第四百五話
お祭り翌日はお休み。土日もあるし、来週水曜日はバレンタインデー。
ともなると、土日にチョコを用意したいけど、私はお仕事なのでした。
金曜日と土曜日は二日とも日中はシングルの収録ががっつり入っていて、それが終わったらテレビの収録。
日曜日はあいてるぞーと思いながら仕事をなんとかこなした日曜日にどや顔の私は、さも当たり前のように高城さんに連行させられて、都内のキッチンスタジオに連れて行かれました。
待ち構えていた橋本さんと見慣れたネット番組制作スタッフにもう笑うしかない。
「で。今度はなんですか」
私の問いかけに橋本さん大爆笑。
「あっはっはっはっは! 慣れてきたねー。うぇーい」
めんどくさいなあ、もう。
伸ばされた手にぺちんと手を合わせて周囲を見渡した。
エプロンを着たかわいいお姉さんがいるよ?
あといかにも生活水準レベルが高そうなお姉さんたちとすらっとしたお兄さんがちょこちょこいる。みんなエプロン姿だ。なぜか不自然にずらっと身を寄せ合って並んでいるの。
「……ん?」
「さあさあさあ、春灯ちゃん。今日は! なにをつくるでしょうか!」
たくさん並ぶキッチンの上にあるのは……板チョコとスポンジとか、いかにもお菓子を作るための材料たち。
「……ちょこ?」
「ですね。二月十四日といえば?」
「ばれんたいんでー」
「といえば?」
「……好きな人にチョコを渡す?」
さすがにこの番組のノリには慣れてきたから答えるけど、身構えちゃうよね。
だいたい無茶ぶりされるし。
「春灯ちゃん……ファンのことは?」
「……え? と?」
カンペを出された。
『だいすき。かわいこぶって言って!』
思わず吹き出し掛けた。そういうキャラじゃないんだけど、大丈夫なんだろうか。
『売れる内に媚びは売っておくもんじゃぞう』
タマちゃんは振り切れてるなあ。しょうがない。
「……だいすき」
心の中では「くっ、殺せ」とか唱えている私です。
「はい、大好きいただきましたー。そんな大好きなファン、増えたら嬉しいですよね?」
「まあ……そりゃあ」
頷く私に橋本さんはどや顔で言うの。
「というわけで、今回のチャレンジ! CDショップに来たお客さん百人にあげる、ぷちチョコレートケーキをつくろー!」
スタッフさんやスタジオに集まっている人たちが揃って拍手するんだけども。
ひとしきり落ち着くのを待ってから聞いたよ。
「……なんて?」
聞き間違えかな?
「え。まって。まって! 百人にあげるの!? ファンじゃない人も込みで、CD買いに来たっていう私に遠い人に!?」
「そうでーす」
「それはもはやテロなのでは……? 差し出して拒絶されたら私、心が砕けそうなのですが」
「春灯ちゃん、春灯ちゃん。これ、お仕事」
くっ。そういえば通ると思いやがって!
「……だ、だとしても、アルバム発売されて結構たつのに、そんなタイミングで百個も!? 作るの大変だし、いやまって。っていうか、どう配るの!?」
「呟きアプリでちょっと呟いてみるのもいいですねー」
「宣伝が私任せっておかしくないですか?」
「歌手が一から作っていく番組ですねえ。いやあ、使えるものはなんでも使う! 前のめりでいきましょう!」
すごいひとごと……! 今に始まったことじゃないけど!
「とはいえ……百個つくってよ、と言って一から十まですべて作らせるほど、うちの番組も鬼じゃありません」
スカイダイビングさせたり、尻尾で釣りをさせたり、マグロをさばかせておいて……一体どの口が? とか割と本気で考えてしまう私の心、ささくれだっているに違いないので、至急いやしを求めています。
「今回はキッチンスタジオ、バルクさんの先生、生徒さん……の、後ろに?」
後ろって。
「なんと、四月にデビュー予定の期待の新人をたくさんお呼びしました!」
……ん?
「どうぞ!」
お姉さんお兄さんたちがいそいそと左右に分かれていくわちゃわちゃ感に思わず吹き出しそうになった。まあまあのもたつき感なんだけど。
でも人垣が分かれて目にした光景に目が点になったよね。
「……どうも」
岡島くんだ! パティシエさんにしかみえない調理服姿が憎いくらい似合ってる!
「今日はおいしいものが食べられると聞いて」
ユリア先輩! 食べるんじゃなくて作るんですよ! 人選ミスなのでは!?
波乱の予感しかしないのですが。
「岡島ミヤビくんとユリア・バイルシュタインさんです! 二人は春灯ちゃんと同じ学校の出なんですよね? 春灯ちゃん」
「あ、は、はい、そうです。他局になるんですが、帝都テレビで番組を制作していて、そちらで活躍予定の仲間です」
「なるほど! 岡島くんは気合いの入った衣装ですねー!」
橋本さんがマイクを手に岡島くんに歩み寄っていく横で、ユリア先輩が懐からナチュラルに紙袋の包みを出して、中からそっとハンバーガーを出して貪り食べる。けど包みの企業マークとかは消えているの。
「ちょちょちょちょ! これからお菓子つくるんだよ? なに食べてるの!」
「はんばーがー」
「いやいやいや。待って。懐から自然と出したけどさ、」
橋本さんがノリノリでツッコミを入れているのを見て、納得。
なるほど、このあたりのくだりは予定通りだったんだね。
ユリア先輩はもぐもぐ食べながらマイペースにボケ続けて、とうとう食べものがなくなった時だった。
「これでもう食べられないでしょ」
「こちら、バルクさんの基礎コースで最初に教わる特製サンドイッチをどうぞ」
「って岡島くんが出すんかーい! しかもスタジオの宣伝込みやないかーい!」
岡島くんがとびきりおいしそうなフランスパンのサンドイッチを渡して橋本さんがツッコミをいれた。
そのクオリティといったら。高そうなハムとしゃきしゃきのレタス、雫が滴るトマトにアボカドと濃厚なマヨネーズディップ! とてもおいしそうなの。
もぐもぐ食べるユリア先輩にツッコミを入れるのを諦めた体で、橋本さんが岡島くんの腕前を尋ねると……スタジオの生徒さんに隠れていたキッチンの上にカメラが向かう。
名前をいうだけで舌を噛みそうなフランス料理のフルコースが並んでいた。
先生が岡島くんを褒めてもてはやす。その流れもきっと、予定通りに違いない。
あれ? もしかして、初めてこの番組、真面目に進行しているのでは?
話が一区切りついてようやく、私はスタジオの先生と岡島くんのサポートを受けながらプチチョコケーキを作り始めたの。
大勢の生徒さんたちも同じ工程を踏んで作っていく。
たっぷりの時間、ひいこらがんばって普通に満足のいくものを作って橋本さんに小声で「ぼけていいんだよ」と突っ込まれたりはしたけど、なんとかやりきったよ。
岡島くんに手を借りて頑張って料理やお菓子を作るのは、これが初めてじゃないからね。
楽勝ですよ。楽勝! ……数が多くてへこたれそうだったけどね。
結果に胸を張る私に岡島くんだけじゃなくスタジオの人たちも拍手をくれたの。
どやあ!
ちなみにユリア先輩はずっと食べていました。
◆
試食役だったみたいだよ?
試しに一個食べてもらって出番は終了。橋本さんがさんざんツッコミを入れて一区切り。
次のVTRへ振って、スタジオ収録は終わり。
着替えをぱっと済ませるなり、岡島くんは普通に包丁セットを出してそのままスタジオに残る模様です。ずらずらと見慣れた人たちがやってくるの。帝都の人たちだ。
うちの番組のスタッフさん……特にディレクターさんと話してちょっと盛り上がっている。
ユリア先輩は見慣れないスーツのお姉さんと二人で、挨拶もそこそこにどこかへ行っちゃった。高城さんに耳打ちされたけど、ユリア先輩のマネージャーさんなんだって。
岡島くんは本格的に料理の準備を始めるし、帝都の人たちも撮影準備に入る。
――……お仕事、本格的に始まっているんだなあ。実感しちゃう。
私はというと先生や生徒さんたちと握手をしてから次の現場へ。
渋谷のCDショップへ車で移動したよ。
既に許可はもらっているというので、外に出て……まずは私のCDを買ってくれる人がいるかどうか店の人にそっと聞いたの。そしたらね?
「明坂のライブで青澄春灯さん作詞作曲の曲がお披露目されたっていうんで、まあ今のご時世なんで昔と比べたら緩やかではありますけど、売れてますね」
やった、ライブに楽曲提供した効果が出てるんだ!
「明坂のCDを見に来たお客さんが一緒に見ていっているみたいです」
だってさ。おひげの売り場責任者さんの言葉に頷いた。
「今日は場所をお借りしてすみません。ケーキを配りますが、もしお邪魔なようでしたら遠慮なく仰ってください」
「それで、本日の流れなんですが、予めお渡しした資料の通り――」
高城さんと番組の責任者さんが話を始めるのを遠目に、私はスタッフさんたちと一緒に小さな箱に詰めた小さなチョコケーキを運び込む。
バックヤードに置いて途方に暮れる。
土曜日だからそれなりにお客さんはいるよ?
でも……私のお客さんというわけじゃない。
喜んでくれるだろうか……わからないや。
どきどきしながら胸に手を当てていた時だった。
「あの……春灯ちゃん。警察に申請は出してあるから、お店の前で歌ってみてくれないかな」
ディレクターの真壁さんに提案された内容にまばたきした。
「い、いいですけど。曲使用は問題ないです?」
たとえ自分の持ち歌でも権利の管理を委ねていると、好き勝手に歌っちゃいけないことくらいは知っているよ。
「そっちも問題ないから。二曲……渋谷といえばっていう、例のアレと。あとは明坂に提供した曲を頼める?」
むしろ後者の方が権利関係ややこしくてしょうがないのでは?
明坂側の許可とかも必要だろうし、そもそもナチュさんたちがしばらくはよそうって話にしていたはず。お祭りは特別中の特別ケースなのであって、ここで許可が出るとも思えない。
「ほ、ほんとうに大丈夫です?」
「配信では使わない体で」
うわ。これあれだ。危険信号だ。
「真壁さん、やっぱりやめた方がいいと思いますよ?」
「いや、きっと盛り上がるからさ。そこをなんとか」
「んー……そうだなあ」
笑顔で小首を傾げながら、心の中で高城さんを呼んだよね。
もちろん通じるわけがないから、スカートの中にしのばせてある葉っぱをぷちの私に変えて、真壁さんにばれないようにダッシュで高城さんを呼びに行かせた。
ごまかしごまかし、かわしまくっている内に駆け込んできた高城さんにそれとなく事情を説明すると、高城さんは笑顔で真壁さんの肩に手を置いて出て行ったの。
「……ふう」
獣耳に聞こえてくる。
「すみません。あの曲は現状では使用を控えるようにという話になってまして。事前にきちんとお断りしたはずですが」
「そ、そこをなんとか。明坂目当てのお客さんがいて、それをやれば絶対にどかんと――」
「なんか盛り上がってますね、なんですー?」
橋本さんの声が混じる。
高城さんが事情を説明した後の橋本さんの対応は早かった。
「真壁ちゃーん。局にいた頃の悪い癖、でちゃってるよー? 暴走しちゃだめだって! タレントさんを怒らせちゃって、最終的にはスポンサーからクレームつけられて、結構なもめ事になって辞めさせられたんでしょー?」
苦笑いしかでないね。
橋本さんの言葉は牽制だ。真壁さんに対しての。そして注意喚起でもある。高城さんだけじゃなく、真壁さんに対してね。
ぷちに感覚を移す。高城さんのスーツジャケットの内ポケットの中だ。
そっと身体を動かして、スーツの隙間から周囲を見た。他に人はいない。
「高城さん、すみませんね。真壁ちゃん、今回の企画はどうしても当てたくて、焦っているんですよ。何か無茶を言ってきたら僕に言ってくれたらなんとかしますんで、歌は事前の打ち合わせ通りに。春灯ちゃんに伝達、たのめます?」
さらりと問題の管理は自分がやると提案してる。
窓口を用意してくれる手際にただただ脱帽です。
押され気味になりながら高城さんが頷いた。
「え、ええ。それはもちろん構いませんが」
「それじゃあ……ちょっといこっか、真壁ちゃん。タバコ吸って落ち着こうよ」
肩をばしばし叩いて真壁さんを連れていく。
高城さんがほっとひと息を吐いて私のいるお部屋に向かい始めたから、そっとポケットから飛び降りて追いかけていく。
ビルの脇に出た階段に簡易の喫煙所が設置されていた。
そこで二人はタバコに火をつけて、煙を長く吐き出すの。
気づかれないようにうんとちっちゃくなって見上げる。
「どうしたのよ、真壁ちゃん。配信のスケジュールも立って、今すぐ打ち切りどうこうって話じゃないのに」
「さっき見たでしょ、橋本ちゃん……帝都がでかい番組をやる。日に日に噂が聞こえてくる。それだけじゃない。奴ら、ものすごい映像とったって自慢してくるんですよ。うちなんか目じゃないような激しい奴だってさ」
ぴんときたの。
バックヤードに来た高城さんとお話しながら考える。
先週のお祭り騒ぎ。目にすることができたスタッフさんからしてみれば、普通の学祭とは一線を画した内容だった部分もある。
「最初は……春灯ちゃんがいてくれれば、少しはいけると思った。これで、ネットだろうと一山あてて、ここが俺たちの城になるんだって……思ってたんだけどさ」
「うんうん。飲み屋で話したよなあ。それでいいじゃない?」
「だめだよ。気づいちまったんだ。おんなじことやってたら、枠組みにはまっていたら……ノウハウと人材が山ほど集まってるキー局に勝てない」
制作チームの素直な愚痴だったのかもしれない。真壁さんは困ったことを言ってきたけど、悩みがあるなんて想像さえしなかった。
「金はさ……そりゃあうちは世界的企業が出資元だ、ばんばん出してくれるよ? 予想よりずっと予算は多い。スポンサーとか事務所まわりとか、配慮するところも少ないから前より自由はある」
けどさ、と続くの。
「けど……人材は、俺たちしかいないし。限界はある。プロデューサーに呼ばれてキー局の連中の呑みに混ざってきて、昨日は二人して落ち込んで帰ったんだ」
橋本さんは長く煙を吐き出した。
真壁さんのタバコが長い灰を作っていく。
「同じ素材を……同じタレントを使って、差ができるんじゃ俺たちに未来はないよ」
「けどさ。そのしわ寄せを、まだまだド新人の春灯ちゃんに向けちゃいかんよ。大人はさ。子供にかっこいい背中を見せてやらなきゃ。無茶ぶりをするのが仕事じゃない。最高の番組を作って、理想の形で届けるのが仕事。そうだろ?」
「橋本さん……」
「急きょとはいえ、春灯ちゃんとこの新人ひっぱってくる案だして、うまく構成して。がんばってるあんたのこと、誰もが頼りにしてるんだ」
真壁さんの肩を何度か叩いて、
「先に戻ってるよ。高城さんには一言いれておくし、春灯ちゃんのフォローはしとくから。頭を冷やして、最高の仕事をしに戻ってきなよ」
歩き去る橋本さんはめちゃめちゃかっこよかったし、灰を落としてすごく切なそうな顔をする真壁さんを見たら、困ったなあって思った気持ちさえ飛んでいったの。
私は私に振られたことだけやれば、それで番組をやりきれるんだと思っていた。
けど、そうじゃないんだ。
番組には関わるスタッフがいて、それぞれに違うことを考えているに違いないし、仕事に携わる思いがあるに違いない。
橋本さんの軸は太い。それにきっと、長くやっていくための強さがある。
大人でも迷うし、惑う。そんな時、寄り添って導ける人は貴重なのかもしれない。
――……チームになっていくんだ。そうやって、きっと。
ぷちをこっちに走って戻らせながら、私は思ったの。
何かできないかなって。
◆
橋本さんがフォローに来て、話している内に真壁さんが戻ってきて謝ってきたから、私は思いきって提案したの。
「お店の前で歌っていいなら、むしろ私の曲とかに限らず、いろいろやっちゃうのは? たとえばなんですが」
戻ってきたぷちは既にポケットの中で葉っぱに戻っていた。
だからそれを取り出して額にのせて、化けてみせるの。明坂の衣装姿に。
「これで明坂の歌を歌いながら踊ってみせたり。あるいは」
次いで着物姿へ。
「これで演歌とか」
カックンさんのいるグループの衣装に変えてみたりしたの。
それだけで真壁さんが歓声を上げて、興奮して手を叩いてくれる。
あんまり一人で盛り上がって、呼びかけにいくもんだから、外で待機していた他のスタッフさんたちもなんだなんだと入ってきたの。
あえてこの状況で言うのもなんだけども。
「男性アイドルソングもいけますし。衣装を変えて歌ってみせる。それで人が寄ってきたらリクエストしてもらって」
「――……歌えなかったら、チョコプレゼント?」
「そうそう、そんなノリ」
真壁さんの問いかけに笑顔で頷くと、すかさず橋本さんが楽しそうな声をだして混ざってくれるの。
「いやいや。わかりやすくて、掴みがあってのれるのないかい? もう少し……すごい何か。春灯ちゃんならもってるんじゃない?」
「えええ」
橋本さんは厳しい。けど……それだけ私に求めているということでもある。
考えてみた。マドカがいてくれたら……或いはキラリがいてくれたら、相手の願いを読み取って何かができるかもしれない。
けど、二人はここにいない。
私にできるのは……なんだろう。必死に思い返してみる。
刀鍛冶が一人でもいたなら、私の金色を何かに変えてもらって、それこそ相手の願う姿を映し出す鏡にだってしてもらえる。ノンちゃんたちと生徒会長選挙でやったのが、まさにそれだ。
けど、だめだ。私は刀鍛冶じゃない。侍候補生で、刀も所持許可証がないからここにはなくて。たとえば格闘技やってるお客さんだらけなら、一撃を入れてもらうとかでやればいいだろうけど、そうじゃないし――……。
「お客さんにとってハードルが低くて、すぐやれて盛り上がること……」
「そう。化けて歌うのもいいけど、他にもないかな」
明坂なら握手会。
でも私にはまだ明坂ほどの知名度がない。
売り出し中の新人であることに違いない。
そんな私が「握手しますよ、ふふん。可愛い私と握手できて幸せですね」とかやっても、刺しだした手を握ってくれる豪快で奇特なお客さんはどれだけいるのだろう。そもそもキャラ違うね。こほん。
あんまり奇抜なことをやっても、お客さんにとってハードルが高くて「別にいいや」になりかねない。
うーん。うーん。
化けた葉っぱを元に戻してぷちに変えて、手のひらで弄びつつ、尻尾を揺さぶってから……ふと気づいた。
「尻尾とぷち……歌……」
普段やらない頭脳労働だけど、必死に必死に考えて……ひねりだしたのは。
「アプリで呟いて呼び込み。店頭にちっちゃなブース作って、ぷちたちで歌って踊る。リクエストにも応える。私は店員さんのお手伝いして、何かCDを買ってくれる先着百名にチョコぷれぜんと……なんて、だめです?」
橋本さんは笑って真壁さんを見た。真壁さんは頷き、それからはっとして周囲を見渡す。
他のスタッフさんたちの顔は……すっかりその気。
「じゃ、じゃあ……急いで用意しよう! 店の人に話を通すから、待ってて」
慌ただしくみんなが動き始める中、橋本さんは私にウインクをして出て行った。
高城さんが私に言うの。
「やりきれそうかい?」
「まあね!」
心配には及ばないよ! ……なんて言えなかったけど。
本当は不安でしょうがない。
それでも、きっと……笑顔でだいじょうぶって言わなきゃいけない瞬間がある。
たぶん、今がその時だ。
◆
スマホの通知に気づいて、あわてて取り上げた。
見れば春灯ちゃんのアカウントが呟いていた。
『あと十分後、渋谷のCD店にて売り子をします。CDを買ってくれた人にはチョコあげるよー! 先着百名ですが……なにとぞ! 来店のほど、よろしく御願いしますー!』
見慣れた店員さんの制服姿に着替えた春灯ちゃんだ。
はっとしてあわてて荷物をまとめる。
「リカ、どうしたの」
友達に声を掛けられて、曖昧に笑う。
代官山のスイーツショップで写真映えするスイーツを頼んで写真を撮り合っていた。
私も友達もみんな中学生でも親はお金もっていて、お小遣いもかなり余裕がある方。
ここにいるのは、クラスじゃそれなりに目立つ子たち。
そういう付き合いは大事にした方がいいと言って、親はわかった振りをしてお金を出すだけ。不満がないわけじゃないけど、別に良い。
お金をもらえるのは大きい。特にバイトもできない中学生にとっては、かなり大きい。
友達との話題と言えばクラスの女子の悪口か服か化粧のことだけ。
嫌いじゃないけど、落ち着く関係じゃない。
誰かの悪口を言う友達は、私のいないところで私の悪口を言う。
文句はない。
世の中の摂理だと思う。
だからなんとも思わない。
ただ……ほんとの意味で心を開けはしない。だから笑って言うんだ。
「ごめん。ちょっと急用できた」
「え、ほんと?」
「ほんとほんと。大好きな歌手が渋谷にいるみたいなの。じゃ、おさき」
荷物を拾ってしれっと真実で嘘を覆って、出て行く。
ここにいるより楽しいことがある、なんて言い方はしない。
要するに伝え方の問題だ。
これくらいのやりとり普通だし、嘘だってわかっていても突っ込んでこない。
この場で話す悪口のネタが増えるだけ。世の中そんなもんだ。文句はない。嫌いだけどね。
「じゃねー」「週明け学校で」「ばいばい」
送り出してくれる友達に手を振って、走り出す。
急がなきゃ。急がなきゃ。
無線のイヤホンつけて、春灯ちゃんのアルバムを掛ける。
ヘビロテしまくって、歌詞も音も入っている。それでも飽きない。
金曜夜の生放送、なんとか観覧の権利をもぎとったのも……春灯ちゃんと握手をしたのもすべて、渋谷のゲリラライブであの金色の光を浴びた、あの瞬間に恋をしたからだ。
春灯ちゃんのファン、第一人者のツバキちゃんと街頭ライブツアーで出会って仲良くなって、やりとりを重ねてる。
最近は忙しいというけど、ちょっと怪しいなって思ってる。誰より春灯ちゃんのこと知ってた人の呟きペースが明らかに落ちて、通話してみたら曲のこと妙に詳しくなっていたり、裏事情についてぽつりと言ってあわてて言い消していたりするし。
もしかしたら関係者になったのかも。聞いてもはぐらかされるだけ。
素直に羨ましいなって思う。教えてくれないのも当然。大人の世界のことだもん。
私の世界は嘘でできてる。
世界は何気ない嘘で回っているとすら思う。
文句はない。見抜けるかどうか、そして賢く立ち回れるかどうか……それだけ。
――……そのはずだった。
だけどどうみたって不確かなはずの、春灯ちゃんが放ったあの金色は本物だった。
あたたかくて優しかったの。
私は知りたい。あの光が本物なら、それを手に入れる方法を……私は知りたい!
「やった、タクシ-!」
ぶんぶん手を振って通りを走るタクシーを止めて、渋谷に急いでもらう。
運転手のおじさんがフロントミラーで私を見た。
「お嬢ちゃん、かわいいし派手だね。なんか芸能関係の仕事してるの?」
「ふふー。どうでしょー。あ、でももっかい聞きたい。私、かわいい?」
「かわいいかわいい」
「じゃあ……初乗りで許してくれたりしない?」
「よわったなあ」
おじさんが楽しそうに笑う。けど目は笑っていなかった。
「うそうそ、ちゃんと払いますから。御願いしまーす」
「はいよー」
引き際は弁えて、引き下がる私におじさんが本当の意味で微笑む。
「いや、それにしても……本当にかわいいねえ。タレントさんかい?」
「どうもー。ふふー、なんでしょーねー」
残念。ただの歌手の追っかけです。
服にもメイクにも、高校生顔負けっていうくらいお金出してる。
でも中学生だからやりすぎたりはしない。
今日は写真アプリにのせられるように作ってあるだけ。
作れる可愛いがあるなら、それでも届かない地の良さがある。だから人は整形するのだと思う。世界的なポップスターでさえ顔を変えた。
コンプレックスは消せない。一度生まれたら、誰かに肯定されるまで呪いのように付きまとう。
でも……春灯ちゃんはどっちも持ってる。
私にはそれが羨ましくてたまらないし、憧れでしかない。
日本人なのに金色が似合うって、なに?
意味がわかんない。超やばい。めっちゃかわいい!
タクシーが止まったから、愛想を振りまいてお金を払う。
親の金だ。娘の教育イコールお金を出すという、わかりやすいルールを一番最初に掲げている人たちのお金。
だから自分のためになると思ったら迷わずねだるし使う。もらえなくなる前に、自分を磨くだけ磨いて……もらえなくなる前に、自分にしかできない仕事をする。
足りなくなったら稼げばいい。
予想より早くもらえなくなったら、バイトでもなんでもするだけ。
だからこそ早く大人になりたい。
できることはなんでもやるよ。
勉強はするし、体育だって他の科目だって人一倍がんばる。
そうして知ったのは、ただがんばるだけじゃしょうがないっていう事実。
一緒にいた友達たちがバカにする冴えない子たちも、なかなか真似できない集中力を発揮する分野があったり、或いは息抜きの方法を知っていて、取り込めば取り込むほど見えてくる。
あんがい、私たちは狭い世界しか見えてない。
やり方次第で、がんばりは可能性を広げられる。
がむしゃらにならなきゃいけない時はくるかも。
でもその前に、どうやって意識的に自分を磨けるか。そこが問題。
メジャーリーガーになった野球選手の努力や、フィギュアスケート選手の練習を思えばイメージはつく。国立大学にいってる人の勉強時間とか、大学いかずに専門的な仕事についている人たちの中でも特に脚光を浴びている人たちの練習時間を思えば、答えは明白。
理想的なゴールに効率よく進むためにどうしたらいいか、ちゃんと考えることが大事。分析して、試して、失敗して、どういうのが正解なのか探っていく。
きっとそれってすっごく大事。
意識して頑張れば、ほら。
ただの女子中学生なのに、芸能関係者にだって見られちゃうわけだ。
だけど……私が春灯ちゃんのようになるための道は、どうしたって思いつかなかった。
侍のこと、調べたよ。隔離世についても。
でも、やっぱり意味わかんない。
御霊ってなに? 幽霊とか、神さまとか、妖怪とか。
それが刀になるってどういうこと?
夢の結晶が形になるとか、姿さえ変えるとか。
わからなすぎて、やばい。アガる!
「急がなきゃ!」
走りだす。
あの日に触れた金色は私の何かをがらっと塗りかえた。
私の知らない世界があるんだ。
そして、その中心にきっと、春灯ちゃんがいるんだ。本物の春灯ちゃんが!
憧れて憧れてどうしようもない。
そばにいきたい。追いかけたい。隣に立って、見てみたい。どんな世界が見えるのか。
迷わず士道誠心に志望校を変えた。
私立への推薦入試は終わり、既に合格通知をもらっている。
でも、まだ入学まで日にちがあるの。
早く春灯ちゃんと同じ学校に行きたいのに。
春灯ちゃんが中学時代に着ていた服と同じブランドで揃えても足りない。歌を何度カラオケで歌ってもわからない。
メイクを真似した。眉毛の形を合わせた。髪型だって同じにした。唇の表情の付け方を真似した。他にも山ほど試してみた。けど、想像さえできない。
春灯ちゃんて、どんな感じで生きているんだろう。九つの尻尾は重たくないのかな? どんな感触なんだろう。あの獣耳で聞こえる音ってどんなもの?
さっぱりわからない!
それがたまらなく、私の気分をアゲるのだ。
タクシーを下りたら、もうすでに人だかりができていた。
なんとか隙間を見つけて通り抜ける。春灯ちゃんの事務所公表の身長とぴたり一緒で、私は小さいからなんとか抜けられた。そして目にしたの。
「わあ――……」
ちっちゃなちっちゃなライブステージ。両手を広げれば抱き締められるようなそこに、ちっちゃなちっちゃな春灯ちゃんがいるの。
歌って踊っている。明坂の衣装を着て、明坂の歌を。歌いきったらすぐに周囲の人が口々に曲のリクエストを言う。
「よし、じゃあそこの赤いコートのお姉さんのリクエストにおこたえして……どろん!」
くるんと回転したら衣装が変わった。男性アイドルの煌びやかなパンツスーツに。
そして歌い始める。踊りがいちいち元のアイドルを完コピしていて、クオリティ高すぎやばい。
ずっと見ていたい気持ちでいっぱいだったし、思わずスマホを出した。
みんながスマホを出して動画を撮ってる。気持ちはわかる。永久保存したい。
前に出そうになったお客さんをお店のスタッフさんが止めていた。
それを見て我に返った。
そうだ。限定百人チョコ!
あわてて輪の中を抜けてお店に入る。
レジを見たらカメラとかライトとか、マイクを手にした人たちが集まっていた。その先に――……いた。春灯ちゃんだ!
にこにこしながらお客さんがくるのを待っている……ってことは、まだ間に合う!?
てんぱった。周囲を見渡す。スタッフさんが通りすがったから抱きついた。
「ああああ、あの! 春灯ちゃんのチョコ、どうやったらもらえますか!」
「え、ええと、なにか、CDを青澄さんのレジで買ってもらえたら」
「どのCDでもいいんですか!」
「え、ええ」
「いやでもどうせ買うなら二枚目だろうと春灯ちゃんのがいい! ありがとうございます!」
離れていこうとしたら、カバンを引っ張られた。
「あ、あの! 青澄春灯さんのCDでしたら、店頭にありますよ! そこ!」
慌てる私につられて、店員さんも慌てている。
指差してもらった方向を見たら、確かに春灯ちゃんのCDで棚を作られていた。
「ありがとうございます!」
お礼を言って全力ダッシュだ。
気持ち的にはすべてを取りたいけど、さすがにそれは浪費。
親が委ねてくれたもの、自分のためになると思うなら使う。けど余分はよくない。
一枚だけ取って、急いでレジに並んだ。
前に三人いる。
「チョコ欲しい方、こちらへどうぞー」
春灯ちゃんが呼びかける中、男の人が吸い寄せられるように三人とも春灯ちゃんの前に行った。
くそ! お前たちが奪ったら私は一生ゆるさない……!
いや、八つ当たりだ。なくなったとしたら、春灯ちゃんがはける前にアタックするだけ。聞きたいことなら山ほどあるもんね。それだけだ。落ち着け。いや、むり。アタックするって考えてる時点で無理。私は冷静じゃない。
はらはらする中、三人が会計を終えて……やっと私の番になった。
あるのか。チョコは。まだ。
「どうぞー」
呼びかけられて近づく。
すぐそばにきた。どうしよう。近づいて一瞬で頭が真っ白になった。
無我夢中でここまできたけど、なんか言えばいいのかな。わかんない。
私のこと覚えてます? とか聞いちゃう?
いや、それは図に乗った厄介なオタク感がでる。むりだ。厄介認定されたら生きていけない。ど、ど、どうしたら。こんなところで中学生の人生経験浅さだしてどうする……!
「あのう?」
「あ、す、すみません」
あわててCDを出してきょどりまくる私を見て、春灯ちゃんが目を細めた。
「んん? ……あれ? もしかして、歌番組みにきてた子? 握手して、泣いてた子……だよね? 覚えてるよ!」
そう言われた瞬間、あまりの喜びに私は気を失ったのでした。
つづく!




