第三百九十九話
何か変な音がした。ずっとバンドの爆音にまぎれて集中して歌っていたけど、それでも無視できないくらいの大きな音だった。
コナちゃん先輩が無線を前にはっとしてアリーナの入り口を睨む。
何かがあった、というだけじゃないんだ。
嫌な予感が膨らんで、マイクを投げて走りだそうとした。
トシさんが私の腕を掴んだ。
目が訴えている。お前はなんだ、と。マイクを捨てるのか、と。
そばにいるナチュさんやカックンさんが私を見た。
入り口をもう一度みたの。
まるで立ちふさがるように、仁王立ちしていた。
コナちゃん先輩がハリセンを振り下ろして、私に突きつけた。
それを見て思ったの。
歌わなきゃ。何かが起きて、それは私の日常を脅かすかもしれない。
それでも、歌わなきゃ。
胸一杯に息を吸いこんだ。トシさんの手が離れる。
もしかしたら、誰かがどこかで戦っているのかもしれない。
それなら――……せめて、その誰かに届くように、全力で。
◆
ドームから下りて、隔離世から戻ろうとするその前に吸血鬼は立ち止まった。
振り返り、囁く。
「そう――……鍵を使うのね。後戻りはできなくなるけれど」
せいぜいがんばりなさい、と。
そう囁いて、北斗の制服姿は隔離世から消えた。
◆
アリーナからあいつの歌声が聞こえてきた。
『いやあ、いい景気づけですねえ!』
シガラキ……姫は?
『うるさい鬼に耳元で話されて非常に不愉快だ』
……すまない。夜八時を過ぎているのに。
『なに。たまには全力を出すのも悪くないさ。とはいえそろそろ、コーヒーのせいでお腹がたぷんたぷんだけどな』
……助かる。
『さあ、カナタ。鍵の使い方は心得ているな?』
「もちろんだ!」
『よし……修行時間、足りない分の補習だ! いくぞ!』
球体を睨みつけた。吠えて、顔と顔の隙間から足をだしてきた。
蜘蛛のように生えるそれで立ち、眼前に本体を下ろしてくる。
山ほどある目が俺一人を見つめてきた。
構うものか。
姫の刀を地面に突き刺した。
『唱えろ!』
「地獄に連なる者として命ずる!」
『閻魔の娘として命ずる!』
「盟約に基づき、我の元へ!」
『盟約に基づき、主の元へ!』
「『 いまこそ現われ出でよ! 』」
噴き出る。灼熱の炎が形作る――……鳥居の内から出てくる。
冬音が……シガラキたち地獄の軍勢の担いだ神輿に乗って。演出だとしてもそれはいろいろどうなんだ。
「カナタ! 王から許された時間は三分だ! ようく見ておけ! そして決して手を離すなよ!」
「わかっている!」
手の内にある刀の柄から触手が伸びて、俺の腕を包み込む。
そして棘を生やして俺の霊子を吸い始めた。
急速に。
地獄のモノ達の召喚術。代償は明白。けれど笑い、見つめる。
「さあ……カナタに力の使い方を教えてやれ! 我のために踊れ!」
鬼たちが手にした棍棒を掲げて、人とは比べものにならないほどの早さで散り、球体に集う。
姫を担いでいた神輿を下ろして、牛頭と馬頭がいく。鬼たちに殴られて暴れようとする球体を掴み、おさえつけるのだ。
蜘蛛女が糸を放ち、雪女が吐息で凍り付かせる。
一気に吸われていく……己の霊子。構わない。二つの御霊と共にある己の魂に不可能はない。笑って見つめた。
瞬時に離れた牛頭と馬頭がさがり、お辞儀をする。
恭しくお辞儀をしたシガラキが棍棒を差し出した。立ち上がり、受け取る冬音の纏う衣をクウキがそっと外す。
閻魔姫が棍棒の先端を地面に擦り付けながら、優雅に歩いて行く。
凍り付き、それでも嘆きの顔を見せる球体に思い切り棍棒を叩きつけた。
姫のただ一撃だけで、身体の髄まで棘が伸びて思わず唇を噛んだ。
結果を見ずに、姫は踵を返す。牛頭と馬頭が神輿を手に駆け寄り、その上に腰掛けた。
「さあ、カナタ。ここからはお前の仕事だ……明日の祭りまでにやれるか?」
「約束する」
「そうこなくては――……帰るぞ」
神輿がこちらに進んでくる。
俺が作り出した炎の鳥居を抜けて消えていく。
雪女と蜘蛛女が手を振ってくれた。冬音はただ……笑っていたし、シガラキもクウキも俺を強く見つめてきた。
全員が通り抜けて、刀を引き抜く。触手は消え、腕は解放されたがずたずただ。構うものか。鳥居は消え失せた。
凍り付いた球体にゆっくりとヒビが入っていく。
胸一杯に吸いこんだ。
『――……』
ミツヨの声が聞こえた気がして笑った。
大丈夫だ。ここに至って恐れはない。
さあ――……どう変化する?
◆
ルルコ先輩の腕の中から離れて、一歩前に出た。
「マドカちゃん!」
腕を引っ張られたけれど、気にしていられなかった。
周辺に散って見守る侍たちの中に交じって、よろけたところで緋迎シュウに受け止められた。
お礼を言うよりも、目の前で起きる光景に呟かずにはいられなかった。
「……割れる。なら、あれは……卵?」
ヒビが入って、足が朽ちて消えていく。
緋迎先輩が召喚してみせた軍勢の正体に思いを馳せる猶予さえなく、球体にヒビが入る速度に勢いが増していく。
当然のように割れる。
なら、じゃあ……中から何が出てくるの?
◆
アリーナの出口から眺めていたけれど、割れた瞬間に思わずよろめいた。
「キラリ!」
駆けつけてきたリョータに抱き留められていなかったら、倒れていた。
内側から吐き出されてきたのは、人だ。
星なら見える。既に見えている。でも飛び込んでいこうとは思えない。
「だ、だいじょうぶ!?」
答えられなかった。
艶めかしい白い肌の人型がゆらりと立ち上がる。
胸には黒い御珠が埋め込まれていた。
乳房はない。けれど単純に男のようには見えない。
腕は細く、足は骨のようだった。自立できずに足が折れて倒れる。
老人のようで、けれど皺はない。
黒い御珠に見える星は赤く明滅するが、けれどさっきの球体よりもうるさい。
聞こえているのにわからない。
肉が盛り上がって、徐々に巨体へと変わっていく。
胸に拳を突き立て、刀を引き抜いた。いや、そもそもあれは刀なのか?
大太刀というにしてもあまりに分厚く、刃先はこぼれて、なにより長すぎる。
ただ一人、青年が黒い刀をぶら下げて歩いて行く。
「緋迎先輩……」
戦えるのか。本当に。
◆
近くで見ると異様に圧倒されるな。
顔が一秒ごとに変わる。肌も一瞬で若返り、一瞬で老いて、新陳代謝が激しい。
祟り神と定義することさえ戸惑うような存在だ。
まあ……どうでもいいさ。
「にらみ合っていても意味がない。こいよ。その手に握るのが刀なら、立ち会うのは……俺の使命だ」
手を突きだして手招きをすると、巨体が吠えた。
四階建てのビルほどありそうな不細工な鉄の塊を振り下ろしてきた。
『カナタ』
大丈夫だ。今はまだ。
姫の声に笑い、手をかざした。
糸を伸ばして包み込み、受け止める。
姫の御霊を宿してありようの変わった今の身体なら余裕だ。
握りしめて、折る。
「だめだ。これじゃ……身体も大きすぎる。俺に怒りをぶちまけたいのなら、俺と同じ背の丈に変えろ」
よろめき、怒りに歪む顔を俺に向ける。
幼女のようで、老人のようで。目まぐるしく変わる顔で吠えて、後ろに飛び退いた。
刀を放り捨てて己の胸を叩く。何度も、何度も。
余りに激しい勢いで叩くから、肉が裂けて散らばっていく。
ぐしゃぐしゃと、にちゃにちゃと。
生々しい音が散らばって、地面に落ちた肉が蒸発して消えていく。
今もアリーナから春灯の歌声が聞こえてくるのに、荒ぶる敵は俺への怒りで忙しい。
言いつけには素直に従うようだ。俺と同じ背の丈になった敵は、捨てた刀を手にして駆けてきた。
次もまた、手で受け止める。
「違う。胸の内にあるのが黒い御珠ならば……もっと武器を研ぎ澄ませ。これじゃあ邪侍が握る刀の方が万倍マシだ」
押し返して拳で殴りつけた。俺の思う程度に刀へと姿を変えてやる。
「――……!」
耳障りな叫び声を放ち、がむしゃらに打ち込んでくるが――……当たる気はない。
「だめだ。俺を倒したいのなら、俺にもらった武器に甘えるな。もっと、俺を殺すための武器を手に取れ」
よけて、よけて、よけ抜いて、腹部を蹴り飛ばす。
生まれたての存在が叫び、怒りを表す。
駄々をこねるように何度も何度も刀を地面に叩きつけた。当然、刃先は割れて、半ばから折れて、使い物にならなくなる。
「癇癪を起こすな。戦いの最中だ……そら。もう一度、自分の武器を出してみせろ」
地面を殴り始める。肉が飛び散り、どんどん小さくなって――……子供に変わる。
誰も割って入ってこない。
子供になってなお、その存在感は強大で、御霊を宿して知覚できるならば挑む気すら浮かばないだろう。
御霊と同じ存在。神であり、妖怪であり、或いは付喪神かもしれず……霊魂なのかもしれない。胸に宿る黒い御珠が生み出せる可能性すべてを凝縮させた存在、なんて口で言っても理解が及ばない。
ただ……姫が胸の内にいて、破邪の力を腰に帯びて……愛する少女と絆を結んで。
恐れはあっても、逃げる気にはならなかった。
赤子のような存在を前に、投げ出す気にはならなかった。
「――……ゥゥ。ゥ、ァ」
泣き声をあげながら、子供が立ち上がり、両手を黒い御珠にあてがった。
柄が出てくる。刃紋はない。銘もないのだろう。反りは凡庸、真っ直ぐ伸びるそれは或いはもっとも戦闘意欲に満ちた作りなのかもしれない。
「ァアアアア!」
よたよたと駆けてくる子供の刃を己の刀で受けた。
軽い。技はない。ただぶつけてくるだけ。
引くこともなく。押しつけてくるだけ。
握りも甘い。ぶれて揺れて危うい。
俺に向けてくる敵意のように、幼い。
「そうじゃない。握りしめろ。手首が硬い」
受け流し、よけて。つま先を引っかけて。
思うようにならないことがつらくて苦しくてたまらないからと、刀を叩きつけて折る。
子供が癇癪を起こすたびに優しく諭す。
心の内から湧き上がってくる。十兵衞の声が――……どうしてか、聞こえてくる。
「『 落ち着け。お前の刀はなんのためにある? 』」
泣きべそを掻くならそばにいって頭を撫でてやり。
「『 足りない。斬るならもっと強く。もっと激しく。鋭く! 』」
刀を握るのならば導いてやり。
「『 そうだ。いい踏み込みだ! 』」
いい一撃を浴びせてくるのなら、褒めてやり。
「『 先ほどの刀よりは反りが入った。ならばどう斬る? 』」
新たな刀を生み出すのなら、問いかける。
そうして……育てていく。
己の悲しみと怒りの表現の仕方もわからないものに、道を説く。
祭りを捧げられ、喜べる存在に育て上げる――……。
十兵衞が俺を導き見せてくれた可能性に笑う。
なるほど。情緒すら理解できぬ幼い子では、作戦は失敗してしまう。
逆に……成長させることができたなら、春灯の歌も届くかもしれない。
なにより、たまりにたまった感情を吐き出させてやらなければ、受け止める余裕も生まれまい。
『間に合うのか』
冬音の声に笑う。間に合わせるさ。
『不意に予想もせぬ力を発揮して、一帯を焦土に変えるやもしれぬ』
大丈夫。
お前を宿している俺なら……邪悪な意思を切り裂く大典田光世がこの手にあるのなら。
守り抜くさ。
『育て上げて……お前の手に負えない怪物に育ったらどうする?』
その時は……そうだな。兄さんや父さん、みんなに泣きつくか。
怒るな。そうはさせないさ。俺がやる。宣言通りにな。
『――……もう一度きく。間に合うのか?』
時間なら、たっぷりある。
『体力は』
お前のしごきのおかげでようやく……身についた。
『――……我は寝るぞ?』
ああ。おやすみ……。
◆
ことの顛末はここにいたって想像できない流れになった。
リハーサルが終わりに近づいていて、私を呼びにキラリが下りてきて名前を呼ばれた。
「マドカ。上に戻るぞ」
「あ、ああ……うん」
途方に暮れながら、緋迎先輩と祟り神の戦いを見つめる。
「……ごめん。ちょっと、あっけに取られていて」
「そりゃあ……子育てみたいなノリだもんな、いきなり」
「……うん」
呟いてから、はっとして尋ねた。
「キラリ、星は見えてる?」
「ずっとね……けど、近づきたくないな。私には……これ以上ちかづけない。声もよくわからないんだ。あれが何を叫んでいるか。ただの音にしか聞こえない」
見ればキラリは震えていた。
大丈夫って伝えようとして、キラリがしてくれたように抱き締めようと伸ばした手を見て気づいた。私も震えていた。
「……マドカはなにか聞こえるか?」
「強いて言えば……あの子供があげる声しか、聞こえない。私も一緒だよ」
小さな子供が裸で緋迎先輩に何本目になるかもわからない刀で挑んでいく。
どんなに耳を澄ませても、あの子供があげる声しか聞こえない。
「あの人……あれを育てる気、なんだよね」
「まあ……風に乗って聞こえてくる話だけ聞いたら、そうなんだけど」
「……どうするんだ」
「さあ?」
私にもわからない。
状況があまりにも未知すぎて、警察の侍隊も手出しできないようだ。
仕方ない。下手に刺激して均衡が崩れたら、その方がよっぽど恐ろしい。
それにしたって敵が子供に姿を変えた今の状況は、或いは好機に見える。
暴発しかねないこの状況下で、よく統制が取れている。
緋迎シュウだけじゃない。緋迎ソウイチがいることも大きいのかもしれない。
なにより……まだまだ底の見えないあの敵に感じる畏怖の念が強い。
それに……実際、緋迎カナタは現状を掌握していた。間違いなく。
「……いこっか、キラリ。ハルのコンディションが今は一番大事。これほど騒いだのにハルが出てこないってことは、並木先輩はまだ知らせてないんじゃないかと思う」
「そうだった。いくぞ」
私の腰を抱いて、キラリが星を出して空に浮かぶアリーナへ飛んでいく。
見下ろした。見下ろさずにはいられなかった。
緋迎先輩は最初こそ刀鍛冶として振る舞ったが、今はもう違う。
刀を手に小さな子供を相手にする侍……どうしてだろう。その姿が何かの知識に重なってしょうがないと、そう思えるのは。
答えがわからないまま、ステージへ戻る。歌い終えて汗だくになっているハルを見た時にはもう、浮かんだ疑問を気にする余裕はなくなっていた――……。
◆
マドカとキラリが混ざって、最後の挨拶をして終わり。
今回の隔離世お祭り騒ぎライブにアンコールはない。
コナちゃん先輩が指示を出して、私はすぐにトシさんたちと現世に戻された。
救急車の音がした。サイレンの音も。あちこちから聞こえてくるの。
学校から出たバスで寝ていたのは私だけ。
すぐそばにニナ先生がいたの。あとは誰もいない。
「青澄さん、だいじょうぶ?」
「え、ええ……なんだか、騒がしいですね」
「意識を失う人が遠くにいるのかも。泥が迫っているのだから」
「……だ、大丈夫ですよね?」
ニナ先生の言葉に胸がざわついて、思わず尋ねていた。
「誰も傷つかなくて……明日はお祭りやって。そしたら……無事に終わりますよね?」
視線が揺れた。すぐに伏せて笑顔になって、何かを言おうとした時だった。
足音が前から近づいてきたの。
「失礼します……よろしいかしら」
サクラさんだった。
「え、ええ。ご無沙汰しております。国崎あらため、獅子王ニナです」
「あらまあ! こちらこそご無沙汰しております……いいかしら?」
「ええ。どうぞ」
ニナ先生と笑顔で会釈をしあうの。すぐにニナ先生は立ち上がってバスから出て行った。
なんだろう。
きょとんとする私のそばに来て、サクラさんは私の手を取った。
びっくりするくらい、冷たい手だった。
「サクラさん……?」
「一つだけ聞きたかったの。ごめんなさいね」
「いえ……」
ニナ先生だけじゃなく、サクラさんも変だ。
嫌な予感が膨らんでいく。
「ねえ、十兵衞は……胸の中に感じていて?」
「え……」
不意に聞かれた問いに、あわてて胸に手を当てた。
十兵衞? いるよね?
『――……すまん。ちと忙しい』
え……。
『伝えてくれ。俺が守ると』
じゅ、十兵衞!? どういうこと!?
何度も問いかけても、それっきり返事はなかった。
青ざめる私にサクラさんが辛抱強く尋ねてくる。
「十兵衞は……どう?」
「俺が守る、と。伝えてほしいと……言われ、ました」
「そう……それなら、少しは安心ね」
深いため息を吐いたの。
そして目元をおさえて、深呼吸を続けている。
聞かずにはいられなかった。
「なにが……起きているんですか?」
「……息子が戦っているの」
「え……」
「一人で……恐らくは、あなたの歌を聴けるように。士道誠心の祭りを喜べるように……」
眩暈がした。
「十兵衞が手を貸している。そう感じたの……刀を手にして、敵があの子に挑んでいる」
声を出そうとしたけれど、喉がかすれて何も出なかった。
「……御願い。明日、がんばって……ごめんなさい」
言葉にならないのか、サクラさんは私の手を離して出て行ってしまった。
気丈で強くて、なにより優しいあのサクラさんが動揺している。
それだけで実感した。それこそ……死ぬかもしれない脅威にカナタは一人で立ち向かっているんだって。
呼吸が乱れる。まともに息が吸えない。どうしよう。どうしたら。
『――……ハル!』
頭の中にがつんと響くタマちゃんの声にびくっと身体が強ばった。
『息を吐け。吐け――……吐いて。三秒数えて。もう一度……全部吐き出せ』
言われるまま従う。
『そっと吸え。胸に手を当てろ……鼓動は?』
高鳴っている。
『生きている証拠じゃ。お主は死なない』
……うん。
『泥を吸ったら?』
死ぬ……?
『緋迎カナタがそれを許すと思うか?』
……ううん。
『仲間たちの起こす祭りを……お主の歌を信じているのじゃ。あいつはそれに命を賭ける価値があると思っているのじゃよ』
でも! だからって!
『あいつは弱い男か?』
そうじゃないけど!
『信じられない男か?』
そうじゃ……ないけど。
『お主の姉がついている。十兵衞も手を貸している。相手が欲望に染まるのなら、大典田光世に切り裂けぬ道理はない』
それでも。
『侍は刀を手に挑んでいる。死地へ……ならば、送り出してやるのもまた……役目じゃよ』
……それでも。
『心配なのはわかる。母君のご心痛は察してあまりある……じゃが、お主の此度の宴の役目は?』
歌うこと。
『迷わずそう思えるのなら、見守ってやれ。カナタは己の役目に挑んでいるのじゃから』
――……ん。
見に行くくらい、いいよね?
『此度の敵は……供物としてお主を求めておる。今は刺激してはならん』
――……はがゆいなあ。
刀を手にしたのに、私は戦いに参加できないなんて。
『お主の戦いは既に始まっておるよ』
待つこと……そして明日、最高の歌を歌うこと?
『十兵衞の軸を思い出せ。思うままにならないからと、不安に駆られて迂闊な真似をするか?』
そんなこと……十兵衞は絶対しない。
『それがお主が無意識に願う最強の形じゃよ。背くな。報いてやれ』
……痛いなあ。
手にした願いに教えられてばかりだ。
『お主が望んだ力が今まさにカナタを守っておる』
物は考えようってことかな。
今回の敵を見ずにはいられないし、カナタを確かめずにはいられないけど。
信じて待つのもまた戦いなのかも。
ほっぺたを何度か叩いてバスから下りた。
みんなが気ままに過ごしている。獣耳を立てると聞こえてくるよ。先生たちの話し声。
ひとまず一年生は寮へ戻るべき。いやいや。現状、学生とは言え貴重な戦力に違いない。警察がいるでしょ。しかし――……。
大混乱だ。警察の車両が何台も停まっている。侍隊がのっている車両を守っているのだろう。ライブ会場から少し離れた場所とはいえ、物々しい雰囲気だ。
一台のリムジンカーが道のそばにきたの。
中から出てきたのは厳つい中年のおじさまと、学院長先生だった。
「父上!?」
レオくんがあわてて駆け寄っていく。学校の先生たちもだ。
中年のおじさんは周囲を見渡して、レオくんに声を掛けた。
「レオ……お前がいながらなんだ、この騒ぎは」
「――……申し訳ございません」
「お前に許した権限は賢く使え。でなければいつ捨てたくなるかわからんぞ」
レオくんの身体が強ばった瞬間、学院長先生が大声で笑った。
「かっかっか! まあよいではないですか……父君に遠慮なさっているのですよ」
「そのようなものは不要だと叩き込んだのですが」
「それでも萎縮するのが子というものです」
「――……ふむ」
考え込むおじさまによろしいですかな? と確認を取ってから、学院長先生が声を上げた。
「皆の衆、聞け! 近隣のホテルに分散し、宿泊。明日は祭りじゃあ! 思いのままに過ごすがよい! 担任の言うことをよくきくように!」
あわててみんなで返事をすると、学院長先生は豊かなおひげを撫でつけて微笑んだ。
質問を口にする先生たちに説明を始める横で、おじさまはレオくんに囁きかける。
「手配は済んでいるが、ホテルはただで使わせるな。営業活動を忘れずに……下っ端の下積みだが、だからこそ肝心要で必要な存在だ。やれないとは言わせないぞ?」
「……もちろんです」
めちゃめちゃ偉い人なんだろうに。厳しいことを言っておいて、なんだかんだで気に掛けているんだなあ。普通、よほどの地位となればそんなことさせないイメージの方が強いけど。
『獅子は我が子を、というやつじゃろうなあ』
……不器用そうだね。あのおじさま。
『同感じゃな』
おじさまが学院長先生に挨拶をしてリムジンに戻る。入れ替わりで姫宮さんがレオくんに駆け寄っていった。レオくんも姫宮さんには素直でいられるのかも。ほっとした顔を見せている。
なんかいいなあ。
なんて、余裕もっていられない。
周囲を見渡した。
メイ先輩たちはいない。三年生の姿は見えなかった。みんなまだ隔離世にいるのかもしれない。二年生の姿も疎らだ。
きょろきょろしていたら、背中を叩かれた。
「なにしてんの」
キラリが呆れた顔をしてそばにきてくれたの。
「え、と。カナタが……戦っているっていうから。なんか、気になって」
「聞いたのか?」
顔を強ばらせるキラリに思わず尋ねた。
「キラリ、何か知ってるの?」
「それは――……」
ネコミミをぴくぴくさせてから、キラリが大きな声を出した。
「マドカ! こっち!」
すぐに駆け足が近づいてきたよ。勢いのままに抱きつかれたの。
「ハル! ハル! だいじょうぶ?」
「わ、私はぜんぜんだいじょうぶだけど」
「じゃあ……伝言! 並木先輩、どうやらしばらく戻ってこれそうにないから、私が代わり!」
「う、うん……」
私よりもいろいろと知っていそうなマドカが真剣な顔を私に向けて言うの。
「緋迎先輩から、ハルへ」
どうしよう。死亡フラグとかだったら……!
「明日、最高の歌を頼む。心配もいらない。あいつなら――……俺が倒す。癒やす役目はお前たちに頼む……だってさ」
そんな……気軽に言って。もう……窮地にいたっても、かっこうつけて。
「倒すっていうより……あれは、育てるって感じだったけどね」
「育てるって……敵を?」
「そ……あれ? 思ったより動揺してないっぽい?」
「……まあ。なんとしても私が助けにいくんだ、とかって感じじゃないよ。私がいったら……カナタがピンチになっちゃうかもって思うから、我慢してるの」
タマちゃんが教えてくれたから。
マドカは私の顔をしばらくじっと眺めてから、不意に笑った。
「いつものハルだ。なら……むしろ話すね? けっこう長いんだけどさ――……」
そして教えてくれたの。
カナタが挑んでいる驚異の形。そしてマドカから見たカナタの行動の真意。
「ちっちゃな子供になって……刀を作らせて、鍛えてる……」
「刀鍛冶らしいとも言えるし、侍らしいともいえるよな」
キラリの呟きにマドカは俯いた。
「稽古をつけてるんだよね。自分の思いをまともに口に出せない子供を相手に……なんでだろう。何かが引っかかるの。何かで知っているような気がして……」
悩むような声を聞いてぴんときた。
「――……ああ、そっか」
なるほど。十兵衞、道理で忙しいわけだ。
「……そっかあ」
「え? え? なにか笑うところあった?」
あわてるマドカに笑って、そして……安心感が胸に広がっていくの。
目に涙が浮かんだけど、指で拭う気にもならなかった。
「――……十兵衞がついているから、大丈夫だよ」
ミツヨちゃんがいて、お姉ちゃんを宿したカナタに十兵衞がついているから。
――……そういうことか。
お父さんに厳しく教えられた十兵衞が、カナタを通じて子供に稽古をつけているんだ。
なら、確かに心配はいらない。
むしろ……手強い相手になって、徹夜で教えるカナタがもつのかどうか。
それがただただ心配でならない。
けど、シュウさんたちが見守っているのなら、きっと大丈夫。
だからサクラさんも、すごくすごく心配だけど、私を応援したんだ。
けど応援に徹しきれないくらい不安で謝って立ち去った。それも……納得だ。
なら……私は明日、最高の歌を歌おう。
私の最強が私の大好きな人を守って、そして……小さな子を導いているのなら。
私は明日、最高の歌を歌うんだ。
「鋭気を養おう」
それこそ……子育てにカナタが挑んでいるのなら。
その子に子守歌を届けるのは私の役目だ。
ここにいたって、泥は人になり……敵ですらなくなった。
小さな子供であり、私の大事なお客さまに違いないのだ――……。
つづく!




