないけれど、できる範囲で構わないから」
嫁の宣言、或いは取扱説明書かな?
あるいはそれは、少女の純粋な願いなのかもしれない。
「それなら楽勝っす!」
「キミなら……私も信じられるから」
「ユリアぁ……」
「兄さんは黙ってて」
ほんとに容赦がない。哀れ、ラビ……俺も気をつけよう。コバトに敬語で怒られるのは、いやだ。絶対に、いやだ。
「それにね? そもそも、あの手この手で食費はおさえてるの。だっていうのに、一日一万円以上かかっているって? 失礼にも程があります。食費が一万円以上だなんて、あり得ない。いくらなんでも言い過ぎだし、話を盛りすぎ」
「「 ほ、本当に? それにしちゃあ、かなり食べているような…… 」」
「何か異論でも?」
「「 な、なんでもないです 」」
「よろしい」
女は男を目で殺す……。
「八葉くん……こんな場で兄さんに巻き込まれて大事なことを言わないで」
「あ……」
「誓うのだって早すぎる。私に言うべき事が山ほどあるはず。そういうのを疎かにしないで……ちゃんと、最初から、ぜんぶ私に伝えて? あなたと一つずつ進んでいきたいよ、私は」
「ユリア先輩……」
八葉、陥落。
「兄さん、彼の相手は私がする」
「「 えっ 」」
「そもそも兄さんはマドカちゃんの相手をするはず。カナタも押し切られたんだろうけど……兄さんと二人そろって、あとでコナにお仕置きしてもらうから」
ずうんと気持ちが沈んだ。足が重たい……っ!
「さあ、八葉くん。私に合わせるんじゃない。あなたの――……私への気持ちを示して。私に合わせるんじゃない……あなただけの心の形を見せて。私が大好きになる一振りを……偽刀じゃない、影打ちでいい。あなたの一振りを抜いてみせて」
「――……はいっ!」
殺し文句を放って八葉の本気を引き出したユリアに肘で突かれて、しょぼくれたラビがこちらを見た。頭を振る。結城と仲間の気持ちはこれだけの話にもめげずに切れていないから、相手はできない。申し訳ない……。
互いに一本を取られたら終わり。その時はきっと、すぐに訪れるだろう。
そして八葉も心配いらない。この調子ならば……。
問題はむしろ――……他の部隊だが。さて、様子はどうか。
◆
膝まで凍っていく。
寒くて震え上がりそうだ。
くそう、鼻が利くだろうとか言っていたけど。匂いを辿ってきたら仲間どころか強敵の元に辿り着いちゃったよ! もう! ばかばか!
なのに「ハルちゃんの雪像も悪くなさそうだ」と語るシオリ先輩はちっとも寒そうじゃない。
そもそも気になっていた。技をどれほど使っても、ルルコ先輩が寒そうにしていた覚えがない。倒れちゃって指先が凍っていたあの時くらいかな。
刀は心。なら、氷を心の具現化の結晶に変えるルルコ先輩やシオリ先輩の心って、どんなものなんだろう。
わからない。ただ――……このままじゃ、それを知ることさえできずに終わっちゃうに違いない。やだな。それはいやだ。
どんどん凍り付いていくけれど、堪えて口を開いた。
「どろん!」
葉っぱをお父さん愛用のラジカセに変えて、曲を再生する。
「お?」
特徴的なギターソロ。私よりもむしろお母さんが大好きなバスケ漫画のオープニングになった曲だ。
できる。できる! 私はできるよ!
「くぉおおおおん――……!」
胸一杯にため込んだ息を鳴き声に変えて鳴いてから、歌う。
テンションあげていくんだ。心を燃やして、山ほど金色を放つ。
氷を溶かす。吹雪の中でも負けない炎をたぎらせて、歌って歌って歌い抜いてやる!
「――……!」
足の氷を溶かして飛び退いた。
四肢を雪に突き立てて、思いきり尻尾を膨らませる。
尻尾をたてろ!
がんばるぞ! どこまでも!
これしきの吹雪にめげたりしないから!
「むしろ歌に合わせてアームドギアみたいなのをまとえたら、ハルちゃんに似合いそうだね?」
笑いながらルルコ先輩の香りを纏って刀を振るう。
氷のつぶてが浮かんで飛んできた。
飛んで、避けて。避け抜いて。それじゃだめだとばかりにシオリ先輩が刀を掲げる。
「まだまだ熱すぎるなあ……でもね? ボクの世界はさ。もっともっと――……寒くないと」
吹雪の勢いが増していく。真っ白に包まれていく。
前が見えない。音が消えていく。歌声が奪われていく。
ど、どうしよう。
前も後ろもわからない。
ただただ白の中に取り残される。シオリ先輩さえ見えなくなっちゃった。
な、なにこれ。ど、どうしたら!?
『地に足はついておる! 耳を研ぎ澄ませ! 錯覚に溺れるな!』
タマちゃんの叱咤にあわてて獣耳に意識を集中した。
だけど風の音が強すぎる。ささやかな呼吸さえ、まぎれて聞こえない。
動揺に化け術が解けて葉っぱが飛んでいきそうになる。あわてて掴んだ。
身体が凍えそうなの。
「そうそう……これくらいじゃなきゃ。思い出すなあ――……ボクはね? 物心ついた時にはもう、親がいなくてさ」
睫毛が凍る。指先がかじかむ。
ルルコ先輩の香りのしない方から声がするのは、なんで。
「なんでかなあ。雪が好きでさ。新潟には特に長くいたっけ。ダムのある山奥の場所でさ。吹雪くほど、妙に気持ちが安らぐんだ……」
あちこちから音が聞こえてくる。シオリ先輩の声も。香りが風に舞って、方向感覚が掴めない。
「いろんなことをしてきたよ。でもね……パソコンを弄っている時と、吹雪の中にいる時が落ち着くんだ……熱の良さはコナに教えてもらったっけ。それでもね?」
つぶてが四方八方から飛んできた。だけど白にまぎれて見えなくて。嬲られることしかできない。
「ううううっ……」
「やっぱり……ここがボクの居場所だなって思うのは、どうしてかな」
痛いのがわからなくなるほど、寒くてたまらないのが怖い。
これが当たり前だと思えるシオリ先輩の世界がたまらなく厳しくて、切なくて。なのに圧倒的に美しい。
ここには混ざり物の介在する余地がない。純白で純潔。圧倒的に孤独で穢れる余地のない世界。
私の金は白に飲み込まれて消えそうだった。
黒なら? 塗りつぶせるかもしれない。その方法も既に掴んでいる。
やる? やるべき?
気持ちが燃えない。消えそうだった。折れるんじゃなく……受け入れたくてたまらなかった。
あまりにも悲しいからこそ、尊くて切ない。
いろんな人に会ってきた。特に士道誠心に来てからは、それぞれと深く関わることが増えて……知っていく。
みんなそれぞれに、度合いは違うけど……つらくて重たい何かを抱えている。途方もなく明るくみえている人さえ、そう。何気なく単純な悩みしか抱えてない人もいるけれど。それぞれにそれぞれ、無邪気に気軽に……或いは重たく抱え込みながら、自分と付き合い生きている。
シオリ先輩は苦しんでいる気配がない。悩んで嫌がっている感じでもない。ただ受け入れている。だからこそ、この世界は素晴らしいのだと思う。
変える必要も変わる必要も無い。
本人が受け入れている世界を他人がどうこうしようなんて――……そうか。染めるのなんて、確かにおこがましいんだ。
いつか邪の自分の刀を受け入れた時のように――……すう、と息を吐いた。
尻尾の毛先が凍っていく。
シオリ先輩の力が真っ白に塗りかえるほどの極寒の世界にあるのなら?
ああ。トシさん、ナチュさん、カックンさん。冬の歌ももっとたくさん作りたくなってきた。ツバキちゃんに伝えたい気持ちがまた増えた。
でもいまは……私の手持ちに似合う曲がないから。
お父さんが大好きなマシンロボアニメの歌を歌ったことのある歌手の曲を借りよう。
雪に包まれながら手を伸ばす。
サウンドは――……雪の結晶が擦れあい、囁きあう音だけで十分。
「――……」
シオリ先輩に届くように。必死に手を伸ばす。
どんどん風は厳しく冷たくなって、否応なく冬を感じさせられるの。
だからこそ――……シオリ先輩に近づける瞬間は、今なんだ。
「――……」
燃やさない。漆黒に浸らない。あなたを溶かしもしないし……凍らされもしないよ。
ただ……ただ、シオリ先輩を愛しく思う。大好きになるの。教えてくれた話にはきっと、意味があるはずだから。
近づいた距離の分だけ、シオリ先輩と一緒に頑張っていける気がするの。
こんな瞬間を重ねていけばその分だけ、一緒にいられる未来が深まると……祈るよ。
「――……」
毛が凍っていく。金が白金になって、きっと傷だらけになってもおかしくないだけの雪は……寒さはけれど、私を傷つけない。つぶてはやんで、後はもう……包み込んでいくだけ。
シオリ先輩の霊子は私を冷やしていく。
なら――……ならきっと。こんな瞬間にはバラードがよく似合うはず。
甘えるんじゃなく。弱さをなじるのでも、責めるのでもなく。
やってきた、わかりあえる季節が――……冬なんだ。
「――……」
ただずっと……一緒にいたいという気持ちを歌う。
雪の華が積もっていく。
もしかしたら結晶の一つ一つがシオリ先輩の積み重ねた人生の固まりなのかもしれない。
そう思ったら……溶かすことなんてできないよ。
「――……ずっと、一緒だよ」
歌いきって、囁いた私の手を包み込むの。
真っ白の中から現われた――……白に染まって儚く繊細な、ルルコ先輩の香りを纏ったシオリ先輩が微笑んでいたの。
「そう言ってくれると思った……よく、自分の選んだ道を迷わず貫けたね」
「シオリ先輩……?」
不思議でならなかった。私の知るシオリ先輩は、そんな風には言わない。
優しいけど、不器用なシオリ先輩よりも、むしろこれは――……。
「ハルちゃんは本当に、お助け部の誇る大事な一員だね……私たちの、かけがえのない後輩だ」
シオリ先輩がふっと息を吐くと、吹雪がやんでいくの。
白が途絶えて、空から光りが差し込んでくる。あたたかい。とても……。
なにより、シオリ先輩が抱き締めてくれるその熱が、とても優しいの。
「優しい子……あなたはそうやって戦っていくの。相手を認めて寄り添っていくんだよ」
香ってくるのは……ルルコ先輩と同じフレグランス。
甘くて優しくてどきどきする……ルルコ先輩しか使わないはずの、魔法の香り。
他の誰も纏えない、世界でただ一人にだけ許された匂い。
なら、ここにいるシオリ先輩は――……?
「時に刀を振るう時がくるかもしれない。身を守るために立ち向かう必要があるかもしれない。けどね? ハルちゃんは……こういう道を選んだっていうことを、どうか忘れないで」
「あ――……」
「これが……私たちの残せる、あなたへの贈り物。大事にしてね?」
まばたきをした。
「ルルコ、先輩?」
「ふふ」
一瞬だけ風が舞って、思わず瞼を伏せた。
目を開けた時にはもう、そこには誰もいなかった。
香りも風に溶けて消えていくの。
「え――……」
ざく、ざく、と雪を踏む音がしてふり返るとシオリ先輩がいたの。
いつもの、見慣れた――……私のよく知るシオリ先輩が。髪の毛も化粧もあまりしていなくて、眼鏡もかけた……いつものシオリ先輩が。
じゃ、じゃあ――……ルルコ先輩が、私に会いに来てくれたの? いつから? どこからなの?
「破られちゃったか、ルルコ先輩とボクの結界……あれ? どうしたの? 不思議な顔して」
「え……だ、だって、いま」
「ん? ……ああ、唐突な自分語りはやりすぎだったかな。混乱させちゃった? いやあ、ルルコ先輩に促されてやったんだけど。ハルちゃんならまあいいかと思って――……わっ!? ど、どうしたの? 急に抱きついて」
わからない。わからないよ。
ただ、こうせずにはいられなかったの。
泣きそうで、たまらなくて。
注がれた愛情の意味を噛みしめるだけじゃ、今の気持ちはおさまりがつかないの。
大事に思ってもらうこのぬくもりを、その意味を――……抱き締めながら、私は生きていくんだ。意地を張って、自分の思い通りに日々を……周囲を塗りつぶしていくんじゃなくて。
寄り添う人たちのことを見て、歩み寄って……相手を感じながら、生きていくんだ。
「ルルコ、先輩が……好きだな、って」
「ああ――……うん。そうだね……ボクも同じ事を思っているよ、毎日」
シオリ先輩が私をぎゅって抱き締めてくれたんだ。
「その様子じゃ、ボクが……去年もらったように、ハルちゃんも贈り物をもらったのかな」
涙が溢れて止まらなくて、必死に頷いた。
「じゃあ、大事にしてあげて。きっとハルちゃんの助けになるから」
何度だって頷きながら、思ったの。
――……ああ、やだな。
先輩たちが、卒業しちゃうの……やだなあ。
さみしいよ。こんな気持ちが真っ白になって――……雪にまぎれて太陽に溶かされていけばいいのに。
あなたたちと毎日……ずっと強く、そばにいられたらいいのに。
「……ほら。落ち着いて。しゃんとして? ハルちゃんには笑顔が一番似合ってる」
私の目元を拭って励ましてくれるシオリ先輩にお礼を言って頷いたの。
なんとか泣き止んでから、深呼吸をして落ち着くとシオリ先輩が不思議な金の円盤を差し出してきた。
「じゃあ……これを持って。みんなを探してごらん」
「……これは?」
「きっと役に立つから。ね?」
「……シオリ先輩、どこかにいっちゃうんですか?」
「他の補佐をしないとね。ほらほら、そんなにさびしそうな顔をしないで。キミの仲間を探しにいっておいで」
背中を叩かれて思わずつんのめった。
強い雪風が舞い上がって思わず目を閉じた。風がやんでふり返った時にはもう、シオリ先輩はいなかったの。
鼻を何度も啜って目元をごしごし拭ってから、私は雪の積もる丘を歩き出した。
ルルコ先輩の香りはもう風に溶けて消えていたよ。だけど覚えている。それに……また会って、絶対抱きついて確かめるの。卒業しても縁が切れるわけじゃない。そう自分を励まして、必死に進む。
早く誰かに会いたくて。先輩のくれた金色を握りしめて、ただただ前へ突き進むの。
ルルコ先輩が届けてくれた宝物を心に宿して、笑顔でいくんだ。
仲間の元へ、なるべく早く急ぐの。
きっとどこかで見てくれているに違いないから。
大好きなあの人たちに、見せたいのは――……私が前向きに立ち向かう姿なの。
つづく!




