第四百二十九話
お部屋に戻ってみると、布団を蹴飛ばしたアリスちゃんが茨ちゃんの上に乗っかって大の字で寝ていました。
うわ幼女すごい。寝癖やばすぎる。
「う、ううん……」
うなされた顔で寝ているクラスメイトをほっておけなくて、アリスちゃんを抱いてお布団に移動させた頃になって、十組の男の子がやってきた。
一緒に岡島くんが顔を覗かせたんだけど、
「茨ちゃん、寝てるよ?」
「……そう。なら、青澄にこれ渡しとく」
そっと差し出されたのは骨っこだった。思わず目を見開いちゃったよね。
「緋迎先輩と作り方を考えたの、僕だから。一応、念のため」
「あ、ありがと」
後で作ろうと思っていたんだけど、そういえば今日は時間に余裕がないのだった。
そろそろ就寝時間だもんね。おやすみ、という岡島くんに返事をしてお部屋に戻る。
ユニスさんのそばに立っているミナトくんが言うの。
「いやー。ボドゲ持って来れないのはマジで失敗だったわ。トランプしかねーの」
さっと出したトランプに目を向けた。
真っ先に思いついたのは大富豪。女子四人の男子三人で計七人でやると、三対三で最上位と最下位のカードの分け方が三枚ずつに。大貧民になろうものなら、かなりハードな戦いになるよね。
「まあでも……それよりちょっと、のんびり話してえなあと思って。これは封印な」
「あなたにしては珍しい提案ね」
「お。なんかレクリエーションくらいはやるべきか?」
「だめ。二人寝ている人がいるんだから、静かに」
「……んー。どこかにうつるか?」
その言葉にみんなで顔を見合わせた。
寝息を立てるアリスちゃんと茨ちゃんを起こしちゃ悪い。
けど館内はそこそこ寒くて、正面フロアも食堂も、長話をしたら冷えちゃうに違いない。
キラリが呟く。
「湯冷めするのもなんだしな……あんたたちの部屋は?」
「三人部屋だぞ。ここより広くはないけど……まあ、話すくらいならそっちの方が都合いいかも」
ミナトくんの返事にキラリが頷いたの。
「よし、じゃあ……話したい奴はそっちへ移動。寝たけりゃこっち」
それ、あれだ。部屋を移動してねむたくなったら、移動先で寝ちゃう奴だ。
「あたしは行く。リョータも付き合え」
「う、うん」
「コマチとトラジは?」
「移動、する」「もちろん俺も」
「ユニス、ミナト」
「私は……そうね。食堂で紅茶の残りを探してくるわ」「なら、俺も付き合うよ」
「なるほど……春灯はどうする?」
十組のみんなの行動を確認してから聞いてくれるの、地味に助かる。
「私は寝よっかな。みんなで行ってきてよ」
「わかった。じゃあいくぞ、起こす前に」
キラリが囁いてみんなをそっと促した。出て行く十組のみんなを見送って、お布団に入る。
割とすぐに眠気がやってきたから、ほっとした。気持ち健やかに寝られそうだ――……。
そうは問屋がおろさなかった。
「ふぐっ!?」
鳩尾に衝撃を覚えて目を開けると、アリスちゃんが踵を振り落としてきてたの。
い、いつの間に移動したの? 疲れすぎて気がつかなかったよ。
本当に寝相が激しいんだなあ。
幼女は自由奔放、とかいいそう。
ぐるぐる巻きにしても部屋の中を自由に無邪気に寝転がり回るに違いない。
とりあえず毛布を一枚、アリスちゃんのお布団に追加して、窓際のフロアへお布団をそっと移動。寝かせるだけじゃ不安だから、ちびのわんちゃんに呼びかける。
「お願い、アリスちゃんを見ていてくれる?」
「わふっ」
軽く鳴いて、アリスちゃんに寄り添ってくれた。
熱に気づいてわんちゃんにアリスちゃんが抱きつく。そして気持ちよさそうに頬ずりをして大人しく眠り始めた。
よしよし。部屋のエアコンを設定して、一時間だけ暖房をつけておく。万が一にも風邪をひいちゃったらよくないし。かといって喉が乾燥しちゃうとよくないから、悩ましい。
そこまでして動いたら、当然かもしれないけど目が冴えちゃったよね。
部屋の扉を開けて、そっと夜のお散歩に出かける。
獣耳に聞こえてくる。いろんな部屋での囁き。楽しそうだけど、元気な声はあまりない。みんな程よく疲れているに違いない。
私もそうだ。廊下の明かりは落とされていて、最低限の照明が薄らと照らしているだけ。
食堂や正面フロアに顔を出したけど、ちっちゃなわんこはどこにもいて、だけどくっついて囁きあう恋人たちの邪魔をする気配はない。ある程度のお目こぼしをしているんだ。
またしても実感。
カナタは先輩で、一学年のイベントになると距離ができちゃうんだって。
スマホがあれば連絡できるのになあ。
結局、歩き回っている内に身体が冷えてきたから、開き直ってもう一回、大浴場に行くことにした。
服を脱いで中に入ると、誰もいないの。
ヒノキ風呂を堪能できるかも、と思って外に出たら、先客がたった一人だけいたの。
眼鏡を掛けて鼻の下まで湯船に浸かっているボブの女の子だ。
目が合っちゃったから、軽く身体を流してから「入ってもいい?」って聞いたの。そしたらね? 胸の上まで湯船から出して頷いてくれた。
「柊は別に相席上等派ですよ」
と言われました。ちょっと独特。でもいっか。
「じゃあ失礼して……はふ」
尻尾がお湯を吸うけど、気持ちよさで気にならない。
お湯がこぽこぽ流れ続けていて、耳に心地いい。
夜空が綺麗だからそれだけで、いつでも入っていられる気持ちになるの。
縁に背中を預けて深呼吸していたら、視線を感じた。
眼鏡の子が私を見つめていたの。
「……青澄春灯さん、ですよね?」
日下部さんに続いて二度目だ。素直に頷くと、彼女が近づいてきた。そしてじっと目を覗き込んでくるの。すごく、あの……。
「ち、近いです」
「まさかあなたに会えるとは思っていなかったので……聞きたいことがあります。いいえ。確かめたいことがあるんです」
胸に手を当てられた。
「記憶、みせてくれませんか?」
思わず瞬きをしたよね。その提案の意味を考えて、思い当たるのは……彼女が刀鍛冶で、同じ刀鍛冶のカナタが私にすること。
霊子を繋いで相手と深く繋がり合う。
結果的に相手の記憶や思考さえ共有する、刀鍛冶にしかできない技。
でもほぼほぼ初対面の同級生にさらけ出せるほど、オープンな性格じゃない。
「ご、ごめん。そういうのは、ちょっと……」
「仲良くならないとだめですか」
ぐ、ぐいぐいくるなあ。
「ま、まあ……そうだね。最低限、親しくないと無理かなあ」
視線を逸らして言うのが精一杯だった。
「……交流を深めるの、苦手で。そういえば名乗っていませんでしたね」
曇る眼鏡に気づいて外し、私から手を離して距離を取ると彼女は言うの。
「改めまして、青澄春灯さん。柊は……柊レンカといいます。あなたの恋人、緋迎カナタの兄……シュウさんのいる侍隊で彼のそばで働く姉がいて、その、つまり、なんていえばいいか」
眼鏡を手にわたわたと喋る柊さんは、どうやら人と話すのがそもそも苦手みたいだ。
親近感が湧いて、それから見つめてみて――……ふと思い出した。
あれはいつだったろう。
カナタに誘われて、ソウイチさんの喫茶店に行ったことがある。あの時、シュウさんについて私に怒ってきたお姉さんがいた。シュウさんにお世話になっていて、大好きそうなお姉さんが。
気づいてみれば、柊さんにはあのお姉さんと似た顔立ちだった。
「……もしかして、その。お姉さん、最近へこんでない?」
「なぜご存じなのですか? 柊の姉が失恋したことは、まだ誰にも言ってないのですが……友達いないので」
お、おう。
まさかの二連撃。普通おどろいても言わないことまで言っちゃうあたり、やっぱりこの子は独特なノリの子に違いない。
あと……なんだ。求めて行動する限り、いい出会いがあるよ、きっと。
「青澄さん、金色の光を出すことといい……あなたは超能力者か何かですか。御霊はさとりですか」
最近もう聞かないよね。さとりって。
世代の前につけてる風潮があったっけ。私はむしろお父さんの好きな漫画の中にある、心の声がダダ漏れになっちゃう病気の方がぴんとくるけど。それだと意味が逆転しちゃうかな。
「じゃあ、まずお友達になるところから」
「なったら記憶をみせてくれますか」
「……いやあ。それはちょっと」
落ち着いて考えて欲しい。どういう話の流れでその結論になるのか教えて欲しいよ!
そ、そうだ。それを聞けばいいんじゃない?
「どうしてそんなに知りたいの? もしかして課題だったりする? それならその、やむをえない気がするのですが」
それとなく誘導も織り交ぜて聞いてみたら、柊さんは何気なく言うの。
「あ、いえ、課題とかじゃないんですけど」
それたぶん、言わない方が楽に目的を達成できたと思うの。
「強い霊力の持ち主に興味があるんです。一年生だと沢城ギン、仲間トモ。彼氏の結城シロさんは彼女に比べるとまだちょっと未完成気味。それならむしろ岡島、茨両名の方がいいですね。あとは月見島タツキさんはかなりやばいです。あとあと――……」
マドカとは別種のマシンガントーク。私はむしろマドカより馴染みのあるまくしたてだとすぐに気づいた。
オタ話する時のお父さんとお母さんにそっくり。
要するに、あれだ。柊さんって……。
「ごめん、一つ聞いていい?」
「――……え、と。なんです?」
「侍候補生オタク?」
「失礼ですね。隔離世オタクと呼んでください」
どや顔で言う柊さんを見て、私は笑みを浮かべながら思ったの。
これはまた、なかなかの人物が出てきたぞ。
ナンパで気さくで褒めてくれる泉くん。情熱家で水着を用意しちゃうくらい活発的でしかも貪欲な肉食タイプの日下部さん。そして……隔離世オタクの柊さん。
「それで、ですね。彼女がいる男性陣はさすがにガードが堅くて難しいです。そこで女子を、と思ったのですが……みなさん、ぎょっとされて付き合ってくれないんです。人当たりがよくて女子には特に優しい仲間トモさんですら、え、なんで? と仰って取り合ってくれませんでした」
そうだろうなあ……。
「霊力の高さの仕組みを解析して数値化することができれば、刀や御霊の強さ、そして御霊や刀の強化の仕方や真打ちの効率的な解放手段が具体化できるかもしれません! 侍候補生の総真打ち化が柊の在学中の夢です! お付き合い願えますか!」
「う、うん。その理想は素敵だと思うんだけど……近い」
「山吹さんとはよくくっついているのを寮の大浴場で見ます! これくらい、いいのかと!」
しまった! 同性ゆえにばっちり目撃されとるがな!
いろいろツッコミ処や言いたいことはあるけど、ぐっと堪えた。
「な、仲良くなったらね? 今はまだ、ほら……友達になりたてだからさ」
「具体的に何日経ったらいいですか?」
う。日下部さんとは違う形の肉食だ。気をつけろ!
「えっと……」
「じゃあじゃあ、何かしたらありですか? マシンロボの試作品をみせればいいですか? それとも、霊子で柊が何か作ったらいいですか?」
提示された誘い文句の強烈さがひどい。
「――……その誘い文句はずるいかも」
いや、だめだ、落ち着け。友達になるつもりなら、一方的に何かさせるのはちょっとおかしい。魅力的であることは間違いないけれども!
「えと。そういう方法じゃなくて。もっと普通に……一緒にお風呂入っているわけだし」
「背中ながしましょうか!」
「いやもうそれ友達っていうより、ご奉仕されてる側だよ! それよりは、えっと」
なになにどうすればいいの、と。目を輝かせて顔を近づけてくる柊さんはまるで犬のようだった。わんこを見たばかりだから、余計に連想しちゃうなあ。
そしてどうも、胸を擽られるの。
『近しい匂いを感じるのう』
わ、私こんなじゃないよ?
『もっと根源的なものじゃ』
……ううん。もう。しょうがないなあ。
「じゃあ、私が背中を流すからさ。ゆっくり、柊さんの話をしてよ。これまでのこと、これからのこと。夢とか希望とか。私も話すからさ。のんびり一緒にお話しよ?」
「は、はあ。そんなのでいいんですか?」
「普通、記憶っていうのは繋がって直接みるんじゃなくてさ。語り合って共有するものだと思うんだ。だから……そんなのでいいんだよ。さ、ほら。お風呂から出て?」
落ち着かない顔をしてお風呂から出る柊さんを誘導して、シャワーの前へ。
私を見るばかりで戸惑っている。
「……あ、の。背中は、その」
「あれ。だ、だめだった?」
「いえ。柊はいいのですが、その……ちょっと見た目にひどいのですが、流してくださいますか?」
座る背中を見て――……目を見開く。
深い傷跡が残っているの。巨大な――……刀傷。
みせるのに躊躇っていたんだ。むしろみせてくれたことが奇跡だった。
『随分古いな――……大きな太刀筋のわりには、随分と痕に迷いが見える。刀をまともに使ったことのない人間によるものだろう』
十兵衞の分析に心がざわつく。
「すみません。柊はもう……物心ついた時からあって、気にしないように心がけているんですが……みなさん、そういう顔をなさるので。時間帯をいつもずらしているのです。外の温泉にも行きませんでした。水を差しちゃうみたいだから」
「……つらくない?」
「本当にちっちゃい頃からあるものなので」
人とずれたペース、友達がいないこと。そして……どこかずれたところも含めて。
切っ掛けはもっと根深く大きなものかもしれない。
「……背中、洗ってもいい?」
「ぜひ。背中は苦手なんです。柊は身体がかたくて、手が届かないので」
眼鏡を嵌めて微笑む顔に他意はなかった。
出会いがたくさん。きっとこれからも――……私を待っている。
その一つ一つに出会うみんなの人生の足跡があるに違いない。
◆
キラリに寄り添うリョータ、トラジと手を繋いで歩くコマチ。
我らが十組の雰囲気は華やいでいる。
アリスのように我が道を行く子もいるけれど、私は……ユニス・スチュワートは違う。
恋愛がどうもちょっとよくわからないのだ。
食堂に紅茶の箱が残っていないのか探しに行く道すがら、厨房に顔を覗かせた時のことだった。
「泉くん、そして一部の男子のみなさん。女子の……特に刀鍛冶からお叱りの声があがっています。なんでなのかわかりますね?」
「「「 ……はい 」」」
佳村と女子が男子を囲んでいた。男子が全員正座をしているのは、どういうことなのか。
「覗きは犯罪です」
それだけで理解してしまった。
「女子の気持ちを考えてください。逆の立場になって想像してみてくださいよ。興味のない、自分的にないなーって相手があなたたちの裸を見るために全力を燃やしていたら……どう思いますか?」
「「「 それはちょっと嬉しくないです 」」」
「ちょっとどころじゃ済まないのです。それが理解できるまで……ノンたちはみなさんが嫌だと思う女子に化けて、裸を求め続けます」
どういう理屈なのか。しかし佳村たちが顔に手を振れ、口を裂け、目を血走らせて、階段で聞くような女性に顔を変えて囁き始める。
「はだか……」「はだかをみせろ……」「ふっきん」「はいきん」「たくましい胸」「くびれボディ……」
ぐるぐる周りながら囁かれる。しかも声から顔からすべてガチトーン。最初は本来の声だったものが、敢えて醜く変えた顔に合わせて歪んだ響きに変わっていき――……
具体的に男子へのフェチを露わにしていく。
女子の下ネタほど容赦がなくて生々しいものはない、などという話を聞いたことがあるが、そんなことはない。そこに性差はないだろう。あるのは単に、話者の下ネタに対する姿勢だけだと思う。
集められた男子への生々しく具体的な肉体への評価や関心が語られるにつれて、辟易とする。そこまで露わにしなくてもいいのではないか。
そばにいるミナトが「うわあ」と素で嫌そうな声を出していた。
これにはさすがの男子も耐えきれず、懲りて土下座の構えだ。
すみませんと連呼されても女子の仕返しはしばらく続いた。
合掌。
めそめそしながら出ていく男子を元の姿になって見送る佳村たちはかなり強くて頼もしい。
「ふう……これで明日はもう大丈夫そうね」「確かに」「いやいや、青少年のあくなき情熱を舐めちゃいけないでしょ。明日も防衛する方向でいいよね? 佳村さん」
「はいです。まあ、えっちなのは世にいるすべての男性が対象ではないにせよ、思春期の性みたいなものだと思うので、引き続き対処していきましょう」
「「「 了解! 」」」
たくましい女子の刀鍛冶を見送る佳村と目が合った。
「どうかされましたか?」
「あ、その。紅茶、まだ残っているかしら」
「ああ……それならありますよ。ちょっと待ってくださいね?」
調理場のテーブルの上に置いてある紙箱を手にして近づいてきた佳村に、ミナトが声を掛ける。
「なあ、あの。沢城は?」
「えと。困ったさんの対処をしてくるからってお部屋で待っていてもらっていますけど。ギンに何かご用事です?」
「ああ、いや……そうじゃないんだ。そうじゃないんだけど」
ミナトの様子が少し変だ。
「……沢城とケンカすることってあるのか?」
今それ聞くことなの?
「えと? ……まあ、ありますけど」
佳村も答える? 流してもいいのよ。
「でも続けるのって、なんでだ?」
ミナトは妙に真剣な顔をしていて、だから佳村も答えるみたいだ。
付き合いがいいし、良い子なのだろう。
「そりゃあ……結局、好きだからじゃないですか」
微笑んで言える彼女の顔は、年よりずっと大人びて見えた。
小柄なのに、どちらかといえば青澄やコマチのように童顔なのに。ずっと色気があったのだ。
思わず私までミナトと二人で赤面してしまった。
「もういいです?」
「あ、ああ。ありがとな」
「じゃあこれ」
私に紙箱を渡して、佳村は出て行った。
厨房にもう人はいない。見ればニナ先生の犬もいなかった。
ミナトを横目に見て、中へ。やかんに水を入れて火にかける。
別についている必要も無いのに、厨房台に背中を預けてミナトが私を見てきた。
「……なに?」
「下心って嫌われるか、報いを受けるんだな、と」
「……さっきの覗きをやった連中の話?」
「いや、まあ……世の常になる話だ」
「説教でもしたいの?」
半目で睨むと、ミナトは肩を竦めた。
「そうじゃねえけど。見たい気持ちを否定はできねえからな」
「私の前で正座して責められたいの? そういう性癖はちょっと」
「ちげえよ」
笑いながら言い返して、ミナトが何度か頷いた。
「なあ、ユニス」
真剣な瞳を見て理解した。思い出したの。いつかその素性を明らかにした時と同じ顔をしていた。だから本気で大事な話をしようとしているに違いない。
話の流れから、彼が何を伝えようとしているのかさえ想像がついた。
「俺はさ。まあ……泉たちをばかにできないっていうか。好きな子のことは全部しりたいとか、見たいとか……わかっていたいとか、そういう気持ちがあるんだよな」
「征服欲ならお断り」
「まあ、お前ならそういうよな」
笑って頷いてから、ミナトが私に身体を向けてきた。
「支配にも隷属にも興味はないよな。空を飛べる魔法使いが男に縛られているんじゃ、話にならない。けどさ、ユニス」
私の信頼、願い、遊び……感情のすべての結晶を手にした青年が私を見つめて言う。
「……俺は、その」
後頭部に手を置いて、気まずそうな顔をして。
言うぞ、と覚悟を決めたかと思ったら、言葉を探すように視線をさ迷わせる。
いつかの手回しの良さや鋭さが影を潜めて、まあ随分と情けなくなってしまったものだ。
祖父のことを思い出した。
母と同じ魔法使いの地脈に連なる祖母を妻とし、剣士として生きた皺だらけの手で頭を撫でてもらいながら……祖父はよく語っていた。
『ひとりで英雄になる男はいない。それは幻想に過ぎないよ』
『おじいさま。でも世界を救ったのはたったひとりの英雄だった、なんて映画は山ほどあるわ』
『いいかい、ユニス。誰もみな女の腹から生まれる。孤独に生まれて孤独に育ち、偉業をなして死ぬまでひとりという人間など存在しない。誰かに出会い、誰かと関わり……何かをなして認められて初めて至る境地だ。一つの事件には大勢が関わる時点で、たった一人に起こせる因果などたかがしれているよ』
『……むつかしくて、よくわからないわ』
『わしは……おばあちゃんのおかげで、剣を手にした。おまえもいつかわかる日がくるさ』
そのメッセージを思い返してしまうくらいには、私の理性は働いているようだ。
要するに、私の剣士を英雄にするためには……放置していちゃだめだということなのだろう。
だからって、差し伸べられる手には限りがあるけれど。自尊心とか、羞恥心とか……不安とか。いろいろあるからね。
言えるのは、せいぜい……。
「私の裸が見たいとか、子供を作ろうとか。そういう昔のどこかの映画で見たような残念告白をする気なら、最低限、交渉人になって出直した方がいいわよ?」
「う……いや、あの。もうちょっと理想的に、ユニスが気に入る言い方で伝えようと思って、だな」
「つまり方向性はあっているわけね?」
「……あれ。俺、なんでいつの間にか窮地に陥ってんの?」
「ばかか頭が切れるかの二択しかないわけ?」
呆れてため息を吐く。
「えっと。えっと」
慌てる様子を見る限り、笑ってしまう。
自分の都合のいいように考えた方が生きやすいという意見はわかる。
好き放題して自分の都合を相手に押しつけるようじゃ、しっぺ返しを食らうけれど。前向きに捉えてうまく働きかけるための気持ち作りに利用するなら、むしろ率先してやるべきかもしれない。
「そんなに余裕をなくすくらい、私にご執心?」
「……ま、まあ」
照れ始めた。
「私への愛情に対して、年相応の好奇心とか、未知への興味の割合は?」
「一割くらいかな?」
「本音は?」
「二割……いやうそ、三割。今日の水着姿は反則過ぎた」
「ふうん……」
少し視線をさ迷わせてから、問いかける。
「私以外にもきれいどころはたくさんいたけれど。彼女たちでもいいんじゃないの?」
意地悪な……だけど露骨な質問にミナトはすぐに答えた。
「ユニス以外には興味ねえな」
迷いがないのは……かなり、いい。
「白人趣味とか言わないでよ?」
「そういうんじゃねえよ。強いて言えば俺はお前が趣味なの」
ストレートに言われた瞬間、やかんが悲鳴を上げるからすぐに火を止める。
ミナトに背中を向ける。
今の顔は見せられない。囁くのは、
「なら……たまには男の子らしく行動してみたら?」
遠回しすぎる、ほんのささやかな許し。
すぐに背中から抱き締められた。こういう瞬間に躊躇がないあたりに、ミナトらしさを感じる。嫌いじゃない。こういうのは――……嫌いじゃない。
「待て――……犬の足音が近づいてくる。ニナ先生にばれたら怒られるに違いない」
「私のそばにいるのは狼だから?」
「まあな。許しをもらってやっとなれる程度だけどな。お前が赤い頭巾をかぶっていたら……ちょうどいいんだが」
「今日は食べられません」
「でも、お前をさらう口実にはなるだろ?」
笑うミナトにふり返って、
「――……」
生まれて初めてキスをした。
すぐそばに顔がある。瞳は閉じられていた。睫毛の長さや唇の感触に戸惑い、けれど腰に腕が回って、身体の向きを変えられた。
首の角度が変わって、どんどん深くなっていく。
その熱の高さに驚いたし……けれど痛くないし、押しつけてくるんじゃなくて、いつでも離れられるふれあいにミナトの優しさを見た気がしたの。
たまらず甘い声が漏れた。
ミナトの目が薄く開く。こちらの気持ちを確かめるように。
受け入れるように瞼を伏せた。
熱が増していく。唇に濡れた感触が当たる。
寮の大浴場でありやなしやと話を聞いたことがある。
私はどうやら――……ありだった。
これじゃあ天使の言うとおりだ。してみたら……案外、ありだったの。
まあね。
欲を言えば、紅茶を飲む前だったのはちょっぴり残念。
味がどうこう聞いたことがあるけれど、予想とはだいぶ違った。
まあいいか。
理想と少し違うのなら、自分の理想が叶うまで何度もすればいい。
コマチの言うとおり、ぎこちなさやうまくいかない部分さえも楽しめばいい。
好きな人と二人で。
ミナトと……二人で。
うまくいかないことを口実に楽しめるなら、前向きに考えるのも悪くないに違いない――……。
つづく!




