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その刀を下ろして、帯刀男子さま!  作者: 月見七春
第三十六章 バレンタインは縁を作るの?

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第四百十九話

 



 もごもご口中で指に歯を当てる。むずむずする。つまり、


「いたたたた!」


 思い切り噛んじゃってカナタが悲鳴をあげる。

 当然の結末だった。悲しい現実だった。すぐにどうこうなるくらいなら、カナタを定期的に噛んだりしないのだった……。

 あわてて指を引き抜いてぶんぶん振ってるカナタにしゅんとする。


「な、なんかすみません」

「……大丈夫だ、俺もこのくらいでどうにかなるとは思っていない」

「はあ」


 だとしたらかなりのチャレンジャー精神だよね。

 本格的に対策を取り始めたの今日が初めてだし、それまでは仕方なく受け入れていた感じあるけど。

 今回はどれくらい本気なのだろう、と思っていたら、カナタがテーブルの上に置いてある骨を渡してきたの。


「これを噛んでみよう」

「……え、と」


 手に取ってみた。

 私しってるよ。これ、わんこがわふわふ噛みまくる奴でしょ。

 思わず訴えるような目つきで見つめたら、カナタは申し訳なさそうな顔をしたの。


「いや、わかっている。わかっているから、待て。説明させてくれ」

「はあ」

「キツネって結局、イヌ科らしいんだ」

「……はあ」

「その習性は近いものがあると思う。嬉しそうな時は尻尾をぱたぱた振って。人なつこくて」

「イヌと違ってグループ作らないみたいだよ?」

「よ、用心深いが好奇心旺盛なところは狼や犬に近いと思うんだ」

「だからって……これはちょっと」


 いかにもペットショップで売っていそうな飴色巨大骨っこだよ?


「だまされたと思って、匂いをまず嗅いでみてくれ」

「匂い?」


 鼻をひくひく使ってみたら、意外や意外、甘い匂いがする。


「岡島と協力して開発してみたんだ。春灯特製骨っこだ」

「……ほう」


 思ったよりずっと本格的!


「とある犬の飼育に慣れた春灯に近しい女子生徒いわく」

「まるでトモみたいな人がいるんだね」

「い、いわく!」


 のほほんと言ったらカナタの顔が引きつった。

 あれ。もしかして、図星? まあいいけども。


「噛みたい衝動をまず発散させてから、噛んじゃだめなものの前で我慢できるようにトレーニングするべきだという」

「……なるほど」


 理屈はわかった。


「そうだよね。最初にしてから……山あり谷ありでここまできたけど、基本的に彼氏は噛んじゃだめだよね……」

「わ、わかってくれてなによりだ」


 落ち着かない顔をしているカナタを見るのが新鮮すぎてやばい。


「でも……カナタに噛みつけないとなると、私はいったい何を噛めば」

「だからこその特製骨っこだ。いいから噛んでみてくれないか?」

「はあ……」


 タマちゃん、私はどうすればいいのかな。イヌ扱いなんだけど。これってありやなしや?


『妾に対してならば許さぬが、そなたはまだ妖狐止まり。ならばほれ、畜生の部分を受け入れて、恋人のためにひと肌脱いでやれ。受け止めるのも器というし、甘噛みくらいいいじゃろうと思うが。そろそろ限界ならばこその提案じゃろ?』


 まあ、そうだろうね。


『ならばほれ。歩み寄るのが彼女の努めじゃろ。そもそも迷惑を掛けているのはお主じゃし』


 そう言われちゃうと、仕方ない。

 ねえ十兵衞。甘噛みそんなにだめかなあ。


『歯形がついているカナタを見るのはちと不憫だな』


 ……反省します。


「じゃあ失礼して」


 中心に噛みついてみる。控えめに歯を立てる。

 あまったるい香りが口中に広がっていって気づいたよね。これ要するに飴だ! 超かたい飴細工だ! べたつかないようにさらさらのパウダー纏わせたりしていろいろ工夫されてるみたいだけど。

 噛めば噛むほど、くどくないどころか淡い甘さが粉になっていく。地味においしいし、飽きない。それ以上に。


「はぐはぐ!」


 噛んでいるとなんだか夢中になってくる。

 えげつない音がするたびにカナタの笑顔が引きつっていくの。


「き、気に入ってもらえたようでなによりだ」

「はぐはぐはぐ!」


 がりごりぼりぼり。

 夢中になってかみ続ける私を見て、カナタはなんともいえない顔をしたの。


「……俺もまだまだ修行不足だな」


 ◆


 我に返った時には骨っこはもうなくなっていました。

 口元と手がべたべたで、だけど至福に満ちた顔をする私にカナタがウェットティッシュをくれる。受け取って拭っていたら、カナタがしみじみと言うよ。


「よほど噛みたいストレスが溜まっていたんだな」

「……えへへ」


 笑って誤魔化すしかない。何せ五十センチはありそうな骨っこを全部噛みつくしちゃったんだもの。今更そんなことないよって言っても、嘘にしかならないです。


「実感した。だいぶ加減してくれていたんだな」

「……そういう風に歩み寄られると、逃げ場がないよ」


 拭い終えたティッシュをゴミ箱に捨てて、カナタを見たの。

 なんだか久々にすっっっっっっっごく! すっきりしてた。沸き立つ衝動は薄い。


「初めての日にずたずたにしちゃったの、わりと反省してるから。加減はしてるつもりだったんだけど……それじゃ足りないよね」


 深く頭を下げる。


「ごめんなさい」

「こちらこそ。春灯がそこまで衝動を堪えていたと気づかず、申し訳なかった」


 カナタも頭を下げてくるの。

 しみじみ思う。できた人だよ、この人は。

 だからこそちゃんとしないとね。迷惑ばかりかけてちゃいけない。


「骨っこのレシピあるなら、自分で作ってかみかみするようにするよ」

「……できれば俺が作りたいんだが」

「んーでも自己管理の部類だし、悪い気がするなあ、と」


 それだけじゃなくて、わりと頻繁に作りそうだから申し訳ない感があるのですが。


「たくさん作りたいくらいよかったから、それをやらせるのは申し訳ない……とか考えていないか?」


 ばれるよね。っていうか、ばれたよね。いまさら隠し事なんてらしくないか。


「本音を言えばそんな感じ。実家に帰った時とかでも作れる方が嬉しいし。あ、カナタが必ず一緒にいてくれるっていうならいいけど!」

「どや顔で実現不可能なことを言うな。俺もできればそうしたいし、頑張ってはいるけど、現実的にはまだまだ難しいだろう?」

「う……」

「……まあ、難しいから。そうだな。お前の言うとおり、伝えた方がいいわけか」


 諦めたようにため息を吐いたカナタの手を取って、さっき噛んじゃった指を見つめる。

 くっきり歯形が残っているけど、怒らないし慌てない。

 ちょっと不思議。


「獣として対処する必要があるなら、ズーノーシスだっけ。人畜共通感染症は気にしなくていいの?」

「よくその単語がでてきたな」

「まあねー。今日も橋本さんとやるネット配信の撮影でトリミング教室いってきてお勉強したのだ」


 どや顔をしたら頭を撫でられるの、端的に言って「あれ、わりと初期からペット扱いなのでは?」と思うけど、気持ちいいからいいや……。

 尻尾をぱたぱた振りながらカナタを見つめると、すぐに答えてくれたの。


「まあ、歯磨きは気をつけてくれているしな。そっと気づかれないように消毒にも心がけていたし」


 キラリやマドカが脳内で「こんな彼氏そうそういないから大事にしろ」って言ってくる。

 うう、わかってるよ。


「トイレで異変が起きていたら、お前はもっと大騒ぎしただろうし。そんな話は聞いていないからな」


 う。生々しい。けど、動物の感染症ってつまりはそういうところにも影響が出るわけで。

 その心配はいらないですよ。念のため。


「となるとノミやダニが気になるが、それは日頃の手入れで対策しているから心配はいらないかな、と」

「……あれ? 実はカナタって、すごく気をつけてくれてた?」

「当たり前だろう? お前の刀鍛冶なんだから」


 さらりと言っちゃうカナタに脳内のマドカとキラリの圧迫感が増す。

 わ、わかってるよ! こんな彼氏そうそういないっていうんでしょ? 実感してるよ!


「だからいいよ。とはいえ、トリミングにいってきたなら尻尾は綺麗に洗いたいけどな」

「ノミもらってきたりしな……い、と思いたいですが。だめか」

「だめだな」


 否定しきれないのがつらいところです。


「指の消毒をしたら、風呂へ行こう」

「神田川みたいになるね」

「きっと手間的に立場が逆になるぞ」

「カナタよく知ってるね?」


 世代いくつも前の曲なのに。


「まあ……父さんが昭和の歌特集をよく見るからな」

「おー」


 喫茶店のマスターをやっているソウイチさんが昭和の歌謡曲とか、似合いすぎてやばい。


「春灯はどうして知ってるんだ?」

「んー。まあ、なんとなく? テレビでちょいちょい。私もカナタと同じかも」

「そうなるよな……さて、行くか」

「ん!」

「どうせ消毒するなら……もう一度だけ試してみてもいいか?」

「ん?」


 今度は逆の手の人差し指を差し出された。

 別にいいけど。

 はむ、と咥えてみせると、カナタが赤面したの。なにゆえ。


「……噛むか?」

「んー」


 喉を鳴らして、悪戯のつもりで歯を当てた。

 カナタが顔を強ばらせたから、舌で軽く叩いたの。


「なっ」


 すぐに口を離して笑う。


「どきっとした?」

「……悪い冗談だ」

「ふふー」


 笑って出て行こうとしたら引き寄せられたの。

 わりと強めの力加減だった。な、なんだろう?

 背中越しにカナタの身体を感じて、そっとふり返るとね?

 いてもたってもいられない顔をしてたよ。


「今ので、ちょっとその気になった」


 なんと。


「噛まなかったら……その」


 言いよどむカナタさん、自分から切り出すのに慣れてなくて大好きやばい。


「どこまで噛まずにいられるか、試してみます?」


 我ながらちょっとあれかなあ、と思いながらも誘ってみたら――……大成功でした。

 噛まずにいられるかどうか、そのチャレンジが成功したかどうかについては……まあ、後ほどということで!


 ◆


 外泊できるようになったのはポイント高い。

 我が後輩たちは頼もしくなるばかり。おかげでルルコが興した会社の活動に、我ら三年生は集中できるというもの。それはいいのだが。


「お姉さんお姉さん、幼女はチョコを所望します」

「なんであんたがついてくるんだ」

「んう?」


 ……だからかわいこぶるタイミングがおかしい。


「まなかおねえさん。おねがいします」


 ひらがな発音まで覚えやがって。


「メイおねーちゃんの方がいいですか?」

「どっちでも好きなように呼べ。っつーかな。私は先輩とデートだといってるだろ」

「妹は兄の生体を監視する生き物です」

「いやな生き物だな。兄離れしなさい」

「それはメイおねーさんに寄生先を変えてもいいというご案内?」

「違うから」


 ああいえばこういうし、素直に従うことがない。

 アリスはかなり手強い女の子だ。ルルコと違って安易に満足してくれる着地点がない。

 まったく、相変わらず手の掛かる。


「義理の妹はもはや概念的に妹そのものなので、おねえちゃんは妹の面倒をみるべき」

「鼻息も荒く私の腕に抱きつくな」

「ああああああああああん! おねえちゃんが構ってくれないー!」

「ちょ、やめろ! 地団駄を踏むな!」


 尚も渋る私に最終手段に出やがった。

 なんだなんだと訝しげに渋谷の街中を歩く人たちがこちらを見てくる。

 一瞥するだけでみんなして総スルーなのは、さすが都会の現代人って感じだけども。

 だからって無視できるわけじゃない。


「わかった! わかったから! ついてきていいから、駄々をこねないでくれ」

「最初から諦めてくれたら早いのに」


 そう言った瞬間にけろっとした顔で言いやがるのだ。まったく……なんて妹候補なんだか。


「それよりお兄ちゃん、仕事でちょっと遅れるそうなので。おいしいものを食べに、ごうごう!」

「……まったく。なんて日だ」


 バレンタインデーって、なんだっけ。


「妹にご奉仕する日ですよ」

「じゃあ三月十四日は?」

「妹がご奉仕する日ですよ」

「……それはそれで苦労しそうだ」


 まあいいや。行くか。いい加減慣れたし。


 ◆


 さんざんアリスにたかられても、ついつい財布の紐を開けてしまうのは……まあ先輩の妹だからっていうのもあるけども。食べている姿が結構かわいいというのもある。

 ルルコといいハルちゃんといい、まあラビもそうだけど。面倒な子ほど可愛がっちゃうというか。苦労性なのかもしれない。

 食べ過ぎてトイレに行きたがるアリスを抱えるお約束も済ませて先輩と合流した時にはもう夜も更けていた。先輩の部屋にお泊まりする手続きはしてある。アリスも外泊許可済みだとは思わなかったけどな。

 先輩の部屋で先輩特製のパエリヤをいただいていたところだった。


「メイはそろそろ卒業だよね。三年生はどう?」

「……まあ、これまでの士道誠心卒業生よりはやりやすいかもです。ルルコの会社に所属して仕事を始めてるんで、収入面は安定かなと。まあ、いつまで続くかわからないですが」

「意外と慎重なんだね」

「ユウヤが頑張ってくれているんですが、水物の仕事は安定性に欠ける面があるので。むしろ先輩に特にお願いしている討伐任務の方が、今後は需要が増えるかな、と」


 テレビの報道番組を横目に見る。


『――分ごろ、東京お台場で旅行客がツアーの同行者に対し、暴行に及ぶ事件が発生。駆けつけた民間の侍がこれを鎮圧し、警察に引き渡しました』


 名前は出てこないが、駆けつけた民間の侍とは先輩のことだと私は知っている。


「最近、増えていますよね。邪に乗っ取られる人……先輩がそばにいてよかったです」

「まあ、今回に限っては会社の営業でユウヤと、あとは一年生の女の子と三人で行った帰りで、本当にたまたまなんだけどね」


 食べ終わるなりベッドに突っ伏すアリスを見て、先輩が立ち上がる。

 布団をそっと掛けるあたりは手慣れている。っていうかな。


「食べて寝たら内臓によくないぞ」

「あふれる若さでごまかします」

「……だめだ。お片付けしなさい」

「お兄ちゃんはお布団かけてくれたのにー」

「アリス?」

「ぶうぶう! しょうがないなあ! お布団の誘惑と三十分付き合ったら!」

「今すぐだ」


 むすっとしながら布団から出てきたアリスが食器を片付け始める。

 手の掛かる子供の面倒を見ている気持ちになって仕方ない。やれやれだ。


「メイがいると頼もしいね」

「先輩は甘やかしすぎですよ」

「肝に銘じる」


 ええ、と悲鳴をあげながらも、なんだかんだでてきぱき片付けるアリスはしっかり教育されているな。手慣れた手つきで洗い物を始める小さな背中を見る。意外と頼もしい。


「邪だけど……別に数が増えているわけじゃない」

「え、ああ……さっきの話です?」

「そう。隔離世に異常は起きていない。こないだの埼玉の一件はかなりやばかったけどね」

「うちの後輩、育ってますから!」


 割と自慢だった。


「アリスも活躍したんですよ。だろ?」

「どやー」


 洗い物を終えてキッチンにセットしたタオルで手を拭いながら、アリスが自慢げに胸を張る。


「かわいいかわいい。それはそれとして」

「むすっとしますよ。まあでも今はお布団の誘惑が強すぎて無理ですけど!」


 流しておいて言うのもなんだけど、アリスも大概いい性格してるよ。

 ベッドにダイブするちびっこを横目に、先輩に尋ねる。


「じゃあ、邪に変化は起きていない? 事件の数は増えていると思うんですが」

「単に侍が関与している報道が増えているだけだよ。でもメイの見立て通り、需要は増えるだろうね」


 思考を巡らせる。

 人の欲望が具現化した怪異、邪。

 よほど突発的な犯行でない限り、事件には基本的に欲望が絡んでいる。

 冷徹、冷静に……極めて残忍な手口で計画的に罪を犯したとして、そうせねばならぬ理由がある限り、どこかしら邪を発生させる原因になるのだから。

 そういう意味では、警察に所属する侍と刀鍛冶の仕事はかなり重責を担うものだ。さりとて理解されていなければ、予算は割かれず、人員もそこまで増えず、苦しいだろうけど。

 だからこそ……民間の侍というあり方が、今後は事情を変えていけるかもしれない。法整備がないからこそという気もするけどね。邪を倒す際の厳密な法整備なんて、聞いたことがない。

 いつまでいまのままやっていけるかどうかもわからないけど。


「住良木の技術が一般化したなら、邪の可視化に通じるし、そうなれば私たちの仕事も必然的に増えるはず。芸能活動も立派な収入源になりますけど、そっちが向かない連中も大忙しになる予定ですよ」

「そうだね。祭りをもって欲を鎮める――……青澄春灯のようなあり方もある。世界はうつろい変わっていくけれど……太古より、やっていることに変化はないのかもしれない」


 先輩の言葉に思いを馳せる。


「戦うだけでも、奉るだけでも、健やかに生きるには足りない……」

「強くないとね。それは腕力や戦う技術に限らないけど」

「……まあ、あそこでさっそくいびきを掻いてるちびっこを見ると、頷いちゃいますね」


 アリスが気持ちよさそうに寝ていた。

 私がいても気にしない。もうとっくに懐に踏み込まれて久しい。ただの先輩と後輩っていうよりは、ほんと家族みたいな深さだ。まだまだ越えなきゃいけないハードルは山ほどあるが。


「さて、お風呂……先に入ってくるかい?」

「そうします」


 荷物に向かいながら思う。

 ちょっと、これじゃあいくらなんでも落ち着きすぎじゃない? 付き合ってまだ一年も経っていないのに。

 まあ……悪くないけどね。


 ◆


 大浴場の湯船に浸かったら「あら」と聞き慣れた声がしたの。


「ハル、あなたも今頃お風呂?」


 コナちゃん先輩がいた。髪をまとめてお団子にして湯船に浸かっている。

 胸元と首筋をしきりに指先で揉んでいたの、なんでだろう。

 不審げに見ていたら目力が強くなったので、何も言えない私です。

 すすす、と隣に近づきながら頷いた。


「お仕事終わりにひと息です」

「そのわりには……大きな痕があるわよ。首筋」

「うっぷす!」


 髪の毛で隠れてると思ったけど、あわてて首筋に手を当てると、


「嘘。かまをかけたの」


 意地悪く笑われてしまいました。なんてこった!


「まあ……なんともいわないけど。露出する仕事なら気をつけた方がいいわよ」

「……気をつけます」


 今日のカナタさん、かなり情熱的で。私ものっちゃってつい。そんな赤裸々事情をコナちゃん先輩に言っても仕方ないし、困らせてしまうに違いないので黙る私ですけども。

 放っておくコナちゃん先輩じゃなかったよね。


「血行をよくしなさい。あたためると血流がよくなる。こうやって揉んでいれば、まあ通常よりは早く消えるわ」


 コナちゃん先輩には見抜かれてしまった。それだけじゃない。いまさらりと爆弾発言をなさいましたよ?


「……じゃあ、コナちゃん先輩の胸元と首筋は?」

「そういうことよ」

「そういうことですか」

「そういうことよ」

「……どういうことなのでしょうか?」

「だから……そういうことなのよ」

「はあ」


 わけがわからないので、そっと尋ねる。


「ラビ先輩につけられたのです?」

「――……だけならどれだけいいか」

「こ、コナちゃん先輩?」


 いま、かなりの闇をお纏いになられたような?


「とにかく。緋迎くんには絶対に見られない場所につける以外はやめてって言っておいた方がいいわよ」

「……そうします」


 壁が。これ以上なにも聞いてくれるな、という威圧感の壁が分厚いです!


「ほら、わかったら揉むの」

「……揉みます」


 女子二人で大浴場の湯船に浸かりながら、痕に指先を当ててもみもみしている光景って、なんだろう。ホラーかな?


 ◆


 部屋に戻ったらカナタが最後の試合で燃え尽きたボクサーみたいにうちひしがれた姿勢でベッドに腰掛けていたの。


「ど、どうしたの?」


 そりゃあ声を掛けるよね。大丈夫かなって気になるし。いろんな意味で。

 カナタは頭を抱えて呟いたよ。


「目立つ場所に……痕をつけてすまない。お前に迷惑を掛けたくないというのに、俺というやつは」

「あー」


 また私の彼氏がなんかこじらせてる。


「だいじょうぶだよ。コナちゃん先輩に消し方教えてもらったし。いまはだいぶうっすらしてるから。見てみる?」


 すぐ前に行って髪の毛をそっとかきあげて首筋を見せたら、カナタが長い長いため息を吐いたよ。


「よかった……」

「そんなに後悔するくらいなら、最初からつけなきゃいいのに」

「……盛り上がると、春灯のかみ癖のように主張したくなるというか」

「ほほう」


 いいこと聞いたぞう! カナタがそういうこと言うの、すっっっっごく! 珍しい。

 ここは調子に乗って言っておこう。


「じゃあ、つけるなら見られないところにしてくだしい」

「えっ」


 え。待って。そんなに驚くところあった? 思わず二度見されちゃうほど驚かれちゃうところあった?


「……そ、それって、つまり、そういうことか?」

「……まあ、そういうことなんじゃない?」


 よくわかんないけど。


「わかった。なら、俺も春灯の骨っこのように……前向きに挑戦してみる」


 ……ん?

 って思った時には押し倒されていました。


「――……えっと」


 するのはやぶさかではないのですが。


「……お風呂あがりなの」

「むしろいいかな、と」


 むしろですか。そうですか。よくわからないですが。

 そういうことなら、まあ……じゃあ。そういうことで。

 だめだ。カナタがここまで前向きなの嬉しすぎて頭が働かないよ! まあ私の場合、いつ働いてるんだって感じなんだけどね! あはは!

 なんかいつもすみません! 明日からもうちょっと頑張るので許してくだしい!


 ◆


 ユリアの部屋に滞在する機会が圧倒的に増えた。

 シオリとラビ、どちらの部屋に行ってもどちらかが来ることが増えたのは頭痛の種でしかなかった。爛れてる。こんなのいつまでも続かない。シオリがその気になるような誰かが来年やってきてくれると助かるのだが。

 解決法を探らないと。まったく……。


「ずるずる」


 麺を啜るユリアを見て、ため息を吐く。

 ぷんと漂う醤油ラーメンの匂いは破壊的すぎる。


「この部屋は平和でいいわね」

「ずるずる……」


 啜る音で返事をされても困る。

 まあ、ユリアらしくて助かるけれど。

 スマホを出してワークスペース共有アプリを起動した。

 生徒会フォルダにアクセスしてファイルを開く。更新されていた。


「どれどれ……?」


 スライドさせながら読みあげる。


「三年生送迎の手引き……あとは、一年生隔離世滞留特別授業の開催、か。もうそんな時期なのね」


 麺を啜る音が途絶えた。ちらっと見ると、ユリアが箸を止めてこちらを見ている。


「コナ……どうするの?」

「どうもこうも。卒業式の準備は着々と進行中。隔離世スーパーアリーナで警察との行事を済ませちゃったから、逆に余裕をもってできてるわ。例年通り」

「そうじゃなくて。一年生の特別授業……去年、私たちは真中先輩たちに手ほどきを受けたけど」


 ユリアの言葉に胸一杯、息を吸いこんだ。

 瞼を伏せる。思い出すのはミツハ先輩の強烈な指導。刀鍛冶のあり方を変えた、最初のしごき。そして――……。


「三日間の隔離世強制滞在。邪の対処だけでなく、教師や二年による遠隔攻撃の嵐……今の一年生に乗り越えられる?」


 強烈な課題を前に、思いを馳せる。


「そうね……」


 一年生の侍候補生は、はっきりいって粒ぞろいだ。

 歴代から見てもかなり強烈な生徒が揃っていると言っていい。

 対して刀鍛冶は佳村こそ逸材であるものの、他の生徒はまだまだだ。これは私の指導不足も感じる。

 侍候補生も刀鍛冶も、結局は体育会系だから。私たち二年生はミツハ先輩という絶対的なカリスマを中心にまとまってきたけれど、今度は私がその立場にならない限り一年生ややがてくるさらに一つ下の代をまとめていけない。

 しっかりしないと。どちらにせよ。


「今からだとどんな対策も付け焼き刃になるだけで間に合わないから。信じるだけね」


 今年度の事件は本当に大変なものばかりだった。

 それを乗り越えてきた一年生の可能性――……見せてもらおうじゃない。


「それでいいの?」

「いいのよ。見てみたいの。彼らの今の実力を――……」


 三年生が卒業して、新入生が入ってくる。

 そして……いずれは今の生徒会も、次代の生徒会に引き継がれる時がくる。

 ミツハ先輩は暁先輩の事件が起きてからずっと、先を見越して行動し続けてきた。

 あの人のようになりたい。


「まあ、でもそうね。入れ知恵くらいはしておこうかしら」


 スマホを操作して佳村に通話を飛ばす。

 すぐに繋がったから、私は語りかけた。


「もしもし、佳村? ちょっと確認なんだけど、一年生の刀鍛冶って――……」




 つづく!

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