第四百十一話
リビングで見つめ合う。
春灯は見た目に華やかだ。玉藻が着付けて、磨いているだけじゃない。そのしごきにめげずについていく。玉藻にだけじゃない。十兵衞に対してもそうだ。
背筋がしゃんとしているし、身なりは整えているし、土産物を渡して明るく笑ってお母さまと話す姿を見ていると……思わずにはいられない。
あれ? もしかして……我、妹よりいけてないのでは?
自分の格好を見下ろす。お母さまが着せてくれたワンピースのまま。これはこれで可愛いとは思うのだけど、しかし……春灯とは何か、次元の違いを感じる……。
「もーもっと遅くなるかと思っていたわ」
「私も。でもスタッフさんが急病で、収録もないんじゃしょうがないよ」
お母さまからエプロンを受け取り、キッチンに立つ。
そして二人で話しながら料理に勤しむ。リビングのソファから眺める気持ちはちょっと表現しにくい。
疎外感。それに……足りないものを見せつけられている感じもひどい。
「ふーんふんふん」
鼻歌と包丁のリズムが重なる。春灯は妙に機嫌がいいようだ。
お母さまの横顔も幸せそう。すぐに漂ってくる。刺激的な匂い。
けど……リビングで見守ることしかできない我は退屈だし、物足りない。
ぶすっとしていたらトウヤが帰ってきた。玄関の靴に気づいて駆け足で来て、春灯を見て――……それからなぜか我を見た。
「姉ちゃん!」
「「 ん? 」」
「そ、そうだった。あーすごいなあ!」
妙に昂揚して膝を何度か叩くと、トウヤは我を見た。
「冬音ねえちゃん、一緒にゲームやろうよ。春灯ねえちゃんはほら、料理してるし」
「……けどな。家事、なにもしてないのもな」
むすっとする我を見てトウヤが笑う。
「適材適所。作りたい人に任せておいて、俺と一緒に遊ぼうよ」
歯を煌めかせて笑う弟を見て思う。一瞬、いい台詞のように思ったけど。体のいいさぼり発言でしかない。なのにちょっとときめきかけた我は仕事中毒なのかもしれない。
まあ……いいか。
そう納得させないと、春灯とお母さまのツーショットは目に毒過ぎた。
ゲーム機を用意して二人で対戦シューティング。我にぴったりくっついてトウヤが囁いた。
「二人とも、姉ちゃんがいるのが嬉しいだけだからさ。ほっときゃいいんだよ」
「……ふん。うるさいな。気を抜いたら我が勝つぞ」
「俺のやりこみを舐めるなよ!」
かちかちボタンを操作するトウヤに台所から春灯の呆れた声が届いたぞ。
「アンタも十分、テンションあがってるでしょ」
どうやら……我にはまだ、家族のノリというものが理解できていないようだ。
けど歓迎されているのなら、よしとしよう。
◆
お父さまが帰ってきてすぐに晩ご飯になった。
トウヤはがつがつ食べる。お父さまもそうだ。
対してお母さまは静かにご飯を食べているし、春灯も同じ。我もどちらかといえばそちら側。
今夜の食卓は刺身とヅケ丼と焼き魚と煮魚。魚だらけで攻めるのも程があると思って視線を向ければ、大きなボウルにゆで卵とリンゴの入ったポテトサラダがあって、そばには煮た芋を山積みにした皿もある。
「「 おかわり! 」」
もそもそ食べていたらトウヤとお父さまがそろって丼を出して、お母さまが苦笑いしながら受け取った。配膳に努めるお母さまを横目に見て軽く息を吐く。
一家団欒の食卓になれていないわけじゃない。立場はあれど、お父さまは家族を愛しているし……お母さまも料理が好きだから。クウキをそばに控えて地獄にいた頃の我はよく四人で食卓に向かっていたものだ。
とはいえ、ここまで賑やかな食卓には馴染みがない。
気後れしている我の脇腹を春灯が肘でつついてきた。
「お姉ちゃん、変な顔してる」
笑う妹が眩しい。
「う、うるさい……ほっとけ」
「地獄を追い出されてホームシックなう?」
「だまれ」
「やだよーだ。ホームシックなんて忘れるくらい弄るんだから」
嬉しそうにはにかんで、やっぱり眩しい。
地獄に集まる連中の中でも妖怪たちや、天界から遊びに来る神々の華やかさを思い出す。
神々しさが身体中から溢れ出ていて、徳の高さ……或いは周囲を引きつける魔性の魅力を纏って周囲を幻惑する。
惹かれたことがないと言ったら嘘になる。
現世も地獄も、どちらのお母さまも美しい。我はどちらの資質も受け継ぎ、磨いてきた。ま、まあ主に苦労したのはクウキだけどな。けど、我だって負けていない。閻魔姫なのだし。
けどなあ。春灯を見ていると複雑だ。
以前は化生、今は神となった狐を宿して、本人的にはコンプレックスの塊なんだろうが、周囲からすればそれは贅沢にしかならないレベル。
美しいと思うし、その魅惑に緋迎が寄り添っている。
春灯は彼氏がいて、我にはなし。
春灯が持っていて我が持っていないものは山ほどある。
――……家族との絆さえ、その一つに入るし。結局は春灯の素直さ、優しさが我には一番欠けていると自覚してしまう。
はあ……。
「なんか凹んでるけど。おかずおいしくない?」
「……うまい」
「そのわりにはテンション低いんだよなあ。じゃあねえじゃあねえ、ちょっと待ってて。ヅケ丼もってくね?」
席を立った春灯が我のヅケ丼を手に、九尾を揺らして台所へ。
すぐに鼻歌が聞こえてきた。
「ノリがいまいちなら海苔を足していきましょーおーねー」
頭の悪い鼻歌だ。不思議と笑ってしまう。
素直に認められることがある。あいつの歌には敵うまい。
「卵の黄身を落として-、薬味にネギをちらしましてー……お茶、どばー」
軽快な足音を立てて戻ってきた。
目の前に置かれたヅケ丼の進化形、ヅケ茶漬けに目を細めた。香りがいい。とても。わさびの香りが強い。お茶を吸う海苔とネギもいい。
「どや。うまいんやぞ!」
「はいはい」
笑って流して、そっと丼を手に取る。
熱い。けど熱には慣れている。
そっと一口、食べてみせた。
「どや? どや?」
「……うまい」
「せやろー」
ふふーと笑って自分の食事に戻る春灯にトウヤとお父さまが丼を出した。
「「 食べたい! 」」
「はいはい」
笑って二つの丼を受け取る春灯を見ていると、やっぱり思う。
我には足りない物が山ほどある。その差はどうやら……一朝一夕では埋められそうにないみたいだ。
なあ、クウキ。
我はどうすればいいんだろうな。
◆
お風呂の世話さえクウキ任せだった我はお母さまに面倒を見ていただくばかりだったのだが、今日は春灯が役目を変わった。
泡のついた布で丁寧に我の身体を洗いながら、春灯はしきりに笑う。
「ふふー。ふふっ」
「なんだ、さっきから」
「んー? お姉ちゃんがいることと、お姉ちゃんがお姫さまなんだなあって実感してたの」
「どういう意味だよ……」
「着替えもお風呂もお付きの人がする。なんだかすっごく身分の高い人なんだなーって」
「……ばかにしてるのか? どうせ我はお前と違って、飯も他の家事もろくにできないし……自立してないよ」
「なに拗ねてんの?」
「……拗ねてないし」
「拗ねてるね。絶対すねてる」
「うるさいな」
手を払いのけようとしたけど、一瞬でそんな気持ちさえ消え失せた。
「はあ」
「なんだか元気ないねえ」
「……お前の言い方を借りるなら、凹みのターンなんだ」
「んー。でもお姉ちゃん、私よりずっと頭を使うの得意だから。どうしたらいいのか、もう答えは見つかっているんじゃない?」
「……まあ、見つかってはいるけどな。卑下するなよ、自分を落とすぞ」
「それ、今のお姉ちゃんには言われたくないかも。それー!」
頭からお湯を掛けられて慌てて目を閉じた。
お湯が流れきってすぐに頭を振って目元を拭う。
「わぷっ……こ、こら、急にお湯を掛ける奴があるか」
「驚いたら、後ろ向きな気持ちなんて一瞬わすれちゃうでしょ? ほらほら、痒いところはありませんかー? 頭皮を洗いますよー」
指先が優しく頭皮を撫でる。身体を洗うのはもう終わったみたいだ。
泡をまとった指先の感触が心地いい。意外とうまいな……。
「ねえ、お姉ちゃん」
「なんだよ……」
「うちにいるの、いや?」
「……いやじゃない、けど」
「地獄の家族が恋しい?」
「……そりゃあな。お父さまとお母さまにも会いたいし、クウキにも……」
「ん? クウキって?」
春灯の問いかけに目を細める。
地獄の住まいにあるお風呂場から比べたら犬小屋のような大きさであっても、その距離感の近さは案外悪くないなあと思い始めていた。
壁に付けられた鏡越しに春灯を見つめる。春灯もまた、我を見つめていた。視線が合った瞬間に笑うのだ。なんだか落ち着かなくて目をそらした。
「わかった。お姉ちゃんが好きな人だ。っていうか、鬼かな?」
「ちがう。そういうんじゃない……」
むすっとしながら呟いた。
「ほんとかなあ」
「くどい」
「実は意識してたり?」
「しない! あ、あいつはただ……いつも我の寝起きから眠るまでずっとそばにいて、身体を洗ったりするし、服も着替えさせてくれる……ちょっと便利な使用人ってだけだ」
「……男?」
「まあ」
「……でも、意識してない?」
「ちっとも!」
「なんにも思うところがない?」
「――……それは」
「あるんだー! なになに?」
うっとうしい春灯を鏡越しに睨んで、唇を尖らせる。
「本当に、そういうんじゃない。ちょっと……むかっときて力が噴き出た時に、あいつからもらったコップが割れたんだ。それが申し訳ないなって……思うし、そばにいないと落ち着かないって思うくらいなんだから。それだけだからな」
「つんでれー」
「うるさいな。洗うのか、喋るのかどっちかにしろ」
「はいはい」
今度こそ黙って春灯が手を動かす。
だから心地よさに浸れたし、同時に考えてしまった。
そうだ。
我はクウキからもらったコップを壊してしまった。
なのに……まだ、謝ってなかった。今更そんなことに気づくなんて。
あいつから連絡がないのも……そのせいなのか?
怒っているのか? 我のことなんか、もう……どうでもよくなってしまったのか?
そう思ったらなんだかつらくて、胸が痛くてたまらなくなった。
髪を流してもらい、春灯と二人で湯船に浸かる。
我の顔を見た春灯は何かを言う代わりに鼻歌を口ずさんだ。
春灯がお母さまと二人で見ていたドラマの主題歌だ。現世を覗き見して、気になって我もついつい一緒に見てしまった奴だ。
もっとそばにいたい。好きな人を思い、問いかける。こんなにだめな私でも、恋をしてくれますか?
天井から落ちた水滴が湯船に波を立てる。
恋とか、好きとか……そもそもありきたりな青春の感情なんて我は無縁で、そういう人生を過ごしてきたけれど。理解さえできないし……刺激的なことが起きるのなら、それだけでいいとすら思う。
退屈は嫌いだ。楽しいことが起きるなら大歓迎だけれど、それは毎日を真剣に真面目にやりすぎて息が詰まるからだ。
どんな瞬間だって、我のそばにはいるべき奴がいて、楽しいときもつらいときもお前がいるから……我はここまでやってこれたのに。
「――……」
春灯が口ずさむサビの歌詞に思いを馳せて、やっと気づいた。
ただただ……好きなんだ。
単純に恋愛感情と結びつけられるほど、明白な気持ちじゃないけれど。
かけがえのない存在であることに違いはないから。
なあ、クウキ。我はお前のことが好きなんだよ。
お前はもう……とっくに我のことを見捨てたのか?
我は……もっと、そばにいたい。
なのにもう、今は地獄があまりに遠すぎる――……。
◆
湯上がりにお母さまから一緒に寝るかと誘われたけれど、春灯が我を抱き締めて「今日は私の番」と笑って連れ去るのだ。
春灯のベッドで二人で寝そべり、春灯に腕を抱き締められながら近況を聞いた。
士道誠心でのできごととか、カナタとどんなバレンタインデーを過ごすのかとか。けどなあ。
「バレンタインにチョコね……羨ましいことだ」
「お姉ちゃんもお父さんとトウヤにあげればいいじゃん。あとは地獄のお父さんとか、お世話になった鬼のみんなとか……クウキさんとか」
横目で睨んだけど、文句を言う気も起きなくて天井に手を伸ばした。
「我があげても……喜ばないだろ」
「えー、そうかなあ。私なら嬉しいけどなあ。お姫さまからのチョコ。すっごく特別だよ」
「義理でもか?」
「義理でもだよ」
「友達未満でもか?」
「それでも特別だよ」
呆れるくらい前向き。
「友達にあげるチョコもあるし。要するに聖バレンタインさんをだしに、普段なかなか素直になれない私たちが気持ちを誰かに届けられるチャンスなんだよ」
「……素直になれない、ね」
「素直に気持ちを伝えたい瞬間があっても、言えないことってあるじゃない? 相手を傷つけるような気持ちや言葉は論外だけど、そういうんじゃなくて……謝りたいこととかさ。普段は照れくさくて言えないようなこと……ない?」
深呼吸をした春灯が肩に頭をのせてきた。獣耳が頬にあたってくすぐったい。
「もしお姉ちゃんに伝えたい気持ちがあるなら、素直になれるチャンスにできるよ?」
「……ふん」
鼻息を出して、それで流そうと思ったけど。
すんでの所で堪えて尋ねる。
「春灯にはあるのか? そういうの……」
「あるよー。友チョコにも彼チョコにも、家族チョコにもね? 私の気持ちを込めて送るよ」
「……お前は幸せそうだな」
ため息がこぼれた。
「うらやましいよ……ほんと」
そっぽを向こうとしたら、寧ろ逆に引っ張られた。
「にがさないよ? だめだめ」
「な、なんでだよ」
「あのね? 隣の芝生は青く見えるけど……お姉ちゃんの芝生は、お姉ちゃんが思っているよりずっと綺麗で素敵なんだよ?」
「――……」
「私のお姉ちゃんは、地獄のお姫さま。家族の絆を二つ分持てて、そしてみんなにめいっぱい愛されているの」
春灯が心に染みるような声で呟く。
「きっと地獄のみんなもお姉ちゃんのこと、好きだよ」
「……我は、傷つけた。コップも割っちゃたし」
「悪いことしたら謝らなきゃ。素直に反省して、心から謝って……あとは相手が決めること。それを心配することと……謝ることは別」
言われるまでもないのに、なんで……言われないと不安でたまらないんだろう。
「がんばってみよ。十四日、怖いなら私も一緒にいるからさ」
「……お前は忙しいだろうから、いいよ。我ひとりでなんとかする」
「そう? チョコ、用意できる?」
「意地悪をいうな……お母さまに手を借りるよ」
「ん! なら大丈夫だ」
笑って、やっと少し離れた。手を繋いでくる。
あたたかい。
「おやすみ、お姉ちゃん」
囁かれた。
「おやすみ」
呟くように答えて、目を伏せる。
熱には慣れている。熱いのにも慣れている。
なのに双子の妹の熱をどうすればいいのか、我にはちっとも見当がつかなかった――……。
◆
翌朝目覚めると、既に春灯はいなかった。
トウヤも学校に行った後だし、となればお父さまも仕事に出かけている。
起こしてくれてもいいのにな。
そう思いながら伸びをして気づいた。
あれ? ……今日は思いのほか安眠できたみたいだけど。なぜだ?
春灯効果? いやいや、そこまで我は単純じゃないだろ。カナタじゃあるまいし。
まあいい。お腹がすいたし、ご飯をもらいにいこう。
クウキとか地獄のことは一息吐いてから対策を練ればいいとも。よし、そうしよう。決して現実逃避ではないからな。
一階に降りて懐かしい気配を感じた。
お父さまかお母さまでも来ているのだろうか。わくわくしながら扉を開けて固まった。
「あははは。そうなの。あの子、十歳までおねしょしてたの!」
「ええ。怖い夢を見ると必ず」
お母さまがのんびり居間で話していた。
――……あんなに気にしていたクウキが角を隠して、スーツ姿でいたよ。
「な、な、な」
ていうことはあれか。おねしょとか聞こえたくだりは全部我のことか? いや、間違いなく我のことだな! 重大な秘密をしれっと漏らされたもんな!
「おや、姫さま……さすがにお着替えはまだ覚えられませんか」
「なぁ!?」
「ご自身でできるようになると、そういう決意を抱いていらっしゃったかに思えたのですが……私の早とちりのようです」
思わず拳を握ってぶるぶる震える我を見て、ふっと小馬鹿にしたように笑って言いやがるのだ。
「私がいないと……あなたは本当にだめなようですね」
耳まで真っ赤になった我が暴れ回ろうとして、直ちにクウキに取り押さえられたのは……そうだな。記憶からそっと削除しよう。それしかない。
◆
リビングで朝ご飯を食べる我の横で、クウキはしれっと言った。
「そろそろ様子が気になるというので、動画を撮りに来ました。ついでに姫さまが現世にいる間の仕事を一通り片付けたり押しつけて参りました」
「いや、押しつけちゃだめだろ」
「年功序列甚だしいので、少しは配置転換しなければ。昇進なき就職ほど、地獄のようなものもありませんよ」
いや……人によるだろ。責任おいたくない病の人もいるだろ。鬼でも一緒だろ。
「なに、たまりに溜まった有休をいただいてきただけですからご心配なく」
「そ、そうか」
ならいいか。
「それから鬼には私の口から謝罪するよりも、姫さまから直接何かしらのお気遣いをいただければよろしいかと」
「……わ、わかってる」
むすっとしながら目玉焼きベーコンレタストーストを食べきる。
ホットミルクを飲んで一息ついてから、クウキを睨んだ。
「そ、その……それだけか?」
「他に何か?」
「……なんでもない」
「それは結構。奥さま、食後は姫さまをお借りしても?」
お母さまが微笑みながら頷くなり、クウキは我に視線を向けてきた。意味ありげに笑ってくるのがなんとも不穏で落ち着かない。
「お借りするって……我をどうする気だ」
「なに。現世で買い物も悪くないかと思いまして。地獄での働きに応じた給与を現世のお金に変えておきました。気分転換に参りましょう」
「はあ」
まあ、それくらいなら別に構わないが。
「奥さまにお洋服をいただく光栄を授かれるのであれば、私からも是非……いろいろとお送りしたいと思っております」
「……変なものじゃないだろうな」
「誓って」
胸に手を当てて、なんのポーズなんだ。それは。
お母さまが朗らかに笑う。
「クウキさん。あなたってなんだか……素敵な紳士ね」
「いえ。空に漂う気でしかない、長生きの鬼というだけですよ」
それが如何に手強いかをよく知る我は、何も言えないのだけど。
クウキめ。何が狙いだ?
わくわくしながら考えてしまう自分に気づいて、思わず頭を抱えたくなった。
じゅうぶん、単純じゃないか。クウキが来るだけで、楽しくなっちゃって。
ああもう。ほんと……ばか。
◆
お母さまのくださったワンピースの上にコートを羽織って、クウキと二人で街へ出る。
鬼……それも職の位の高い鬼は現世に遊びに行く権利をお父さまからいただくことができる。
シガラキはよくふらっと遊びに行っていると聞くし、実際我も外出許可をお父さまの代理で与えたことも何度となくある。
対してクウキが現世に行ったという話は一度も聞いたことがない。
にも関わらず我よりも現世に馴染んで、迷いもせずに銀座へと我を連れて行く。
「なあ……何しに行くんだ?」
「そうですね。まずは……姫さまがコップに困っていたら、新しいものを差し上げたいと考えております」
特大の爆弾を投げられた。固まる。
「あ、の……お、怒ってる?」
「いいえ。悲しいとは思いますが」
微笑みの爆弾。破裂して、我の思考は停止状態。
「す、すまない、その……我は、その……癇癪もちで」
「姫さまはその身に余る力をお持ちです。それゆえ、感情の起伏が激しく、制御が難しい。私は姫さまのことをようく承知しております。ですから、仕方ないかと」
「で、でもだな……お父さまにばれたら、お尻を何度叩かれるかわからぬ」
「姫さまと私の個人的な問題ですから、敢えて申し上げておりません。姫さまが反省していらっしゃるでしょうし」
ううう。
「それに、形あるものはいずれ壊れる。思い出が詰まったものであろうとも……必ずね」
「クウキ……?」
「けれど生は続く。死を迎えても輪廻転生し、次へ繋がっていく。ですから……また新しい思い出を作ればよいのです」
信号とやらに立ち止まりクウキにそっと手を差し出された。
「姫さま。私にあなたの手を握る栄誉を授けていただけますか?」
あんまりはまっていたから、我は思わず恥ずかしさに顔を赤らめてしまった。
「――……あ、ああ。もちろんだ。お前以外、誰が我に寄り添う」
やっとの思いでそう言って、クウキの手を取ると、奴は日光を背に微笑むんだ。
「では……あなたのおそばに一生、寄り添いましょう」
背景に一瞬、花が咲いたように見えた。目の錯覚だった。でもクウキの美男子っぷりは錯覚じゃなかった。それともあれか? 我がちょろいのか? 特別、我がちょろいのか?
わ、わからん! 我は恋愛など縁がないゆえ!
「あ、う」
「さて、小物を見て……姫さまがどのようなチョコを私にお与えくださるのか、歩き回ってみましょうか」
「ぬな!?」
「バレンタインデー、ご存じではない?」
「し、知ってるわ! ばかにするな!」
「そうでしょうとも」
くらっときてしまったのは、ぜったいぜったい、ここだけの話だ!
つづく!




